31歳の私は、スーパーのレジで1日5時間、時給1100円で働いている。ある日、店の裏口に1台の黒い車が停まり、スーツの男が降りてきた。「奥様、お乗りください。旦那様からのお迎えです」私は何かの間違いだと言ったのに、男は頭を下げたまま動かない。姉はいつも笑いながら「知夏にはお似合いじゃない?」と言って、母も父も何も言わない。私の名前は、この家ではいつも「姉がいらないもの」の行き先だった。あの日…

31歳の私は、スーパーのレジで1日5時間、時給1100円で働いている。ある日、店の裏口に1台の黒い車が停まり、スーツの男が降りてきた。「奥様、お乗りください。旦那様からのお迎えです」私は何かの間違いだと言ったのに、男は頭を下げたまま動かない。姉はいつも笑いながら「知夏にはお似合いじゃない?」と言って、母も父も何も言わない。私の名前は、この家ではいつも「姉がいらないもの」の行き先だった。あの日...

警備員。私、70歳の高校を出て有名大学まで行ったのよ。姉が指先で髪を弾いた。見合いの釣り書がテーブルを滑っていく。なんで私がそんな人と結婚しなきゃいけないの?母は姉の湯のみにお茶を注ぎ足し、こちらを見なかった。じゃあ、血でいいじゃない。皿を拭く手が止まった。父が新聞から目を上げた。お前には堅実な人の方が合ってる。姉が声を上げて笑った。さあさあ、知夏にはお似合いじゃない?私の名前は、この家ではいつもそこに置かれる。姉がいらないと言ったものの行き先として。私は何も返さなかった。31年、そうしてきた。

それから10ヶ月後、パートを得て裏口を出ると、敷地の橋に黒い車が止まっていた。降りてきた男性が帽子を取った。「奥様、お乗りください」「何かの間違いだと思います」「旦那様からのお迎えです」その車がどこへ向かうのかも、この家の順番を誰が決めていたのかも、私はまだ知らなかった。

私は瀬川千夏、31歳。川市のはずれにある桜井という町で、フレッシュマート桜井大店というスーパーのパートをしている。8年目だ。シフトは早番と遅番の2通りある。早番なら8時半に裏口から入って、陳列の品出しをして、10時の開店レジに立つ。遅番は昼過ぎから入って、夕方をレジで受ける。時給は1100円。1日5時間、20日ほど働いて、総支給で11万円ほど。引かれるものを引かれて、手元に残るのは10万円ちょっとだ。実家に暮らして、そこから月に3万円を家に入れている。

高校を出てすぐ、地元の小さな会社で事務をしていた。その会社が畳んだのが23歳の時で、それからずっとレジの前にいる。店には12人のパートがいる。1番長いのが中西さんで、私より10年先輩の63歳。休憩室ではいつも同じ席に座って、同じ茶を持ってくる。「ちなちゃん、今日も早いね。品出し慣れちゃって」「慣れるのが1番怖いのよ。誰も褒めなくなるから」そう言いながら、中西さんは私の湯飲みにも茶を注いでくれる。

店長の浜口安典、典さんは55歳でも売り場の端に立って、客の背中を見ている。私が値札を張り替えていると、通りすがりに一言だけ置いていく人だ。「瀬川さん、その並べ方いいね」その一言だけで、その日は最後まで働ける。

姉は私に言った。「堅実な人の方が合ってる」姉が声を上げて笑った。「さあさあ、知夏にはお似合いじゃない?」向こうのご両親はいつ挨拶に来られるの?私はレジの前に立って、数字を打ち込む。何年、この繰り返しだろう。

ある日、店に現れたのは、あの日の黒い車の運転手だった。彼は私を見て、静かに言った。「旦那様がお待ちです」私はレジを置いたまま、その場を動けなかった。

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