「夜には戻るからね」――15年前、その言葉を最後に母は姿を消した。まだ5歳だった私は幼稚園に送り届けられ、そのまま母を待ち続けた。
「お母さんはどこに行ったの?」
「あいつは男と駆け落ちしたんだ」
幼い私にはその意味が理解できず、毎日母の帰りを待っていた。しかし、父はすぐに別の女性と再婚し、私たちはアパートに引っ越した。
それからの日々は最悪だった。新しい母・タエは私と祖母に辛く当たり、パチンコに負けたからと暴力を振るうこともあった。いつしか父もタエに同調し、私に罵声を浴びせるようになった。唯一の味方だった祖母が亡くなり、孤独を感じながら生きてきた私は、ふと実家に行きたくなった。
何かに導かれるように実家の物置小屋の扉を開けると、ガラクタと一緒に木箱が保管されていた。箱を開けると、中から母の古い携帯電話が出てきた。母の携帯がなぜここにあるのか。しまわれていた携帯は、母が失踪した当時に使っていたものだ。嫌な予感が頭をよぎる。さらに箱の中を見ると、新聞紙に包まれた謎の物体が目に入った。
恐る恐る新聞紙を広げると、その瞬間、私ははっと息を飲んだ。
――私は国彩子、20歳の会社員だ。父の剣一と、その再婚相手のタエ、そして祖母のあき子と一緒に暮らしている。私を産んだ母は、私が5歳の時に家を出ていった。
それまで家族4人で仲良く暮らしていたはずなのに、ある日を境に父の帰宅が遅くなり、母との喧嘩が増えていった。母は外出することが増え、毎日疲れた様子で帰ってくるようになった。それなのに、まだ子供だった私は母が悩んでいることも、父との間に起こっているトラブルにも気づかず、無邪気に笑っていた。
そして夏の暑い朝。母はいつものように私に朝ご飯を食べさせ、幼稚園に送り届けると「夜には戻るからね」と言い残し出かけていった。そのまま二度と家に帰ってくることはなかった。
その日、幼稚園に迎えに来てくれた祖母の顔は青ざめていた。
「ばあちゃん、どうしたの?」
祖母は体調が悪いのかと心配したが、祖母は「大丈夫」と言いながらも顔をこわばらせていた。数日経っても母が帰ってこないことを不思議に思った私は、父に「お母さんはどこに行ったの?」と聞くと、「男と駆け落ちしたんだ」と告げられた。しかし、当時の私にはその意味が理解できず、毎日母の帰りを待っていた。
母の失踪後、ほどなくして私たち家族は実家を離れ、アパートに引っ越すことになった。それでもまだ私は母が帰ってくるのではないかと期待していた。引っ越し当日、私は母のアルバムを持ち出そうとしたが、父はそれを許さなかった。
「そんなもの置いていけ」
父がなぜ怒っているのかわからず、ただその剣幕に驚き、怖くて私は大泣きしてしまった。
「あやこ、ママのものはここに置いていきましょう。いつかママが帰ってきた時に何もなかったら悲しくなるでしょう」
祖母に慰められ、その時は父に従うことにした。父の優しい顔を私は見たことがない。父の言うことは絶対で、反抗することなど許されなかった。それでも私はいつか母が戻ってくると信じていた。
しかし、私の気持ちとは裏腹に、父はすぐ別の女性と再婚してしまった。ある日、幼稚園から家に帰ると見知らぬ女性が待っていた。新しいお母さんのタエだ。初対面のタエは口では「よろしく」と言ったものの、笑顔はなく、私は怖さを感じた。
「ママがいい」
心の中で私は必死に叫んでいた。それからというもの、私の毎日は最悪なものとなっていった。タエはいつも私と祖母に冷たく当たった。家事は一切せず、全て祖母に丸投げで、私の幼稚園の送り迎えをしてくれたのも祖母だ。タエは私が何か失敗するたびに罵声を浴びせ、「グズ」「役立たず」と怒鳴りつけた。私が泣いて謝っても許してなどくれず、それを見ている父でさえ私の味方はしてくれなかった。
タエは自分の機嫌が悪いと必ず私に当たった。パチンコで負けた腹いせに暴力を振われたこともある。
「むかつく顔だね。気に入らないんだよ」
タエは母に似ている私を嫌い、折あるごとに手をあげた。いつしか父までもがタエに同調し、私に罵声を浴びせるようになっていき、私の味方は祖母だけになってしまった。
私はタエが怖かった。毎日タエの顔色を伺いながら、息を潜めるように生きてきた。それでもタエの暴力はやむことがなかった。小学校に上がっても、中学に上がっても状況は何一つ変わらず、次第に私は自分の意思や考えを持つことさえも諦めてしまっていた。
母はどうして私を置いて出ていってしまったのだろうか。頭に浮かぶのは母に対しての怒りだった。今思えば、私は母に助けて欲しかったのかもしれない。
高校生になったある日、私は祖母に母の居場所を聞いてみたが、祖母も全く分からないという。そこで私は実家に戻って母の居場所の手がかりを探そうと考えた。母のアルバムを開けば何かヒントが見つかるのではないかと思ったのだ。しかし、学校からの帰りが遅くなるとまた暴力を振われてしまう。チャンスがあるとしたら週末、タエがパチンコに出かけている間だけだった。
祖母に相談すると、「タエにはうまくごまかしておく」と協力を申し出てくれて、私に実家の鍵を預けてくれた。私は緊張しながら週末を待った。しかし2日後、郵便局へ行くと言って出かけた祖母が帰ってこない。一体何があったのかと私は不安に駆られた。数時間が過ぎ、1日経っても祖母は帰らず、私は嫌な予感に襲われた。
祖母が行方不明になって2日後、警察からかかってきた電話に私は大きな衝撃を受けた。祖母が人里離れた山の中で転落死しているのが発見されたというのだ。郵便局に行くと出かけたはずの祖母が、なぜ何キロも離れた山に向かったのか。あの日の祖母はいつもと何ら変わりなかった。祖母が気に入っているカーディガンを羽織り、「すぐに帰ってくるから」と笑顔を見せてくれていたのだ。祖母が山に行く理由などどこにも見当たらなかった。
しかし父とタエは警察に事情を聞かれ、祖母が数年前から認知症を患っていたと証言した。その言葉に私は驚いた。祖母は母のことも私のことも全部しっかり覚えていた。料理の味も変わっていない。祖母の行動を一つ一つ思い返してみても、どこにも認知症の兆候など見られなかった。
「お、おばあちゃんは認知症なんかじゃない」
私が必死に声を振り絞った瞬間、父とタエは私を激しく睨みつけた。しかし警察官は「詳しく聞かせて欲しい」と興味を持ってくれた。
「義母は孫のことだけは覚えてたんです。だから彩子にはまともに見えていたのかもしれません」
父がとっさについた嘘で、警察官は「なるほど」と私から視線を外した。結局祖母の件は認知症による事故として処理されたが、私の中の疑念は消えないままだった。
祖母が亡くなってからというもの、私の毎日は一層最悪なものとなっていった。タエはそれまで祖母がやっていた家事を全て私に押し付けた。友達と遊ぶことも禁じられ、夕飯が少しでも遅れると問答無用で殴られる。父とタエに怯えながら、私は学校と家事に追われる日々を送っていた。
しばらくして私の進路相談が始まった。大学に進学するのか就職するのか、高校を卒業した後の進路を決める大事な面談だったが、予定の時間よりも遅れて教室に入ってきた父は、私の話も聞かず「就職で」と言った。
「3人が戸惑いながら私にどうしたいと聞いてくれた。私は大学に行きたい」
「大学に行って何になるって言うんだ?うちにはそんな無駄金なんてない」
そう言うと父は教室を出ていってしまった。仕方なく私は進学を諦め、高校卒業後地元企業に就職した。
私が就職して間もなく、父が退職した。それまで正社員の営業マンとして働いていたが、大幅なリストラの対象となってしまったそうだ。父は就職活動もせず1日家でゴロゴロするようになり、タエは相変わらずギャンブル三昧の日々。必然的に2人は私の収入に頼るようになり、私は給与の大半を家の生活費として使うしかなかった。一体いつまでこんな生活が続くのか。私は絶望感に苛まれていた。
しかし、そんな私を支えてくれる男性が現れた。同じ部署に務める竹村洋介だ。洋介は私より2つ年上で、私の教育をしてくれていたが、入社して1年が経った頃「付き合って欲しい」と告白してくれた。その時は家のこともあり、誰かと交際するなどと考えられなかった私は、正直に洋介に話をした。すると彼は「親のせいで自分が犠牲になる必要はない」と怒ってくれた。その言葉に私は涙が止まらなくなった。祖母が亡くなって以来、この世の中に誰一人、私の味方はいないと思っていた。しかし洋介は私が抱える事情を理解した上で、解決方法を一緒に探そうと手を差し伸べてくれた。
それからというもの、仕事の昼休みや会社からの帰り道に洋介と話す時間は、私にとってかけがえのない癒しの時間となっていった。それと同時に、私は父やタエとの決別を強く望むようになっていった。しかし私が家を出たいと言っても、父やタエは同意しないだろう。どうにか2人に気づかれずに家を出る方法はないものかと、毎日のように頭をひねらせた。
そんな中、洋介が「結婚すれば2人も文句言えないんじゃないか」と言ってきた。
「そりゃ結婚すれば堂々と家を出ていけるけど、そんな簡単な話じゃないわ」
「どうして?俺じゃ不安?」
洋介は私の目を覗き込む。
「そうじゃないけど、まだ付き合って半年よ」
「でも俺は彩子と一緒に暮らしたいって思ってるよ」
洋介の言葉に私は戸惑いばかりが浮かんだ。洋介と一緒になりたい。それは私も思っていたが、父とタエが素直に認めるだろうか。結婚したら洋介にまで迷惑をかけてしまうのではないかと不安だった。
「大丈夫。何も心配しないで。2人ならきっと解決していけるよ」
屈託のない洋介の笑顔に励まされ、私は結婚することを決めた。
「これで彩子の婚約者として堂々とお父さんたちと話せるな」
洋介はそう言うと、私の家に挨拶に行くと宣言した。私が結婚すると聞いたら父やタエはどんな反応を示すだろうか。もしも洋介に手をあげるようなことがあればどうしようかと、私の中には不安が渦巻いていた。
そして数日後、洋介が家に来た。
「彩子さんと結婚を前提にお付き合いしています。竹村洋介と言います」
洋介は父とタエの前で深々と頭を下げる。
「結婚だと?こんな女のどこがいいんだ?」
「そうよ。何の取り柄もない。つまらない。彩子と結婚したって不幸になるだけよ」
父とタエは私のことを下げ、洋介に私との交際をやめた方がいいと迫った。
「僕は彩子さんと結婚したいんです。お2人がどう思おうとこの気持ちは変わりません」
洋介は2人に反発するように私との結婚を強く求めた。
「認めん。こいつがいなくなったら誰が俺たちの生活を面倒見るって言うんだ」
「そうよ。結婚なんか絶対にさせないから。分かったらさっさとこんな女捨てなさい」
父とタエは鬼のような形相で洋介を怒鳴りつけた。
「お2人の生活はお2人ですればいいでしょう。彩子さんが養う義務はありません」
「なんだと?他人のお前にとやかく言われる覚えはない。彩子は私たちの娘、親である私たちがダメだと言ったらダメなのよ」
父とタエは絶対に私と洋介の結婚に同意しないようだ。
「彩子さんはもう20歳です。彼女の人生は彼女自身が決めるべきです」
洋介は毅然とした態度で2人に意見をぶつける。父とタエは激しく怒り始め、洋介を罵倒しながら家から追い出した。
「ふん。結婚なんかできると思うな。お前は一生俺たちの世話をするんだ」
「あんたは私たちのために稼いでくればいいんだよ。結婚だなんて余計なこと考えるんじゃないよ」
父とタエは私のことなど何一つ考えていない。自分たちの都合のいい下僕であり金づるとしか思ってないのだ。2人の元にいては私の幸せはない。そう確信した私は、家を出るべく密かに貯金を始めた。同時に、いつでも出ていけるように、2人に気づかれないように準備も進めた。
ある日の仕事終わり、洋介と歩いていると、ふと実家に行きたくなった。引っ越し以来訪れていない廃墟と化した実家に、なぜ行きたくなったのかわからない。ただ漠然と行かなければと思った。今思えば何かに導かれたのかもしれない。洋介も同行してくれることになり、私は実家へと向かった。
玄関を開け、足を踏み入れる。15年ぶりに帰った実家は、どこか寂しく懐かしい匂いがした。洋介がスマホのライトで辺りを照らした瞬間、廊下の奥に女性の後ろ姿が見えた。
「誰?」
女性は振り向くこともなく廊下を歩いていく。私は慌てて女性の姿を追った。
「どうしたんだ?」
「女の人が…」
「誰も見てないよ」
玄関には鍵がかけられ、誰かが侵入できるはずがない。それは分かっていたが、どこか懐かしい後ろ姿を追いかけずにはいられなかった。
「待って」
走り出した私を洋介は心配そうに追いかけてくる。廊下を進むと、女性は物置小屋の前に立ち、すっと姿を消した。そこは子供の頃「絶対に入ってはいけない」と言われていた場所だ。
「この中に何かあるのか?」
「分からない。でも開けなきゃって思う」
私は物置小屋の扉を開けた。中には子供の頃私が使っていた三輪車や母が使っていたミシンなどが乱雑に置かれている。その奥にある棚に収められたダンボールの上に、小さな木箱が置かれていた。その木箱が妙に気になって仕方ない。その時、私の耳元で「あの箱」と女性のささやき声が聞こえた。周りを見渡しても私と洋介以外に人はいない。しかし不思議と恐怖は感じなかった。
「あの箱を取ればいいのか?」
「ええ、お願い」
洋介がガラクタをどけながら木箱を取ってくれる。箱を開けると、中から母の古い携帯電話が出てきた。
「すげえ、ガラケーじゃん」
洋介は無邪気に囃し立てるが、私の心は穏やかではなかった。母の携帯がなぜここにあるのか。しまわれていた携帯は、母が失踪した当時に使っていたものだ。嫌な予感が頭をよぎる。
「これは何だろう?」
洋介に言われ、箱の中を見ると新聞紙に包まれた謎の物体が目に入ってきた。恐る恐る新聞紙を広げる。その瞬間、私と洋介は息を飲んだ。
3日後、私は父とタエに家を出ると宣言した。
「勝手に家を出ていくなんて許さない」
父とタエは激怒しているが、私の決意は揺がなかった。
「お母さんは本当に男と駆け落ちしたの?」
「なんだ?どうして急にあいつのことを聞くんだ?」
父は明らかに動揺を見せている。私は果物ナイフを置いた。
「9月7日」
私はつぶやきながら、物置小屋から出てきた母の携帯電話と錆びついた果物ナイフを置いた。
「なんだ?どうしてこれが?」
父は顔を青ざめさせ、激しく動揺している。
「やっぱり知ってるのね」
「俺じゃない。俺が殺した証拠はあるのか?」
やはり思った通りだった。母は失踪したわけではなく、父に殺されていたのだ。新聞紙には果物ナイフが包まれていた。9月7日は母が失踪した日で、新聞紙の日付もまた9月7日だった。
「おばあちゃんが全部記録に残していたわ」
私は父とタエに祖母の日記を突きつけた。実は祖母は亡くなる前日、友人である島田さんにダンボール箱を託していたのだ。祖母の隣に住んでいる島田さんは、祖母から「もし孫が尋ねてきたらこの荷物を渡して欲しい」と頼まれたのだとか。私と洋介が実家を出たところで偶然会い、ダンボール箱を受け取った。ダンボール箱にはテープが貼られたままで、島田さんは中を見ていないという。開けてみると、中から祖母の日記が出てきた。日記には、父がタエと再婚するため邪魔な母を殺し、山中に遺棄した事実が記されていた。当時母は父の浮気に気づき、慰謝料を請求して離婚しようとしていたそうだ。しかし、タエへの援助で借金を抱えていた父は慰謝料の支払いを避け、逆に母にかけた生命保険を得ようと、母を事故に見せかけて殺害しようと企んでいた。あの日、父とタエを呼びつけた母は父に離婚を言い渡し、慰謝料と養育費を請求したが、それに腹を立てた父は衝動的に母を殺害してしまったらしい。その一部始終を目撃していた祖母は警察に通報しようとしたが、父に「彩子が親なしになってしまう」と説得され、通報を躊躇したと書かれている。しかし祖母はタエが私に暴力を振るう姿に耐えかねて、警察への通報を考え始めていたそうだ。
「おばあちゃんもあなたたちが殺したんでしょ?」
「俺たちは何も知らない。あの人は勝手に山から落ちたのよ」
祖母の死にも2人が関与している。私の中には確信があった。祖母に認知症の兆候はなかったと島田さんも断言している。
「認知症だってことにすれば事故として処理される」
「だからどうしておばあちゃんまで…私たちは何も知らないって言ってるでしょ。その日記だってババアの妄想よ」
「そうよ。きっとあんたの母親を殺したのもババアよ。それを私たちになすりつけようとしたんだわ」
父とタエはくまでも母と祖母の死に関与していないと言いはった。
「それじゃ、これはどういうことかしら?」
私はパソコンで動画を再生し、2人に見せた。その動画は母の携帯に保存されていたものだ。おそらく母は離婚の証拠になると思い、録画していることがバレないように鞄の中に携帯電話を忍ばせていたのだろう。その動画には、15年前父が母を殺害した一部始終が録画されていた。
「15年も前の映像が残っているわけない。これは偽物よ」
木箱から出てきた携帯電話はバッテリーが劣化していたようで電源が入らなかった。そこで私は携帯ショップに持ち込み、中に保存されているデータを新しいSDカードに移行してもらったのだ。動画には、タエが冷静にナイフを新聞紙に包んでいる姿や、父が怯える祖母を必死で説得する様子も映っていた。
「これが動かぬ証拠よ」
「くそ。あのババア、どこまで俺たちの足を引っ張るんだ?」
父は凶器のナイフをすでに処分したと思っていたようだ。実際にタエは新聞紙で包んだ果物ナイフを可燃ゴミの入った袋に入れ捨てた。翌日は可燃ゴミの収集日で、回収されてしまえば証拠は残らない。そう思っていたのだろう。しかし祖母はそれを拾い、携帯電話と共に物置小屋に残していたのである。祖母は父がタエと再婚し、アパートに引っ越すことを知っていた。そのためあえて実家の物置小屋に隠したのだ。そこであれば父やタエに見つかることはない。祖母の日記には「いつか善良な誰かに発見されますように」と書かれていた。
「おばあちゃんは2人に殺されるって分かってたのよ。だから島田さんにこの日記を託した」
祖母は2人が自分の殺害を計画している話を聞いてしまったそうだ。自分が死んだら真実が闇に葬られてしまう。それを恐れ、島田さんに荷物を預け、いつか私の手に渡るようにと願ったのだ。
「これでもまだ自分たちは関係ないって言いはるの?」
私は2人を睨みつけた。
「ああ、そうだ。あいつが死んだら保険金は俺のものだ。慰謝料も払わなくて良くなる。だから殺したっていうの」
「最初は事故に見せかけるつもりだったんだ。それなのにあいつ…」
父は当初、母を交通事故に見せかけて殺害するつもりだったという。しかし父が衝動的に母を殺したことで計画が狂った。母の死体を見つめながらタエは冷静に考え、すぐに保険金を受け取ることは難しいと判断し、母が失踪したように見せかけようと計画を変更した。そして遺体を山中に運び、事件そのものがなかったように偽装したのだ。失踪であれば7年待てば失踪宣告ができる。家庭裁判所が認めれば、その時点で母は死亡したと判断され保険金が受け取れるのだ。
「保険金が入ってきたからいいものの、あの時はどうなるかと冷や冷やだったわよ。本当、これだから細胞は困るわ」
タエは無計画に行動した父を罵倒している。タエは恐ろしい女だ。母の殺害計画も祖母の偽装事故も、全てタエが計画を立てたそうだ。
「私はあくまでアドバイスをしただけよ。手を下したのはあなたよ」
「なんだと?俺はお前の指示に従っただけだ」
2人は互いに責任を押し付け合っている。
「私が計画した証拠なんてどこにもないわ。だけどあなたが殺した証拠ならそこにある」
タエはテーブルに置かれた果物ナイフを指さした。
「俺が捕まったら洗いざらい喋ってやる。お前も同罪だ」
「色ボケした男の妄想だって言ってやるわ」
2人の見苦しい言い争いを冷ややかに見つめていると、腹立たしくて仕方がない。自分たちの私利私欲のために母と祖母を手にかけておきながら、2人とも何一つ反省もせず自分の保身を考えているのだ。
「あなたたちの会話は全部録音してるから、2人とももう逃げられないわ」
「なんだと?そのスマホね」
父とタエは私が手に持っていたスマホを奪おうと襲いかかってきた。
「大人しくスマホを渡さないと、お前もあいつらと同じ目に合わせるぞ」
「いやよ、これだけは絶対に渡さない」
父は私の腕を掴み、強引にスマホを奪い取ろうとする。
「言うこと聞きなさい」
タエが私を殴ろうと手を振りかぶったその時、玄関の方で大きな音がした。
「彩子、大丈夫か?」
洋介が慌てた様子で駆け込んでくる。その後ろには複数の警察官がいた。父とタエは私から手を離し、何事もなかったかのように愛想笑いを浮かべている。
「一体どうしたって言うんだ」
「警察に通報してもらったのよ。もう逃げられないわ」
警察官を前にしてもタエは動じる様子を見せない。
「私は何も関係ないわ。全部やったのは剣一よ。私はこの人に脅されて無理やり協力させられたのよ」
タエは白々しい演技で警察官に訴えかけた。
「そんな芝居が通用すると思ってるの?」
私はスマホの動画を再生し、これまでタエが私に振ってきた暴力の数々を見せつけた。
「あなたに暴力を振っていたことは認めるわ。ごめんなさい。私も剣一に暴力を振られてたのだから」
「そんな嘘がよく言えるな」
タエは私に暴力を振っていたことさえも父のせいだと言い張った。父とタエは2人で母と祖母を殺した。2人の会話はこのスマホに入ってます。私は自分のスマホと祖母の日記、そして母を殺害した凶器である果物ナイフを警察官に差し出した。それを確認した警察官は慌ただしく動き出し、母と祖母の殺害に関して父とタエに任意同行を求めた。
その後の警察の取り調べにより、父は母と祖母の殺害を認めたようだ。果物ナイフからは母のDNAが検出され、父とタエの指紋も検出されたらしい。父の供述により、郊外にある山中から母の白骨遺体が見つかり、DNA鑑定で母本人だと断定された。タエはあくまで父に怯え従うしかなかったと供述していた。しかし父のスマホにタエとの会話が録音されており、その中にタエが母と祖母の殺害を指示する内容が含まれていたようだ。それにより2人の殺害を計画したのはタエであることが証明された。母の携帯電話の録画から殺害現場にタエがいたことも証明され、祖母の件に関しても関与が疑われた。その後の警察の捜査で、郵便局の防犯カメラに祖母に接触する父とタエの姿が映っていたことが分かった。また祖母が転落した山へ行く道中にあるコンビニの防犯カメラにもタエの姿が映っていた。警察はタエが父の共犯者であると断定し、2人を殺人及び死体遺棄の容疑で逮捕した。
父とタエは、母の殺害を祖母が警察に通報しようとしていたことに気づき、あの日祖母の後をつけたそうだ。真実が明らかになれば2人は逮捕され、すでに受け取っていた母の保険金も返還しなければいけなくなる。2人は祖母の口封じを企て、さらには祖母の保険金も手に入れる計画を立て、まんまと成功させたのだ。父とタエの身勝手な犯行は決して許されるものではなく、その後の裁判で無期懲役が言い渡された。
2人の裁判を見届けた後、私は妊娠を機に結婚した。15年もの長く暗いトンネルからようやく抜け出したのだ。洋介との生活は私に平穏をもたらしてくれる。誰かに愛され、守られていることがこれほどまでに幸せなことなのだと実感しながら、明日への希望に溢れている。
ある日、私は洋介と共に母と祖母の墓参りに出かけた。
「お腹の子、3人で幸せな未来を築いていくわ」
墓前で静かに手を合わせていると、優しい風が私の髪を揺らした。それはまるで母が「よく頑張った」と頭を撫でてくれているようだった。
家に帰った私は、生前の母の写真を収めたアルバムを開いてみた。祖母が島田さんに託したダンボールに入っていたものだ。アルバムには、生まれたばかりの私を抱き笑顔を浮かべる母、まだ小さい私の手を引く姿が残されていた。その中に、真っ白なワンピースを着た母の後ろ姿を見つけた。それはあの日、実家で見かけた女性そのものだった。



