「掃除機をかけてほしい」とお願いしたら、この反応だ。
家事は嫁であるあなたの仕事でしょ。なんで私が掃除をしないといけないのよ。同居したからって甘えないで。全く図々しいったらありゃしない。
私は足を怪我していた。数日前、階段から滑り落ちて足を痛め、家事も育児も十分にできなくなっていた。義母が手伝うと言ってくれたので、お言葉に甘えて同居を始めたのがつい最近のことだ。ところが、足に負担がかかる掃除機を義母に頼んだところ、露骨に顔をしかめて断られてしまった。
「まだ完全には治りきっていないんです。お母さんにも少しは手伝っていただかないと」
「治りきってないって言ったって、もう動けているじゃないの。できないことではないでしょ。いつまでもそうやって甘えているから治りが遅いのよ」
そう言って義母は手伝おうとしない。仕方なく一人でやるか、と私はため息をついた。すると義母が嫌味を言う。
「これ見せしめにため息なんかついていらしい嫁ね。怪我した時は散々世話をしてやったじゃないの。少しでも良くなると、その時の恩を忘れてしまうのね」
そう言い残して、義母はリビングから出て行った。
同居を始める前は、あんなに親切にしてくれたのに。同居が始まった途端、何も手伝ってくれなくなった。嫌味も言うようになった。あんな人だったなんて。
私は落胆しつつも、ゆっくりと家中の掃除を始めた。何度か「うるさいわね」と義母に怒鳴られたが、聞こえないふりをした。イライラした義母は家を出て、どこかへ行ってしまった。
義母が帰ってきたのは、夕飯が始まる頃だった。夫も娘も食卓に揃ったころ、義母は両手に大荷物を抱えて、満足そうな顔で帰ってきた。
「そんな質素なご飯じゃなくて、こっちを食べましょう」
義母がドンとテーブルに置いた袋の中を見てみると、伊勢エビやキャビア、フォアグラまで入っていた。高級食材ばかりだ。
「どうしたんですか、これ」
そう聞くと、義母はニヤリと笑って「実はね」と話し出した。その内容を聞いて、私は言葉を失った。
私の名前は直子。専業主婦をしている。夫の大輔と、幼稚園の年少組に通う娘のまなみと三人で暮らしており、近所でも評判の仲良し家族だ。夫とは会社員時代に開かれた飲み会で知り合い、数年交際を経て結婚した。夫は仕事が忙しいので、私が仕事を辞めて家事と育児を担うことにした。
そんなある日、私は階段で怪我をしてしまった。足を痛め、育児や家事がうまくできなくなった。
「大輔、仕事休めないかな?」
「今は忙しくて、何日も休むことはできないよ」
私の実家は遠方で、来てもらうのは難しい。そこで、家が近くて時々遊びに来ていた義母に、手伝いに来てもらうことになった。
「なお子さん、大丈夫? 派手に怪我したわね。痛かったでしょうに」
義母はとても心配してくれた。
「お母さん、すみません。よろしくお願いします」
「大丈夫よ。任せなさい。まなみちゃん、おばあちゃんと遊ぼうね。そしたらお買い物に行って、夕ご飯を作るからね」
駆けつけてくれた義母は、動けない私の代わりに、娘の世話や食事の準備、掃除までやってくれた。お母さんが来てくれて本当に助かった。私はすっかり義母を信頼し、夫から同居の話を持ちかけられた時も、あっさり了承してしまった。この家は一軒家だし、部屋は十分に余っている。義母が来てくれたら家事も育児も助かる。そう思っていた。これが間違いだと気づかずに。
同居の話が決まってからは、あっという間だった。義母は賃貸の実家を引き払い、すぐに同居を始めた。最初のうちはまだうまくやれていたと思う。しかし、最近は義母が家事を手伝ってくれることもほとんどなかった。
夫はと言うと、同居を始めたことで親への甘えの気持ちが生まれてしまい、すっかり息子に戻ってしまっている。何を言っても義母の肩を持つのだ。義母にはせめて自分が汚した場所は片付けてほしいと頼んでも、聞いてくれない。仕方なく、私はため息をつきながら、いつも一人で家事をすべて行っていた。
すると義母は腹が立ったようで、私が夕飯の準備をしていると、これみよがしにため息をついた。
「そんな渋い顔をしてご飯を作られると、こっちの食欲も失せるわね。何か不服でもあるの?」
「別に。ただ、足が痛むだけです」
「またその言い訳? あなた、いつまで怪我を盾に取るつもりなの。同居してやってるんだから、少しは感謝してもらわないと困るわ」
私は何も言い返せず、黙って料理を続けた。義母への不信感は募るばかりだった。
そんなある日のことだ。朝起きると、娘がおねしょをしていた。
「ごめんなさい……」
「あら、珍しいね。大丈夫だよ」
娘のトイレトレーニングは終わっており、夜中にトイレに行きたい時は起こしてくれていたので、珍しいなと思った。まだ幼いから、たまにはあるだろうと気にしないことにした。しかし、義母と夫は娘を叱りつけたのだ。
「まなみ、何しているの? おねしょするなんて、とても恥ずかしいことなのよ」
「ああ、パジャマもシーツもびしょびしょじゃないか。臭いから近寄るなよ」
二人の冷たい言葉に、娘は泣くばかりだった。まだ小さいまなみに、なんてひどいことを言うんだ。臭いから近寄るなとか、父親のセリフじゃないでしょう。泣きじゃくる娘を「大丈夫だよ」と慰めていると、義母は「そうやって小さいうちから甘やかすのは良くない」と言い放った。
それからも娘のおねしょは治らず、何度も布団を濡らしてしまうことが続いた。急にどうしたのだろう。何か病気なのだろうか。不安になって病院へ連れて行ってみたが、病気は見つからず原因は分からなかった。
不思議と、幼稚園ではおねしょやおもらしをしていないらしい。今度、担任の先生に相談してみようか。そう思っていると、翌日、担任の先生から呼び出されてしまった。娘の様子がおかしいので理由を聞いたところ、私を呼んだ方がいいということになったらしい。
「まなみ、どうしたの?」
娘は泣き出しそうな顔で先生を見るが、先生に促されて、ぽつりぽつりと話し出した。
「実はね、おばあちゃんがね……」
娘の拙い話をまとめると、こういうことだった。同居を始める前、私が外出中に義母が遊びに来ていた時のこと。義母と夫が、私を怪我させて同居を持ちかける話をしていたのを、娘が隠れて聞いてしまったのだという。
確かに私は階段から滑って落ちて怪我をした。その原因は、階段の上のマットが毛足の長いものに変えられており、滑りやすくなっていたことだった。
「そうか……まなみのおねしょは、その計画を聞いた不安から来ていたのね」
「どうしてすぐにママに話してくれなかったの?」
優しくそう聞くと、娘は泣きながらこう言った。
「ママに言ったら、ママがもっと辛い目に会うから、言っちゃだめだよって。おばあちゃんに見つかった時に言われたから」
娘が義母に脅されていたと知り、私は怒りで体が震えた。泣く娘を抱きしめ、「辛かったよね。もう心配いらないよ。ママは負けないからね」と慰めた。
許せない。私を怪我させて、同居を強要したうえ、娘を脅すとは。確かに私は怪我をして、そのせいで義母にこき使われるようになった。義母は娘を人質に取って私を支配するつもりだったのだろう。でも、そうはさせない。見ていなさい。倍返ししてやる。
それから私は家事の合間を縫って体を鍛えた。怪我もだいぶ良くなり、動きが楽になった。義母は相変わらず何もしないが、家事を押し付けられたことで、ある意味自分のペースで動けるので、時間が作りやすくなったのは幸いだった。そして、家電量販店で買ってきた録音機を家中に仕掛けた。ちょうどこの頃、夫は帰りが遅く、義母も買い物だと言って頻繁に出かけていたので、仕掛けるのは簡単だった。
そんなことを知らない夫と義母は、相変わらず私をこき使っていた。
そんなある日、夫は義母を連れて、人気料理店の予約を取り、二人きりで出かけて行った。私は娘を休日の一時保育に預け、ある人に連絡を取った。
「ここの店は美味しいわね。優しい息子と来れるなんて幸せ」
「高校生の息子だろ? ここはなかなか予約取れないんだよ。部屋も広いし、なお子もたまには役に立つな」
二人が個室でコース料理を堪能していると、突然扉が開いて、一組の男女が現れた。その人たちを見て、夫は目を丸くした。
「加藤さん。どうしてここに?」
「久しぶりだな、大輔」
「加藤さん、部屋を間違えていませんか?」
「間違いじゃないわよ」
私は後ろから会話に割って入った。私の後ろには、弁護士バッジをつけた中年の男性もいる。
「なお子、どういうことだ?」
「今日は加藤さん夫婦と弁護士さんも一緒だから、個室は六人分取っておいたのよ」
当然かのような言い方をする私に、夫も義母も混乱しているようで、キョロキョロしていた。加藤さんは夫の会社の先輩で、私と夫が出会った飲み会の幹事でもあった。
「なんでそんなことを?」
「あなたが浮気していたからよ。加藤さんの奥さん、かおりさんとね」
先輩の隣に立つ奥さんは顔を真っ赤にして、今にも倒れそうだ。夫もさっと顔色を変えた。
先日、娘の証言の確証を取るために家中に録音機を仕掛けたのだが、夫がそこで何度も忍び声で誰かに電話をし、親しげに「かおり」と呼んでいるのを録音できた。相手の名前に聞き覚えがあった。それが、先輩の奥さんだったのだ。昨年の先輩の結婚式に、私も夫と出席したので覚えていた。
私は夫の携帯から先輩の連絡先を抜き取り、先輩に接触して浮気のことを打ち明けた。先輩も奥さんの浮気を疑っていたようで、二人で手を組むことにしたのだ。
「誤解だ。俺は別に浮気なんて……」
「言い訳は無用よ。もう奥さんから証言は取れているから」
そう言うと、夫は目と口をあんぐり開けて言葉を失った。実は前日に奥さんを呼び出して会ったのだ。初めは白を切っていた奥さんだが、私が「素直に話した方がいいわよ。ほら、慰謝料とか色々あるでしょ」と慰謝料の金額を匂わせると、ぺらぺらと話してくれた。夫とは会社の同期で、結婚生活の相談をしているうちにそういう関係になったらしい。
私が録音と証言の証拠があると言い放つと、夫は先輩に向かって土下座をした。
「申し訳ありませんでした」
「悪いけど、お前は許せない。すでに会社には内容証明を送ってあるから、人事について覚悟しておけ」
先輩は冷たい声で夫を突き放した。
「大輔、離婚よ。慰謝料と養育費はしっかりいただきますから」
そう言って弁護士から金額を伝えられると、夫は慌てて私にすがりついてきた。
「なお子、頼むよ。母さんは追い出すから、もう一度やり直そう」
「冗談はよして。私への暴言はすでに録音済みだから、慰謝料は取れるし、何より娘を脅すような人とやり直すなんてありえないから」
そう言い切った。
「それと、録音機にはお母さんの窃盗の証拠も取れています」
義母を見ると、ビクッと肩を震わせた。悪いことをしていたので、ずっと黙っていたのだろう。でも、逃すものか。
「家のお金を盗むだけでなく、他にも大輔が大切にしていた船の模型をフリマアプリでちまちまお金に変えていましたよね。それもそのお金を使っていたんですよ」
私が話すと、夫はそれを知らなかったようで、義母に激怒した。
「母さん、俺の船の模型を売ったのか?」
「あんなガラクタにお金をかけるなんて。そもそも、あなたが浮気しなければいいんでしょう」
「浮気は母さんも知っていただろう。自分のことを棚に上げて批判するな」
二人は親子喧嘩を始めた。胸ぐらを掴む勢いだったが、控えていた弁護士が冷静に警察を呼んでくれた。
それから私は先輩とそれぞれ弁護士を挟んで離婚が成立した。私は夫からしっかり慰謝料をもらった。「減額してくれるはずでは」と言われたが、私は匂わせただけで、一言も減額するとは言っていない。
夫は職場で浮気の話が広まったが、慰謝料や養育費の支払いがあるため退職できずにいた。元夫の会社は女性向けの商品を扱っていたので、多くの女性社員を敵に回したらしく、営業から倉庫仕事に回されることが多くなっていた。
ある日、元夫は倉庫内で隠れて喫煙していた。そこへ管理者が「誰かいないか」と声をかけたが、バレたくなかった元夫は黙ってしまい、そのまま倉庫に閉じ込められた。何度叩いても扉は開かず、水道も何もない場所に閉じ込められた元夫は、六時間後に夜の見回りに来た警備員に見つかり、うっかり欠勤してしまったのだとか。その噂が広まってしまった元夫は、さすがに会社を退職し、今では義母と二人でアルバイトを掛け持ちして暮らしているらしい。
ちなみに、先輩の元奥さんは、彼女の両親が一括で慰謝料を立て替えてくれて、今は親戚が経営する会社で肉体労働をさせられているとのこと。一度逃げ出して私の元夫のもとへ転がり込もうとしたが、元義母との相性が最悪で、大声で揉めているところを警察に注意され、結局実家に連れ戻されたと先輩が教えてくれた。
正直、そんな話を聞いても同情すら湧かない。ざまあみろと思ってしまった。
私はと言うと、結婚前に取っておいた資格を生かして再就職先を見つけた。幸い、娘は夫や元義母と離れたらすぐにおねしょが治り、新しい保育園でもすぐにお友達ができたようだ。お友達がおもらしをしてしまった時、トイレまで連れて行って、お着替えの棚からパンツを持ってきてあげたりと、優しくフォローしてあげることもあるのだと先生が話してくれた。娘の優しさとたくましさを感じて、嬉しくなった。
辛いことを乗り越えて、人に優しくできる娘を、私は誇りに思っている。



