顔合わせの日、夫の家族の席に一つだけぽつんと空きがあった。義母と義父が申し訳なさそうに頭を下げる。
「あいつ、ちゃんと言っておいたのに」
夫の健一さんも不満を漏らし、私の家族に謝った。私は笑って「気にしないでください」と言った。義母はほっとしたように「娘とも仲良くしてくださると嬉しいです」と付け加えた。
「ええ、もちろんです」
この時、私は何も深く考えなかった。義両親も夫もいい人だから、義妹もきっといい人に違いないと。
私の名前は瞳。33歳。夫とは2ヶ月前に入籍したばかりで、結婚式は来年を予定している。同じ時期に母が病気で入院し、私は母が退院してから式を挙げたいと思っていた。母は昔から私の花嫁姿を見るのが夢だと言っていたから、それまで専業主婦として夫婦の時間を楽しむことにした。
私は結婚前、ある病院で医師として働いていた。しかし多忙な毎日で心身のバランスを崩し、仕事にも日常生活にも支障をきたすようになった。患者もいたのですぐに辞めるわけにはいかなかったが、周囲の勧めもあって病院を辞めた。大きな病院は私には合わなかったのかもしれない。医師として不甲斐ない、恥ずかしいと自分を責めていた頃、夫と出会い、交際を経て結婚した。
一般家庭で育った夫は、私が元医者だと知った時は驚いていたが、医者の私ではなく、私自身を見てくれた。「瞳が笑顔でいてくれるように頑張るよ」と言いながら、夫は毎日仕事に励んでいる。私はそんな夫のために料理や家事に精を出していた。今、私が笑顔で生活できているのは、夫の存在が大きい。
体調も少しずつ回復してきたので、もう少ししたら医師免許を生かして働こうと思っている。だが、幸せな生活の中に一つだけ気がかりがあった。それは、まだ会ったことのない義妹の存在だ。義両親によると、義妹は医学生として多忙な毎日を送っている。顔合わせの時も学業を理由に欠席した。受験を一発合格したらしいから、優秀なのだと思う。
顔合わせから数ヶ月で入籍したので、義妹と会うタイミングを完全に逃してしまっていた。「そのうち一度挨拶できるといいんだけど」と、私はなんとなく考えていた。
ある日、私は夫と町へ出ていた。一緒に家具やお揃いの食器を見たりして、楽しい時間が過ぎていく。そろそろ休憩しようかと思った時、女性の声がした。
「あれ、お兄ちゃんじゃん」
夫が振り返り、私も視線を向けた。胸元の開いたワンピースにヒールの高いパンプス、強い香水の香りの派手な若い女性が立っている。
「リホ、どうしてここに?」
リホと呼ばれた女性は、じろじろと私を見る。なんだか居心地が悪い。夫は私に女性を紹介した。
「瞳、会うのは初めてだよな。俺の妹のリホだよ」
「あ、そうだったのね。初めまして、瞳と言います」
この人が義妹だったのか。少し想像と違ったが、私は失礼のないように頭を下げて挨拶した。人を見かけで判断するなんてだめよね、と心の中で反省した次の瞬間、義妹は馬鹿にするかのように笑った。
「そっか、もう入籍したんだっけ? へえ、この人が私のお姉さんってわけね。お兄ちゃんは高収入でイケメンなのに、こんなさえないおばさんと結婚するとか謎すぎ」
初対面で露骨に失礼な物言いをされ、私は凍りついた。確かに夫は私より4つも年下で、見た目が良く、大手薬剤メーカーに勤めているから平均より高収入だ。何も知らない人に釣り合わないと思われるのは分からなくもない。でも、面と向かって言える神経は全く理解できなかった。
義妹とは性格が合わないかも、と考えていると、夫は私をかばうように前に出て義妹を叱った。
「おい、失礼なことを言うな。というか、お前もしっかり挨拶しろ。ただでさえ顔合わせを自分の都合で欠席しているんだから」
義妹は気にする様子もなく、ヘラヘラと笑う。
「え、だって久しぶりの合コンがあったんだもん」
「え、学業で忙しいんじゃなかったんだ」
欠席の理由に衝撃を受けたが、私は間を取り持とうと口を開いた。このままだと夫が激怒して兄弟喧嘩になりかねないからだ。
「あ、まあまあ、今日こうして会えたんだからいいじゃない。リホちゃん、よろしくお願いしますね」
義妹が私を睨む。
「てか、あなた何やってる人? 私は未来のお医者様なの。あまり気安くしないでくれない」
「私は偉い、私は特別」というオーラがにじみ出ている。私の周りにもプライドの高い人はたくさんいたが、ここまで露骨な人も珍しい。私は今にも怒鳴りつけそうな夫をなだめながら答えた。
「今は専業主婦をさせてもらってるの。元々は……」
しかし義妹は最後まで聞かずに口を挟む。
「専業主婦なんてニートじゃん。ニートなんて社会のゴミが義姉とか、マジで勘弁なんですけど。ああ、それともお兄ちゃんのお金を吸い取る寄生虫かな」
世の中の全ての専業主婦に謝ってほしい。頬が無意識にひくっと震えた。義妹の中で専業主婦はニートという認識らしいが、いくら何でも言いすぎだ。私が便にやり過ごそうと思って対応したのが、マイナスに働いてしまったのかもしれない。
「リホ、いい加減にしろ。瞳はお前が思ってるような人じゃ……」
「いいのよ、健一さん」
私は夫をなだめた。ほんの短い時間ではあったが、義妹がどんな人なのかよくわかった気がする。受験を一発合格し、今も単位を落とさずにいるのだから優秀なのは間違いないだろう。しかし、性格にかなり問題があるようだ。
「お医者さんって素晴らしい職業ですものね。本当に大変な道のりだけど、これからも頑張ってください」
私はにっこりと笑った。
「はあ、ニートが知ったかぶりしちゃって。言われなくても分かってますよ。あ、そうそう。お兄ちゃんの結婚祝いは、私はまだ学生だし免除ってことでよろしくね」
収支人を馬鹿にした態度の義妹に、夫はもう怒る気力も失せたらしい。
「もういいから、行け」
しっしと動物を追い払うようにジェスチャーする夫。それに対して義妹が文句を言う。
「せっかく声かけてあげたのに感じ悪い。まあいいや、私も忙しいし。じゃあね」
そう言って去っていく。義妹の姿が見えなくなると、夫は私に深く頭を下げた。
「妹が本当にごめん。失礼ばかり言って。昔はもっとまとまだったんだけど」
「いいのよ」
私は首を振った。正直、私の中で義妹の印象は最悪に近いが、私のせいで兄弟喧嘩になるよりはずっといい。挨拶はできたし、これからは私が距離を置けばいいだけだ。
「何度もかばってくれてありがとう。あ、そうだわ。気分転換にお茶でもしましょうよ。美味しいコーヒーが飲みたいわ」
私がニコリと笑うと、ほっとしたように夫は頷いた。
数日後、私は近場の大きな病院を訪れていた。お花と着替えなどが入ったトートバッグを持ち、私は個室の扉に手をかける。
「お母さん、瞳よ。調子はどう?」
言いながら扉を開けると、ベッドの上で母が嬉しそうに微笑んでいた。私はこまめに入院中の母の元へ通い、着替えや身の回りのお世話を手伝っている。
「今日はかなり調子が良さそうだよ」
母の代わりに枕元を整えながら、兄の淳が答えた。兄はこの病院で医師として働いており、母の様子も見ている。私にとっては見慣れた顔に、ふっと表情が柔らぐ。
「兄さん、久しぶりね」
私の挨拶に兄は「ああ」と笑い、母の経過を記録していく。私はトートバッグを下ろし、母のベッドの脇にある丸椅子に腰かけた。
「さっきまで父さんもいたんだけど、学校に行ったよ。タイミングが悪かったな」
「もう少し早ければ家族全員揃ったのに、残念ね」
うふ、と母が笑う。
早い話が、ここは私の父が経営する病院なのだ。かつては私も父や兄同様に医師としてこの病院に勤めていた。実家でもあり元職場でもあると言うと、なんだか変な感じだ。
しばらく親子の団欒を楽しむと、
「ああ、さっき飲んだ薬が効いてきたのかしら。なんだか眠いわ」
と言って母が眠り始める。布団をかけてやり、
「俺と瞳の顔を見て安心したのかもしれないな」
私と兄は顔を見合わせて笑い、母の病室を出た。
病室を出て、兄と私はロビーの適当なソファーに腰を下ろした。
「健一さんとは仲良くやってるのか?」
兄の問いに私は頷く。
「ええ、毎日楽しく過ごしてるわ」
兄は笑い、私の頭を撫でた。昔から私に対して心配性なのは、私が結婚してからも変わらないらしい。
「お前が病院をやめてから、家族みんなで心配してたんだ。健一さんと出会ったことが一番の幸運だったな」
「ここまで回復できたのは、健一さんの存在が大きいと思うわ」
引き続き兄妹で雑談していると、兄は看護師に話しかけられて離席した。
「あ、すぐ戻るからちょっと待っててくれ」
私は了承し、患者さんの元へ向かう兄を見送る。本来は院長の父に次いで忙しい身だ。断傷する時間があっただけ奇跡に近い。本当なら私もこの病院で父や兄を手助けしていたはずだったのにな。心の中がわずかに曇り、落ち込んでくる。
「あれ? ニートの瞳さんがなんでここに?」
聞き覚えのある大きな声に、私は顔を上げた。ソファーに座る私を、義妹が意地の悪い笑顔を浮かべて見下ろしていた。「ニート」という言葉を強調した言い方が引っかかるが、私はあくまで笑顔を向ける。
「リホさん、こんにちは。今日は母のお見舞いに来たんです。あの、病院ですから声はもう少し落とした方が……」
嫌な気分になりかけた時に、嫌な人物に会ってしまったと私は内心頭を抱えた。義妹は私のさりげない注意を無視して、変わらず大きい声で話し続ける。
「へえ、お母さん入院してたの? 私は今日実習できたのよ。格好、なんとなくろうなと思っていたわ。この辺りの大学で医学生をしているのだから、不自然でもない。でも、できるなら会いたくはなかった。
それにしても、この見出し並みはちょっと……」
私はさりげなく義妹の格好を見て呆れてしまう。先日あった時ほどではないが、化粧も派手で、結んだ髪も緩い。出し並みを直す時間などはほとんどないと思うが、理解しているのかしら。私も医師として働いていた時に化粧をしていたが、清潔感を重視して、患者さんが不快にならない程度に抑えていた。誰も注意しないのかしら。
ちらりと見ると、義妹の後ろの方で同じ医学生やこの病院の医師の数人が顔面を蒼白にしてうろたえている。この病院の医師ならほとんどが私の元同僚だし、周りの医師から耳打ちされ、私が院長の娘だと今知った医学生も多いようだ。彼らにとって、院長の娘相手に失礼を働く命知らずな医学生と写っているに違いない。
義妹の大きな声が院内の迷惑になると考え、私はせめて場所を変えようと口を開く。
「あのね、リホさん、大声は迷惑だから」
わざとかと思うほど、義妹は大げさにため息をついて私の言葉を遮った。
「はあ。ニートの娘がお兄ちゃんみたいな高収入の男を捕まえて、お母さんもさぞ安心してるでしょうね。どうせお母さんの入院費もお兄ちゃんに払わせてるんでしょう。社会のゴミ親子が考えそうなことだわ」
ニヤニヤと笑い、私がいかに恥ずかしい人間か周りに知らしめるような言い方だ。義妹のひどい言葉に、周囲の医師や医学生は愚か、通りすがりの患者さんまで顔をしかめている。公衆の面前でニート呼ばわりされたり、何の関係もない母まで侮辱されたことに、私もさすがに我慢の限界を迎えていた。
「おい、お前いい加減にしろよ。この人は……」
見かねた医師の一人が義妹を止めに入ったが、義妹は聞く耳を持たない。「この人はこれくらい言うのがちょうどいいんですよ」とヘラヘラ笑っている。止めに入った医師は義妹のセリフに眉を寄せ、「お前、人生終わったな」と義妹に言い捨てて去っていく。義妹は言葉の意味が分からない様子だ。
入れ違いに、用事を終わらせた兄が戻ってくる。迎え合う私と義妹、そして周囲の異様な空気に、兄は首をかしげた。
「瞳、何かあったのか?」
兄の登場で義妹の態度が一変し、私はぎょっとした。猫を被るという言葉がこれほどしっくり来るとは。義妹は声を変え、兄に話しかける。
心なしか義妹の雰囲気まで変わっているようだ。兄は若くて優秀だし、妹のひいき目から見てもなかなかイケメンだ。そして父の後継者というのもあって、非常に持てる。義妹は兄を狙ってるな、と私は瞬時に察した。
「へえ、瞳さん、この人と仲いいんですか? 実習先の医師を名前呼び」
私が呆れていると、兄はじりじりと義妹から距離を取りつつ「まあね」と答えた。兄の返答が面白くなかったのか、
「え、でもこの人既婚者なんですよ。それは知りませんでしたよね。瞳さん持てるし、気をつけた方がいいですよ」
しつこい。というか、鼻にかかるような甘い声が鬱陶しい。義妹は私を兄を狙うライバルだと勘違いしているようだ。
「知ってるよ。妹だからね」
兄の言葉に義妹が止まる。
「は、ええ?」
呆然とする様子がおかしくて、私は笑うのを必死にこらえた。義妹が呆然としている間に、さっきの医学生が兄に耳打ちする。おそらくことの顛末を話したのだろう。兄は見る見るうちに険しい表情になる。
「へえ。じゃあ、瞳さんってこの病院の院長の……」
戸惑っている義妹に、私は頷いた。
「ええ、娘よ。元々はここで医師として働いていたわ。体調の問題でやめちゃったけどね。今は療養しているから、一時的に専業主婦として家事を頑張っているところ」
私の言葉に義妹は絶望した顔をする。前に夫に聞いたのだが、義妹はこの病院での就職を希望しているらしい。私や母を侮辱し、それが兄の耳に入ったせいで、就職は絶望的だと理解したに違いない。それから、玉残しの夢もか。私はちらりと兄の横顔を見て、心の中で苦笑する。
「人としてありえないな」
小さな声で兄が呟いた。そもそも兄は義妹など眼中になかったようだ。
「リホさんは医学生としてはとても優秀みたいですが」
私がさらに言葉を続けると、義妹はビクっと肩を震わせた。
「人を簡単に社会のゴミだなんて言い切ったり、馬鹿にするなんて、医者になる以前に人として問題があると思う。その問題が何なのか気がつけない限り、あなたに医者になる資格はないわ。胸に手を当てて、よく考えてご覧なさい」
私の諭すような口調に、周囲も「うんうん」と頷いている。馬鹿にしていた私に説教をされ、憧れの兄には失望され、恥の連続で、義妹としては散々だろう。しかし、私は義妹にこのまま医者になって欲しくなかった。命に関わる責任はもちろん、医者は人の心に寄り添えなければならないと私は思うから。
「はあ、意味わかんないし」
義妹は場の空気にたまらなくなったのか、くるりと体を反転させ、駆け足で逃げ出した。
「院内を走るんじゃありません」
通りすがった看護師に注意され、驚いた義妹は盛大にすっ転ぶ。私と兄は顔を見合わせて、やれやれと笑った。
半年が経った。義妹の悪さが立ったのに、私を院内で馬鹿にしたことで、周囲から完全に孤立状態。プライドの高い義妹は、その後、酒を飲み、酔ったのが原因で大怪我を負って入院。因果応報か、義妹が救われる立場になって、ようやく自身の傲慢さを理解できたようだ。
「私、恥ずかしくてたまらない。瞳さんにも謝りたい」
と後悔と反省の毎日を過ごしていると、義両親から聞いた。義妹は医学部は旧学とし、退院したら心を入れ替えて頑張るつもりのようだが、義妹はこれから医師の道だろう。
一方、私はとある製薬企業にメディカルドクターとして最終職が決まった。薬の研究開発や新薬の安全性などを検証するのが仕事だ。父や兄は病院に戻ってこないかと言ってきたが、新しい場所、新しい仕事で気持ちを変えて頑張りたいと思う。母の体調も自宅療養できるまでに回復し、来年あげる私と夫の結婚式に出席するのを楽しみにしている。



