中卒が作ったゴミ部品は不要だ。そう言い放った瞬間、部長は俺たちが必死で作り上げた試作品をゴミ箱に投げ捨てた。物を作る人間の思いを、自分勝手な理由で踏みにじる。部長は俺が最も嫌うタイプの人間だった。しかし俺は知っていた。近いうちに、この男には天罰が下るだろうと。
俺の名前は清水。三十歳。小学五年生の時、祖父が営む精密部品の町工場が潰れた。原因は大手の取引先だ。こんな貧乏工場で作ってるものなんて、他の会社でも作れる。そう言われて技術を買い叩かれ、値下げを要求され続けた末の倒産だった。結果、我が家は莫大な借金を背負うことになった。今思い出しても腹が立つ。
中学生になった俺は新聞配達で生活費を稼いだ。その後、精密部品の製造を手掛ける技術系の企業に就職し、二十五歳で借金を完済した。苦労してきたからこそ、お金と物の大切さは人一倍学んだつもりだ。学生時代の恩師からも、物を粗末にすることは作った人の思いも踏みにじることだと教えられた。借金を返してお金に余裕ができた今でも、壊れたものは直して使い続けている。
ある日、俺は大型案件の打ち上げに参加していた。少し手伝った程度だったが、案件責任者の石川部長に誘ってもらえたのだ。最初は皆で楽しく酒を飲んでいたけれど、ある人物のせいで徐々に空気が悪くなっていく。
「おい、もっと飲めよ」
顔を赤くして自分の部下に絡んでいるのは、取引先の千田部長だった。今回の案件は千田部長の会社との合同事業で、打ち上げには両社の社員が大勢出席している。周りの人たちは困った様子で千田部長の相手をしていたが、誰も本気で止めようとはしない。
俺は遠くから事態を見守りながら、酒癖が悪い人なのかなと思っていた。すると近くにいた千田部長の会社の若い社員たちが、ひそひそ声で話しているのが聞こえてきた。
「千田部長、親のコネで大学に進学したんだろ。働かずに副社長と同じ大学っていう理由だけで採用されたらしいぞ」
「案件が成功したのも俺たちがサポートしたからだよな。あの人、何もしてないだろ」
この会話だけで、千田部長がとんでもない人物だというのが分かった。
俺がどうしたものかと悩んでいると、千田部長は近くにいた俺の後輩の女性社員に絡み始めた。後輩はこれが初めての大きな案件で、無事に成功させるために連日残業で対応していた。後輩の頑張りを知っていた俺は、千田部長のせいで台無しにさせたくないと思い、慌てて駆け寄って二人の間に割って入った。
「やめてください」
「あ? なんだお前は」
千田部長は目と眉を吊り上げ、俺に絡み始めた。
「えっと、清水さんですよね。お手数をかけて申し訳ございません」
隣にいた部下らしき若い男が慌てて部長に俺のことを伝える。
「取引先の清水さんですよ。今回の案件を手伝っていただきました。この方、とても腕がいいんです」
「そういえば、中学を出てすぐ働きに出たと聞いたが」
よほど慌てているのか、若い男は余計なことまで口にしている。それに、その説明には少し語弊があった。訂正しようと口を開きかけた瞬間、千田部長が嫌な笑みを浮かべて言った。
「つまり、低学歴の貧乏人ってことか。俺は家が医者で金持ちのエリートだぞ。副社長にも可愛がられている。お前みたいな奴は、俺に指図できる立場じゃねえんだよ」
そう言いながら持っていたコップの中身を俺にかけてきた。寸前で避けたので被害はなかったが、俺が避けたのが気に食わないらしく、部長はさらにヒートアップした。
「お前、表に出ろ」
手を出されそうになったが、石川部長が俺を逃してくれた。
「これ以上騒ぎになる前に、帰った方がいい」
暴れる千田部長を複数の社員が抑えつけている間、俺は急いで打ち上げ会場を後にした。
色々な意味ですごい人だったなあ。家に戻る途中、ため息をつきながら呟いた。できれば二度と関わりたくない相手だと思った。
この事件から半年後、石川部長に呼び出された俺は、ある仕事を任されることになった。四十七億の大型案件だ。
「内容を確認し、チームリーダーにはお前が適任だと判断した。責任は重大だ。やってくれるか?」
「はい」
石川部長は俺を信頼して重要な仕事を任せてくれた。その期待に答えたいと思い、迷うことなく了承する。今回の案件は千田部長の会社からの依頼だった。一瞬戸惑ったけれど、石川部長から渡された書類によると、担当者の欄には渡辺と書かれていた。千田部長は今回の案件には無関係のようだ。胸を撫で下ろしつつ、翌日早速取引先へ打ち合わせに向かった。
今日は渡辺さんと顔合わせをしつつ、案件について軽く話をする予定だ。ところが案内された会議室で俺を待っていたのは、偉そうにふんぞり返っている千田部長と、申し訳なさそうな様子の渡辺さんだった。
「担当者が変更になった」
千田部長がぶっきらぼうに告げる。その後の打ち合わせは散々だった。自分に恥をかかせた俺のことをしっかり覚えていて、一時間の打ち合わせはほぼ部長の嫌みで幕を閉じた。
打ち合わせ終了後、会社の外まで追いかけてきた渡辺さんが謝罪と合わせて今回の件について教えてくれた。
「千田部長、ここ半年ほどは仕事を一切していないんです。その上、部下に対する高圧的な態度が上層部にバレて、立場が危ぶまれていると噂になってまして。本人もかなり焦っているんでしょうね。なんとしても実績を出したくて、担当者を無理やり変更したんです」
事情は分かったが納得はできない。千田部長が担当者になることで、今後何かしら問題が起こるのは間違いないだろう。あの時の飲み会で、千田部長の部下はこう言っていた。部長は副社長の後ろ盾だけで出世しただけで、仕事は全然できないって。もしあの言葉が本当だったら、この案件は失敗に終わるだろう。しかし俺に担当者を変えさせる権限はなかった。
「そうですか。分かりました」
渡辺さんの説明にも、こう返すしかない。会社へ戻る道すがら、何度もため息が漏れた。
案件着手の直後、千田部長は早速問題を起こす。部長の連絡ミスが原因で作業の遅延が出たのだ。しかし部長はこれを俺のせいにした。
「お前がちゃんと確認しないからだ」
一方的に怒鳴られても、俺は何も言えなかった。相手はこちらに仕事を依頼している立場で、しかも大手企業だ。一方我が社は社員数六十名の中小企業。まともに相手をしたところで勝てる可能性はほぼなかった。
仕方ない、俺が残業して対応しよう。チームメンバーに迷惑はかけられない。仕方なく俺が遅れた分をフォローしたけれど、おかげで家にまともに帰れない日が一週間ほど続いた。
俺が苦労している間も、千田部長はさらなるミスを重ねる。他社へ材料を依頼する際、発注ミスをして二倍量を注文したのだ。そのせいで千田部長の会社は余分な在庫を抱えるはめとなり、案件の予算も圧迫された。すると部長は今度は部下の渡辺さんのせいにした。さらにその責任の一部を俺にも押し付けようとする。
千田部長は俺の会社に電話をかけ、上司である石川部長に嘘を吹き込もうとした。
「今回の件は部下の渡辺の責任ですが、清水さんの確認漏れも原因では」
千田部長はよほど口がうまいらしい。電話を受けた石川部長は一瞬だけ言葉に詰まっていた。たまたま近くにいた俺はこの会話を耳にして、まさか石川部長も俺を疑っているのかと不安に襲われた。電話を切った石川部長は俺にこう言った。
「念のため、確認してくれないか?」
「分かりました」
信頼している相手に疑われるのは、とても傷つくことだ。その夜、悔しさで一睡もできなかった。布団の中で何度も千田部長の声が蘇り、証拠を探すペンを持つ手が震える。自分を信じてくれていたはずの人にまで疑いの目を向けられる。それがこんなにも堪えることだとは知らなかった。
翌朝、俺はかなり落ち込みつつも、千田部長の言っていることが嘘だと証明する証拠を見つけ、石川部長に提出して説明した。
「あの方は俺を陥れています。自分のミスを俺に擦り付けるのが目的なんです」
「とんでもない人だな。すまない。お前を疑うような真似をして、本当に悪かった」
石川部長は深く頭を下げてくれた。
「いえ、構いません。部長がそう言ってくださるだけで十分です」
疑いは晴れたが、この出来事は俺の心に傷となって残った。
それから二ヶ月後、千田部長の妨害やミスの擦り付けにも耐えつつ、ようやく試作作品が完成した。会議室で待っていると、苛立っている様子の千田部長が入ってくる。続けて入ってきた渡辺さんが耳打ちで事情を教えてくれた。
「別の案件の打ち上げで酒に酔って騒ぎ、店から注意されたんです。酒の失敗はこれまで何度もあって、上層部からも厳重注意されたんですよ」
それでよく部長が勤まるなと思ったが、副社長の後ろ盾が相当強力なのだろう。そんなことを考えていると、千田部長はスマホを見ながら机に手を置こうとする。部長の手の先には、俺が机に置いていた試作品があった。試作品は尖っている部分が多く、触る時は注意が必要だ。千田部長はよそ見をして机に手を置き、体重をかけようとしていたので、試作品が思いきり刺さってしまった。
「いっ」
そう叫んだ次の瞬間、千田部長は叫んだ。
「なんでこんなところにゴミを置いてんだよ!」
そう叫ぶと、作品をゴミ箱に投げ捨てたではないか。
「何するんですか!」
慌ててゴミ箱から試作品を引き出すが、詳しく見るまでもなく壊れていた。大切な試作作品が。
「ああ、それ試作品だったの?」
千田部長は一切悪びれず、ニヤニヤと笑いながらこう続けた。
「中卒が作ったゴミ部品は不要だろう」
部長の言葉を聞きながら、俺はあることを思い出していた。大手に買い叩かれて潰れた祖父の工場だ。倒産が決まった時、祖父は泣きながらこう言っていた。あいつらは俺の会社だけでなく、俺たちの思いも踏みにじったんだ。この時俺の中に湧いたのは、激しい怒りだった。それと同時に、この二ヶ月の記憶が頭の中で次々と弾ける。連絡ミスを押し付けられ、残業で深夜まで家に帰れなかった日々。発注ミスの責任まで擦り付けられそうになったこと。石川部長にまで疑われ、一睡もできなかったあの夜。積み重なった理不尽が、今この瞬間に限界を超えた。
物を作る人間を侮辱し、その思いまで軽く扱う。祖父の件もあり、俺はそういう人間が一番許せないタイプなのだ。そして千田部長は、祖父の会社を潰した奴らと似ている。爆発しそうになる怒りを抑えながら、俺は口を開いた。
「もう我慢の限界です。契約は破棄してください。俺個人にそれを決める権限はありませんが、今日のことは会社に正式に報告させていただきます」
「えっ」
驚いた声を出したのは渡辺さんだった。千田部長も目を丸くしていたが、すぐに嘲笑に戻った。
「はっ、上等だ。別の会社に依頼すればいいだけの話だからな」
俺は試作品を鞄に入れると、黙って会議室から出ていく。渡辺さんは申し訳なさそうな顔をしていたけれど、部長の手前、俺を追いかけることもできない。会社を出た後、俺はため息混じりに呟いた。
あの試作作品は、俺にしか作れないのに。
そう伝える人もおらず、そのまま会社を後にした。
翌日。昨日は千田部長の会社から直帰だったため、石川部長には電話で報告だけしていた。出社後、部長に改めて報告する。
「そうか。仕方ない。四十七億の大型案件だ。社長には報告しなければならん」
社長はあと一時間したら会社に来るとのことだ。それまで俺は、ことの次第をまとめた報告書を作る。下書きが完成して一息ついていると、受付の女性から来客を告げられた。
「千田部長と渡辺さんと、もう一人いらっしゃっています」
なんだって。アポイントもなしに何の用だ。考えながら会議室へ向かうと、そこにいたのは意外な人物だった。
「清水さん、お世話になっております」
千田部長の会社のトップ、鹿谷社長だったのだ。
「昨日の件、渡辺から報告を聞きました」
渡辺さんも我慢の限界だったらしい。昨日俺が帰った後、直接社長に報告しに行ったのだという。鹿谷社長は呆れた様子で千田部長を見つめながら続けた。
「千田君を可愛がっている副社長は、次期社長の有力候補。一方の私はすでに力を失っていると噂されておりましてね。千田君は私にも舐めた態度を取り続けていたらしく、とうとう堪忍袋の緒が切れたというわけです」
「今回の部品は、国内で清水さんと本社の専務である大谷さんにしか作れない白物です」
鹿谷社長の言葉に、俺はあの試作作品の重みを改めて噛みしめた。あの部品は、寸法の誤差が髪の毛一本分も許されない超精密加工が求められる。素材は熱や衝撃に弱く、削り方一つで内部に目に見えない歪みが生じ、一瞬で使い物にならなくなる。そういう技術だった。
「えっ、なんでお前がそんなものを作れるんだよ」
千田部長が困惑した様子で問いかける。
「大谷専務は、俺が工業高校時代にお世話になった恩師なんです。この会社に就職できたのも専務のおかげで、ずっと教えを受けていました」
打ち上げで訂正しようとした経歴とはこれだった。両親が節約して学費を貯めてくれたおかげで、俺は工業高校に進学できたのだ。中卒だなんて、一言も言っていない。中学を出てすぐ働きに出たというのは、千田部長の部下の勘違いだったのだ。
鹿谷社長が目を細めた。
「他人にミスを擦り付けるのも、話を聞かずに決めつけるのも、あなたの悪い癖ですね。楢木君、これまでの経緯を詳しく話してくれ」
俺はこれまでの経緯を詳しく話した。千田部長の連絡ミスによる遅延。発注ミスによる予算圧迫。それらすべてを俺や渡辺さんのせいにしようとしたこと。石川部長にまで嘘を吹き込んだこと。そして、試作品をゴミ箱に捨てたこと。
「な、なんてことだ。お前がゴミ箱に捨てたのはただの試作品じゃない。四十七億だぞ。国内で二人しか作れない貴重なものなんだぞ」
鹿谷社長が短い悲鳴をあげる。俺が怒られているわけではないけれど、あまりの威圧感に体が震えそうになった。
「も、申し訳ありません」
とうとう泣き出した千田部長は立ち上がると、鹿谷社長に向かって謝罪の言葉を口にした。
「誰に頭を下げてるんだ? 相手が違う。ちょっと考えれば分かるだろう」
千田部長が俺の方へと体を向け、消え入りそうな声でこう言った。
「大変申し訳ございませんでした」
怒られて可哀そうという気持ちはあるが、ここで簡単に許しては千田部長のためにならない。許しを受け入れたら、また同じことを繰り返すだろう。今回の件は、心の底から反省するいい機会だ。
「あなたはずっと自分の失敗から目をそらし、他人のせいにし続けてきた。その悪癖は、会社に大きな悪影響を及ぼすはずです」
鹿谷社長は渡辺さんに目を向けた。
「渡辺さんも」
「はい。部長がいなければ、部署はもっと円滑に回ります」
鹿谷社長は、担当者の変更と千田部長の処罰を約束してくれた。
「しょ、処罰? 謝ったじゃないですか」
「謝って終わるわけがないだろう」
力なく椅子に座り込む千田部長に、俺は静かに言った。
「真面目に仕事をしていれば、こんなことにはなりませんでしたよ」
呆然自失の千田部長は、がっくりと肩を落とした。
それから三日後、担当者は渡辺さんになり、仕事が再開された。壊れた試作品の弁償は千田部長が負担することになり、我が社は修理する手間だけで済んだ。
「千田部長、地方の工場へ左遷が決まりました。工場長がかなり厳しい人で、単身赴任になるそうです。奥様は離婚も視野に入れているとか」
渡辺さんが教えてくれた。後日、千田部長を可愛がっていた副社長も監督責任を問われて降格になったと聞き、黒幕までしっかり報いを受けたのだと知って、ようやく肩の力が抜けた。
あの飲み会で千田部長に絡まれていた後輩も、「先輩が守ってくれたおかげであの案件を最後までやり遂げられました」とわざわざ礼を言いに来てくれた。一方俺は渡辺さんとの仕事をスムーズに進め、無事に四十七億の案件を成功させることができた。石川部長からは「お前のおかげだ。今回の昇進の件も期待しておけ」と声をかけられ、これまでの苦労が報われた気がした。
祖父の工場を潰した奴らのような人間に、二度と大切な仕事も俺たちの思いも踏みにじらせはしない。そう改めて心に誓いながら、俺は次の仕事に向き合うことにした。
「では清水さん、何かあればいつでもご連絡ください」
「ええ、こちらこそ。よろしくお願いします」
笑顔で渡辺さんと固く握手を交わす。この仕事が片付いたら、渡辺さんを誘って飲みにでも行こうかと思っている。



