展示会で、部長が小さな町工場の女性社員に向かって「底辺工場のガラクタは邪魔だ」と大声で罵倒した。周りの誰も助けようとしない中、彼女の震える手を見て、俺は何かを決意した。だが、俺には言えない秘密があった。実は俺は、その会社の次期社長で、身分を隠して営業部に潜入していたのだ。 「この技術は絶対に製品化する。」 そう誓った俺の前に、やがて想像を絶する妨害が立ちはだかる。…

展示会で、部長が小さな町工場の女性社員に向かって「底辺工場のガラクタは邪魔だ」と大声で罵倒した。周りの誰も助けようとしない中、彼女の震える手を見て、俺は何かを決意した。だが、俺には言えない秘密があった。実は俺は、その会社の次期社長で、身分を隠して営業部に潜入していたのだ。 「この技術は絶対に製品化する。」 そう誓った俺の前に、やがて想像を絶する妨害が立ちはだかる。...

「庭園工場のガラクタなんて邪魔だ。」

その言葉が放たれた瞬間、展示会場の空気が凍りついた。部長の冷たい声が周囲に響き渡り、誰もが一瞬息を飲む。彼の視線の先には、簡素なブースで一生懸命説明を続ける若い女性がいた。その表情は曇り、次第に言葉を失っていく。

「こんなところに出てくる資格なんてないんだよ。」

彼女を攻め立てるかのように、部長はさらに声を荒げる。俺はその光景を黙って見ていることができなかった。理不尽な態度に、胸の奥から激しい怒りが込み上げてくる。彼女の震える手が目に入り、その瞬間、俺は強い決意を抱いた。このまま見過ごすわけにはいかない。彼女のためにも、この技術の未来のためにも。

俺は静かに口を開いた。

俺の名前は高橋誠。今年で32歳になった。大学卒業と同時に、父が社長を務める大手の自動車部品メーカーで働き出し、10年になる。俺は一人息子で、父が40歳の時に生まれた。俺が生まれるまで、父は小さい工場の職人として働いていたらしいのだが、その会社が潰れてしまい、家族を守るために起業したのだ。今では大手企業にまで登り詰めたこの会社だが、初めは小さな工場からのスタートだった。

昼も夜も父は機械に向かい、黙々と手を動かし、自動車の部品を作り続けていた。「安全な社会を目指して、俺は部品と真剣に向き合っているんだ。」これが父の口癖だった。そんな父の真剣な思いが、日本でも有数の自動車メーカーの目に留まり、そこからは見る見るうちに会社規模が大きくなっていった。父の思いが自動車産業を支え、今では大手企業になるまで登り詰めたのだ。

俺は子供の頃から父の物づくりの姿勢の背中を見てきており、その姿に憧れ、大学では会社に貢献できるよう新たな技術を手にするために学んできた。そんな父ももう72歳。3年ほど前に体調を崩し、それまで第一線で社長を務めていたのだが、今はほとんど表には出ず療養中だ。

「誠、いいか。」

ある日、いつものように出社の準備をしていると、父に呼び止められた。改めて向き合って父の姿を見ていると、線が細くなって年を取ったことを感じさせられる。

「父さん、どうしたの?」

俺がそう答えるのを聞いて、父はいつになく真剣な表情をする。

「実はな、社長業を退任しようと思っているんだ。」

父の唐突な発言に少し驚くが、同時に仕方ないことだと思う。自宅療養の日々で、会社は副社長以下たちが守ってくれている状況なのだ。体力的にももうしんどいのだろう。

「そこでだ。この会社をお前に任せたい。誠、次期社長をお前に任命するよ。」

父はまっすぐ俺の目を見つめている。次期社長はお前だというのは、いつの日だったか酒の席で言われたことがあった。体調を崩している父を見て、そろそろかなと思っていたが、いざ面と向かって言われると、少し不安な気持ちもある。

「俺はな、俺の思いを引き継げるのはお前しかいないと思っているんだ。それにお前の技術部での経験は、きっと経営側に回っても生きてくるぞ。」

父は俺の表情を見て不安を悟ったのだろう。力強い言葉で、俺に諭すように言う。

「いつかはそうなるかなって思ってた。経営のことだけが不安なんだけど、俺、頑張るよ。」

そう俺が言うと、父は優しい笑顔で俺に微笑みかける。

「誠になら安心して任せられるよ。とはいえ、お前は10年間技術部一筋だっただろう。営業や財務、その他経営についての知識を、これから数ヶ月かけて取り入れていってほしい。」

俺は大学で機械工学を専攻し、技術部門でずっと部品と向き合ってきた。新しい技術に対する目利きには自信がある。ただ、経営についてが不安だ。勉強期間をくれるのは非常にありがたい。

「そうしてもらえると俺も安心だよ。経営者として適切な判断を下すには、他部門の状況も直接知る必要があると思うんだ。これから3ヶ月間、各部門で働かせてもらえないかな?」

「そうだな。会社の顔と言っても過言ではない営業部で経験を積むことで、会社や経営について学ぶことができるな。頼んだぞ。」

父は俺にそう言って、すぐに取締役会での議題にあげてくれた。その後、取締役の了承を得ることができ、この件は極秘プロジェクトとして実施することとなった。俺自身が学ぶ必要もあるが、どのような社員がいるか、社員たちにも父の考えが行き届いているか確認するためにも、次期社長であるということを隠しておいた方が良いと話し合ったためだ。

そのため、俺は身分を隠し、佐藤誠という偽名を使う。最近他社から中途採用された営業職員という設定で、営業部に配属された。同僚たちには温かく歓迎され、歓迎会を開いてくれた。数名の同僚たちと、この会社についての話を酒を酌み交わしながら話してみると、みんな若いながら熱意を持って働いていることがわかる。彼らが生き生きと働いているところを見て、俺は密かに安心した。

しかし、気になる声がいくつかあった。

「伊藤部長には気をつけた方がいいよ。あの人は肩書きで人を判断するところがあるから。」

営業部の伊藤部長については、あまり良い話が出てこなかったのだ。俺はこれまで技術部にいたため、伊藤部長と会う機会がなく、営業部に来て初めて顔を合わせた。

「なんで技術屋が営業部なんだ?」

挨拶をした直後、不服そうな表情でそう言われたのが印象的だ。同僚たちによると、伊藤部長は肩書きや学歴で人を判断することが多く、以前も高卒で入社した社員を別の部署へ追いやったりしたこともあったらしい。同僚たちも不満には思っているものの、仕事できちんと結果を出し、上手に立ち回っていればうまくやれると言っていた。もし伊藤部長に本当にそういったところがあるなら問題だ。俺は伊藤部長の言動や行動を注視して働こうと決めた。

その後、営業部で数週間働いてみて、伊藤部長について分かったことがある。まず、伊藤部長は出世欲と大企業の威信を誇持したいという欲求が非常に強い。折に触れて「俺は大企業の営業部長だから」「俺はあの名門大学卒業だ」と周囲に言いふらしている。また、肩書きや学歴で人を判断するのは本当なようで、父に聞いたところ、伊藤部長は非常に従々な部長だったようだ。やはり父が社長だから減り下っていたのだろう。ちなみに、俺のことは「おい、技術屋」などと呼んでいる。まともに名前を呼んでもらえることの方が少ないくらいだ。

それから、弱者に対して容赦ない実績至上主義の冷酷な性格であるのだ。取引先の担当が高卒だと知ると「あいつはバカだ」などと影で言っており、相手に対しても少し失礼な態度を取る。見ている俺がヒヤヒヤするほどの対応だ。下請けの小さい会社に対してもかなり威圧的な態度を取っており、このまま伊藤部長を野放しにしておいては、この会社に悪影響を与えるのではないかと心配になる。

さて、営業部に潜入して1ヶ月が経った頃、自動車部品業界の合同展示会に伊藤部長と共に参加することになった。やはり技術畑の俺としては、最新技術や様々な部品についての展示があり、ワクワクしてくるのを感じる。どのブースから回ろうかとキョロキョロしていると、展示会場の片隅で若い女性が一人、即席で作ったような簡易的な展示スペースで新製品を紹介しているのが目に入った。

「伊藤部長、あのブースに行きませんか?」

俺がそう言うと、伊藤部長は明らかに不満げな表情を浮かべる。

「あんな小さいブースで説明してる会社なんて、高が知れてるだろう。時間の無駄だ。」

「そうですか。俺、気になるのでちょっと立ち寄ってみます。」

俺がそう言ってブースの方へ足を進めると、なぜか伊藤部長もついてくる。ブース対応している女性が俺たちに気がつき、笑顔を浮かべた。それに俺が答えようとすると、伊藤部長は含み笑いをしながら俺より先に女性へ口を開く。

「こんな大きな展示会に、全然知らねえ名前の会社がいるじゃねえか。」

ブースには「鈴木工業」と書かれており、確かに聞いたことがない会社だ。しかし、製品の製造に会社の有名無名は関係ない。伊藤部長は明らかに嫌味な言い方をし、女性は困ったような表情を浮かべる。

「家族経営で、父と母と弟と私でやっている小さな会社なんです。」

女性がそう言うと、伊藤部長は展示された製品を一瞥し、鼻を鳴らした。

「やっぱりそうか。こんなところに出てくる資格なんてないんだよ。底辺工場のガラクタは邪魔だ。目障りなんだよ。」

大声で女性を罵倒する。俺がこのブースへ行こうと言い出したせいで不機嫌になってしまっていたのだろう。怒りの矛先がこの女性の方へ向いてしまったようだ。女性の表情を見ると、悔しさと屈辱感でいっぱいの様子である。

「気分を害してしまったようで、申し訳ございません。」

女性は伊藤部長に向かって、目を潤ませながら謝罪している。しかし、それでも伊藤部長の罵倒は続く。

「底辺工場がこんなところを出展してるんじゃねえよ。」

周囲にも響き渡る大声で罵倒を続けているのだが、周囲の人々はそっと目をそらし、距離を開けている。伊藤部長の荒っぽい言動を恐れ、おそらく自分に被害が及ぶことを避けたいため、見て見ぬふりをしているのだろう。誰も助けようとしない。

本来であれば、今すぐにでも身分を明かし部長の暴言を止めたいのだが、今は立場上部下ということもあり、強い言葉で止めることができない。俺は伊藤部長の大声での怒鳴り声を聞いて、このような行為が会社の評判を落とし、会社の恥にもつながるのではないかと心配になる。当然、このままにしておいて良いはずがない。とにかくこの状況を収めなければ。

俺はあえてのんびりとした声を伊藤部長にかけ、女性と伊藤部長の間に割って入った。

「まあまあ、伊藤部長、落ち着いてくださいよ。」

伊藤部長はのんびりとした俺の声に拍子抜けしたのか、少し冷静さを取り戻した様子だ。しかし、依然として不機嫌そうで、そっぽを向いている。その姿に苦笑しつつ、女性に頭を下げる。

「失礼いたしました。よろしければ、こちらの製品についてご説明いただけないでしょうか?」

俺はにこやかに女性に声をかける。伊藤部長を止めたのは会社や女性のためというのもあったが、純粋に彼女のブースの展示に興味が湧いていたからという理由もあった。ブースの壁には、彼女の会社独自の素材なるものの実験データが貼ってあるのだが、それが非常に興味深く思えたのだ。

俺の言葉に、女性は目に溜まった涙を拭って、俺に名刺を差し出した。会社名と名前だけが書かれたシンプルな名刺で、「鈴木彩」という名前が書かれている。

「鈴木工業の鈴木彩と申します。」

涙を拭いながらも製品の特徴について説明してくれるが、なかなかに専門知識が豊富なようだ。なんとなく気になって話を聞き始めたのだが、技術部で10年間働いていた俺でも唸るほどの知識量で、詳細に説明してくれる。

「この素材、何か他と違いますね。」

俺は製品をじっくりと見ながら鈴木さんにそう話しかける。すると鈴木さんはパッと顔を輝かせ、生き生きと話し始める。

「実は今、弊社では新しい環境配慮型素材の開発に取り組んでいるんです。私が環境問題に強い関心があって、社長である父が開発を進めていて、これが今開発途中のものなんですが。」

鈴木さんは一つの小さな部品とその説明書を取り出した。俺はその説明書をじっくりと読みながら驚く。

「これは素晴らしい。」

独り言のように思わず呟いてしまう。これがもし製品化されれば、自動車業界での潜在的な市場価値を生み出すことができる。この環境配慮型素材は、単に持続可能なだけでなく、環境保護にも取り組め、さらに安全性も高い、画期的なものになりそうだ。

俺は興奮して、先ほどからつまらなさそうに部品を眺めていた伊藤部長に話しかける。

「伊藤部長、この素材すごいですよ。環境にも配慮され、さらに安全性も高い部品になります。この部品があれば、さらに自動車産業は発展していくこと間違いなしです。」

熱意を持って熱く話しかけるのだが、伊藤部長は全く持ってつまらなさそうに、不機嫌そうな表情を浮かべている。

「こんな底辺工場が作るガラクタなんて、うちの会社に必要ないだろう。」

部長は俺の話に興味なさそうに、パンフレットを広げて他のブースの写真を眺めている。俺は続けて製品についても熱く説明をするが、伊藤部長は全く聞く耳を持たず、取り合ってもくれない。これ以上伊藤部長に言っても無駄そうだ。そう感じた俺は、伊藤部長に提案することにした。

「この素材を開発する技術は、我が社にとって非常に重要なんです。私個人の責任で構いません。仮契約を結ばせていただきたい。」

「うるさいなあ。もう勝手にしろ。ただし、問題が起きても全てお前の責任だからな。」

伊藤部長がため息混じりに、渋々といった形で許可する。俺がしつこく食い下がるから面倒になったのだろう。ただ、どんな形であれ、契約の決済は降りた。

俺はこのやり取りを不安に眺めていた鈴木さんに向かって、改めて声をかけた。

「御社の新素材と技術に関して、契約を結ばせていただけませんか?」

俺がそう言うと、驚いたように鈴木さんは俺の顔を見る。

「あの、お名前は?」

そこまで言われて、俺は自分がまだ名刺を差し出していないことに気がつく。この会社の技術に目を向けるあまり、俺としたことがうっかりしていた。慌てて名刺を差し出すと、鈴木さんは会社名を見てさらに驚いた様子だ。

「こんな大手企業の方が、いいんでしょうか?」

「こちらとしては是非お願いしたいです。まずは仮契約という形にはなってしまいますが、是非よろしくお願いします。」

俺は鈴木さんと言葉を交わし、ひとまず仮契約という形にあり付けた。この素材と技術には未来しかない。そう確信していた。

俺はこれから製品化を実現すべく、鈴木さんの会社を訪ねることにした。鈴木さんのいる会社、鈴木工業は、家族4人で経営している典型的な町工場を経営する零細企業であった。訪問してみると、年季が入ってはいるが丁寧にメンテナンスされているであろう機械が数台ある。この小さい工場では、製品化するまで少し時間がかかってしまいそうだ。

俺は定期的に鈴木さんの工場を訪問し、技術的アドバイスや必要な設備の提供など、製品開発をサポートすることにした。鈴木さんの両親や弟も「こんな大手企業と契約を」と驚いた様子だったが、何度も足を運ぶうちに打ち解けてきた。

「俺はね、事故のない安全な製品を作りたいんですよ。」

鈴木さんの父がそう発言した時、俺は深く頷いた。俺の父さんと同じ思いを持っている、そんな工場だったのだ。俺は何としてもこれを製品化したいと強く思った。

そして俺と鈴木さんの家族は、製品の改良を何度も重ね、環境負荷を30%削減しつつ、強度を2倍に向上させた新素材の開発に成功した。仮契約を進めて2ヶ月が経った頃だった。俺の潜入期間はちょうどそのタイミングで満了となり、正体を明かさぬまま退職という形で営業部を去り、その後すぐに社長に就任した。

社長となった俺は、先日開発に成功したばかりの環境配慮型素材を搭載した新製品の開発を指示する。順調に進んでいるように見えたが、開発が始まってしばらくして、ある不穏な情報を耳にした。なんと、この新製品の開発に鈴木の会社の部品が関係していることを察知した伊藤部長が、邪魔をしようとしているらしいのだ。

「そんな零細企業の技術など使えるはずがない。必ず失敗する。」

周囲に吹聴しているという。俺はなぜそんなことをするのか理解ができなかった。だが、俺が理解できようができまいが、営業部長にそう言われてしまっては、開発に携わっている人間のモチベーションは低下してしまう。

「この新製品は環境問題にも配慮した、安全性の高い素晴らしい製品なんだ。製品化することで、うちの会社の評判にも必ずつながる。」

俺は社員のモチベーションの低下を防ぐため、伊藤部長の言動に惑わされぬよう開発メンバーを叱咤激励して開発を進めた。そして半年後、紆余曲折はありながらも、製品を完成させることができたのだった。

新製品は環境団体からの表彰や大手自動車メーカーからの大量発注など、業界からの評価は予想以上に高かった。

「鈴木さん、やりましたね。」

「高橋さん、ありがとうございます。ここまで来られたのは本当に高橋さんのおかげです。」

俺と鈴木さん家族は一緒になって心から喜んだ。素晴らしい技術が正当に評価されて本当に嬉しい。ここまでやってきて良かったと心から思う。

その後、新製品は着実に売上を伸ばしていった。ところが、ある時から不可解な出来事がいくつか起こり始める。新製品に関連する企業との取引がいつの間にか中止させられたり、俺の意向を無視して契約解消を示唆するメールが勝手に送られていたり、まるで何かが新製品の流通を邪魔するかのような出来事が起こっていたのだ。

「御社の会社から取引は終了すると連絡があったんですよ。うちはもう知りませんからね。」

取引先の担当者に聞いても、「うちの会社からメールが送られてきた」の一点張りで事情が分からない。中には事情を尋ねる電話をしただけで怒鳴りつけてくるような会社もあった。なぜこんなことが起きているのか。内部調査をしようとした時、鈴木さんから相談したいことがあると連絡が来た。

鈴木工業へ訪ねると、鈴木家はみんな暗い顔をしている。

「一体何があったんですか?」

「見てください。これ。」

鈴木さんに見せられたスマホにはSNSが映し出されていた。

「これはひどい。」

俺はその画面を見て思わずそう呟いてしまう。そこには鈴木工業に対するたくさんの誹謗中傷が書かれていた。「鈴木工業は借金まみれで返済していない」「地元の反社会勢力とつながりがある」「地域の人へ嫌がらせをしている」など様々だ。

「根も葉もない噂なんです。なんでこんなことに。」

まじまじと鈴木さんのスマホを眺めていると、今度は俺のスマホが鳴る。相手は直属の秘書だ。

「社長、今すぐ会社に戻ってきてください。大変なことに。」

電話の向こうで秘書が慌てた声を響かせる。俺は鈴木家に事情を説明して、慌てて会社へ戻る。会社に到着し社長室へ戻ると、秘書が青ざめた表情で俺の方へ近づいてくる。

「大変です、社長。鈴木工業と取引があるなら、うちとは取引をやめると、先ほど電話があった会社が。」

その会社というのは、俺の会社でもそれなりの大口取引がある会社だった。

「なんでこんなことに?その会社には俺が誤解を解きに行くよ。」

秘書にそう伝えるが、秘書はまだパソコンを見て顔を引きつらせている。

「大変です。他の会社からも取引をやめるとメールが。」

メールを慌てて確認するが、今新製品の取引がある4社ほどから取引停止が来ている。俺は急な出来事に頭を抱えて、「何が起きているんだ」と呟く。不可解なことが起こりすぎている。

それから誤解を解くために取引停止を持ちかけられた会社へ謝罪に回ったが、数社はやはり停止されてしまい、売上が減少していってしまう。どうしたものか頭を悩ませていると、社員たちのひそひそした声が耳に入ってくる。

「社長が変わってから売上下がってるらしいぞ。」

「ボンボンの二世だから判断力も鈍ってるんだろう。」

どうやら今回の売上の減少については社員たちにも話が行っているようで、俺の能力不足だという声も多数あるようだ。鈴木工業も、せっかく上がり始めた評判が落ちてしまっている。鈴木さんと定期的に連絡を取っているが、最近は嫌がらせの電話もかかるようになってきたのだという。

「どうしたらいいんだ?」

売上表を見て、なんでこんなことになっているのか考えを巡らせる。新規の取引が勝手に停止されたり、鈴木工業への誹謗中傷とも取れる情報が流れていたり。俺は何とか打開しなければと、取引停止のメールが送られたというアカウントを特定し、どのPCから送られたのかシステム部に調査を依頼した。すると驚きの事実が発覚する。

俺のアカウントに勝手に入ってメールを送信した人物が、社内の監視カメラに映っていたのだ。俺はシステム部から送られてきた監視カメラの映像を見て、一人で驚きのあまり立ち上がってしまう。

「伊藤部長か。」

監視カメラの映像には、営業部長の伊藤部長が俺のPCにアクセスしている様子が映し出されていた。もしかすると、鈴木工業への悪い噂などの妨害工作も伊藤部長の仕業かもしれない。部長の仕業だとして、なぜそこまでするのだろうか。

俺は伊藤部長の言葉を思い出した。

「弱者のくせに成功するなんて許せねえよな。」

俺が営業部に潜入している時、中卒の社長が成功したという雑誌の記事を読んでいた伊藤部長が発した言葉だ。もしかすると、家族経営の町工場だった鈴木工業が軌道に乗り始めているのが面白くないのかもしれない。伊藤部長の嫉妬心は想像以上だ。

俺は自分の仮説にぞっとしながら、落ち込んでしまう。社長になったものの、周囲の人に迷惑をかけているのではないか。自分は社長に向いていないのではないか。日々取引停止や売上減の話ばかりを聞いていて、そんな風にネガティブな考えが自分を支配していく。

「鈴木さん、鈴木工業の皆さん、申し訳ありません。弊社と取引をしたばかりにこんなことになってしまい。」

とにかく鈴木工業に謝罪をしなければと、俺は鈴木さんたちに会いに行ったのだが、優しい笑顔で出迎えてくれた。

「高橋さんのせいじゃないですよ。諦めずに頑張りましょうよ。ここからでも何か光が見えるはずです。」

鈴木さんはとにかく前向きだった。その言葉を聞いて、俺もへこたれてはいられないと思う。俺は小さく頷き、意を決する。

「実は弊社の社員が妨害工作をしている可能性があるんです。必ず解決できるよう動きます。少し待っていてくれますか?」

俺はそう鈴木さんに告げ、鈴木工業のためにも会社の未来のためにも、真実を徹底的に調べることを決めた。

それからすぐに再びシステム部に連絡をし、伊藤部長のメールや通話記録など、伊藤部長の悪事を暴くため社内調査を密かに開始する。調査結果は1週間ほどで上がってきた。結果は予想以上のものだった。

まず、妨害工作をしていたのはやはり伊藤部長だった。会社のPCを使ってSNSにログインをしていたようで、発信源を突き止めるのは容易だったようだ。伊藤部長のアカウントから、鈴木工業の悪評をばらまいているアカウントにログインした形跡があり、鈴木工業の誹謗中傷を行っていたのは伊藤部長だということが確実だった。他にも、取引先にメールや通話をしている履歴もたくさん出てきた。録音の履歴を聞いてみると、どうやら伊藤部長は「社長に指示された」と言って、多数の会社に取引停止を持ちかける連絡をしていたようだ。

それだけではない。伊藤部長の妨害工作のみならず、個人的な利益のために新製品の設計図を競合他社に売却していたのだ。これは競合他社への機密情報の漏洩にあたり、違法行為に該当する。

「これは許せない。」

俺はそう呟き、急いで秘書へ連絡をする。

「大変なことが分かった。緊急で取締役会を開いてくれ。」

俺がそう告げると、秘書が役員へ連絡をしてくれ、翌日緊急で取締役会を開くこととなった。俺は取締役会までに徹夜で伊藤部長の証拠資料を作成する。こんなことが許されるはずがない。製品に真剣に向き合ってきた鈴木工業や、父が作り上げたこの会社に失礼にも程がある。それに、違法行為をしている社員を社長としても放っておけない。

俺は取締役が集まった会議室で資料を配布した。

「今回の売上の減少と鈴木工業の不可解な噂についてまとめましたので、ご確認ください。」

俺がそう言うと、会議室がざわめく。

「伊藤君が信じられない。」

取締役たちからは口々に戸惑いの声が聞こえてくる。それほどまでに伊藤部長は上層部には気に入られていたのだろう。俺も今回の営業部への潜入期間がなければ、伊藤部長の本質には気づけなかったかもしれない。違法行為が行われていたかもしれないと思うと恐ろしい。

「伊藤君をすぐに解雇だ。厳重な措置を取らなければ。」

役員の一人がそう言うと、秘書が会議室に入室してくる。

「社長、伊藤部長をお連れしました。」

秘書がそう言うと、何もわけが分かっていない様子の伊藤部長が入室してくる。

「伊藤部長、なぜ呼ばれたか分かるか?」

取締役たちの視線を一心に浴びた伊藤部長は、ポカンとした顔で俺のことを見ている。

「なんであんたが。」

営業部に数ヶ月だけいた社員と新社長が同一人物だと、今更気がついたらしい。そういえば営業部にいた時、名前を呼んでくれていなかったなと思い出す。伊藤部長はかなり驚いている様子だったが、しどろもどろに口を開く。

「し、社長でしたか。いえ、一体何がなんだか。」

伊藤部長は取締役たちの顔を見渡し、焦ったような表情を見せている。俺はよく分かっていない様子の伊藤部長に、無言で先ほどの資料を渡す。すると伊藤部長の顔色はみるみる青ざめた。

「え、これは私ではありません。何者かが勝手に。」

言い訳をしようと否定する伊藤部長だが、俺はその隙を与えない。

「この履歴についてはどう説明するんだ?」

俺はメールや通話履歴全てが記録された分厚い資料を伊藤部長に見せつける。伊藤部長はその資料を見て、観念したように俯いて黙り込んだ。

その後、伊藤部長の解雇は正式に決まり、さらに警察の捜査が入ることになった。そして数週間の捜査の後、伊藤部長は逮捕され、不正競争防止法違反の容疑で起訴された。

「今回のようなことは二度とあってはなりません。再発防止のためにセキュリティ強化が必要になるのではないでしょうか。」

俺は再度取締役会を開き、伊藤部長の行為が会社の信用を大きく損なうものであったと強調し、再発防止のための体制としてセキュリティ強化を提案する。会社の理念も踏まえ、再度全社員に研修を行うことでリテラシーを上げることも提案し、実際に行っていくこととなった。

というわけで、問題は解決に至りました。

「今回は本当に申し訳ございませんでした。」

俺は迷惑をかけてしまったということで、鈴木工業にも深く頭を下げ、謝罪に向かった。伊藤部長が一人で仕掛けたこととはいえ、うちの社員が迷惑をかけたことに変わりはない。ことの顛末を全て話すと、驚いた様子ではあったが、鈴木家はいつもの優しい笑顔のままだった。

「私たちは感謝しているんですよ。高橋さんの会社と取引が始まったおかげで、この新製品をたくさんの会社へ届けることができたんですから。これからも俺たちはそのための技術を開発していくだけですよ。」

優しい笑顔に、俺の心も温かくなる。

伊藤部長の一件については公表し、彼が逮捕されたことで、鈴木工業への誹謗中傷もデマだったことが取引先にも伝わり、現在は順調に取引が再開されているという。それから新製品の販売も引き続き行うこととなった。結果、鈴木工業は年商が10倍に増加し、地域の雇用にも貢献するなど、従業員17名の中小企業に成長。今は俺の会社の専属下請け会社として貢献してくれている。

「高橋さん、次の新製品についての相談なんですが。」

鈴木さんとは次世代に向けての開発を進めている。俺はこれからも環境に優しく安全な次世代自動車部品を生み出すため、さらなる技術革新に取り組もうと心に誓ったのだった。

Thumbnail