昼休みに一人で弁当を食べていた彼女に、俺は何気なく声をかけた。それが、この会社での常識をひっくり返す出来事の始まりだった。三谷彩佳さん、二十六歳。明るい金髪にヨレヨレのスーツ、中卒で元ヤンキーという自己紹介に、周囲はこそこそと嘲笑していた。「中卒にはわかんないかな」「コピーくらいならできるでしょ」そんな嫌味を浴びせられても、彼女は笑顔で黙々と働いていた。でも俺は知ってしまったんだ。彼女が一度…

昼休みに一人で弁当を食べていた彼女に、俺は何気なく声をかけた。それが、この会社での常識をひっくり返す出来事の始まりだった。三谷彩佳さん、二十六歳。明るい金髪にヨレヨレのスーツ、中卒で元ヤンキーという自己紹介に、周囲はこそこそと嘲笑していた。「中卒にはわかんないかな」「コピーくらいならできるでしょ」そんな嫌味を浴びせられても、彼女は笑顔で黙々と働いていた。でも俺は知ってしまったんだ。彼女が一度...

「マジか。すごいな、三谷さん。このこと、他の社員たちは知ってるの? 知ってたら、あんなにバカにしないはずだよ」
「いえ、知らないと思います。特に言ってませんし。言ったとしても、信じてもらえないでしょうね」

俺は平田啓介。自分で言うのもなんだが、小さい頃から勉強がよくできた。特別な教育方針があったわけじゃない。普通の両親が普通に働いて、普通に暮らしている家庭だった。ただ、俺の好奇心と学ぶ意欲だけは止まらなかった。勉強することが純粋に楽しくて、塾にも家庭教師にも頼らず、自分のペースで学ぶのが好きだった。

成績は常にトップ。東京大学に合格した時、両親も友人も喜んでくれたが、特に驚かれることはなかった。在学中は研究に没頭し、結果も出した。周囲が就職活動に追われる頃には、すでに内定をもらっていた。大手企業の営業職。教授は言った。「お前のコミュニケーション能力を生かせるのはここしかないと思った」と。年齢や学歴を問わずキャリアアップできるというのも魅力的に感じた。

入社してすぐ、営業部に配属された。仕事はなかなかハードで、さすがの俺も心が折れそうになることが何度もあった。だけど尊敬できる上司や優しい同僚に恵まれ、助けられながら乗り越えてきた。この会社に入って良かったと、何度思ったことか。忙しくも楽しく、充実した日々を過ごしていた。

ある夏の日、俺の部署に中途採用の新人が入社するという噂が流れた。こんな時期に中途採用で入ってくるなんて、入社して6年目の俺にとって初めてのことだ。まさかと思っていたら、新人は本当にやってきた。

「今日からお世話になります。三谷彩佳と言います。よろしくお願いします」

そう自己紹介する女性を見て、みんな口をポカンと開けた。俺も同じく、その姿に目を見張った。明るい金髪に派手なメイク。着ているスーツはシワだらけのヨレヨレ。しかも「中卒で元ヤンキーです」と、あっけらかんと自己紹介している。年は俺の二つ下、二十六歳だという。

高学歴の社員が多いこの会社で、彼女は明らかに異質だった。悲しいかな、異質な要素は排除の対象になりやすい。同僚たちはこそこそ噂話を始めた。「中卒で元ヤンキーだって」「なんでこんな人を雇ったんだろう」「社長の愛人だったりして」。

働き始めた三谷さんは、思ったより真面目だった。大きな失敗もなく、言われた仕事をきちんとこなしていた。だが周りの社員たちは、彼女を下に見て馬鹿にしまくった。

「三谷さん、これやっておいてくれる? ああ、でも中卒にはわかんないかな」
「コピー取るくらいなら中卒でもできるでしょ」
「これ会議で使う資料。急いでコピーしておいて。あと会議室の掃除ね」

同僚たちの嫌味に満ちた言葉に、俺は耳を疑った。高学歴の人って、プライドが高い人が多い。自分が必死で入った会社に中卒がいるってことだけで腹が立つらしい。優しい人たちだと思っていた同僚のきつい言葉に、関係ない俺までもが気分を害してしまう。だけど、当の本人である三谷さんは、どんなに馬鹿にされようと笑顔で仕事を続けていた。嫌味の言葉なんて気にせず、黙々と働く三谷さんが、なんだか格好よく見えた。

ある日の昼休み、一人で弁当を食べている三谷さんを見つけた俺は、思い切って声をかけてみた。

「ここ、いい?」
向かいの席を指差して尋ねると、一瞬驚いた表情を見せた三谷さんだったが、「どうぞ」と言って微笑んでくれた。

俺は失礼を承知で、気になっていたことを聞いてみることにした。なぜこの会社に入ったのか。中学を卒業してから今まで、どうしてたのか。

三谷さんは嫌がる様子もなく、淡々と答えてくれた。

「中学卒業後は、別の会社で働いてました。うち母子家庭で、しかも兄弟が多いから、金銭的に厳しくて高校には行けなかったんです」

病気がちの母親を支え、幼い兄弟のために就職したという。中学の時はヤンチャばかりしていたが、勉強は好きだった。高校に行けなくて正直辛かったけど、その代わりに資格を取るための勉強を一生懸命頑張ったのだと言う。それが認められて、この会社に拾ってもらえたのだそうだ。

「へえ、そうなんだ。資格って、何の?」
俺自身も仕事に関する資格を取得するために勉強中だったので、興味を持って聞いてみた。そして、聞いて腰を抜かした。難易度の高い国家資格を、しかも一度の受験で合格しているというのだ。

「マジか。すごいな。三谷さん。このことを他の社員たちは知ってるの? 知ってたらあんなにバカにしないはずだよ」
「いえ、知らないと思います。特に言ってませんし。言ったとしても信じてもらえないでしょうね」

自虐的に笑う三谷さんに、俺は関心しきりだった。でも、せっかくのその資格を、彼女は有効に使えていない気がした。その派手な髪色のせいで営業にも出させてもらえないみたいだし、馬鹿にしてくる社員たちのせいで、コピーや会議室の準備をしてる姿しか見たことがない。

「三谷さん、余計なお世話かもしれないけどさ。髪色、もうちょっと落ち着いた色にしてみない?」
「髪色? ああ、なんとなく習慣でつい明るく染めちゃって。特にこだわりがあるわけじゃないから、別に何色でも」
「それと、スーツ。もしかして、それしか持ってないの?」

三谷さんのスーツは、何度も着回された痕跡が見て取れるヨレヨレのものだった。襟元には小さなほつれが見え隠れし、スカートには深いシワが刻まれている。こんな色褪せてくたびれたスーツじゃ、営業にも出せない。

「ええ、正直私の給料は弟や妹の学費に消えちゃって。次のボーナスが出たら買おうとは思ってるんですけど」

「よし。仕事が終わったら、一緒にスーツ買いに行こう。代金は俺が払うから、心配しないで」
「え?」

三谷さんも驚いていたが、こんなことを言った自分自身にも驚いていた。三谷さんのせっかくの能力や資格を生かせないなんて、こんなもったいないことはない。その努力と才能に感銘を受けた俺は、彼女を営業のパートナーにすることを決めた。もちろん、このままの姿で勝負できればいいのだが、やはり常識的な格好でスタートラインに立たせてあげたい。そう強く思った。

三谷さんは俺に支払わせることをひどく遠慮して拒否したが、最終的には俺の強い押しに負けた。
「じゃあ、ボーナスもらったらお支払いするということで……」
そう言って頷いてくれた。
「うん、分かった。じゃあ仕事終わったら行こう」

仕事が終わり、三谷さんを連れて新しいスーツを購入。髪色を黒くすることを約束し、駅で別れた。お節介がすぎるかなとも思ったが、俺はどうしても三谷さんのことを放っておけなかった。なぜなのか、自分でもよくわからないけど。

週明け、三谷さんは新しいスーツを着て出勤してきた。長い黒髪を一つにまとめた清潔感のある姿に、社員たちはざわついた。
「せっかく新しいスーツなので、靴も新調してみました。安物ですけど」
足元には、きれいな色のパンプスが輝いていた。

「いいね。これから取引先に行くんだけど、三谷さんも一緒に行こう。上司には許可をもらってるから」

帽子を脱いだように晴れやかな表情になった彼女は、その自信を仕事にも現していくようになった。最初こそ俺の後ろで話を聞くだけだった彼女も、だんだんと発言するようになり、思い切ってプレゼンを任せてみたら、取引先からは予想以上の好評価を得られた。顧客対応においてもその才能を存分に発揮し、俺たちの営業成績は少しずつ上がっていった。

「どういうことだよ。あんな元ヤンとペアを組むだなんて、何を企んでるんだ」
「中卒だぞ。お前の足を引っ張るだけだって」
同僚たちは相変わらず彼女の有能さを疑い、馬鹿にしてきた。そのたびに腹が立ったが、そのうちわかるだろう。実際、三谷さんのように優秀で社交的で、ある意味大胆で度胸のある態度は、取引先の心をわし掴みにしていた。

それに三谷さんは努力を怠ることなく、新たな資格を取得しようと頑張っていた。元々好きだったという語学の勉強を続け、数ヶ月後には圧倒的な語学力を身につけ、なんとTOEIC900点を叩き出した。海外のクライアントとのコミュニケーションもスムーズで、どちらかと言うと英語が苦手な俺は、だいぶ助けられた。

「三谷さんがいてくれたら、本当に心強いよ」
三谷さんは何も言わず、にっこりと微笑んだ。彼女の語学力とプレゼンテーション能力は目を見張るものがあり、クライアントとの信頼関係を築く上で大きな武器となった。同時に、彼女の成長を間近で見守りながら、俺にとって三谷さんがどれだけ重要な存在かを実感していた。二人なら、今後きっと大きな取引を成立させることができる。そう予感していた。

そして、その予感が確信に変わるのに、そう時間はかからなかった。

「今月の営業成績のトップは、平田と三谷だ。おめでとう」

半年後、俺たちの頑張りはついに報われた。六年間、全く手が届かなかったトップの座。三谷さんがいてくれたからこそだ。優秀な社員がひしめき合うこの会社で、俺一人では到底たどり着けなかったと思う。同僚たちは信じられないといった風に口をあんぐり開けていて、ちょっと誇らしかった。

その後も大きなクライアントとの契約を目指し、プレゼンテーションの準備に追われていた俺たち。三谷さんの主導で、冷静なアプローチが光る資料を完璧に作成し、プレゼンに臨んだ。

「ここまで来れたのも、全て平田さんのおかげです。ありがとうございます」
プレゼンの直前、三谷さんはそっと俺に耳打ちした。

「そんなことないよ。俺なんて何もしていない。三谷さんのおかげでしかない」

彼女の努力と才能を尊敬しつつも、俺自身が彼女から多くを学んでいることを感じていた。

「無事契約取れたら、お祝いに食事に行きましょうね」
そっとウインクする三谷さんに、胸が熱くなった。

そしてプレゼンは大成功に終わり、俺たちは新たな契約を取り付けることができた。クライアントも三谷さんのプロフェッショナルな対応に感銘を受けたようで、「素晴らしいチームですね。今後ともよろしくお願いします」と褒めてくれた。

「今日はご飯行きましょうね。どこ行きますか?」
いたずらっぽく笑う三谷さんに、俺も思わず笑顔になる。

その夜、俺たちは居酒屋で乾杯した。てっきりお疲れ様会だと思って、気楽な気持ちで言ったのだが、意外にも三谷さんは真面目な顔で口を開いた。

「私、実は新しいプロジェクトを考えてるんです」

大きな仕事を終え、一区切りと思っていたところに、三谷さんは新たな提案をぶつけてきた。

「地域の小さなビジネスを支援するための、コンサルティングサービスを提供するんです。私たちの経験と知識を生かして、地元の企業をサポートしたいんです」

三谷さんは目をキラキラと輝かせながら語った。

「一緒に取り組んでくれませんか? 平田さんとなら、きっとできると思うんです」

断る理由はなかった。俺も同じ気持ちだったから。三谷さんとなら、どんなことでも乗り越えられる気がしていた。

そして上司に相談し、承諾を得た俺たちは、プロジェクトの立ち上げに向けて準備を重ねる日々が始まった。ビジネスプランの作成、マーケティング戦略の立案、クライアントとの接触。多忙な日々が続く。だけど、三谷さんとの共同作業は楽しくてやりがいがあった。

数ヶ月後、プロジェクトが正式に始動すると、予想以上の反響があった。地元の企業から多くの依頼が寄せられ、俺たちはさらに忙しくなる。三谷さんのリーダーシップと鋭い洞察力が、プロジェクトを成功へ導く原動力となったのは間違いない。その頃には、三谷さんを馬鹿にする人は社内に誰一人いなくなっていた。

ある日、ミーティングの後、一緒にランチを食べている時だった。

「私、平田さんと一緒にいられて、毎日本当に楽しいです」

俺の目をまっすぐに見て、三谷さんが呟いた。

「え? ああ、い、いや、俺も同じだよ」
なんだか恥ずかしくて挙動不審になる俺を見て、三谷さんも急に顔を赤くした。
「あ、いや、すみません。急に……。平田さんのおかげで仕事も充実してて、毎日本当に幸せだなって、ふと思って」
「これからもずっと、私のそばにいてくださいね」

屈託のない笑顔で無邪気に言う三谷さん。

「もちろん。これからも三谷さんと一緒に、未来を築いていきたい。仕事でも、プライベートでも」

俺の精一杯の告白だった。

「はい。よろしくお願いします」
三谷さんは待ってましたと言わんばかりに、俺の手を取ってギュッと包み込んだ。

「平田さんは、私のことを唯一、馬鹿にすることなく認めてくれましたよね。温かくて、優しくて、頼りがいがあって。私、ずっと平田さんが大好きでした」

思いがけない愛の告白に、俺の心臓は高鳴る。

「本当? じゃあ、俺たち、恋人ってことでいいの?」
「はい。お願いします。私と、付き合ってください」

こうして、仕事でもプライベートでもお互いを支え合う関係となった俺たち。その日は未来の夢を語り合いながら、さらに強い絆を感じ合った。

結婚したのは、付き合って一年後の記念日だった。会社に報告した時は、みんな温かく祝福してくれた。同僚たちはあの頃のことを恥ずかしそうに謝り、三谷さんを認めていた。

平田さん。彩佳と歩む未来に胸を踊らせながら、俺はまた新たな目標に向かって進んでいく。彩佳の努力と才能が俺たちの成功を支えていることに感謝しながら、俺たちはこれからも共に成長していきたい。

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