「車椅子のおじさんの世話なんて、私には無理よ。私には私の人生があるんだから。キャリアだって潰したくないし。悪いけど、あなたのお父さんの面倒を見て人生を無駄にする気はないわ。」
優香はそう言い放つと、私の手を振り払って足早に去っていった。あまりにもあっけない別れだった。
私は野沢慎二。今日も病院だ。自分が病気なわけじゃない。車椅子生活を送る父の付き添いだ。
父は3年前、会社の前で起きた自動車事故で、身を挺して女性をかばい、大怪我を負って足が不自由になった。
筋肉が固まらないように、月に2回は必ず病院でリハビリを受けている。その付き添いが私の役目だ。
「いいのか?せっかくの休日をこんなことに使ってしまって。」
「せっかくの休日だからこそ、自分がやりたいことをやってるんだよ。今日は帰りに、近くの公園で桜を見に行こう。」
私は心の広い穏やかな父を、心から尊敬している。一緒にいても話は尽きない。仕事のこと、家族のこと、人生のこと。話したいことは山ほどある。
「でも、もっと自分の時間を大切にしなさいよ。好きなことを思いっきりやるとか。」
「今まさに好きなことをしてるから、ご心配なく。」
「全く、若者らしくないな。」
そう笑い合っていると、ヘルパーの山川さんが笑いながら近づいてきた。
「本当に仲良しですね、野沢さん。親子はいつまでも親離れしないんですね。そんなに笑顔がこぼれてますよ。」
「ええ、嫌だなあ。からかわないでくださいよ。」
「さあ、リハビリに行きましょうか。」
「よろしくお願いします。」
山川さんは優しくて、しっかりしている。安心して父を任せられる。父も山川さんとのリハビリを楽しんでいるようだ。
「行ってらっしゃい。」
私は二人を見送り、恋人の優香に連絡をしようとスマホを開いた。
「お父さん、のんびり屋さんなんだね。」
三人で笑い合っている中で、ふと隣の優香を見ると、その表情が硬くなっていた。そういえば、さっきから無愛想だ。何かあったのだろうか。少し悲しそうな顔をしている。
「どうしたの?」
「…いいえ、何でもない。」
優香はそれきり、窓の外を見つめたまま何も話さなかった。その日の別れ際、優香は突然、結婚を断ってきたのだった。
私の人生は一変した。失意の中、父のリハビリに付き添う日々が続く。そんなある日、病院で見覚えのある女性の姿を見かけた。優香だった。彼女は一人で診察室に入っていく。
私は気になって、こっそり後を追った。診察室の中から聞こえてきたのは、優香の主治医と思われる声だった。
「…悪化していますね。このままでは、数年後には車椅子生活になる可能性が高いです。覚悟しておいてください。」
優香は何も言わず、うつむいていた。彼女は幼い頃から難病を抱えていて、誰にも打ち明けられずにいたのだ。父の車椅子姿を見て、自分の未来と重ね合わせてしまったのだろう。そして、私や父に負担をかけたくないと思ったのだ。
私は優香に会いに行った。
「…知ってたの?」
「うん。さっき、診察室で聞いたんだ。」
「…ごめん。ずっと隠してて。」
「別に謝らなくていいよ。むしろ、黙っててくれてありがとう。でも、誤解してたんだ。」
「誤解?」
「あの日、君が父さんを見てなぜ結婚を断ったのか、わかった気がしたよ。でもね、僕が父さんの世話をするのは、義務なんかじゃないんだ。父さんがいてくれるから、僕は今の僕でいられるんだよ。君だって同じだよ。僕は君の全部を受け止める。たとえ車椅子になっても、僕がずっと傍にいるから。」
優香の目から涙が溢れ落ちた。
「…本当にいいの?私、重いわよ。」
「俺が重いんだよ。それでも俺についてきてくれる?」
優香は何度も頷いた。私たちは改めて、互いの手を握り合った。
あれから数年後、優香はついに車椅子生活になったが、私たちは笑顔の絶えない家庭を築いている。父は孫の顔を見て喜び、山川さんは我が家の常連になっている。人生は決して平坦じゃない。でも、大切な人と支え合えば、どんな困難も乗り越えられることを、私は知っている。



