いつも一緒に下校している幼馴染みの敬語に用事があり、その日は俺一人で帰っていた。商店街をぶらぶら歩いていると、女性の叫び声が聞こえた。声のする方を見ると、道にしゃがみ込んだおばあさんが必死に助けを求めている。全身黒ずくめの男がバッグを奪って逃げ去っていくのが見えた。
俺は迷わず男を追いかけた。足はそこそこ速かったが、中学二年生の俺の方が速い。すぐに追いつき、男が持つバッグに手をかけた。よし、捕まえた。そう思った瞬間、男に投げ飛ばされてしまった。体中に激しい痛みが走り、そのまま意識が飛んだ。
目が覚めると、そこは病院のベッドの上だった。全身があちこち痛む。隣では母が泣きそうな顔で俺を見ている。なんでも、ひったくりからバッグを取り返そうとしたことを近くの人が警察に通報してくれたらしく、犯人は無事に捕まったらしい。バッグもおばあさんの元に戻ったそうだ。だが俺は腕を骨折していて、全治三か月。母は「お金のことは心配しないでいいから、怪我を治すことだけ考えなさい」と言ってくれた。
そんな話をしていると、病室のドアが開いた。先ほどのおばあさんが、きちんとしたスーツ姿の女性を連れて来ていた。三島さんと名乗ったその女性は、品のある立ち振る舞いで治療費を負担すると申し出てきた。母は遠慮しようとしたが、三島さんは「とても勇気のある行動に感動を受けました。遠慮はしないでください」と頭を下げて帰っていった。背筋を伸ばしたその後ろ姿は、普通の人には見えなかった。
翌日、おばあさんが家に尋ねてきた。本当にありがとうございましたと深々と頭を下げ、高級和菓子の詰め合わせを置いていった。おばあさんには俺と同い年の孫がいるらしく、「その孫に何かあったらと考えると立ってもいられません」と言っていた。
次の日、学校に行くと、包帯でぐるぐる巻きになった俺の腕を見て敬語が勢いよく駆け寄ってきた。お前は昔から自分を犠牲にしてまで人助けをするところがあったもんな、と尊敬の言葉をくれる。クラスメートも心配して事情を聞いてくる。そんな中、教室のドアがバーンと勢いよく開いた。
「おい、五藤かはいるか?」
呼びに来たのは隣のクラスの岩田カナだった。学年一の不良と言われていて、かなりやばい人という噂が立っている。小学生の頃から先輩と喧嘩をして負け知らずだとか。小心者の俺が呼ばれるはずがないのに、恐ろしくて理由も聞けない。敬語が「お前、何したんだよ」と心配そうに聞いてくるが、俺にもわからない。
岩田さんの後をついていくと、校舎裏に着いた。
「おい、腕大丈夫か?」
「ああ、これですか? 聞き手だからちょっと不便だけど、まあ問題ないですよ」
「そうか。ごめんな」
「え、なんで岩田さんが謝るんですか?」
「お前が助けてくれたのは、私のばあちゃんなんだ」
ああ、誰かに似てると思ったら岩田さんか。すっきりした。おばあさんが無事で良かった。そう思っていると、岩田さんが「お前優しいんだな」とぽつりと言った。それから、ばあちゃんがお礼をしたいから今度家に来てくれないかと言う。断りづらくて、俺は行くことを了承した。最後に「なんかどうしても話したいことがあるみたいなんだ」と言って、普段の印象とはかけ離れた笑顔を見せた。それがとても可愛く見えた。
放課後、敬語にそのことを話すと、「相手は学年一の不良なんだぞ。油断するなよ」と真剣に心配された。しかし俺は、そんなに警戒しなくても大丈夫だと思っていた。
迎えた週末。教えてもらった住所に着くと、あまりの家の大きさに驚いた。表札には岩田さんの苗字ではなく「三島」とある。恐る恐るインターホンを鳴らすと、中から返事が返ってきた。ドアを開けると、そこにはおばあさんと、学校とは違う雰囲気の岩田さんが立っていた。
「ここって岩田さんの家?」
「ああ、私はばあちゃんと一緒に住んでるんだよ。両親はいるけど海外出張ばっかでほとんど家にいないから」
おばあさんが用意してくれたご飯はどれも美味しくて、岩田さんは学校での近寄りがたい雰囲気とは違い、おばあさんと話す時は満面の笑みを浮かべていた。そのギャップに驚きを隠せない。「岩田さんって本当に不良なんですか?」と聞くと、「そんなに怖がるなって。自分では分からないけど、そう思うならそうなんじゃない?」と笑われた。不良ですって自分から言う人はあまりいない気もするし、と言うと、「それもそうだな」と岩田さんも笑った。
「でも俺も岩田さんのこと気になりますよ」
「え、私、私は普通の中学生だよ。いや、普通ってことはないかも」
「うるせえな」
「ごめんなさい」
お互いに顔を見合わせて笑い出す。そこへおばあさんがやってきて、「短い時間で随分仲良くなったのね」とにこやかに言った。「いいお友達ができてよかったわね」。友達、か。岩田さんは少し寂しそうにその言葉をつぶやいた。
どうやらこの家は、おばあさんが会長を務める三島貿易という貿易会社の豪邸らしい。超大手企業で、地域で知らない人はいない。すごい人だったんだな、と思う一方で、岩田さんはそんなおばあさんや両親と比べて自分は何もできないとこぼした。小学校までは私立に行っていたが、勉強も運動も全然できなくて落ちこぼれていったんだと。中学校は地元の公立にして、それからずっと学校に行くのが嫌で、春休みに一人でうろうろしていた時に今の先輩たちに声をかけられたのだそうだ。両親は海外出張ばかりで、学校行事にはいつもおばあちゃんだけが来ていた。本当は両親にも見てほしかった、と寂しそうに話す。
俺も少しだけその気持ちがわかる。うちは母子家庭で、母さんは仕事で忙しくて学校行事に来てくれた覚えがあまりない。寂しい気持ちはあったよ。母さんが働かないと生活できないから仕方ないんだけど。でもみんなの親は来てるから、自分だけ親がいないのはやっぱり寂しかった。
「私たち、少しだけ似てるかもしれないね」
その言葉に、俺は自然と口を開いていた。岩田さん、よかったら俺たち友達にならない? 友達? 私と真面目と不良が友達か、面白いかもしれないね。そう言って岩田さんは笑った。俺たちはその日から友達になった。自分から言い出したくせに何をするわけでもなかったけど、少しだけ自分と似ているから親近感が湧いたのかもしれない。不良なんて遠い存在だと思っていたけど、岩田さんを知って、彼女は本当は不良なんかじゃないと分かったから。
それから俺たちは仲良くなり、いつの間にか一緒にいるようになっていた。学校では相変わらず学年一の不良と呼ばれている岩田さんだったが、俺のそんな気持ちはすっかりなくなっていた。ただ、廊下ですれ違った時に目が合うくらいで、俺から話しかける勇気はなかったし、岩田さんからも話しかけてくることはなかった。
そんな中、俺たちの距離が急接近する事件が起きた。学校からの帰り道、敬語と並んで帰っていると、岩田さんが不良たちと絡まれている姿が見えた。どう見ても嫌がっている。不良たちはどこかへ連れて行こうとしている。
「敬語、ごめん。俺行かなきゃ」
敬語の声を無視して、俺は岩田さんの方へ駆け寄った。異様なお前が彼氏か、弱そうだな、と嘲る不良たち。だが岩田さんを解放するよう要求すると、「俺たちと勝負しようぜ。勝負に勝ったらカナを話してやるよ」と言われた。喧嘩なんて人生で一度もしたことがない。でもやるしかない。そう覚悟を決めた瞬間、不良の一人の拳が俺の頭部に振りかかった。俺は目をつぶることしかできなかった。
「お回りさん、こっちです!」
敬語が叫んだ。やべえ、警察なんて面倒だ、と不良たちは一目散に逃げていった。どうやら敬語が通りかかった警察官を呼んできてくれたらしい。
「おい、大丈夫か?」
「敬語、いきなり走り出すから驚いたよ。お前本当に足が速いんだから」
「かず、大丈夫か? てかなんで私のことを助けたんだよ?」
「わかんない。体が勝手に動いてた」
岩田さんは「かず、敬語、ありがとうな」とにっこり笑って帰っていった。岩田さんって笑うんだな、と敬語も驚いていた。
数日後のこと。岩田さんは顔に少し傷を作って登校してきた。校内ではまた喧嘩に勝ったとか、隣町の学校に乗り込んだとか、いろいろな噂が流れている。でもその傷の理由を俺と敬語は知っていた。前日の帰り道、公園で傷だらけの岩田さんを見つけたんだ。あの日の先輩たちと、けりをつけてきたらしい。つるむのをやめたんだと言う。消毒液と絆創膏を買ってきて手当てをすると、「かは足が速いな」と笑った。敬語が「こいつ、幼稚園の時からリレーに選ばれてたんだぜ」と付け加える。
「岩田さん、先輩たちとつるむのをやめるって言ってたけど、その言葉遣いもやめるの?」
「そうだな」
「多分やめたらもっと可愛くなるよ」
「え、いや、岩田さん笑うと可愛いからさ。その言葉遣いもあってみんな怖がっているのかなって思うんだ」
「そっか。かがそう言うならやめようかな」
それから岩田さんは不良たちとつるむことをやめた。長かったスカートの丈も、言葉遣いも変わり、勉強にも励んでいるようで、みんな驚きの言葉を口にした。雰囲気も柔らかくなり、岩田さんが可愛くなってると噂になっている。その変化は嬉しいはずなのに、なんだか複雑な気持ちだった。俺はこの時初めて、岩田さんを好きになってる自分に気づいた。
でも受験も控えたこの時期に告白するわけにはいかない。岩田さんが目指している高校は、俺が目指しているところよりもずっと上のランクだ。その邪魔をするわけにはいかないよな。だから中学を卒業する日に告白しようと決めた。
それから受験のために図書館で二人で勉強するようになった。元々頭のいい岩田さんのおかげで、わからない問題もなんなく解ける。俺が勉強の邪魔になってないか心配すると、「全然邪魔じゃないって。何度も言ってるでしょ。かと一緒に勉強しているとむしろやる気になるよ」と言ってくれた。
図書館からの帰り道、岩田さんが手袋を手渡してきた。色違いの手袋。おばあちゃんが受験前に手が冷えるのは良くないって買ってくれたらしい。「色違いは嫌だって言われたらどうしようって思ってたの」という岩田さんの言葉に、俺は「嫌なわけないよ。むしろ嬉しいよ」と答えた。そう言った後、顔が赤くなる。岩田さんも照れていたのか、頬が赤くなっていたような気がした。
そして受験を終えて、合格発表の日。お互い結果を見たら公園に来て報告し合うと約束をした。だがなかなか岩田さんが現れず、不安が募る。
「かず、待たせてごめん」
息を切らせてやってきた岩田さんに、どうだった? と聞く。「合格してた」「やったね。おめでとう」。岩田さんも俺の結果を聞いて「よかった」と微笑んだ。でも、春からは別々の学校になる。岩田さんは電車通学、俺は自転車で通える地元の高校。「まあ、遠くに引っ越すわけじゃないしさ。お互いの夢が叶ったんだから」と俺が言うと、「そうだね」と岩田さんも頷いた。本音を言うと寂しいけど、岩田さんの夢を応援したい気持ちも本当だ。休みの日はまたこうして会おうよ、と約束した。
卒業式の日、敬語には告白することを話してあった。か、本当に言うんだな。うん。そっか。頑張れよ。お前なら行ける。岩田さんが変わったのもかの おかげだもんな。それに二人を見てるといい感じだよ。何かあったら協力するからな。そう言って敬語は親指を立ててくれた。
式を終えて最後のホームルームも終わり、俺は席を立った。敬語の方を振り返ると、親指を立てて声援を送ってくれる。俺は岩田さんのところへ向かった。
「岩田さん。ちょっといいかな?」
そして俺はあの日、岩田さんに呼び出された校舎裏へと向かった。ここって? そう、俺たちが初めて話した場所。俺さ、岩田さんのことが好きなんだ。そう告げると、岩田さんは驚いた顔をした。
「え、かが私を? 本当に私、不良で評判悪かったよ」
「そんなの知ってるよ。でも俺には関係ない。岩田さんは優しい人だって俺は知ってるから。おばあちゃん思いの素敵な子だって。だから俺は好きになったんだ。俺と付き合ってください」
「まさか告白してくれるなんて。なんとなく気づいていたんだけどね。だけどかから告白してくれることはないって思ってたから、私から言おうって思ってたの。でも先に言われちゃった。私もかずが好き。どんな私でも受け止めてくれたのは、ばあちゃんとかだけ。これからもよろしくね」
「うわあ、カナちゃんおめでとう」
「え、ばあちゃんなんでここに?」
「さっき男の子に聞いたら、多分ここにいるって言ってたのよ」
おそらく敬語だな。おばあさんは「かず君、カナちゃんのことをお願いね。この子ね、不器用だけど本当はすごく優しい子なの」と涙ぐみながら言った。「私ね、かず君に会った時からカナちゃんといいコンビになると思ってたの。長生きするから結婚まで見届けさせてね」とまで言われ、俺たちは顔を赤くした。ばあちゃん、気が早すぎだよ、と岩田さんが止める。後ろでは敬語が「かず、ごめん。邪魔しちゃったな。おばあさんに待ってもらおうと思ったら走って行っちゃったからさ」と申し訳なさそうにしていた。俺は何も言わずに親指を立てた。
別々の学校にはなってしまったけど、俺たちは順調に交際を続けた。そしてカナは大学に進学。俺は地元の中小企業に就職し、将来のために一生懸命働いた。カナが大学を卒業する日にプロポーズするためだ。この日のためにお金を貯めて、夜景の見えるレストランを予約した。
「私のためにこんな素敵な場所を用意してくれてありがとう。かず、私の気持ちはあの頃から変わってないよ」
「うん。カナさん、俺と結婚してください」
「もちろんです」
母ちゃんもずっと楽しみにしてる。そうだよね。俺もこの日をずっと待ち望んでた。まそばにいてください。え、それから一年ほどして、カナの両親が一時帰国した。そのタイミングで挨拶に行くと、父親は涙ながらに喜んでくれた。
「カナ、今までごめんな。お前のことを考えていたつもりだったが、無理させてたんだよな。これからは自分の好きな道を自信を持って歩んでいきなさい」
「かず君、今までカナを支えてくれてありがとう。私たちの至らなかったところを君が埋めてくれていたんだね。そんなかず君がくれるなら安心だ。これからもカナのことをよろしく頼むよ」
そこで、父から思いがけない言葉がかけられた。「かず君は三島貿易に入る気はないかな?」。俺なんかに三島貿易は分不相応です、と恐縮すると、「かず君みたいに勇敢で優しい人材こそ三島貿易には必要なんだよ。カナもかず君が会社にいてくれた方がより安心だと思うんだ」と言ってくれた。家族みんなで話し合った決断だと。カナも「かがいなければ今の私はなかった。私を救って助けてくれたのはかなんだよ。かには人を変える力がある」と目を輝かせた。
「わかりました。俺を三島貿易で働かせてください」
おばあちゃんはこのやり取りを温かく見守ってくれていた。俺が三島貿易に転職し、仕事に慣れた頃、結婚式を挙げた。母は「かずおめでとう。今まで苦労をかけてごめんね」と目を赤くしながら言った。そんなことない。俺はお母さんのおかげでここまで成長できたんだから。黒をかけたのは俺の方だよ。今まで育ててくれてありがとう。これからは俺に親孝行させてよ。母は式が始まる前から大号泣だった。
式が終わると、おばあさんが小さな箱を手渡してきた。中に入っていたのは、おばあさんが大切にしていたアルバム。カナちゃんはね、小さな頃から負けず嫌いな子だったの。両親がいなくて寂しいはずなのに弱音も吐かず、勉強も運動も一生懸命頑張ってたわ。ただ一人で抱え込んじゃうところが心配だったの。でもかず君がいれば安心ね。今日で私の役目はもう終わり。これからは二人を見守るのが私の役目ね。それと、ひ孫も楽しみにしてるわよ。
「いつまでも見守っててください」
「ばあちゃん、今までありがとう。ばあちゃんのことずっと大好きだよ」
結婚後も俺はカナと三島貿易で働きながら、楽しい毎日を送っている。おばあさんが楽しみにしているひ孫の話はまだ先になりそうだ。二人きりの生活を満喫したい気もするけど、母に初孫を見せてあげたいという気持ちもある。まあ、こればっかりは神のみぞ知る領域だな。



