「半額か、納期半分か、選べ。無理なら契約中止だ」
歪んだ笑みを俺に向けているのは、取引先の村瀬部長だ。部長は俺と会社を見下すように認定し、無茶な要求を突きつけてきた。しかし、この後愚かな部長は、ふさわしい末路をたどることになる。
俺の名前は岡田。三十九歳で、中堅電気メーカーの研究開発部に勤めている。俺には仲のいい同期がいた。
「おい、岡田。ちょっといいか?」
仕事中の俺に話しかけてきたのが、同期の中村だ。こいつとは妙に気が合い、周りからもいいコンビだと言われている。
「んだ。俺が開発してるバッテリーについて相談があってな。もっと小型化したいんだが、何かいいアイデアはないか?」
中村は次世代型バッテリーの開発を進めている。パソコンやスマホなど、小さな家電に使うことを目的にしたバッテリーだ。かなり難易度の高い作業らしく、こうして俺にアドバイスを求めてくることが多かった。
「冷却装置はもっと小さくていいんじゃないか」
「いやいや、これ以上サイズダウンすると急速充電ができなくなる。オーバーヒートを起こしてバッテリー自体が壊れちまうよ」
俺はどんなに手間がかかっても、安全性だけは絶対に妥協しない。そこだけは負けたくないんだ。
中村とああでもない、こうでもないと意見を出し合う。こうして中村と話している時間は、とても楽しかった。
しかし俺が三十七歳の誕生日を迎えた直後、中村が突然病に倒れ、長期入院が必要となった。生きて帰れるかもわからないらしい。
病室へお見舞いに行った際、中村の病状がかなりひどいことを本人から告げられた。ベッドに横になった中村は、いつもと変わらない口調で話してくれたが、その顔色は明らかに青ざめていた。
「まあ、俺も頑張って治療はするけど、万が一のことを考えて、お前に頼みたいことがあるんだ」
「いいぞ。何でも言ってくれ」
「開発中のバッテリー、お前が引き継いでくれよ」
中村はすでに会社へ連絡し、俺への引き継ぎを認めてもらっていたのだ。入社当時から変わらず仕事が早いなと感心しつつ、俺は笑顔で中村の頼みを引き受けた。
病院の廊下で、俺は静かに心に誓った。中村が始めた仕事を、必ず完成させようと。
通常の業務と並行しつつ、バッテリーの開発を進める。俺は中村みたいに仕事ができるわけではないので、開発が終わるまでにかなり時間がかかってしまった。何度も壁にぶつかるたびに、中村ならこの局面をどう突破するだろうかと自問しながら前に進んだ。それだけが俺を動かし続ける原動力だった。
そして一年半前に、開発はなんとか終了した。中村はまだ入院中だが、開発が無事に終わったと伝えると、最近は調子が良くなってきている。
「ふう。ちょっと一休み」
コーヒーでも飲もうかと何気なく時計を見ると、別の仕事の時間が迫っていることに気づいた。
「しまった。村瀬部長のところに行かないと」
相手の顔を脳裏に浮かべ、思わずため息をつく。村瀬部長は取引先の担当者で、あまりいい仕事相手ではない。
二年前、村瀬部長の会社が新しいプロジェクトを立ち上げた際、我が社に試作品を作ってほしいと依頼してきた。その際俺が担当したのだが、試作品を納入した翌日、検品チェックの担当者から電話がかかってきた。
「発注した内容とだいぶ違うみたいですが」
どういうことだと慌てつつ、村瀬部長の会社へ向かう。俺は村瀬部長から受け取った発注に従い試作品を作った。提示された内容から逸脱している部分はない。発注書を手に担当者の元へ行くと、驚きの原因が判明した。
「これ、村瀬部長が作成した発注書ですか? 数値が間違ってますね」
なんと俺に依頼してきた村瀬部長が、間違った内容の発注書をよこしてきたのだ。普通なら村瀬部長の責任だろう。しかし部長は多大な権力を持つ人物だった。
村瀬部長を呼んでどういうことか事情を尋ねると、俺のミスだと言い張った。
「俺のミスだって? 身に覚えがないな。お前が勝手に書き換えたんじゃないのか」
平然とした態度で返され、俺は目を丸くした。同席した検品チェック担当者は、気まずそうに顔を伏せている。まるで関わりになりたくないとでも言いたげな態度だ。
「俺を誰だと思ってるんだ? 社長のおいっこだぞ。お前はうちから仕事をもらっている弱小企業。俺が社長に頼めば、取引をなくすことだってできる。それでもいいのか?」
我が社の売上は、村瀬部長の会社が大きく占めている。取引がなくなったら困るのは我が社だ。結局、村瀬部長のミスは表に出ることはなかった。さらにこの一件で、俺は村瀬部長から目をつけられるはめとなる。
継続取引で定期納品するために、担当者である俺は一ヶ月に一度、村瀬部長の会社を訪れていた。受け取り担当者は別の人なのだが、村瀬部長は俺に嫌みを言うためだけにわざわざ同席することも多い。
「暇な人だよな」
文句をつぶやきつつ出かける準備をする。今日は村瀬部長がいませんようにと願いながら、取引先へと車両を走らせた。
それから一ヶ月後。
「岡田。これ見てみろ。先週発行されたものなんだがな」
研究開発部の部長に呼ばれた俺は、業界紙の記事を見せられた。
「ああ、中村のバッテリーが掲載されてますね」
「中村とお前のバッテリーだ。小さな記事だが、我が社がこうして業界紙に載るのは初めてのことだ。よくやったな。中村も喜ぶだろう」
先日、中村の意思をついで作ったバッテリーに関して、業界紙を作っている会社から取材を受けた。その時の記事が掲載されたのだ。
「中村に明日見せてきます。仕事が終わったらお見舞いに行く予定なので」
部長が笑顔で頷く。中村は入院が決まった際、会社をやめている。長期入院が必要だと医者に言われていたので、会社に迷惑はかけられないと判断したのだ。しかし今も部長や他の社員は中村を気にかけている。同期であり親友の中村を心配に思ってくれる人が多くいるという事実は、本人だけでなく俺にとっても嬉しいことだった。
「失礼します。岡田さん、少しよろしいですか?」
部長との話が終わると、受付担当の女性社員がやってきた。
「何でしょうか?」
「岡田さんにお客様が来てます」
俺に予定はないはずだけど。受付女性に案内されて会議室に向かうと、意外な相手がそこに座っていた。
翌日、俺はいつも通り仕事をこなしていた。今日は村瀬部長の会社に定期品を届けに行く日だ。
「こんにちは」
「遅いぞ」
俺を出迎えたのは、にやついた顔の村瀬部長だ。
「受け取り担当の方は今日は俺だけだ。お前に大切な話があってな」
嫌な予感がしつつ、何の話でしょうと問いかける。すると部長から信じられない言葉が飛び出した。
「今後の納品だが、半額か納期半分か選べ。無理なら契約中止な」
「え? どういうことですか?」
目を丸くして返すと、村瀬部長の笑みが深くなる。
「昨今の物価高の影響を受けてな、我が社は大幅なコストカットに取り組み始めたんだ」
腕を組み、深刻そうな表情を見せる村瀬部長。この人とは無駄に長い付き合いがあるので分かるが、かなり嘘臭い演技だった。
「というわけで、俺も会社のために貢献しようと思ってな。ほら、これを見ろ」
「これは中国系の企業ですか?」
村瀬部長が見せてきた書類に目を通す。我が社と同じ電気メーカーだが、聞いたことのない会社だ。
「この会社は、同じようなものをお前の会社の三分の一の価格で作っているそうだ。すぐにでも乗り換えたいところだが、お前の会社ともまあそれなりの付き合いがあることだしな。こちらが提示する条件を飲めば、取引は継続してやるぞ」
村瀬部長は俺の反応を伺うような目を向けている。コストカットをしたいのは本心だろうが、一番の目的は俺をいびることだろう。世の中には他人を攻撃して満足感を得る人間がいる。村瀬部長はその類いの人間だ。どうせ逆らえないと高をくくっているのが、表情から透けて見えた。
部長の会社より立場が下の我が社は、ある程度の理不尽な要求には従うほかない。しかし今回ばかりは見過ごせなかった。
「了解です。では、取引は中止ということで」
予想外の俺の回答に、部長が間抜けな声をあげる。
「は?」
「何を驚いているのですか? 契約中止を言い出したのはそちらでしょう。我が社はあなたの提示した条件を飲みません。よって契約は、現時点を持って中止にさせていただきます」
一切の戸惑いを見せず、契約中止を突きつける。少しの間呆然としていた村瀬部長だったが、俺の言葉の意味を理解すると、怒りで顔を真っ赤にした。
「自分が何を言ってるか分かってるのか? うちとの契約がなくなるんだぞ」
「ですから、それで構いませんと言ってます」
俺が泣いてすがるのを期待していたのだろう。村瀬部長は気に食わないと言いたげな様子で声を荒げた。
「そうかよ。上等だ。お前の会社の悪評を業界中に広めてやる」
こちらは何も悪いことはしていないのに、なぜそんな脅しをしてくるのか。そんな最低の相手に丁寧な態度で接する必要はないだろう。頭の中でそう考えた俺は、ゆっくりと口を開いた。
「そうかよ。では、昨日俺に土下座してた社長に、二百五十億の独占契約は白紙と伝えとけ」
「は?」
村瀬部長は再び間の抜けた声をあげる。呆然とした表情を見せる部長に、俺はあるものを突きつけた。それは中村に見せようと思っていた業界紙だ。今日は村瀬部長の会社に納品物を届けた後、面会が許可されていたので、そのまま病院へ行く予定だった。しかしこの調子では予定が大幅に狂うだろう。
「な、なんだこれは?」
「俺と同期が開発した次世代型バッテリーについての記事だ。ただのバッテリーじゃない。特許取得の優れ物だぞ。お前のところの社長は、このバッテリーの独占契約をしたいと、昨日わざわざ俺を尋ねてきたんだよ」
俺の説明に、部長の目が大きく見開かれた。
昨日突然俺を尋ねてきたのは、村瀬部長の会社のトップ、麻野社長だった。
「岡田さん、すみません。アポイントメントもなしに」
「いえ、構いませんよ。どうされたんです」
麻野社長が鞄から取り出したのは、部長に見せてもらっていた業界紙だ。
「このバッテリーに関してお話があります。我が社と独占契約をしていただけませんか?」
「それはまた急な話ですね。この業界紙の記事だけでは、どういうバッテリーか分からないと思いますが」
業界紙に掲載されているのは表面的な内容だけだ。特許取得のバッテリーなので、詳しい技術に関しては情報が公開されていない。
すると麻野社長が意外なことを口にした。
「このバッテリーは、御社の中村さんが開発を始めたものですよね」
業界紙にはそこまで詳しい内容は掲載されていない。どうして知っているのか尋ねると、麻野社長が笑顔でこう答えた。
「我が社の営業が中村さんのお世話になっていたようで、何でも共通の趣味を通じて仲良くなったとか。その営業が中村さんからバッテリーの話を聞いて、俺に教えてくれたんです」
中村はアニメ好きという、ちょっとディープな趣味を持っている。麻野社長の会社の営業と、仕事の話そっちのけでアニメの話で盛り上がっているのは、何度か目撃していた。
「なるほど。ですが、簡単に契約というわけにはいきません」
「この特許バッテリーは、我が社の売上を支えるものになるでしょう。取引は是非ともお願いしたい。俺だけでなく、上層部も同じ考えを持っているのは確認済みです」
すると麻野社長は驚きの行動に出た。
「お願いします。この通りです」
なんとその場に膝をついて、俺に土下座をしたのだ。
「ちょ、ちょっと、頭を上げてください」
慌てて社長の腕を取るが、続けて放たれた言葉に飛び上がりそうなほど驚く。
「二百五十億出します。どうか我が社と独占契約をしてほしいのです」
二百五十億。こちらが想定していた額よりはるかに高い。あまりにもいい条件に思わず飛びつきそうになったが、一旦深く息を吸い、心を落ち着かせた。
「どうしてそこまで我が社のバッテリーが欲しいのですか?」
「あなたと中村さんが開発したバッテリーが素晴らしいものだからです。従来品と比べ二十倍の容量で、寿命も長く、小型で持ち運びにも便利です。何より安全性がかなり高い。バッテリーの安全性が疑問視されている今、御社の商品は需要にマッチした大ヒット商品となるでしょう」
中村が最もこだわったのは安全性だ。長く安心して使えるものを、多くの人に使ってほしい。その思いで一切の妥協なく、バッテリーを開発したのだ。
「それと、我が社は蓄電市場の拡大化を狙っています。このバッテリーはそのために必要不可欠なのです」
麻野社長はその価値をきちんと見抜いていた。
「なるほど。麻野社長の思いは伝わりました。この件は上層部と相談させていただきます」
「本当ですか? ありがとうございます」
まだ契約が決まったわけではないが、社長は嬉しそうな顔をする。中村のバッテリーは、麻野社長のような熱い気持ちを持った人の会社に渡したい。
しかし一つだけ懸念点があった。村瀬部長の存在だ。部長は信頼できる相手とは言えない。そんな人がいる会社に、大切なバッテリーを渡していいのだろうか。さらに部長は社長のおいっこだ。どのくらい親密かは知らないが、俺に散々ひどいことをしてきた部長を喜ばせるようなことは、できれば避けたい。
部長が理由でどうしようか迷っていた時に、こんな無礼なことをされるとはな。おかげで心が決まったよ。
「特許バッテリーは、他の会社と契約するから」
呆然として俺の説明を聞いていた部長が我に返る。
「え? いやいや、そんな嘘が通用すると思ってんのか」
相変わらず馬鹿にしたような笑みを浮かべているが、表情は先ほどと比べて余裕がない。
「嘘だと思うなら、社長に聞いてみたらどうだ? 親戚だろ?」
「はっ、面白い冗談だな。もういい。さっさと帰れ。出来合いの話で俺を脅そうとするなんて。お前の顔なんて二度と見たくない」
俺は部長と違い、相手を脅そうという考えはない。そう言って口を閉じた。俺としても、これ以上部長と話をしたくなかったのだ。
「そうか。分かった。じゃあな」
淡々と告げ、踵を返す。自社に戻りながら俺はスマホを取り出し、ある番号に電話をかけた。
それから一時間後、会社に戻った俺に来客を告げる連絡が来た。
「お待ちしてましたよ」
受付担当の社員に案内された会議室へ行くと、そこにいたのは冷汗をかいている麻野社長と、顔面蒼白でぶるぶると震えている村瀬部長だった。
「お、岡田さん。先ほどの電話の件ですが、本当ですか?」
「ええ。そちらの村瀬部長から脅されたので、特許バッテリーの契約は白紙とさせていただきます」
次の瞬間、麻野社長が床に額を擦りつける。
「本当に申し訳ございませんでした。おい、お前も謝れ」
麻野社長に怒鳴られ、村瀬部長がのろのろと頭を下げる。社長から話を聞いて、本当だと分かったのだろう。先ほどの馬鹿にしたような笑みはすっかりなくなり、追い詰められた表情をしていた。
「こちらも申し訳ございませんでした」
「半額か納期半分か、あまりにも非常識な条件を押し付けられまして。社長のおいっこであるという立場を悪用して、俺を脅そうとしてきたことに腹が立ったとはいえ、契約白紙にしたのは譲歩しすぎましたね」
先ほど自社に戻りながら社長に電話で伝えていたのは、部長が原因で契約を白紙にするということだけだ。自分の悪事の詳細が明かされ、部長の震えが激しくなる。
「お前は、そんなことをしていたのか?」
「それだけではありません。二年前にも、自分のミスを俺のせいだと押し付けてきました。あの一件以降、俺は部長から目をつけられ、納品のたびに嫌みを言われてましたよ」
この際だからと二年前の件も明かすと、社長の顔が怒りで真っ赤になった。
「我が社に傷をつける行為だぞ。自分が何をしたのか分かっているのか? お前にはほとほと呆れた」
「ごめんなさい」
「謝る相手が違うだろうが」
村瀬部長は俺を見ると、悔しそうに唇を噛みしめる。今まで見下していた相手に頭を下げることを、そんな部長の表情が物語っていた。
「もういい。お前にはほとほと愛想が尽きた。お前は首だ。これ以上面倒は見れない」
「え、そ、そんな。待ってくれよ、おじさん」
「お前におじさんと呼ばれたくない。親戚だと思われるのが恥ずかしいからな」
冷めた目を向けられ、村瀬部長はようやく初めて俺に謝罪の言葉を向けた。
「せ、すまなかった。この通りだ。反省している」
「上っ面だけの薄い謝罪の言葉は結構です。社長、村瀬部長を本当に首にするのですか?」
「ええ。このような人間は手元に置いておけません。放置すれば、いずれ我が社にさらなる悪影響を及ぼすでしょう」
麻野社長が本気だと分かると、俺はある条件を提示した。
「そうですか。であれば私個人の意見ですが、上層部にそのように進言した上で、特許バッテリーの件の白紙は撤回する方向で動きたいと思います。今後、契約について詳しく話を進めていきましょう」
二百五十億という価格は、これ以上ない好条件だ。村瀬部長がいなくなるのなら、麻野社長と契約したい。社長は嬉しそうな顔になったが、村瀬部長は絶望の表情を見せた。
「おい、待てよ。謝ってるじゃないか」
「そうですね。ですが、世の中には謝ったところでどうしようもないことってあるんですよ。一つ勉強になりましたね」
冷めた目を村瀬部長に向ける。目の前の現実をどうすることもできないと悟ったらしい。部長は力なくその場に膝をついた。
麻野社長は迅速に動いてくれた。村瀬部長は解雇となったが、表向きは本人希望の退職だ。あの性格なので転職活動もうまく進まず、アルバイトを掛け持ちして生計を立てているらしい。社内調査で、他の社員や部下にも乱暴な振る舞いをしていたことが明らかになったとも聞いた。
そして中村と作ったバッテリーは、麻野社長の会社と契約することになったのだ。
後日、中村のお見舞いに行き契約金額を伝えると、病院のベッドから転がり落ちそうになった。
「びっくりしすぎて、元気になるところだったぜ」
「是非そうなってほしいな」
病室に明るい笑い声が響く。中村の病状は日に日に良くなっていた。この調子なら退院も間近だろう。無事に退院したら、麻野社長が中村に会いたいと言っていた。その日を楽しみにして、今日も俺は仕事に励んでいる。



