高校三年生の冬、俺の暮らしは突然ひっくり返った。取り乱した父が学校から帰ってきた俺の肩を掴み、声を震わせた。病院に駆けつけると、そこにはたくさんの機械につながれた母がいた。余命三ヶ月。それが俺たちに告げられた言葉だった。
俺の名前は強し。独身、彼女なしの三十二歳だ。母が亡くなってからは父と二人、男同士で気ままに生きている。余命を告げられた母だったが、そこから随分長く生きた。それもこれも父のおかげだと思う。母は一度倒れたものの、なんとか持ち直して少し元気になった。その時点ではまだがんに気づいていなかったらしく、精神的ショックは相当なものだった。若かったのもあって進行が早く、見つかった時にはすでに手遅れだったらしい。父はいろいろ考えた末、両親の田舎に帰って緩和ケアを受けさせたいと言った。当時住んでいた場所から二つほど県をまたいだ、自然豊かなところだ。父は勤めていた仕事をやめ、俺も一緒に田舎へ引っ越した。
父は昔ながらの農業を始め、自分で作った野菜を母に届けたりして、穏やかな時間が流れた。田舎に戻ってきた母は嬉しそうで、それが良かったのか、病院で三年も過ごすことができた。母が他界してからも父は田舎に残り、農業を続けている。農業が肌に合っていると言って、今でも母の思い出と共に楽しそうに過ごしていた。
今俺は元々住んでいた街に戻って仕事をしているが、父のところには度々訪れる。車なら高速で二時間。田舎で免許を取ってからドライブが趣味になったから、いつも楽しんで走っている。そんな父が心配しているのは自分のことでもなく、俺のことだ。父の元を訪れるたびに聞かれる。
「よし、そろそろ彼女できたか?」
俺が歯を食いしばってごまかすと、いつもため息をつく父。そりゃそうか。俺も今年で三十二歳。父に孫の顔を見せてやりたい。だけど今の俺には出会いがまったくないんだ。誰か紹介してくれよ。そう思っていたら、なんと俺にお見合いの話が降ってきた。
引き先の叔父さんに突然声をかけられて、お見合いをしてみないかと言われる。この叔父さんは田中さんと言うんだけど、立場を押し出さない気さくな人で、俺のことも気にかけてくれていた。でも突然のお見合いの話に、俺は何か裏があるんじゃないかと半信半疑だった。そんな俺に写真を見せてくれて、「俺と気が合いそうだから」と言うから、会ってみることにした。
お見合い当日、父が田舎から出てきてくれて、待ち合わせ場所のホテルに向かう。「昔のスーツが入らなくて買い直したんだぞ」と父は笑っている。親子で緊張していて、待ち合わせの時間よりだいぶ早く着いてしまった。後からお見合い相手とその両親がやってきて、お互い席に着くと挨拶をかわす。すると相手の父親は挨拶もせずに口を開いた。
「私みたいなエリート公務員の娘の見合いだ。ふさわしいかどうか、いくつか質問させてもらってもいいかな」
エリート公務員って自分で言うのか。俺はうっかり言いそうになった言葉を飲み込むと、隣で父も同じ顔をしている。実はお見合いと言っても正式なものではなく、知り合いを紹介したいと取り持ってくれただけ。お互いの写真と名前を知っていたくらいで、勤務先や学歴、趣味などが書かれた釣書はない。だから相手が俺のことを聞きたいのは当然だと思う。お見合い相手本人は普通のOLで、その父親が公務員だという情報はもらっていたけど、エリート公務員って何だろう?それより何より、父親のその人を見下したような態度が気に入らない。するとお見合い相手とその母親が「ちょっとお父さん、失礼でしょ」と止め始めた。でも父親は止まらない。
「何を言ってるんだ?当然のことを聞くまでだよ。それで君の職業は?ついでにお父さんの仕事も教えてくれ」
どこまでも上から目線で接してくるお見合い相手の父親に腹は立ったけど、俺は怒りを押し殺して答えた。
「私はIT関係の仕事をしています。父は田舎で農業を」
そこまで言うと、相手の父親が話を遮った。人の話は最後まで聞けよ。そう思って続きを話そうとするも、父親は止まらない。
「それで学歴は?どこの大学を出てるんだ?」
その質問に、俺は一瞬言葉をつまらせた。高校三年で田舎に引っ越しをしたので、高校は中退。父は将来を考えて再入学を進めてきたけど、そのお金があるなら母の治療費に当てて欲しいと思い、俺はそれを断った。だから学歴としては中卒だ。
「素直に中卒だと言うと、父親は馬鹿にしたように笑い始めた。
「親は農家で息子は中卒。田中さんの紹介だと思って来てみれば、なんてやつだ。俺の娘とは釣り合わんから、帰れ」
その言葉に俺の父が立ち上がろうとし、お見合い相手とその母親も父親を睨みつける。だが俺は父を制して笑った。
「私は構いませんが、逆に大丈夫ですか?」
そう言うと、相手の父親はいきなり怒り出した。
「どういう意味だ?」
「田中さんが釣り合うと思ったから、私のことを紹介したんですよ。その理由が分からないまま私を見下して、大丈夫かって聞いているんです」
俺がそう言うと、父親は俺を睨みつけてきたけど、俺はそれを無視してお見合い相手を見た。
「あり沙だよな。高校一緒だった」
「そう。俺がお見合いを引き受けたのは、相手が知り合いだったから。やっぱり強しだよね」と、あり沙も嬉しそうに言う。
俺とあり沙は同じ高校の同級生。クラスは違ったけど部活が同じで仲良くしていた。俺の突然の引っ越しで疎遠になってしまっていたけど、当時は他の仲間も含めてよく一緒にいた友達だ。田中さんから名前を聞いて写真を見せてもらって気づいたけど、明るくて優しくて人気のあったあり沙が未だに独身なんてことはないだろうと半信半疑だった。でも今日会った時に確信したんだ。それに、当時あり沙が悩んでいたことも思い出した。
あり沙の父親は俺たちの会話を聞いて怒っている。
「おい、あり沙。どういうことだ?」
あり沙はめんどくさそうに答えた。
「だから、彼は私の高校の同級生で、昔仲良くしてたの。ねえ、もうお父さん帰ってくれない?」
俺はその言葉に目を丸くする。あり沙の父親は当然激怒した。
「お前も一緒に帰るんだ。農家の親と中卒の息子なんて、ろくなもんじゃない。どうして田中さんはこんなやつを紹介したんだ」
顔を真っ赤にする父親に、あり沙は強気だ。
「お父さんのそういうところが嫌なの。おかげで私はこの年まで独身よ。それに彼が中卒なのは理由があるんだってば」
「理由?どんな理由があろうと、中卒は中卒。世の中学歴なんだよ。俺みたいなエリートに言わせれば、中卒なんてありえない。大学なんて卒業して当たり前だ。中卒なんて、ちゃんと生きているわけないだろう」
どこまで俺を見下せば気が済むのか。俺も反論しようとしたその途端、今まで黙っていたあり沙の母親がバンとテーブルを叩いた。俺たちの視線が集まる。
「私はあなたに、人を学歴で見ないでって言ってるわよね。なんなのその態度。あなたのどこがそんなに偉いの?あなたなんて、親がお金を出したから私立大学に入れただけよね。親のコネで今の勤め先にいるだけ。あなたのご両親は立派だけど、あなた自身はどこも尊敬できないのよ」
いきなりの発言に驚いたけど、確かに昔、あり沙が言っていた。自分の父親は人のことを見下してばかりで、一緒にいるのが恥ずかしくなると。それが当時あり沙の悩んでいたことだ。一体どんな人なのかと思ったけど、こうして会ってみると確かにその通りだ。怒っている父親に向かって、あり沙が問い詰める。
「そうよ。その態度やめてって言ってるよね。昨日も言ったよ。どうしてそうやって私の邪魔ばかりするの?」
「邪魔とは何だ?俺はお前の幸せを思って」
「相手を否定することが、どうして私の幸せにつながるのよ。今の一番の幸せは、お父さんが今すぐここから出ていくことよ」
「な、なんてことを言うんだ。そんな娘に育てた覚えはないぞ」
「私だってお父さんに育てられた覚えなんてないわよ。お金を出してもらったのは感謝してるけど、お父さんらしいことなんてしてくれてないじゃない。全部お母さんが面倒見てくれた。だってお父さんはいつも浮気ばかりして、家にも帰ってこなかったじゃない」
俺はその言葉に驚いて、思わず止めようとした。
「おい、あり沙、ちょっと落ち着けって」
でもあり沙は止まらない。あり沙の母親は横で頷きながら父親を睨みつけている。すると父親はいきなり慌て始めた。
「お前、どこでそれを…いや、そうじゃなくて」
娘と妻が知らないと思っていたのか。いきなり父親はスマホを取り出しながら言う。
「ちょっと仕事の電話だ。俺は先に帰るからな」
見え透いた嘘をついて、逃げるように席を立って出ていった。
父親がいなくなると、あり沙と母親は俺たちに向かって頭を下げた。俺の父は呆然としていたが、慌てて立ち上がり「そんな、頭をあげてください」と言って俺の肩を叩く。
「あり沙さん、こんな息子でよかったら、お話だけでも」
そんな父の姿に俺は笑ってしまうと、あり沙も続けて笑った。その後あり沙とは昔の話も今の話もして、俺は思い切って交際を申し込んだ。実は高校時代ずっとあり沙のことが好きだったんだ。周りに冷やかされるのが嫌で言えなくて、せめて卒業の時には言おうと思っていたけど、それを待たずに引っ越してしまった。あり沙は笑って受け入れてくれ、俺たちは結婚を前提に付き合い始める。
俺は見合い話を持ってきてくれた田中さんに経緯を話した。
「聞いていた通り、あのお父さんはちょっと受け入れられませんでした」
俺は事前に先方の父親は失礼な人だけど、娘さんはいい子だからと聞いていた。
それから半年後、俺はあり沙に婚約指輪を送り、結婚に向けて進み出した。でもその前に、ちょっとした用事に付き合って欲しいという。俺はあり沙の実家に向かった。お母さんが迎えてくれて中に入ると、お父さんもいた。お父さんは相変わらずで、顔を合わせると俺を睨みつけてきた。
「お前、田中さんに何か吹き込んだろ。おかげで俺は職場で影口を叩かれるようになったんだぞ。大体お前なんかがどうして田中さんと繋がりがあるんだ。あの人は農林水産省の人間だぞ。中卒のお前なんかが気軽に話せる人じゃないんだ。お前なんかに娘を幸せにできるはずがない。娘とは結婚させないからな」
自称エリート公務員の父親は、実は市の農林振興課の窓際族らしいが、誰に対してもその態度だから周りの評価は悪いそうだ。今回の件で浮気のことも職場にバレて白い目で見られているというが、それは自業自得というやつだ。不機嫌に当たり散らされるけど、俺はひるまない。
「田中さんは元々あなたの態度に問題があったと言っていましたよ。それとお見合いの時は話すら聞いてくれませんでしたけど、俺は高校の機会科でロボット技術も学んだんです。母の病気療養のため高校三年で中退しましたけど、今は学んだ技術を生かして農業のIT化をする仕事をしています。父は農家ですが、昔は農林水産省にいて、田中さんはその時の上司でした。今父は俺と一緒にスマート農家として色々開拓しているので、田中さんとは今でも付き合いがあるんですよ」
お父さんは驚いて俺を見てきた。俺はきっぱりという。
「一応中卒の俺でも、あり沙さんと一緒に生活していくには問題ない収入はあります。それにお母さんに結婚の許しはもらっているので、お父さんに許しをもらうつもりはありません」
そこまで言うと、お父さんは激怒する。
「ふざけるな。俺が許さなければ、あり沙の結婚はない」
するとお母さんが一枚の紙を持ってくる。
「離婚届よ」
それを見たお父さんはもちろん怒り散らす。
「どういうつもりだ?」
あり沙が俺に付き合って欲しいと言った用事はこれだった。お母さんが離婚を決意しているから、立ち合って欲しいと。お母さんはお見合い結婚をさせられたそうだ。浮気をしていても、我慢することしかできなかった。それでも耐えてきたのは、自分の娘に不自由をさせないため。成人してからは、片親だと結婚にも不利なんじゃないかと思っていたためらしい。まあ実際のところ、この父親ならいない方が良かったかもしれないとあり沙も言っていたけど、とにかくあり沙の結婚が決まってその必要がなくなり、さらに重大な事実が発覚したことで、ついに離婚を決意したらしい。
俺はお母さんの代わりにお父さんの前に出る。
「お母さんはあなたの浮気の証拠を押さえていて、弁護士にも相談しています。もういい加減、お母さんを解放してあげましょうよ」
「うるさい。よそ者が口を挟むな。大体お前、離婚なんてしたらどうやって生活していくんだ。働いたこともないお前が一人で生きていけるはずないだろう。お前は一生俺に尽くしていればいいんだ」
傲慢な態度に、その場にいる全員がため息をつき、俺は口を開く。
「大丈夫です。お母さんの働き口はもう確保してありますから。それに浮気の慰謝料や浮気相手に注ぎ込んだ費用のことを考えると、お母さんにはそれなりのお金が入るので、しばらくは生活の心配もいらなくなりそうですよ」
浮気相手に貢いでいたのは昔からで、つい最近車まで貢いだことが発覚。お母さんも堪忍袋の緒が切れたそうだ。当然弁護士も、その分は財産分与で差し引いてもらうと言っているらしい。お母さんはもう一度離婚届を突きつけた。
「今すぐ書いてくれないなら、あなたの両親にも全ての事実を報告します。どうするの?」
するとお父さんは青ざめていく。どうやらこれだけ傲慢なことをしていても、両親には頭が上がらないらしい。そりゃ両親に知られたら、コネで入ったも同然の勤め先にも影響が出るだろう。ちなみにエリート公務員と豪語していたが、ただの地方公務員だった。エリートなのはその両親だけ。自分には何の実力もなく、親の七光で生きている。それでも親が健在なうちは、何の苦労もなくここまで来ていた。でも制裁はきっちり受けてもらわないと。俺は無言でボールペンを渡した。するとお父さんは唸って、それに記入をする。
お母さんはそれを受け取り、まとめていた荷物を持ってきた。それを見たお父さんは愕然とする。
「お前、荷物までまとめて…」
俺はその荷物を持った。
「お母さんは俺の家族でもあるので、俺が責任持って新しい住居に送り届けますからご心配なく。あり沙の荷物も近いうちに取りに来ますね」
そう言って荷物を車に積み込み、あり沙とお母さんを乗せて出発する。二時間後、俺たちは目的地に着いた。
「おお、着いたか」
父が出迎えてくれる。お母さんが離婚したいと言っている時に相談に乗り、少し遠いけど父のところで働くのはどうかと提案したら、今まで住んでいた土地に何の未練もないから是非お願いしたいと言われた。父は近くにマンションを探してくれていて、お母さんはそこに移り住み、新しい生活が始まる。
その後お母さんは無事に離婚が成立し、財産分与も慰謝料もきっちりもらったそうだ。今では前よりも生き生きとしている。お父さんは慰謝料が払いきれず家を手放すことになり、結局そこから両親にバレたらしい。両親に勘当されたおかげで職場での目も厳しくなり、それに耐えられず自慢だった公務員を辞めた。元の職歴が評価されると思っていたが、面接でことごとく落ちているという。なんとか雇ってくれたスーパーでは数日でお客さんとトラブルを起こし、今ではまた働き口を探しているそうだ。
俺とあり沙は来月に結婚を控えている。初恋の人に再会できると思っていなかったし、ましてや結婚できるなんて夢のようだ。俺は幸せな人生を歩んでいる。



