港町で漁師をしている俺、松尾誠治は41歳。仕事一筋で生きてきて、結婚どころか彼女すらいない。両親は早く結婚してほしいと思っているけど、その夢は叶えてあげられそうにない。父は3年前に病気で亡くなり、今は75歳の母と二人暮らしだ。
ある日、漁師の仲間から噂を聞いた。少し前にこの町に怪しい親子が引っ越してきたらしい。30歳くらいの母親と5歳くらいの女の子で、ボロボロの格好をしているという。この町はスーパーもコンビニも少なく、働く場所も限られている。子育てに適しているとは言えない場所に突然やってきた親子に、俺は不思議な感覚を覚えた。
それから数週間後、俺がいつもより早く海に出る準備をしていると、その親子を目撃した。母親らしき女性が娘を抱きかかえ、今にも泣き出しそうな表情で叫んでいる。
「誰か助けてください。私の娘を助けてください。お願いします。ねえ、目を覚まして」
娘は全く反応しない。俺は緊急事態だと思い、すぐに駆け寄った。
「大丈夫ですか?すぐに病院に行きましょう。この町には大きな病院がないので、僕の船で案内します。早く乗ってください」
母親は驚きながらも船に乗り込んだ。俺はいつもよりスピードを出して隣町へ向かった。船が大きく揺れて母親の顔は青ざめていたが、必死に耐えていた。隣町の港に着くと、仲間が迎えの車を用意してくれていた。母親は何度も頭を下げていた。
「僕はここで待ってますから、診察が終わったら一緒に帰りましょう」
「そんなことまでいいんですか?本当にありがとうございます」
仲間が2人を病院まで案内し、診察が終わるまで付き添ってくれた。3時間後、治療が終わったと連絡が入った。俺は2人がお腹を空かせているだろうと思い、お弁当を用意して待っていた。
しばらくして仲間が2人を連れて帰ってきた。少女はさっきとは別人のように元気になっていた。
「おじちゃん、ありがとう。お医者さんに見てもらったよ」
「こら、まどか。まだそんなに走っちゃだめ。さっき先生からも言われたでしょ」
「なんでもうまどかは元気だよ」
「元気になってよかったです。まどかちゃんって言うんだね」
「そうだよ。お母さんはあ子。おじちゃんの名前は?」
「おじちゃんは誠治って名前だよ。よろしくね」
まどかは自己紹介すると元気に船に飛び乗った。あ子が頭を下げながら後に続く。肺炎になりかけていたらしいが、点滴をしてもらったら回復が早く、入院も不要だと言われた。
「これも全て誠治さんのおかげです。本当にありがとうございました」
「それなら良かったです。最初はどうなるかと思いましたけどね」
「それにしても、まどかの回復が早くてびっくりです」
「じゃあそろそろ帰りますか。あ子さんも疲れてますよね。今日はゆっくり休んでください」
こう言って俺は船を走らせたが、なぜか2人と一緒にいる時間がとても心地よくて、スピードを出すことができなかった。もっと2人のことを知りたいと思っていた。
すると、あ子が勇気を振り絞って言った。
「あの、まどかの体調が完全に戻ったら、一緒にお食事でもいかがですか?誠治さんが良ければですけど、お礼を兼ねて私が料理を作りたいんですが」
「え、いいんですか?それは楽しみだな」
「え、ママ、誠治おじさんが家に来てくれるの?まどか嬉しい。みんなで一緒にご飯食べたい」
やみ上がりにも関わらず、まどかはこれまで以上に元気になった。俺とあ子はそんなまどかを見て一緒に笑ってしまった。
しばらくすると港に到着し、次の約束をしようとしたが、あ子は携帯も持っていなかった。
「すみません。今は生活がギリギリで携帯も持っていないんです」
「そうなんですね。では次の日曜日のお昼にまたここで待ち合わせするのはどうですか?」
「次の日曜日のお昼ですね。わかりました。楽しみにしています」
「まどかも楽しみ」
「おじさんも楽しみにしてるよ。だから今はたくさんご飯を食べてゆっくり休むんだよ」
その後、俺たちは別れたが、俺の心の中はなんだかモヤモヤしていた。次の日曜日に約束できたのは良かったものの、なぜか2人のことが頭から離れない。仕事をしていても、家にいても2人のことしか考えられなかった。
そんな俺の変化に母はすぐに気づいた。
「誠治、何かあったの?悩み事なら母さんが聞くよ」
俺は母に、親子に出会ったことや病院に連れて行ったこと、そして数日後に一緒に食事をすることになったことを正直に話した。母に話したことで、心の中のモヤモヤが少し解消された気がした。
「あの親子はみんなが噂するような悪い親子じゃないと思うんだ」
「そういうならそうなのかもしれないね。それにしてもその親子も幸せだね」
「幸せ?」
「そうよ。だって誠治みたいな優しい人に声をかけてもらったわけでしょ。ひょっとしたら運命かもしれないよ」
「運命か」
あの時の出会いが運命なのかどうかは俺にもよくわからないが、次2人に会う時はもっとお互いのことを知ることができるように頑張ってみようと思った。
結局、約束の日までは仕事に集中できなかった。頭の中では毎日カウントダウンをしていた。そしてついに約束の日を迎え、待ち合わせ場所に向かうと、すでに2人が待っていて大きな海を眺めていた。
「遅くなってすみません」
俺がそう言うと、まどかが元気よく振り返った。
「誠治さん、こんにちは。まどかね、おじさんの言うことを聞いて、たくさんご飯を食べたらすぐに元気になったよ」
「そっか、それは偉いね。元気になって本当に良かったね」
「誠治さん、お久しぶりです。先日は本当にありがとうございました。おかげ様でまどかはこんなに元気になりました」
あ子の話では、あれから数日は微熱や咳が出ていたらしいが、俺に言われた通りご飯も一生懸命食べて、夜もいつもより早く寝るように頑張っていたらしい。その結果、まどかはすっかり元気になったが、看病疲れからかあ子の表情からは疲労が伺えた。
「きっとあ子さんも大変でしたよね。今日は時間を作らせてしまってすみません」
「いえ、私もまどかも誠治さんに会えるのが楽しみで今日まで頑張ってこれたんですよ」
ニコっと笑って話すあ子からは嘘や偽りは感じられなかった。
「そんなに大したものではありませんが、約束通り料理を作ったので是非来てください。ここから10分ほどで着きますので」
「ありがとうございます。僕もめちゃくちゃ楽しみです」
この後、俺はあ子とまどかに着いて行き、2人が暮らしているアパートに向かった。意外にも家から近かったが、2人が住んでいる家は決して綺麗とは言えないボロボロのアパートだった。女性が2人で暮らしていて、セキュリティ面は大丈夫なのかと心配になるほどだった。
「おじさん、びっくりした?私のお家ボロボロでしょ。でもね、まどかママと一緒だったらどこに住んでも幸せなんだ」
「そうだよね。ママと一緒だったらいつでも幸せだよね」
その後、俺は実家で母と2人で暮らしていることや、父が数年前に病気で亡くなったことなど、プライベートの話をたくさんした。
「僕は漁師って仕事が本当に大好きなんです。そのせいでもこんな年齢になっていたんですけどね。父も母の結婚を期待していたんだろうけど、その夢も叶えてあげられなかったです。でもやっぱり僕は仕事が大好きだから、これからも続けていくつもりなんですけどね」
「そうだったんですね。でも好きな仕事を続けられるのは素敵なことですよ。尊敬します」
俺たちはあ子の作った料理を食べながら色々な話で盛り上がった。まどかも自分の好きな食べ物や好きなキャラクターの話を楽しそうにしてくれた。
「まどかがこんなに明るくなったのはこの町に来てからのような気がします。正直生活自体はとても苦しいですが、これだけまどかの元気な姿を見ていると離婚して正解だったなって思います」
「離婚ですか?大変でしたね」
俺が自分のことを素直に話したせいか、あ子も自分の過去を教えてくれた。本来幸せなはずの結婚生活が辛く苦しかったということは彼女の話を聞いてすぐに分かったが、あ子は元旦那の悪口を口に出さなかった。
「離婚は正しい判断だったと思います。でも結婚したからこそ私はまどかに出会うことができた。だから今でも感謝の気持ちは忘れていません」
俺が朝子の立場だったら、自分と子供にひどい目に合わせた元旦那に感謝なんてできないだろう。しかしあ子はそうじゃなかった。俺は話せば話すほど彼女の魅力に惹かれていき、のめり込んでしまいそうだった。
「あの、もしよかったらこれからもこうして一緒に食事をしたりお出かけしたりしませんか?この町については僕の方が詳しいと思うので、いい場所をたくさん紹介しますよ」
「もちろんです。これからも仲良くしてください。よろしくお願いします」
あ子はニコっと笑ってそう言ったのだが、その直後彼女は真剣な表情になった。
「どうかしましたか?」
「話してみると楽になったりするので、僕でよければ話してください。どんな話でも真剣に聞くので」
あ子は黙り込んで何かを迷っていたが、しばらくすると俺に悩みを打ち明けてくれた。
「実はまだ仕事が見つかっていなくて、この町に来た頃は工場でアルバイトをしていたのですが、ここ最近まどかの体調が悪かったためしばらくの間休みをもらっていると、バイトを首になってしまったらしいんです。そして今は新しい職場を探すのに必死で」
「なるほど。事情は分かりました。では僕の仕事をお手伝いしていただけませんか?実は今1人で漁業をしていて、僕も求人を出したかったくらいなんですよ」
「本当ですか?是非お願いします。できることなら何でもしますので」
こうしてあっという間にあ子は俺と一緒に働くことになった。しかしこのことを誰よりも喜んでいたのはまどかだった。あ子の手をギュッと握って。
「ママ、お仕事決まったの?よかったね。おめでとう」
「そうよ。すごく嬉しい」
涙を流しながら喜んでいるあ子を見ていると、きっと俺が思っていた以上に苦しい状況だったのだろう。しかし、あ子の仕事を手伝ってもらうとなると、そこらで働くのとは時間帯も全然違う。仕事が終わる時間が早い分、それだけ朝も早い。そんな時、俺の頭には母の顔が浮かんできた。
「あ、そうだ。あ子さんに俺の母親を紹介したいんだ。もしよかったら会ってもらえないかな。あ子の仕事って朝がかなり早いから、まどかちゃんが1人でいるより母が見ていた方が安心できるかなって」
「誠治さんの提案は非常にありがたいですが、お母様にご迷惑じゃないですか?」
「母は事情を話せばちゃんと理解してくれる人だから大丈夫ですよ」
そして俺はその日のうちに母にあ子とまどかのことを紹介することにした。
「あ、母さん。ちょっと母さんに紹介したい人がいるから、今からその人を家に連れて行ってもいいかな」
「ええ、大丈夫よ。待ってるわね」
そして俺たちは家に向かった。
「母さん、ただいま」
「誠治、お帰り。あら、この方たちが紹介したいって言っていた人たちかしら。まあ、なんて可愛いの」
「そうなんだ。こちらが俺の仕事を手伝ってくれることになったあ子さん。それでこの子があ子さんの娘さんで、まどかちゃん」
「初めまして。あ子と申します。突然お邪魔してしまって申し訳ありません」
「おばちゃん、こんにちは。まどかです」
「もしかしてこの方たちがこの前話していた2人なのかしら。会いたいと思っていたのよ。とっても嬉しいわ」
まどかはニコニコと笑っていたが、あ子は申し訳ない気持ちが強いのか、若干顔が強張っていた。
「あ子さん、大丈夫ですよ。母さんは普段からこんな感じだから心配しないでください」
「そうなんですね。でも本当に優しそうなお母様で羨ましいです」
そして俺は早速母に本題を話した。来週からあ子に仕事を手伝ってもらうことと、その間まどかのことを見ていて欲しいということを伝えると、母は嫌な顔1つせず俺の頼みを受け入れてくれた。
「もちろんいいわよ。こんなに可愛い子と一緒にお留守番できるなんて、私の方が楽しみだわ。まどかちゃん、これからよろしくね」
「え、おばちゃんと一緒にお留守番できるの?まどか嬉しい」
「迷惑をかけないようにちゃんと言うことを聞くのよ」
「はーい」
話は想像以上にスムーズにまとまり、1日でも早く働きたいというあ子の希望もあって、翌日から一緒に海に出ることが決まった。それに安心したのか、あ子は再び目に涙を浮かべ、何度も母に頭を下げていた。すると母はあ子のことをぎゅっと抱きしめた。
「そんなに気にしなくていいのよ。これからまどかちゃんのことは私に任せなさい。そしてご飯もここで一緒に食べましょう。今まであなたたちに何があったのか知らないし、聞くつもりもないけど、こうやって出会えたのも何かの縁なんだから、これからは一緒に楽しく過ごしましょうね」
「はい、お母さん。ありがとうございます」
ここ数年人の優しさに触れていなかったあ子は、母のぬくもりを感じて涙を流していた。
「ママ泣かないで。まどかもいい子で待ってるから」
「まどか、ありがとう。誠治さんもお母さんもありがとうございます」
翌日からあ子が手伝ってくれることになり、思っていた以上にあ子が頑張ってくれたので、俺の負担は随分軽減された。
「漁師のお仕事ってこんなに大変なんですね。改めて誠治さんのことを尊敬します」
「いやいや、そんなことはないですよ。でもあ子さんの頑張りには本当に助かっています。ありがとうございます」
気がつくと俺たちは2人で仕事をする良きパートナーになっていて、息もぴったり合うようになった。
「あの人って例の女性だよな。まさか誠治が雇うことになるなんてな。でもなんかお前たちお似合いだな」
「そうです。みんなが噂していた女性です。とても頑張ってくれていて、僕自身かなり助かっているんですよね」
そして俺は彼女の仕事への姿勢だけでなく、その人柄にも惹かれていった。俺はいつしか「俺ってあ子さんのことが好きなのか?」と思うようになり、いつかあ子とまどかを支えられるような男になりたいとさえ思うようになっていた。
「よし、今日の仕事は終わり。帰って一緒にご飯を食べましょうか?」
「はい、わかりました。でも今日はちょっとスーパーに寄って帰ってもいいですか?いつもお母さんに料理を作ってもらってばかりなので、たまには私もお母さんに料理を作ってあげたいなって」
「そんな気を使わなくていいのに。でもきっと母さんも喜ぶよ。ありがとう」
いつも家では母とまどかが楽しそうに俺たちのことを待ってくれている。今までの俺なら仕事が終わってもいつまでも船の上でだらだらと過ごすことが多かったが、まどかの笑顔が見たいという一心で少しでも早く家に帰りたいと思うようになっていた。
そして俺はいつあ子に告白すべきなのか本気で考えるようになった。仕事をするだけでなく買い物に行くのも食事をするのも常に彼女と一緒で、俺にとってそれが当たり前になりつつあった。夫婦でもなければ彼女ですらないのに、気持ちだけが先走ってしまう。
スーパーから家に向かう途中、俺はどうしても我慢ができなくなり、彼女に気持ちを伝えることにした。
「あ、あの、突然こんなことを言ったらびっくりすると思うんですけど」
「え、いきなりどうしたんですか?」
「その、なんていうか、僕気づいたんです。あ子さんが僕にとって大切な存在になっているなって。もちろんまどかちゃんのことも大切です。まだまだお互いのことを知る必要はあると思うんですけど、いつかあ子さんとまどかちゃんと家族になりたいなって思っています」
俺の告白にあ子は目を丸くして驚いていた。しかし、あ子の表情を見る限り感触は良さそうだった。最初こそ驚いていたが、その後は顔を赤くして嬉しそうにしていた。
「実は私も誠治さんのことが素敵だなって思っていました。もし今後人のことを好きになるなら、絶対に真面目で真っすぐな人がいいなって思っていました。誠治さんはまさにそんな人で、だから私も誠治さんと同じ気持ちです」
なんとあ子は俺の告白を受け入れてくれたのだ。
「帰ったらお母さんとまどかに報告しないといけませんね」
「そうですね」
そして俺たちは家に帰り、笑顔で迎え入れてくれた2人に早速さっきの出来事を報告した。
「母さん、まどかちゃん、ちょっと話があるんだ」
「誠治、いきなりどうしたの?」
「ひょっとしておじさんがまどかのパパになるって話じゃない?絶対そうだ。ママも嬉しそうな顔をしているもん」
まだ何も言ってないのに、まどかちゃんには全てお見通しだった。どんな時もあ子のことを見てきたまどかは、あ子の表情1つで何があったのかを予想できるらしい。
「まどかちゃん、鋭いな。実はさっき僕からあ子さんに家族になりたいって伝えたんだ」
「え、そうなの?それは嬉しいね。あ子ちゃんが私の娘になって、まどかちゃんは私の孫になるってことね。そんな幸せなことないわ」
「はい。お母さん、これからもよろしくお願いします」
そしてこの日は俺たち家族にとって特別な日になった。母は泣いて喜んでいたし、まどかは大喜びだった。俺とあ子はなんだか照れ臭くて、お互い顔が赤くなっていたと思う。その場にいた全員がそれぞれの反応を見せていたが、きっと思っていることは同じだっただろう。
そしてまどかが小学生に上がるタイミングで、俺とあ子は入籍した。俺と母が暮らしていた家に2人が引っ越してくることになり、4人での賑やかな生活が始まったのだ。
元々は怪しい親子と噂されていた2人だが、俺にとっては掛けがえのない存在だった。まだまだ俺たちの新しい生活は始まったばかりだが、俺は心に誓っていることがある。これまで支えてきてくれた母と、そしてあ子とまどかのことは、何があっても俺が守り抜くと。



