「やっぱみんなでゴルフ行く。全員周義なしでごめん。」…

「やっぱみんなでゴルフ行く。全員周義なしでごめん。」...

「やっぱみんなでゴルフ行く。全員周義なしでごめん。」

私は耳を疑った。隣で父も目を丸くする。主品の専務が結婚式をドタキャンするなんてありえない。いくら私のことが嫌いでも、ここまでする必要があるのか。怒りのあまり拳に力が入る。

「わかりました。では失礼します。」

通話を終了すると、隣で父が顔をしかめる。

「だってお父さん……」

私は鏡に向かい、ゆっくりと不敵な笑みを浮かべた。その時、父が小さくつぶやく。

「了解。契約破棄で。」

戸惑う私をよそに、彼は恐ろしい形相でスマホを手に取る。そして誰かに電話をかけながら控室を後にした。

その翌日、会社は大騒動となる。なんと共同開発の話を進めていた大手総合デベロッパーから契約破棄を告げられたのだ。私と専務は社長に呼ばれ、急いで応接室へと向かった。中にいたのは、その大手デベロッパーの社長。事実を知った途端、専務の顔が真っ青になった。

私は小原なつみ、26歳。とある建設会社の技術営業部に勤務している。会社の規模は小さいものの、地域密着型で業績は悪くない。入社して今年で4年目。まだまだ若手ではあるが、毎日懸命に仕事に励んでいる。

うちの会社は環境に配慮したサステナブル建築が得意だ。環境負荷の低い素材を採用したり、高断熱・高気密な住宅を建設している。私が入社したいと思ったきっかけも、地球環境に貢献する会社の取り組みに感動したから。将来性と実績を兼ね備えているこの会社で働きたいと、強い希望を持ったのだ。

小規模だからこそ社員同士の繋がりは強い。上層部とも頻繁に顔を合わせる、いい会社だ。仕事にもやりがいを感じ、充実した日々を送っている。

そんな私は先日、交際している彼氏と婚約した。彼は2つ上の会社員、広田大機。大機とはある取引先の担当者だった。仕事で出会ったため、最初はプライベートの話など一切しなかった。だが、ある日、大機から突然食事に誘われる。

「小原さんの仕事に対する姿勢に憧れまして、もしよければ今度ゆっくりお話ししたいなと。」

彼は私の仕事ぶりを見て、その真面目さに惹かれたという。2人での食事は緊張したものの、大機とは不思議と話が弾んだ。

「俺、今の仕事が大好きなんです。上司や先輩みたいにもっと会社に貢献できるよう頑張りたい。」

「その気持ち分かります。私も先輩たちに何度も救われてきたから、早く一人前になりたくて。」

ゆっくり話すうちに分かったが、彼はすこぶる仕事熱心で努力家だった。そんな誠実な大機に惹かれ、出会いから半年後、私たちは交際を開始。そして1年目の記念日に、彼からプロポーズされたのだ。

「なつみとならきっと幸せな家庭を築けるはずだ。俺は君をこれからもずっと支えていきたい。だから俺と結婚してくれませんか?」

「私もずっと大機と一緒にいたい。是非結婚しましょう。」

先日、義両親にも挨拶に伺ったが、2人ともいい人だった。私を温かく迎え入れ、結婚にも大賛成してくれた。彼らだけでなく、義両親とも家族になれて嬉しく思う。その後、私も大機を家族に紹介した。

「お父さん、私、大機と結婚しようと思うの。」

「そうか。なつみが結婚か。」

挨拶の日、父は私たちを見て目を細めた。そんな中、大機が真剣な表情を浮かべる。彼は緊張しているのか、声が震えていた。

「俺、なつみさんを必ず幸せにします。ですので……」

「そんなに硬くならなくていい。大君、どうか娘をよろしくお願いします。」

大機に向かって深々と頭を下げる父。そんな姿を見て、私は胸が熱くなった。

私は小学生の頃、母を亡くした。それ以来、母方の祖父母が育ててくれた。母の死後、父は私を引き取ろうと考えていた。しかし彼は仕事が多忙で、しょっちゅう家を空ける。母が生きていた頃、父は毎日夜遅くに帰宅していた。彼の元に引き取られることとなれば、私は1人で過ごす時間が増える。家族で話し合った際、祖父母は「娘の遺志を私たちが育てたい」と告げた。2人は寂しい思いをさせないためにと、私を引き取ると決めたそうだ。父は悩みながらも、彼らに私を託した。

「なつみ、すまない。俺はいつだってなつみのことを思っているから。これからも時間があったら会いに来るし、何かあったらすぐに連絡してくれ。」

約束通り、彼は離れて暮らすようになっても頻繁に顔を見に来てくれた。子供の頃はよく2人で色々なところに出かけたものだ。父が養育費を振り込んでくれたからこそ、私は希望していた大学を卒業し、今の仕事につけた。だから私にとって、祖父母も父もどちらも大事な家族だ。

「俺はなつみに寂しい思いをさせてしまった。母を失った時、本当なら父親である俺がそばにいるべきだったのに。」

父は未だに申し訳なく思っているのだろう。私に視線を送り、困ったように笑った。

「なつみのためにもっとできることがあったんじゃないかと、今も後悔している。だからこそ、なつみには幸せになってほしい。」

そんな彼を見て、私は慌てて首を横に振る。

「何を言っているの?おじいちゃんたちのところに行ってからも、お父さんは私に会いに来てくれたじゃない。相談にも乗ってくれて、今でも感謝しているのよ。」

「なつみさんからお話は聞いています。とても頼りになる、かっこいいお父様だと。」

「そうか。なつみ、ありがとうな。大君、これからは君がなつみを支えてやってくれ。俺はなつみだけでなく、大君の力にもなると約束するから。」

私たちの言葉に目を潤ませ、父が優しく微笑む。祖父母も挨拶の際、一目見て大機を気に入り、私たちの結婚を大いに祝福してくれた。当然、結婚式には3人とも出てもらう予定だ。大切な家族に感謝を伝えられる場にしたい。今、大機と2人で結婚式について色々と考えている最中だ。

私は結婚を控え、幸せの絶頂にいた。

ただ、最近職場での人間関係に少し悩んでいる。うちの会社は小規模ゆえに上層部との距離が近い。そんな中、専務が女性を見下しているような発言を繰り返すのだ。入社当時はさほど気にならなかった。

「小原さん、特に悩みはない?先輩ともうまくやっている?」

近い存在である私を心配して、時折り声をかけてくれていた専務。彼は現場を見守り、社員らとも定期的に面談をしていた。そんな専務を信頼していたのだが、3年目の頃から徐々に雲行きが怪しくなる。

「また契約取ったの?やっぱり女って愛嬌があればどうにかなるもんな。もっと先輩たちみたいに実力で仕事しないと。」

「今は若いからいいけど、年取ったら大変だよ。」

私が契約を取るたびに、彼は嫌みを言うようになったのだ。自分なりに努力を重ねて成績を伸ばしたものの、専務は私の実力を認めてくれない。

「小原さんって仕事なめているでしょ。他の社員を見習った方がいいんじゃない?」

「舐めていません。私は先輩たちの背中を追いかけて、精一杯仕事をしています。この契約も、取引先の担当者を何度も説得して……」

「そりゃ若い女性がニコニコしていたら、おじさんは機嫌良くなるもんね。いい気になって契約しちゃう気持ちも分かるよ。でも俺は違う。小原さんがどれだけすごいってきても、特別扱いはしない。」

彼は厳しい目つきでこちらを睨みつける。私が先輩の成績を追い抜くことが増えたため、専務は面白くないようだ。何度か反論したものの、一向に彼の態度は変わらない。それどころか、日に日にひどくなっていった。

「小原さん、ちょっといい?」

ある日、資料を作成していると専務に声をかけられる。私の返答を待たず、彼はとある書類を押し付けてきた。

「これコピーしておいて。」

「今ですか?アポがあるので、そろそろ会社を出る準備がしたいのですが。」

「準備なんて大したことしないでしょ。どうせ笑ってれば契約は取れるんだろうし。」

「いや、でも……」

断ろうとしたが、書類を机に置いて足早に去ってしまう。他の社員は面倒だと思ったのか、私から視線をそらした。誰かに頼むつもりはなかったが、見て見ぬふりをされると、助けを求めることなんて到底できない。私は急いでコピーをし、その後すぐさま営業先へと向かった。

専務が雑用を押し付けるのは、毎回女性社員。彼は女性を馬鹿にしており、一番若手の私が特に標的になりやすかった。

「小原さんって社外の人間には愛想いいのに、俺たち社員には冷たいね。俺が態度を変えないからニコニコするのやめたの?」

お茶を頼んできたかと思えば、専務は好き放題を口にする。

「冷たくしているつもりはありません。誤解を与えたのなら、謝罪します。」

「誤解じゃないって。今も顔が怖いよ。女が生意気だと周囲からも嫌われるし、もっと社内でも笑顔見せた方がいいって。」

「わかりました。」

私はうんざりしながらも席を立ち、急遽室に向かおうとした。専務に反論したところで、彼が態度を変えることはない。黙って従った方が楽だと気づき、私はいつしか素直に言うことを聞くようになっていた。ただ、その時とある社員が声をあげる。

「専務、小原さんも他の業務があるんです。毎回彼女にばかりお茶汲みをさせるのはどうかと思いますが。」

彼女は川本愛花。私の5つ上で、入社当時からお世話になっている先輩社員だ。他の社員が知らん顔をする中、愛花だけは私をかばってくれた。

「小原さん以外にも社員はいます。どうして彼女だけに頼むんですか?」

「どうせ小原さんは暇なんだしいいじゃないか。それとも川本さんがやってくれるの?」

一瞬、笑みを潜めたものの、とっさに表情を戻した専務。彼はニタニタと笑いながら愛花に歩み寄った。

「川本さんにさせるのは悪いと思って、俺は小原さんに頼んだんだよ。」

「どうして私と小原さんの2択なんでしょうか。」

「そりゃ女性が入れたお茶の方が美味しいからな。」

悪びれることなく語る専務に、愛花が肩を落とす。私もバレないよう小さくため息をついた。

「お茶は女性の仕事ではありません。私たちが入れたところで、お茶の味は変わりませんし。」

「男が入れたお茶なんか美味しくないじゃん。俺は女性を褒めているんだよ。女性にしかできない仕事を頼みたくて。」

「お茶汲みは男性でもできます。そもそも小原さんより後輩の社員だっているんですから、性別関係なく若手社員全般に頼むようにしてください。」

「偉そうに。」

そう吐き捨てた途端、専務は若手の男性社員に声をかけた。そして不機嫌そうな様子で彼にお茶汲みを頼む。

「悪いな。うちの女性社員は生意気なやつばかりで。これだから最近の若い女は嫌いなんだよ。権利ばかり主張して義務を果たそうともしない。」

ぐちぐち文句を言いながら、専務はその場を立ち去った。

「愛花さん、すみません。助けてくれてありがとうございました。」

私は彼の姿が見えなくなったのを確認して、愛花に感謝を伝えた。彼女は呆れたように笑う。

「毎回なつみさんに雑用を押し付けるなんてありえない。私が社内にいる時は、なるべく止めるからね。」

「ですが、それだと愛花さんに迷惑をかけてしまうんじゃ……」

「気にしないで。そもそも専務の態度が変わらないのは、私たちの責任だし。」

頭を抱える愛花を見て、私まで気が滅入った。実は愛花は我が社の社長の娘なのだ。彼女は以前から専務の態度に問題があると、父親である社長に相談していた。しかし一向に状況が改善しない。専務は目上の人間に媚びを売る。社長は彼の本性に気づいていないのだろう。いくら日々の言動について報告しても、「専務も悪気があって言っているわけではない」とはぐらかされてしまうらしい。

「俺は他の社員と同様に小原さんにも指導しているだけです。そりゃ違ったことをしていたら厳しく言う時もありますよ。もしかすると女性だから少し傷つきやすいのかもしれませんね。」

専務は上手く言い訳しているのだ。そう、我が社において彼は社長の右腕のような存在だ。社長が不在の時や急にトラブルが発生した際、経営トップの代理として動いている。これまでの仕事ぶりからして、高く評価している社員も多い。長年うちで働いていることもあり、信頼されているのだろう。そのため専務はなあなあで済まされているに違いない。愛花は現状に頭を悩ませていた。

「どうにかして父にもことの重大さを分かってもらおうと思う。仕事ができる人だとしても、今の専務の態度は看過できない。私なりに対策して、再度相談するから。」

「ありがとうございます。」

彼女は私のため、そして他の女性社員のため、懸命に動いてくれている。その事実だけが救いだった。ただ、専務は愛花のことも気に食わないらしい。かと言って社長の娘だから、彼女にはあまり強く出れないのだろう。そのストレスをぶつけるかのごとく、私にばかり高圧的な態度を取ってきた。

「小原さん、ちょっとこっち来て。」

ある日、仕事のことで愛花に相談していた私を、急に手招きした専務。彼は2人きりになった途端、睨みつけてきた。

「社長の娘を味方につけてまで、俺に向かうつもりか?」

「何のことですか?私は川本さんを味方につけようとは……」

「知らばくれるな。小原さんの考えなんてお見通しなんだよ。社長にまで相談するなんて。だから若い女は嫌なんだ。」

専務は舌打ちすると顔をしかめる。以前から社長に色々と聞かれて、面倒に思っていたようだ。

「彼女を利用して、俺をどうにか追い出そうとしているのか。娘を使えば社長も火生してくれると思っているんだろ。」

「違います。川本さんは専務の言動に問題があると考え、自発的に社長に相談したんですよ。私がお願いしたわけでは……」

「何度も言っているだろう。今は若いから周囲に甘えられるが、いつか小原さんだっておばさんになるんだ。俺はお前のために厳しくしているんだから、余計な真似をするな。」

冷たく言い放ち、専務は去っていった。彼は自分の行動こそ正しいと思い込んでいるのだろう。社長から何を言われても、改心することはなさそうだ。そんな彼の姿を見て、私はふと肩を落とした。

専務はその後も相変わらずで、私のミスを必要以上に咎めたり、同僚らの前で馬鹿にすることもあった。

「小原さん、もう4年目だろ?こんな新人みたいなミスやめてくれよ。みんなだってそう思うよな。後輩だからって甘やかす必要ないぞ。むしろビシバシ教育しないとな。」

冷笑う専務を見て、気まずそうに目をそらす社員たち。彼らは後々フォローしてくれることもあるが、基本は知らないふりをする。自分まで専務に目をつけられるのが嫌なようだ。頼れるのは愛花だけだが、彼女に甘えるわけにはいかない。そんなことをすれば、また専務から嫌味を言われるのが目に見えている。私はただ黙って、彼からの嫌がらせに耐えていた。

すると、こちらが反抗しないからか、専務が次に乗り出す。彼は私が進めていた大型案件を自分の手柄にしようとしたのだ。

「会社にとって重要な事業だからこそ、若手には任せられない。専務である俺が担当する。安心しろ。」

今まで私はその営業先に何度も通って説得してきた。このタイミングで専務に奪われるのは、さすがに受け入れられない。

「せめて私が同行してもよろしいでしょうか?先方は私の説明を聞いて契約しようと決めてくれたんです。」

無駄だと分かっていても、私は彼に反論した。途端に専務の顔が赤くなる。

「俺じゃ信用できないとでも言いたいのか。ただのペーペーのお前なんかより、俺が言った方が営業先だって安心するだろう。」

「専務を否定したいわけではありませんが、私なりに慎重に話を進めてきたので……」

「小原さんじゃ経験が足りない。他の社員を連れて行く。後で引き継ぎだけよろしくな。」

問答無用で、彼は私を担当から外した。その後、指名された先輩社員は気まずそうに専務と同行する。私は自分の実力が評価されない会社に、少しずつ嫌気が差していた。仕事は好きだが、専務がいる以上、今後も馬鹿にされ続けるだろう。

「なつみさん、大丈夫?私から専務に伝えようか?社員の契約を横取りするのはおかしいって。」

愛花は状況を把握するや、私のために力になろうとしてくれた。しかし彼女に頼るのは避けたい。

「大丈夫です。私がなんとかするので。」

困っている時、必ず手を差し伸べてくれる愛花を、先輩として尊敬している。だからこそ、彼女と今後も働きたい。愛花は仕事においても優秀で頼もしい先輩だ。いつかは彼女のような社員になりたいという思いがある。専務の言動に不満を覚えるも、私は今の会社をなんとか続けたかった。

そんな中、私は着々と結婚式の準備を進めていた。大機と共に会場を選び、日取りも決める。そしてそろそろ招待状を渡すこととなった。ただ、私は職場の上司や同僚を呼ぶかどうか悩んでいた。

「大機も職場の人を呼ぶなら、私も呼ぶべきよね。」

お世話になっている愛花や部署内の先輩らは招待したい。そもそも招待客の人数は、新郎新婦互いにある程度揃えるべきだろう。しかし職場で招待状を渡すとなれば、専務もきっと気づく。彼を呼ばないわけにはいかなかった。

「ごめんね。俺はどうしても上司を呼ぶ必要があるから。」

「分かっているから大丈夫よ。今回は仕方ないし、専務も招待するわ。」

私は迷いながらも専務を呼ぶと決め、後日招待状を上司らに手渡した。

「へえ。小原さんって彼氏がいたんだ。やっぱりいつでも仕事をやめられるから、舐めた態度で働いているの?」

結婚すると聞いた途端、彼は声を上げる。こんな時まで嫌味を口にする専務に、私は呆れた。

「結婚しても仕事をやめる気はありません。今後もこの会社で……」

「いや、やめてくれてもいいんだよ。代わりなんていくらでもいるんだからさ。小原さんにしかできない仕事なんて一切ないしね。」

彼はケタケタと笑い、周囲にも同調を求める。

「お前らだってそう思うだろ。こんな生意気な社員、みんな手を焼いているよな。しかもご祝儀目当てで社員を招待するなんて。」

「無理に出席していただかなくても結構です。都合が合わないようでしたら、欠席でも……」

私はあくまでも礼儀として専務を招待しただけだ。嫌なら来なくてもいい。そう考えてやんわり伝えたが、彼は突然声を大きくした。

「何言っているの?もちろん行くに決まっているだろ。俺がやってやるから。」

「あ、ですが……」

「気にするなって。俺がスピーチをやってやるって言ってるんだ。断ったりしないよな。」

なんと専務は勝手に主賓をすると言い出す。社長からは先ほど予定が合わないため欠席だと伝えられた。順当に行けば専務にお願いすることになるだろう。つまり断るに断れない状況だった。

「ありがとうございます。是非お願いしますね。」

私はしぶしぶ専務に主賓を依頼することにした。ご祝儀のことをぐちぐち言っていたのに、なぜ自ら買って出たのか。妙に明るい表情だったのも気がかりだ。私は色々と不安になったものの、それ以上は触れなかった。

その後、他の社員にも招待状を手渡した。受け取るなり笑顔で祝福してくれた愛花。

「おめでとう。結婚式楽しみにしているね。」

「ありがとうございます。」

他の同僚の出席も確認でき、私は胸を撫で下ろした。ただ、その頃から専務がさらに仕事を押し付けてくるようになる。雑用だけではなく、彼の業務まで頼まれることもあった。

「小原さん、まだまだ仕事続けるんでしょう。じゃあ勉強のためにも、これやっておいてね。」

専務は返事も聞かずに私の机に書類を置く。時刻は定時直前。この仕事に手をつけたら、残業確定だろう。

「すみません。今日はもう難しいかと。明日でも大丈夫ですか?」

仕事量を確認して返答すると、専務は目を潜めた。

「甘えたこと言うなよ。今中にやってもらわないと困る。小原さんは4年目だよ。これくらいこなせないと……」

「ですが、私にも他の作業があって……」

「いいわけするな。そんなに仕事が嫌なら、辞表でもすればいいじゃん。小原さんなんていてもいなくても同じだって、前にも言っただろ。」

彼はきっと本格的に私を会社から追い出したがっている。ここまで嫌われている理由は分からない。だが退職させるために仕事を押し付けていることは明白だった。ただ、働き続けたいからこそ、専務の言いなりになるわけにはいかない。

「いてもいなくても同じなら、この仕事を私がする理由はないですよね。他の社員の方々でもきっとできるでしょうし、そもそもこれは専務の担当ですが。」

私は拳を強く握りしめて、異を唱えた。その瞬間、専務の顔が歪む。

「俺は小原さんを育てるために仕事を任せているんだよ。その反抗的な態度、いい加減直したらどうだ?彼氏にまで嫌われるぞ。」

「今、彼のことは関係ないかと。私は仕事の話をしていて……」

「とにかくこれやっておけ。俺は他の仕事で忙しいんだよ。」

彼は舌打ちを上げ、書類を置いたまま戻ってしまった。他の社員は自分の仕事に集中するふりをして、こちらを見向きもしない。そんな中、愛花だけが声をかけてくれる。

「専務の怒鳴り声が聞こえたけど、何かあった?」

彼女は休憩のため席を立っていた。しかし異変を察知して、急いで戻ってきてくれたらしい。私は思わず先ほどの一部始終を愛花に説明していた。

「……ということがあって。」

「あまりにもひどいわね。その仕事、私もやるわ。2人でやったらすぐに終わるわよ。」

「ご迷惑をおかけしてすみません。」

「気にしないで。」

彼女の手助けがなければ、仕事を続けることを諦めていたかもしれない。私は愛花の存在に救われていたけれど、彼女に頼るたびに専務の私を見る目が冷たくなっていく。

「1人じゃまともに仕事もできない女が結婚か。どうせ私生活でも夫に頼りきりなんだろ。よく小原さんと結婚しようと決めたよな。」

ある日の休憩中、彼はこちらに歩み寄ってきて、いつものように嫌味を口にした。普段のことだから適当に流していたものの、次第に標的が変わる。

「小原さんを選ぶってことは、もしかして旦那って不細工なの?器量の悪い女としか付き合えないようなやつなんだよな。」

なんと専務は大機を馬鹿にしてきたのだ。それだけでなく、私の家族までも漁る。

「小原さんって確か親いないんだっけ?そのせいでまともな教育を受けられなかったんだろう。父親も大した人間じゃないだろう。」

「いい加減にしてください。彼も、父親も、私にとって大事な人なんです。」

私は声を張り上げて反論した。一瞬、専務が肩をビクっと揺らす。周囲の社員は何事かとこちらに視線を送った。

「そんなに怒らなくてもいいだろ。ただの冗談じゃん。」

注目が集まるのは嫌なのか、専務がすかさず笑顔を作る。私たちが言い合いをしていたのは会社の廊下。違う部署の社員には聞かれたくないのだろう。とはいえ、専務は懲りずに小声で嫌味を言い続ける。

「ある意味お似合いカップルなんだろうな。結婚式が楽しみだよ。新郎を見て吹き出したらごめんな。」

「だから彼のことは……」

さらに反論しようとした時、背後から人の気配がした。

「専務、小原さんやご家族に失礼なことを言うのはどうかと思います。」

振り返ると、そこには愛花が立っていた。彼女の口調は静かだったが、顔は険しい。先ほどの会話を聞いていたようだ。

「冗談だとしても、今のは不適切です。小原さんが怒るのも無理はないかと。」

「いやいや、川本さんだって小原さんの彼氏を知らないんだろ。不細工の可能性もあるってば。」

「どんな人が相手でも、結婚はめでたいことだと思うよ。」

怒る愛花をなだめるべく、専務はヘラヘラと笑いながらごまかす。彼は自分の言動に問題があったことを認めなかった。それどころか、愛花に向かって口元を緩める。

「川本さんだって思っているだろう。相手が不細工だと面白いって。」

「なぜですか?私はそんなこと思いませんけど。」

「いやいや、小原さんに結婚を先越されて悔しいんじゃないの?30を超えてまだ独身とか、恥ずかしいもんな。」

「さすがにそれは……」

30歳以上でも独身の人は社内にも普通にいる。恥ずかしいことでも何でもない。愛花は自身、仕事に打ち込むため今は恋人を作る気はないと言っていた。その事情を知らなくとも、専務の発言は理解し難い。とっさに否定しようとしたが、彼はこちらの反応を見てすぐ笑顔を作った。

「今のも冗談だからな。こんなこと、社長に報告しないでくれよ。」

そう言って足早に去っていく。残された私は慌てて愛花に謝罪した。

「愛花さん、すみません。私に関わるとロクなことがないので、無視してくれて構いませんよ。最近は専務、私だけをターゲットにしているので。」

専務は近頃、他の女性社員に強く当たることはなくなり、その分私にだけ暴言を吐くようになった。つまり愛花は私と距離を置けば、専務に嫌味を言われなくて済むのだ。私のせいで愛花さんに迷惑をかけるのは嫌で……。

「だけど、そういうわけにはいかないわ。専務の言動、ここ最近目に余るもの。」

彼女は不服そうな顔でつぶやく。正義感が強く会社思いな愛花は、専務のことがどうしても見過ごせないのだろう。

「私はなつみさんの力になりたい。だから頼ってほしいの。」

愛花の気持ちは嬉しいが、だからこそ彼女を巻き込みたくない。

「私なら平気です。もう専務の態度には慣れましたから。適当に聞き流して、うまくやり過ごしますよ。」

私は話を切り上げて仕事に戻った。だが内心では退職を考えていた。専務がいる以上、ここで働き続けるのはもう限界だ。愛花には感謝しているけれど、他の社員は見て見ぬふりをするだけ。今後も同じようなことが続くなら、転職した方が身のためだろう。

私は一度誰かに話を聞いてほしくて、父に相談した。大機に心配をかけたくないし、何より社会経験のある父なら客観的な意見を出してくれるに違いない。そう考えて、久々に連絡をした。

「そうか。話を聞く限り、専務の言動はすぐには治らない気がするな。」

事情を説明した途端、大きなため息をついた父。彼は転職すべきだと勧めた。

「なつみなりに考えて出した答えを応援するが、俺は働き続けるべきではないと思う。きっとなつみなら、その会社以外でも活躍できるさ。十分経験も詰めたんだろ。」

「うん。この会社で学んだこと、他でも生かせるはず。だから……」

「頑張りなさい。なつみならきっと大丈夫だ。」

私は父に背中を押され、退職を決めた。報告すると、大機も私の考えに同意する。

「なつみの実力を評価しないなんてありえない。俺もお父さんと同じ気持ちだよ。なつみならどこに行っても大丈夫だ。」

「ありがとう。結婚式で色々大変な時なのに、ごめんね。」

「気にしないで。でも、専務や上司を式に招待したままでいいの?」

退職するなら、結婚式に出席する社員らは元同僚となる。お互い気まずいのではないかと、大機は心配しているようだった。しかし結婚式は来月の頭でもうすぐ間近に控えている。

「結婚式が終わった後、退職届を出すわ。だから大丈夫。」

私は式の準備と並行して、退職の手続きも進めていった。

そして迎えた結婚式当日。私は式直前、会場の控室で何度も時計を確認していた。何度もスマホを気にしては頭を抱える。すると、慌てた様子で父が控室にやってきた。

「なつみ、専務とは連絡取れたのか?」

「だめ。電話に出ないし、メッセージも既読のままなの。」

私が首を横に振った途端、彼は肩を落とす。

「そんな専務は一体どこで何をしているんだ?」

本来なら主賓であるはずの専務は、すでに会場入りしている予定だった。スタッフとの打ち合わせもあるため、事前に早めに来てほしいと伝えている。それなのに、彼は一向にやってこないのだ。主賓が遅刻するなんてありえない。もしかしたら事故にでもあったのではないかと、胸騒ぎを覚えた。

「もう一度電話してみるね。」

私は再度スマホを手に取り、専務に連絡を取ろうと試みた。その瞬間、彼から電話がかかってくる。画面に表示された専務の名前に、私はほっと胸を撫で下ろした。

「あ、専務、大丈夫ですか?連絡が取れなくて心配していました。」

父は落ち着かない様子でこちらに耳を済ませる。そこで彼にも声が聞こえるよう、通話をスピーカーモードにした。

「何かトラブルでもあったんでしょうか?」

「いや、トラブルはないよ。ただ今日の式は行けなくなった。」

「え、なぜですか?」

式開始まで1時間を切ったこのタイミングで欠席の連絡をしてくるなんて、言語道断だ。しかも専務は主賓。それ相応の事情があるのだと考え、私は恐る恐る理由を尋ねた。だが専務の声は、緊張感のかけらもないほど軽い。

「やっぱみんなでゴルフ行く。全員周義なしでごめん。」

「は?」

私は耳を疑った。隣で父も目を丸くする。

「あの、どういうことですか?結婚式の日程はご存知でしたよね。それなのにゴルフを優先するということですか?」

「ほら、今日って天気がいいだろう。だから取引先の社員に誘われてさ。相手はうちより大手で、断れないんだ。小原さんも事情を分かってくれるよな。」

「いくら相手が大手であっても、専務は今日、主賓として結婚式に出席する予定でしたよね。当日急遽欠席されると、こちらも困ります。」

「そんなこと言われても仕方ないだろう。これだから女は。あ、俺以外の社員も欠席だから、そこのところよろしくね。お前らも休みでいいんだろ。」

周囲にいるであろう社員に専務が声をかける。彼は他の出席予定だった同僚たちを引き連れ、すでにゴルフ場に到着しているらしい。社員らはきっと専務に逆らえなかったのだろう。強引にゴルフに誘われ、しぶしぶ付き合っているのかもしれない。

「小原さんには申し訳ないけど、こっちは仕事みたいなものなんだ。結婚式に参列しても契約にはつながらない。だけどゴルフすれば、向こうの機嫌を取れる。」

専務は得意げに語り、自分たちは悪くないと宣う。彼は私の結婚式をドタキャンして、平気でゴルフを優先したということだ。いくら私が気に入らないとしても、ここまでする必要があるのか。怒りのあまり拳に力が入る。

「そういうことだから、スピーチは他の誰かに頼んでくれ。小原さんの不細工な夫を見れないのは残念だけどな。」

「わかりました。では失礼します。」

私は冷静を装い、通話を終了した。隣で父が顔をしかめる。

「だってお父さん……」

ふと乾いた笑いが口から漏れた。私が専務に嫌われていることは、父もすでに知っている。だがここまで露骨に嫌がらせを受けているとは思っていなかっただろう。私はどこかでこうなることを予感していた。わざわざ専務が主賓を買って出たことが、どうしても不思議でならなかったのだ。最初からドタキャンするつもりだった可能性もある。ただ、専務の言動を予想していたからと言って、許容できるわけではない。私は鏡に向かい、ゆっくりと不敵な笑みを浮かべた。

その時、父が小さくつぶやく。

「了解。契約破棄で。」

戸惑う私をよそに、彼は恐ろしい形相でスマホを手に取る。そして誰かに電話をかけながら控室を後にした。それから10分後、父は戻ってくるなり目を細める。

「急遽欠席になった3列者の代わりに、俺の部下を呼んだ。これで会場に迷惑をかけることはないだろう。」

彼はどうやら受付で誰が会場に来ていないか確認し、欠席者の人数分、新たに部下を招待したそうだ。

「料理のキャンセルは難しいみたいだし、席は埋めた方がいいだろう。」

「でも、部下の方々に迷惑がかかるんじゃ……」

予定にない結婚式に突然呼ばれたら、誰だって困惑するだろう。しかも父が上司なら、断るに断れないはず。私のためだと分かっていても、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。そんな私の心配事に気づいたのか、父が微笑む。

「気にするな。部下はみんな参列したがっていたやつばかりだ。それに全員、大機君とも顔馴染みだしな。すぐに向かうとのことだ。」

「そっか。お父さん、ありがとう。」

安心するのはまだ早い。あとは主賓をどうにかしないと。新郎側の主賓である専務が欠席する以上、他の人にスピーチを頼まないといけない。当日いきなり依頼して、受けてくれる人なんているのか。父はそれを危惧していた。だが、私は前もってとある人物にお願いしてあった。

「主賓なら愛花さんに頼んでるから、安心して。」

そう伝えると、父は目を大きく見開く。

「愛花さんって、なつみの先輩だよな。なつみはいつ頼んだんだ?俺が今離席している間か?」

「うん。式の前に、専務が主賓を買って出た直後にお願いしたの。」

実は今日、専務が何かしでかすのではないかと予想していた私は、招待状を渡した際、万が一のためにと愛花にスピーチを頼んでいたのだ。

「専務が素直に主賓を務めるとは思いません。下手したら適当な理由をつけて、スピーチをしない可能性もあるかと。」

「言われてみればそうね。」

「ですから、よければ愛花さんに挨拶をしていただきたくて。」

「え、私でいいの?」

彼女は驚きのあまり固まっていたが、それでも快諾してくれた。

「なつみさんは私にとって可愛い後輩だから、是非力になりたい。少し緊張するけれど、スピーチするわ。」

「ありがとうございます。」

先ほど確認したところ、私の同僚は愛花だけが会場に来ていた。残念ながら他の社員は皆、専務とゴルフに行ったようだ。私は愛花に事情を伝え、改めてスピーチを頼んだ。

「すみません。事前にお伝えしていたのですが……」

「主賓のことは気にしないで。スピーチについては考えてきているから。ただ、まさか専務が来ないとは思わなかった。彼について行った社員も、何を考えているのか。」

ゴルフについては、彼女は何も聞いていないらしい。専務は男性社員だけを連れて行ったようだ。彼はきっと、自分たちが欠席すれば私が恥をかくと考えたに違いない。だが、事前に専務の行動を見抜いていたからこそ、危機を乗り越えることができた。

その後、始まった結婚式。披露宴では父が呼んでくれた部下が空席を埋め、愛花は素晴らしいスピーチをしてくれた。

「お2人の末永い幸せを祈念いたしまして、私のお祝いの言葉とさせていただきます。」

私は聞きながら、尊敬する彼女に主賓を頼んでよかったと心から思った。最初はどうなることかと思ったが、式は無事に終了。参列者に祝福され、思い出に残る1日となった。

しかし、一息ついてスマホを確認した際、思わず息を飲む。式の間、なぜか専務から何度も電話がかかってきていたのだ。

「お父さん、これ見て。」

私は着信履歴に並ぶ専務の名前を父に見せた。途端に彼は険しい顔をする。

「慌ててなつみに事情を尋ねようとしたのか。無視していいぞ。出る必要はない。ただ、明日になれば自然と状況が把握できるはずだ。今日のところはゆっくり休みなさい。1日バタバタで疲れただろう。」

私は迷ったものの、父の言う通り無視することにした。するとその翌日、会社は大騒動となっていた。

「どうしたんですか?みんな慌てているみたいですけど。」

「それが……」

私は昨日のお礼を愛花に伝えた後、何があったのか尋ねた。彼女は表情を暗くする。

「どうやら共同開発の話を進めていた大手総合デベロッパーから、契約破棄を告げられたらしい。担当していたのは専務と先輩社員。かつて私が奪われたあの大型案件だった。」

「先方が契約を破棄した詳しい理由までは聞いていないんだけど、向こうは専務の名前を口にしたみたいで。」

そんな話をしていると、不機嫌そうな顔をした専務がこちらに近寄ってくる。

「小原さん、なんで昨日電話に出なかったんだ?こっちは何度も電話をしていたのに。」

「すみません。専務もご存知の通り、昨日は結婚式でしたので、電話を取るタイミングがなかったんです。それで、ご用件は何だったんですか?」

「昨日いきなり予定が空いたから、結婚式に出席してやろうと思ったんだよ。」

「ですが、ゴルフだったんですよね。」

彼は昨日連絡してきた時には、もうゴルフ場にいたはずだ。不思議に思って尋ねた私に、専務は苛立ちを露わにした。

「取引先の連中が急に帰ったんだ。こっちはもうやる気満々だったってのに、勝手な奴らだよ。」

計画が狂って虫の居所が悪いのだろう。専務は悪態をつき、イライラをこちらにぶつけてくる。

「だから出席してやろうとしたんだぞ。無視するなんてありえない。小原さんがそこまで非常識だとは思わなかった。専務である俺のことを舐めているのか?」

「そういうわけではありません。専務が欠席するとおっしゃったんですよ。だからてっきり来ないのだとばかり。」

「破棄になった会社って、確か前の担当者、小原さんだっただろう。もしかしてお前が取引先に何か言ったのか?ドタキャンした俺への当て付けに、よからぬことを吹き込んだんじゃないか?」

「言ってません。」

急遽欠席したことを謝るどころか、彼は私を非難し続ける。昨日専務と一緒になってドタキャンした同僚たちは、気まずそうに目を伏せていた。そんな彼らに呆れていると、社長が私たちの元にやってくる。

「専務、小原さん、ちょっといいかな。今すぐ来てほしい。」

社長の声は低く、専務はすぐさま大手デベロッパーとの契約のことだと察したようだ。

「社長、あの契約は?」

「事情は後で聞く。とにかくすぐに来てくれ。」

何やら言い訳を述べようとした専務。そんな彼の言葉を遮り、社長は私たちを連れて応接室と向かう。

「お待たせいたしました。当該社員を連れてまいりましたので。」

社長は入室した途端、深々とお辞儀をする。中にいたのは大手デベロッパーの社長だった。専務も状況を把握したのか、すぐさま頭を下げる。

「社長。これはこれは、いつも大変お世話になっております。」

どうやら契約破棄の理由について説明するため、デベロッパーの社長は自ら我が社にやってきたらしい。彼は専務と私の同席を求めたという。

「うちの専務と小原が何か失礼なことをしたのでしょうか?」

「私ではありませんよね。もしかして小原の態度に問題があったのでは?」

痩せをかきながら私に責任転嫁する専務。彼を見て、デベロッパーの社長はため息をついた。

「全部、あなたは担当者である自分に問題があったとは考えないんですね。現在、娘は契約に一切関わっていないというのに。」

「娘?」

私は困惑し、社長は目を大きく見開く。そんな2人を無視して、父は私に視線を送った。

「なつみ、いきなり会社に来てすまないな。」

「うん。お父さんこそ、忙しいのにわざわざ会社まで来てくれてありがとう。」

「お父さん?ふ、嘘だろ。」

実は私の父こそ、大手総合デベロッパーの社長なのだ。その事実を知った途端、専務の顔が青くなる。

「小原さんの父親が社長だなんて、そんなわけ……」

「本当にお父様なんですか?」

社長もまだ半信半疑なのか、戸惑いながら私を見つめた。そんな彼に向かって、私は深く頷く。

「驚かせてすみません。でも事実です。彼は私の父で……」

だが専務はすぐには信じなかった。

「いやいや、あの大手の社長が小原さんの父親?冗談だとしても、さすがに無理があるのでは。そもそも2人は苗字が違うじゃありませんか。」

彼の言う通り、私と父は苗字が違う。しかしこの状況でデベロッパーの社長が嘘をつくはずがない。少し考えれば分かることだが、専務はなぜか余裕の笑みを浮かべる。父は呆れながらも事情を説明した。

「私が今使っている苗字は本名ではないんですよ。これはあくまでも父の苗字で……」

「どういうことですか?」

「こんなこと、わざわざ社外の人間に話す必要はないのですが……」

実は父の両親は、彼が子供の頃に離婚している。その際、彼は母親に引き取られて苗字が変わった。だが社会人になった頃、疎遠になっていた父から後を継いでくれと頼まれる。

「入社するにあたって、父に言われたんです。『俺の苗字に帰ろう』と。でも私は長年使っていた母方の苗字に愛着がありまして、そのため仕事でだけ父の苗字を使っているという次第です。」

「なるほど。それで苗字が違うんですね。」

「ええ、私の本名は大原です。免許証でも見れば、信用してもらえますか?」

父は鋭い目つきで専務を睨みつけた。証拠がある以上、事実だと認めるしかない。専務は悔しそうに顔を歪めた。

「そうですか。小原さんがね。」

「社長は、このこと本当に知らなかったんですか?彼女が大手の社長嬢だから、うちに入れたんじゃ……」

まだ懲りていないのか。彼は社長に疑いの目を向ける。社長は慌てて手を振り否定した。

「いや、知らなかった。そんな話、1度も聞いたことがないよ。でも、小原さんを雇ったのは社長でしょう。彼女の両親の仕事や、父親と苗字が違うことを把握していてもおかしくないですよね。」

「社長は本当に知りませんでした。私は父のことを会社の人には伝えていませんので。採用試験の際、履歴書を提出しましたが、そこに書いたのは同居している祖父母のことだけだ。父とは共に暮らしていないので、記載する必要がなかった。」

つまり社長も、今初めて私の父について知ったこととなる。

「私からも、彼女が娘であると話したことはない。専務は信じないかもしれないが、なつみは自分の力でこの会社に入社したんだ。」

「娘さんを疑っているわけではないんです。ただ、小原さんの常日頃の言動からして、正直父親の立場を利用している気がして……」

目を泳がせながら弁解する。大手の社長と会って、父にはさすがに反論できないようだ。それでも私には日やかな視線を送ってきた。

「もしかして小原さんは、コネを使って今回の契約を取ったの?親の会社が大手だからって、契約すれば自分の手柄になると思った。」

専務は普段から私を見下している。おまけに取引先の社長が父親だと知り、自力で契約したとは思えないのだろう。

「父の立場を利用したわけではありません。担当者には、私が社長の娘だとは伝えていませんし。」

そう否定しても、専務はニヤニヤと笑い続けた。

「じゃあ、俺に契約を奪われそうになったから、破棄するよう父親に伝えたの?社長は可愛い娘さんのお願いを叶えたんですよね。こうなったのは全部、小原さんのせいか。」

未だに彼は、私のせいで契約が破棄になったと思い込んでいるらしい。だが今回の一件は、あくまでも父が決めたことだ。私の意思は一切関与していない。

「いい加減、娘に責任転嫁するのはやめろ。なつみは破棄にしてくれなんて、一言も言っていない。」

「ですが、私はどうしても納得いきません。契約破棄になった理由も不明ですし、何より小原さんはずっと社長の娘だということを隠してたんですよ。」

声を大にして専務が不満を唱える。

「小原さんは俺たち社員を騙していたんだよな。取引先の社長の娘だと教えなかったのは、俺たちを信用していなかったからでしょ。」

「申し訳ないが、私も疑問に思っている。小原さん、どうして教えてくれなかったんだ?せめて契約前に一言でも伝えてくれたら……」

社長まで戸惑いながらも首をかしげる。実際、父の会社との契約を進めるならば、上層部には伝えておくべきだっただろう。だが私としても、隠し続けるつもりではなかった。

「黙っていてすみませんでした。結婚式の後にでも、改めて報告する予定だったんです。」

「なんで式の後に?」

「式には私やうちの会社の社員が参列していたからな。なつみが言わずとも、自然とバレるはずだったんだよ。」

呆気に取られる社長と専務に向かって、父が口を開く。昨日の結婚式にはもちろん彼もいたが、他にも多くのデベロッパー社員がいた。何せ夫である大機も、父の会社で働く社員なのだ。

「夫の上司や同僚も参列していて、専務も出席していれば気づいたかと思います。」

「そういえば……」

専務は考え込むような素振りを見せたかと思えば、突然目を丸くする。

「新郎の名前に見覚えがある気がしたんだよ。取引先の社員だったのか。」

「大機は担当者ですよ。むしろ専務は、なぜ彼の名前を見ても気づかなかったんですか?」

彼は招待状を渡した際、不思議そうな顔をしていた。新郎である大機の名前に引っかかっていたようだ。ただ、私から奪った大型案件の担当者だとは分からなかったらしい。

「あの担当者と結婚したのか。」

ようやく新郎の正体に気づき、専務は愕然とする。私は営業先として訪れた父の会社で、大機と出会った。当初、彼は私が自社の社長の娘だとは知らなかった。大機に父のことを伝えたのは、結婚が決まった後だ。

「え、社長がお父さんなの?って、社長の娘だったの?」

事実を伝えるや、目を丸くした大機。それゆえ父に挨拶に行った際、彼は相当緊張していた。ただ父は以前から、大機の仕事ぶりを噂で聞いていたらしい。

「大君になら、娘を任せられるよ。」

彼は私たちの結婚を認め、心から祝福してくれた。今回、社長令嬢と社員の結婚だったため、新郎側の参列者はデベロッパーの社員が多かった。それだけでなく、父が急遽声をかけ、欠席した連中の空席を埋めたのもデベロッパーの参加の社員だ。

「昨日、専務はゴルフに行っていたそうじゃないか。新しい契約を取ろうと、うちのグループ会社に接待しようとしたんだろ。」

「あれは先方からゴルフの話を提案されて、私は何も結婚式に欠席したかったわけではなくてですね……」

父に問い詰められた途端、専務が無理やり笑顔を作る。言い訳を並べ、自分は悪くないと説明した。

「小原さんの結婚式を優先したかったのですが、何分向こうが指定する日が今日でして。」

そんな専務に、父は大きなため息をついた。

「嘘をつくな。話は一通り聞いている。ゴルフの日程を決めたのは専務だろう。わざわざ娘の結婚式の日取りに被せたんだよな。」

式に出席すると言った後、ゴルフの予定を式当日に入れていた。つまり彼は元々、ドタキャンするつもりだったのだ。主賓を買って出たのも、少しでも式の邪魔をしたいという狙いがあったからだろう。

専務から欠席の連絡が来た後、父はすぐさま参加の会社に状況を確認したらしい。

「うちのグループ会社なら面倒だと思って連絡したが、まさか専務の接待相手がうちの子会社の役員だったとはな。」

彼はグループ会社の役員に、その会社から接待を受けるなと告げ、さらに私の結婚式に参列してくれないかと懇願したそうだ。

「だから昨日、先方は急に帰られたんですか?」

「ここまで常識がない社員のいる会社とは付き合えない。だからグループ全体で、お宅とは関わらないと決めた。契約を破棄したのも、それが理由だ。分かってもらえましたか?」

「待ってください。娘さんの結婚式を欠席したことが許せないんでしょうけど、いくら何でも契約破棄はおかしいです。」

専務は父にすがりつき、頭を下げる。彼は今にも泣きそうな顔をしていた。

「これまで時間を費やして、御社との計画を進めてきました。今更契約破棄なんてひどいですよ。結婚式をドタキャンしたことは謝罪します。だから……」

「時間を費やしてきたのは、なつみだろう。専務が彼女の契約を奪ったことも、私は知っている。手柄を横取りするなんて、上司失格だな。」

「それは小原さんの勘違いで……」

「今回の話は破談だ。社長には申し訳ないが、分かってもらえますか?」

弁解する専務を無視して、社長に語りかける父。彼の考えが変わることはないのだろう。専務はうろたえながら、社長に視線を送った。

「社長、これはですね……」

父に泣きついても無駄だと悟ったのか、次は社長にすり寄る。自分のせいで契約破棄になったわけではないと説明したいようだ。ただ、社長は目を潜めていた。

「専務、昨日、小原さんの結婚式に出なかったんですか?私は仕事の都合で欠席しましたが、専務は出席予定でしたよね。」

「え、それは……ゴルフなんて初めて聞きましたよ。接待を優先して式を欠席したのは、本当なんですか?」

彼は専務がドタキャンしたことを知らなかったらしい。そこで私は、昨日専務含め社員が複数人来なかったと告げた。参列してくれたのは愛花だけ。すると事実を知った途端、社長は顔を真っ赤にする。

「主賓だというのに、結婚式に行かなかったんですか?いくら接待だったとしても、欠席なんてありえません。しかもわざとドタキャンしたなんて……」

「申し訳ありませんが、分かっていただきたいんです。俺は会社のためにと接待を優先しただけでも、小原さんの結婚式に合わせる必要はなかったはずです。他の社員も連れて行ったということは、彼女への嫌がらせ目的ですよね。」

「嫌がらせというか、その……」

専務は言葉をつまらせながらも、どうにか弁解しようとした。ただ社長は聞く耳を持たず、私と父に向かって頭を下げた。

「この度は誠に申し訳ございませんでした。小原さん、昨日は大変だったことでしょう。」

「いえ、専務以外の社員も来ないと聞いた時は焦りましたが、父に助けられ、愛花さんがスピーチを読んでくれたので、事なきを得ました。」

「愛花が?」

驚く社長の隣で、専務が目を見開く。やはり専務は、主賓である自分が欠席すれば私が追い詰められると思っていたらしい。だからこそ、私は彼がいなくとも支障がなかったと告げた。

「愛花さんのスピーチはとても素晴らしくて、彼女だけ参列してくれたおかげで、式は滞りなく進行できました。」

「そうか。愛花が……」

「彼女はゴルフのことは知らなかったみたいです。でも他の社員は全員、専務が連れて行きました。何と言って彼らを呼んだんですか?」

昨日ふと疑問に思ったことを口にした。途端に専務が目をそらす。

「何も変なことは言ってない。俺はただゴルフに行くと伝えただけで。」

「ですが、皆さんも私の結婚式があることを分かっていたはずです。招待状を渡した際、全員出席すると言ってくれていました。それなのに彼らがゴルフを優先するなんて、思えません。」

「何?もしかして小原さんは、俺があいつらを脅したとでも思っているの?そんなことはしていない。あいつらは会社のため、俺と同じ考えだったからゴルフに来た。それだけだ。」

彼は必要以上に語りたくないのか、言いたいことだけ言って黙り込む。しかし社長は専務を怪しいと思ったようだ。

「専務、嘘ついているんじゃないですか。社員がみんなゴルフを優先するとは思えない。小原さんを困らせるため、彼らにも欠席するよう言ったんでしょ。」

厳しい口調で問い詰められ、専務は顔をしかめた。

「なぜ社長まで俺を疑うんですか?俺がそんなひどい上司に見えますか?社員を脅したりなんてしていない。」

「じゃあ、欠席した社員をこの場に呼びましょうか。1人1人聞き取りするより、一斉に確認した方が早い。」

すぐさま社長は該当する社員をこの場に呼ぼうとした。父も彼の行動に頷く。

「欠席した理由を本人から直接聞きたいと思っていたんだ。ちょうどいい。ここに呼んでください。」

ただ、専務はだんだんと慌て出す。

「待ってください。社員を呼び出すんですか?彼らは私のために嘘をつくかもしれない。俺のせいにする可能性があります。」

「もちろん、社員らの言葉だけ信じるつもりはありません。専務の話も聞きますから、安心してください。」

ですが、話している間に応接室にやってきた社員たち。彼らは私の父が大手デベロッパーの社長だと知るなり、顔を真っ青にする。そして平謝りした。

「昨日、なぜ小原さんの結婚式に行かなかったんですか?専務と一緒にゴルフに行ったんですよね。」

全てバレていることを知り、観念したのだろう。彼らはゆっくりと事情を語り出した。やはり彼らは専務に半ば脅されて、強制的にゴルフに参加させられたらしい。

「いつかやめるであろう。女性社員の結婚式に出て何になる?それならもっと有意義な時間を過ごすべきだ。俺は会社のためにゴルフに行く。お前らも式欠席するだろ。」

社員の結婚式に出ても仕事にはつながらないからと、専務は止めたようだ。当然、ドタキャンはダメだと反論した社員もいた。しかし専務が聞き入れるわけがない。

「お前は会社よりあの女を優先するのか?俺が出る必要ないって言ってるんだから、欠席しておけ。」

彼らは口頭だけでなく、メッセージでもやり取りをしており、文面を社員が見せてくれた。そのため専務が社員を無理やりゴルフに連れて行った証拠も残っていた。

「専務、もう言い逃れはできないぞ。君は他の社員を巻き込んで、娘に嫌がらせをしたんだな。」

冷ややかに見つめる父。専務は体を震わせ、社員を睨みつける。

「余計なことを言いやがって。」

彼らのせいで自分が攻められているとでも思っているようだ。一向に反省する素振りを見せない専務。そんな彼に、社長が目を釣り上げた。

「いい加減にしてくれ。専務は自分が何をしたか、まだ理解していないのか。今すぐ小原さんに謝りなさい。」

「申し訳ございませんでした。」

うろたえながらも、専務が謝罪の言葉を口にする。ただ彼は、いつも見下している私に頭を下げるのが悔しいのだろう。表情には怒りが滲み出ていた。本心から謝っていないことくらい、見ればすぐ分かる。

「謝らなくて結構です。もう結婚式は終わったことですし。」

「いや、本当に悪かったと思っているんだ。社長もどうかお許しください。契約についても、考え直していただきますよ。」

「悪いが、契約は決まったことだと伝えたはずだ。考え直す気はない。」

「そんな……」

専務は顔を真っ青にし、私に視線を送った。

「小原さん、お父様を説得してくれよ。」

「どうしてですか?私は父が決めたことに、口を出す権利はないので。」

「いやいや、このままだとうちはお父様の会社との契約が破棄になるんだよ。小原さんが一生懸命に進めてきた話だよな。それが破棄になったら、あんただって困るでしょ。」

確かに大手デベロッパーとの共同開発の話がなくなるのは、我が社にとって大きな痛手だ。社長も救いを求めるかのように、静かに私を見つめる。

「小原さん、本当に済まなかった。専務には処分を下すと約束する。だから……」

彼らは私が父との間を取り持ってくれると信じているようだ。専務の言いなりになった社員までもが、固唾を飲んでこちらを見守る。私は周囲から視線を浴びながらも、思わずため息をついた。

「すみませんが、私にできることはありません。父の会社の契約については、もう担当でも何でもないですし。」

「何を言ってるんだよ。俺が契約を奪ったこと、まだ怒っているのか?今そんなことを話している場合じゃないって分かっているだろう。社長、娘さんのためにも、契約を破棄するのは待ってもらえませんか?彼女は引き続き我が社で働くことですし。」

必死に父に懇願する社長。私はその場で、準備していた退職届を提出した。

「申し訳ありませんが、私はこの会社をやめます。ですので、私を人質にするのはやめてもらえますか?」

「あっ……」

封筒を受け取るなり、社長が目を丸くする。専務は顔を歪めた。

「俺たちが結婚式に来なかったからって、何もやめる必要ないだろう。」

「そうですよ。小原さんが怒る気持ちも分かりますが、一度落ち着いてください。さすがに退職は……」

「いえ、私は専務たちが結婚式を欠席したからやめるわけではありません。元々、式を終えたら退職届を出すと決めていたんです。」

退職を考えていたものの、式が間近だったため提出が今になっただけのこと。そう説明した途端、社長が冷汗をかき出す。

「そうは言っても、なぜやめるんですか?小原さんは仕事を頑張っていましたよね。これからも我が社で活躍してくれるのだとばかり……」

「愛花さんからも聞いていますよね。専務の言動があまりにもひどいと。」

「それは……」

私は専務の言動に耐えかねて退職を決めたと説明した。次第に社長の表情が曇り出す。

「ここまで小原さんは思い詰めていたんですか?専務はあくまでも、あなたのために指導していただけで……」

「結婚式をドタキャンしたと聞いても、社長はまだ専務の肩を持つんですか?ずっと彼は私に対して高圧的な態度を取っていました。実力を認めてもらえず、性別を理由に馬鹿にされて……」

「娘さんから話を聞いているのに、まともに調査もしていないそうじゃないですか。専務にも問題はあるが、社員を守らない社長にも問題はあるかと。」

「すみません。小原さんがそんなにも苦しんでいるとは思っていなくて。」

一瞬専務をかばおうとするものの、父に詰められて慌てたのだろう。社長は表情を一変させ、専務に目をやった。

「専務、指導の一環だと聞いていましたが、小原さんだけに強く当たったというのは事実なんですか?」

「小原さんだけ厳しくしたわけではありません。他の社員にも指導していて。そうだよな。お前ら……」

助けを求めるかのごとく、専務が突っ立っている社員に声をかける。しかし社員は気まずそうに目をそらした。彼らは専務が私にだけ強く当たっているのを見ている。今更嘘をついてまで彼をかばう理由がないのだろう。

「おい、なんとか言えよ。俺は悪くないだろ。小原さんの被害妄想だよな。」

「ふざけるの?なつみが悩んでいたこと、何も分かっていないんだな。専務は彼女の実力を意地でも認めなかったそうじゃないか。」

「それは小原さんの勘違いです。そりゃ社長は娘さんの言い分だけを信じるでしょうね。だけど俺は悪くない。小原さんが大げさにしているだけだ。」

専務は父に追求されても、一向に事実を認めない。

「小原さん、考え直してくれ。うちの会社を見捨てるつもりか。」

社長は顔面蒼白で私にすがりつく。話し合いは平行線をたどり、このままでは埒が明かない。私は現状を打破すべく、愛花をこの場に呼ぶことにした。

「愛花さんを呼べば、専務の言動について社長も理解すると思います。」

「また彼女を味方につけようとしているのか。そうやってグルになるのも、生意気な女らしいな。」

「専務、黙りなさい。今すぐ愛花をここに呼ぼう。」

専務の嫌味を一蹴し、社長が彼女に連絡を入れる。そして愛花は応接室へとやってきた。

「何のご用でしょうか?」

「小原さんに呼んでほしいと頼まれてな。専務の日頃の言動について、何か知っていることを教えてくれ。」

「社長も娘の言い分を聞くつもりか。だからこの会社は嫌なんだよ。」

悪態をつく専務を冷めた目で一瞥すると、愛花はとある機器をポケットから取り出した。彼女がボタンを押した途端、音声が流れ出す。

「そんなに仕事が嫌なら、辞表でもすればいいじゃん。小原さんなんていてもいなくても同じだって、前にも言っただろ。」

愛花が持っていた機器はボイスレコーダー。そこに録音されていたのは、かつての私に対する専務の暴言だった。

「おい、止めろ。」

「なんだこれは?お前、録音していたのか?」

専務は恐ろしい形相で私を睨みつける。自分との会話を録音していたことが許せないらしい。だが社長は音声を耳にした途端、専務に怒声を上げる。

「こんなことを小原さんに言っていたんですか?こんなの、指導でも教育でもないでしょう。」

「待ってください。これはあまりにも小原さんが生意気な態度を取ったから……」

「どんな理由であれ、許されることではない。」

すると愛花が別の会話を再生する。流れてきたのは、彼女に対する暴言だった。

「小原さんに結婚を先越されて悔しいんじゃないの?30を超えてまだ独身とか、恥ずかしいもんな。」

途端に専務がぎょっとした顔をする。社長にこのやり取りを聞かれるのは、さすがにまずいと思ったようだ。

「社長、今のはですね……」

「ありえない。専務、こんなことまで言っていたのか。相手が私の娘でなくとも問題だ。何を考えているんですか?」

彼は顔をしかめて専務に激怒する。そんな2人を見て、私と愛花は共に肩を落とした。

「私はお父さんにずっと専務の言動について報告していたわよね。それなのに一切動いてくれなかった。今更専務に怒ったって、もう遅いのよ。」

「それは愛花さんが録音することを進めてくれなかったら、今も社長は専務をかばったんでしょうね。」

「すまなかった。」

結婚式に招待した後、一層態度を悪化させた専務。そんな彼を見て、愛花は私にボイスレコーダーをくれた。

「証拠を残さないと状況は改善しない。だからこれで専務とのやり取りを録音して。」

彼女は一向に対処してくれない社長に、しびれを切らしたのだろう。その後、私はボイスレコーダーを肌身離さず持ち、専務からの嫌がらせの証拠を残した。ただ、あまりにも高圧的な態度を取られ続け、次第に退職を考えるようになる。

「愛花さん、すみません。これ、お返しします。私はもうこの会社をやめるので。」

「そう……力になれなくてごめんなさい。」

「愛花さんが謝る必要はありません。むしろ感謝しているんです。愛花さんがいなければ、とっくにやめていたと思いますし。録音した証拠は、今後何かあれば社長に提出してほしい。」

そう伝えて、私はボイスレコーダーを愛花に返した。当時はまだ、結婚式をドタキャンされるとは思っていなかったのだ。

「大事な日に水を差されて、ショックでした。もっと早く社長が対応してくれていれば、こんなことにはならなかったと思います。」

「お父さんは、娘である私を特別扱いしたくなかったんでしょ。その気持ちは分かるけど、せめてちゃんと事実確認すべきだった。私たちはずっと声をあげていたんだから。」

「本当に申し訳ない。専務の言葉だけを信じた私がバカだった。」

「今回のこと、長本人である専務だけでなく、なあなあにしていたお父さんにも問題があるから。」

淡々と詰める愛花に、社長がうなだれる。

「私はことの重大さを今まで理解できていなかったよ。小原さん、愛花、すまなかった。専務は昔から優秀だったから、彼ばかり信頼していたんだ。」

「社長、待ってください。確かに言いすぎたかもしれませんが、俺は小原さんと娘さんのために……」

「専務がここまで女性を蔑視しているとは思わなかった。あれが指導?ふざけるのも大概にしろ。」

激昂する社長を見て、先ほどまで黙って聞いていた父が口を開いた。

「専務は日頃からセクハラとパワハラを行っていた。そんな社員がいるのならば、やはり契約破棄は正しかったと思います。」

「すみませんでした。娘さんを傷つけたことは謝ります。ですが、私も反省しますし、今後はこのようなことは2度としません。だから小原さん、退職するなんて言わないでくれよな。」

専務は張り付けたような笑みを浮かべ、私にすり寄ってくる。どうにか父の許しを得るため、私にすがることにしたのだろう。だが、こちらの考えが変わることはない。

「何を言われようと、会社はやめます。すでに次の仕事も決まっているので。」

「次の仕事って、もしかして……」

社長が私と父の顔を交互に見る。ある程度検討がついているようだ。隠すことでもないため、私は事実を伝えた。

「父の会社に転職する予定です。もう手続きを色々と進めていますので。」

「小原さんは結局、父親のコネを利用するんだな。」

専務は唇を噛みしめ、苛立ちを露わにする。大手デベロッパーに転職する私が気に食わないのだろう。しかし私は父のコネで入社するわけではない。

「なつみは正規の手順を踏んで応募し、こちらも彼女の経歴を見込んで採用した。」

父はすかさず否定した。ただ専務は頑なに認めようとしない。

「そんなの建前ですよね。小原さんがそこまでの実力があるとは思えない。」

そんな彼に、愛花が呆れた顔をする。

「なつみさんは営業成績が良く、スキルもあります。専務は共に働いていたのに、まだ彼女の実力を理解していないんですね。何を……私は正直、なつみさんが大手デベロッパーに転職しても驚きません。彼女ならきっと転職先でも活躍するでしょう。」

彼女の言葉に、社長も深く頷いた。

「実際、愛花の言う通りだな。それに大手での就職が決まっているなら、もう引き止められない。」

「いやいや、彼女がこのまま退職したら、我が社は大変なことになる。社長、共同開発の件、諦めるんですか?」

「小原さんがやめる原因は、専務と私だ。今回のことは、私たちで責任を取るしかないだろう。」

「嘘でしょ?」

もうどうにもできないと悟ったのか、専務が絶叫する。彼だけが私を最後まで過小評価していた。他の社員は私の実力を理解してくれていたようだ。実際、突っ立ってやり取りを聞いていた社員らも反論しない。彼らも私の転職を仕方ないことだと考えているのだろう。すると専務が小さくつぶやく。

「小原さんは逃げるんだな。」

ともあろうに、彼はまだ私を非難する気でいた。

「俺が厳しかったことは認める。だが俺はあくまでも、小原さんが今後もこの会社を続けると言うから、指導に熱が入ったんだ。退職するなら、さっさと言えばよかっただろう。」

「いつかはやめるつもりではいましたが……」

「ほら、どうせ父親の会社に戻る予定だったんだよな。最初から父親の会社に入っておけば、俺がこんなにも責められることもなかったのに。」

専務はぐちぐちと不満を口にする。実のところ、私はいずれ父の会社に転職しようと考えていた。私はこれからの時代、建築において環境性能は不可欠だと思っている。だからこそ、その分野を得意とする今の会社に入社し、将来生かせるよう経験を積んでいたのだ。本当はもっと今の会社で働き続けたかった。

「私はこの会社が好きです。尊敬する先輩もいて、仕事にもやりがいを感じていて。ですから、まだやめる気はありませんでした。これじゃあ……でも、もう限界なんです。いつまで経っても変わらない専務の態度に疲れました。だから転職を決めたんです。」

一瞬、社長は表情を明るくしたが、私の顔を見て決意が固いと察したようだ。

「そうですか。わかりました。では、この退職届は受理します。」

彼は改めて私の退職届に視線を落とした。愛花はその様子にほっと胸を撫で下ろす。だが専務だけはまだ不服を唱えた。

「社長、何を素直に受け取っているんですか?そんなだから社員にもなめられるんですよ。俺みたいに厳しさを見せないと、会社は……」

「厳しさは、社員に平等な態度を取り、暴言を吐くことが厳しさだと思っているんですか?」

「そういうわけでは……」

「ひとまず娘の退職届が受理されたのを確認しましたので、私はそろそろ帰りますね。」

父は静かに席を立った。別れ際、専務が何度も頭を下げる。

「社長、お待ちください。本当に契約を破棄されるんですか?あんなにも話を進めていたんですよ。計画はどうされるおつもりですか?」

「すでに他の会社と話を進めているので、安心してください。本社以外にも、サステナブル建築を得意としている会社はあるので。では、失礼します。」

「そんなことおっしゃらないでください。社長!」

必死に食い下がる専務。しかし父は彼を無視して、その場を去ってしまった。慌てて社長が追いかけるも、父は目もくれない。結局、社長はすぐ戻ってきた。

「ほら、改めて小原さんに謝りなさい。」

彼は絶望する専務に、謝罪するよう促す。もう言い返す気力もないのだろう。

「本当に申し訳ございませんでした。」

専務は深々と頭を下げ、弱々しく呟いた。

「今回のことはきちんと調査して、処分を下します。私も責任を取るので、安心してください。」

「わかりました。今後は私のような被害者を出さないでくださいね。社長として、社員たちのために動いてください。」

社長が閉復する中、専務が私を見つめる。

「小原さんが生意気な態度を取らなければ、こんなことにはならなかったのに。」

「まだそんなこと……」

「だって、最初に冷たい態度を取ったのは彼女ですよ。このまま俺だけ悪者にされるなんて、許せない。」

私は彼が何を言っているのか分からなかった。冷たい態度を取ったことなどない。彼に嫌味を言われるようになってからは、距離を置くことも増えた。だが、それ以前は他の社員と同様の態度を取っていたと思う。

「私が何をしたって言うんですか?」

ふと疑問に思って尋ねた途端、専務がガバッと顔を上げる。

「俺との飲みを断っただろ。」

「え?」

彼の言葉を聞いて、はっとした。実は入社2年目の頃、1度だけ飲み会の終わりに2人で飲もうと専務に誘われたことがあったのだ。しかし異性の上司と2人きりで飲みに行くのは、さすがに難しい。そのため私は丁重に断った。専務はそれが気に食わなかったらしく、次第に私に強く当たるようになったという。今まで不思議に思っていた、彼に嫌われていた理由がようやく分かった。だが事実を知ったところで、違和感は拭えない。

「飲みに行くのを断っただけで、私に嫌がらせをしてきたんですか?そんな理由で?」

「小原さんが謝れば許すつもりだった。だけど一向に謝罪に来ない。この上、結婚するとか言い出して……」

どうして結婚の話がここで出てくるのか、一層困惑していると、愛花が口を開く。

「もしかして専務は、なつみさんに好意を抱いていたんですか?」

「俺だけじゃない。小原さんだって、俺が好きだったんだろ。」

「何を言っているんですか?私はそんな気、一切ありません。」

予想外の発言に驚き、とっさに否定する。途端に専務は目を潜めた。彼はずっと私を狙っていたらしい。好きな子にちょっかいをかけるタイプなのだろうか。目の前の専務に嫌悪感を抱き、ぞっとする。

「そもそも専務は既婚者ですよね。」

彼は結婚しており、おまけに私の父よりも年上。当然恋愛対象外だ。それなのに専務は、私に好かれていると思い込んでいた。

「なつみだって俺が好きだろう。じゃないと、あんなにも笑顔を向けてこないはずだ。お前はずっと俺を試していたんだよな。」

「近づかないでください。気持ち悪い。」

慌てて専務と距離を置いた瞬間、愛花が目の前に立つ。

「これ以上、なつみさんを苦しめないでください。お父さん、私は彼女を連れて行くから、専務のことはよろしくね。」

「待てよ。本気で退職するのか?いい加減にしろよ。」

声を張り上げ、私を追いかけようとした専務。だが社長と社員に取り囲まれ、阻まれる。その間、私は愛花に連れられ応接室を出た。

幸い退職届は提出している。私はその後、有給消化に入り、専務とは顔を合わせずに済んだ。そして退職日には、もう彼の姿は職場にはなかった。

後で聞いた話だが、専務は結局、首になったらしい。どうやら彼は私に振られた結果、他の女性社員に手を出したという。交際を強要し、ホテルにも連れて行こうとした。それゆえ、社長は専務を諭すだけでなく、解雇したのだ。そう。専務は首になったことと、女性社員に迫った事実がバレて、奥さんと離婚したらしい。慰謝料を請求され、孤独で苦しい生活を送っているそうだ。社長もまた、責任を取るために現在は愛花が社長を引き継ぎ、会社の信頼回復に努めているという。

そして私は今、父の会社で働いている。同僚は皆優しく、仕事にもやりがいを感じる日々だ。前の会社での経験も生きており、今後大きな仕事を任されることとなった。

「なつみ、張り切るのはいいけど、無理はしないようにね。俺たちのことも頼ってよ。」

「ありがとう。大機が先輩でよかった。」

共に働き始めて分かったが、大機は周囲から慕われているようだ。そんな彼に支えられながら、私は懸命に頑張っている。父の期待に答えられるよう。そしていつの日にか後を継ぐためにも、精一杯努力していきたい。

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