「あんたがやったんでしょう」――母が叫んだその一言で、私の人生は音を立てて崩れ始めた。二十三歳の夏、私は半田直子。地味な見た目に控えめな性格で、毎日家と会社を往復するだけの新社会人だった。実家には美人の姉と、姉ばかりを可愛がる母がいて、私は幼い頃から姉に服も玩具も全て奪われ、それでも嫌われたくなくて従い続けてきた。唯一の味方だった父が癌で亡くなり、看病を続けた私を待っていたのは、姉の自演によ…

「あんたがやったんでしょう」――母が叫んだその一言で、私の人生は音を立てて崩れ始めた。二十三歳の夏、私は半田直子。地味な見た目に控えめな性格で、毎日家と会社を往復するだけの新社会人だった。実家には美人の姉と、姉ばかりを可愛がる母がいて、私は幼い頃から姉に服も玩具も全て奪われ、それでも嫌われたくなくて従い続けてきた。唯一の味方だった父が癌で亡くなり、看病を続けた私を待っていたのは、姉の自演によ...

母が叫んだ。「あんたがやったんでしょう」
「何をですか?」
「知らばっくれるんじゃないわよ。り子の足を折るように誰かにお願いしたんでしょう。それにこの顔。自分が見にくくて、り子が綺麗で寝たままでいるからって、顔を火傷させるなんて、どういう神経してるの」

私の目の前には、顔を真っ赤にしてベッドに横たわる姉がいた。足はギプスで固定され、顔には大きな傷が残っている。包帯の隙間から見える傷が痛々しい。

私は母を振り返り、ため息をついた。
「私はそんなことしませんよ」
「嘘。おっしゃい」
母は私の話を聞こうとせず、携帯電話を取り出して警察を呼ぶと脅し始めた。
「構いませんよ」
「強がっていられるのも今のうちよ。待ってなさい。今警察呼ぶから」

その時、急に姉が母に言った。
「だめ。呼ばないで」
「なんでよ」
「いいから呼ばないで」

私は半田直子。二十三歳の新社会人だ。地味な見た目に控えめな性格で、毎日家と会社の往復を繰り返している。こんな見た目と家庭環境から、結婚願望はない。

私の家族は姉と母と父の四人家族。それなりに裕福な家に生まれ育った。母は友人から羨ましがられるほどの美人で、そんな母に似た姉も近所で噂になるくらいの美人だった。そして私の控えめな性格は父に似たのだ。

昔から母は美人の姉を可愛がっていた。クリスマスや誕生日には最新のおもちゃやおしゃれな服をもらっていたが、両親がいないところで姉のり子に全て奪われていた。幼い頃の私にとって姉の存在は大きく、姉に嫌われたくない一心で、姉の望むものは全て渡してきた。

たまに一人で泣いているところを父に見つかったことがある。父は私と姉を分け隔てなく愛してくれた。姉も父の言うことには逆らえず、父の前だけは私に謝ってくれた。

しかしそのまま成長すると、姉は母の性格に似ていき、気がついたら母と同じように私を高圧的な態度で攻めるようになっていた。ストッパーである父は不在なことが多く、私は母と姉から虐げられる生活の中で、自然と結婚願望はなくなっていった。

私は高校卒業後、家を出た。今思えば一人暮らしはとても快適で、今まで生きてきた中で一番楽しい時期だった。そんな生活が二年過ぎた頃、姉が同僚と結婚した。姉の夫である介さんには何度か会ったが、私が苦手とするタイプの男性だったので、あまり関わらずに過ごしていた。

姉は結婚を機に会社を退社し、実家の近くに暮らしていた。その結婚の翌年、父に癌が見つかった。早期発見で腫瘍を切除する手術を受け、退院することもできたが、父はすっかり弱ってしまった。心配になった私は一人暮らしの家を解約し、実家で父の看病をすることに決めた。

私は父の看病をしながら会社と家の往復を繰り返す生活が始まった。母は私に父の看病を押し付け、買い物や外食の日々。姉夫婦はたまに実家に来たと思ったら「ご飯を用意しろ」だの「部屋を片付けておけ」だのと私をこき使う。

どんなにひどい扱いをされても、父の部屋で過ごしている時だけは穏やかな気持ちになれた。父が私の支えになっていたので、なんとか耐えられた。そんな父も長くは持たなかった。私が看病していた半年後、父は他界した。

悲しみの中で執り行われた葬儀の日。私は親戚に挨拶回りをしながら葬儀を進めていた。「直子、しっかりね」「ありがとうございます」と心配してくれる声もちらほらあり、悲しみはあったものの、葬儀は滞りなく終えることができた。

父が亡くなって数日後、家におばが来ていた。おばは母の姉で、こうして家にやってくるのは久しぶりだ。少し認知症気味だという。
「お久しぶりです」
「おや、直子。久しぶり。葬儀の日は来れなくてね」
会話は普通にできるくらいなので大丈夫なのかなと思いつつ、おば夫婦も来ていたので、その分のお茶を用意しにキッチンへ向かった。

ほどなくしてお茶と菓子を持っていき、久々に過ごすおばとの時間。私は家事をしながら時折席を外していた時だった。

「ない。ちょっと誰か誰か来て」

リビングから聞こえたおばの悲鳴。慌てて駆けつけると、首につけていた数十万円のネックレスがないと言い出した。
「え、本当に? さっきまでつけてましたよね」
「そうよ。ちょっとうとうとして起きたらないの」

そうしておばのネックレス探しが始まったのだが、その時姉が言った。「ねえ、おば様が寝ていたのなら、誰かが取ったんじゃないの?」

その発言で場が一瞬に凍りつく。
「え、どういうこと?」
「だから、誰かが取ったんじゃないの? そうね、例えばあんたみたいにブランド品とか持っていない人とか」

その場にいる全員が私を氷のような冷たい目で見つめた。もちろん私は取ってなどいないし、興味もない。
「私、取ってません。それにブランド品とか興味もないです」
「どうかしら。そんなこと言って、本当は欲しかったんでしょう。鞄を見せてみなさいよ」

あらぬ疑いをかけられて私は怒りが込み上げるも、身の潔白を証明するためにも自分の鞄を渡した。「ほら、早く貸しなさいよ」と姉は乱暴に私から鞄を奪うと上下をひっくり返し、中身が床に転がり落ちた。そして金属が触れる音がしたと同時に、見慣れないネックレスが床に転がった。それは紛れもなくおばが身につけていた真珠のネックレスだった。

「ほら、ご覧なさい。やっぱりあんただったのね」
「そんな、私取ってない!」
「うるさいわね」
姉は私を突き飛ばし、尻餅をついた私に義兄が寄ってきた。
「見損なったよ、直子ちゃん」
「違う。私はそんなことしていません。信じてください」

私は必死に違うと訴えたが、姉も母も義兄も私の鞄から出てきたネックレスを見たので、何度違うと訴えても誰も信じてくれなかった。無罪を主張する私の腕を義兄が掴むと、ずるずると引きずられる。
「お願いします。本当にやってないんです」
「うるさい。じゃあなんで直子の鞄から出てくるんだ?」

なぜこうなったのか私には全く分からなかった。何もしていないのに濡れ衣を着せられて、裸のまま外へ放り出された。
「もう二度と帰ってこないでちょうだい」
母はパッパッと塩を振ってきた。私は真夏の炎天下の下、裸で家を追い出されてしまった。呆然とする私をよそに、母と姉と義兄は玄関をバタンと閉め鍵をかけた。

アスファルトが焼けるように暑い真夏の日。私は暑さで焼けるような感覚に見舞われながら、会社の先輩の家に向かうことにした。

先輩の家に着き事情を説明すると、先輩は快く泊めてくれた。先輩はバツイチだが、結婚生活は義実家からの嫁いびりがひどく、耐えきれなくなって離婚した過去があった。そんな経験をした先輩は私の今の境遇に共感したのか、しばらくかくまってくれるとまで申し出てくれた。

先輩の家にお世話になって三日。気持ちの整理もついて、私はもうあの家族とは共にいられないと覚悟を決めていた。心の支えだった父はもういない。あの家族に未練などないのだから。

姉と母がいない時間を見計らって家に荷物を取りに行った時、運悪く義兄に見つかってしまった。私を見た瞬間、義兄は怒りに任せて私の腕を掴んできた。よく見ると義兄の右手にはゴルフクラブ。私は一瞬、身の危険を感じた。

「お前、よくもり子をあんな目に遭わせたな。絶対許さないからな」
「何のことですか? 私は何も知りませんし、何もしていません」
「うるさい。慰謝料として遺産放棄しろよ」

わけもわからぬまま脅され、義兄はついにそのゴルフクラブを振り上げた。殴られると思った次の瞬間。

「お巡りさん、こっちです。早く」
「君、何してる?」
「くそっ」

タイミングよく警察を呼んでくれたのはお隣のおばさんだった。たまたま通りがかりに、言い争っている私たちを見て警察を呼んでくれていたのだ。間一髪のところで難を逃れた私は、隣のおばさんに感謝しまくった。義兄はそのまま警察署へと連行されていった。

そんなプチ事件があった翌日、私はついに姉の入院している病院へ先輩と乗り込もうとしていた。ついにこの時が来たのだ。倍返しすると決めたあの日から、この日を楽しみにしていた。

先輩と共に姉の病室に入る。
「コンコン」
「はい、どうぞ」

ガラガラと扉を開けて私を見た瞬間、姉は青ざめた。
「な、なんでここに」
そのセリフを聞いて、私は「やっぱりな」と確信した。
「残念でした。私はこの通り元気です」
ふっと不敵に笑ってやる。殴られたと思われる姉の左足にはギプスがつけられ、まともに動ける様子ではない。顔にも包帯を巻いており、隙間からは傷が見えている。きっと火傷なんだろう。

姉は「バカな」と言わんばかりの顔で私の顔を凝視し、上から下まで視線をずらした。そう、姉は今頃、私は義兄にボコボコにされているとばかり思っているのだ。それは姉の仕組んだ計画の一部だから。

「介さんなら昨日、警察に連れて行かれたわよ」
「なんですって?」
「あら、知らなかったの?」

青ざめる姉の唇がわなわなと震える。どうやら連行された義兄とは連絡が取れなかったのか、状況を知らなかった様子だ。ちょうどその時、母が部屋に戻ってきた。

「直子」
無言の私と姉を見て、母は何かを察知した。
「あんたがやったんでしょう」
「何をですか?」
「知らばっくれるんじゃないわよ。り子の足を折るように誰かにお願いでもしたんでしょう」
「ああ、私はそんなことしませんよ」
「嘘。おっしゃい」

私の話なんて聞こうとしない母は、そのまま携帯電話を取り出して警察を呼ぶと脅し始めた。
「構いませんよ」
「強がっていられるのも今のうちよ。待ってなさい。今警察呼ぶから」
「どうぞ。お好きに」
そう言って母は警察を呼んだ。その時、急に姉が母に言った。
「だめ。呼ばないで」
「なんでよ」
「いいから呼ばないで」

姉の発言に母は首をかしげるが、姉の足を見て「やっぱり私の所業と確信した」ような目をして警察を呼んだ。

「残念」
「どういうことよ」
混乱する母と青ざめる姉。私はニヤリとしながら携帯電話を取り出した。
「実はあの家には防犯カメラがありまして」
「は? 防犯カメラ? どういうこと?」
まだ分かっていない二人に、私は説明を加えた。
「父が防犯カメラを取り付けていたんですよ。携帯と連動できるタイプのね」

そこで母と姉が黙ってしまう。どういうことか分かりますよね? 二人とも目線を下にして、何かを隠そうとしている感じだった。私は携帯の画面を二人に見せて再生ボタンを押した。

「これを見てください」
それは家のリビングを映した防犯カメラの動画。そこに映っているのは姉の姿。そしてソファーでうとうとしているおばの姿。そう、これはあの日、私が追い出された日のリビングの映像だ。

焦る姉をよそに動画の再生は進む。うとうとするおばの首から真珠のネックレスを盗んだ姉の姿が映し出されていた。それを見た母は「そんなまさか」という顔で姉の顔を見た。

そして映像が切り替わり、今度は姉がリビングでゴルフクラブを持っているところだ。そこには、姉が窓ガラスを破り、自分で自分の足をゴルフクラブで殴っている映像だった。その映像を見た母は、あの騒ぎが姉の自作自演だと初めて知ったようだ。
「まさか、り子、あなた…」

姉の奇行行動に母は信じられないという顔をした。
「確かお姉さんはメイク好きでしたよね。その顔、本当に火傷ですか?」
「え?」
「ちょっと近くで見せてくださいよ。その証拠に」
「だめ。近寄らないで」

ちょうどそこへ、駆けつけた警察が入ってきた。姉の怪我を負った日、被害届を出していた母。私はその犯人の映像がここにあると、映像データを警察に渡して、先輩と共にその部屋を去った。

その騒動からさらに一ヶ月後、またしても事件が発生した。今度は母と姉が私の会社に押しかけて来たのだ。受付の警備員に取り押さえられていたが、姉が「直子、出てきなさい。絶対に許さないんだから」とずっと怒鳴っていた。母も「あんたのせいで家を追い出されたのよ。この泥棒猫」と叫んでいる。

大勢に騒がれて私は周りから白い目を向けられたが、先輩が気を利かせて会議室を用意してくれた。ひとまずその部屋へ母と姉を移動させ、話を聞くことにした。家族だけで話すより第三者がいた方がいいという先輩のアドバイスもあり、先輩にも同席してもらった。

「え、どういうご要件ですか?」
「あんたのせいでお金も家もなくて、このままだと暮らしていけないのよ」
「はあ」
「せっかく自作自演までしたのに、あんたのせいで保険金だって降りなかったのよ。どうしてくれんのよ」

とりあえずお金がないと言いはる二人。それもそのはず。私が実家にいた頃は、毎月十万ほど生活費として私がお金を入れていたのだから。父が残した遺産はもちろん母と姉にもある。だがその遺産は、今まで散財していたのだ。

父が亡くなって母と姉が遣っていたのは私のお金だ。金遣いの荒い二人に、父は現金や使える金というものを残してはいなかった。当然私の援助もなくなれば、蓄えを浪費する一方。長くは持たないということは分かっていた。

さらに父が加入していた生命保険の受け取り人は、全て私になっていた。結果的に母と姉が遣った金額は一千万ほど。十分に暮らせる金額だった。頼みの綱の義兄は収入が低いただの契約社員だ。義兄の給料だけでは、当然二人が満足する生活なんて送れるはずもなく、パートもしたことがない母と退社した姉も契約社員だったし、その前後に働いた経歴はなし。二人とも社会経験がほとんどなく、時給自炊なんて無理な話だ。

結果的に私は総額一億円ほどのお金を受け取ることになっている。私に振り込まれる生命保険のお金に目をつけた二人は、こうして会社に押しかけて私からお金を奪おうとしたのだろう。お金もそうだが、不動産屋に家を追い出されて、今は三人で小さなボロアパートで暮らしているという。義兄の安月給ではそこが精一杯。今までの暮らしとは天と地ほどの差があるので、当然二人が満足するはずもなく。

「お話は分かりましたが、私からお二人にお渡しするお金は一銭もありません」
「何を言ってるの。親がかわいそうだと思わないの? 薄情な子」
「あんたのせいで受け取れなかったお金くらい返しなさいよ」
と言いたい放題の二人。しばらく聞いていたが、我慢できずに私は最終切り札を出すことにした。

「ご理解いただけないようなら、こちらをご覧ください」
「何よ? 何を見ろって言うのよ」

その映像は、父の部屋でいちゃいちゃしている義兄と母の映像だった。
「え…」
姉が一瞬固まる。その横で顔面蒼白の母。そのまま映像は流れ続け、姉が自作自演した日の別の部屋の映像には、常時密漁中の義兄と母。そこまで見ると、姉が吐き気をもよおしたのか、うつむいて涙目になっていた。

「よくも人の旦那に手を出したわね」
「あんたの旦那からアプローチしてきたのよ。私のせいじゃないわ」
見苦しい言い争いが始まった。親子で一人の男を巡って始まった争論は徐々にヒートアップし、ついにはもみ合いにもなった。大事になる前に先輩が呼んだ警察に取り押さえられた二人。結局そのまま連行されたが、派手に騒がれてしまったので謝罪をしに行ったら、先輩が事情を説明してくれて、なんとか私の悪評は広がらずに済んだ。

そんな騒動の数日後、私は姉と母と義兄ときっぱりと縁を切るため、荷物などをまとめて一人暮らしを始めた。

その後の姉と母は大いに揉めたらしい。姉は義兄と離婚をし、アパートを出た。しかも母と姉は縁を切ったのだそう。修復可能だった二人の関係に、義兄は巻き込まれたくないとアパートを解約し出ていったようだ。三人がバラバラになったのも束の間、義兄の新しい妻に母が転がり込んだらしいが、義兄は私への暴行が会社で噂され首寸前だったので、母との関係をあっさり切ったらしい。捨てられた母は身一つで路頭に迷うことになった。

いくら見た目が美しくても、お金も住むところもない姉と母は再婚相手を探すのに大変苦労しているようだが、その後の詳しいことは分からない。私はと言うと、先輩の紹介で知り合った先輩のお兄さんと交際を始めたばかり。とても堅実な性格で、私の家庭の事情も全て知った上で受け入れてくれている。そんな彼に次第に惹かれ、交際がスタートしたのだ。今になって、生前の父の言葉「頑張り屋の直子なら、必ず幸せにしてくれる人が現れる」を忘れないよう心に留め、これから先の人生、前を向いて歩いて行こうと決めた。

ガシャン。一際大きな音がしたかと思うと、さっきまで笑っていた全員が呆然とした表情で、ゴミ箱に入りきらずに床に広がったそれを見ていた。白く輝くクリームに、鮮やかな赤色のイチゴ。とても美味しそうな誕生日ケーキだったものが、床で原型をとどめていないくらいに潰れている。

長男の嫁が私のためにと高級パティスリーで買ってきてくれたケーキ。それを台無しにしたその犯人は、私だ。私は皆が楽しみにしていたそのケーキを、近くにあったゴミ箱の中に勢いよくひっくり返した。ひっくり返したなんて、正直生優しい表現かもしれない。ゴミ箱に何かを発散するかのように投げ捨てたという方が近い。

その場にいた皆が口をあんぐり開けて固まっている。数秒後、長男の健太が声を荒げた。
「な、何するんだよ。せっかく俺の嫁が買ってきてくれたのに。嫁には謝れ」
嫁は口を手で抑え、目をうるうると潤ませている。私はそんな二人を一瞥すると、ふっと笑って言った。
「ねえ、これ見てもそんな態度取れるの?」
私はあるものを床から拾い上げ、息子に見せた。

私の名前は直子。今年で五十五歳になる普通の主婦だ。郊外の一軒家で夫の大輔と娘の舞と三人で暮らしている。もう一人の子供である息子の健太はすでに独立しており、隣の市で一人暮らし中だ。私たち家族は家業として車屋を営んでいると言っても、大きな工場や店舗を持っているわけではなく、小さな町の車屋さんといったところだ。

今は夫の大輔と私が一緒に運営をしているのだが、将来的には長男である健太に任せようという話になっている。しかし当の本人はそこまで乗り気ではないようだ。むしろ妹である舞の方が興味を持っているようで、大学を卒業したら私が継ぐと常々言っている。私としては健太でも舞でも、やる気があればどちらが継いでも良いと思っているのだった。

そんなある日のこと、隣の市に住んでいる健太が、来週の日曜日に実家に帰ると連絡をしてきた。珍しいこともあるものだ。普段あまり帰省してこない健太がそんなことを言うなんて。何かあったのかを聞いても、「話があるから家にいて」というだけで詳しいことは話してくれなかった。

そのことを舞に伝えると、「結婚の報告じゃないの?」と半分面白がっているような様子だった。大輔はと言うと「ああ、そう」と言うだけ。約束の日が来るまでの数日間、私は何とも言えないモヤモヤした気持ちを抱えながら過ごしたのだった。

そして日曜日の夕方、健太が約束通りに帰省してきた。
「母さん、ただいま。急にごめん」
健太は妹の舞が好きな和菓子屋のイチゴ大福を差し出してそう言った。
「いいのよ。お帰りなさい。今日は晩御飯…あら」
私はそこで言葉を切った。なぜなら健太の後ろに見知らぬ女性が立っていたからだ。私の視線が女性に注がれていることに気づいた健太は、少し照れ臭そうに言った。
「この人は俺の彼女だよ」

すると健太の彼女だという女性は一歩前に出て名乗った。
「初めまして。健太さんとお付き合いさせていただいているゆみと申します。お会いできて嬉しいです」
ニコニコと可愛らしい笑顔を浮かべた彼女は、ぺこりと頭を下げた。

ここからは私も舞も夫の大輔も大騒ぎだった。健太が恋人を連れてくるなんて今までに一度もなかったことだ。慌てて家の中に入ってもらい、しばらくの間ゆみさん自身について話をしてもらった。ゆみさんは健太よりも三歳年上で、営業事務として働いているらしい。二年ほど前に友人の紹介で知り合い、交際を開始したのだとか。ゆみさんはおしゃべり好きで愛想が良く、それでいて謙虚な女性だった。

それから三十分くらい和やかな会話を交わしていると、突然健太が話を遮った。
「ああ、えっと、今日は大事な話があって帰ってきたんだ」
そう切り出した健太は、私たちが口を挟まないうちに続ける。
「俺たち、結婚することにしたんだ。それを報告したくて」

薄々そうじゃないかとは思っていたが、実際に健太の口から聞くと、やはりそうかと嬉しくなる。ゆみさんも健太も照れくさそうに笑っていた。二人には幸せになって欲しいものだ。

それから半年後、健太とゆみさんは入籍をした。結婚式も盛大に行われ、まさに幸せの絶頂という感じだった。二人は私たちの家の近くにマンションを借り、夫婦として生活を始めた。ゆみさんは健太を支えたいということで、これまでの忙しい仕事をやめ、近所のスーパーへパートに出るようになったのだった。

そしてゆみさんは私たち一家と仲良くなりたいと言い、パートと家事の合間を縫ってうちへ遊びに来るようになった。健太が好きな料理が知りたいと言われたのでレシピを教えたり、大学生である舞のレポート課題をゆみさんが見てくれたりと、良好な関係を築いていた。

そんな生活が数ヶ月続いたある日、娘の舞が何か言いづらそうに口をもごもごさせて話しかけてきた。
「ねえ、お母さん。ちょっと言いたいことがあって」
「うん。何? どうしたの? 欲しいものがあるなら自分で買いなさいよ」
私が冗談めかしてそう言うと、舞は何か覚悟を決めた様子でこう言ったのだった。
「ゆみさんには気をつけた方がいいかも」

意味の分からない言葉だった。舞がなぜそう思ったのか分からなかったので「なんで?」と端的に尋ねると、舞はまた口ごもり、「でも私の勘違いかも」と意見を引っ込め、自室に戻っていったのだった。この時は不思議なことを言うものだとあまり真剣に捉えていなかったのだが、舞の不安は的中することとなった。

「お母さん、今日は駅前のカフェでランチをしませんか? 最近できたらしいんですけど、美味しいって評判なんです」
いつものようにゆみさんは我が家にやってきて、そんな提案をした。たまには外に食べに行くのもいいか。そう思った私はその提案を承諾し、二人でカフェに向かった。ゆみさんの言う通り、ランチはとても美味しくて「次は舞も連れてこよう」なんて盛り上がる。食後のコーヒーも飲み終わり、会計をする段になってゆみさんは「あっ」と声をあげた。私が「どうしたの?」と声をかけると、彼女は「お財布を忘れちゃって」と気まずそうにつぶやく。
「あら、そうなの? いいわよ。ここは私が払っておくから」
私がそう言うと、ゆみさんは申し訳なさそうに肩を縮めて「ご馳走様です」と頭を下げた。

人間なんだから忘れ物をすることぐらい普通だ。そう思っていたのだが、なんとそんなことが何度も続くようになった。ランチのみならず化粧品や日用品まで、結果的に私が支払わざるを得ない状況に追い込まれるのだ。後日、立て替えた分の支払いを求めるのだが、「給料日前だから」とか「次は私が払うから」とか言い訳を繰り返し、一度も支払われたことはなかった。

度重なる非常識な行いを受けて、私は健太にゆみさんの行動を促すように頼んだ。しかし健太はゆみさんにべた惚れ状態で、「俺が代わりに払うから」と一万円札を財布から数枚抜き出して渡してきただけで、ゆみさんには一言も注意をしていないようだった。いくら家族と言えどこの態度はないだろう。

さらに私は大輔にも相談してみたのだが、「別にいいんじゃないか」と取り付く島もない。大輔は昔から事なかれ主義というか、日和見主義というか、何か問題が起きても自分は一歩引いたところから収まるのを待つことが多かった。それは今回も同じことで、大輔は私がゆみさんのことを相談してからというもの、家を開けることが多くなった。大輔のことは家族として信頼しているが、こういうところは好ましくないと思う。

大輔にも取り合ってもらえず無理かと思っていたのだが、ゆみさんは突然我が家へ来なくなった。あれだけ頻繁に来ていたのにどうしたのだろうと不思議に思ったが、来ないなら来ないで平和な日々を送れるというものだ。

ゆみさんが来なくなってから二週間が経った。彼女の非常識な行動のことはすっかり忘れて日々を過ごしていた。その日は舞がサークルの飲み会に出るので夕飯は必要ないと告げて出かけたし、大輔も同業者と飲み会があると言っていた。だから私は久しぶりに一人の晩餐を楽しむべく、手の込んだ料理を作っていた。もう少しで完成する。その時だった。

玄関が勢いよく開き、バタバタと廊下を走る音が響く。リビングに飛び込んできたのは舞だった。
「どうしたの? そんなに慌てて。それに今日は飲み会でしょ」
そう尋ねる私の元に、舞は自分のスマホを突きつけた。
「ねえ、これ見てよ」

私は舞のスマホに表示されたそれを見て、血の気が引いていくのが自分でもはっきりと分かった。

それからしばらくして、我が家で誕生日会が開かれることになった。誰の誕生日会かと言うと、他ならぬ私だった。五十五歳の誕生日。誕生日会を開いてもらうにはもう年を取りすぎた気もするが、ゆみさんが張り切って用意してくれたので、今更断ることもできない。誕生日会には健太、ゆみさん、大輔、それから舞、すなわち家族全員が参加することになっていた。

その日の営業を終わらせ、全員が我が家に集まったところで誕生日会が始まった。少し高価な出前の寿司をみんなで味わい、家族団欒をする。ただそれだけのことだが、久しぶりに楽しい気持ちになった。そして寿司を食べ、お腹が落ち着いた頃を見計らって、ゆみさんが席を立った。

「そろそろケーキを食べませんか?」
ゆみさんが高級パティスリーで誕生日ケーキを買ってきてくれたのだ。
「そうしましょうか。ゆみさん、私も切り分けるの手伝うわよ」
私の申し出に、ゆみさんは笑顔で首を横に振る。
「いえいえ、今日はお母さんが主役なんですから、どうぞ座っていてください」
そう言って彼女はケーキを切り分け、一際大きな一切れを私の前に置いた。白く輝くクリームに、鮮やかな赤色のイチゴ。とても美味しそうなケーキだ。

私は早速ケーキの乗った皿を持ち上げ、そして近くにあったゴミ箱の中にひっくり返した。

「わあっ」
みんなが声を上げたかと思えば、そのまま固まっている。それからすぐに健太が声を荒げた。
「な、何するんだよ。せっかくゆみが買ってきてくれたのに。ゆみに謝れ」
それに続いて大輔も私に怒鳴ってくる。
「そうだぞ。嫁いびりなんてバカな真似はやめろ」
ゆみさんは口元を手で押さえ、目をうるうるさせている。舞と言うと無表情で行方を見守っているような感じだ。

「嫁いびりなんてしてないわよ。健太、これ見てないの?」
私は怒っている健太にあるものを見せた。すると怒りで真っ赤になっていた顔色が、見る見るうちに真っ白になっていく。

健太に見せたのは、ゆみさんが書いている彼女のブログだった。しばらく前に舞が見つけたものだ。ゆみさんのブログは名前こそぼかしているものの、身内や知り合いが見れば分かる程度に個人情報が載せられていた。健太とゆみさんが結婚をした日から、「あの家は私のものにする。義母と義妹が邪魔。社長の奥さんなんて最高。あの家に女は私だけでいい。男は全員私のもの」などと恐ろしい言葉の数々が書き込まれていたのだ。

さらに今日の誕生日会のことも書き込まれていた。ゆみさんは誕生日ケーキにあらかじめデスソースを仕込んでいたようで、その部分を私だけが食べるように細工していたのだ。彼女の計画では、私にだけケーキを「まずい」と言わせ、「嫁である私が買ってきたものだからまずいって言うんですか」と嘘泣きをし、私を落とし入れようとしたらしい。しかし、ゆみさんのブログの存在を知ってからちょくちょくチェックしていた舞によって、この計画は阻止されたのだった。

すると、目をうるうるさせていたゆみさんは途端に慌て始めた。
「い、いや、違うんです。ちょっとしたというか、サプライズというか、お母さんの思い出に残るような誕生日会にしたかったんですよ。というか、このブログが私のものだって証拠はないですよね。ただ状況が似ているだけだし。そうだよね、健太」
色々と苦しい言い訳をしつつ、ゆみさんは健太に擦り寄っていく。どうやらかばってもらおうとしているようだ。しかし健太は怒りの矛先を今度はゆみさんに向けた。

「はあ? スタンプで隠れてるけど、この自撮りはどう見てもゆみだろう。お前、まさかうちの車屋を乗っ取る気だったのか? 『男は全員私のもの』ってどういう意味だよ」
健太は問い詰めながらゆみさんの肩を掴んで前後に揺さぶった。するとなぜかそこに大輔が割って入った。
「おい、やめないか。ゆみさんにも何か事情があったんだろう。直子も健太も人を責められるほどできた人間なのか?」

ああ、事なかれ主義の大輔が自ら首を突っ込んでくるなんて。私が反論しようとした時、舞の手が私の右腕を掴んだ。そして健太の腕も同じように掴むと、舞は「二人とも熱くなりすぎ。外で一度落ち着こうよ」と言って、言葉を言わさず玄関までずんずんと突き進む。玄関を勢いよく開け、三人で外に出た。

「なんだよ、俺は冷静だって」
玄関の扉が閉まるや、健太が舞にそう言う。しかし舞はそれを無視して、再度玄関扉を開けた。今度は音が鳴らないように静かにだ。
「すぐに戻るよ。いいから黙ってついてきて」
と小声でささやく。私も健太もわけが分からないながらも彼女の言う通りにする。

リビングへ続く廊下を、これまた音を立てないように三人で引き返した。リビングの扉までたどり着いた途端、舞は勢いよく開けてリビングへ飛び込んだ。私たちがそこで目にしたのは、大輔がゆみさんの体を抱きしめて頭を撫でている光景だった。

「ああ、分かってはいたけど、実際に見るとマジで最悪だね」
舞は吐き捨てるようにそう言った。どうやらゆみさんはここ数ヶ月の間で大輔と不倫関係を持つようになったらしい。これもブログに書かれていたので、私も舞も知っていた。大輔が頻繁に家を開けるようになったのと同時に、ゆみさんが我が家へ来なくなったのは、それが理由だったのだ。

「お、お前ら」
健太の声は怒りに震えている。そして次の瞬間、健太は私がゴミ箱に捨てたケーキをわし掴みにし、ゆみさんと大輔の口に押し込んだ。もちろん二人とも抵抗したが、怒りに燃える健太に抗うことはできなかった。するとちょうどデスソースの部分が口に入ったようで、ゆみさんも大輔も悶え苦しみ、床をのたうち回りながら喉の辺りをしきりにさすっている。もはや阿鼻叫喚だ。

「大輔、そんなにゆみさんのことが好きなら、離婚してあげるわ」
「ああ、そうだな。俺も離婚してやる」
私と健太がそう告げると、ゆみさんは床に転がりながら私たちをじろりと睨みつけた。
「じゃあ大輔と再婚したら、私が社長夫人ってことよね。残念だったわね、お母さん」
ゆみさんは勝ち誇ったように鼻の穴を広げた。それから大輔に「離婚してもいいけど、お前らが出ていくんだぞ。路頭に迷うのはお前らの方だからな」と警告。

すると舞が口を開いた。
「はあ? 何を言ってんのよ。この家も車屋も元はお母さんの実家のものでしょ。社長はお母さんだし、家の名義もお母さんなんだから、出ていくのはあんたたちでしょ。ゆみさんは無職のお嫁さんになるのよ」

全て舞の言う通りだった。ゆみさんは「何それ」と顔面蒼白になっている。大輔も「今思い出した」と言わんばかりにはっとした表情に変わった。どうやらゆみさんは実家が車屋をやっていると聞いて、男性である大輔が社長だと勘違いしていたようだ。

私は思わずため息をついた。するとゆみさんは「嘘ですよね」と半分泣きながら問いかけてくる。私は思いっきり胸を張ってこう答えた。

「子供たちも、この家も、車屋も、私のものだし宝物なの。あんたたちには何一つ渡さないわ」

それから三日後、私も健太も離婚届を役所に提出することができた。不倫の慰謝料などは請求しない代わりに、即日で出ていくように交渉したからだ。大輔はまたたく間に無職のおじさんになり、住む場所も失った。当然のことながら、ゆみさんはそんな大輔に見切りをつけ、即刻実家へ逃亡。しかし彼女の実家には、すでに健太が事情を説明していた。ゆみさんは以前にも男性絡みで騒動を起こしていたようで、ついに実家に呆れられたらしく勘当。今ではどこかの町でその日暮らしの生活を送っているようだ。夢見た社長夫人になれず、さぞ悔しい思いをしているだろう。その調子で自分のしたことを反省してくれたらいいのだが。

一方で私たち家族はと言うと、今回の件でむしろ結束が固まり、三人で家業を守っていくということになった。後継者となることに乗り気じゃなかった健太だが、何か思うことがあったのだろう。きっと以前からやる気満々の舞と手を取り合って、頑張ってくれるに違いない。

Thumbnail