午後九時半、暗い路地。十九歳の桜は塾からの帰り道、突然三人の男に囲まれた。一番前に立った四十代前半の男が、腕の入れ墨を光らせながら近づいてくる。
「お嬢ちゃん、こんな遅い時間に一人で歩いてたら危ないよ。お兄さんたちが安全に家まで送ってあげるからさ」
桜の心臓が早鐘を打つ。肩に手を置こうとしたその時、背後から声がした。
「失礼ですが、今私の娘に何かおっしゃいましたか?」
落ち着いているのに、なぜか背筋が凍るような声だった。振り返ると、五十代の中年女性が立っている。見た目はどこにでもいる普通の母親だった。しかし、その目だけは獲物を狙う猛獣のようだった。
男たちは最初、笑っていた。中年の女一人に何ができるというのか。しかし彼らは知らなかった。この女性が二十年間、陸上自衛隊の特殊作戦群に所属し、中佐まで昇り詰めた元自衛官であることを。そして娘を守るためにどれほどの力を発揮するかを。
桜は十九歳の女子大生だ。身長は百六十センチほどで、清楚で物静かな性格だった。父親は桜が中学一年の時に交通事故で亡くなり、今は母のA子と二人暮らしだ。桜は母が自衛隊で働いていたことだけを知っていた。しかし、どの部隊でどんな任務をしていたのかは詳しく聞かされていなかった。
A子は五十歳。普段は化粧も薄く、地味な服装で、近所では物静かで礼儀正しい人として知られていた。スーパーで会えば丁寧に挨拶するが、長く話し込むことはない。誰も知らなかった。彼女が日本の精鋭部隊で二十年間戦ってきた元エリート幹部だということを。
その夜、桜は補修授業があり、いつもより三十分遅く帰る予定だった。A子はいつものように九時十分に家を出て塾へ向かった。しかし塾に着くと、桜の姿はない。
「お母さん、もう十五分ほど前に出ましたよ。今日の補修が思ったより早く終わったんです」
瞬間、A子の表情が硬直した。二十年の軍隊生活で培った直感が、危険を告げていた。桜が家に帰る道は二つ。一つは大通りを回る安全な道。もう一つは薄暗い路地を通る近道だった。普段は安全な道を通る桜だが、その日はなぜか近道を選んだようだった。
A子が足を早めて近道の方向へ歩くと、路地の奥から声が聞こえてきた。
「お嬢ちゃん、俺たちが悪いやつに見えるかい? ただ仲良くなりたいだけなんだよ」
A子は静かに路地の入口に近づいた。そこで見た光景に、全身の血が逆流する思いだった。三人の男が自分の娘を取り囲んでいる。一人目は身長百八十センチほどの屈強な体格で、腕に龍の入れ墨があり、首には太い金のネックレスをしていた。二人目は坊主頭で顔に傷跡があり、三人目は痩せ型で目つきが濁っていた。
「お嬢ちゃん、名前は何ていうの? 俺は木村ってんだ」
桜の声は震えていた。
「いえ、やめてください。家に帰らないとお母さんが待っているので」
「お母さん心配するなって。俺たちが連絡してやるよ。娘さんは良いお兄さんたちと楽しく遊んでるってな」
二人目の男が桜の腕を掴もうとした。桜は悲鳴を上げて後ずさりしたが、逃げ場はない。まさにその時だった。
「失礼ですが、今私の娘に何かおっしゃいましたか?」
男たちが振り返ると、A子が立っていた。桜は嬉しそうに叫んだ。
「お母さん!」
しかしA子は娘を見ず、ただ三人の男だけを睨みつけていた。その眼光は尋常ではなかった。
「ああ、お母さんでしたか。ご心配なく。娘さんと楽しく遊んでいただけですよ」
一人目の男が笑ったが、その笑いには嘲りが混じっていた。
「楽しいですって?」
A子が一歩前に出た。
「さ、お母さんの後ろに来なさい」
桜が母の後ろに隠れると、男たちの表情が変わり始めた。
「おばさん、余計なことしなけりゃよかったのにな。こうなったら娘と一緒に俺たちと遊んでもらうぜ」
「このおばさんスタイルもいいし顔も綺麗じゃねえか。娘がこんなに可愛いのは母親譲りか」
三人目の男まで下品なことを言い出した。状況は深刻になっていた。しかしA子の表情は冷たくなるばかりだった。
「最後にもう一度だけ聞きます。このまま静かに立ち去りますか?」
「それとも何だ? おばさんに何ができるってんだ? 警察か? 呼べよ。ここに来るまでどれだけ時間がかかると思ってんだ」
一人目の男がA子の肩に手を置こうとした瞬間、A子が動いた。二十年間の特殊部隊訓練が体に染みついたその動きは、稲妻のようだった。右手が男の手首を正確に掴み、半時計回りに関節を極めた。
「ぐわああ!」
男は悲鳴を上げて膝から崩れ落ちた。残りの二人が驚いて飛びかかってくる。A子は低く構え、二人目の男の足を払った。男はバランスを崩して地面に倒れた。
「てめえ、このき違い女!」
三人目の男がポケットから何かを取り出そうとしたが、A子の方が早かった。一瞬で接近し、首の急所を正確に突いた。男はそのまま地面に沈んだ。全てが三十秒もかからずに終わった。
桜は信じられないという表情で母を見つめていた。
「お母さん、どうして…」
しかしA子はまだ緊張を解かなかった。敵が完全に無力化されるまで油断してはならない。それは二十年間の軍隊生活で学んだ鉄則だった。一人目の男が手首を抑えながら立ち上がろうとしたが、A子の目を見た瞬間、動きを止めた。
「今すぐここから消えなさい」
その声は相変わらず落ち着いていたが、中に凄味があった。しかし一人目の男はプライドを傷つけられたのか、簡単には引き下がらなかった。
「俺たちをこんな目に合わせておいて、ただで済むと思ってんのか。おばさん、世の中舐めてんじゃねえぞ」
A子は桜をさらに後ろへ押しやった。
「桜、あそこのコンビニが見える? あそこに行って警察を呼んできて。絶対に振り返らずに走るのよ」
「分かった。でもお母さんは…」
「今すぐ!」
桜は仕方なくコンビニへ走り出した。「あの娘を捕まえろ!」と男が叫んだが、桜はもう十分に遠くへ離れていた。それにA子が道を塞いでいた。
A子はもう一度チャンスを与えようとしていた。完全に制圧することはできたが、そうすれば大怪我をさせてしまう。民間人の保護が最優先。過剰な力の行使は避けるべきだ。それが特殊部隊で叩き込まれた原則だった。
しかし男たちはA子の善意を理解できなかった。一人目の男がポケットから小さなナイフを取り出した。長さは十センチほどだが、十分に危険な凶器だった。
「おい、ナイフまで出すのかよ」
二人目の男も驚いた表情をした。彼らもただの嫌がらせ程度のつもりだったのだ。しかし一人目の男は完全に理性を失っていた。自分より小柄な中年女性にやられたという事実を受け入れられなかったのだ。
A子の表情がさらに冷たくなった。
「そうですか。では、もう手加減はできませんね」
A子は姿勢を低くした。二十年間訓練を積んだ特殊部隊の構えだった。男がナイフを振り下ろした瞬間、A子は一歩下がりながら男の手首を掴み、正確に急所を圧迫した。
「くっ…」
男の手からナイフが落ちた。A子はそのナイフを足で蹴り飛ばし、男の首の後ろを正確に打った。男は即座に意識を失い、地面に崩れ落ちた。
残りの二人はようやく事態の深刻さを完全に理解した。
「兄貴が気絶した。逃げるぞ」
「待て。このまま逃げたら…」
「そんなこと言ってる場合か!」
しかしA子は彼らを逃がすつもりはなかった。この男たちがまた別の女子生徒を苦しめる可能性があるのなら、今ここで確実に対処すべきだと考えた。
「お前、何者だ? 一体何なんだよ」
二人目の男が震える声で尋ねた。自分たちより小柄な女性がここまでできるとは信じられなかった。
「私が誰であるかは重要ではありません。重要なのは、皆さんが今すぐここから立ち去るべきだということです」
その時、気絶していた一人目の男が意識を取り戻し始めた。起き上がろうとした瞬間、A子が再び動き、男の肩の急所を強く押さえた。
「動かないでください。今は静かにしているのが賢明ですよ」
遠くからサイレンの音が聞こえてきた。桜がコンビニから通報したようだった。
警察官が三人の男を連れて行く時、一人目の男は地面に落ちていたナイフの破片を見て、もはや言い逃れできないことを悟った。
警察署で事情聴取が終わり、深夜十一時過ぎに家へ帰る道すがら、桜は母の腕に自分の腕を絡めた。
「お母さん、本当にありがとう」
「ありがとうなんて。当然のことをしたまでよ」
しかし桜にはどうしても聞きたいことがあった。
「お母さん、本当にどんな仕事をしていたの? 自衛隊で働いてたってだけしか言ってなかったけど」
A子は少し立ち止まり、空を見上げた。いつか娘に話さなければならない時が来るとは思っていたが、こんなに突然来るとは思わなかった。
「桜、お母さん、特殊部隊にいたのよ。二十年間、特殊作戦群にいて、中佐まで昇ったの」
桜の目が丸くなった。
「わあ、じゃあお母さん、すごく偉い自衛官だったんだね」
「偉いなんて。ただ自分が選んだ道を黙々と歩いてきただけよ。実はあなたのために退役したの。あなたを一人で育てながら仕事を続けるのは難しかったから」
「お母さん、私のせいで夢を諦めたの?」
「諦めたんじゃないわ。選んだの。お母さんにとっては、あなたを育てることがもっと大切だったから。それに、今日のことでは役に立ったでしょう。お母さんの過去の経験が、あなたを守るのに役立ったのよ」
家に着くと、桜はシャワーを浴び、A子はリビングのソファに座って深く考え込んだ。これから平凡な日常に戻れるだろうか。二十年間培ってきた特殊部隊員としてのアイデンティティを完全に捨てて、平凡な母親としてだけ生きていきたかったのに。しかし同時に安堵感もあった。自分の過去の経験が娘を守るのに役立ったという事実が、これまでの選択を後悔させなかった。
桜がシャワーを終えて隣に座った。
「お母さん、今日本当に怖かった。でもお母さんが現れた時、すごく心強かったよ。あの人たち、本当に変わるのかな?」
「そうね。人は簡単には変わらないわ。でも今日のことは彼らにとって大きな衝撃だったはず。少なくとも軽はずみな行動をする前に一度は考えるようになるでしょう。もしまた同じようなことをしたら、その時は本当に容赦しないわ」
その時、A子の携帯電話が鳴った。知らない番号だった。
「もしもし」
「あ、奥さん、今日の者です」
電話の向こうから聞こえてきたのは、あの一人目の男の声だった。
「どうして私の番号を?」
「警察署で聞きました。すみません。でも、どうしてももう一度謝りたくて」
男の声には真実味がこもっていた。
「今日俺たちは本当に悪いことをしました。家に帰って考えてみたら、俺にも娘がいるんです。もし自分の娘があんな目にあったら…」
「約束守ってくれますよね」
「はい。必ず守ります。そしてこれからは、むしろああいう状況にいる人たちを助けるようにします」
電話を切った後、A子は安堵のため息をついた。今日の選択は正しかったと確信できた。
翌朝、A子はいつもより早く起きてコーヒーを入れていた。窓の外ではマンションの住民たちが散歩している。平凡な日常だったが、もはや完全に平凡というわけにはいかないかもしれない。
桜がパジャマ姿でリビングに出てきた。
「お母さん、早起きだね」
「眠れなくてね。あなたも?」
「うん。ずっと昨日のことが頭から離れなくて。お母さん、後悔してる? 私のせいでお母さんの過去がバレちゃって」
A子は娘の肩に腕を回した。
「後悔なんて全然してないわ。むしろ良かったと思ってる。私がこれまで隠して生きてきた過去が、一番大事な瞬間にあなたを守るのに役立ったじゃない。これ以上に意味のあることがあるかしら」
その時、玄関のチャイムが鳴った。同じマンションに住む佐藤さんという女性だった。手にはフルーツの籠を持っている。
「こんにちは。昨夜のこと聞きました。大丈夫でしたか?」
「ええ、大したことではありませんので」
「いえいえ、本当にすごいです。実は私も似たような経験があるんです。大学生の時、遅い時間に帰る途中、本当に怖い思いをしたんです。でも、その時誰も助けてくれなくて…。奥さんのような方がいてくださると本当に心強いです。うちの娘も中学生なんですけど、これから安心できます」
「私が特別なわけではありません。ただ…」
「いえ、本当に特別です。どんな母親でも子供を守りたいと思うでしょうけど、実際にそうできるお母さんはそう多くはありませんから。これ、つまらないものですが、感謝の気持ちです。ところで奥さん、もし時間がある時に、うちの子たちに護身術のようなものを教えていただくことはできませんか?」
A子はためらった。退役後は二度とそういうことに関わりたくないと思っていた。しかし昨夜の出来事を経験して、考えは変わった。自分の経験と技術が誰かを守るのに役立つのであれば、それもまた意味のあることではないか。
「分かりました。時間を取って、基本的なことなら教えますよ」
佐藤さんの顔がパッと明るくなった。
一週間後、A子はマンションのコミュニティセンターで最初の護身術教室を開いていた。中学生から四十代の主婦まで、十数人の女性が集まった。
「では、一番基本的なことから始めましょう。誰かに手首を掴まれた時、どうすればいいでしょうか?」
桜が自ら申し出た。
「お母さん、私もやってみてもいい?」
「いいわよ。私の手首を掴んでみて」
桜が手首を掴むと、A子はゆっくりと実演して見せた。
「このように親指の方向に手首をひねって抜くんです。力ではなく技術でやるんですよ」
参加者たちから感嘆の声が上がった。
教室が終わり、家に帰る途中、桜が言った。
「お母さん、本当に格好良かった。みんながお母さんを見る目が全然違ってたよ。尊敬の目差しだった」
A子は胸が暖かくなった。これまで自分の能力を隠してばかりだったが、こうして他の人々の役に立てるという事実が新鮮だった。しかし家に着くと、玄関の前に見覚えのある顔が立っていた。あの夜の男、木村だった。しかしその時の姿とは全く違っていた。きちんとした服装で、手には花束を持っていた。
「奥さん、突然お尋ねしてすみません。でもどうしてもお伝えしたいことがありまして」
男の声は一週間前とは全く違っていた。
「私の名前は木村大輔と申します。実は私には、桜さんと同じ年頃の娘がいます。この一週間、本当に色々なことを考えました。自分がどれだけ間違ったことをしたのか。そして奥さんがどれだけ大きな心で許してくださったのか。娘にあの日のことを話しました。もちろん私が悪いことをしたと正直に話しました。娘は最初はがっかりしていました。でも私が心から反省していることを知って、むしろ応援してくれるようになったんです」
木村の目に涙が浮かんでいた。
「私は今、青少年相談団体のボランティア活動を始めました。自分が経験したことを元に、道を誤った子供たちを助けたいと思っています。それで、もう一つお願いしたいことがあるんです。私が相談に乗る子たちの中に女子生徒もいると思うんですが、もしよろしければ、奥さんにその子たちにも護身術を教えていただけないでしょうか?」
その時、木村の携帯電話が鳴り、彼は急用で去っていった。桜が言った。
「お母さん、人って本当にあんなに変われるものなの?」
「ええ、可能よ。ただ心から変わろうという気持ちがないとね。木村さんが変わったのはご本人の選択よ。私が強制したわけではないわ」
そして一ヶ月後、A子は警察署が主催する女性安全教室を終え、家へ向かっていた。ところが駅を出たところで、奇妙な気配を感じた。誰かが自分をつけてきている。二十年間の特殊部隊経験がもたらす直感だった。黒い服を着た二人の男が、五十メートルほど後ろを歩いている。
A子はわざと違う道へ曲がった。家では桜が待っている。つけられているなら、家に帰るわけにはいかない。人通りの少ない路地に入り、立ち止まった。
「何のためについてくるのですか?」
二人の男は慌てた様子を見せた。気づかれているとは思わなかったようだ。
「いや、俺たちはただの通りすがりで…」
「嘘をつかないでください。駅からずっとつけてきていましたよね」
男の一人が観念したように答えた。
「そうだよ。俺たち、仲間だ。兄貴のせいであんたのせいで、すっかり変わっちまったんだ」
「木村大輔さんと一緒にいた仲間たちだったのですね」
「兄貴はもう俺たちと付き合ってくれねえ。毎日ボランティアばっかりして酒も飲まねえし、完全に別人になっちまったんだよ。あんたが兄貴をめちゃくちゃにしたんだ」
男がポケットから何かを取り出した。一ヶ月前と全く同じナイフだった。
「今度はあんたがやられる番だ」
しかしA子は少しも動じなかった。一ヶ月前は娘を守るという焦りから感情になっていたが、今は完全に冷静だった。
「そうですか。では、仕方ありませんね」
男がナイフを持って襲いかかってきた。しかしA子はすでに彼の動きのパターンを把握していた。一ヶ月前の木村と似た動きだった。ナイフを持った男の手首を正確に掴み、逆方向にひねり上げ、同時に膝で腹部を打った。
「ぐわああ!」
男は地面に崩れ落ちた。もう一人の男が殴りかかってきたが、A子は軽々と避け、男の腕を掴んで背後に回し、うつ伏せにさせた。全てが三十秒もかからずに終わった。
「少しは落ち着きましたか? 皆さんが木村さんを恋しく思う気持ちは分かります。長い間一緒にいた仲間なのですから。でも、人は変われるんです。より良い方向に変わること。なぜ止めようとするのですか?」
「俺たち…俺たちも寂しいんだよ。兄貴がいなくなって」
「では、皆さんも木村さんのように変わってみてはどうですか? ボランティア活動をしたり、他の人を助けたりすれば、木村さんともまた仲良くなれるかもしれませんよ」
A子は携帯電話を取り出し、木村に電話をかけた。二十分後、木村が駆けつけてきた。清潔な服装に明るい表情だった。
「お前ら…」
「兄貴、ごめん。俺たち…」
木村は友人たちを抱きしめた。
「俺の方こそごめん。あまりに急に変わったから戸惑ったよな。でもな、俺は今本当に幸せなんだ。こうして生きられることが」
その光景をA子は微笑みながら見ていた。結局、全ては良い方向に向かうだろう。
二ヶ月後、A子の生活は完全に変わっていた。毎週火曜日と木曜日は警察署で女性安全教室を、土曜日はマンションのコミュニティセンターで護身術教室を開いていた。そして日曜の午後には、木村と一緒に青少年相談団体のボランティア活動をしていた。ある日曜日、相談センターに到着すると、驚くべき光景が広がっていた。木村と一緒に、あの二人の男までボランティアのユニフォームを着て立っていたのだ。
「奥さん、こんにちは。こいつらも正式なボランティアになったんですよ。研修も全部終了しました」
「姉さん、あの時は本当にすみませんでした。俺たち本当に変わったんです。大輔兄貴がどれだけ良いことをしているのかこの目で見て、俺たちもこういうことをしたいと思うようになったんです」
A子はこの光景に感動した。本当に人はこんなにも変われるものなのか。
「ところで奥さん、今日特別な子が来ているんです」
木村が相談室を指差した。
「十七歳の女子生徒なんですけど、数日前に不審者に脅かされるという事件があったそうで、すっかり萎縮してしまって」
「私が一度会ってみましょうか」
相談室に入ると、隅でうずくまっている女子生徒がいた。みきちゃんという名前だった。
「こんにちは、みきちゃん。私はA子と言います」
「こんにちは…」
声はとても小さかった。まだあの日の衝撃から立ち直れていないようだった。
「怖かったでしょうね。私も似たような経験があるから、あなたの気持ち分かるような気がするわ」
「本当ですか?」
みきちゃんは初めて顔を上げた。
「ええ。実は私の娘も数ヶ月前に、あなたと似たような目にあったの」
A子はあの夜の出来事を話した。もちろん自分の過去については詳しく話さず、娘を守るために勇気を出したという部分を強調して。
「わあ、本当にすごいです。でも私は…私は何もできなかったんです」
「みきちゃん、それはあなたのせいじゃないわ。怖い状況で体が固まってしまうのは当然の反応よ。でもこれからは変われるわ。あなたがそう望むならね。基本的な護身術を習うの。そして危険な状況にどう対処すべきかも学ぶのよ」
みきちゃんの目が少しずつ輝き始めた。
「私に本当にできますか?」
「もちろんよ。私を信じてついてきなさい」
その日からみきちゃんはA子の特別な教え子になった。週に二回の個人指導。最初は基本的な姿勢から始めた。
「みきちゃん、自信が一番大切よ。肩を張って、顔を上げて、堂々と歩いてごらん」
「こうですか?」
「そう。ずっと良くなったわ。自信を持って歩いている人には、なかなか手を出せないものよ」
一ヶ月も経つと、みきちゃんの変化は目に見えて現れた。声も大きくなり、表情も明るくなった。
半年後、春。A子の女性サポートプログラムは地域社会の代表的な成功事例となっていた。警察署の教室には常に二十人以上の女性が参加し、土曜日の護身術教室には中学生から六十代の女性まで様々な年代の人々が集まった。そして最も驚くべき変化は、みきちゃんだった。
「皆さん、最初は怖いかもしれませんが、私にもできたんだから、皆さんにもできます」
みきちゃんが新しい参加者たちに堂々と話す姿を見て、A子は満足に微笑んだ。
その日の授業が終わった後、木村とカフェに座っていた。
「奥さん、良いニュースがあります。市役所から連絡があって、奥さんのプログラムを他区にも広げたいそうです。正式に予算もつけてくれると言っています」
「本当ですか?」
「はい。それにもっとすごいニュースがあります。奥さんが今年の市民栄誉賞の候補に選ばれたそうです」
A子は驚いた。自分はただやるべきことをしただけなのに。しかしそれよりも大切なのは、木村が言った言葉だった。
「奥さんのおかげで、本当にたくさんの人が変わったということです。俺の仲間たちも、みきちゃんも、それに俺自身も。奥さんに出会わなければ、まだ間違った道を歩んでいたでしょう」
その夜、A子は娘と夕食を取りながら話していた。
「お母さん、本当に誇りに思うよ。最初は心配だったんだ。お母さんがあまりに危険なことに関わっているようで。でも今見てると、お母さんは本当に素晴らしいことをしていると思う。私も将来、お母さんみたいに誰かの役に立てる人になりたいな」
一ヶ月後、市民栄誉賞の受賞式が行われた。会場にはこれまで一緒に活動してきた全ての人々が来ていた。木村とその友人たち、みきちゃんと護身術教室の仲間たち、さらには警察署の職員たちまで。
「この賞は私一人がいただくものではありません。私を信じて共に歩んでくれた全ての皆さん、そして変わる勇気を見せてくれた若い友人たちと一緒にいただく賞です」
会場からは拍手が起こった。受賞式が終わった後、A子は一人で公園のベンチに座っていた。八ヶ月前のあの夜のことを思い出していた。あの時の自分は怒りに満ちていた。しかし今は全く違う。あの経験が自分をさらに強くし、他の人々にも力を与える人間へと変えてくれた。
「奥さん」
後ろから木村の声がした。
「みんな奥さんのことを探していましたよ」
「ごめんなさい。少し一人で考える時間が欲しくて」
「何を考えていらっしゃったんですか?」
「昔のことをね。八ヶ月前のあの夜のこと。あの時の私は本当に怒りに満ちていた。復讐してやるという思いしかなかった。でも今考えると、あの出来事があったからこそ今の私がいる。そしてあなたやみきちゃんや、たくさんの人たちに出会えた」
「奥さん、復讐は何も解決してくれませんでした。むしろ人を変え、助けることこそが本当の答えだったんです。俺もあの夜、奥さんに出会わなければ、まだ間違った道を歩いていたでしょう。奥さんが俺たちを罰するのではなく、チャンスをくれたからこそ、今の俺たちがいるんです」
一年が経った。A子の女性安全サポートプログラムは自然域に広がり、他の市からも視察の依頼が来るほど成功したモデルとなっていた。A子は正式に市民安全教育の専門講師という立場を持ち、全国を飛び回って講演をしていた。木村たちは青年ボランティア団を結成し、みきちゃんは大学に進学しながら、週末には今でもA子のアシスタント講師として活動していた。
ある土曜の午後、護身術教室を終えたA子が家に帰る途中、バス停で一人の初老の女性が近づいてきた。
「もしかしてA子先生でいらっしゃいますか?」
「はい、そうですが」
「お会いできて嬉しいです。私は三ヶ月前に先生の講演を聞いた田中と申します。あの時、先生がおっしゃっていた言葉のおかげで、本当に大きく変わったんです。今では夜道を歩くのも怖くありませんし、何か問題が起きても冷静に対処できるようになりました。でも一番大きな変化は、私が今他の人たちを助けられるようになったことです。うちの自治会で自主防犯パトロール隊を作ったんですが、私が隊長を務めているんですよ」
「まあ、本当に素晴らしいですね」
「全て先生のおかげです。先生が見せてくださったように、弱い人が強くなるのではなく、強くなった人が他の人を助けることこそが本当の意味なのだと気づかされたんです」
バスが来て別れる時、A子は窓の外を眺めた。遠くの空に夕日が沈み、新しい夜が始まろうとしていた。一年前のあの暗い夜に始まった物語が、今ではこんなにも多くの人々に光を与えていることが不思議だった。
A子は静かに微笑んだ。世の中には、最も暗い瞬間が最も明るい始まりになることもあるのだな。そして明日また、新しい人々に出会えることを楽しみにしながら、A子は家路に着いた。



