退職の日、最後まで俺を嘲笑った同期が言った。「お前が退職してくれて助かったよ。お前がいなくなったおかげで俺の出世も間違いなしだ。サンキューな」十年以上勤めた会社を、濡れ衣で追われることになった。同期は俺に嫉妬し、根も葉もない悪評を社内に流した。担当顧客もチームも手柄も、すべて奪われた。廊下を一人で去った俺は、もうこの業界にはいられないと覚悟していた。ところが一ヶ月後、その同期から電話が鳴った…

退職の日、最後まで俺を嘲笑った同期が言った。「お前が退職してくれて助かったよ。お前がいなくなったおかげで俺の出世も間違いなしだ。サンキューな」十年以上勤めた会社を、濡れ衣で追われることになった。同期は俺に嫉妬し、根も葉もない悪評を社内に流した。担当顧客もチームも手柄も、すべて奪われた。廊下を一人で去った俺は、もうこの業界にはいられないと覚悟していた。ところが一ヶ月後、その同期から電話が鳴った...

「お前が退職してくれて助かったよ。お前がいなくなったおかげで俺の評価もうなぎ上りだ。出世も間違いなしだ。サンキューな」

同期の男はそう言って、最後まで俺を嘲笑った。こいつは営業部のエースである俺に嫉妬し、根も葉もない悪評を社内に流したのだ。こんな卑怯な奴のせいで、十年以上勤めた会社を出ていくことになるとは思いもしなかった。しかも、俺が担当していた顧客はすべてこいつが引き継ぐことになっている。手柄も居場所もすべて奪われ、俺は廊下の中を会社を去った。

ところが、一ヶ月が過ぎた頃。会社に戻ってこい。社長がお前を呼んでるんだ。このままじゃ倒産する。俺を嵌めた同期からの助けを求める電話がかかってきた。だが、俺に助けてやる義理はない。拒否すると伝えてやった。俺の現状に彼は絶望し、破滅への道を歩み始めることになった。

俺の名前は松本高也。証券会社の営業マンとして仕事に明け暮れている。

俺が務める証券会社は、百年近い歴史を持つ老舗だ。大手ではないものの、長年取引のある優良顧客を多数抱え、安定した経営基盤を築いている。俺は新卒でこの会社に入って以来、十年以上営業一筋で働いてきた。新人時代は、長年取引のある顧客を担当するプレッシャーに押し潰されそうだったが、今では営業部のエースなどと言われるまでに成長した。特にここ数年の営業成績は好調で、ベテランの先輩を抑えて社内トップの成績を残している。

もちろん、いきなりここまでやってこられたわけではない。顧客の信頼に応えるため、徹夜で資料を作ったり、休日を使って経済や顧客の業界について勉強したり、自分の持てる力をすべて仕事に注ぎ込んできたのだ。その努力が報われてか、俺を指名して取引したいと言ってくれる顧客も随分増えた。心身ともにハードではあるが、顧客に頼ってもらえるのは嬉しいし、ありがたいことだ。こんなにやりがいのある仕事はない、と俺は思っている。

そんなある日のこと、社内で新たな事業を立ち上げるプロジェクトチームが発足した。会社が創業百周年の節目を迎えるにあたって、社内に新しい風を吹かせたいという社長の考えがあるらしい。そして、俺はそのプロジェクトチームのリーダーを任命されることになったのだ。

「松本君。顧客に信頼される仕事ができて、向上心の強い君こそ適任だ。期待しているぞ」

「ありがとうございます。期待に応えられるよう、精一杯頑張ります」

抜擢には驚いたが、それ以上に俺の心は使命感に燃えていた。今回の新事業が会社の将来を左右するかもしれないのだ。なんとしてでも成功させてやろう、と気合いを入れた。

その数日後、プロジェクトは本格始動した。社内の各部署から選出されたメンバーが会議室に集まっている。普段と違う新鮮な顔ぶれだな、などと思っていた矢先、見知った顔に声をかけられた。

「頼りにしてるぜ、リーダー」

俺の同期で、同じ営業職である小岩総一だった。小岩はスラリとした長身でスーツを着こなし、顔立ちにも花があって、いかにもエリート証券マンという風貌だ。小柄で平凡な顔つきの俺からすると羨ましい限りだ。

「小岩もお前もメンバーだったのか。よろしくな。というか、リーダーなんて呼ばれるのは落ち着かないからやめてくれよ」

「はは、そう言うだろうと思ってわざと呼んだんだよ。しかし大抜擢だな。さすが我らが営業部のエースだ。このプロジェクトが成功したら、出世コース確実だろう。将来は専務か、それとも社長かな」

「さあ、どうだろうな。今はとにかくプロジェクトを成功させることで頭がいっぱいだよ。責任重大だけど、一緒に頑張ろうな」

小岩はいつもこうして気さくに声をかけてくれるのだが、正直なところ俺は彼に対して苦手意識を持っていた。表面上は気さくに振る舞っていても、彼の言動の節々に打算を感じ取ってしまうのだ。本心では何を思っているのだろう。小岩と話していると、そんなことを考えてしまう。

まあ、それでも悪い奴というわけではないし、十年以上同じ部署で働いてきた仲間だ。今まで通り、程良い距離感で接していれば特に問題はないだろう。まずはメンバー同士の顔合わせを軽く済ませ、早速新事業のアイデアを話し合うことにした。

会議の場で、俺は率直に意見を出し、みんなが発言しやすい空気を作るように心がけた。俺は一方的に指示を出すだけのようなリーダーではなく、メンバーと一緒に議論したり悩んだりして、プロジェクトを活性化できるようなリーダーになろうと決めていたのだ。そんな気持ちが伝わったのか、初めは遠慮していたメンバーも徐々に発言が増え、活発な議論を進めることができた。連日の会議で、新事業案が次々と練り上げられていく。

こうしてプロジェクトが順調に進んでいた頃、俺の身の周りに不穏な気配が漂い始めた。違和感だった。普段通りに挨拶をしたはずなのに、相手が戸惑ったような反応を見せたり、オフィス内でなんとなくいつもより視線を感じたり。最初は気のせいかと思ったが、度々感じる違和感に不安が強まっていく。

そのまま数日が過ぎた頃、珍しく小岩から二人で飲みに行こうと誘われた。飲みの席で他愛のない会話をし、二杯目のビールに口をつけた頃、小岩はこう切り出した。

「なあ、松本。お前、良くない噂をされているぞ。大丈夫か?」

小岩の深刻な顔を見れば、冗談でないことは分かる。それに、ここ数日の違和感のこともある。俺は詳しい話を聞かせてくれるよう頼んだ。

「お前について良くない噂が飛び交ってるんだよ。顧客から得た情報でインサイダー取引しているとか、書類を改ざんして顧客の利益をこっそり懐に入れているとか」

「バカな。俺がそんなことするわけないだろう」

身に覚えのない噂に、俺は衝撃を受けた。

「俺はもちろんそんな噂は信じてないさ。けど、社内には本気で信じている奴らもいるみたいだ」

「信じてくれてありがとうな。しかし一体、誰がそんな噂を流したんだろう」

噂の中身が根も葉もない話である以上、誰かが悪意を持って嘘の情報を流したということになる。社内で良好な人間関係を築いてきたつもりだったから、悪意を向けられているだなんて、正直考えたくない。

「とりあえず、そんな噂信じるなって周りには言っておくよ。お前も噂なんか気にせず、いつも通りに振る舞っていればいいんだって」

励ましてくれる小岩に感謝を伝え、その日はお開きになった。噂の話はショックだが、気にしても仕方がない。誰に嫌われていようが、俺は俺のやることをやるだけだ。そうして翌日以降、俺はなるべく平常心を心がけてプロジェクトに当たった。

プロジェクトメンバーの中にも噂が広まっているのか、なんとなく気まずそうな顔をしている者も何人かいる。気にしていないふりをしていても、ちょっとした素振りに出てしまうもので、チームの雰囲気が少しぎこちないものになってしまった。

どうしたものかと頭を悩ませていたある日のこと、俺は部長に呼び出された。人払いがされた会議室に通され、噂のことを尋ねられる。

「長い間君を見てきたんだ。くだらない噂にすぎないことは分かっているよ。しかし、最近君が悩んでいる様子だから心配になってね」

部長から白い目を向けられることも覚悟していたため、信じてもらえたことに心底ほっとした。

「ご心配おかけして申し訳ありません。プロジェクトには支障が出ないよう務めます」

しかし、部長への言葉とは裏腹に、俺とプロジェクトメンバーの間はさらにぎくしゃくした空気になってしまった。同期が教えてくれた情報によると、部長から呼び出された姿を見た社員が、「部長から尋問を受けたに違いない」と社内に言って回ったらしい。その情報が先の噂に真実味をもたらし、今まで噂を真に受けていなかった者たちまで俺を疑い始めたというのだ。プロジェクトメンバーの中にも、露骨に俺を避ける者が現れ始めた。俺の指示を正面から拒否する者。やんわりと俺を避ける者。表面上は俺に従うが、戸惑いを隠せない者。様々だが、チームのモチベーションは明らかに低下している。

そんな中で、小岩だけは積極的に業務に取り組み、メンバーと俺の間を取り持とうと動いてくれていた。

「おいおい、最近みんな元気がないんじゃないか。まさか変な噂を真に受けてるわけじゃないよな。大事なのは噂の真偽より、プロジェクトを成功させることだろう」

小岩の言葉を聞いても態度を変えないメンバーは数名いるが、大半のメンバーはどうにかモチベーションを持ち直して手を動かしてくれている状況だ。それでもプロジェクトは徐々に失速し、俺は暗澹たる気持ちになっていた。

ある日、俺はプロジェクトの業務の合間を縫って、担当顧客の元を訪れた。最近は新規プロジェクトに追われているが、だからと言って顧客への定期訪問を欠かすわけにはいかない。これは俺が顧客との信頼を築くための流儀なのだ。近況をヒアリングして訪問を終えるつもりだったのだが、思いがけず顧客に引き止められた。

「松本さん、ちょっといいかな? 実はね、あなたに関する良くない噂を耳にしたんだ。インサイダー取引をしているとかなんとか。その話は本当なのかい?」

まさか取引先まで話が広まっているとは。俺は驚愕しながらも、なるべく冷静に否定する。

「いいえ。根も葉もない噂ですよ。お客様の信頼を裏切るようなこと、僕は絶対にしたくありませんから」

「そうか。うん。その言葉を聞いて安心したよ。あなたがそんなことをするとは思えなかったからね。私はこれからも松本さんに担当してほしいと思っているから、負けないでくれよ」

俺の身を案じてくれる顧客の言葉に、胸が熱くなる。とはいえ、社外にまで噂が広がっているのは深刻な状況だ。もはや俺個人だけではなく、会社全体の大きな信用問題にもなりかねない。一度部長に相談した方が良いだろうか。俺は頭を悩ませながら会社に戻った。

オフィスに到着したのはちょうど昼休みの時間で、社員の多くは外に出払っていた。実は、俺を避ける社員たちと顔を合わせたくなくて、狙って人のいない時間に戻ってきたのだ。すっかり陰気になってしまった自分を自嘲しながら、デスクに着く。その時、ふと隣の席にある小岩のPCの画面が目に入った。そこに自分の名前が書いてあるのが見えて、思わずPCを覗き込む。

画面に表示されているのは、社内掲示板の投稿画面だった。作成中の投稿欄に書かれている文章はこうだ。

「松本高也の営業成績は全て偽物。本当は大損失を出しているのに、他の顧客の利益でごまかして成績を捏造。そこまでしてトップになりたいなんて自己顕示欲の塊かよ。痛すぎる」

なんだこれ? 小岩がこの文章を投稿しようとしているってことなのか。でも、小岩は噂の話を俺に教えてくれたし、プロジェクトメンバーと俺の間を取り持ってくれたじゃないか。理解が追いつかず固まっていると、後ろから声をかけられた。そこに立っているのは小岩だった。

「よう、松本。結構早く戻ってきたんだな」

「小岩。これ、どういうことだよ」

俺が小岩のPC画面を覗いているのを見て、小岩は顔色を変えた。

「はあ。画面ロックかけたはずなのに。お前、勝手に開いたのかよ。最低だな」

小岩の反応を見て、これまでの噂の発信源はこいつなのだと俺は確信した。驚きつつも、胸のうちにふつふつと怒りが湧いてくる。

「何言ってんだよ。ずっと開きっぱなしだったぞ。この嘘っぱちの文章、お前が投稿しようとしてたんだよな。どういうつもりだ? 噂を流したのもお前なのか?」

小岩はオフィスを見回して誰もいないことを確認すると、口の端を釣り上げた。

「はは。今更気がついたのかよ。そんなに鈍くて、よく営業成績トップなんか取れたよな。他にもたくさん投稿してあるから、見せてやろうか」

信じられないことに、小岩は開き直ってニヤニヤと俺を見ている。さらに勝ち誇ったような顔で、小岩は続けた。

「みんな噂を信じてるんだよ。お前みたいな平凡な奴が営業部のエースになんてなれるわけないって。心の底ではみんな思ってたのさ」

俺の今までの努力を踏みにじるような言葉を平気で口にされ、俺はカッと頭に血が上った。

「ふざけるな。俺がどれだけ努力したと思ってるんだ。それに、俺のことを信じてくれる人だってちゃんといるんだ」

「何を吠えようが、お前はもう終わりなんだよ。上層部でもお前のことが問題になってる。プロジェクトも顧客も全部俺が引き継いでやるから、安心しろよ」

言い返そうとしたところで、フロアに人が戻ってきた。俺がそちらに気を取られている間に、小岩は何食わぬ顔で席につき、掲示板の投稿画面を消してしまった。掲示板は匿名での投稿もできるため、過去の投稿を小岩のものだと証明することも難しいだろう。証拠を失い、俺は唸るしかなかった。

翌日、俺は上層部から呼び出された。以前呼び出された時と違い、今度は本当に尋問である。社長と部長を前にして、俺は自分の身の潔白を訴え、噂の元である小岩を告発した。上層部は驚きながらも、小岩を尋問の場に呼び出してくれた。小岩はわざとらしい様子でやってきて、無実を主張する。

「俺はずっと松本を信じてフォローしてきたんですよ。訴えられるなんて心外だ。俺は何も知りません」

「なんだと? お前、昨日俺に言ったよな。俺を蹴落として、チームも顧客も全部自分のものにするって」

白を切る小岩にカッとなった。俺は席を立ち、声を荒げた。

「はあ。言いがかりだ。皆さん、こいつの言うことを信じないでください」

社長は俺と小岩の口論には反応せず、重たい口調で言った。

「真実がどうであれ、今の問題は噂によって会社の信用が揺らぎ始めていることだ。証券会社は信用第一なんだ。一度信用を失ったら、取り戻すのにどれほど時間がかかるか」

それを聞いて、俺は悟った。社長は俺一人の名誉や評判ではなく、会社全体の信用を第一に考えているのだ。そして、俺は今や期待のエースではなく、会社の信用を損ねるお荷物として認識されてしまっているのだろう。ずっと信用第一で頑張ってきた俺にとって、社長からの信用を失っていることはとてもショックだった。そして、もはや小岩を追及する気にもなれず、がっくりとうなだれた。

結局、噂を裏付ける証拠がないため、俺には何の処分も下されなかった。もちろん、小岩も何の音沙汰もなしだ。上司に促され、黙って自席に戻った俺だったが、覚悟を決めていた。悔しいが、会社の厳しい現状を考えると、俺はもうこの会社にいられない。俺は翌日には辞表を提出した。

部長は残念がってくれたが、社長の意向がある手前、引き止めることはできないようだった。退職までの数週間、俺は担当していたプロジェクトや顧客をすべて小岩に引き継がなければならなかった。どうしてこんな男に、俺が大切にしてきたチームや顧客を渡さなければいけないんだ。やりきれない気持ちになるが、これ以上俺が関われば、会社にも顧客にも迷惑がかかるかもしれない。上層部の決めた通り、小岩に後を任せるしかなかった。

そして退職当日。俺は形ばかりの退職挨拶をしたが、オフィスには、まばらな拍手がパラパラと響くだけだった。部長と数人の同期だけが別れを惜しんで声をかけてくれたが、大多数の社員は俺がいないかのようにいつも通り振る舞っている。十年以上尽くした会社を、こんな形で去るとは思いもしなかったな。感慨に浸りながら、俺はオフィスを後にする。エレベーターを降りてビルを出ようとしたところで、小岩に呼び止められた。どうやら奴はエレベーターホールで待ち構えていたらしい。

「営業部の元エースが、送別会も花束もなしで退職か。寂しいな」

俺を嘲笑う様子を一瞥する。悔しがる俺の顔を見たいのだろうが、思い通りになってやるものか。俺が黙っていると、小岩は畳みかけるように続けた。

「いやあ、お前が退職するって言ってくれて助かったよ。お前がいなくなったおかげで、チームは順調だ。上層部も俺が考えた案を気に入っているみたいだしな」

こいつが言っている案というのは、俺が以前考えていたものだ。俺はチームのためを思って、自分の案をいつも共有するようにしていた。小岩はそれを盗んで、自分の手柄にしたのだろう。

「お前が独占してた優良顧客も俺のものになったし、俺の評価はうなぎ上りだよ。俺の出世は間違いなしだ。サンキューな、松本」

最後まで俺を嘲笑い続ける小岩に、もはや諦めすら感じながら、俺は黙って立ち去った。

ところが、退職から一ヶ月が過ぎた頃、俺のスマホに着信が入った。小岩からの電話だった。

「松本、会社に戻ってこい。大至急だ。社長がお前を呼べってうるさいんだよ」

電話口の小岩は、だいぶ焦っている様子だ。

「会社に戻れって、なんだよ。急に言われても無理だ」

「いいから戻ってこい。社長命令だぞ。お前がいないと会社が倒産するって大騒ぎなんだ」

詳しく話を聞くと、小岩は苛立たしそうに成り行きを話した。どうやら、俺が以前担当していた顧客たちが、続々と会社との取引を打ち切っているというのだ。顧客たちは口を揃えて「松本さんが不正などするはずがない。彼が担当しないなら、お宅との取引はしない」と言っているらしい。大口の優良顧客を次々失い、会社の業績は急降下しているという。そこで社長が慌てふためき、俺を連れ戻せと小岩に言ったというわけだ。

事態は把握したが、俺は会社に戻る気はなかった。

「悪いが、戻ることはできないよ。俺は今、別の証券会社に勤めてるんだ」

「ああ? 業界中にお前の噂が広がっていたんだぞ。雇ってくれるところなんてあるわけないだろう」

「いや、それがそうでもないんだよ。噂に構わず俺を受け入れてくれる会社があったんだ。俺の顧客は、お前が望んで引き継いだ仕事なんだから。自分でなんとかしろよ」

小岩は予想外だったようで、言葉を失っている。

「うるさい。俺だって社長に言われなきゃ、お前に頼ったりなんかしねえよ。本当は俺一人でどうにかできるのに。みんなお前みたいな冴えない奴ばかり頼りやがって」

「確かに俺は、お前ほどスタイルも顔も良くないよ。けど、人が見ているのはそんな表面的なものじゃない。顧客のために汗をかいたことのないお前には分からないだろうけどな。せいぜい頑張れよ」

淡々と告げ、電話を切る。

そう、俺は以前の会社のライバル証券会社に転職済みだった。噂が広がる前から俺を引き抜きたいとの声かけがあったのだが、当時の俺は自社に愛着があったから断り続けていた。そして、ありがたいことに、噂のせいで退職した後にもその会社は声をかけてくれたのである。証拠のないことで俺を疑ったりしない、と言ってくれたのだ。噂があるため業界にいられなくなることを覚悟していたのだが、そんな俺を信用し、受け入れてくれた今の会社には、とても感謝している。以前の会社にもたくさんの恩があるから心は痛むが、今の俺の居場所はあの会社じゃない。今の会社で、再び仕事に身を入れ直すことを決めたのだ。

その後、俺はかつての顧客たちに連絡を入れ、ライバル会社に転職したことを伝えた。顧客たちはみんな、俺の新しい門出を祝い、温かい言葉をかけてくれる。

「またあなたに担当してもらえることになって嬉しいよ。あなたほど信頼できる証券マンはいない。他の会社も、老舗の社名よりあなたの名前を選んだんだ。誇りを持ちなさい」

前の会社で人に裏切られ、疑われ、心労に明け暮れていた俺は、涙が出るほど嬉しかった。信頼を得ることを第一に頑張ってきた俺の努力は、きちんと報われたのだ。さらに、顧客たちは新しい会社で俺が担当を受け持ち、取引を再開することになった。こうして、新しい会社と顧客たちのおかげで、俺は完全に立ち直ることができた。

その一方で、以前の会社は業績の低下を続けていた。俺の担当顧客が離反したことにより、会社の信用がますます揺らいでしまったのだ。そして、俺を陥れて手柄を得ようとした小岩は、とあるニュースで新聞の一面を飾ることになる。なんと、小岩はインサイダー取引を繰り返し、巨額の利益を得ていたことが明るみに出たのだ。事実が発覚して即刻、小岩は解雇され、逮捕された。だが、それで報道が収まることはなかった。ニュースでは連日、会社名と小岩の名前や写真がさらされ、ネットやメディアで散々叩かれた。これだけ悪評が知れ渡ると、小岩はもう業界に戻ってくることはできないだろう。会社についても似たようなもので、報道が沈静化する頃にはすっかりインサイダー取引の会社という印象がついてしまい、信用は地に落ちた。当然、業績悪化は止まらず、倒産まで秒読みと噂されていたが、最終的には、俺の転職先であるライバル会社に買収されることが決まった。

その買収の裏では、俺が会社間を取り持っていたのだが、表に出ることはないだろう。以前の会社は救済合併により倒産は免れたものの、百年の歴史に幕を閉じることとなった。卒業以来勤めていた会社の看板がなくなるのは寂しくもあるが、俺が転職して新しい居場所を得たように、救済合併を新しい歴史の始まりと捉えることもできるだろう。

色々なことがあったが、俺のやることはこれからも変わらない。信用第一に、愚直に顧客との信頼を築いていくことだ。俺は思いを新たにして、今日も営業回りへと出かけるのだった。

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