姑が私の手料理を一口食べて、眉をひそめた。「ちょっと味が濃いわね。肉が硬すぎるんじゃない?これは食べられたもんじゃないわね」。それが私たちの食卓では当たり前になっていた。29歳、都内の化粧品会社で働きながら夫と二人で暮らす私、水希。姑のいびりはそんなものでは済まなかった。ある日、姑は私の目の前で料理をゴミ箱に捨てた。「もう食べられないから捨ててもいいわよね」と言いながら。夫はスマホゲームから…

姑が私の手料理を一口食べて、眉をひそめた。「ちょっと味が濃いわね。肉が硬すぎるんじゃない?これは食べられたもんじゃないわね」。それが私たちの食卓では当たり前になっていた。29歳、都内の化粧品会社で働きながら夫と二人で暮らす私、水希。姑のいびりはそんなものでは済まなかった。ある日、姑は私の目の前で料理をゴミ箱に捨てた。「もう食べられないから捨ててもいいわよね」と言いながら。夫はスマホゲームから...

姑が私の手料理を一口食べて、眉をひそめた。「ちょっと味が濃いわね。肉が硬すぎるんじゃない?これは食べられたもんじゃないわね」私たちの食卓では、これが当たり前の光景になっていた。二十九歳、都内の化粧品会社で働きながら夫と二人で暮らす私、水希。姑のトメさんによる嫁いびりは、こんな程度では済まなかった。

最初のうちは「味付けが好みに合わないだけかも」と思ってやり過ごしていた。しかし姑はエスカレートするばかりで、ついには私の目の前で料理をゴミ箱に捨てた。「もう食べられないから捨ててもいいわよね」と言いながら。それ以来、私は一切姑に手料理を振る舞わなくなった。どうせ何を作っても文句を言われるだけだと分かったからだ。

姑は影でも私の悪口を吹聴していた。「息子はいやいや結婚したのよ。あんな女に騙された息子がかわいそう」と近所に話して回っているらしく、仲の良い近所の人から「大丈夫?」と心配されたこともあった。これ以上いびりを悪化させたくなかった私は、「いつものことなので大丈夫です」と答えるのが精一杯だった。

嫌がらせは料理だけではなかった。姑は家に来るたびに、クローゼットの中や寝室まで勝手に開けて隅々までチェックし、少しでもほこりを見つけると大騒ぎした。「掃除ができていないなら仕事をやめなさい」とまで言われた。私は少し潔癖症のところがあり、仕事で忙しくても毎日欠かさず掃除をしていた。だからこそ、そう言われると腹立たしくて仕方がなかった。

夫はそんな私の隣で何も言わない。いや、正確には言わなかった。暇さえあればスマホゲームをやり続ける夫は、私が助けを求めても無関心を決め込んだ。それどころか、姑が私を責め始めると「確かに最近、料理手抜いてない?お母さんの言う通りだよ。ちゃんとしなよ」と、姑の味方に回って私を責めた。これが世に言うマザコンというやつだろう。いや、マザコンの度合いを完全に超えている気もする。

夫とは合コンで出会った。会社の同僚に誘われて、急遽人数合わせで参加したのがきっかけだ。最初はクールで落ち着いていてかっこいいと思っていた。今思えば、あれはクールではなく、ただ人に興味がないだけだったのだろう。その場で連絡先を交換し、その後も何度かみんなで集まるうちに自然と交際へと発展した。

マザコンだと気づき始めたのは交際当初からだった。何かと「お母さんだったら」「お母さんに聞いてみるね」と姑と比べられることが多く、何を決めるにも姑の許可が必要だった。結婚して今の家を探す時も、姑が必ず不動産屋についてきた。二人で住む家なのに決定権は一切なく、姑の実家に近くて安いからという理由だけで今の家に決められてしまった。決して綺麗な物件でもないし、姑がお金を出してくれるわけでもない。それでも私は拒否することができなかった。「あの家はダメ」と言えるだけの反論の材料を持っていなかったからだ。結果的に、それが姑を図に乗らせてしまったのだと思う。

この話を友人にすると、「そんな男となんで結婚したの?」とよく聞かれる。恋は盲目とはよく言ったもので、彼のマザコン体質は交際中も気になってはいたが、別れようと思うほどではなかった。どこかで「そこまで大したことはないだろう」と思っていたのだろう。結婚して姑と暮らし始めてから、それが大きな間違いだと知ることになる。

夫は一人っ子で、ずっと甘やかされて育った。結婚するまではお互い実家で暮らしていたので気づかなかったが、一緒に住み始めてから夫が一人で何もできない人間だと思い知らされた。一人で服すら選べないのを見た時は、笑ってしまうほどだった。いつも姑が決めてくれていたのだそうだ。

夫に初めて手料理を振る舞った時のことも、今でもはっきり覚えている。一口食べるなり「お母さんの味と全然違う。お母さんから味付けを習って作ってほしい」と言われた。家事に関しても「お母さんはもっと綺麗にアイロンかけてくれる」「お母さんは服をこう畳んでくれてた」と、ことあるごとに姑と比べられた。

しばらくは我慢を続けていたが、毎日のように同じことを繰り返されて、さすがに一度だけ反論した。「私はあなたのお母さんじゃないのよ。いちいち比べないで」と。すると夫は「じゃあ、文句言われないように家事をしっかりやってよ」と、謝るどころか私に非があるかのように言い放った。その瞬間から、私はただの家事ロボットのように毎日を過ごすようになった。

そんな生活に耐えかねて、実家に帰ることにした。置き手紙だけを残して。あれを果たして結婚生活と呼べるのか、真剣に考えるようになっていたからだ。毎日毎日「お母さんだったら」攻撃に参ってしまい、食事ものどを通らず、眠れない日々が続いて、体重は新婚当時から十キロも減ってしまった。

そんな状況を分かっているはずなのに、姑も夫も心配も反省もしなかった。それどころか、私が実家に戻ってから毎日のように実家に嫌がらせの電話をかけてくるようになった。電話が鳴るたびに「また姑からか」と分かっていても、私は電話に出てしまう。「のくせにいきなり家を出るとは生意気ね。日々我慢してたのは息子の方よ。どうしてくれるのよ。謝りなさい」と一方的にまくし立てては、一方的に電話を切る。多い日は一日に五回もかけてきた。

電話中、私の言い分を聞く気は一切ない。「あなたは黙って聞いてればいいのよ」と大声で怒鳴られるだけだった。私は体調を崩して仕事も休んでいたが、ずっと休んでいるのも申し訳なく思い、仕事に復帰することにした。最初は退職も考えたが、復帰してみると夫や姑のことを忘れられて、とても気持ちが楽だった。仕事は好きだし、周りの人もいい人ばかりだった。少しずつ心が落ち着いてきたと思った矢先、とんでもない事件が起きた。

ある日いつも通り仕事を終えて実家に帰ると、今日は出かけると言っていたはずの母がリビングにいた。「あれ?どうしたの?出かけるんじゃなかったの?」と私が聞くと、母は興奮気味に話し始めた。

「今日もあの人のお母さんから電話来たわよ。私が電話に出るなり、ひたすら文句ばっかり言うもんだから、イラッとして言い返してやったわよ。そしたらさらに大騒ぎしてきたけど。ふざけるな。もう息子とは離婚させるって向こうから言ってきたわよ」

私は呆れてしまった。ついに私に罵声を浴びせるだけじゃ物足りず、私の母にまで文句を言うようになったのかと。しかし、どうやらそうではなかったようだ。実は私と母は声がとても似ている。実の父でさえ電話では区別がつかないほどだ。声だけではなく体格も同じなので、後ろ姿で見分けがつかないこともある。母の友人や近所の人から「本当に声がそっくりね。年々見た目も似てくるわね」と毎回言われるくらいだった。

どうやら姑は、出かける用事があり急いでいた母の焦った声を私の声と間違えたらしい。そして間違えたのが運の尽きだった。私の母はとにかく口が強く、頭の回転も速い。口喧嘩なら誰にも負けないだろう。さらに母は関西出身なので、余計に口調が強い。姑はきっと圧倒されたのだろう。

「で、お母さんは何て言い返したの?」と私は母に電話のやり取りを聞いてみた。母は急いで「はいはい」と電話に出たところ、姑は「あら水希さんね。まだ家に帰らないわけ?いい加減にしなさいよ」と最初から怒鳴ってきたという。「水希じゃないです」と言おうとしたらしいが、母は普段私がどんな扱いを受けているのか自分の耳で確かめたかったようで、あえて黙って話を聞くことにしたらしい。

そんなことを知らずに姑は話を続けた。「あなたね、結婚生活ってそんな甘くないのよ。最初からあなたとうちの息子は合わないと思ったのよ。見た目的にも不釣り合いというかね」

その言葉に母の堪忍袋の緒が切れた。「さっきから黙って聞いてればいい気になりやがって。お前の育て方が悪いから、あんな一人じゃ何もできない子供に育ったんだろ。不釣り合いだって?あんたの息子が周りで何て言われてるか知ってるの?ママが大好きなマザコン男。顔も大して良くないわよ。恥ずかしくないの?」と。

それを聞いて私は吹き出してしまった。自分では思っていても言えなかったことを、母が全て代わりに言ってくれた。それを聞いて、なぜだかすごくすっきりした。

それ以来、姑からの嫌がらせ電話はぱったりなくなった。しかし、電話では「離婚させる」と言ったものの、姑は実際に離婚の手続きを進める気配がなかった。私は両親と相談し、弁護士を立てることにした。証拠になればと思い、私は普段の電話の会話を録音していたのだ。弁護士に聞かせると「これは十分有利になる。よく録音してたね」と言われた。

録音証拠の効果もあって、離婚はすんなり成立した。もちろん精神的苦痛も含めて慰謝料はがっつり取ることができた。姑は慰謝料の支払いを渋っていたようだが、私の弁護士が優秀で、希望通りの金額を請求することができた。私は心から感謝している。その後、夫とも姑とも連絡を取ることはなかった。

離婚してから月日が経ったが、今でも母とあの日の電話の話題になることがある。その度に母は「まだあの電話の相手、水希だと思ってたの?お母さんと同い年くらいなのに、もうボケ始めちゃってるのかしらね。かわいそうにね」と高笑いしている。あの電話がなければ、私は今もあの家に縛られていたかもしれないと思うと、怖くて仕方がない。本当に母には感謝している。

後々、共通の知り合いに聞いた話だが、姑は父と熟年離婚が成立していた。元々姑は私への影口だけではなく、私以外の人に対しても影口を多く言っていて、父はうんざりしていたらしい。今回私が弁護士を立てて事実が明るみに出たことで、父は決意したようだった。

父は姑に悪いと思いながらも「影口だけなら」と放置していたらしい。しかし、私への嫁いびりの具体的な内容を聞いて、すごく驚いたそうだ。「そうか。こんなひどいことをしていたのか。もうお前とはやっていけない」と父は家を出ていった。姑は修復しようと泣きついたそうだが、父の考えは変わらず、離婚に至ったのだという。

それから姑は家に引きこもる生活になり、あんなに大好きだった息子への態度も変わってしまったらしい。毎日喧嘩の日々だそうだ。

私はといえば、ご縁があり現在は新しい恋人がいる。彼は母のことを大事にはしているが、マザコンではなさそうだ。お互いの両親にも会っていて、家族ぐるみで仲良くしている。みんなに祝福されており、私は今、とても幸せだ。

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