あの日、高級レストランで料理を待っていただけなのに、聞き覚えのある声がしたんだ。「あれ?もしかして。やっぱり、年おじゃん。なんでこんなところにいるの?」振られた元カノだった。しかもよりによって婚約者を連れて。彼女は人の不幸を楽しそうに掘り返してきた。「聞いたわよ。私に振られた後、親が死んで大学も中退したそうじゃない?借金まめなんでしょ?あんたみたいな貧乏人が来るようなお店じゃないわよ。目障り…

あの日、高級レストランで料理を待っていただけなのに、聞き覚えのある声がしたんだ。「あれ?もしかして。やっぱり、年おじゃん。なんでこんなところにいるの?」振られた元カノだった。しかもよりによって婚約者を連れて。彼女は人の不幸を楽しそうに掘り返してきた。「聞いたわよ。私に振られた後、親が死んで大学も中退したそうじゃない?借金まめなんでしょ?あんたみたいな貧乏人が来るようなお店じゃないわよ。目障り...

振られた後、親が死んで大学も中退したそうじゃないか。高級レストランで再会した元カノは、人の辛い過去を実に楽しそうに掘り返した。借金まみれなんでしょ?あんたみたいな貧乏人が来るようなお店じゃないわよ。目障りだから出ていってよ。店や他のお客さんへの迷惑も考えず、大声で暴言を吐く。時期社長という自慢の婚約者と共に、ただひたすらに僕をけなし続けた。ところが――振ってくれてありがとうございました。彼の魅力が分からないなんて。あなた、センス悪いですね。そこへ戻ってきた俺の彼女の登場によって、元カノと婚約者は立場を失うことになった。

僕の名前は伊藤年。飲食店で働いている。飲食店にはいつもいろんなお客さんが来てくれて、僕はお客さんたちとコミュニケーションを取るのが好きだ。今日も美味しかったよ。ありがとうございます。また是非いらしてください。就職おめでとうございます。その日は弟の就職が決まったという四人家族が店に来てくれていた。日常的に来店してくれるのもとても嬉しいが、家族にとって特別な日に足を運んでくれるのもまたとても嬉しい気持ちになる。その家族の微笑ましい姿を見て、僕は自分の家族と重ねてしまっていた。僕にも年の近い弟がいて、四人家族だった。学生時代は結構学業優秀で、日本で知らない人はいないっていうくらいの有名大学に二人とも通っていたのだ。金持ちとまではいかなかったが、二人の息子を四年制の大学に通わせられるくらいには恵まれた環境で育ててくれていた。

そんな環境で育った僕はと言えば、周りからもやたらと真面目だと言われていた。だからついには自分でも真面目なんだろうと自覚するようになった。授業をサボるなんてことは一度もなかったし、いつかの就職で役に立つだろうとレストランでもアルバイトをしていたのだ。ホールにキッチンと学ぶ要素がたくさんあることと、何よりもコミュニケーション能力が鍛えられると思ってそのレストランを選んだ。年上の人が多かったのもあり、厳しくも優しく指導してもらえたし、インターンシップに行っても高評価を得られた。

今週の土曜日、どうしても受けたい試験があってシフトを変わってもらえないかな。そう相談してくるのは、唯一の同い年、木下英子だ。彼女はとても勉強熱心で親しみやすい性格の人物だ。唯一の同い年が彼女で本当に良かったと思うし、シフトを変わって欲しい理由が真面目すぎるところが面白かった。もちろんいいよ。試験頑張ってきて。ありがとう。英子ちゃんも試験があったら遠慮なく言ってね。僕も同じく就活に有利な試験を受けていることを知っていたからこそ、こんな会話が生まれるのが心地よかった。土曜日は基本バイト以外は暇をしていた。彼女のゆかりとのデートは日曜日が固定だったからだ。

日曜日に会えたら一週間頑張れる気がする。付き合ってすぐの頃にこう言っていたのを聞いたら、もうそれは日曜日に会うしかないじゃないかと思った。ゆかりの考えはごもっともで、実際日曜日に会うようになってから次の一週間がとにかくバラ色の気分だったのだ。お待たせ、と駆け寄ってくるゆかりの姿はとても美しくて可愛くて、この瞬間が楽しみで待ち合わせより一時間早くついてしまったりもしていた。ゆかりは同じ大学に通う同級生だったが学科が違うためキャンパスそのものが違った。そのため学校に行っても会うことはなかった。そんな彼女とは友人の紹介で知り合い、すぐに意気投合して付き合い出した。日頃お互いに学業にバイトと忙しく過ごしているだけに、日曜日のデートは本当に幸せな時間だった。

だが、そんな幸せな日々も崩れ去る時は一瞬だ。半年経った頃、ゆかりの浮気が発覚した。ゆかりの写真を見せていた僕の友人が、街中でゆかりが別の男性と腕を組んで歩いていたと言ってきたのである。あなた、真面目すぎるんだもん。つまんなくて嫌だったの。え、日曜に会ってばかりだし、話も真面目すぎるから冗談の一つも楽しめないし。まあ、単純に飽きたんだよ。ふん。じゃあね。否定されると思っていたにも関わらず、ゆかりはあっさりと認めて、これまで我慢していたのかと思うような数々の発言をして、何の戸惑いもなく去っていった。真面目がゆえに嫌われるのはこれが初めてだったから、僕はひどく落ち込んだ覚えがある。しかも浮気相手はイケメンの金持ちだったようだ。ひとしきり泣いたが、泣いていられないと一層勉学に取り組んだ。辛いことにはいいことがあると信じていたからだ。

でも現実はそんなシナリオみたいな展開は生まれない。その直後に両親が踏切内の交通事故で亡くなったのである。運転していた父が突然発作を起こし、ハンドル操作を誤った。そのまま踏切内の溝に車がはまってしまい、事故が起きてしまったのだ。過失というのはとても現実的にできていて、悲しんでいる暇もなく鉄道会社からの多額の賠償金が降りかかってきた。返済と弟との暮らしをどうにかしていくためには働くしかなかった。大学に行っている場合でもないし、その時間があるなら一円でも稼ぎたいと、僕は大学を中退した。憔悴しきっていた僕を心配してくれたバイト先のオーナーが話を聞いてくれて、正社員としての採用を提案してくれたのは本当にありがたかった。こんなに真面目で信頼して仕事を任せられるバイトの子は君と英子ちゃんぐらいだからな。真面目で嫌われても、真面目で得することもあるもんだと思った。ゆっくりと就活をしている場合でもなかったし、何よりオーナーの気持ちが嬉しかったから、僕は二つ返事で承諾した。

オーナーはフランチャイズで多くの店舗を経営していたらしく、僕はこれまで働いていた店舗ではない場所の社員から勤務がスタートしたのだ。バイトとは違って仕事に責任が重くのしかかるし、業務の多さに疲労感に満ち溢れる日がほとんどだったが、それでも懸命に働いた。働いた給料のほとんどが賠償金の返済に消えていって、少しの贅沢も許されなかったのがかなりの苦痛に感じていたのを覚えている。その時に支えてくれたのが英子だった。これ食べて。え、これ作ってくれたの?うん。だってなんかどんどん痩せてる気がしたから。食べないと馬力出ないよ。しっかり食べること。食事を削って仕事していた僕を心配して、わざわざ手料理を持ってきてくれたり、簡単にできる料理を教えてくれたりしていた。英子はキッチンを担当していたから手際もピカイチに良くて、料理も確別に美味しい。なんでそんなに優しくしてくれるの?疲れすぎて思考止まってるんじゃない?好きな彼氏だからだよ。僕たちはいつしか付き合っていた。こんな巨額の賠償金を背負った僕を、これまでと変わらないように接してくれていたし、実際付き合うことになった時も、それと好きな気持ちは関係ないから、と言い放っていた。何としてでも早く返済して彼女と一緒に過ごしていきたいと思うようになっていたのだ。

とにかく必死に働いた。日が経てば、大学を中退して十年近い月日が流れていたが、おかげで昇格してかなり高いポジションの仕事を任せてもらえるようになった。なんか緊張しちゃうね。本当なんだよ、この高級感。その日、僕と英子は記念日のお祝いと勉強を兼ねて高級レストランに足を運んでいた。雑誌やメディアでもなかなか予約が取れないと話題になっている、とても有名なレストランだ。自分が勤めているレストランもそこそこ高級な雰囲気であることを自負していたが、訪れたレストランはやはり毎日のように取り上げられるだけあると思うような高級感を漂わせていた。二人で歩きながらも、どんな料理が食べられるのかとワクワクする。どんな料理を提供するお店なのかという点に重きを置いていたから、雰囲気に飲まれるとかそういうのは全く関係なかった。あ、ごめん。仕事の連絡入ったから、ちょっと電話してくる。僕自身も休みの日に店から電話がかかってくるように、英子にとっても休みが休みとしてあまり機能していなかった。英子を送り出して一人になると、ひときわ緊張感が強く感じられる。

あれ?もしかして。突然聞き覚えのある声で声をかけられた。やっぱり、年おじゃん。なんでこんなところにいるの?声の方に振り向くと、ブランド物で身を固めたゆかりがおかしそうに笑って立っていた。高級レストランであることお構いなしな勢いで話しかけてくる。そんなゆかりを見て、ああ、落ち込んだけどこの人と別れてよかった、と心から思った。誰?この人。あーん。ほら、真面目すぎてつまらない人がいたって言ってたでしょ。その張本人。ああ、あの人か。実際会えると思ってなかったよ。どうも。人を天然記念物みたいに紹介するなよと内心腹が立ったが、ここで怒りを露わにしてしまったらゆかりと同じになってしまう。僕は美味しい料理を食べに来たんだ、と心で唱え続けて怒りをそこに沈めた。どうも、と簡単な挨拶だけ返して、もうあなたには興味ありませんといった雰囲気を醸し出したのだが、ゆかりには全く響いていないようだった。この人が私の婚約者なの。あの有名なレストランチェーンの食材調達を任されている会社の時期社長なのよ。年お、今仕事何してんのよ?レストラン経営。え、あんたがレストラン経営してるの?食堂みたいなとこなんじゃない?そうだね。彼にごま擦っといたら、あんたんとこにはもったいないぐらいの食材でも提供してくれるかもよ。黙っておけば言いたい放題だ。言ってくだされば何度かしますよ。婚約者という彼も、ゆかりの言葉に乗せられるがままに僕を見下した態度で接する辺りが腹が立つ。てか、あんたがここにいるの?聞いたわよ。私に振られた後、親が死んで大学も中退したそうじゃない?人の辛い過去を実に楽しそうに言うとは、人として神経がどうかしているんじゃないだろうか。借金まみれなんでしょ。あんたみたいな貧乏人が来るようなお店じゃないわよ。目障りだから出ていってよ。ゆかりの中での僕は当時のままのイメージで止まっているのだろう。暴言を吐きながら店からも追い出そうとする姿にもはや恐怖さえ感じられた。

ごめん、お待たせ。結構長引いちゃった。仕事の連絡を終えて戻ってきた英子を見たゆかりは、さらに高らかに笑い出す。僕はとても嫌な予感がして、その予感は数秒後、見事に的中したのである。え、あなた彼女さん?待って。こんな貧乏人に選ぶとかチョイス悪すぎるでしょう。目悪いんじゃない?突然のゆかりの攻撃に、英子は何事かと目を見開いていた。だが、それと同じくして目を見開いている人物がもう一人いたのを、僕は見逃さなかった。ゆかり、ゆかり、だめだ。起きすぎるわ。早く別れた方があなたにとってもいいと思うんだけど。婚約者の声に全く聞く耳を持っていない。ゆかりの暴言は止まらない。だめだって。おい。でもまあ揃ってみると、貧乏そうな雰囲気が似ているからいいのかな。あんまり口出ししない方がいいわよね。いい加減にしろ。婚約者が突然大きな声を出して、ゆかりもだが僕も英子も、他の客たちもみんなドキッとした様子だった。何よ、こんなレストランでそんな大声出すなんて。これまで大きな声で散々喋っていたのを棚に上げて、よく言えるなと思いながら婚約者の方を見てみると、全身から血の気が引いたように真っ白になっている。この方はあの有名な料理研究家だぞ。ゆかりも動画見てただろう。あの、ちょっとあんまり大きな声で言わないでもらえますか?英子が困ったように注意する。そう。英子はアルバイトで料理に目覚めて、そのまま料理研究家になっていた。今や知らない人はいないのではないかと思うほどで、動画投稿サイトに料理動画を載せれば百万回再生なんてあっという間な状態になっているのだ。動画はどれも少しの工夫で簡単に美味しく作れるものばかりにしていたこともあり、老若問わず人気を集めた。中には学生当時、僕が教えてもらっていたメニューもあったから、僕自身も少し嬉しくなる。そんな彼女をメディアが放っておくわけがなかった。連日テレビや雑誌からの取材対応に追われて、休みが休みじゃない生活を送っていたのだ。僕のいる会社の親会社を経営しているのが、この英子さんのお父様なんだぞ。そんな口の聞き方するな。え、そうなの?え、じゃあだいぶやばくない?小声で言っているつもりなのだろうが、動揺しているのかこちらにも思いっきり聞こえてくる大きさで話している二人が滑稽すぎて、笑いそうになってしまう。そういえばさっき彼にかなりひどいこと言ってたようなんだけど、あれはどういうつもりなの?え?聞いてたの?僕がゆかりと婚約者にボロクソに言われているのを聞かれていたのかと思うと、急に恥ずかしい気持ちになった。彼女の前ではかっこいい自分でいたかったのにと、悔しい気持ちにもなる。遠目から見てもこの方の身分は分かったから、いつ登場して驚かせようかって見計っていたのよ。ね、どういうつもりなの?あ、いや、それはですね、その、な、何というか、ほんの出来心でと言いますか?出来心、いい年してそんな言い方が通用すると思っているんですか?英子はこれまで聞いたことがないような冷静な口調で諭し始める。父にも報告して、今後の取引を考えさせてもらいます。そんな、本当に申し訳ございませんでした。もう行くぞ。婚約者は絶望感溢れる表情をして、逃げ去るように店を後にする。ゆかりはせっかく来たのにと駄々をこねている様子だった。彼の魅力が分からないなんて。あなた、センス悪いですね。婚約者に無理やり連れ帰らされるまで、英子がゆかりに言った言葉は、恥ずかしくもとても嬉しかった。よほど悔しかったのか、ゆかりも逃げるようにその場を後にした。そして僕たちは、再び静かになった店内で美味しい料理について語り合いながら、楽しい時間に没頭したのだった。

それから数日後、驚きのニュースが飛び込んできた。ゆかりの婚約者が会社の金を使い込んでいたという容疑で逮捕されたのだという。英子が父に報告して、父が婚約者の会社に話をしたことで、これまでのことを徹底的に調べ上げられ、発覚したことらしい。さらに驚くべきことに、ゆかりは会社の資金で必要だからと婚約者に言われ、多額の借金をしていたのだそうだ。社長になったら全て返ってくるからという都合のいい言葉にまんまと乗せられたせいで、今や朝から深夜まで時間問わず働いて返済に追われているのだという。一度だけ助けて欲しいと電話がかかってきたが、僕は遠慮なく断った。気の毒と知られたが、そこまで義理立てする必要はない。

一方、僕たちはと言うと、僕の借金返済も無事に終わり、正式に英子と婚約することができた。義両親に挨拶に行く時はとても緊張したが、僕がお世話になっているオーナーが元々義父の部下だったらしく、オーナーから僕の話を聞いて信頼を寄せていたのだという。僕は何度もオーナーに人生救われているなと噛みしめた。さらには義父から、うちの会社で働かないかと提案までしてもらえた。義父の会社は食品業界で知らない人はいない超大手企業である。仕事でもっと多くの人たちを笑顔にしたいと思っていた僕は、二つ返事でお願いして、結婚から一年後に副社長に就任した。覚えることが膨大すぎて大変ではあるが、毎日充実している。さらに僕と英子の間に新しい命も授かったのだ。

言ってらっしゃい。気をつけてね。朝、いつも英子は送り出してくれる。この言葉を聞くと、早く仕事になれて早く家に帰ってくるようになろうと頑張る力になるのだ。うん。行ってくる。今日の晩御飯は、年おの好きな煮込みハンバーグ作るつもりだから。え、そうなの?もう爆速で帰ってくるから、行ってきます。これ以上ない幸せを噛みしめながら、僕は今日もドアを開けて仕事に行くのだった。

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