「無職」――ありえない。そんなの外れみたいにでもあげれば。
三つ上の姉の指が、テーブルの上の紙を弾いた。父が持ち帰った縁談のプロフィールだ。職業の欄には、たった二文字だけが書いてある。
無職。
母が髪をかき上げた。「大久保さんもいいお歳をね。こんな話を持ってくるなんて」母が笑い、姉も笑った。父だけが腕を組んで黙っていた。
母は台所で湯飲みを洗っていた。手を止めずに。やがて父が茶を吸った。
「みさ、お前が代わりに行け」
蛇口の音だけが残った。私は相手の顔も知らない。写真はまだテーブルの上にある。
「先方に私から返事をしておく」
返事は父がすると言った。私がするのではないらしい。
「分かった」
姉が鼻で笑った。「分かったじゃない。あんたにはちょうどいいわよ。いい話は全部お姉ちゃんのもの。残ったものが私のところへ来る。それが村瀬の家の順番なんだから」
職業の欄に「無職」とだけ書かれていた意味を、私が知ることになるのは、結婚してからだ。
私は藤崎みさ。介護福祉士という国家資格を持って、特別養護老人ホームで働いている。介護が必要なお年寄りが最後まで暮らす施設だ。介護の仕事に入って九年になる。資格を取ったのは六年前。勤め先は「春が丘園」という七十人が暮らす施設で、家からは自転車で十五分。早番と日勤と遅番と夜勤を回している。手取りは決して多くない。それでも私はこの仕事が好きだ。
この話をしている今の私は三十二歳。これから話すのは二年前。私が三十歳だった秋から始まる出来事だ。
当時の私はまだ村瀬みさだった。村瀬の家は都心から電車で四十分の住宅地にある。古い二階建てで、庭に父が植えた金木犀がある。父は村瀬生吾、食品を卸す会社で営業部長をしている。会社の名前は「丸ひ正司」という。母はかえ、ずっと専業主婦だ。そして姉がいる。村瀬レナ、私の三つ上。この四人が家族だった。
ただ、家族というものが全員に同じ顔を向けるとは限らない。私はそれを子供の頃から知っていた。
例えば進学の時。姉は都内の私立大学へ行った。入学金も授業料も四年分、全て両親が出した。私が三年後に同じことを言うと、母はカレンダーをめくりながら答えた。
「うちにそんな余裕、二人分もないわよ」
その言葉の後、母は姉の卒業旅行の話を続けた。私は奨学金を借りて専門学校へ行った。介護の学科ではない。卒業してから三年はジムの仕事をして、二十三歳で春が丘園に入った。奨学金は毎月一万四千円を九年かけて返した。返し終わったのは二十九歳の時だ。最後の返済を終えた日、母に電話で報告した。母は「あら、そうだったの」と言って、姉の話に戻した。
例えば成人式の日。姉の振り袖は駅前の呉服屋で誂えた。母は三日かけて生地を選び、写真館で家族写真まで撮った。私の番になると、母は近所のレンタルのカタログを持ってきた。「みさは背が高いから何でも似合うでしょう」似合う似合わないの話ではなかった。私は何も言わずにカタログをめくり、一番安い段の中から選んだ。成人式の年に撮った写真は一枚もない。実家の今の壁には、今でも姉の振り袖の写真だけが額に入ってかかっている。母は来客の度にその額を指す。「これが上の子。よく取れているでしょ」
例えば就職が決まった時。両親が親戚を呼んで席を作った。父が私を紹介した。「娘は介護の道に進むそうです」すると母が横から口を出した。「みさは器量が姉ほどじゃないんだから、手に職があった方が安心なのよ」座敷が笑いに包まれた。姉も笑った。おばの松さんだけが笑わずに私を見ていたが、母の声の方が大きかった。私は笑わなかった。誰もそれには気づかなかった。
この三つを、私は今でも順番通りに思い出せる。忘れられないというより、順番が決まっているから覚えているのだと思う。それでも私は実家に金を入れていた。施設に入った二十三の年からだ。ちょうど父の給料が下がった年で、母に頼まれて毎月三万円。それがそのまま続いている。仕送りを始めてから二年目の秋でちょうど七年だった。積み上げればいくらになるのか、私は計算を一度もしたことがなかった。すれば嫌になるのが分かっていたからだ。
姉は働いていないわけではない。駅ビルのアパレルで販売員をしている。ただ家に金を入れたことは一度もない。母はそれが当然だと思っているからだ。「レナは見栄にお金がかかるの。人前に出る仕事なんだから」介護も人前に出る仕事だ。ご家族に頭を下げ、ご本人の名前を呼び、汚れた寝巻きを変える。そう言い返したことはない。
実家へ帰ると、台所は自動的に私の場所になった。母が煮物を作り、私が皿を並べ、私が洗う。姉は座ったままスマートフォンを見ている。「姉も少しは手伝いなさいよ」母が言う。姉は顔を上げない。「みさがやってるからいいじゃん」母はそれ以上言わなかった。だから私も言わなかった。台所に立っている限り、私はこの家で役に立っている。役に立っていれば、何も言われない。
春が丘園には、菅田さんという九十歳の女性がいた。私が入職した年からいる人だ。目はほとんど見えない。耳の方はよく聞こえる。私が廊下を歩くと、足音で分かるらしかった。「みささん、今日は早いのね」その一言のために働いているようなところが、私にはあった。誰かが私の名前を、順番ではなく私のものとして呼ぶ。実家では起きないことだった。
記録はタブレットでつける。私が入った年はまだ紙だったが、四年ほど前に切り替わった。食事の量も排泄も入浴も、全部その画面に打ち込む。起動するたびに画面の隅に小さな会社の名前が出る。毎日見ているのに、私はその名前を読んだことすらなかった。ただの模様のようなものだった。
職場で先輩の土屋さんに、その頃一度だけ実家の話をしたことがある。生活相談員として二十年やっている人だ。入所の相談やご家族との話し合いを一手に引き受けている。土屋さんは湯飲みを両手で包んだまま、しばらく黙っていた。「村瀬さん、あなた家では何て呼ばれてるの?」「みさですけど」「お姉さんは?」「レナちゃんです」土屋さんは何も言わずに湯飲みを置いた。その音だけが、夜の更けた部屋に長く耳に残った。
縁談の話が来る前の年から、姉は結婚相談所に入っていた。「レナにはね、もっといい話が来るのよ」母は誰に聞かれたわけでもなく、そう言うのが癖になっていた。姉は三十三。母の頭の中では、姉が誰と結婚するかは村瀬の家の一大事だった。私が誰と結婚するかは、話題にすらならなかった。父も同じだった。父は年に何度か、酔うとこんなことを言った。「レナにはいい相手を見つけてやらんとな。あれは顔がいいから」そして必ず一拍置いて、こう続けた。「みさはまあ大丈夫だろう」何が大丈夫なのか、父は説明しなかった。私はそれで良かったのだと思う。期待されないというのは、放っておいてもらえるということでもある。そう思っていた。自分の順番が来ないなら、順番を待たされることもない。そう思い込むことで、私はここまでやり過ごしてきたのだと思う。
ところが村瀬の家には、もう一つの順番があった。誰も欲しがらないものが回ってくる順番だ。その順番の先頭に、私はずっと立たされていた。
その秋、父が茶封筒を持って帰ってきた。茶封筒の中身は白い紙が二枚だった。一枚目に写真が貼ってある。二枚目にプロフィール。父はそれを今のテーブルに置き、母を呼んだ。私はたまたま休みで、昼から実家に寄っていただけだった。
「大久保さんからだ。レナにどうかと」
その名前を聞いて、母の背筋が伸びた。大久保さんは丸ひ正司の相談役だ。父の勤め先で、二代前まで社長をやっていた人だと聞いていた。父は年に一度、暮れになると必ず大久保さんの家へ挨拶に行く。母はその日だけ、父のスーツにブラシをかける。
「まあ、大久保さんが自ら」母は写真を手に取った。姉が二階から降りてきて、母の肩越しに覗き込んだ。「へえ。顔はまあまあじゃない」姉の言い方には、試着を見る時の調子があった。「歳前ちょっと上だけど、まあ許容範囲かな」母が二枚目をめくった。そこで母の手が止まった。姉が母の手から紙を抜き取った。そして、あの声が出た。
「無職。ありえない。そんなの外れみたいにでもあげれば」
私は台所にいた。手を止めずに聞いていた。姉はプロフィールを指で弾き、テーブルに投げた。母が拾い上げてもう一度読み、眉の間に線を作った。「本当だわ。職業、無職って。何それ?」「四十で無職って、何かあるってことでしょ?」「病気かしらね」「借金じゃない?」「じゃなきゃ、何か」姉と母は、まだ会ってもいない人の人生を三分で決めた。私はその三分の間、湯飲みを二つ洗った。
その間に母は、一本の電話をかけていた。前の日の夜、母は親戚に触れ回っていたのだ。大久保さんからレナに話が来たと。相談役の紹介なのだから、相手も相当な人だろうと。母の中では、その時点でもう決まっていた。だから母は取り消しの電話をかけた。相手はおばの松さんだった。「ごめんなさいね、お姉さん。あの話、なかったことにして」受話器の向こうで何か聞かれたらしい。母の声が一段低くなった。「それが、ちょっと事情のある方でね。レナにはね」
事情のある方。「無職」の二文字は、母の口の中で三十秒もしないうちにそう変わった。会ってもいない人が、会わないうちにそういう人になった。父だけが黙っていた。腕を組んで、テーブルの一点を見ている。母がその父に向き直った。「大久保さんは、その人の何を知ってるって言うの?」父は答えなかった。代わりにこう言った。「断るのは難しい」母が声を裏返した。「どうしてよ? 無職なのよ」「大久保さんは、その男の父親と長い付き合いだったそうだ」「だからって、うちの娘を」「娘じゃなくてもいい」父の声は低かった。相談役の顔を潰さずに、娘のどちらかを差し出す方法を、父はもう考え終えていた。母が黙った。姉も黙った。二人の視線が同時に台所へ向いた。私は振り返らなかった。水の音が続いていた。
「みさ、お前が代わりに行け」
その後のことは、初めに話した通りだ。私が「分かった」と言うまでに何秒かかったかは覚えていない。ただ、その何秒かの間、誰も私に理由を聞かなかった。嫌かどうかも、会いたいかどうかも、聞かれなかった。
翌日、私は父に一度だけ確かめた。「お父さん、どうして断れないの?」父は新聞を読んだ。「再来年の春で定年だ」「うん」「その後、関連会社で顧問をやらせてもらう話がある。社員として雇われるんじゃない。月にいくらで、週に何日か顔を出して助言をする。そういう契約だ。大久保さんが口を聞いてくださっている」父の声には、後ろめたさが一つも混ざっていなかった。むしろ胸を張っていた。娘の縁談と自分の再就職が同じ天秤に乗っていることを、父は問題だと思っていない。「じゃあ、お姉ちゃんが断ったから私が行くってこと?」「そういう言い方をするな。お前は仕事が忙しいだろう。出会いもないだろう」「うん」「ちょうどいいじゃないか」また「ちょうどいい」だ。この家で私に向けられる言葉は、大体それだった。
数日後、私は夜勤に入った。消灯後は二時間おきの巡視に、寝返りの介助とオムツ交換が重なる。廊下を行ったり来たりしている。考え事ができるのは、その間の数分だけだ。菅田さんの部屋のナースコールが鳴った。私は扉を軽く叩いた。「菅田さん、みさです。お手洗いですか?」菅田さんはベッドの端に腰かけていた。私は足元のスリッパを揃えて、ベッド柵に手を添えた。「うん。いいえ」菅田さんは暗がりで笑った。「眠れなくてね」「私もです」「あら、若い人が」私は水をコップに注いで渡した。菅田さんは両手で持って、ゆっくり飲んだ。「うちの子はね、私の言うこと一度も聞かなかったのよ」菅田さんは急にそう言った。返事に困っていると、菅田さんは続けた。「でも、いい子に育ったの。私の言うことを聞かなかったからね」その時の私は、その言葉が自分にも向けられているとは思わなかった。
一方、母は諦めていなかった。姉の相談所には条件を出してあるのだと、母は私に何度も言った。「年収は八百万以上。持ち家か、将来持てる見込み。長男は避けたい。介護の心配がない家。レナには、そのくらいの人じゃないと釣り合わないの」釣り合い。母はその言葉が好きだった。誰と誰が釣り合うかを決めるのは、いつも母だった。
その頃から、話は私の手の届かないところで進んでいった。会う日は父が決めた。場所も父が決めた。相手の名前を私が知ったのは、日が決まった三日後だ。藤代直さん、三十八歳。着ていく服は母が決めた。姉の部屋から出してきた、前の年の秋物のワンピースだった。「これなら失礼にならないでしょう。あんた、そういうの持ってないんだから」姉が廊下からそれを見て笑った。「お下がりでお見合いって、なんか漫画みたい」私は袖を通してみた。丈が合わなかった。母はそれを見て、「裾を折ればいい」と言った。プロフィールの二枚目は、その間ずっと今のテーブルに置きっぱなしになっていた。誰も片付けなかった。誰も最後まで読み返さなかった。私も読まなかった。読んだところで、断る権利が私にあるわけではないからだ。
前の日の夜、姉が私の部屋を覗いていった。「ねえ、もし気に入られたら、ちゃんと結婚するの?」「知らない」「してあげなよ。お父さんの顔もあるし」姉は、自分が投げたものを私が受け取ることを前提に話していた。投げたことはもう忘れているようだった。今になって思う。あの紙には確かに「無職」と書いてあった。書いてあったのはそれだけだった。会う日も場所も、着ていく服まで、私の意思とは関係なく決まっていた。
待ち合わせは駅前のホテルのラウンジだった。父が同席すると言い張るので、私は断った。断ったのは、この件で私が初めて通した意見だった。「一人で行く。相手も一人なんでしょう」「まあ、そうだが」「じゃあ、一人で行く」父は不服そうな顔をしたが、それ以上は言わなかった。母は玄関で私の背中を押しながら、最後にこう言った。「余計なことは言わないでね。大久保さんに恥をかかせないように」私は返事をしなかった。
藤代直さんは、約束の十分前にもう座っていた。紺のセーターに、面の割烹着だけだった。時計もしていない。私が名乗ると、その人は立ち上がって丁寧に頭を下げた。「藤代直です。今日はありがとうございます」声が低くて、聞き取りやすかった。介護の現場にいると、聞き取りやすい声かどうかがまず気になる。店員が水を持ってきた。受け取る時、その人は店員の顔を見て礼を言った。当たり前のことのようだが、当たり前にできる人は多くない。
注文を済ませて、しばらく仕事の話をした。私が春が丘園で働いていると言うと、その人は身を乗り出した。「特養ですか? 夜勤は月に何回くらいですか?」「四回か五回です」「十六時間ですか?」「はい」「大変ですね」大変ですね、で終わる人は多い。その人は続きを聞いた。夜勤の休憩がどう取れるか、記録はいつ書くか、看取りの時に家族が来るかどうか。私が言う前に、十六時間という数え方がその人の口から出た。この仕事の外にいる人は、その言い方をしない。聞き返そうとしたら、次の質問が来て、そのままになった。私は気づいたら三十分近く喋っていた。慌てて口を閉じた。「すみません。私ばかり」「面白いです。本当に」それから、その人は少し姿勢を正した。「村瀬さん、失礼を承知で確かめさせてください」「はい」「この話は、元々お姉様に来たものですね」私の喉が詰まった。「大久保さんからは、最初、上のお嬢さんにと伺ってました。それが今日になって、村瀬さんの方のお嬢さんとお会いするに変わっていたので」その人は私を責める調子ではなかった。むしろ、こちらが答えやすいように置いた。私は正直に言った。「姉が断りました。無職と書いてあったので」言ってしまってから、自分の言葉の冷たさに驚いた。謝ろうとした。その前に、その人が言った。「なるほど。それは当然だと思います」当然と言われて、私は顔を上げた。「知らない人の紙一枚に無職と書いてあったら、私でも警戒します」私は言いかけた。でも、その人が引き取った。「ただ、その人はグラスを置いた。身代わりなら、この話はお断りします」私は返す言葉を持たなかった。断られると思っていなかったわけではない。ただ、断る理由がそれだとは思っていなかった。私が黙っていると、その人は続けた。「お父様に言われてこられたのなら、村瀬さんが困ります。私はそういう形で誰かの家に入りたくない。今日はお会いできてよかったです。ここで終わりにしましょう」その人は本当に伝票へ手を伸ばした。そして、手を止めた。藤代さんが私の方へ向き直った。「一つだけ聞いてもいいですか?」私は膝の上で手を揃えた。「みささんご自身は、どうしたいですか?」その人が私を苗字ではなく名前で呼んだのは、そこが初めてだった。ラウンジのざわめきが、その時急に遠くなった。どうしたいか? 三十年生きてきて、その質問を私にした人が、家族の中に一人もいなかった。父も母も姉も、私がどうしたいかを聞かずに、私がどうするかだけを決めてきた。私は答えられなかった。答えを持っていなかったからだ。「すみません。急でしたね」その人はそう言って、伝票を裏返した。「答えは今日じゃなくていいです。もし良かったら、もう一度だけお会いしませんか? 今度は縁談としてではなく、断るとしても、紙一枚で終わるのはお互いもったいないので」私は頷いた。理由はうまく言えなかった。
その日を入れて、私たちは三度あった。二度目は美術館だった。その人は絵の前で長く立ち止まる。私が先に進んでも、急がない。急かしもしない。出口の売店で私が絵葉書を一枚選ぶと、その人はもう一枚同じものを買った。「二枚あると、片方は晴れますから」三度目は商店街だった。魚屋の前でアジの値段を見て、その人は真顔で言った。「今日は高いですね」私が笑うと、その人は本当に困った顔をした。「いや、本当に高いんですよ。先週は三匹で四百円でした」値段を覚えている人だった。母が姉に持たせるブランドの名前を覚えているのとは、覚え方が違った。八百屋で大根を一本買い、その人はそれを紙袋に入れて抱えた。私が持ちますと言うと、断られた。「僕が言い出した買い物なので」料理を作るのだと言った。掃除も自分でやると言った。私が夜勤明けの日に何もできなくなる話をすると、その人は当然のように頷いた。「じゃあ、僕が作った方が早いですね」「悪いです」「悪くないです。時間があるのは僕の方なので」その言い方に、卑屈さがまるでなかった。時間があることを、この人は悪いと思っていない。働いていない理由は聞かなかった。聞けば、聞かれると思ったからだ。私は自分がなぜここに座っているのかを説明できなかった。
腑に落ちないことがまだあった。この人は最初から断られる前提でここへ来ていた。それなのに、なぜ来たのだろう。三度目の帰り、駅の改札の前で私は立ち止まった。「藤代さん」「はい」「私、姉の代わりじゃなく、私が結婚したいです」その人は目を丸くした。それから、笑わずに頷いた。「では、そのつもりでお話を進めます」その日、実家に電話をして、私は結婚しますと伝えた。母は五秒ほど黙ってから、「あら」と言った。
この人は嘘をつかない。ただ、聞かれないことは言わないだけだった。
入籍したのは、翌年の春の終わりだった。式はあげなかった。あげないと決めたのは私だ。直さんは「みささんがしたいなら」と言ってくれたが、私はしたくなかった。理由は簡単だ。あの家の人たちに、私の一番いい日を見せたくなかった。母は電話でこう言った。「式をやらないなら、その分はレナの時に回せるわね」その分が何を指すのかは、聞かなかった。聞くだけ無駄だからだ。写真だけ、駅前の写真館で撮った。白いブラウスに紺のスカート。直さんは初めて会った日と同じ紺のセーターを着てきて、私が笑うと「一番いいやつなんです」と言った。婚姻届を出した日は、私が夜勤明けで、直さんが先に役所へ来て待っていた。窓口の職員が名前の欄を指して、書き直しを一箇所だけ求めた。直さんは黒のボールペンと予備の用紙を一枚持ってきていた。「用意がいいですね」「書き直しになることもあると思ったので」その言い方がおかしくて、私は窓口の前で笑ってしまった。職員が変な顔をした。
新しい住まいは、私の職場の隣の駅にある賃貸マンションだった。実家までは電車で一時間近くかかる。二部屋と台所。エレベーターはある。築十八年。家賃は十万二千円。初めて部屋に入った日、私は正直なところほっとした。直さんの生活は、聞いていた通りだった。朝、私より先に起きる。米を研ぐ。洗濯機を回す。私が夜勤から帰ると、味噌汁の鍋が温め直せるようにしてある。午後は本を読み、夕方に散歩へ出る。夜は九時には寝る。高級な車も腕時計も絵も、何もなかった。冷蔵庫は前の住人から譲り受けたものだと言った。
本当に無職なんだ。私は口に出さずにそう思った。思って、それでよかった。私はこの人の職業と結婚したわけではない。ただ、一つだけ引っかかることがあった。金に困る様子が全くないのだ。家賃も光熱費も、私が知らないうちに落ちている。米も油も切れたことがない。私が仕事の帰りに何か買って帰ろうとすると、大抵先に買ってある。私は自分の給料を全部生活費に入れると言った。直さんは首を振った。「みささんの給料は、みささんのものです。生活の方は僕がやります」「でも、今のところ困っていないので」「今のところ」その言い方が、私は気になった。ほんのわずかに。聞けずにいたのは、私の方にも話していないことがあったからだ。父に言われてあの席に座ったのだと、私はまだ自分の口で言えずにいた。
入籍から二週間後、実家から呼び出しがあった。親戚が集まるから、二人で来なさい。母の声は妙に明るかった。その日、実家の座敷には私たちの他に八人いた。父と母と姉、おばの松さん、父の従弟の夫婦、そのお嬢さんとその連れ合い。松おさんは玄関で私を捕まえて、風呂敷を差し出した。「畑のナス、走りだから小さいけどね。あんた持って帰りなさい」「ありがとう、おばさん」「レナちゃんはナスなんか食べないからね」松おさんはそう言って、口の端で笑った。この家で私に何かをくれる人は、松おさんくらいだった。
座敷は八畳と六畳をつなげてあった。座布団が足りず、私は台所から丸椅子を持ってきて、端に座った。直さんは、床の間を背にする一番いい席から最も遠い、入り口脇に通された。母が指した席だ。父が上座で立ち上がった。「皆が揃った。紹介します。娘の連れ合いの、藤代直君です」直さんが頭を下げると、座敷の全員が拍手した。ここまでは良かった。その後、父はこう続けた。「いや、実はね、この話は元々レナに来た縁談でしてね」私の手が止まった。「ところが、みさがね、どうしてもと言うんですよ。私はやめておけと言ったんだが、あれの言葉は聞かんもんでね」座敷が笑いに包まれた。母が「全く、困った子で」と言い、姉が「私、譲ってあげたんです」と口を出した。松おさんが私の手を取った。「そうだったの。あんた、よく決心したわね」その手は温かかった。だから余計に、私は何も言えなかった。ここで違うと言えば、父が大久保さんと何を引き換えにしたのかまで出る。父が押し付けた話だと分かれば、この座敷にいる全員が父を見る。父の顔が潰れる。父の顔が潰れれば、丸ひ正司の相談役の顔も潰れる。私は膝の上で指を組んだ。
父は気持ちよさそうに続けた。「私だってね、大久保さんには何度も頭を下げましたよ。娘の縁談ですから。あちらにも失礼のないようにと。板挟みでしたよ、私は」板挟み。私は父の顔を見た。父は本当に、自分が苦労した話をしているつもりだった。従弟の奥さんが、遠慮がちに直さんへ話しかけた。「藤さんは、以前は何のお仕事?」私は思わず直さんを見た。直さんは箸を置いて、まっすぐに答えた。「会社をやっていました。何年か前に人に譲って、それからは何も」「まあ、ご自分の会社を? 小さいものです」「今はどうしてらっしゃるの?」「本を読んだり、散歩したりしています」「あら、いいわね」そこまでだった。母が横から箸を差し出して、話を途中で断ち切った。「はい、お刺身どうぞ。レナ、あんたも取りなさい」会社をやっていたという一言は、そのまま座敷の畳に落ちて消えた。誰も拾わなかった。父は聞いていたはずだ。聞いていて、聞かなかったことにした。「無職」の二文字という筋書きの方が、その日の父には都合が良かったのだと思う。
姉は姉で、自分の話を続けていた。「私、来月また面談なの。今度の方は都内にマンション持ってるんだって」従弟の奥さんが相槌を打った。「あら、素敵ね」母が誇らしげに引き取った。「レナにはね、そういう方じゃないと釣り合わないのよ」姉はちらりと直さんを見た。見比べていた。誰と誰を見比べているのか、座敷の全員に分かる見方だった。
料理が出て、酒が回った。母が台所へ立ち、しばらくして戻ってきて、直さんに声をかけた。「直さん、悪いけど、お皿を運んでくださる? あなた、家にいるんだから、慣れてるでしょ」座敷の視線が集まった。直さんは「はい」とだけ言って立った。私も立とうとしたら、母に止められた。「あんたは座ってなさい。仕事で疲れてるんでしょ」初めて聞く優しさだった。優しさの形をした見せ物だ。母は親戚の前で、無職の婿に皿を運ばせたかったのだ。直さんは十人分の皿を三往復で運んだ。誰も礼を言わなかった。
姉が箸を置いて、直さんの方を見た。「ねえ、直さん。素朴な疑問なんだけど」「はい」「働かなくて平気なの? みさが食べさせてるの?」座敷が静かになった。従弟の奥さんが困った顔で笑った。直さんは全く動じなかった。「今は働いていません。生活は困っていないので、大丈夫です。保険も年金も、自分で払っています」「へえ。じゃあ、みさの給料で?」「え? じゃあ、なんで食べてるの?」父が咳払いをした。「レナ、やめなさい」「聞いただけじゃない」姉はそう言って、私の方を見た。「みさも大変ね。まあ、自分で選んだんだもんね」自分で選んだ。その言葉だけは本当だった。だから私はその言葉に何も返せなかった。
帰りの電車は空いていた。松おさんにもらったナスの風呂敷を、直さんが膝に乗せていた。私は隣に座って、しばらく黙っていた。それから口を開いた。「すみませんでした」直さんは風呂敷の包みを持ち直して、首を横に振った。「みささんが謝ることは、何もないですよ」「でも、父があんな」「お父様は、ああ言わないと座っていられなかったんだと思います」その言い方には、責める色がなかった。それが却って、私の胸を重くした。
「藤代さん」私は呼び方を変えられずにいた。「何でしょう?」「私、父に押し付けられて、あの席に座ってました。それは本当です」「知っています」「それなのに、私がどうしても、といったことになってました」「はい」「悔しいんです。でも、悔しいと言えないんです」言ってから、涙が出そうになった。直さんは黙って風呂敷の結び目を直した。それから、こう言った。「言えないのは、みささんが優しいからではないと思います」「え?」「言ったら困る人が多すぎるからです。それは、みささんのせいじゃない」窓の外を、家の明かりが流れていった。私はその時初めて、はっきりと考えた。この人は、何で食べているのだろう? 家賃十万二千円。光熱費、食費。私の給料には手をつけていない。貯金を崩しているなら、何年も持つはずがない。会社をやっていたと、この人は座敷で言っていた。小さいものだとも言っていた。私はその二つを並べて、勝手に釣り合いを取っていた。父と同じだ。聞いていて、聞かなかったことにしていた。
帰り着いて、二人でナスを洗った。直さんは焼き茄子を作ると言って、ヘタを落とし始めた。私は寝室へ荷物を置きに行った。そこで、部屋の隅に置いてある古い箱に目が止まった。灰色の手提げ金庫だった。角が擦れて、塗装が剥げている。取っ手のところに油性ペンで何か書いてある。「藤代」とだけ読めた。引っ越しの日からそこにあったはずだ。それなのに、私はその箱にその日まで一度も目を留めていなかった。
最初の電話は、親戚の集まりから十日ほど経った夜だった。母からだった。「みさ、仕送りのことなんだけど」「うん」「来月から五万円にしてもらえない?」私は流しの前で手を止めた。「どうして?」「お父さんの給料が下がったのよ。定年前だから」「三万でも結構大きいんだけど」「あんた、結婚したじゃない」そこで私は理解した。母の頭の中では、私が結婚したことで私の家計に余裕ができたことになっている。「うちは夫が働いてないんだけど」「だから聞いてるのよ。困ってないんでしょ? あの人、困ってないって言ってたわよね」母は座敷でのやり取りをちゃんと覚えていた。都合のいいところだけを。「考えるって、何を?」私は電話を切った。切ってから、心臓が早くなっているのに気づいた。母に対して電話を先に切ったのは、多分初めてだった。その夜、私は自分の通帳を出してきた。毎月二十五日に三万が同じように出ていく。八年目に入ったが、いいで続いている。私はそれを最後まで見なかった。数えたら手が止まると思ったからだ。通帳を閉じた時、直さんが台所から声をかけてきた。「みささん、明日、ブリが安いそうです」「うん」「何にしましょうか?」私は「うん」とだけ答えた。この人は、私が何を見ていたか聞かなかった。聞かないでくれたという方が近い。
次の電話は三日後で、今度は父からだった。「みさ、母さんから聞いたか?」「聞いた」「あれは母さんが勝手に言ったんじゃない。二人で決めたことだ」「そう」「お前はいいだろう。楽な結婚したんだから」楽な結婚? 父の中では、無職の男と結婚した娘は苦労しているはずだった。それが今度は「楽」になっている。父の言葉は、その時に都合のいい形へ変わる。「どこが楽なの?」「亭主が家にいるんだ。飯も作ってもらえる。うちのお母さんなんか、三十年、私の帰りを待って」「お父さんだ」「じゃあ、お母さんは苦労したから、私も苦労しなきゃいけないってこと?」父は黙った。それから、わざと聞こえるようにため息をついた。「全く、口が達者になったな」その電話も、私から切った。
三本目はまた母だった。今度は要件が違った。「レナの相談所のことなんだけどね」「相談所、入って二年になるのよ。年に十九万円かかるの。二年で三十八万円」「そんなにするんだ」「するのよ。いいところだから」母は金額を言う時、誇らしげだった。高いことが価値だと信じている人の言い方だった。「それでね、次の更新も二年分で三十八万円なの。その半分の十九万だけ、あんたが出してくれない?」私は受話器を持ち替えた。「どうして私が?」「だって、あんた、レナのおかげで結婚できたじゃない」息が止まった。おかげ。「レナが譲ってあげたから、あんたのところに話が来たんでしょ。それくらい、いいじゃないの」譲ってあげた。姉が座敷で言った言葉が、母の口から出てきた。二人の間でもう、そういう話になっている。「お姉ちゃんは、いらないって言っただけだよ」「同じことでしょ?」同じではない。いらないと投げ捨てたものを、誰かが拾って大事にしていたら、投げた人はそれを譲ったことになるのか。私は言い返さなかった。言い返す言葉を、その頃の私は持っていなかった。「考えさせて」
三日後、姉からもメッセージが来た。実家の連絡はいつも母なので、姉が直接よこすのは珍しい。「更新料の件、よろしくね。振り込み先、後で送る」それだけだった。頼むという言葉が一つも入っていない。私はしばらく画面を見ていた。返信は打たなかった。三十分後にもう一通来た。「頼んだよ」私はそこで携帯を裏返した。
その週の終わり、母は直さんに直接電話をかけた。私が夜勤に入っている時間だ。帰ってから聞いて、私は台所で立ち尽くした。「お母様から、庭の草むしりを頼まれました」「草むしり?」「はい。それと、物置きの片付けも。土曜と次の土曜、二回で」「勝手に決めたの?」日取りはもう決まっていました。私は座り込みたくなった。母は私を通さなかった。私に断られると思ったのだろう。直さんに直接かければ、この人は断らないと踏んでいた。そして、その読みは当たっていた。私は言った。「断ってよかったのに」「断る理由がないので」藤代さんと言いかけて、私は言い直した。「直さん、理由ならあるでしょう。向こうが勝手に決めたんだから」名前で呼ぶのに入籍から一ヶ月かかった。直さんは麦茶を私の前に置いた。「みささん、僕が断ると、お母様はみささんに言います。僕には言えないので」私は麦茶のコップを両手で持った。冷たさが手に伝わった。この人は、うちの家族の仕組みをもう理解していた。私が何年もかかって諦めたことを、二週間で見抜いていた。「行きます。草むしりくらい。僕は嫌いじゃないです」
土曜、直さんは実家へ行った。私は日勤で動けなかった。夕方に帰ってきた直さんは、腕と首を蚊に刺されていた。「結構伸びていました。物置きはまた今度にしましょうと言われました」「お茶くらい出た?」「出ました。麦茶を一杯」「一杯?」「九時から三時までいて、一杯」次の土曜は私も休みだった。だから物置きは二人で行くことにした。着いてみると、庭に近所の女の人が三人いた。母が呼んでいたのだ。「あら、来たわ。これがうちの婿」母の紹介の仕方は、新しい道具を見せる時のものだった。「若いのに家にいるものだから、こういう時は助かるのよ」三人のうちの一人が「まあ、優しい旦那さんね」と言った。母はすかさず。「優しいというかね。仕事してないのよ、この人」その場が一瞬静まった。近所の女の人たちは、笑っていいのか分からず、曖昧に頷いた。直さんは「よろしくお願いします」と頭を下げて、物置きの扉を開けた。中は三十年分の荷物だった。錆びた自転車、姉の学習机、ダンボール。直さんは全部を庭に出し、埃を払い、使うものと捨てるものに分けた。母は縁側からそれを見ていた。昼を過ぎた頃、直さんが一つの箱を持ってきた。「お母様、これはどうしますか?」中身は私のものだった。専門学校の教科書と、卒業証書の筒と、実習の記録ノート。母は箱の中を三秒だけ見た。「それは捨ててよろしいんですか?」「いいのよ。もう使わないでしょ」姉の学習机は残った。天板に姉の落書きがあるからだ。母はそれを見て「懐かしいわね」と言った。私は庭の隅で、洗った植木鉢を並べていた。手が止まった。直さんは箱を持ったまま、私の方へ来た。「みささん、これ、うちに持って帰りませんか?」「いい。もう使わないから」「僕が使います」「え?」「昔のノート、読んでみたかったので」それは嘘だった。優しい嘘だと分かった。私は「じゃあ、お願いします」と言った。その箱は今も、うちの本棚の下の段にある。
その夜、松おさんから私の携帯に電話があった。「あんたの旦那さん、先週、うちにも寄ってくれたのよ。ナスのお礼だって」「え?」「かずえさんが、うちの婿に庭をやらせてるのよって、あちこちに電話してるみたいだけど」松おさんの声は険しかった。「あれ、頼んだんじゃなくて、やらせてるって言い方はないと思うのよ」私は携帯を耳に当てたまま、返事ができなかった。やらせている。母はそう言って回っていた。無職の婿を働かせてやっていると。母にとってそれは自慢だった。
翌週も母から電話が来た。今度は年明けの法事の話だった。要件はそれだけだったが、切り際に母はこう言った。「その時はまた相談させてね」何を相談するのかは言わなかった。言わなくても分かった。断りたい。でも、断った後に何を言われるかが先に浮かぶ。浮かんだ時点で、私は負けている。父の定年まであと一年を切っていた。父の顧問の話も、その頃に決まる。母の要求が増えているのは、多分そのせいだ。決まるまでの間、母は不安なのだ。不安な人は、一番断らない相手に手を伸ばす。その相手が私だということを、母は考えたこともないのだと思う。
夏が終わっても、母からの電話は減らなかった。
秋の夕方だった。私は日勤で五時過ぎに帰った。玄関で靴を脱ぎながら、その日は買い物に行かなければと思い出した。冷蔵庫に卵がない。「夕飯の買い出しに行ってくるね」台所から直さんの声がした。「お願いします。鶏胸肉が安いはずです」私は財布を開いた。小銭入れに百二十円。札は入っていない。「あ、下ろしてくるね。銀行寄ってから行く」すると直さんが顔を出した。「銀行、遠回りになりますよ」「でも、現金ないから」「じゃあ、金庫の現金を使ってください」私は靴を履きかけたまま、止まった。「金庫?」「寝室の隅にあるやつです。開いていますから」その言い方が、あまりにも普通だった。醤油が切れたら台所の棚から出すのと同じ調子だった。私は靴を脱いで、寝室へ行った。灰色の手提げ金庫は、いつもの場所にあった。取っ手の油性ペンの字。鍵はかかっていなかった。というより、鍵穴に鍵が刺さったままだった。私は蓋を持ち上げた。そして、そのまま動けなくなった。帯封のついた札が詰まっていた。茶色い帯に「百万円」と印字してある。それが一つではない。二つでも三つでもない。重なって、底が見えなかった。指で触れなかった。触れてはいけないものに見えた。台所から包丁の音がしている。トントントン。生活の音だ。その音と、目の前のものが全く繋がらない。私は蓋を閉めた。閉めてから、もう一度開けた。変わっていなかった。
「直さん」声がかれた。「どうしました?」「ちょっと来て」足音が近づいてきた。直さんはエプロンをつけたまま寝室に入ってきて、私の顔を見て、それから金庫を見た。「ああ、ありましたか?」「ありましたかじゃなくて」私は膝をついたまま、金庫を指した。「直さん、これ、何のお金?」直さんはその場に座った。私と同じ高さになった。「僕のお金です」「そうじゃなくて、どこから来たお金?」言いながら、自分の声が震えているのが分かった。嬉しくなかった。一つも嬉しくなかった。私が最初に思ったのは、この人は何かに関わっているのではないかということだった。四十近くで無職、収入源が見えない。家賃も生活費も途切れない。そして、部屋の隅の金庫に百万円の束。繋がってはいけない線が、頭の中で勝手に繋がった。「直さん」「はい」「悪いことしてないよね」直さんの目が丸くなった。それから、本気で慌てた声を出した。「してないよ」そこで初めて、この人が敬語を落とした。「してないです。してない。えっと、何から話せばいいんだ?」直さんは一度息を吐いて、金庫の蓋を全部開けた。「まず、これが十あります。一つで百万円なので、一千万円です」「一千万円」「災害の時の分です。停電するとお金が下ろせないので、三日分動けるようにしておこうと思って」「三日で一千万は使わないと思う」「言われてみれば、そうですね」直さんは真面目な顔でそう言った。私は笑うべきなのか、怒るべきなのか分からなくなった。「じゃあ、元は?」「会社を売りました」私は座り直した。「四年ほど前です。二十五の時に仲間と三人で作った会社があって、十年やって、大きいところに買ってもらいました」「買ってもらった」「持っていた株を全部売って、代表を辞めました。引き継ぎで一年だけ残って、その後は何も」「それで、そのお金が?」「はい。ほとんど預けてあります。銀行と国債と投資信託と、あとは人に貸している古い建物を一つ。建物の世話は不動産屋に任せていて、僕は年に一度、確定申告をするだけです。金庫にあるのは、その一部です」説明の順番が整っていた。整いすぎていて、却って現実味がなかった。私は一つだけ確かめたいことがあった。「じゃあ、社長なの?」直さんは首を横に振った。「いや、働いていないという意味では、本当に無職です」その答えがあまりに素直だった。「会社はもう僕のものではありませんし、役員でもありませんし、どこにも属していません。だから、あの紙に書くとしたら、無職しかなかったんです」あの紙。プロフィールの職業欄。「置いてあるお金が少しは増えるので、収入がゼロというのは正確じゃないです。でも、働いてはいません」私は膝の上で拳を作った。姉が三分で決めつけた二文字は、嘘ではなかった。嘘ではなかったのに、私の家族はその二文字だけを見て、人を捨てた。「会社って、何の会社だったの?」直さんはそこで初めて、言いにくそうにした。「介護と医療の記録のソフトです」「え?」「施設の記録を、紙からタブレットに移すやつです」私の口が半分開いた。「名前は、ケアリングテクノロジー」音が耳に入った瞬間、指先が冷たくなった。私はその名前を毎日見ている。春が丘園のタブレットを起動すると、画面の隅に小さく出る。紙から切り替わった時、みんなで操作を覚えた。使い方が分からなくて、土屋さんと二人で残業した夜もあった。読んだことすらなかった。ただの模様だと思っていた。「毎日触ってます」私が言うと、直さんは目を細めた。「そうですか」それきりだった。自慢もしなかったし、「そうだろう」とも言わなかった。「知ってたの? 私の職場が使ってるって」「調べました」「二度目に会う前に言ってくれればよかったのに」直さんは首を振った。「言ったら、それが目当てで会っていることになるので」もう一つ聞いていい?「はい」「初めてあった日、十六時間ですかって聞いたよね。あれ、どうして?」「施設を十年、一件ずつ回りましたから。夜勤の数え方はそこで覚えました」聞き返しそびれたものの答えが、そこで一つだけ出た。私は金庫の中に手を入れた。一番上の束から帯を外して、一枚だけ抜いた。一万円札。それを財布に入れて、蓋を閉めた。直さんが私の手元を覗き込んだ。「それだけですか?」「うん。スーパー行くだけだから」「もっと持っていっていいですよ」「持っていったって、レジで困るだけだよ」私は立ち上がって、財布をポケットに入れた。「夕飯、何食べたい?」そこで直さんが笑った。声を立てて笑った。初めて見る笑い方だった。「なんで笑うの?」「いや、すみません。変なこと言った?」「言ってないです。本当に何も」直さんは目を拭って立ち上がった。「鶏胸肉と卵と、あと長ねぎをお願いします」「うん。気をつけて」
スーパーまでの道で、私は一度だけ立ち止まった。自分が今どういう場所に立っているのか、頭では分かっていた。分かっていて、体の方がついてこなかった。考えようとすると、別のことが浮かんだ。姉の顔だ。あの日、紙を指で弾いた姉の顔。もし姉が、紙の職業の欄だけで放り出さず、一度でも会っていたら。もし母が電話を取り消していなかったら。もし父が私に押し付けていなかったら。今頃この道を歩いているのは、私ではなかった。そう思った瞬間、背中が冷たくなった。嬉しさではなかった。怖さに近かった。私は歩き出した。歩きながら、一つ決めたことがある。このことは、実家に言わない。理由は、その頃の私にもはっきりしていた。言えば、家族はこの人を見なくなる。金額を見る。姉が札を見る目で写真を見たのと同じことが、もう一度起きる。あの目で、この人を見て欲しくなかった。
鶏胸肉は九十八円だった。私は二枚買った。生卵と長ねぎと、それから半額になっていた豆腐を一丁。会計は七百円くらいだった。釣りを財布に入れて、レシートを畳んだ。帰ると、味噌汁ができていた。豆腐と長ねぎを入れると言うと、直さんは半額の札を見て「いい買い物ですね」と言った。食べながら、私は一つだけ聞いた。「どうして、結婚する前に言わなかったの?」直さんは箸を止めた。「隠したつもりはないんです」「でも、言わなかったよね」「仕事はしていないと言いました。生活に困るほどではないとも言いました」確かに言っていた。ホテルのラウンジで、この人はそう言った。私はそれを強がりだと思って、聞き流していた。「じゃあ、金額は?」「聞かれませんでした」「聞かれたら、言った?」「言ったと思います」私は味噌汁の椀を置いた。「聞かなくて良かったのかな?」「僕は良かったです」直さんはそこで一度だけ、まっすぐに私を見た。「僕にお金があると知ってから近づいてくる人と、知らないうちから会いに来てくれる人は、違うので」私はただ頷いた。
金庫を見つけた日の夜、寝る前に私が言った。「あの置き方は危ないよ」直さんは素直に認めた。「そうですね。考えが足りませんでした」その数日後、私たちは二人で銀行へ行った。窓口でお金の出所を聞かれた。直さんは免許証と持ってきた書類を出した。「四年ほど前に、会社の株を売った時のものです。災害の時のつもりで置いていました」と答えた。私は書類の方を見なかった。見れば金額が目に入ると分かっていたし、それは私が知りたいものではなかった。奥から責任者らしい人が出てきて、札は機械にかけられ、私たちはしばらく待たされた。元々取引のある支店だったからか、手続きはそれ以上何も聞かなかった。百万円の束を十、預けて、一つだけ手元に残した。それも次の週には半分を預け、月末には残りも口座に移した。金庫はそれきり、レシートを入れておく箱に戻った。
実家に言わないと決めてから、私の生活は表向き、何も変わらなかった。仕送りは三万のままにした。五万円にはしなかった。姉の相談所の十九万円も、振り込まなかった。姉からはその後、二度催促が来た。振り込み先は最後まで送られてこなかった。催促だけが来た。私は既読をつけたまま、どちらも返さなかった。私は相変わらず自転車で通い、夜勤に入り、記録をタブレットに打ち込んだ。画面の隅の小さな名前を、私はそれから毎日読むようになった。読むたびに、部屋の隅の灰色の箱を思い出した。直さんの暮らしも変わらなかった。米を研ぎ、洗濯機を回し、本を読み、夕方に散歩へ出る。一つだけ変わったことがあるとすれば、私が財布の中身を気にしなくなったことだ。気にしなくて良くなったのではない。気にしても仕方がない、とは思ったからだ。
職場では、記録ソフトの入れ替えの話が出ていた。「来年度から新しいのになるかもしれないって」休憩室で後輩がそう言った。土屋さんが顔をしかめた。「またあの覚え直し。勘弁して欲しいわ」私は麦茶を飲みながら、口を挟まなかった。挟めなかったという方が近い。「藤代さんは平気そうね」土屋さんが私を見た。「いえ、私も苦手です」「そう。あなた、切り替わった時、一番早く覚えたじゃない」覚えたのではない。何度も土屋さんと二人で残業して、押して、戻して、また押した。あの夜のことを、私はよく覚えている。画面の隅にあるその名前が、今の私には誰の名前なのか分かる。調べようと思えば、名前を打ち込むだけでよかった。私は一度もしなかった。したら、知りたかったのは人柄でなく額だったことになる気がして、それが嫌だった。あの名前が誰の作ったものなのかを知っているのは、この職場では私だけだ。誰にも言っていない。
その均衡を崩したのは、また父だった。十月の終わり、父から電話が来た。「直君に、いい話を持ってきた」「いい話?」「うちの取引先でな。ジムでよければ、来月から来てくれと言っている」私は台所の椅子に座った。「頼んだの?」「頼んださ。当たり前だろう。娘の亭主が無職では、私の立場がない」「立場?」父の言葉には、いつもそれが出てくる。「本人に聞いた?」「これから聞く。段取りはつけてある。来週の水曜、十時に面談に行くように言ってくれ」段取りはついていて、これから聞く。順番が逆だ。父にとって、その順番はずっと逆だった。
私はその夜、直さんに話した。話しながら、断って欲しいと思っていた。父の顔を立てるために、この人がまた頭を下げるところを見たくなかった。断ってくれれば、私も父に言い返せる。直さんは味噌を溶かしながら聞いていた。「行きます」「なんで?」「先方の会社は、断られる準備をしていないと思うので」「え?」「お父様が話をつけているなら、向こうはもう席を用意しています。行かずに断ると、角を立てるのは先方です。僕が行って、その場でお断りすれば、話はそこで終わります」私は言葉に詰まった。そういう考え方をする人は、私の家にはいなかった。うちの家族は、自分の恥のことしか考えない。この人は、会ったこともない人の恥のことを考えていた。
その週、母からも電話があった。今度は法事の話だった。「年が開けたら、おじいちゃんの十三回忌でしょ。会場費、あんたのところで持ってくれない?」「私のところで?」「レナはまだ一人だし。初盆を持ってる子が出すものよ」「お姉ちゃんも働いてるよ」「レナは見栄にお金がかかるの」また同じ言葉が返ってきた。母の理屈は昔から一歩も動いていない。私は「考えさせて」と言って切った。「考えさせて」が、私の口癖になりつつあった。
水曜、直さんはスーツを着た。持っているとは思っていなかった。「営業していた頃のは全部処分しました。一着だけ残してあって、会社を渡す日に着たきりです」その日は遅番だったので、私は玄関で見送った。夜、私が帰ると、直さんは起きて待っていた。「どうだった?」「先方の総務の課長さんが出てこられました。優しい方でした。それで一時間ほどお話しして、お断りしました」「なんて言ったの?」直さんは湯飲みを両手で持った。「今は働く予定がありませんと」「怒られなかった?」「怒られませんでした。ただ」直さんはそこで笑った。「なぜ働かないんですかと、三回聞かれました」「三回?」「一回目は世間話でした。二回目は心配してくださっていました。三回目は、多分本当に不思議だったんだと思います。働かない人間がいるということを、みんなうまく飲み込めない。私だって、この人に会うまではそうだった」「なんて答えたの?」「もう十分働いたので、と」その答えは多分誰にも通じない。通じないと分かっていて、この人は嘘をつかなかった。
帰りに、直さんは続けた。「駅で、大久保さんにお会いしました」私は箸を置いた。「大久保さんに?」「はい。改札のところで、向こうから声をかけてくださって」「どんな話を?」「近況を一通り。あとは、父のことを」直さんのお父さんの。直さんは頷いた。「大久保さんは、僕の父を知っている人なんです」一年前に、私が父の一言で済ませたことの中身は、そこで初めて明かされた。直さんの父親は、藤代鬼作という人だった。電気設備の工事の現場監督をしていた。二十数年前、丸ひ正司が冷蔵倉庫を建てた時、その現場に入っていたのが鬼作さんだった。当時、大久保さんは専務でした。工事が遅れたのを、父の会社のせいにされたんです。父は自分の上司と、工事を仕切っていた会社の所長に挟まれて、丸ひ正司の本社まで詫びに行かされました。その時、大久保さんが「それは現場の話ではない」と言ってくださったと聞いています。それからずっと。ずっとです。年に一度か二度、父と飲んでいました。そして、直さんは言った。「父の葬儀を仕切ってくださったのも、大久保さんです」私は何も言えなかった。「僕が二十七の時です。母は僕が高校の時に亡くなっていたので、僕一人でした。何をすればいいのか分からなくて、立ち尽くしていました。大久保さんが全部やってくださいました」湯飲みの中の茶が冷えていた。「直さんのお父さんは、なんで亡くなったの?」聞いてから、聞きすぎたかと思った。直さんは嫌な顔をしなかった。「現場で倒れました。五十二歳でした」五十二歳。私は思わず繰り返した。今の私の父よりずっと若い。「その頃、うちの会社がやっと形になってきていて、僕は父の話をろくに聞いていませんでした」直さんは湯飲みの縁を指でなぞった。「その日も、父から着信が一件ありました。返すつもりで、忘れました」私は何と言えばいいのか分からなかった。分からないまま、思ったことを口にした。「あの寝室の金庫」「はい」「あれ、お父さんの?」直さんの表情がわずかに動いた。「そうです。父が現場で使っていたものです」「ずっと持ってるんだ」「持っています」それ以上は言わなかった。私も聞かなかった。あそこで踏み込んでいれば、この人が働かない理由をもっと早く知ることができた。でも、私はこの人が自分から話すまで待った。私が待った分、この人は話す日を自分で選べた。
直さんはその夜の話に戻った。「大久保さんに会って欲しいと言われたら、僕は会います」そこで、腑に落ちなかったことが一つ噛み合った。この人はあの日、断られる前提であのラウンジに来ていた。それでも来たのは、頼んだ人が大久保さんだったからだ。「あのプロフィールのことなんだけど」私は思い切って聞いた。「職業のところ、無職しか書いてなかったよね。会社をやってたことは、書かなかったの?」直さんは少しだけ間を置いた。「書かないでくださいと、僕がお願いしました」「どうして?」「書くと、そこから先を見てもらえないので」その言い方は、恨みでも試しでもなかった。ただの経験だった。この人は、前にもそういう目にあったことがある。「大久保さんは渋っていました。せめて前職くらいは書かせてくれと。でも、最後は聞いてくださいました」私は自分の家の座敷を思い出した。「無職」の二文字だけを見て、母が親戚に取り消しの電話をかけた。姉が三分で人生を決めた。父が娘を差し替えた。書いてあったのは二文字だ。あとは全部、うちの家族が書き出した。直さんが思い出したように顔を上げた。「もう一つ。大久保さんが別れ際に、みささんへの伝言を預かりました。あったら伝えてくれと」私は湯飲みから手を離した。「何を?」「あの時のご返事は、本当にみささんご自身の口から出た言葉だったのでしょうか、と」私の背中が冷たくなった。「返事って、僕にも意味が分かりませんでした。ただ、大久保さんはそう言われました」父は言っていた。「先方には私から返事をしておく」と。その返事で、父は私のことを何と伝えたのか。私はその時初めて、そのことを考えた。
十二月の初めだった。その日は日勤で、昼の休憩に土屋さんと二人になった。休憩室のテーブルに、私は弁当を広げていた。前の晩の残りの煮物と卵焼きと白いご飯。全部、直さんが作ったものだ。土屋さんはそれを見てから、湯飲みに手を伸ばした。「藤代さん、一つ失礼なこと聞いていい?」「はい」「あなたのお給料で、大人二人は無理でしょう」箸が止まった。「ご主人、どうしてるの?」土屋さんは責める調子ではなかった。生活相談員という仕事は、家族の金の話を毎日聞いている。土屋さんはその声で聞いた。「困ってはいないんです」「そう」「本当に困ってなくて」「うん」土屋さんはそれ以上聞かなかった。聞かずに、こう言った。「うちで何百件もご家族を見てきたけどね」「はい」「出せる人が出すって家は、実は少ないのよ」私は顔を上げた。土屋さんは続けた。「大抵、出される人が決まってるの。決まってる家は、その役の人が何と言おうと変わらない。ずっと同じ人が出す」土屋さんは茶を一口飲んだ。「うちに来るご家族にもね、私はいつも言うのよ。介護は家族がやって当たり前じゃありませんって。当たり前にしてる家から順に、誰か一人が潰れるから」土屋さんは湯飲みを置いて、私の顔を見た。その音が、初めて実家の話をした日と同じだった。「藤代さん、あなたの家、決まってるでしょう」返事の代わりに、私は卵焼きを一口食べた。味がしなかった。「別に、出すのが悪いって話じゃないのよ。出したいなら出せばいい」「はい」「でも、出したいのか、出されているのかは、自分で分かっておいた方がいい」それだけだった。土屋さんは午後の面談があると言って、先に休憩室を出た。私は残りの弁当を、時間をかけて全部食べた。
その夜、私は実家に電話をかけた。母が出た。「あら、珍しい。あんたから」「三つ、返事をしようと思って」「返事?」「こと、お姉ちゃんの相談所のこと。あと、会場費」母の声が明るくなった。「そう。じゃあ、五万円は三万のままにします」一拍置いた。「どうして?」「うちは夫が働いていないので、これ以上は出せません」私は自分の声を聞いていた。震えてはいなかった。「レナの相談所も、出せません。法事の会場費も、出せません」「ちょっと待ちなさいよ。あんた、この前は考えるって言ったでしょ」母が黙った。長い沈黙だった。やがて受話器の向こうで父の声がした。母が代わったらしい。「みさ、母さんから聞いたが」「はい」「お前のところは、困ってないんだろう」「夫は働いていません」「それは知っている。だが」「お父さん」私は台所の窓の外を見ていた。「困っていないって、誰から聞いたの?」父が詰まった。「本人があの座敷でそう言ってた」「そう。じゃあ、無職の人の言うことは信じるんだね」言ってから、言いすぎたかと思った。でも、取り消さなかった。父の声が硬くなった。「その言い方はないだろう」「ごめんなさい。でも、無理なものは無理です」父は最後にこう言った。「お前は変わったな」私は「そうかも」とだけ答えて、電話を切った。切った後、しばらく受話器の跡が手のひらに残っていた。
翌日の日勤で、私は菅田さんの居室に入った。九十一歳になっていた。「みささん、今日は声が違うわね」目の悪いはずの人が、そういうことを言う。「何かあった?」「家族に、嫌ですって言いました」「あら、それは大変」菅田さんは笑った。歯のない笑い方だった。「言った後はね、しばらく寝られないのよ。でも、一週間経つと、なんてことないの」本当になんてことなかった。一週間後、私は普通に眠れていた。振り返ってみれば、あれが私の最初の逆転だった。金も証拠も使っていない。使ったのは、あの家の人たちが私にくれた言葉だけだ。「うちの夫が働いていないので」その一言に、母も父も反論できなかった。反論すれば、あの時自分たちが言ったことを自分で否定することになるからだ。正直に言えば、出せないわけではなかった。家賃も食費も直さんが払っていて、私の給料には手がついていない。出そうと思えば出せた。ただ、出したくなかった。出したくないという理由は、この家では一度も通ったことがない。だから私は、通る言葉の方を使った。
二日後、姉から電話が来た。「ちょっと、あんた、お母さんに何言ったの?」「三万のままにするって言った」「そうじゃなくて、私の相談所のこと。出せないって言った」姉の息が荒くなるのが分かった。「はあ? なんで? うちの家計だから」「意味分かんない。私、あんたに縁談譲ってあげたんだけど」またその言葉だ。私は台所の椅子に座り直した。「お姉ちゃん、何? あれ、譲ったんじゃないよね? いらないって言ったんだよね」一瞬、電話の向こうが無音になった。「同じでしょ?」「同じじゃないよ」「うるさいな。とにかく更新料は出してよ。あんたのせいで、私の婚活が遅れてるんだから」どういう理屈なのか、私にはまるで分からなかった。分からないと言うと長くなるので、私は「出せません」ともう一度だけ言った。姉は「最低」と言って切った。その夜、私は自分がひどく落ち着いていることに気づいた。ずっと怖かったはずのことを三度言って、まだ生きている。直さんにはその晩、話した。「実家に断りました」「はい」「夫が無職だから出せませんって言いました」直さんは洗い物の手を止めて、振り返った。「使いやすくていいと思います」「怒らないの?」「事実なので」それから、口元だけで笑った。「役に立ててよかったです」
年末、私たちは大久保さんの家へ挨拶に行った。結婚の報告が遅れていた。父が私から行っておくと言ったきり、言っていなかったからだ。大久保さんの家は、駅から歩いて十五分の古い日本家屋だった。玄関に杖が二本立てかけてある。「よく来たね」大久保さんは私たちを座敷に通した。奥さんが茶を運んできて、すぐに下がった。座敷には仏壇があった。花は生きていた。奥さんが毎朝変えているのだろう。大久保さんは白髪を短く刈っていて、背中が丸い。それでも声には張りがあった。父より一回り上のはずだが、そうは見えなかった。大久保さんは直さんの顔を見て、それから私の顔を見た。「二人でいるところを見て、安心した」「ご心配をおかけしました」直さんが頭を下げた。大久保さんは手を振った。「心配なんてしとらんよ。心配だったのは、あんたが誰とも会わんことだ」そして、私の方を向いた。「みささん、一つ謝らなければならん」私は座り直した。「あの縁談は、断ってくださって構わなかったんです」胸が詰まった。「わしは、しご君にそう言った。お嬢さんが嫌なら、ここで終わりにしていいと。二度も三度も言った」二度も三度も。父は一度もそれを私に伝えなかった。大久保さんは膝の上で手を組み直した。「ただ、返事が来た。すぐに来た」大久保さんは湯飲みに目を落とした。「その返事の中身が、わしはずっと引っかかっておる」「返事の中身?」「あの、大久保さん」「うん」「先月、直さんから伝言を聞きました。あの時のご返事は、本当に私自身の口から出た言葉だったのか、と。そう伝えてもらった」「すみません。何のご返事のことなのか、私には分からないんです。父が何と書いて出したのか、私は聞いていないので」大久保さんはしばらく私を見ていた。それから、ゆっくり頷いた。「そうか。なら、わしからは言えん。これは、しご君が話すべきことだ」それきり、大久保さんはその話をしなかった。あとは直さんの父親の思い出話になった。鬼作さんは酒に弱かった。ビールを一本で顔が赤くなり、二本で寝た。それなのに、若い職人に飯を奢るのが好きで、自分の弁当を残して帰る日があった。「工期が押すとな、あの男は自分で夜中まで残るんだ。人には帰れ帰れと言って」大久保さんはそこで笑った。「バカだよ。本当にバカな男だった」笑った後で、黙った。「早すぎたな」直さんは湯飲みを持ったまま、俯いていた。「大久保さん、鬼作さんが亡くなった時、直さんはどんな様子でしたか?」大久保さんは私を見た。「何も喋らんかった。葬式の間、一言も」「そうですか」「その後、会社大きくして、それからパタリとやめた」大久保さんは湯飲みを持ち上げて、また置いた。「わしはな、直に合わせたかったんだ。金の使い道じゃなくて、時間の使い道を教えてくれる人をな。レナさんの名前を出したのはわしだ。しご君が、相談所に入っていると聞いていたのでな。それだけの理由だ。わしも神の上で選んだんだよ。だから、しご君には嫌なら断れと言った。それと、直には、娘さんに変わったこと言わなんだ。言えば、あれはいかんと言い出すからな。それも、わしの落ち度だ」その言葉の意味は、私にはまだ半分しか届かなかった。
帰り際、玄関で大久保さんは直さんの肩を叩いた。「鬼作は、お前が働いとらんことを、多分怒らんよ」直さんは何も言わずに頭を下げた。その背中を見ながら、私は父の返事のことを考えていた。帰宅して、直さんの携帯が鳴った。切った後で、「昔の仲間の辻本からだ」と言った。古い映像を使わせてくれという話だったらしい。私はその時、深く考えなかった。
母の誕生日の招待が来たのは、年が開けてすぐだった。毎年一月の下旬に、実家で寿司を取って祝う。私は家を出てから一度も欠かしていない。「今年は直さんも連れていらっしゃい」母はそう言った。招待というより通知だった。断ることもできた。でも、私は行くと答えた。理由は自分でもよく分からない。仕送りを断った後で顔を出さないのは、逃げたことになると思った。その日、私たちは花を持っていった。直さんが選んだ、白と薄い黄色の地味な花束だった。私は花束を見て言った。「派手な方が良くない?」直さんは首を振った。「玄関に置いても邪魔にならない方がいいと思います」母は花束を受け取って、「あら」と言った。それだけだった。花は玄関の下駄箱の上に置かれ、水にも刺されなかった。
今には寿司が二つ出ていた。父と母と姉と私たち。おばの松さんも呼ばれていた。「まあ、直さん、去年は庭をありがとうね」松おさんが言うと、母がすかさず口を挟んだ。「あれくらい、いいのよ。家にいるんだから」私は湯飲みを配ろうとして、盆の上を見た。五つしかなかった。六人いる。父、母、姉、松おさん、私、直さん。五つ。「お母さん、湯飲みが足りない」「あら、そう」母は台所の方を見もしなかった。私は盆を置いて、母の方を向いた。「戸棚に来客用があるでしょう」母は顔も上げなかった。「あれはお客様よ」その一言に、松おさんの箸が止まった。私は無言で台所へ行き、戸棚から来客用の湯飲みを一つ出した。呉須の金の縁がついたやつだ。それに茶を注いで、直さんの前に置いた。母が眉を上げた。「それ、いいんだけど」「割れたら、私が弁償する」私は自分でも驚くくらい平らな声でそう言った。母はそれ以上言わなかった。
寿司が回った。姉は中トロを三巻続けて、取り皿の端に寄せた。松おさんが直さんに話しかけた。「直さん、あんた、大根は好き?」「好きです」「うちのはね、今年のは細いのよ。土が痩せてきてね」「畑はどのくらいですか?」「大したことないの。庭より少し広いくらい」それから二人はしばらく畑の話をした。直さんは種を巻く時期まで聞いていた。松おさんは嬉しそうだった。「あんた、詳しいのね」「本で読んだだけです」「本と土は分からないよ」「そうですね。だから、今度見せてください」松おさんが笑った。この家の食卓で、その日一番自然な笑い方だった。母がそれを見て、話を切った。「お姉さん、畑の話はまた今度に」食べながら、姉が直さんの方を見た。「ねえ、まだ無職やってるの?」母が姉を横目で見た。「レナ」と言ったが、止める気はなさそうだった。直さんは「ええ」というのと同じ調子で答えた。「やっています」「すごいね。私だったら耐えられないわ」「そうですか」「毎日家で何してるの?」姉は笑いながら聞いた。答えを聞きたいのではない。答えられないだろうと思って聞いている。直さんは湯飲みから手を離した。「料理とか、散歩とかですね」本当にそれだけだった。姉は一瞬つまらなそうな顔をして、それから声を上げて笑った。「散歩。お散歩だって。受ける」母も笑った。父は苦笑いで寿司を口に入れた。姉が下すのは、直さんが言い返さないからだ。言い返さない人間を、姉は弱いと解釈する。この人が言い返さないのは、言い返す必要がないからだと、姉には一生分からない。松おさんだけが笑っていなかった。
その間に、私は台所へ立った。母がついてきた。茶を変えていると、母が背中越しに言った。「あんた、まだ三万のままにするつもり?」「うん」「お父さんね、四月で定年なのよ」「知ってる」「その後、大久保さんの口聞きで、関連会社の顧問をやらせてもらう話があるの。でも、決まったわけじゃないのよ」母は茶碗を布巾で拭きながら続けた。「だから、今うちはお金の当てがないの。顧問の話が決まるまではね。分かるでしょ?」「分かるけど、それとうちの家計は別だと思う」母の手が止まった。「あんた、そういう言い方するようになったわね」「そうかもしれない」「レナの方がまだ素直よ」私は急須に湯を注いだ。湯気で顔が隠れてよかった。茶を持って今へ戻ると、ちょうど父が松おさんの方へ向き直ったところだった。「まあね、松姉さん、うちの娘の主人は、まあ、家にいる人でしてね」松おさんが父を遮った。「しごさん」父は聞こえなかったように続けた。「本人が幸せならいいんですよ。私はそういう考えでしてね」その口調は、寛大な男のものだった。娘の夫の職業を親戚に説明する時、父はいつもこの言い方をする。理解のある父親の顔をしながら、相手を一段下に置く言い方だ。父はそう言って、さらに口を出した。「働かないってのはね、体か心か、どちらかということもありますから」その場の空気が重くなった。私は箸を置いた。「お父さん」「なんだ?」「直さんは、体も心も元気です」「そうか。それならいい」父はそれで話を終わらせた。
姉が話題を変えた。自分の話だ。前の年、あの座敷で聞いたのと同じ切り出し方だった。「私、来月また面談なの」「あら、今度はどんな方?」母が身を乗り出した。「まだ写真だけ。四十二で、都内に持ち家」「素敵じゃない」「でもね、写真がちょっと」姉は写真を見せて、母と一緒に品定めを始めた。二人で顔の作りの話をしている。松おさんが茶を啜って、湯飲みを置いた。「レナちゃんは、あの相談所に何年になるの?」姉の手が止まった。「三年目です」「三年目。随分ね」「いい人がいないだけだから」母が慌てて割り込んだ。「レナは条件がはっきりしてるのよ。妥協しないの。それが立派なところで」松おさんは引かなかった。「何人くらいあったの?」姉が答えないので、母が答えた。「三十人くらいかしらね」「三十人あって、まだなの?」「だから、いい人がいないのよ」そこで姉が箸をテーブルに置いた。音が大きかった。「会ってないから」全員が姉を見た。「三十人は、断られた数」今が静まった。母の顔から表情が落ちた。姉は自分で言ってしまってから、後戻りできなくなったらしい。「向こうから断られてるの。写真の段階で。私、ずっとそう」母が姉の袖を引いた。「レナ」「だって、お母さんが言うんだもん。レナにはもっといい人がって。私だってそう思ってたよ。でも、三年やって、返事が来ないの」姉の声が高くなった。私は初めて、姉の弱いところを見た気がした。その気持ちは三秒しか続かなかった。姉が顔を上げて、私の方を向いたからだ。「あんたはいいよねえ。選ばなくていいんだもん。押し付けられたのに乗っかっただけでもう結婚してるんだから」「お姉ちゃん」「あんた、私が譲ってあげたのが、レナでかわいそうね」その言い方には、慰めるふりがくっついていた。かわいそうと言えば、相手より上に立てると思っている人の言い方だ。私は姉を見た。姉は目をそらさなかった。かわいそう。その言葉を、私は子供の頃から何度も浴びてきた。制服のお下がりを着ていた時。修学旅行の小遣いが姉の半分だった時。成人式のカタログを持たされた時。その度に、姉は全く同じ顔で同じ言葉を言った。かわいそう。そして、次の日には忘れていた。言った側は忘れる。言われた側は覚えている。それが、この家の力の差だった。何かを言おうとして、私は言わなかった。ここで言えば、私は全部を言うことになる。金庫のこと、会社のこと、この人が何者だったのか。言ってしまえば、この人たちはその日から直さんを見る目を変える。あの日、プロフィールを弾いた指が、そのまま握手を求めて伸びてくる。それだけは嫌だった。私は茶を飲んだ。覚めていた。何も言わないことは、我慢とは違う。その頃の私は、もうそう考えるようになっていた。言わないと決めている間は、決めているのが私の方だ。二年前、この家の台所で「分かった」と答えた時とは、そこが違う。そう思うことで、私はその日を乗り切ろうとしていた。隣で直さんが、湯飲みをそっと私の手のそばへ置いた。呉須の湯飲みだ。中身は空になっていた。飲みましたよと見せられたのだと思った。「みささん」小さな声だった。「はい」「今日は来てよかったです」「どうして、そんなことを言うのか、私には分からなかった」「みささんのお姉さんの話が聞けたので」私は直さんの横顔を見た。この人は、姉が三十人に断られたと言った時の顔を見ていたのだと思う。あの三秒を、私と同じように見ていた。「かわいそうだと思った?」「思っていません」直さんはすぐにそう答えた。「ただ、あの方は、自分が何を欲しいのか、まだ一度も考えたことがないんだと思います」その言葉は、姉への悪口には聞こえなかった。診断のように聞こえた。
気まずさを埋めるように、母がリモコンを取った。「テレビでもつけましょうか」母がボタンを押すと、今のテレビがついた。母はチャンネルをいくつか送って、そこで指を止めた。その番組は経済番組だった。父が好んで見る番組だ。母は本当は歌番組が見たかったのだと思う。それでも、この家でチャンネルが止まるのは、いつも父の見る番組だった。「これ、見てるやつだ」画面には白い壁のオフィスが映っていた。若い社員が並んで座り、テロップが出ている。ケアリングテクノロジー。創業十五年。介護の現場を変えたソフト。私は寿司を口に運びかけたまま、手を止めた。父が箸で画面を指した。「知ってるぞ。この会社。大手に買われたやつだ。何年か前にニュースになった。うちの業界じゃないが。金額が金額だったからな」「いくらだったの?」姉が聞いた。「忘れた。随分な額だ」父は得意げだった。自分の知らない業界のことを知っているのが嬉しいらしい。画面が切り替わり、会議室で四十くらいの男性が話している。下にテロップが出た。代表取締役、辻本龍一。辻本。年の瀬に直さんの携帯を鳴らした人だ。あの電話はこれだったのかと思った。隣を見たかったが、やめた。「うちは三人で始めたんです」辻本さんはそう言った。「六畳のアパートで、机が二つしかなくて、一人は床に座ってました」父が笑った。母も笑った。姉はスマートフォンを見ていた。私は隣を見た。直さんはまっすぐに画面を見ていた。表情は変わっていない。ただ、湯飲みを持つ手がしばらく止まっていた。番組は現場の映像を挟んだ。どこかの特養の廊下だ。職員がタブレットを持って歩き、居室の前で立ち止まって画面を叩く。私はその手つきを知っている。毎日やっている。画面が変わり、別の施設の廊下が映った。年配の職員がカメラの外を見て答えていた。「以前は記録を書くために夜中まで残っていました」その職員は少し間を置いて続けた。「今は、その時間をご本人のところで使えます」母が「へえ」と言った。何も分かっていない声だった。ナレーションが入った。「介護施設の記録を紙からタブレットへ移すという発想は、当時ほとんど受け入れられなかった」画面の中で辻本さんが笑った。「営業に行くと、現場の職員に『こんなもの使えるわけがない』と言われました。それでも、一件ずつ回ったんです。あいつが」あいつと、辻本さんは言った。画面が変わった。古い映像だった。画質が粗く、狭い部屋で若い男が三人。床に座り込んで、何かを見ている。一番手前の男が顔を上げた。私は息を止めた。髪が今より黒く、顔が細い。それでも、間違いようがなかった。テロップが出た。創業者、藤代直。今の音が消えた。父の箸が皿の上に落ちた。カチンと音がした。「え?」父が言った。それだけだった。母がゆっくりと画面を見て、それから直さんを見て、また画面を見た。姉がスマートフォンから顔を上げた。「何これ?」テレビの中では辻本さんが話し続けている。「藤は、営業の時にいつも同じことを言ってました。現場の人が一番怖いのは、記録が増えることじゃなくて、記録のせいで利用者さんを見る時間が減ることだって」私の目の奥が熱くなった。それは、紙からタブレットに変わった年に、私が職場の先輩と話していたことと重なった。入れ替えの日、その先輩は怒っていた。「こんなもの入れる金があるなら、人を増やせ」と。私もそう思っていた。それが半年で変わった。夜中まで残って書いていた記録が、廊下で立ったまま終わるようになった。私が菅田さんの部屋で座っていられる時間は、その分増えた。菅田さんが私の足音を覚えたのは、多分その時間があったからだ。私はテレビを見ながら、そのことを考えていた。隣に座っている人が、その時間を作った側の人間だ。知っていたことが、その時初めて体の側へ落ちてきた。テレビの中で、代表の辻本さんが締めくくった。「うちは、あいつのその一言でできた会社です」画面が切り替わり、ナレーションが続いた。「五年前、同社は大手システム会社の傘下に入った。創業者の藤氏は、売却にあたって社員に特別な賞与を出し、自らの受け取りが最も大きく減ることを承知の上で、経営から退いた。現在は表に出ていない」社員に出して、自分の取り分を一番多く減らした。その二つが、今の空気を変えた。父が口を半分開けたまま、直さんを見た。「藤君」「はい」「それは、僕です」時が固まった。その顔を、私は生まれて初めて見た。父は人前で言葉につまる人だ。営業三十年やってきた人だから、どんな場でも先に何か言う。その父が、口を開けたまま、何も出てこなかった。「会社をやっていました」と、この人は座敷で言った。それを聞き流したのは、父自身だ。父が驚いたのは、会社があったことではない。それが、この会社だったことだ。父の頭の中で何が起きているのかは、多分想像がつく。二年前、父は娘の縁談を差し替えた。相談役の顔を潰さないためだ。そして、親戚の前でそれを娘の希望だったことにした。その相手が、テレビに映っている。父が守ろうとしたものと、父が捨てたものの値が、その画面の前で入れ替わった。
姉が立ち上がった。「待って、待って、待って」「レナ、座りなさい」母が言ったが、姉は座らなかった。「この会社って、あれでしょ? 数年前に何十億で売れたって?」姉はテレビを指した。指の先が震えていた。直さんは箸を置いて、姉の方を見た。「売りましたね」それだけだった。自慢するでもなく、ためらうでもなく、天気の話のような言い方だった。沈黙が落ちた。その沈黙が、私には長く感じられた。実際には十秒もなかったと思う。最初に音を出したのは、母だった。「直さん、あなた」母は言葉を探していた。「会社をやっていたって、小さいものだって。あの時、そう言ったじゃない」「無職です」直さんはそう答えた。「その会社は、もう人に渡しました。株は一株も持っていませんし、どこにも勤めていません。無職というのは、そういう意味です」母の顔から血の気が引いた。松おさんは、姉をまっすぐに見ていた。母がそこで初めて、私を見た。「みさ、あんた、知ってたの?」「知ってた」「いつから?」「去年の秋から」「なんで黙ってたのよ?」私は湯飲みを置いた。「聞かれなかったから」母が息を吸って、そのまま黙った。この家は、私に聞かない。成人式の時も、あの縁談の時も、私の考えは聞かずに決まった。聞かれなかったのだから、答えようがなかった。父はまだ画面を見ていた。番組はもう別の会社の話に移っている。それでも、父は見ていた。「しごさん」松おさんが呼んだ。父は返事をしなかった。姉がゆっくりと座った。座ってすぐに、スマートフォンを操作し始めた。テレビの画面を写真に撮って、そこに出ていた会社の名前を打ち込んでいる。その姿を、私は横から見ていた。姉が今何を調べているのかは、分かっていた。そして、次に何を言うのかも、なんとなくは分かってしまった。二年の間、この家で「藤代直」という人のことを知ろうとした人は、一人もいなかった。「無職」と書かれた人間に、値打ちはないと思っていたからだ。
母が急に姉の方へ向き直った。「レナ、あんた、断ったわよね」姉の指が止まった。「はあ?」「あの時、あんたが『無職、ありえない』って」「押し付けたのは、父さんじゃない」姉は母を睨んだ。「私はただ、無理って言っただけ」「先に蹴って決めたのは、お父さんでしょ」父がようやく口を開いた。「レナ、今、その話は」「今しないでつるの?」姉の声が跳ね上がった。「ねえ、お母さん。あの時、お母さんも笑ってたよね。事情のある方だって、松おばさんに電話してたよね」松おさんが背筋を伸ばした。「したわね。確かに」松おさんは母でなく、父を見た。「しごんの時、何て言ったの?」「松姉さん」「みさがどうしてもと言うからって、言ったわよね。あの座敷で」父が黙った。「あれ、本当なの?」「今は、その話じゃないだろう」「今しないでつるのよ」姉が言ったことと同じ言葉だった。松おさんの声の方が低かった。母が松おさんを見た。「お姉さん」「事実でしょう」テーブルを挟んで、父と母と姉が、互いを見ていた。二年前、この今であの紙を囲んでいた三人だ。あの時、三人は同じ側にいた。今は、誰も同じ側にいない。私は膝の上で手を組んでいた。不思議なほど、胸は透かなかった。ざまあみろという気持ちが湧いてくるものだと思っていた。二年前にこの今で笑われた分、戻ってくるはずだった。でも、戻ってこなかった。私はただ、居心地が悪かった。直さんだけが、いつも通りだった。背筋を伸ばして座り、他人の家の諍いを聞くともなく聞いている。この人にとっては、これは自分の話ではないのだろう。実際、そうだった。テレビに映ったのは十五年前の映像で、この人はもうあそこにはいない。直さんは、落ちた父の箸を拾って、そっと箸置きに戻した。「お父様、落ちましたよ」父はそれに気づかないようだった。
姉が顔を上げた。そして、スマートフォンの画面をこちらへ向けた。その画面には、五年前の記事が出ていた。大手システム会社が、介護記録ソフトのケアリングテクノロジーを買収。買った側が上場している会社なので、当時金額まで発表されていた。姉が声に出して読んだ。「六十億円」その数字が、今の畳の上に落ちた。私もその額を聞いたのは、その時が初めてだった。会社を売ったことは秋に聞いていた。いくらで売れたのかは聞かなかったし、聞かされてもいなかった。母が「え?」と言った。父は何も言わなかった。松おさんがメガネを上げて、画面を覗き込んだ。姉の目の色が変わった。瞬きが止まって、瞳が画面の一点に張り付いた。姉は画面の同じ箇所を指でなぞって、もう一度読んだ。そして、最初にこう言った。「ちょっと待って」私は姉を見た。姉は画面を握ったまま、私に言った。「それ、本来、私の縁談だったよね」その言葉が出るまで、姉は直さんの顔を一度も見なかった。姉が最初にしたのは、権利の確認だった。私は自分でも意外なほど落ち着いた声で答えた。「だから?」姉が私を睨んだ。「だから、おかしくない? 何が。元は私の話でしょ? それを、あんたが持っていったんじゃない」母が慌てて割って入った。「レナ、やめなさい。人前で」「人前?」松おさんと直さんがいる。母の頭の中では、この二人は「人前」だった。「だって、やめなさいって言ってるでしょう」母の止め方は、姉を守るためのものだった。姉を放っておくと、後で母自身の言ったことも掘り返される。母はそれを分かっていた。その日は、それでお開きになった。
帰りの電車で、直さんは何も言わなかった。私も言わなかった。駅から家までの道で、直さんが一度だけ口を開いた。「今日、僕は余計なことをしましたか?」「してない」「そうですか」「番組が勝手に流れただけだよ」「そうですね」そう言って、直さんはコンビニに寄って、アイスを買った。冬にアイスを買う人だった。家に着いて、二人で食べた。台所の壁には、二度目にあった日に美術館で買った絵葉書が張ってあった。同じものがもう一枚。この人の読みかけの本に挟まったままだった。六十億という数字を聞いた日に、私の家で一番値があると思っていたのは、多分その二枚だった。
「直さん」
「はい」
「今日のこと、腹が立たないの?」
直さんはスプーンを持ったまま、考えた。「立ちません」「どうして? あの方たち、あなたのことを何も言ってないよ」「言ってたよ。無職だって、散歩だって。あれは僕のことです。でも、今日の話は違います」直さんはカップの縁をなぞった。「六十億という数字が出て、皆さんが見たのは数字です。僕ではありません。数字に腹を立てても仕方がないので」「あの番組に出るって、知ってたの?」「知っていました。年末に話した、あの映像です。一度は断りました。名前が出るので。でも、あいつが食い下がったんです。あの映像がないと、会社がどこから始まったかを話せないと。それを言われると、断れませんでした」「名前が出るなら、そう言ってよ」「言おうとして、やめました。先に言えば、みささんが放送の日まで構えることになるので。まさか、あの家の今で見ることになるとは思わなくて」その言い方は、甘えではなかった。もっと乾いたものだった。私はその時、この人が今までに何度これをやってきたのかを考えた。会社を売った後の五年で、この人の周りから何人が消えたのか。何人が新しく寄ってきたのか。聞けなかった。聞けることではなかった。
職場では、誰もその番組の話をしなかった。休憩室のテレビはいつも夕方の情報番組で、経済の番組を見る人はいない。土屋さんも知らなかった。私も何も言わなかった。言えば、画面の隅にある名前が、私の家の話になる。
翌日から、実家からの電話が増えた。最初は母だった。声の調子がいつもと違った。「みさ、この前はレナが失礼なこと言って、ごめんなさいね」謝られたのは初めてだった。「別に」「あの、直さんは、お体は大丈夫なの? 無理してらっしゃらない?」心配の形をしていたが、聞きたいことは別にあると分かった。「元気だよ」「そうなら、いいの。あのね、今度、うちにいらっしゃらない? お寿司を取るから」寿司なら、前の日に食べたばかりだった。その日から、母は三日に一度かけてくるようになった。父も二度かけてきた。姉は五回だ。姉の要件はいつも同じだった。「ねえ、直さんっていくら持ってるの?」「知らない」「知らないわけないでしょ」「本当に知らない」これは嘘ではなかった。総額を聞いたことがないという意味では、嘘ではなかった。金庫に一千万円あったことと、それを銀行へ移したことは知っているけれど、それが全体のどれくらいなのかは、私も知らないままだった。「あんた、妻でしょ?」「妻でも知らないよ」「意味分かんない」姉はそう言って切った。
父は一度、大久保さんに電話をしようとしたらしい。母から聞いた。「父さんね、大久保さんに確かめるって言ってたのよ」「何を?」「藤代さんのこと、ご存知だったんですかって」「かけたの?」「かけたけど、途中でやめたって。呼び出し音の途中で切ったって言ってた」母は続けた。「お父さん、この頃ずっと家で新聞を見てるのよ。同じページを」「そう」「四月で定年でしょ。顧問の話も、まだ何も言ってこないし」その一言に、母の焦りが全部入っていた。私はその話を聞いて、父の背中を思い浮かべた。父が大久保さんに聞けないのは、聞けば自分の返事の話になるからだ。あの時、何と書いて出したのか。大久保さんはそれを覚えている。父もそれを覚えている。父は電話を切ったのではない。自分の返事から逃げたのだ。
そして、二月に入って、姉が動いた。知らせてきたのは、松おさんだった。「みさちゃん、あんた、レナちゃんのマンションの話、聞いてる?」「マンション?」「買ったんだって。もう手付け打ったって、かずえさんが言ってたよ」私はその場で立ち上がった。手付けを打つというのは、契約の印に代金の一部を先に払うことだ。「いくらの?」「三千八百万だって」姉の年収では通らない。私はまず、それを思った。その週、母から詳しい話を聞いた。というより、母が自分から話した。自慢の形をしていた。「駅から七分でね、角部屋なのよ」「お姉ちゃん、ローンは?」「それが、ローンは組まないって言うのよ」嫌な予感が、はっきりした形になった。「組まないって、どうやって払うの?」「レナが言うにはね、その、なんて言うか」母は言いにくそうにしてから、こう続けた。「先のところにお願いすればいいって」私は受話器を持ったまま、何秒か黙った。「お母さん、私、一度も出すって言ってないよ」「でも、家族でしょ」その言葉が出た。手付け金は二百万円だった。そのうち百五十万円は、父と母が出したという。姉の貯金は、五十万円しかなかった。
私は姉に電話をかけた。母から詳しい話を聞いた日の夜だ。姉は上機嫌だった。「あ、みさ。聞いた?」「聞いた。ローン組まないって、本当?」「うん。だって、金利もったいないじゃん」姉の声は弾んでいた。「テレビで社員に配ったとか言ってたけどさ、あんなの一部でしょ。当たり引いたのはあんたなんだから、少しは回してよ」「残りの三千六百万は、なんとかなるよ」「なんとかって?」「だから、あるところから出せばいいじゃん」私は目を閉じた。「お姉ちゃん、うちは出さないよ」「まだ言ってないし」「言われても、出さない」姉は笑った。本当に笑っていた。「まあ、その時になったら考えるでしょ。家族なんだから」そして、こう付け加えた。「もう親戚にも言っちゃったし、写真もあげたから」あげたというのは、ネットのことだ。姉は買ってもいない部屋のモデルルームで撮った写真を、もう人に見せていた。姉は引き返せない場所へ、自分から歩いていった。誰にも押されていない。そこがこの家の恐ろしいところだと、私は思う。誰も脅していない。誰も騙していない。ただ、当たり前のように人の財布を感情に入れる。入れられた側が断ると、断った側が白状な人間になる。私は八年、その感情の中にいた。
姉が売買契約を結んだ日のことは、後で母から聞いた。母は契約について行ったのだという。手付けの百五十万円を出したのは自分たちだからと言って、隣に座っていたそうだ。契約の前に、重要事項の説明があった。販売担当の佐岡さんという人が、宅地建物取引士の資格を見せて、一通り説明した。その後、契約書を読み合わせて、手付けを辞める時の条件を読み上げた。相手の会社が動き出す前なら、この手付け金を放棄してやめられる。逆に言えば、こちらの都合でやめれば、手付け金は戻らないと。姉はそれを聞き流していたと、母は言った。佐岡さんが一度確かめたそうだ。「ローンをお使いにならないので、審査が通らなかった時に白紙に戻せる特約はつきません。よろしいですか」と。姉は「大丈夫です」と答えた。「残代金のご準備は、どのように」とも聞かれたらしい。姉は「家族が出します」と答え、鞄からスマートフォンを出して、あの記事の画面を見せたそうだ。「妹の夫だ」と言ったという。佐岡さんは「ご家族から大きなお金をもらうと、そういうようになります。税金がかかるのは、もらった側です」とだけ言い添えた。姉は「その辺は大丈夫です」と答えたそうだ。その妹の夫に、姉は契約の前に一言も話していない。私は何も聞いていなかった。
話を戻す。姉と電話をした二日後、父から電話が来た。父の声は、これまで聞いたことがないほど改まっていた。「家族で話がしたい」父の電話は、その一言から始まった。聞いていて落ち着かなかった。「今度の日曜、二人で来てくれないか。藤君にも、是非」私は日取りだけ確かめて、電話を切った。その夜、直さんに話した。「実家に呼ばれた。お姉ちゃんのマンションの残り、直さんに出してもらう気なんだと思う。三千六百万」直さんは味噌汁の火を止めた。「行きましょう。ただ、頼まれるかどうかは、ご本人の口から聞きます」「怒っていいからね」「怒りません」「じゃあ、どうするの?」直さんは考えてから、こう言った。「持っていきたいものが一つあるんですが、いいですか?」「何?」「後で見せます。この前、お父様がおっしゃったので。働かないのは体か心か、どちらかだと。あれにだけ、答えておきたいので」当日、直さんは布の手提げ袋を持って、玄関を出た。何かが入っているのが、外から見て分かった。
実家の座敷には、私たちの他に四人いた。父、母、姉、おばの松さんだ。松おさんは呼ばれていない。母が前の日に電話で漏らしたのだと、後で聞いた。「日曜に直さんが来るのよ。レナの部屋の話してね」と、自慢のつもりで言ったらしい。座敷には菓子と茶が並んでいた。母が今まで出したことのない茶葉だった。「まあ、直さん、よくいらして」母の声が甘かった。父は床の間の前の席を開けて、直さんをそこへ座らせようとした。直さんは断って、前と同じ入り口脇の席に座った。父が慌てて手を振った。「そちらでは、失礼でしょう」「ここで結構です」父は落ち着かない様子で座り直した。最初の三十分は、当たり障りのない話だった。父が丸ひ正司の話をし、母が茶を注ぎ足した。母は直さんの湯飲みを一度も空にしなかった。一月には来客用を出すのを渋った人が、その日は最初から呉須を出していた。菓子は駅前の店の最中だった。母が普段買う菓子ではない。私が子供の頃、母がそれを買うのは、年に一度、父の上司が来る日だけだった。父は座布団を進め、母は菓子の皿を直し、姉は爪を見ている。私はその光景を、よその家の出来事のように眺めていた。姉だけが、ずっと待っていた。茶が二杯目になった時、姉が口を開いた。「ねえ、そろそろ本題に入ろうよ」父が「ええ」と言った。歯は止めなかった。姉は座卓に肘をついて、直さんを見た。「私、マンション買ったの?」「そうですか」「三千八百万。手付けは二百万入れた」「おめでとうございます」「ありがとう。でね」姉は笑顔のまま続けた。「直さん、残りのお金、出してもらえない?」座敷から音が消えた。直さんは表情を変えなかった。「どうしてですか?」「どうしてって?」姉は当然のことを聞かれた顔をした。「だって、あの縁談、本来は私に来たんだよ」「はい」「私が譲ったから、みさがあなたと結婚できたわけでしょ。だったら、半分くらい私にも権利あるでしょ」私は膝の上の手を握った。父が咳払いをして、姉の後を引き取った。「まあ、権利という言い方は良くないが」「私が」父と口を挟むと、父は手のひらをこちらへ向けた。「だがね、藤君。家族なんだから、少しくらいわ」母が頷いた。「そうよ。私たちだって、レナの手付けに百五十万出したのよ。老後の蓄えから」出したのは自分たちの意思だ。誰も頼んでいない。それを今、こちらの負担の理由にしている。私はもう一度口を開こうとした。その前に、直さんが言った。「僕は、物じゃありませんよ」一言だった。声を荒げてもいない。皮肉の色もない。ただ、事実を確かめるように言った。父が黙った。母が黙った。直さんは姉の方を見た。「譲ったとか、権利があるとか、そういう話をされていますが、僕は誰かの持ち物になったことがありません。みささんとは、僕が決めて、みささんが決めて、結婚しました」「そんなこと言ってないでしょ」姉が言い返した。「言っていると思います」直さんの声は変わらなかった。姉の顔が赤くなった。そこから先、姉は自分を止められなくなった。「じゃあさ、みさと離婚すればいいじゃん」座敷の空気が凍った。「レナ」父が怒鳴った。それでも、姉は続けた。「だって、元々私に来た縁談なんだし。今からでも遅くないでしょ。私の方がいいし、まだ子供だって」母が姉の腕を掴んだ。「レナ、もういいから」姉はそれを振り払った。私は姉を見ていた。不思議と腹は立たなかった。腹が立つより先に、この人が何を言っているのかを聞いてしまった。直さんが湯飲みを置いた。「レナさん」初めて、直さんが姉を名前で呼んだ。「何?」「あなたは、僕が無職だから断ったんですよね」姉の口が止まった。「それは、違いますか?」「それは、知らなかったからでしょ」姉が叫んだ。直さんはゆっくりと聞いた。「何を?」誰も姉の顔を見なかった。姉は答えられなかった。答えを持っていないのではない。答えを口にすれば終わりだと、その瞬間に分かったのだと思う。それでも、姉は言った。「お金を持ってること」直さんは頷いた。「だったら、結婚したかったのは、僕じゃないですね。僕ではなく、僕が持っているものの方です」姉が息を吸った。吸ったまま、吐けなかった。父が唇を結んだ。母が背を向けた。姉は二年前から、何も変えていない。断る時も、欲しがる時も、見ているのは紙に書かれたものだけだ。二年前は「無職」という言葉。今は「六十億」という額。二年前も今も、この家に「藤代直」という人間はいなかった。
直さんが傍らの手提げ袋に手を伸ばした。「あの、一つだけ、見ていただいてもいいですか?」父が顔を上げた。直さんは手提げ袋を膝に乗せ、中身を出した。灰色の手提げ金庫だった。角が擦れて、塗装が剥げている。取っ手のところに油性ペンの字。姉が前のめりになった。「これだけ」直さんは金庫を畳の上に置いた。カタンと軽い音がした。「開けます」蓋が上がった。母が身を乗り出した。姉も乗り出した。父の視線が金庫に落ちた。中には、レシートの束が入っていた。輪ゴムで止めてある。あとは小銭がいくらか。姉が真っ先に言った。「これ、何?」直さんは金庫の中を指した。「うちのレシートです」「は?」「去年の秋からの分です」姉が座り直した。母が口を押えた。私は金庫の中を見ていた。一番下のレシートに見覚えがあった。鶏胸肉九十八円が二枚と、卵と長ねぎと、半額の豆腐。私が初めて金庫を開けた日の、あのレシートだった。直さんはレシートの束を取り出して、膝の脇へ寄せた。それから、金庫の底の隅に指をかけた。薄い板が持ち上がった。私は息を止めた。ずっとこの箱を見てきて、そこが二重になっていることを知らないままだった。薄い板の下に、紙が一枚だけ入っていた。折り目のついた、細長い紙だった。直さんはそれを取り出して、座卓の上に広げた。給与明細だった。上の方に会社の名前と、支給された月が印刷してある。十三年前の日付だった。名前の欄に「藤代鬼作」と印字してある。「僕の父のものです。父が倒れた月の、最後の一枚です」誰も口を利かなかった。姉は背を引いた。何が出てくるのかと期待していた分、拍子抜けしたらしい。「で、それが何?」姉が言った。直さんは紙を姉の方へ向けた。「見てください」姉は覗き込まずに、目だけ動かした。直さんは目を上げずに続けた。「父は電気設備の工事をしていました。現場監督です」直さんは紙の一点を指した。「ここが、その月の時間外の欄です」私は身を乗り出して、覗き込んだ。印字されていたのは、私の給与明細では見たことのない桁だった。直さんは指をそこから動かさずに続けた。「この月は、百時間を超えています。この一枚だけじゃありません。父の手帳に、現場の入りと上がりが書いてあって、足すとどの月も同じように百時間を超えていました。五年間、ずっとです」誰も口を挟まなかった。「そして、五十二で倒れました。現場で、そのままです。定年までは、まだ間がありました」座敷の柱時計が鳴った。四時だった。「僕はその時、二十七で、会社が伸び始めていました。その日の父の着信は、仕事の後にしようと思って、そのままにしました。折り返さなかったことだけは、前に妻に話しました。この紙のことを人に言うのは、今日が初めてです」直さんは紙の端を指で押さえた。「この明細は、父の机の引き出しにありました。この金庫も、そこにありました。父は現場で使う小口の金と領収書を、ここに入れていたんです。職人さんの昼飯を立て替えたりするので」私は畳についた手に力を入れていた。指が冷たくなっていた。「会社を始めたのは、父が倒れる二年前です。その頃は、記録のソフトは売れると思っただけでした」直さんは一度口を閉じた。「変わったのは、葬式の後です。記録に取られる時間を減らせば、誰かが一時間早く帰れる。それを言って売るようになったのは、そこからでした。父には、その一時間がなかったので」五年間、会社を売った時、僕は考えました。この先、何のために働くのか、と。直さんは顔を上げた。私の父を見た。母を見た。姉を見た。順番に、ちゃんと見た。「働かないと決めたのは、疲れたからではありません。父が使えなかった時間を、僕は使おうと思ったからです」姉が笑おうとした。笑い声が出なかった。直さんはそこで、肩の力を抜いた。「散歩ですけど」そう言って、口の端を上げた。「それでも、僕にとっては、父の続きです」母が湯飲みに手を伸ばして、途中でやめた。初めてあったあの日、この人はなぜ「大変ですね」で終わらせずに、その先を聞いたのか。十六時間という数え方を知っていた理由なら、前の年の秋に聞いた。「営業で回ったから」と。答えの残り半分は、この百時間という桁の方にあった。夜勤が月に何回か、休憩がどう取れるか、記録はいつ書くか。この人は、働きすぎた人の家で育った人間だ。だから、時間の話を聞く。私が菅田さんの部屋で座っていられる時間は、直さんの父親が使えなかった時間の続きだった。
父が膝を動かした。「藤代君」声がかれた。「それは、それは立派な話だが」「立派ではありません」直さんは即座に否定した。「僕は、自分の父の最後の電話に折り返さなかった人間です。立派なことは、何も」直さんは明細を座卓の真ん中へ置き直した。「これだけ揃っていれば、労災が降りたかもしれません。働きすぎて倒れたとして、会社からは何も言われませんでした。亡くなった人の分は、遺族が自分で労働基準監督署に出すんだと知ったのは、何年も後です。その時には、もう請求できる期限が過ぎていました」私の父が、初めて畳に目を落とした。畳を見たまま、父は動かなかった。その沈黙を破ったのは、松おさんだった。「しごさん」父が畳から目を上げた。松おさんは続けた。「この話を持ってきたのは、大久保さんよね。親戚に断ったんなら、大久保さんにも何か言ったんでしょう。なんて返事したの?」母が「お姉さん、それは今」と言いかけて、松おさんに止められた。「かずえさん、黙ってて」松おさんは父から目を離さなかった。「しごさんに聞いてるのよ。大久保さんに、なんて返事をしたのかって」「松姉さん」父が呼んでも、松おさんは引き下がらなかった。「先月も聞いたわね。親戚の前で、何て言ったのかって。あんたは答えなかった。今度は、大久保さんへの返事を」父は拳を握ったまま、動かなかった。父は大久保さんの家の座敷を思い浮かべたのだと思う。大久保さんは、あの返事をまだ持っている。父の指が座卓の縁を叩いた。営業している時の癖だ。何かを言おうとする時、父はこれをやる。「先方には、失礼のないように伝えた」「どう伝えたの?」「だから、失礼のないように」「しごさん」松おさんの声が低くなった。「あんたのその言い方ね。亡くなった私たちの父親、そっくりよ」父の指が止まった。その時、直さんが静かに言った。「大久保さんは、覚えていらっしゃいました」父が直さんを見た。「年末にご挨拶に伺った時、あの返事の中身が引っかかるとおっしゃっていました。ただ、それはお父様ご自身が話すことだと言って、教えてくださいませんでした」父の喉が動いた。二年前のあの日、父は言った。「先方には私から返事をしておく」と。私はその時、「お受けします」とだけ書いて出すのだと思っていた。その返事の中で、私が何と言ったことになっていたのかは、この日まで知らなかった。父は口を開いた。「お受けしますと書いた」柱時計の秒針だけが聞こえた。松おさんが聞いた。「それだけ?」父はしばらく黙ってから、続けた。「娘が是非にと申しております、と」私の耳の奥で、何かが鳴った。是非に。私が言った。父はこちらを見なかった。「お父さん、私、是非にって言った」「ただの言い回しだ」「言い回しの問題じゃないよ」私は自分の声が大きくなったのが分かった。「お父さんがその返事を書いた時、私は写真も見ていない。相手の名前も聞いていなかった。名前を教えてもらったのは、会う日が決まってからだよ。会う日も場所も、お父さんが決めた。だから、それは、その、私が是非にって書かれてたの」父が黙った。私は思い出していた。二年前の秋、母が姉のワンピースを私に着せた。丈が合わなくて、母は「裾を折ればいい」と言った。あの時の私は、自分が姉の代わりに座らされるのだと思っていた。違った。私は代わりですらなかった。書類の上では、私は自分から手を挙げた娘だった。座らされた上に、座りたがったことにされていた。それが、二年前に起きたことの全部だ。松おさんが息を吐いた。「どうして、そんな書き方をしたの?」父は答えなかった。答えたのは、母だった。「だって、断れなかったのよ」母の声は小さかった。「大久保さんが持ってきた話でしょ。お父さん、この春で定年で、その後のことをお願いしてたから」座敷の全員が母を見た。母は言ってしまってから、口を押えた。父が母を睨んだ。「かえ」「だって、そうじゃない」母は開き直った。開き直るしかなかったのだと思う。「レナが嫌だって言うし、断ったら大久保さんに悪いし。だから、みさに行ってもらったのよ。それのどこが悪いの?」それのどこが悪いの? 母は本気でそう思っていた。それが、私には一番応えた。母は自分を悪人だと思っていない。実際、母は何も盗んでいないし、誰も殴っていない。ただ、この家には天秤があった。片方に姉が乗っていて、もう片方に私が乗っている。母はその天秤を、生まれた時からそういうものとして扱ってきた。天秤は傾いていることを、母は知らない。私は母の顔を見て言った。「押し付けたって書けないから、望んだことにしたんだよね」母は目をそらした。「あんた、だって、結果的には良かったじゃない」「結果の話はしてない」「じゃあ、何の話よ」「私がいない話をされてたって話」母が黙った。その横で、姉がずっと苛立っていた。姉にとって、この話はどうでも良かったのだ。「ねえ、そんな昔のことより」姉が座卓に手をついた。「あの六十億の話に戻そうよ」松おさんが「レナちゃん」と言った。姉は聞かなかった。「直さん、あの記事に出てた金額、あれ、本当?」「書いてありましたね」「それ、全部あなたのお金でしょ?」直さんは首を横に振った。「違います」「嘘」「会社の値段と、僕の取り分は別です」姉が身を乗り出した。「意味分かんない。売ったんでしょ?」「三人で作った会社です。株を持っていたのは、僕だけではありません」「じゃあ、三等分?」「そういう計算にもなりません」直さんはそこで、言葉を選んでいるようだった。「あの金額は、会社という入れ物の値段です。社員に渡した分は、売る前に会社から出ているので、この値段にはもう入っていません。残りは、株を持っていた三人で分けます。分けた後で、それぞれに税金がかかります」姉が口を挟んだ。「知ってる。社員に配ったってやつでしょ。テレビで言ってた」直さんは姉の方へ頷いた。「社員は四十人いました。古い人は十年。一緒にやってくれた人たちです。会社を売る前に、その人たちへ特別な賞与を出しました。会社から出せば、税の手続きは会社がやってくれます。もらう側に何もさせずに済むので。売る前に会社の金を動かすので、買う側の了承ももらいました。その分、会社に残る金が減って、会社の値段も下がります。下がった分は、株を持っていた三人で、持っている割合分ずつ被ります。一番多く持っていたのは僕なので、一番多く減ったのも僕です」「なんで、そんなことするの?」姉が本気で聞いていた。理解できないという顔だった。直さんはその顔を見返した。「当時の代表が僕だったからです。辻本には反対されました。あいつの取り分も減りますから」そこで一度言葉を切った。「それに、仮に僕が三千六百万円を出したら、もらったレナさんに税金がかかります。贈与税は、もらった側が払うものです。その税金は、誰が出しますか?」姉が口を開いた。答えは出てこなかった。契約の日にも、佐岡さんが同じ説明をしていた。私がそれを知るのは、もっと後だ。姉は聞いてはいた。頭には入っていなかった。「尊いですね」直さんはあっさり認めた。「でも、六畳のアパートで机が二つしかなかった頃から一緒にいた人たちなので」姉の顔色が動いた。計算をしている顔だった。「じゃあ、残りは?」「言いません」姉が声を上げた。「なんでよ」直さんはまっすぐに姉を見た。「金額を言った瞬間、その数字と結婚したい人が出てくるので」座敷が浸透した。姉の視線が、直さんの顔から畳へ落ちた。直さんは声の高さを変えなかった。「僕が一度、そういう目に会っているというだけの話です。誰かを疑っているわけではありません」直さんは湯飲みを持ち上げて、一口飲んだ。「それに、あの六十億は、僕が受け取ったわけではありません。そして、どちらにしても、レナさんの取り分になるお金ではありません」言い方は穏やかだった。穏やかな逃げ道がなかった。姉が絞り出した。「私は、私はただ、元は自分の話だったって言ってるだけで」「元は、大久保さんが持ってきた話です」直さんは言った。「あの話は、僕のものでも、レナさんのものでも、お父様のものでもありません。会うかどうかを決める権利が、それぞれにあっただけです」そして、こう続けた。「レナさんは、その権利を使いました。会わないと決めた。それは自由です。だから、今、取り消してるんじゃない。取り消せません」直さんの声が、そこで初めて硬くなった。「レナさんが断った日、僕は断られた側にいました。断られた側には、断られたという事実が残ります。それは、後から消せるものではないんです」姉が息を飲んだ。「みささんは、権利を持たないまま座らされました。それでも、三度目に、自分で決めました。改札の前で、僕に言いました」私の胸の奥が熱くなった。直さんは私の方へ手のひらを向けた。「僕が結婚したのは、みささんです」姉は今度は言い返さなかった。口を半分開けたまま、座卓の一点を見ていた。反論を探しているのではなく、探し方が分からなくなっている顔だった。姉が生きてきた世界には、「断る」という行為に代償がなかった。いらないと言えば、次が来る。次が気に入らなければ、またいらないと言えばいい。その世界で三十五年やってきて、初めて帰ってこないものに触れたのだと思う。
父はまた畳に目を落としていた。母は湯飲みを両手で掴んで、指先だけ動かしていた。父がぽつりと言った。「私はな、みさ」「うん」「お前のためを思って、持っていったんだ」出た、と思った。この家では、最後にいつもこれが出る。誰かに何かを強いた後、強いた側がそう言う。そう言えば、強いた側は反論しにくくなる。「お父さん」「なんだ?」「私のためだったら、私に聞いてくれればよかったよ」父は答えなかった。「一回でいいから、嫌かどうかだけでも」父の肩が下がった。その時は、父を憎めなくなった。憎めなくなっただけで、許してもいない。この二つは違う。
松おさんがゆっくりと言った。「かえさん、あんた、あの時、私に電話をくれたわよね」母が肩を震わせた。松おさんは湯飲みに手もつけなかった。「事情のある方だから、レナにはねって」「お姉さん、あんた、レナに話が来たって、前の日に触れ回ったわね。それで、次の日にはなかったことに」「母の口が動いた。声にはならなかった。「一晩よ。たった一晩で、会ってもいない人が、事情のある方になったのよ」母は答えなかった。松おさんは声を落とした。「それを聞いた時、私は何も言わなかった。それも、私の落ち度よ」松おさんは私を見た。「みさちゃん、ごめんね」私は首を振った。「おばさんが謝ることではない」それでも、この家で謝った人は、その日、松おさんが最初だった。
私は膝に手をついた。ずっと言えなかったことを言うために、立ち上がった。立った私に、全員の顔が上がった。私は座敷の前に立ったまま、母を見た。それから父を見て、最後に姉を見た。「昔から、そうだったよね」声は震えていなかった。「お父さんとお母さんは、お姉ちゃんには価値のあるものを渡して、私には残りをよした」母が「そんなことないでしょう」と言った。私は続けた。「進学は、お姉ちゃんが親のお金で私立の大学。私は奨学金で専門学校。あれは、うちの事情が」「振り袖は、お姉ちゃんが誂えて、私がレンタル」「あんた、そんな昔のことを」「就職の席で、私は『器量がお姉ちゃんほどじゃないから、手に職を』って言われた」母がまた口を開きかけた。私は先に言った。「今も、そんな昔のことって言おうとしたよね。去年の夏、私の教科書が出てきた。お母さんは三秒見て、『捨ててよろしいんですか』って言った。お姉ちゃんの机は、落書きがあるから懐かしいわねって残した。それは、置く場所が」「あれは、昔じゃない。去年だよ。捨ててって言われた箱を持って帰ったのは、直さんだった」母の言葉が続かなかった。「全部覚えてる。順番も覚えてる」私は一度息を吸った。「でも、今回だけは違った」母が湯飲みを持ったまま、動かなくなった。「今回だけは、いらないって捨てられたものが、私のところに来た」父がこちらを見た。私は父から目を離さずに言った。「この家が外れだと思って押し付けた人が、私の人生で一番大切な人になった」言ってしまうと、思ったより静かな気持ちだった。姉が何か言おうとした。母がその腕を掴んで止めた。今度は姉も振り払わなかった。私は座り直した。「それで、お金のことだけど」父の肩がびくりと動いた。私は先を言う前に、隣を見た。「直さん」「はい」「決めていい?」直さんは頷いた。「もちろんです」そして、こう続けた。「みささんが親御さんを助けたいなら、僕は止めません」その一言が、私にはありがたかった。この人は、私に代わって断るということをしなかった。断るのも出すのも、私が決めることにしてくれた。私は父と母の方へ向き直った。「二つに分けます」「二つ?」「病気とか、介護とか、本当に必要な時は出します。その時は言ってください。ただ、お金の前に、まず地域包括支援センターに相談します。市や町が置いている、お年寄りの相談窓口です。そこで要介護認定の申請をして、認定が出たら、使える制度を全部使う。足りない分の話は、その後です。順番はそれ。私が毎日そばで見てきたことだから、そこは私がやります」母が「あら」という顔をした。期待の顔だ。私はその顔に向かって言った。「その代わり、贅沢のためのお金は、一円も出しません」母の表情が止まった。私は続けた。「マンションも、相談所も、法事の会場も、車も、旅行も、全部そっちです」「ちょっと待ちなさいよ。あんた」「待たない」私は母の言葉を途中で遮った。二年前の私にはできなかったことだ。「私は二十三歳から、もう八年以上、月三万を出してる。この前、通帳を最後まで数えてみた。ちょうど百回で、三百万円です」父が「そんなに」と言った。父も母も、毎月の三万は知っていても、八年分を足したことは一度もなかったのだと思う。私は母を見た。「去年の夏、お母さんは私に仕送りを五万にしてって言ったよね。お父さんの給料が下がったからって」母が口を開きかけた。私は先に続けた。「相談所の更新料も、半分出してって言った。私が断った後、あれはお母さんが出したんでしょう」母は答えなかった。私はもう一つ並べた。「うちにはお金がないと言っていた人が、お姉ちゃんの手付けには百五十万出した。老後の蓄えからって、さっき言ったよね」母の目が泳いだ。父は畳を見たままだった。「うちにお金がなかったんじゃない。私に回す順番がなかっただけだよ」私は父と母を交互に見た。「三万は、これからも続けます。増やしません。でも、それはお父さんとお母さんが年を取るからで、お姉ちゃんが部屋を買うからじゃない」母の唇が動いて、そこで止まった。「なんで、そこまで決めるの?」母が言った。「決めなきゃいけないから」「家族なのに」「家族だから、決めるんだよ」私は母の顔を見た。この人は、線を引かれたことが一度もない人だった。父も姉も、母の言う通りにしてきた。私もそうしてきた。「お母さん、私、出してたよね」「出してもらったわ」「じゃあ、聞くけど、私が出さなくなったら、お父さんとお母さんはどうなるの?」母が口を閉じた。「困る?」「困るわよ」「じゃあ、困らないようにする。だから、増やさない」母は分からないという顔をした。増やさないことが助けになるという理屈が、母の中にはなかった。私は仕事のことを思い出していた。春が丘園では、ご家族と面談した後の土屋さんの話を、休憩室で何度も聞いてきた。「逃げない度、出せる人と出せない人。線を引かないと、家族の方が先に壊れる」と、土屋さんはいつも言っていた。自分の家で、私はその線を引かなかった。引かなかったから、要求は毎年大きくなった。言っておかなければならないことが、まだ残っていた。「その上で、こっちからも一つだけ。大久保さんに、本当のことを言ってください」父の顔が青くなった。私は父に向き直った。「『是非に』って言ったのは、私じゃないって。それだけ」「それを言うと」「言うと、どうなるの?」父は答えなかった。答えなくても分かった。顧問の話が消える。「お父さんの都合と、私の名前と、どっちが大事か決めて」それだけ言って、私は口を閉じた。私が大久保さんに言いに行くこともできた。でも、それでは私が父の後始末をしに行くことになる。あの返事を書いたのは父だ。取り消すのも、父がやることだ。
そこまで黙っていた姉が、小さな声で言った。「私には?」私は姉を見た。「なんで?」姉が顔を上げた。「なんでって、手付け二百万入れてるんだよ。残り払えなかったら、部屋戻ってこないんだって。そうなったら、終わりでしょ」姉が叫んだ。私は姉の目を見た。二年前、この人はプロフィールを指で弾いた。あの時と同じ目だった。人を見ていない目だ。「お姉ちゃん、何よ? あの縁談、私に譲ってくれたんだよね」姉が目をそらした。答えは帰ってこなかった。「そう言ってたよね。座敷でも、電話でも」姉は何も言わなかった。言えるはずがなかった。譲ったと言えば、それは自分から手放したことになる。いらないと言っただけだと認めれば、今度は権利の話が消える。どちらを選んでも、姉の負けだった。姉は自分の言葉で、自分の逃げ道を塞いでいた。私はゆっくりと息を吐いた。「譲った人は、返せとは言わないよ。だから、最後まで譲ってくれていいよ」姉が畳に手をついた。それきり、姉は最後まで顔を上げなかった。
私は座卓の上の給与明細を見た。直さんはそれを丁寧に折りたんで、底板の下へ戻した。レシートの束を上に入れ、蓋を閉めた。カタンと軽い音がした。「失礼します」直さんが頭を下げた。私も下げた。玄関で靴を履いていると、松おさんが追いかけてきた。「みさちゃん」「はい」「大根、取りに来なさい」それだけだった。私は「うん」と答えた。
帰りの電車は空いていた。座った途端、直さんが小さく息を吐いた。「疲れました」「そうだよね」「人の家で話すのは、緊張します」「よく我慢したね」直さんは窓の方を向いた。しばらく黙っていた。「一度だけ、腹が立ちました」「いつ?」「レナさんが、離婚すればいいと言った時です」私は隣の横顔を見た。「あの時、僕はみささんの顔を見られませんでした。見たら、多分何か言っていたので」この人は怒らないのではなかった。怒らないと決めているだけだった。直さんは金庫の袋を膝に抱え直した。そのまま、二駅も行かないうちに眠っていた。私は窓の外へ目をやった。夕方の光が差していた。胸が空いたかと聞かれたら、多分違う。私が取り戻したのは、金でも勝ちでもなかった。二年前、あの台所で言った。「分かった」あれは承知したのではなく、黙るための一言だった。この日、私はそれをようやく自分の言葉で言い直した。それだけのために、ここまでかかった。
そこから先のことは、後から聞いた話が多い。マンションの契約は、その月のうちに解約になった。姉が販売の佐岡さんに電話をして、やめたいと言ったそうだ。佐岡さんはもう一度、きちんと説明したという。「買主の都合による解除なので、預かった手付け金二百万円は返せない。契約の時に説明した条件です」と。姉は電話口で「聞いてない」と言ったそうだ。あの座敷では、残りを払えなければ戻ってこないと、自分の口で言っていたのに。「契約の時にご説明した条件です」と、佐岡さんはもう一度言った。その後、姉は泣いたらしい。佐岡さんは最後まで声を荒げずに、書類の手続きを案内した。二百万円のうち百五十万円は、父と母が出した金だった。老後のための蓄えから出した金だ。それが、何の代わりにもならず、何も残さずに消えた。母はそのことで姉を責めた。姉は母を責めた。「あんたが煽ったんでしょう」と。私はどちらにも呼ばれたが、行かなかった。
姉のマンションのことで、一度だけ直さんに聞かれた。「二百万円は、大きいですか?」「大きいよ」「出したいと思いましたか?」私は考えた。「思わなかった」「そうですか」「思わなかったことに、ちょっとほっとしてる」直さんは何も言わずに、味噌汁をついだ。私は自分が冷たい人間になったのではないかと、その頃何度か考えた。答えは出なかった。ただ、出さないと決めた後の夜は、よく眠れた。
近所にも伝わった。母が庭で「仕事してないのよ、この人」と言った日に、曖昧に頷いた三人がいた。そのうちの一人が、母に直接聞いたそうだ。「テレビで藤代さんというお名前が出ていたけれど、あの方じゃないの」と。母が何と答えたのかは、おばも知らないと言った。松おさんは、あの日の座敷のことを自分から言って回りはしなかった。「触れ回るのと、聞かれて答えるのは別よ」そう言っていた。聞かれた時には、作り話でごまかさなかった。そうしているうちに、親戚の間で話が固まった。「レナちゃんは、無職だと言って断った。断った相手が、実は会社を作った人だった。そうしたら、今度は権利があると言い出した」姉が一番恐れていたのは、多分金を失うことではない。人からどう見えるかだ。姉はその日から、法事にも集まりにも顔を出さなくなった。年明けすぐに済ませた十三回忌にも、母の誕生日の席にも、まだ来ていた。中忌は会場を取らず、実家の座敷にお寺さんを呼んで茶を出しただけの法事だった。母はそれきり、会場費のことを口にしなかった。
そして、大久保さん。父は結局、自分からは切り出さなかった。行ったのは、松おさんだ。親戚には触れ回らなかった人が、大久保さんのところへだけは、自分から出向いた。年が変わる直前、あの座敷であったことを全部話したという。大久保さんは黙って聞いて、最後に一言だけ言ったそうだ。「そうか。『娘が是非にと申しております』というあの一文は、やはりあの子の言葉じゃなかったんだな」父の顧問の話は、その後、誰からも出なくなった。父は四月に定年を迎え、そのまま会社を離れた。父からその報告の電話が来た時、私は何も言えなかった。父は何も言わなかった。ただ、最後にこう言った。「大久保さんには、私からも話した。松姉さんの後で」「そう」「遅かったがな」「遅かった」父が自分でそう言ったのは、初めてだった。
仕送りは、その月からも同じ額を振り込んでいる。やめようかと思ったことはある。やめれば楽になる。でも、やめなかった。やめないと決めたのは、父と母のためではない。私が八年やってきたことを、腹立ちで終わらせたくなかったからだ。八年分の三万は、あの家に取られたものではなく、私が出したものだ。そう思えるうちは、続けようと思った。ただし、金額は上げない。使い道も聞かない。頼まれても、贅沢の側には一円も出さない。線を引いたのは私だ。引いた線を守るのも私だ。
春が終わる頃、実家からの電話は月に一度になった。あの座敷の日から、季節が三つ変わった。姉は相談所をやめたという。母が去年出した更新料は、途中でやめた分が精算されて、いくらか戻ったらしい。今は実家で、母と二人で老後の計算をやり直している。母から一度だけ電話があって、その話をされた。私は聞くだけ聞いて、金額の話になる前に切った。父は今、週に二日、近所のスーパーの警備に出ているそうだ。松おさんの話では、案外楽しそうらしい。「朝が早いのが合ってるみたいよ」松おさんはそう言って笑った。
姉から連絡が来たのは、一度きりだ。夏の終わりに、短いメッセージが届いた。「元気?」それだけだった。私は返さなかった。意地ではない。返す言葉が、本当に浮かばなかった。一年経ったら浮かぶのかもしれない。三年かかるのかもしれない。それは、その時の自分が決めればいい。
その松おさんからは、季節ごとにダンボールが届く。夏はナスとキュウリ。秋は大根と里芋。中に新聞紙が丸めて詰めてあって、いつも折り込みの広告が一枚混ざっている。直さんはそれを毎回楽しみにしている。「今回はスーパーの広告です。卵が九十八円だそうです」「うちの近所じゃないよ」「知ってます。見るだけです」
私は春が丘園で働いている。夜勤は月に四回。菅田さんは九十二歳になって、まだ私の足音を覚えている。先日、菅田さんの娘さんが面会に来た。言うことを一度も聞かなかったと、菅田さんが言っていた、あの娘さんだ。帰り際、廊下で私に頭を下げた。「うちの母が、いつもみささんの話をするんです。私の足音が違うって」私はその場で何と答えたか、覚えていない。頭を下げ返して、廊下を戻った。歩きながら、あの秋の夜勤の暗がりで聞いた言葉を思い出していた。「言うことを聞かなかったから、いい子に育ったのよ」菅田さんはあの時、自分の娘の話をしていた。私は今、それを自分の話として聞いている。記録を書く机に戻って、私は泣いた。名前を呼ばれる場所が、私にはある。九年かけて、自分で作った場所だ。誰かに譲ってもらったものではない。
記録のソフトは、結局そのままだった。入れ替えの話は、立ち消えになった。土屋さんは「慣れた方が楽よ」と言っている。画面の隅の名前を、私は毎日見る。もう、模様には見えない。土屋さんには、去年の冬の話だけしてある。家族に断ったという、あの話だ。それ以上は言っていない。あれからどう、一度だけ休憩室で聞かれた。「眠れてます」そう答えると、土屋さんは「上等よ」と言った。
直さんは、無職のままだ。米を研いで、洗濯機を回して、本を読んで、夕方に散歩へ出る。松おさんの畑を見に行ってから、ベランダでネギを育て始めた。育て方が悪いと言っては、真剣な顔で土を触っている。テレビに出ていた辻本さんから、年に一度だけ連絡が来るらしい。会社の様子を知らせてくるのだそうだ。直さんは短い返事を打って、それきりにする。「戻りたくならないの?」一度そう聞いたら、こう返ってきた。「あそこは、もう辻本の会社なので」そういう顔はしていなかった。
金庫は、まだ寝室の隅にある。先週のことだ。私は日勤から帰って、冷蔵庫を開けた。卵がなかった。「夕飯の買い出しに行ってくるね」台所から直さんの声がした。「お願いします。今日はブリが安いはずです」私は財布を持った。玄関で靴を履いていると、直さんが顔を出した。「じゃあ、金庫の小銭に」「財布に三千円あるから、大丈夫」直さんが首をかしげた。「足ります。特売日だから、余裕」そう答えると、直さんが笑った。あの日と同じ笑い方だった。「じゃあ、豆腐もお願いします。半額のがあったらね」私は玄関を出た。いくらあるのかは、今も聞いていない。聞かないと決めたのは、私だ。外は秋で、どこかの家の金木犀が匂っていた。実家の庭にあるのと同じ木だ。父が植えた木だと、子供の頃に聞いた。私が生まれた年に植えたのだそうだ。それを教えてくれたのは、母ではなく松おさんだった。その話は、私が今でも大事にしていることの一つだ。帰ったら、ブリのあらができているはずだ。二人で食べて、明日の話をして、九時には寝る。それだけの日が、この二年で一番欲しかったものだった。
姉は、仕事のない私の夫を「外れ」だと思った。お金を持っていると分かった途端、今度は「当たり」だと言った。でも、私が好きになったのは、札束を見てしまう前の、無職の夫だった。


