会議室の空気が凍りつく。部長が「現場が口を出すな」と一喝した。私、セ沢明りは中卒の設備保全係。でも、3年間、誰も見向きもしない工場の隅々まで記録し続けてきた。そんな私を、部長はただの現場監督だと決めつけた。だが、彼は知らない。私のノートが、やがて会社を500億円の損失から消し去ることになるなんて。 記録は、いつか必ずあなたを守ってくれる。今こそ、その言葉を証明する時。…

会議室の空気が凍りつく。部長が「現場が口を出すな」と一喝した。私、セ沢明りは中卒の設備保全係。でも、3年間、誰も見向きもしない工場の隅々まで記録し続けてきた。そんな私を、部長はただの現場監督だと決めつけた。だが、彼は知らない。私のノートが、やがて会社を500億円の損失から消し去ることになるなんて。 記録は、いつか必ずあなたを守ってくれる。今こそ、その言葉を証明する時。...

私は、セ沢明り。26歳。北斗成功株式会社の設備保全部で3年間働いてきた。毎朝、出勤の1時間前には工場に入る。点検表を片手に、ハ電版の唸りに耳を澄ませ、変圧機の温度を指先で確かめる。異音はないか、匂いは変わっていないか、五感を使って歩き回る。誰もいない工場の中で、小さく鼻歌を歌うのが唯一の癖だった。他の社員たちが眠そうに出勤してくる頃には、もう1時間分の点検を終えていた。コーヒーの匂いが漂う頃には、すでに次の作業に取りかかっている。誰かに命じられたわけではない。それが3年間変わらない、私の朝の習慣だった。

先輩の追川さんが声をかけてくることがある。「沢さん、今日も早いね。」「ええ、少し確認したいことがあって。」軽く笑って答えるだけで、詳しくは話さなかった。確認したいことというのは、半分本当で半分は違う。中卒の学歴欄を見るたび、心のどこかがちくりと痛む時期もあった。「高卒がないと、現場でしか使えない。」そんな言葉を、入社してから何度か耳にした。悔しくないと言えば嘘になる。でも私は、結果で示すと決めていた。

夜、自宅に戻ると小さなノートを開く。その日あった出来事、気づいたこと、数字を丁寧に書き記す。何のために書いているのか、自分でもはっきりとは言えなかった。それでも、ペンを置く夜は一度もなかった。ただ書き続けることが当たり前になっていた。

母は工場の清掃の仕事をしながら、女手一つで私を育ててくれた。母が生きていた頃、いつも言っていた言葉がある。「記録はいつかあなたを守ってくれる。」その言葉を信じて、私は今日もノートを書き続ける。

ある日、設備保全部の定例会議で、私は提案書を提出した。長年放置されてきた老朽化した変電設備の交換計画だ。私は工場の隅々まで知り尽くしていた。毎日の点検で気づいた、微かな変化、異音、温度の異常。それらを全て記録し、分析し、具体的な交換時期とコスト試算までまとめた。私は自信を持って説明した。

会議室が静まり返った。すると、部長のガモが口を開いた。「現場が口を出すな。お前にそんな計画が立てられるわけがない。」廊下にその言葉が静かに落ちた。私は何も言い返さなかった。ただ、静かに資料を閉じた。その日の帰り、追川さんが私の後ろに並んだ。「セ沢さん、悔しくないのか?あれ、あなたが作ったんだよね。」廊下の照明が少し薄暗く感じられた。少し間を置いてから、私は穏やかに微笑んだ。「大丈夫です。記録しておきましたから。」

翌日、私はライバル社の面接を受けた。持っていたのは、あのノートと、2年間書き続けた記録だけ。面接官は私のノートをじっくりと眺めた。そして、一言。「これを、ぜひ我が社で活かしてほしい。」

数ヶ月後、北斗成功株式会社は、500億円の損失を抱えて消えることになる。設備の老朽化による大規模な停止事故が、会社を致命傷に追い込んだのだ。私はというと、新しい会社で、私の記録を評価され、設備管理の責任者として働いている。あの日、部長に否定された計画は、今、別の会社で実現している。

私は、セ沢明り。26歳。今日も私は、ノートを開く。

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