結婚式の請求書が、私のもとに届いた。宛名は私、古川三重。しかし私はその結婚式に招待されていない。いや、そもそも私が呼ばれるはずがない。送り主は、何年も音信不通だった義理の娘と、その夫だった。
何かの間違いかと思ったが、同封されていたメモ用紙には、雑な字でこう書かれていた。「お支払いお願いしますね」と。そこには電話番号まで記されていた。私は迷わずその番号に電話をかけた。
「もしもし。ああ、お母さんですか?俺からの郵便、届きました?」
新一だった。私の夫だった誠の連れ子、さやかの結婚相手だ。私が「届いたけど、この請求書は一体何?」と尋ねると、新一は鼻で笑うように言った。
「あれ?日本語読めませんか?結婚式の請求書ですよ」
「それは分かるけど、なぜそれが私のところに来るの?」
「全部言わないと分からないんですか?大人の対応をお願いしますよ」
そう言って、一方的に電話を切られた。私はそのまま、請求書とメモを破り捨てた。新一の番号を電話履歴から消し、それで終わらせようと思った。
私は62歳。今は小さな家で一人暮らしをしている。かつては夫がいた。誠とは私が35歳の時に結婚した。誠は私より15歳年上で、私にとっては初婚、誠にとっては再婚だった。
当時、私は医者から子どもを産めない体だと言われていた。子どもどころか、結婚までも諦めていた。そんな時に誠と出会い、彼には10歳の娘がいることを知らされた。同時に、「母親になってくれないか」とプロポーズされた。私は幸せの絶頂だった。産めない体だからと結婚を諦めていたが、家族への憧れはずっと抱いていたのだ。
しかし、物事はそう簡単にはうまくいかなかった。娘のさやかは、私を母親として認めなかった。再婚した時、さやかは10歳。反抗期も重なり、私のことを徹底的に嫌っていた。私のことを「おい、おばさん」と呼び、学校の参観日には参加させてもらえず、友人には「母親はいない」と言っていたようだ。私が料理を作れば「ママの味と違う」と皿を投げられた。誠が注意すれば、さやかは「お前が来たせいだ」と私に怒鳴り散らし、自室にこもる。その繰り返しだった。
それでも私は、誠に励まされながら耐えてきた。一緒に暮らし始めて7年後、さやかは大学進学を機に家を出た。県外の大学に進み、一人暮らしを始めたのだ。大きな声では言えないが、さやかと離れられてほっとしている自分がいた。
その後は、ようやく夫婦二人の生活を送れるようになった。誠は早期退職し、キャンピングカーを買って日本中を旅した。穏やかな時間が流れ、私はその生活がとても楽しかった。しかし、さやかとの確執は、距離が離れても消えることはなかった。
最初の大きな出来事は、さやかの従妹の結婚式だった。親族として私と誠、さやかで出席する予定だった。だが、結婚式の前日、さやかが突然言い出した。
「なんで他人のあんたと参加しなきゃいけないのよ。おかしくない?あんたが参加するなら、私は参加しないから」
誠がさやかを説得したが、さやかの意志は固かった。主役は従妹だ。さやかは親族だから、どうしても出席させたい。そう考えた私は、身を引くことにした。誠や従妹からはたくさん謝られたが、「改めて別の場を設ける」と言われた。私は笑顔を作ったが、内心は悲しさと悔しさでいっぱいだった。
そして、さやかはさらに追い打ちをかけてきた。普段、絶対にLINEをしてこないさやかから、突然メッセージが届いたのだ。そこには何枚もの写真が送られてきていた。その写真を見て、私は胸を締めつけられた。結婚式の会場で、私が座るはずだった席に、誠の元妻である全が座っている。誠は隣で気まずそうな表情をしている。さやかと全は満面の笑みだった。
すぐに誠から電話があった。やはり、さやかが当日になって急に全を連れてきたらしい。私の代わりに「母親」を座らせたいがために、前日に駄々をこねたのだ。私は「気にしてないわ」と言ったが、内心では深く傷ついていた。
そして、もう一つ忘れられない出来事は、誠が70歳でこの世を去ったことだ。以前から心臓の弱かった誠は、治療の甲斐もなく亡くなった。葬儀は、妻である私が取り仕切ることになった。
さやかとは、あのLINE以来、ブロックされ、電話も着信拒否されていた。13年以上、連絡を取っていなかった。さやかの従妹に夫の死を伝えてもらい、葬儀の日を迎えた。私は喪主として席に座り、開始を待っていた。
遅れて、さやかが現れた。さやかは私を見るなり、参列者の前で言い放った。
「お父さんが亡くなったんだから、もうあんたには関係ないでしょ。出て行ってよ」
さすがの私も反論した。しかし、さやかも引かなかった。
「出ていかないなら、この式、ぶち壊すけどいいの?お父さんが悲しむよ」
さやかならやりかねない。この式は、夫のためのものだ。こんな醜い争いをすれば、夫が悲しむ。私は悔しさを抑え、式場を出た。
その後、さやかと顔を合わせたのは、遺産相続について集まった時だけだった。遺言書に従い、半分が私、残りをさやかが受け取ることになったが、さやかはそれが納得いかなかったらしい。「他人のあんたは拒否しろ」と叫んだが、同席していた弁護士が説明し、さやかは引き下がった。
私は夫と住んでいた家を売り払い、遺産で小さな家を買った。家を売ったお金は、後から文句を言われないように、さやかに渡した。それから7年間、さやかとは一切会わず、連絡もしていない。私には、ようやく訪れた穏やかな一人の時間があった。まだ仕事も続けているし、一人の時間を楽しんでいた。
ただ、さやかの従妹とはたまに連絡を取っていた。ある日、その従妹から「さやかが今度結婚するらしい」と聞いた。さやかも37歳になる。あのさやかが家庭を持って大丈夫かしら。そう思うのは、私の中にまだわずかに残っていた親心だろう。ご祝儀を渡すべきか考えたが、「他人の私からあげるのもどうか」と思い、やめることにした。せめて、旦那さんを大事にしてもらいたいと、勝手に願っていた。
しかし、さやかが私の家に現れたのだ。従妹の家で私の連絡先を見て住所を知ったらしく、家までやってきた。今までのことがあったため、玄関を開けた時、私は身構えた。しかし、その日のさやかは違った。私を見ても、攻撃的な言葉を発してこなかった。何のために来たのか分からないが、攻撃してこないならと、私は家に入れることにした。
さやかの隣には若い男性がいた。新一と名乗った。20代半ばで、派手なTシャツに短パンという格好だった。
「俺、さやかさんと結婚するんで。あなたのことをさやかさんから聞いたんすけど」
私の印象は、悪いに決まっている。
「なんか散々、さやかさんの家族を困らせたみたいすね。その話を聞いて、さやかさんがかわいそうで、いても立ってもいられなかったんすよね。で、ちゃんと話をしようと思って、今回こうして家まで来たんすよ」
新一はさやかに目をやった。さやかも、私を意地悪そうな顔で見ている。
「なんかさやかさんの従妹までだまして、手中に収めてるみたいっすね。娘は無理だから、老後の面倒を代わりに見てもらおうとか思って、そうしてるんでしょう。本当、一人身の老人って迷惑っすよね。努力もしないで人にまとわりつくとか、情けないとも思わないすか?」
私は呆然と、その暴言を聞いていた。
「すみませんが、あなたが何を言いたいのか分かりません。本日は急な来訪でしたので、話が長くなるようでしたら日を改めてもらえませんか?」
私がそう言いかけると、さやかが口を挟んだ。
「日を改めてって、なんでまたあんたに会わなきゃいけないわけ?うざいんだけど」
新一もすかさず続けた。
「そういうところですよ、おばあさん。こうやって調子に乗られるのが困るんです。今回それが言いたくて来ました。まだ勘違いされているようですので、はっきり言いますよ。あなたは他人なんです。従妹のお姉さんは優しいから、あなたを親族として扱ってくれてるみたいですが、あなたの今の立場は人様の偽善の上に成り立っているんですよ。俺たちが結婚したからって、またさやかと接触しようとか思わないでくださいね。そんなこと1mmでも思っていたらキモいんで。はっきり言いますが、俺たちはあなたとお付き合いする気は一切ないんで、結婚式には招待しないし、子供が生まれても合わせませんので。ああ、でも俺たちもそこまで鬼じゃないので、あなたが大人の対応をしてくれたら、年賀状ぐらいは送ってあげますよ。俺が言ってる意味、わかります?」
「大人の対応」の意味は分からないが、要するに牽制しに来たのだろう。私は冷静に言い返した。
「分かりました。そこまで言うなら、縁を切りましょう。元々、つながるような縁もありませんけど」
「分かってくれたようで良かったです。じゃ、そういうことなので」
さやかと新一は、そう言って帰っていった。
まさか、そんなことをわざわざ伝えるために家まで来たのか。言われなくても、もう何年も連絡を取っていないし、結婚式に呼ばれるとも思っていなかった。さやかもそのくらい分かっているはずなのに、なぜ来たのか。
その疑問は、すぐに解けた。ある日、我が家に一通の封筒が届いたのだ。中身は、結婚式の請求書だった。金額は800万円。振り込み先が記され、メモ用紙には「お支払いお願いしますね」と書かれていた。
新一に電話をかけると、彼は言った。
「ああ、お母さんですか?俺からの郵便、届きました?」
「届いたけど、この請求書は一体何?」
「あれ?日本語読めませんか?結婚式の請求書ですよ」
「それは分かるけど、なんでそれが私のところに来るの?」
「全部言わないと分からないんですか?大人の対応をお願いしますよ」
新一の言っていた「大人の対応」とは、結婚式の費用を私が払うことだったらしい。何馬鹿らしいことを言っているんだか。私は請求書とメモを破り捨て、新一の番号と電話の履歴を消去した。その1週間後、さやかと新一から何度も着信があったが、一度も出なかった。あまりにもしつこいので、私は携帯を解約し、電話番号を新しくした。
それから2年後のことだった。庭の手入れをしていると、別人のように老け込んださやかが現れた。まだ40歳にもならないはずだが、見た目だけなら50歳ぐらいに見えた。
「びっくりした。突然何?」
私の警戒心が態度に出ていたのだろう。さやかは顔をくしゃくしゃにして、膝から崩れ落ちた。
「そんな目で私を見ないでよ。お母さん」
え?今、私に向かって「お母さん」と言ったのか?今まで一度も言ったことがなかったのに。
「人違いじゃない?」
「なんでよ。私のお母さんでしょ」
さやかが叫んだ。怪しいが、とりあえず要件を聞くことにした。
「で、何の用なの?」
さやかはぽつりぽつりと話し出した。結婚後すぐに子どもができたが、貯金も準備もない状態での妊娠。新一はギャンブルにはまっていて、家にお金を入れないため、あっという間に資金難になった。さらに、資金難になった少し後、突然新一と連絡が取れなくなり、事実上の蒸発状態になったらしい。
「そう。それで、私に何をしろと?」
私が冷たく言うと、さやかは続けた。
「このままじゃまともな生活を送れないの。従妹のお姉ちゃんに資金援助頼んだけど、子供が受験でお金が必要だって断られちゃって。だから、こうやってお母さんのところにも来たの?」
「何で私なの?」
「だって、お母さんは今小説を書いてて、結構売れてるんでしょ?だからさ、1000万円ほどでいいから貸して欲しいの。いや、1000万円ちょうだい。親子なんだし。いいでしょ」
私はため息をついて、さやかに言った。
「確かに私は今物書きをしていて、それなりにお金をもらえているわ。でも、そのお金はあなたには使わないわ。だって、あなたと私は他人なんでしょ」
さやかはすがるような目をした。
「そんなこと言わないでよ。私たち、色々あったけど、親子でしょ。昔、きつく当たったことは謝るわ。これから残りの人生は、親子になろうよ。お願いだよ、お母さん」
「その『お母さん』っていうの、やめてくれない?あなたに言われると、なんか変な感じがするわ。私たち、本当に親子じゃないんだってば。私はあなたの母親になりたかったけど、あなたがそれを拒否したんでしょ」
「でも、戸籍上は親子でしょ。お父さんとあなたは再婚したんだから」
「それがね、法律上でも、気持ちの上でも、私たちは親子じゃないの」
さやかは固まった。私は続けた。
「私、言ったよね。母親になりたかったけど、あなたがそうさせてくれなかったって。私の特別養子縁組の申し出を、あなたが拒否したんじゃない?覚えていないの?」
そうなのだ。私は結婚当初、夫の連れ子と養子縁組を結ぶつもりだった。夫とは年の差があったため、先々のことを考えてのことだった。さやかが13歳の時に、特別養子縁組を申し出た。しかし、さやかは最初から私に牙を向いていた。夫からは「反抗期で難しい時期だから、様子を見よう。少し待っててくれ」と言われ、私はさやかが心を開いてくれるのを待っていた。だが、ついに開くことはなかった。待っているうちにさやかは15歳になり、特別養子縁組の対象外になった。
だから、私とさやかは親子ではないのだ。そう伝えると、さやかは怒り出した。
「何よそれ。でも、従妹のお姉ちゃんとは仲良くして、たまに援助もしているんでしょ?お姉ちゃんだって他人でしょ?同じ他人なら、平等に扱ってよ」
「そうね。そんなに大きな金額ではないけど、お姉ちゃんには色々とお金を出したりしたわ。でも、お姉ちゃんはずっと私のことを親族として受け入れてくれたから。それに比べて、あなたはどうかしら?お姉ちゃんの結婚式の時を思い出してみて。あと、お父さんのお葬式の時はどうだった?あなた、たった一度でも私のことを母親どころか、親族だと思ったことがあった?私を家族にしてくれなかったのは、あなたよ。それなのに、今更虫が良すぎない?」
さやかは下を向いて、何か言い出した。
「それは…反抗期だったからで、ちょっと反発したって言うか…そんな子供の時の話を出さないでよ」
「子供の時?お姉ちゃんの結婚式の時、あなたは20代でしょ。誠さんのお葬式の時は30代だったでしょ。随分大きな反抗期の子供ね」
そう言われると、さやかは黙り込んでしまった。
「さやか、もういい大人なんだから、どういう行動をしたら自分に返ってくるのか、しっかり自分の頭で考えてから行動しなさい。他人の私に何を言われても響かないだろうけど。とにかく、他人のあなたに渡すお金はないわ。『何の努力もしないで他人にまとわりつくなんて』って、あなたの旦那に言われたんだけどね」
さやかは何も言えなくなり、おずおずと帰っていった。
その後、さやかは妊婦であるにも関わらず、パートで働き始めたらしい。新一はずっと消息不明のままだったが、ある日、新一の分だけ記入された離婚届が郵便受けに入っていたらしい。
今回のことに対して、私が冷たすぎるという人もいるかもしれない。確かに、私は一度はさやかを法律上では子供でなくても、本当の子供のように育てようとし、私なりに何十年も努力してきた。しかし、彼女は拒み続けるどころか、攻撃をしてきた。それほどのことを、私はさやかにされてきたのだ。
さやかは実母への愛が強いあまり、後戻りのできない状態までいってしまったのだろう。これからでもさやかが常識のある大人になることを願って、私は今回は完全に縁を切る決断をした。お互いに傷つき苦しんだ何十年だった。そろそろ、お互い楽になってもいいだろう。
夫が残してくれた遺産で購入した小さな家で、私は静かに暮らしながらそう思った。



