「たった5000万の安全装置で偉そうにしているのか。帰れ。」
新部長は、俺が10年かけて開発した特許安全装置の納品を拒否した。俺は静かに一言だけ返した。
「喜んで。」
その一言が、技術を軽視し、現場で働く者の命を顧みない新部長への決別宣言だった。
俺は三谷、42歳。建設機械部品メーカーを経営している。安全装置の開発を決意したのは、ある現場での事故がきっかけだった。若い作業員が重機に轢かれ、一瞬で命を失った。あの日から、俺の人生の方向は決まった。
10年前、俺は画期的な安全装置の開発に成功した。プレートやベルトの周囲に人が近づくと、機械が自動で停止する仕組みだ。他社の装置と決定的に違うのは、人だけを正確に見分けて止められること。作業現場には、資材や車両など動くものが無数にある。他社の装置はそれらにも反応して誤作動を起こす。だが俺の装置は違う。身体特有の熱分布と動きのパターンを解析し、人間だけを識別する。俺はこの技術で特許を取得した。
いち早くこの安全装置の導入を決めた大手建設機械メーカーと、10年にわたる取引関係を築いてきた。装置の納品に加え、特許技術の使用料として年間5000万円を得ている。
つい1ヶ月前、俺はこの技術の精度をさらに高め、特許を更新した。特許更新と並行して、国土交通省が策定中の新安全基準をパブリックコメントから追っていた。人体識別制度に関する数値基準が盛り込まれることは把握済みだ。この基準が本格運用されれば、精度の低い装置は現場から締め出される。だから特許更新を前倒しにしたのだ。
特許公報に掲載された直後、競合建設機械メーカーの技術担当役員の北側が、熱心に契約を結びたいと声をかけてきた。だが俺は10年来のパートナーである大手建設機械メーカーとの関係があるため、北側には丁重に断りを入れた。
今日は年次契約の更新と安全装置の定期納品日だ。今回の納品物には、更新した特許技術が組み込まれている。大手建設機械メーカーの本社へ向かうと、いつものように技術部長の村上が出迎えてくれるはずだった。
だが、会議室に現れたのは見知らぬ男だった。村上ではなく、新部長と名乗る男が、俺の前に書類を投げ出した。
「これは何ですか」
俺は書類を手に取った。そこには、契約解除の通知が記されていた。
「申し訳ないが、御社の装置は当社の新方針に合わない。契約を終了する。」
「新方針? 村上部長はどうしたんですか」
「彼は別部署に異動になった。技術畑の人間では、今後の戦略に対応できない。」
「この装置は既に特許を更新しました。新基準にも対応しています。説明させてください。」
「必要ない。我々は他社の装置を採用する。」
俺はこぶしを握った。技術を何も理解していない男が、10年間の信頼を一瞬で壊そうとしている。
「契約解除には法的な手続きが必要です。納品物も既に受け取っていただいています。」
「受け取ったが、返却する。新部長が大手を振るう。この装置は廃棄してください。」
俺は立ち上がった。
「わかりました。しかし、この装置が現場の命を守ってきたことを、あなたはいつか知ることになるでしょう。」
「はっ、言いたいことはそれだけか。帰れ。」
俺は部屋を出た。村上に電話をかけたが、繋がらない。おそらく、左遷されたのだ。
会社の外で、俺は空を見上げた。このままでは、10年間の努力が無駄になる。そして、安全装置を失った現場に事故が起きるかもしれない。
俺は決断した。この技術を必要としているのは、彼らだけではない。
工場に戻り、俺は特許のライセンスを整理し始めた。北側の競合メーカーからの申し出を、見直してみようと思った。
その夜、電話が鳴った。相手は、北側だった。
「三谷さん、お聞きしました。大手との契約を打ち切られたそうですね。」
「ええ、まあ、そういうことです。」
「それは残念ですね。しかし、こちらとしては好機です。我々と契約しませんか? 年額8000万円で。」
俺は少し考えた。8000万円は、年間使用料の大幅な増額だ。そして、北側の会社は特許の価値を理解している。
「条件を聞かせてください。」
翌朝、俺は北側の会社との契約書を交わした。技術を軽視する者ではなく、真に価値を理解する者と組むことを選んだのだ。
数日後、大手メーカーの本社から電話があった。
「三谷さん、契約解除の通知ですが、これは本当に社内の意思でしょうか? 村上氏が復帰しました。」
「もう遅いです。私は新たなパートナーを得ました。」
「そんなことはしないでください。我々が悪かった。条件を飲みます。」
「お気持ちはありがたいですが、契約は決まりました。もしあなたたちが本当に安全を重視するなら、自社の装置を改善してください。」
俺は電話を切った。窓の外に、競合メーカーのビルが見えた。新しい扉が確かに開き始めている。
工場には、新たな契約で、さらに大きな開発の依頼が舞い込んでいる。技術を軽視した部長は、その後、責任を取らされ、退職したと聞いた。俺は安堵した。技術は、人を救うためにある。その信念を捨てなかったことが、結局は正しかったのだ。



