午前五時、団地の集積所でいつものようにゴミを分別していたら、郵便受けに茶色い封筒が一通届いた。差出人は「住宅都市整備機構」。中を開けると、二十年前に弟の借金の保証人になった三百二十万円の請求書だった。夫の葬儀代として十五年かけて貯めた八十五万円。弟は十年以上も音信不通で、私は週五日、歯科医院の清掃で働く六十八歳だ。市役所の窓口で若い職員は穏やかな顔で「連帯保証ですので、債務者の返済能力に関わ…

午前五時、団地の集積所でいつものようにゴミを分別していたら、郵便受けに茶色い封筒が一通届いた。差出人は「住宅都市整備機構」。中を開けると、二十年前に弟の借金の保証人になった三百二十万円の請求書だった。夫の葬儀代として十五年かけて貯めた八十五万円。弟は十年以上も音信不通で、私は週五日、歯科医院の清掃で働く六十八歳だ。市役所の窓口で若い職員は穏やかな顔で「連帯保証ですので、債務者の返済能力に関わ...

長谷川富江は午前五時ちょうどに目を覚ました。団地の一階にある集積所はまだ薄暗く、蛍光灯の一本が点滅を繰り返していた。彼女は古い軍手をはめ、プラスチックゴミと燃えるゴミを丁寧に分けた。食品トレーは洗って乾かしてから透明な袋へ。油のついたラップは燃えるゴミへ。他の住人の半分はこのルールを守らない。富江は何も言わず、置きっぱなしにされた間違ったゴミを正しい袋に移し、口をきつく縛り直して並べた。

四階の自室に戻ると、富江は小鍋で湯を沸かし、麦茶のティーバッグを一つ入れた。夫の正尾が生きていた頃から、麦茶はこうやって作るものだと決まっていた。十五年前に正尾が亡くなってからも、富江は同じやり方を続けている。

午前八時過ぎ、富江はバスに乗って二駅先の伊藤歯科医院へ向かった。週五日、午前中だけの清掃と備品補充の仕事だ。受付の山口さんはいつものように「お疲れ様です」と声をかけてくれた。富江も小さく頭を下げた。

帰りにスーパーへ寄り、賞味期限が明日の食品に貼られた三十円引きのシールを見つけて一袋取った。半額弁当を見つけるにはまだ早い時間だったので、そのまま団地へ戻ったのは午後三時を回った頃だった。

一階の郵便受けは錆びた扉がいつも開き気味で、富江は毎回押し込むようにして鍵を差し込む。中に手を入れると、折り込みチラシの他にずっしりと重い封筒が一通入っていた。茶色い厚めの封筒。表面には赤い文字で「重要」とスタンプが押してあった。差出人は「住宅都市整備機構」。

富江はその封筒を持ったまま、しばらく郵便受けの前に立っていた。中には何枚かの書類が入っている感触がある。四階まで階段を上がりながら、胸に抱えるようにして持った。

部屋に入り、鍵を閉めてからもすぐには封筒を開けなかった。靴を揃えて脱ぎ、買い物袋を棚に下ろし、麦茶を湯呑みに注いだ。それから小さな食卓の椅子に腰を下ろし、ハサミを取り出した。封筒の口を丁寧に、真っ直ぐ横一文字に切る。急ぐ必要はなかった。

中には三枚の紙が入っていた。一枚目は「保証債務請求に関するご通知」というタイトルだった。平成十八年、つまり二〇〇六年に締結された中小企業向け設備投資支援の契約について書かれていた。債務者は松崎茂夫。富江の三つ下の弟だった。保証人として署名・捺印したのが長谷川富江。

二十年前のことだ。弟が電話をかけてきて、小さな金属部品の加工業を始めたいと言った。銀行から借りられないから保証人になってほしいと。富江は断りたかった。しかし断れる理由が見当たらなかった。夫の正尾に相談すると、正尾は渋い顔をしながらも「断ったら後悔するかもしれない」と言った。それで富江は承諾した。

しばらくして弟の年賀状は来なくなり、電話も途絶えた。音信不通になってからもう十年以上になる。どこにいるのか、生きているのかすら分からない。

二枚目の紙には数字が並んでいた。未払元本の残高と延滞利息の合計が記されており、その総額は三百二十万円と印刷されていた。富江はその数字を目で追った。視線をそこで止めた。三枚目には、「別紙」として重要事項が記載されていた。富江が居住する住宅は社会的住宅支援制度に基づく補助住宅であり、入居者が一定金額以上の公的債務を負担している場合、入居資格を失う可能性があるという説明だった。来月末日までに分割払いの開始か免除申請の手続きをしなければ、入居継続の審査が始まると書いてあった。

富江は書類を食卓の上に置いた。冷蔵庫の一番上の引き出しから通帳を取り出した。最後のページを開くと、残高は八十五万円とわずかな端数があった。三百二十万円に対して八十五万円。富江はその通帳を書類の隣に並べた。この通帳のお金は、自分の葬儀のために取っておいたものだ。誰にも迷惑をかけずに逝くために、長年かけて少しずつ積み立ててきた八十五万円だった。

夕方の半額シールの時間に間に合うはずだった弁当を買いに行く気にもなれなかった。立ち上がる理由が見当たらなかった。富江は通帳の表紙に指を置いたまま目を閉じた。何も見たくなかった。

その夜、富江はほとんど眠れなかった。時計の音がいつもより大きく聞こえた。午前三時になると体が一度ピクリと動く。そういう癖がついていた。暗い天井の裏側に、三百二十万円という数字が張り付いているような気がした。

翌朝、富江は伊藤歯科医院に電話をかけた。山口さんが出て、富江はできるだけ落ち着いた声で今日は休ませてほしいと伝えた。電話を切ってから、一日分の日当が消えたことを計算した。四千三百円だった。

タンスの一番上の引き出しに、夫の葬儀の時に誂えた黒いスーツが一着ある。八年前にクリーニングに出したきりだった。今日はそれを着ることにした。少し方がきつい気がしたが、着られないほどではなかった。黒い革靴は乾燥してひびが入っていたので、台所の食用油を指につけて薄く伸ばした。

市役所の最寄り駅で降り、案内板に従って歩いた。正面玄関を入ると天井が高く、床が綺麗に磨かれていた。総合案内のカウンターに若い女性職員が二人いた。富江は近づき、「この通知が来たのですが、どこに行けばいいですか」と封筒を差し出した。職員は封筒の表面を見て「五番窓です」と答えた。

五番窓口は住宅都市整備関連の相談窓口だった。待合の椅子はほとんど埋まっていた。老人たちが皆、膝の上に紙の束を持って黙って待っている。番号札を取ると百三十七番。電光掲示板は百二十一番を呼んでいた。十六人待ちだった。

百三十七番が呼ばれたのは四十分以上が経った頃だった。窓口の向こうに、四十代前半くらいの男性職員が座っていた。細い金属フレームの眼鏡をかけ、ネクタイを真っ直ぐに締めている。名札には「黒木」と書いてあった。

富江は封筒を差し出し、「こちらに通知が届きまして」と言った。声が思ったより掠れていた。黒木は書類を広げ、キーボードを叩き、画面を見て、また書類を見た。その間、一度も富江の方を見なかった。やがて「確認できました」と言い、ようやく顔を上げた。眼鏡の向こうの目は穏やかだったが、表情に感情がなかった。

「こちらの通知は住宅都市整備機構からのもので、保証人の方に対する債務の履行請求です。保証人としてご署名されていることは確認できております。現在の未払残高と延滞利息の合算が三百二十万一千四百円になっております。今後の手続きとしては、まず分割払いの申請か、あるいは免除軽減の審査を申し込むかのどちらかになります」

富江はほとんど理解できていなかったが、頷いた。「私はこのことを何も知らなかったんです。弟が勝手に借りたもので」と言った。黒木は「お気持ちはよく理解できます。しかしながら、法的にはご署名とご捺印のある保証契約書が存在しております。連帯保証の形式ですので、債務者の返済能力の有無に関わらず、請求は保証人に対して行われます」と説明した。

「弟とはもう十年以上連絡がつかないんです」と富江が言うと、黒木は再びキーボードを叩きながら「松崎茂夫様のことですね。現在のところ債務者の所在が不明であっても、保証人への請求は法的に有効で続きます」と言った。そして、「お住まいの住宅が補助住宅であることも確認できておりますので、来月末日までに一定の手続きをお取りいただかない場合、入居資格の審査が入ることになります」と付け加えた。

その言葉を聞いた時、富江の肩が少し落ちた。「私にはお金がありません。弟がどこにいるかも分かりません。私はただの掃除の仕事をしています。三百万円なんてどうしたって払えません」と言いながら、声が震えそうになった。震えると泣くことになる。泣いてはいけないと思った。

黒木は富江の言葉を最後まで聞いてから、「そのお気持ち、本当によくわかります。非常に難しい状況におられることは承知しております。ただ、法律上の手続きとして申し上げますと、まず分割払いの申請書を提出していただくと、月々の負担額を下げることができます。また、免除軽減申請の手続きもございますが、こちらは一定の条件を満たす必要がございます」と言った。

条件というのは、債務者が長期失踪状態にあり、警察への届出から七年以上が経過し失踪宣告の手続きが取られていること、あるいは債務者が法的な無能力状態と認定されていること。これらが認められた場合、保証人の高齢・低所得という条件を加味した上で、軽減の審査対象になる可能性があるという。

「警察への届け出が必要なのですか」と富江が聞くと、黒木は「そうなります。それと、弟様の住民票の移動状況、保険証や年金の使用記録などもこちらで調べることになります」と答えた。

富江は分割払いの申請書を受け取った。記入欄がいくつもあった。数字を書く時、手がわずかに震えた。記入が終わった申請書を黒木に渡すと、黒木は「受け付けました。審査の結果は後日お知らせします」と言った。「それだけですか」と富江は思わず言った。黒木はわずかに困ったような色を眼鏡の奥に浮かべ、「現状では、それが手続きとしてできることです」とだけ言った。

市役所を出ると空が低く垂れ込めていた。富江は駅に向かって歩き始めたが、途中で立ち止まり、古い折りたたみ式の携帯電話を取り出した。連絡先の一覧の一番下に「松崎茂」という名前があった。十年以上前に登録したまま消さずにいた番号。発信ボタンを押すと、機械的な女性の声が流れてきた。「おかけになった電話番号は現在使われておりません」。富江は電話を閉じた。やはりそうだったと思った。それ以外の感情は何も出てこなかった。

電車の中で富江は眠ってしまい、乗り過ごした。余分な運賃が百四十円かかった。団地に戻ると、朝自分が整えていったゴミ袋がまた少し乱れているのが見えた。今日はそれを直す気になれなかった。そのまま通り過ぎた。

部屋に入り、黒いスーツを脱いでハンガーにかけた。次に出すのは自分の葬式の時かもしれないと思ったが、葬式には自分はいないから誰かがこのスーツで自分を送ることはないだろう、と思った。台所で麦茶を作ろうとしたらティーバッグが残り一つだけだった。スーパーで買わなければならないが、財布の中の現金を確認する気にすらなれなかった。富江は畳の上に直接座り、壁に背中を当てた。

黒木の言葉を頭の中で繰り返した。連帯保証の形式ですと、債務者の返済能力の有無に関わらず請求は保証人に対して行われます。黒木は間違ったことは何も言っていなかった。全て正しかった。黒木を恨む理由も気力もなかった。ただ、あの穏やかで表情のない目が頭の中に残っていた。

翌日から富江は仕事に戻った。山口さんが「昨日はお疲れ様でした」と言った。富江は「いえ」と言った。それだけだった。山口さんはそれ以上聞いてこなかった。体が動いている間は何も考えなくても良かった。匂いのきつい洗浄液が、かえって助けになった。

帰り道、富江はいつもと違う道を歩いた。商店街の外れを抜けて駅の反対側へ。飲食店と小さなスーパーが並ぶ通りだ。アルバイト募集の張り紙を探しながら歩いた。コインランドリーの求人を見つけた。夜間清掃スタッフ、午後十一時から午前三時まで、週五日、時給千百二十円、年齢経験不問。

電車で四駅先の店舗だった。歯科医院が午前八時からだから、帰ってから四時間ほど眠れば間に合う計算になる。四時間しか眠れない。元々眠れない体だから四時間も眠れるかどうかも分からない。でもやるしかなかった。

公衆電話から電話をかけると、年配の男の声が出た。「うちは体が動けばそれでいいですよ」「年齢は大丈夫ですか」「何歳ですか」「六十八です」男は少し間を置いてから「うちは七十二の人もいますよ」と言った。その日のうちに採用が決まった。男の名前は末永と言った。コインランドリーを三店舗経営しており、夜間の清掃スタッフが一人減ったから困っていたのだという。

翌週の月曜日から、富江の一日が変わった。午前四時半に起きてゴミの分別をし、八時に歯科医院へ出勤して午後一時半に上がり、帰宅してスーパーで半額弁当を買い食べて布団に横になる。午後十時に起き上がり、着替えて電車に乗る。四駅先の駅で降り、徒歩七分のコインランドリーに着くのが午後十時五十分頃。午前三時まで働いて帰る電車に乗り、団地に戻るのは午前四時前後。そのままゴミ分別の時間になる。

仕事の内容は、富江にとってさほど難しいものではなかった。床を掃いてモップで拭く。洗濯機のドラムの糸くずを掻き出す。乾燥機のフィルターの埃の塊を取り除く。排水溝の蓋を開けて繊維の塊を素手で掴み出す。台所用のゴム手袋を二枚重ねで使っても水が染みてきた。最初の夜、乾燥機の埃を吸い込んでしばらく咳が止まらなかった。翌日から百円均一で買ったマスクを鞄に入れた。

最初の週の給与は税引き前で約八万九千円。歯科医院と合わせると月十三万円ほどになる。家賃と光熱費と食費を引いて、月三万円の返済に当てれば、手元に残るのは一万円から一万五千円ほど。一万円あれば生きていける、と富江は思った。食費を切り詰めれば、半額弁当と乾麺と麦茶だけで生きていける。

二週目に入ると体が慣れ始めた。睡眠時間が短くなっても、以前ほど頭がぼんやりしなくなった。排水溝の水の冷たさも、ある地点を超えると感じなくなった。

三週目の初めに、富江は二十万円を引き出し、分割返済として振り込んだ。通帳の残高が六十五万円になった。自分の葬儀代として積み立てていたお金が削れていく。でも削れることで、少なくともこの部屋にもう一ヶ月いられる。来月も払えればさらにもう一ヶ月。それを積み重ねていくしかなかった。

六月が終わり七月になった。コインランドリーの店内は夜でも蒸し暑かった。乾燥機が熱を発する。富江は汗をかきながら床を拭いた。ある深夜、二十代前半くらいの男が帽子を深く被って入ってきた。洗濯物を機械に放り込み、スマートフォンを見ていた。男が帰った後、機械の周りに小さな靴下が一つ落ちていた。富江は拾って忘れ物ボックスに入れた。

体は変化した。五キロ痩せた。鏡を見ると頬骨が目立つようになった。目の下に色がついた。手の甲の皮膚が荒れ、指の節にひびが入った。動かす度にじりじりと痛んだ。薬局でハンドクリームを買おうとしたが、値段を見て棚に戻した。代わりに歯科医院に置いてあったワセリンの残りを底から掻き出して使った。

ある朝、三階の吉田という七十代の女性がエレベーターの前で声をかけてきた。「長谷川さん、最近遅く帰ってらっしゃるんですね」富江は「少し仕事が増えまして」と言った。吉田は「そうですか。お体に気をつけてくださいね」と言い、目を細めたままだった。

翌月、自治会の清掃作業の日、同じ団地の四階に住む中島という男性が声をかけてきた。元都庁職員だという話だ。中島は声を落として言った。「郵便受けの方に届け物が何度か来ていたようで。管理組合の方でも少し……」富江は「ご心配をおかけしてすみません」と言った。それしか言えなかった。管理組合が動き始めているのかもしれない。入居資格の審査が早まるかもしれない。草を引き抜く指に力が入った。

作業の後、世話役の女性が手作りのゆかりのおにぎりを配った。富江も一つ受け取った。一口食べると、塩が少し強かった。でも美味しかった。最近まともなものを食べていなかったから、その塩が体に染みる気がした。その時、吉田が近くに来た。「長谷川さん、ちょっと痩せられましたね。お体は大丈夫ですか」富江は「はい、大丈夫です」と言った。吉田の言葉に悪意はなかった。ただの心配だった。しかしその心配が富江には重かった。心配される存在になっていることが惨めだった。でも顔には出さなかった。

八月に入り、二回目の分割返済を行った。二十万円。通帳の残高が四十五万円になった。十一月の末には三回目の返済を終え、残高は二十五万円になっていた。葬儀に最低限必要と言われる額を下回っていた。このまま払い続けると、今度は自分が誰かに迷惑をかけながら逝くことになる。その矛盾に気づいた時、富江は布団の中で少しだけ口元が緩んだ。笑うのか泣くのか分からない感情が一瞬だけ胸を通り過ぎ、そのまま消えた。

ある朝、ゴミの分別をしていると吉田が降りてきて言った。「余計なことかもしれないけど、何かあったら暮らしの相談窓口というのもありますよ。生活に関する相談を聞いてもらえる窓口が最近できたと聞きました」。富江は「ありがとうございます」と頭を下げた。気にかけてもらうことが重かった。ありがたかったが重かった。でも体は見えてしまう。痩せた体も、帰りが遅いことも、郵便受けの郵便物も、みんな見えてしまう。

三月目の終わりに、分割払いの審査結果が届いた。月の分割払い額は二万二千円に設定されたと書いてあった。この金額を払い続けたとして、三百二十万円が消えるまでに十二年かかる。富江は今年で六十八歳になる。十二年間は八十歳だ。その数字を頭の中で出してから、特に何も感じなかった。ただ現実として受け取った。

十二月になると寒さが本格的になった。コインランドリーの排水溝の水がより冷たく感じるようになった。手袋を二枚重ねにしても、長時間水に浸かると指の感覚が薄くなった。感覚がなければ痛みもなかった。

年が明けて一月。正月の三日間、コインランドリーは休みだった。富江は部屋で乾麺を茹でて食べた。その三日間、歯科医院の待合室に置いてあった区の広報誌をめくっていると、「債務者向け債務軽減制度のご案内」という小さな記事を見つけた。債務者が一定期間以上の失踪状態にあり、かつ官公庁の記録上で本人の活動が長期にわたって確認されていない場合、連帯保証人が高齢・低所得であれば債務の最大七十パーセントを免除する審査を申請できる可能性がある、という内容だった。ただし、条件として債務者の失踪届出が提出されてから七年以上が経過していること、または民事上の能力喪失が確認されていることのいずれかが必要だと書いてあった。

三百二十万円の七十パーセントは二百二十四万円。残りは九十六万円になる。それでも大きな数字だが、今の数字とは全然違った。問題は条件だった。富江は失踪届を出していなかった。出すという発想がなかった。弟が連絡を絶った時、富江は弟のことを諦めた。諦めることと届出を出すことは全然別のことだった。

翌日、仕事が終わってから、富江は管轄の警察署へ向かった。失踪の届出について聞きたいので受付に電話をして、弟が十年以上前から音信不通であること、その弟の借金の保証人であること、軽減申請のために届出の記録が必要だということを話した。警官は「失踪人届出の日から記録が始まります。遡って届けを出すことはできません。ただ、弟様の最終所在をお伝えいただければ、届出書類にその旨を記載することができます」と説明した。富江は「おそらく十二、三年前だと思います」と答えた。

届出書類一式を持ち帰ったが、必要事項の中に弟の最後の住所が含まれていた。家に戻って押入れの奥から古い箱を出してきた。年賀状と手紙類が年ごとに束ねられた中に、弟からの最後の年賀状を見つけた。消印は十二年前。差出人の住所は大阪府内の番地だった。富江はその住所を書類の余白に書き移した。手が少し震えた。

翌日、書類を提出した。「今後捜索活動が行われるわけではありませんが、記録として残ります」と警官は言った。十二年間、誰にも記録されることなく消えていた弟の不在が、今日初めて公式の記録になった。富江は何も感じなかった。ただ書類の控えを受け取り、頭を下げて外に出た。

次に向かったのは法務局だった。失踪宣告の申請は家庭裁判所の管轄だと黒木は言っていた。法務局の窓口で、四十代の女性職員が丁寧に説明してくれた。「失踪宣告の申請には、失踪人の戸籍謄本、申請者と失踪人の関係を証明する書類、失踪の事実を示す資料が必要です。失踪届の受理証明書もあると良いでしょう。申請は家庭裁判所に直接行っていただくことになります。手数料はおよそ千円から二千円程度です」そして付け加えた。「失踪宣告が認められた場合でも、その後失踪者が生存していることが判明した場合、宣告は取り消されます。もし弟様が現在も生存し、どこかで活動されている記録があれば、申請が却下される可能性があります」

最後に弟の所在が確認できたのは年賀状の消印から十二年前。条件は満たしている。富江は「ありがとうございます」と言って法務局を出た。外は冬の白い光だった。

戸籍謄本を取り寄せ、家庭裁判所に行き、書類を一式受け取った。書き方を一つ一つ確認しながら、富江は時間をかけて記入した。警察署での失踪届の控え、戸籍謄本、関係を証明する書類。二月の終わりに全ての書類が揃った。家庭裁判所に提出した日、富江は帰り道にコンビニへ寄り、アンパンを一つ買った。税込み百四十円。随分久しぶりに自分のためだけに何かを買う気がした。帰りの電車の中でゆっくり食べた。甘かった。少しだけ呼吸が楽になった気がした。

審査には時間がかかると言われていた。三ヶ月かかることもあると裁判所の窓口の女性は言った。三月になり四月になった。春になってもコインランドリーの仕事は続けた。末永から「もう一店舗のスタッフが体を壊して辞めた。もう少し時間を増やせるか」と言われ、富江は「できる範囲でやります」と答えた。週に二日ほど、もう一駅遠い店舗にも行くことになった。

歯科医院の山口さんがゴールデンウィークの前に言った。「長谷川さん、少しお顔の色が……」富江は「大丈夫です」と言った。山口さんは「もし何かあれば」と言いかけて、やめた。言っても意味がないと思ったのだろう、と歯科医院は感じた。

五月の連休が終わった週の木曜日、郵便受けに封筒が届いた。差出人は埼玉家庭裁判所だった。富江は封筒を取り出した瞬間、胸の中で何かが止まったような感じがした。四階まで階段を登り、鍵を開け、靴を脱ぎ、ハサミを取りに行く前に、そのまま食卓の前に座った。封筒を両手で持った。裁判所から何かが届くという経験は、これまで一度もなかった。

ハサミで封を開け、書類を取り出して広げた。文章は「申請に対する審査の結果として」と続き、「本件失踪人松崎茂に関しては、令和六年三月、大阪府内の医療機関において健康保険の使用記録が確認されました。同記録によれば、失踪人は当該医療機関において受診を行っており、生存が確認されております。このため、失踪宣告の要件を欠くものと判断し、本申請は却下といたします」

富江は書類を読んだ。読んでからまた読んだ。茂夫は生きていた。大阪の病院に去年の三月に行っていた。保険証を使っていた。つまり弟は今も日本のどこかにいて、保険証を持って病院に通えるくらいには体が動いている。失踪していない。ただ連絡を絶っているだけだった。富江への連絡を絶ち、借金を放置し、しかし自分は保険証を持って病院に行っている。失踪ではなく、ただの意図的な音信不通だった。申請は却下された。免除の可能性はなくなった。

富江は書類を食卓の上に置いた。冷蔵庫から、先週買った苺のショートケーキの切り身を取り出した。裁判所に書類を提出した帰り道、ようやく申請書を出せた小さな節目に自分へのご褒美として買ったものだった。今日結果が来るとは思っていなかったから、特別な日にとっておいた。蓋を外すと、中の苺が変色していた。クリームの端がわずかに黄ばんでいた。富江は容器をそのまま閉めて冷蔵庫に戻した。何も食べたくなかった。

しげおは生きている。大阪で病院に行っている。それなのに、行政はなぜ本人に返済を求めないのか。答えは分かっていた。保証人の方が確実だからだ。住所が分かっている。財産の状況も把握されている。督促状を送れば届く。行方不明の本人を追うより、連絡が取れる保証人を追う方が行政にとっては効率的だ。正しいか正しくないかとは別の話だった。

富江は書類を封筒にしまい、棚の引き出しに収めた。時計を見ると五時を過ぎていた。今日はコインランドリーの担当日だった。富江は立ち上がり、着替え、鍵を閉め、階段を降りた。駅まで歩き、電車に乗り、四駅先の駅で降り、七分歩いてコインランドリーに着いた。鍵を開け、シャッターを上げる。店内は乾燥機の残り熱で少し暖かかった。モップを取り出し、床を端から端まで拭き始めた。手が動いている間は、ここにいられた。

却下の通知が届いてから、富江は三日間コインランドリーを休んだ。熱もなく咳も出なかった。ただ起き上がれなかった。起き上がる理由が見当たらなかったという方が正確かもしれない。布団の中で天井を見て、また横を向いて、また天井を向いた。末永には「体の調子が悪くて」とメッセージを送った。末永からは「分かりました。お大事に」と返ってきた。それだけだった。

三日目の朝、富江は布団を畳んだ。洗面台で顔を洗い、鏡を見た。見慣れた顔だった。見慣れているのに、少し他人のような気がした。台所で麦茶を作り、食卓の引き出しからあの茶封筒を取り出して開いた。却下の理由をもう一度読んだ。しげおは生きている。病院に行っている。しかし富江のところには連絡一つこない。借金のことも知っているはずだ。いや、知っているかどうかも分からない。十年以上も連絡を絶っていれば、督促状がどこに届いているかも把握していないかもしれない。弟は今何も知らないまま、大阪のどこかの病院の診察室に座っているかもしれない。そう考えると、怒りとも悲しみともつかない感情が一瞬だけ胸に浮かんだが、麦茶を一口飲むと共にどこかへ消えた。

四日目から富江は仕事に戻った。歯科医院に行き、うがい受けを磨き、床を拭いた。帰りにスーパーで半額弁当を買い、夜はコインランドリーへ向かった。いつもと同じ一日だった。体が覚えている通りに動いた。何も考えずに動けるのは、体が覚えているからだ。それはありがたいことだった。

六月になって、富江は弁護士事務所の無料相談に行くことを決めた。歯科医院の待合室に置いてある別の広報誌に、法テラスの案内が載っていたからだ。収入と資産が一定以下であれば弁護士費用の立替え制度が使えると書いてあった。電話をすると、予約が取れ、二週間後に駅前のビルの三階にある弁護士事務所へ行った。

弁護士は三十代後半くらいの男性で、名前は渡辺と言った。富江が持参した書類を一通り見てから、丁寧に確認しながら話を聞いてくれた。富江が全て話し終えると、渡辺は少し考えてから言った。「状況は分かりました。非常に難しい状況ですね。一点確認させてください。分割払いの申請は通っていますね。月二万二千円ですね。現在の収入と支出から見ると、この金額を払い続けることは可能ですか」「今はできています。ただ、コインランドリーの仕事がいつまで続けられるかは分かりません」渡辺は頷いた。「免除申請の却下については、残念ながら覆すことは難しいと思います。失踪宣告の要件を満たさないという事実は変わりませんから。ただ、一つ検討できることがあります。債務整理という手段です。自己破産ではなく任意整理という形で、債権者と交渉して返済条件を変更する方法です。ただし、この場合も相手方が応じるかどうかは交渉次第です。また、長谷川さんの場合、公的機関が相手なので民間よりも融通が効かない可能性があります」

富江は「費用はどれくらいかかりますか」と聞いた。渡辺はおおよその金額を説明し、「法テラスの立替え制度を使えば、毎月少しずつ分割で返していけます。ただし、手続きには時間がかかります。早くて数ヶ月、場合によっては半年以上かかることもあります。その間も分割払いは続けていただく必要があります。結果がどうなるかは相手方次第です」と付け加えた。

富江はしばらく黙っていた。窓の外に六月の空が見えた。曇っていた。「少し考えさせてください」と富江は言った。渡辺は「もちろんです。いつでも連絡してください」と言って名刺を差し出した。富江は受け取って鞄に入れた。

弁護士事務所を出て、富江はビルの前に立った。任意整理という言葉が頭の中にあった。手段があることは分かった。ただ、その手段を使ったとして何が変わるのかが、今の自分にはまだはっきり見えなかった。どう足掻いても三百二十万円という数字は消えない。任意整理で条件が変わったとしても、払い続けなければならないことは変わらない。そして、払い続けるためにはコインランドリーの仕事を続けなければならない。続けられるかどうかは体力次第だった。

家に帰ると、郵便受けにまた一通の茶色い封筒が入っていた。差出人は住宅都市整備機構だった。リビングで封を開けると、中に入っていたのは入居資格の審査会の通知だった。富江の分割払い申請は受理されているが、申請から一定期間が経過しても債務総額の解消見込みが立たないため、現行規定に基づき入居継続の適格性審査を開始する。審査の結果によっては退去を求める場合がある。詳細は後日通知する。

富江は文章を一度読んで食卓の上に置いた。払っていた。毎月払い続けていた。それでも審査が始まった。払っていれば住み続けられると思っていたわけではなかった。規定があることは最初から分かっていた。ただ、分割払いが認められたなら、払い続ける限りはここにいられると、どこかで思っていたのかもしれない。その思いが根拠のないものだったと、今は分かっていた。

その夜、富江は静かに決めた。争わないことを決めた。手段がないわけではなかった。渡辺弁護士に連絡して任意整理の手続きを始めることもできた。審査結果に対して不服申し立てをすることもできるかもしれなかった。しかし、その先に何があるのかが見えなかった。見えないまま戦い続ける体力が残っていなかった。毎月この部屋に留まるために費やしてきた何かが、そこを尽きていた。

翌朝から、富江は少しずつ荷物を整理し始めた。最初に取りかかったのは台所の戸棚だった。使っていない調理器具や食器、とっておいた空き瓶などを分別した。次の日は押入れを開けた。正尾の古い作業着が一着残っていた。もう十五年も使っていなかった。匂いはもうしなかった。布が少し硬くなっていた。それを古着の回収袋に入れた。年賀状の入った箱の中から、弟の最後の年賀状を取り出して見た。十二年前の大阪の住所。「元気でやっています。今年もよろしく」と書いてあった。富江はその一枚だけ取り出して、残りは燃えるゴミ袋に入れた。

毎日少しずつ部屋が軽くなっていった。電化製品のうち、洗濯機と冷蔵庫と電子レンジはリサイクルショップに引き取ってもらった。引き取り価格は合計四千円。テレビは壊れていたので処分費を払った。二千円だった。食器は半分以上を捨て、残りを百円均一の袋に入れた。残すものは着替えが数日分と薬と目薬と鞄と大切な書類を入れたクリアファイル一冊だけだった。それだけでもういいと思った。

物が少なくなると足音が響くようになった。電化製品がなくなると、冷蔵庫の低い振動音が消えた。静かになった。静かになったら、かえって何かが聞こえるような気がした。聞こえてくるものが何なのかは分からなかったが、それは不快なものではなかった。

退去の前日の夜、富江は大掃除をした。換気扇を外して洗い、浴室を磨き、排水溝の詰まりを取り除いた。窓ガラスは新聞紙で拭き、廊下の壁の手の跡を固く絞った雑巾で拭き取った。畳は掃除機をかけてから水で絞った雑巾で目に沿って拭いた。窓を開けると六月の夜の空気が入ってきた。湿っていたが、草の匂いがした。団地の中庭の木々が夜風に揺れているのが見えた。この窓から何度カラスの声を聞いただろう。正尾と一緒にここへ越してきたのは三十年近く前のことだった。当時この団地は新しかった。三十年の間に団地は古くなり、正尾はいなくなり、富江だけが残った。その富江が今夜ここを去る。

最後に部屋の電気を一つずつ消した。台所の蛍光灯を消し、廊下の小さな豆電球を消し、最後に居間の蛍光灯のスイッチに手をかけた。少し止まってから消した。暗くなった部屋の中に、外の街灯の光が差し込んでいた。富江はその光の中に立った。迷惑をかけずに生き、迷惑をかけずに死ぬ。そのために通帳のお金を積み立ててきた。そのために深夜に働いてきた。そのために今夜この部屋を磨いて出ていく。それが正しいことかどうかはもう分からなかった。ただ、それが自分のやり方だった。それだけは確かだった。

玄関に戻り、靴を履いた。鍵を回すと、鍵がかかった感触があった。

翌朝、まだ暗い時間に富江は外に出た。午前五時前だった。中庭を横切って、一階の管理人室のポストに封筒を入れた。中には退去の旨を書いた一枚の便箋と、最後の一ヶ月分の家賃、それから通帳に残っていた残金のうち十万円分を振り込んだ振込依頼書の控えが入っていた。便箋にはこう書いた。「長年お世話になりました。この度の件でご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申し上げます。これが私にできる全てです。どうか次の方が気持ちよく入居できますように」

ポストに封筒を入れる音がした。小さな金属の音だった。自分の郵便受けの扉がまだ開きがちなのを見て、いつもよりきつく押し込んでおいた。集積所の前を通ると、蛍光灯がまだ点滅していた。ゴミ袋は何もなかった。手を動かす必要がなかった。一度だけその光を見上げてから、歩き始めた。

小さなキャリーバッグを引いて団地の正門を出た。キャリーバッグの車輪がアスファルトの上でカチカチと音を立てた。まだ暗い道に、その音だけが響いた。最寄りの駅に着くと、ホームにはほとんど人がいなかった。始発から数本目の電車がホームに入ってきた。富江は乗り込み、窓際の席に腰を下ろした。電車が動き出した。窓の外に、まだ開けきらない空が広がっていた。東の空の端がほんの少しだけ白んでいた。朝が来ようとしていた。どこにでもある普通の朝だった。

キャリーバッグを両手で持ち、膝の上に乗せた。車輪が少し当たった。それだけのことを気にしながら、窓の外を見た。電車が速度を上げると、団地のある方向が遠くなっていった。あの蛍光灯も今どこかで点滅しているだろう。誰かがいつか直すだろう。あるいは直さないかもしれない。どちらでももう、富江には関係がないことだった。

向かう先は決めていなかった。ネットカフェに行けばしばらく過ごせることは知っていた。窓口に行けば相談できる場所があることも吉田さんが教えてくれていた。どちらに行くかは、電車を降りてから考えればよかった。今はただ座っていればよかった。

窓の外の空が少しずつ明るくなっていった。白さが増し、雲の輪郭が見えてきた。六月の朝は早い。光が来る前に空気が変わる。その変わり目を富江は見ていた。電車は走り続けた。それだけのことだった。電車が走り、窓の外の景色が流れ、空が明るくなっていく。富江はそれを見ていた。今日のことは考えなかった。明日のことも考えなかった。ただ今、この瞬間、電車に乗っていた。それだけのことが、今の富江にできることだった。

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