「おい、聞いたか?あの川口部長の会社が、うちの新型バッテリーにそっくりな製品を開発してるらしいぞ。それを載せた電気自動車も作ってるんだと」
同僚の言葉に、開発部の空気が一瞬で張り詰めた。
「は?本当か?」
「あくまで噂だがな。ただ、増田社長の会社の社員さんから聞いた話だから、結構信頼できると思うぜ」
増田社長の会社は、川口部長の会社と同業者だ。競合他社としてリサーチをしている中で掴んだ情報なら、根も葉もない噂として聞き流すわけにはいかない。
俺、村上直は、手に持っていた試作バッテリーを見下ろした。ここまで2年以上かけて開発してきた、新型バッテリー。もし本当に技術を盗まれたのだとしたら、黙って引き下がるわけにはいかない。
その日のうちに、俺は決意を固めていた。次に川口部長が来たら、正面から問い詰めてやろう、と。
後日、いつもと変わらない様子で開発現場に現れた川口部長は、にこやかな顔で新型バッテリーの進捗を尋ねてきた。俺は用もなく立ち話をするのも嫌で、流れるように本題を切り出した。
「川口部長。噂でお聞きしたんですが、うちの新型バッテリーに似た製品を開発されているとか」
その瞬間、川口部長の顔に浮かんでいた笑みが、ねっとりとしたものに変わった。
「なんだ、今頃気づいたのか」
「……え?」
「ああ、その通りだ。お前らの技術を利用させてもらったぞ」
悪びれるどころか、勝ち誇ったような口調。周囲にいた社員たちも、一瞬何が起きたのか分からず、呆然としていた。
「今日を持って、お前らとの取引は終了だ。もうお前らに用はない。技術提供、ご苦労だったな」
川口部長は人を小馬鹿にするように、ゆっくりと笑ってみせた。
「技術はあるが、ここの回転は遅いようだな。そんなんじゃ、弱肉強食の自動車業界で生き残れやしないぞ」
そう言って、彼は自分の頭を指でトントンと叩いた。
堪えきれず、若い社員の一人が声を上げた。
「ふざけんな!あんたのやってることは立派なパクリだろ!よくも堂々とそんなことが言えるな!」
「あ?この新型バッテリーはまだ世に出ていない。なら、うちの会社が先に開発して売り出せばいいだけのことだ。法律上は何の問題もない」
川口部長は社員の怒りを完全に無視し、俺に向き直った。
「うちも画期的な新製品を出さないと苦しくてね。何かいいアイデアはないかと探していたんだが、あんたがバッテリーをいじっているのを見て、これだと思ったんだよ」
「……だから、うちと最低限の取引をしながら、進捗を聞き出していたのか」
「その通りだ。必要最低限の取引をしながら、お前らの会話や現場の様子をそのまま会社に流していたんだよ。いや、お前らがぼんやりしていたおかげで、いい製品が出来上がりそうだ。感謝してくれてもいいくらいだぞ。ま、抜け作のバカどもだがな」
暴言に、現場の空気がビリビリと震えた。社員たちの怒りが臨界点に達しようとしている。
「今日はな、最後の挨拶に来てやったんだよ。今日を持って、お前らとの取引は終了だ。うちの新型バッテリーはもうすぐ完成する。わざわざお前らの技術を盗み続ける必要もなくなったからな。もう用はない。技術提供、ご苦労だったな。ま、抜けのバカどもめ」
吐き捨てるように言うと、近くにいた社員が今にも飛びかかろうとした。俺は慌ててその肩を押さえた。
「やめろ。暴力沙汰にでもなったら、それを利用してくるのがあいつのやり方だ」
小さく怒りをなだめながら、俺は川口部長を見据えた。彼は相変わらず、見下すような笑みを浮かべている。
「そうですか。分かりました。取引を打ち切るなら、ここに用はもうないはずだ。出て行ってください」
「は?なんだその態度は。悔しさもないのか?ショックすぎて頭が回らないのか?その調子じゃ、開発を続ける元気もないだろう」
「どうかご心配なく。うちのことはお構いなく」
「ふん。その調子じゃ、開発もままならんだろうな。まあ安心しろ。お前に代わって、我々が立派に完成させてやる。その後で、売りに来てやってもいいぞ」
「結構です。もう二度と、我々に関わらないでください」
「言われなくてもそうするさ。せいぜい、悔しがることだな。ま、抜けども」
川口部長は高笑いをしながら、勝ち誇ったように会社を後にした。その背中を見送りながら、俺は内心で冷静に計算していた。
むしろ、こちらが望んだ展開だと。
社員たちが一斉に俺の周りに集まり、怒りをぶちまけた。
「何で引き下がるんだよ!あれはお前のアイデアだろうが!特許だって……」
「落ち着け。大丈夫だ」
俺は深呼吸を一つしてから、ゆっくりと話し出した。
「あいつのやったことは確かに許せない。だが、ここで立ち止まっていたら、新型バッテリーは完成しない。みんなの気持ちは分かる。でも、今は俺を信じてくれないか」
周囲の視線が、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「どうか、新型バッテリー完成のために、力を貸してほしい。お願いします」
俺が深く頭を下げると、しばらく沈黙が続いた。やがて、一人の社員が俺の肩を叩いた。
「……お前を信じるよ。直のバッテリーを、完成させるのは俺たちだろ」
その言葉に、他の社員たちも次々と頷いた。社長も、遠くから静かに頷いていた。
そうだ。まだ終わっていない。新型バッテリーを完成させるのは、川口部長の会社じゃない。俺たちだ。
そこから開発は一気に加速した。誰もが一丸となり、残っていた工程を夏の猛暑のように畳みかける。試作品の調整、耐久テスト、データの解析。昼夜を問わず、社員全員の手でバッテリーを完成に近づけていった。
そして、約1ヶ月後のことだ。
あの日、工場に突然、顔を真っ赤にした川口部長が現れた。まるで殴り込みに来たかのような剣幕で、俺を見つけるなり怒鳴り散らした。
「おい!どういうことだ!あの新型バッテリー、全然使えないじゃないか!何度試しても、思ったような数値が出ない!あんなもん、実用化できるか!」
唾を飛ばしながらわめく川口部長に、俺は内心、うんざりしながらも淡々と言った。
「そうですか。それは残念ですね」
「そ、それだけか!これまでの時間と労力をどうしてくれるんだ!技術を盗んだ謝罪はないのか!」
「技術の盗用を謝罪するどころか、逆切れされるとか、まったく呆れますね」
「何だとい!あんな半端なものを作りやがって!」
「そちらは半端なものだったかもしれませんが、うちで作ったバッテリーはしっかり完成しています。性能も、十分満足のいく数字を出していますよ」
「はあ?ふざけるな!同じものを作って、どうしてお前らだけがうまくいくんだ!うちとお前らとで、何が違うっていうんだ!」
興奮した川口部長は、俺の襟首をつかんでガクガクと揺さぶってきた。慌てた社員たちが止めに入る。
「川口部長。あの新型バッテリーは、組み立てるだけなら、どの会社にでもできるでしょう。ですが、最後に特殊な技術で加工をしなければ、完成したことにはなりません」
「特、特殊な技術だと?なんだそれは!教えろ!」
「それはできません。なぜなら、その特殊な技術は特許で守られているからです」
「特許だ?」
「ええ。そして、その特許を持っているのは、俺です。つまり、俺が最後の仕上げをしない限り、あの新型バッテリーは真の意味で完成しないんですよ」
「な、なんだと……!」
川口部長の顔色が、驚愕から青ざめたものへと変わった。
新型バッテリーの完成には、俺しか知らない最終加工が必要だった。それを知らない川口部長の会社が作ったバッテリーは、本来の性能の半分も出ない、完全な欠陥品だったのだ。
だから俺は、技術が盗まれたと聞いても、それほど慌てはしなかった。真の意味で完成品を作り上げることなど、彼らには不可能だからだ。
「特許なんて聞いてないぞ!これじゃ製品化できないじゃないか!開発費用をどうしてくれるんだ!責任を取れ!」
自ら技術を盗んでおいて、責任を取れとは笑わせる。いい年をした大人が、ここまで幼稚な八つ当たりができるものか。
俺は襟首を掴んでいた手を払いのけ、初めて声を張り上げた。
「いい加減にしろ!うちの技術を盗んでおいて、よくもまあ、そんな言葉が言えるな!」
「な、なんだと!?」
「これ以上文句を言うなら、裁判を起こしても構わないぞ。特許侵害でな。それに、これ以上騒ぐなら、業務妨害で警察にも通報する。どっちにする?」
俺の言葉に、川口部長は周囲を見回した。いつの間にか、社員たちが彼を取り囲むように集まっていた。皆、徹底的にやるぞと言わんばかりの表情をしている。
気勢を削がれた川口部長は、顔を青ざめさせ、ブルブルと震え出した。
「や、やめろ……そんなことされたら、会社にいられなくなる……」
小さな声で絞り出すと、彼は逃げるようにして会社を去っていった。
「もう二度と来るな!」
社員の誰かが、その背中に向かって捨て台詞を吐いた。
その言葉通り、その後、川口部長の姿を見ることはなかった。
川口部長が乗り込んできた数日前、俺たちは新型バッテリーを無事完成させていた。増田社長の要望通り、完成品第一号を納品し、増田社長は飛び上がらんばかりに喜んでくれた。ありがたいことに、独占契約を結びたいと言ってくれたほどだ。
俺たちの作った製品を、ここまで賞賛し、必要としてくれる。技術者として、これ以上の喜びはない。
そして時は流れ、新型バッテリーは業界内で話題となり、問い合わせの電話が絶えない日々が続いていた。そんな中で、川口部長の会社がその後どうなったのかも、自然と明らかになった。
川口部長の会社は、新型バッテリーを搭載した自動車の製造に大きく舵を切っていた。だが、俺の技術なしには完成しないため、生産は完全にストップ。膨大な赤字を計上することになった。
さらに川口部長は、バッテリーを自動車以外にも展開しようと、大型バイクメーカーなどにも取引の話を持ちかけていたらしい。それらも当然、すべてキャンセル。しかも一方的に契約を反故にしたため、受け入れ準備を進めていた相手方は大激怒。複数の企業から賠償請求を受け、結局、総額30億円もの損害賠償責任を負うことになった。
その原因を作った張本人である川口部長は、取引先からの信頼を大きく損ねた責任を問われ、会社を解雇されたという。
この話は増田社長の耳にも届いていたようで、ある日、彼はしんみりとした様子で俺に語りかけてきた。
「私もこの業界に長くいるが、金儲けに目がくらんで、悪いことに手を出して、悲惨な目に遭った人間を何人も見てきたよ。汚い真似は、するものじゃないね」
「そうですね。今回の一件で、私も改めて思いました。俺たちの技術は、金儲けのためのものじゃない。顧客のために、自動車業界の未来のために、あるんだと」
「そうだね。村上君は、大事なことをきちんと分かっているから、大丈夫だ。君のような志を持つ後輩がいることを、私は嬉しく思うよ」
増田社長はそう言うと、穏やかな表情で微笑んだ。
俺は、川口部長のように欲に走る真似は、決してしない。
俺の技術は、大好きな車のために。自動車業界の未来のために。その思いを、胸の奥にしっかりと刻み込んだ。変わることのない、俺の信念として。


