義姉が家の鍵を勝手に交換し、私に向かって「この家は私がもらうから、全部置いて出ていけ」と言い放った。夫が交通事故で亡くなって、まだ一週間しか経っていない。なのに彼女は、私の家を我が物顔で占拠していた。この家は、私と夫が二十年かけて築いてきたものだ。妊活を二年続けて、やっと授かった命も私のお腹の中にいる。でも義姉は「もう旦那さんもいないんだから、あんた一人で住むには広すぎるでしょ」と笑った。私…

義姉が家の鍵を勝手に交換し、私に向かって「この家は私がもらうから、全部置いて出ていけ」と言い放った。夫が交通事故で亡くなって、まだ一週間しか経っていない。なのに彼女は、私の家を我が物顔で占拠していた。この家は、私と夫が二十年かけて築いてきたものだ。妊活を二年続けて、やっと授かった命も私のお腹の中にいる。でも義姉は「もう旦那さんもいないんだから、あんた一人で住むには広すぎるでしょ」と笑った。私...

この家は私がもらうから、全部置いて出ていけ。兄嫁の言葉に私は耳を疑った。夫が亡くなってから、彼女たちは好き放題に振る舞っている。ここは私と夫が一緒に選んだ家だ。嫌だと訴えても、彼女たちは聞く耳を持たない。私が抵抗したところで、きっと何も変わらないだろう。そう思った私は、諦めて言われた通りにすることにした。わかりました。出ていきますわ。

私の名前は上田みさき。夫は若くして父の会社を継いだ若社長だった。会社は誰もが知る大手企業で、社員の数も桁違いに多い。私は夫が社長になるタイミングでちょうど秘書となり、一番近い存在としてお互いを知ることになった。辛い時は互いに支え合ううちに、私たちは惹かれ合い、交際を始めた。社内では私たちの関係は周知の事実となり、仕事でも成果を上げていたから、憧れの存在として見られていた。2年後、私たちは結婚した。プロポーズされた瞬間は、世界で一番幸せだった。結婚後も夫との関係は良好で、私は秘書をやめて専業主婦として家庭を支える道を選んだ

結婚して今年で二十年目になる。来週の結婚記念日に向けて、私たちは旅行を計画している。毎日夫と一緒に過ごせるのが、本当に楽しい。ただ一つだけ、問題があった

私の実家には兄が一人いる。父は運転手として働き、母は体が弱っていて働ける状態ではない。兄は高校卒業後、大学には行かずそのまま就職した。私は両親に頼らず、アルバイトで稼いだ金で大学に通い、卒業後に就職した。その時に就職したのが、夫の会社の秘書だった。給料はとても良く、家に送る分を除いても貯金ができたが、私はほとんど自分のためには使わなかった。それを知っている兄は、私に金をせびり、私が両親に送った金の一部も、いつの間にか兄の手に渡っていた。兄は怒ると止まらない人間だったので、私は面倒になって何も言わずにいた。本当は両親に兄へ渡してほしくなかったが、両親もおそらく面倒なのだろう。昔から兄に対して良い思い出はなく、私の物は俺の物と言わんばかりに、いろいろと取り上げられた

兄は現在も仕事はしているらしいが、両親曰く、ギャンブルにのめり込んでいて、大金を使っているらしい。競馬にパチンコに宝くじと、見境なくやっているようだ

そんな困った兄を持った私は、結婚後も兄に金を渡し続けていた。たまに夫にも金をせびっているらしく、それは本当にやめてほしかった。私は毎日、兄のことで頭を痛めていた

だが、さらに困るのは兄嫁だった。うちは夫が社長ということもあってタワーマンションを購入し、家具も会社関係の人間が来ることを考えて、それなりの良い物を使っている。タワーマンションを買ったのは、これから生まれてくる子供のためだった。私には妊娠しにくい体質があり、妊活を二年続けて、最近ようやく子供を授かった。そのため通院で家を空けることも多かったのだが、家を出る前から、兄嫁は義理の姉として私の家に入り浸っているのだ。来るのは別に構わないが、部屋は散らかし放題で、私を召使いのように扱う

姉さん、お腹空いたから何か買ってきて。この後病院だから、もう家を出るわよ。じゃあ出前でいいわ。この兄嫁は、家に来ている時、自分から何かをしようとも、金を出そうともしない。全て私がやらなければならないということだ

兄に相談しても、期待はしていなかったが、大した返事はもらえない。俺の嫁のわがままだから、聞いてやれよ。金は有り余ってるだろ。たくさん稼いでるとはいえ、これはこれっていう話だ

私は時々、兄嫁に強く出ることもあったが、その時は「だるい」と私から金を巻き上げ、兄嫁もギャンブルに行く。兄が彼女と結婚して一年半、もうこの感じがずっと続いていることに、正直私はかなり疲れていた।夫にも相談し、夫は私の両親と話し合ってくれているらしいが、話を聞かない分、おそらく進展はないのだろう。私はお腹の子が生まれてくる前に、何とかしなければならないと毎日考えていた

確かに贅沢な暮らしは誰でも憧れるだろう。だが、いくら金があっても、使い方を間違えてはいけない。他人の金でギャンブルに行くのは、せめてやめてほしいと日々願った

そんな毎日のストレスと妊娠の影響で、体調が優れない日はたまにあり、辛かった。家にいるのもストレスに感じてきた私は、たまに家から逃げ出して、夫の会社の仕事を手伝うことにしていた。書類など座り仕事しかできないが、仕事を手伝っている時が、私は一番気持ちが楽だった

この時の私は、これから兄嫁たちがもっとひどくなるなんて、思いもしなかった

結婚記念日当日、この日は夫が仕事なので、二人で夜景の見える高級レストランに食事に行く約束をしており、私は用意を早めに終わらせた。明日からは少し遅めの昼ごろから、少し遠い場所の良い旅館に、二泊三日する予定だ。私はとても楽しみにしていて、服も慎重に選び、今日は美容室で髪をセットしてもらっている。四十五歳だけど、いつまでも夫に綺麗だと言われる妻でいたいと思っている。当然のように兄嫁もついて来て、私の金で綺麗にしてもらっていたが、そんなことは何とも思っていなかった

今日は帰りが遅くなるだろうと、明日の準備も確認し、忘れ物がないかチェックする。夫の分もあるので結構大変だが、旅館もとても楽しみだ

予定の時間が過ぎたが、夫は帰ってこず、連絡もない。仕事が押しているのだろう。私は夫からの連絡を待つが、一向に来る気配がない。会社に連絡を入れようと、私が携帯を手に取った瞬間、私の携帯が鳴った。その番号は私が登録していない番号で、どうやら市外局かららしい。誰だろうと電話に出てみた

もしもし、上田です。順也さんの奥様ですか?すぐに病院にいらしてください。私の携帯にかかってきたのは、まさかの病院だった。病院側が夫の名前を出したということは、夫に何かあったに違いない。私は急いで必要な物を持って、タクシーを呼び、病院へ向かった

私が呼ばれたのは、手術室の前だった。着いた時、先生は診察室に私を呼び、話を聞いた。夫は仕事の帰り道で、信号無視で突っ込んできた車と衝突したらしい。それで夫は重症を負い、現在は手術中。意識がなく、助かるかもわからないので、覚悟してほしいと先生に言われた

突然のことで、私の頭は理解が全くできていなかった。夫が事故にあったと聞いてから、私はパニック状態で、正直どうしていたかあまり覚えていない。私は手術室の前でひたすら泣きながら願った。順也、お願い、生きて。お願い

手術開始から四時間が経ち、手術室の扉が開いて先生が出てきた。「最善を尽くしましたが、申し訳ございません。」四時間戦った夫は、そのまま帰らぬ人となってしまった。私は声を枯らして、思いっきり泣いた。静かで薄暗い病院の廊下に、私の泣き声が響き渡った。この時、私は夫との思い出が頭に流れていて、看護師さんが慰めてくれているが、それすらも耳に入ってこなかった

その後すぐに義母も到着し、義母も私の胸で泣いていた。すると一人の男性の先生が、花束を持って私の元へやってくる。「あの、奥さんですよね。これ、旦那様を運ぶ時に、渡して欲しいと言われたものです。”先生の話では、救急車が到着した時はまだ意識があったらしく、その時に車にお花があるから持ってきて欲しいと言ったそうだ”。夫はその花束を妻に必ず渡して欲しいと言って、意識がなくなったらしい。その花束は事故の衝撃で少し折れているものや花びらが取れてしまった部分があったが、それでも綺麗なバラの花束だった

そのバラの花束に埋もれて、一通の手紙がある。“みさき、20年そばにいてくれてありがとう。いつも感謝しているよ。これからもよろしく。”手紙を読んで、私はそれを抱きしめて、さらに泣いた

この日の夜、義母も一緒に私のそばにいてくれたが、心は晴れない。夫を失くして初めて過ごす夜は、私には耐えられなくて、一瞬も眠れなかった。その気持ちは朝を迎えても晴れることはなく、だが義母に“妊婦でしょ”と注意され、さすがに少しでも寝ることにした

寝て起きた時、私のお腹を蹴られたような気がした。このお腹の子は、夫との子供で、これから生まれてこようとしている。“お母さん、しっかりして”と言わんばかりに、お腹を蹴ったのだろう。だから私は、この子を守り抜いて、強く生きていこうと、夫に誓うようにつぶやいた。冷たい水で顔を洗い、泣きすぎてひどくなった顔を整えた

数日後、親族で話し合い、段取りも決めて、夫の葬儀が開かれた。もちろんその場には親族だけではなく、会社の関係者や取引先の上層部の方々、多くの方が来られた。みんなが夫の死を悼む中、一人だけ異質な人がいる

「葬儀の時は黒い喪服じゃないといけないなんて、時代遅れよ」兄嫁は、みんなが黒い衣装を身につけているのにも関わらず、パーティーかと思うほど派手なドレスをまとっている。注目を浴びてはいるが、彼女を見て引いている者は多数いた。だが彼女はそんな視線なんて気にしない。兄嫁は、旦那がいるのにも関わらず、取引先の社長たちに媚び始めた。お金目当てなのは、もう誰の目にも明らかだった

そして葬儀が落ち着いた頃、“親族だけの大切な話がある”と義母に呼び出された。内容は、夫の保険金についてだった。義母は“突然一人になってしまった私が全て受け取るべきだ”と言ってくれるが、他の親族たちは“少しでも周りに配るべきだ”という。そんな話に、兄嫁と兄も参加してきた

“兄さんの保険金は、長男である私の兄に渡すべきじゃない”と兄嫁が言い出した。自分ももらえることから言っているのだろう。それに“あんたにはまだまだ有り余っている貯金もあるだろうし、もらっても意味ないわ”とまで言った

私は兄嫁の考えにため息をこぼし、彼女に目を向けた。「どういう理由であれ、あなたたちにお布金が渡ることは一切ないわ。それに、葬儀に来たとは思えない格好ね。”私がそう言い放つと、周りの親族たちは兄夫婦を見て冷ややかな視線を送った。その視線に、兄はその場に居づらくなり、さっさとどこかへ行ってしまった。兄嫁は今日が初めて顔を合わせる親族も多かっただろうが、第一印象はもう地にまで落ちていた

「何よ!」兄嫁は怒りを態度に出し、顔を真っ赤にして出ていった。その様子を見て、いつもこき使われてばかりだが、今日は一矢報いたと思い、少しだけ気分が晴れた。これで何でもかんでも思い通りになるという考えはなくなってくれたらいいのだが

そう思っていたが、そんな考えは現実になることはなく、事態はエスカレートしていった

保険金についてはまた後日話すことになり、そのまま数日が過ぎた。あの葬儀で兄嫁に強く出てから、兄嫁はぱったりと来なくなった。おそらく私に腹を立てて、ギャンブルに入り浸っているのだろう。一週間、兄嫁と顔を合わせることもなく、一人でのんびり過ごすのは、とても久しぶりだった

私はその日、義母の家に行かなくてはならない用事があり、家を出た。義母の元で用事を済ませた後、私はそのまま買い物をして家に帰ることにした。だが家の近くまで来た時、家の明かりがついていることに気づいた。“泥棒かもしれない”と思い、私の手には汗が滲んでいた。頭は冷静で、携帯で録音だけはつけておくことにして、鍵を開けようと差し込んだ。だが、なぜか鍵がはまらなかった。何度も鍵が合っているか確認し、何回試しても差し込めない。私はインターホンを鳴らすと、インターホンから兄嫁の声が聞こえてきた

「何してるの?開けなさい。」だるそうな声で返事をして、兄嫁は扉を開けた。明らかに部屋着の彼女は、玄関に立つ私を鋭い目つきで睨んだ。鍵を変えたのは、今日私が義母の家に向かっている間に、私が出ていくのを待って、その間に変えたらしい

そして彼女は私に向かって、信じられない言葉を吐いた。“この家は私がもらうから、全部置いて出ていけ。”正直耳を疑った私は、兄嫁に抗議した。だが帰ってくる言葉は、私が聞いた言葉と全く同じだった。「ここは私と夫の家よ。あなたが出ていきなさい。「もう旦那さんもいないんだから。」あんた一人で住むには広そうだし、私がもらってあげるって言ってるの。”かなり強気の彼女だが、私はこの会話も全て録音していることを思い出した。このまま抵抗しても、私の方が弱くて負けてしまうだろう。だからこそ今は引いて、この録音を手に、何か法的にさばけるのではないか。そう思って、私は抵抗することなく従うことにした

「そこまで言うなら、分かったわ。」私はそのまま出ていき、もう一度義母に連絡を取ると、義母は快く私を受け入れてくれた。私は義母に先ほど起こったことを一部始終話し、取っていた録音も聞いてもらう

「こんなの、窃盗犯と一緒じゃないの?」義母の言う通り、これは窃盗と一緒の行為だ。それに、こんなことをされたら誰だって精神的に辛くなってくるので、慰謝料をもらえる。警察と弁護士に連絡した方がいいだろうと、義母はアドバイスをくれた

アドバイス通りに、私は明日の朝一で動くことに決めた。“辛いね”と義母は私を抱きしめてくれて、その優しさが心に沁みて、少しだけ泣きそうになってしまう。兄に関しては、本当にずっと辛いのは変わらない。だが今回は、家まで彼女に取られ、完全に疲れきっていた。さらに妊婦から家を取り上げるなんて、信じられない話だ。私は抱きしめてくれる義母の背中に手を回して、ぎゅっと抱きしめ返した

しばらくして、義母が私から身を離すと、真剣な表情で私の顔を見つめる「そういえば、お元金の話だけど、やっぱりみさきさんにもらって欲しくて、順也もそれを望んでいるの。」そう言うと義母は、私に一通の茶色い封筒を渡してきた。その封筒の中身には、手紙が入っている。少し目を通してすぐに分かった。これは夫の字だと、目が涙で滲んだ

その手紙に書いてあった内容は、“もし自分がいなくなってしまった時のための遺書”だった。彼は社長だからというのもあり、いつ何があるか分からないのを想定して書いたのだろう。内容は、私へのメッセージと、保険金や自分の貯金などはみさきと生まれてくる子供に渡すこと。そして会社については、もし自分がいなくなれば私が働くことになるかもしれないが、その時は自分の会社を継いで、私が社長になって欲しいというメッセージだった。子供のこともあるだろうから、その時はきちんと休暇を取り、信頼できる社員に任せておけばいいと書いてある

私は会社に関しては“すぐに引き継ぎます”とは返事はできないが、夫の仕事をずっと一番近くで見ていたのだから、できないことはないと思った。だがこの手紙を読めば読むほど、夫が近くにいる気がして、私はしばらく涙を流した

感情が落ち着いてから、義母には保険金のことは承諾したが、会社のことは少し考えさせて欲しいと返事をした。“しばらくはcompanyを預かるわ”と義母が言ってくれたので、お言葉に甘え、私は布団に早く入って、そのまま眠りに着いた

翌日、私は義母のアドバイス通りに、弁護士に連絡を入れて法律事務所に向かい、警察署にも向かった。ネットで一応調べてあったが、記載されていた通り窃盗としての扱いとなり、弁護士側も慰謝料を取れると言ってくれた。そのためその日に、私は全ての手続きを終わらせて、一日でやったやり取りを義母にもしっかり共有した。そして、先日あったことはもう他の親族にも知らせてある。もちろん自分の両親にも話をしたのだが、両親は“兄がもう何をしても、俺たちは知らないから”と諦めている様子だった

数日後、私の携帯に警察から連絡が来る“私たちは今からあなたの住んでいた家にお邪魔しますが、大丈夫でしょうか?”私は即座に承諾し、警察が兄嫁の元へ向かうことになった。私も一応来てほしいと言われたので、家の近くまで向かい、途中に止めてあった警察のパトカーの中で待つことになった

警察がインターホンを鳴らし、ドアを叩く。“警察の者です。”“窃盗の容疑であなたを逮捕します。”“え、ちょっと待って。”さすがの兄嫁も警察には反抗できないようで、ただ何も言えずに、真っ赤になった顔で連れて行かれた。兄も共犯ということで、一緒に連れて行かれる。あんなに真っ赤になった兄の顔は、見たことがない。“なんだか、その様子を見て私の心は少しだけすっきりしていた

その後、警察も弁護士も話を進めてくれて、無事に私は家に帰れることになった。兄と兄嫁は、私の家を奪う前日に、借りていたアパートを滞納で追い出されたらしく、そのため強引に私の家を奪ったらしい。理由がどうあれ、やってはいけないことをやってはいけないと分かるべきだと思う。あの人たちは、悪いことが悪いと理解していない。この警察に捕まった一件で、さすがに彼女たちも心を入れ替えるだろう。もちろん今後彼らは、私に慰謝料を払わなくてはいけない。それも罪の償いとして、受け入れてほしい

私はやっとタワーマンションの自分の家に帰り、一息つくと、義母に連絡した「もしもし、お母さん。」“私、夫の会社を継ごうと思います。”夫が今まで守ってきた大切な会社なので”

そうなのね、“順也もきっと天国で喜んでいるわ。”私は今まで頑張って、社長として夫が守り抜いてきた会社を継ぐことを心に決めた。それは今、私が夫のためにできることだと思えたからだ

心に誓うと、帰ってきてからやり忘れたことがあることに気づいた。“おかえり。”夫の写真の前に行き、ただいまと微笑んだ

私の名前はカナ。夫と義両親と同居している専業主婦です。結婚の挨拶に行った時、“結婚するのであれば、夫は長男なので同居してもらうことになる”と言われた。挨拶に行った時は、とても穏やかな義両親で、優しく親切だったので、同居してもきっとうまくやっていけると思っていた。そのため同居を承諾したのだが、早々に後悔することになる

最初は挨拶の時と変わらず、とても親切だった。だが二ヶ月が経過した頃、義母が“ちょっとカナさん、あなたパートタイムなのに、家事全然できないじゃないの”と突然私を攻撃するようになってきたのだ。今まで優しかった義母がいきなり変貌して、私はとても驚いた

“ただ今日は機嫌が悪いだけかもしれない。”そう思い、私は“すみません、気をつけますね”と明るく返した。しかし“あんたは家政婦なんだからさ。家事もできないんだったら、居場所はないからね。”と言い残し、義母はリビングを出ていった

“え、今、家政婦って言われた?”私は戸惑った。なぜそんなことを言われなきゃいけないのか。そして、なぜ急に態度が変わったのか。夫が帰ってきて、今日あった出来事を話した。“虫の居所が悪かっただけだよ”と気にしなくていいと言われたが、気にしないわけにもいかない。だって家政婦って言われたんだもの。嫁に来たのは確かだが、家政婦をするつもりは私にはない。でも今までの義母の様子を見ていれば、確かに虫の居所が悪かっただけで、また優しい義母に戻るかもしれない。希望はまだ捨てられなかった

そしてその日の晩御飯、リビングで私たち夫婦と義両親が一緒にご飯を食べようと座ろうとすると“あなた、何座ろうとしてるの?家政婦は、準備。”また家政婦と言われた。すると義父も“お母さん、やっと家政婦ってことを伝えてくれたんだな。“今までめんどくさかったから助かるよ”と意味不明な発言。夫も理解ができていない様子。“父さんも母さんも、何言ってるんだ?カナは俺の妻だぞ。”私を庇ってくれたのだが、義両親は笑いながら“パート勤務で大した稼ぎもないのに、家に置いてあげてるのよ。“家政婦として、家事で貢献できないでしょ。”“そうだぞ。“生産性のない女を家に置いてやってるだけでも、感謝しろ。”と言ってきた

夫は義両親が私を見下していることに気づいたようだった。“怒ってくれるのかな”と思って見ていると“ほどほどにしてあげてね”と言うだけ。はあ。“ほどほどに。”なんで私が家政婦って言われてるのに、なんでそんな呑気でいられるの?私はイライラした

実家に戻り、夫に聞いてみると、“厳しい両親だから、パートっていうのが気に入らないのかもな”と呑気なことを言っている旦那. パート言ったって、私は反抗しようと思いましたが、やめました。とりあえず今は黙っていよう

それからも、義両親からの攻撃は続いた。毎日のように“パートなんだから、稼がないんだから、誰のおかげでご飯食べてるのよ”などなど、毎日のようにいびられて、私も限界に達していた。夫に相談しても“うちの両親は厳しいから”としか言わず、私を庇うことは一度もなかった

ある日、家に帰るといきなり私の前に箒が投げられた。そこに仁王立ちしているのが義母。“おい、かあさん、俺は朝方、庭の掃除をはけと言ったよな。”確かに言われましたが、今仕事から帰ってきましたので、“これからお前は家政婦だぞ。”家政婦のくせに、パートなんていう中途半端な仕事を優先してるのか。“はあ。またパートについて言ってるのね。”すると義母は“任された仕事もできないなら、あんたなんていらないわよ。“あんたがいなくても、困らないんだから。”と言ってくる。私が黙り込んでいると、義父が“家政婦なら、黙ってないで謝罪の言葉を述べて、仕事を始めろ。”私はむかついたので、何も言わず黙っていた

すると“火星が吹いかだな。もう出てけ。“ご主人様の言うことを聞けないんだったら、さっさと出てけ。”ほほう。“ご主人様ね。”分かりましたよ。“では、遠慮なく出ていきますね。”私も我慢の限界です。“お宅の息子さんも、私のこと、庇うこともないので、もう離婚して出ていきます。”すると義両親は手を叩いて喜び、“出てけ、出てけ”と笑っている

私は荷物をまとめて出ていこうと決めた。荷物をまとめていると、夫が帰ってきた。私が荷物をまとめていることを疑問に思ったようで、“どうした”と聞いてきた。“もう限界。“あなたの両親と過ごすのも嫌だし、庇ってくれないあなたと過ごすのも嫌。“離婚してください。”夫は戸惑っていたが、そこに義両親が入ってきた。“これでまた家族で過ごせるわよ。“あなたのお金を取られることもないから、安心ね。”と義母が笑っている

夫は何も言わず、立ち尽くしている。“ここまで来ても何も言えないのであれば、ここまで。”私はまとめた荷物を持って出ていった。最後に夫にだけ聞こえる声で“困るのは、あなただからね。”ま、これからも頑張って。それだけ言って、私は家を出ました

それからは実家に戻り、いつもと変わらない生活を送っていた。すると一週間後、義母から焦った連絡が来た。“意外と気づくの早かったんだなあ”と思いながらスマホを取ると、“カナさん、お願いだから戻ってきて。”“あらあら。この前とは人が違うようですね。“あれ?私がいなくても困らないんじゃないんですか?”嫌味っぽく伝えると、義母は“今まで家にお金を入れてくれてたのは、あなただったのね”と焦ったように言ってきた

“そうです。今まで、私がお金を入れていたのは私です。”夫は頑張って仕事はしてくれているのだが、給料は少なく、高熱費やその他出費を払えば、全てなくなってしまう。そのため家にお金が入れられないため、私が稼いだお金を義実家に入れていたのだ。私はパートタイムなのだが、色々な会社の経営コンサルタントをしている。そのため、稼ぎはとてもいいんだよ。だが、そんなことを知らない義両親は、私を家政婦扱いし、追い出したのだ

夫も自分の稼ぎも知っているはずだし、お金を入れているのも私だと知っているのにも関わらず、庇うこともないし、離婚にも応じたのだ。“今更何を言ってるのか。“おかしいなあ。”私たちは離婚していますので、戻ることはありませんよ。”電話を切ろうとすると、義母は今の状況を話し出した

“息子の給料だと思っていたことから、いつも通りの生活をしていたら、私が出ていって一週間後、夫の給料日がやってきて、明細を見たらびっくり。”私が家に入れていたお金よりも少なかったのだ。そこで問い詰めると、“私の給料が高かった”と話したそうだ。けれど義両親は、その前にたくさん贅沢をしてしまったため、支払いができないとのことなのだ。だから私を連れ戻して、お金を支払わせようとしてるのだ。“そんなうまい話があるわけないじゃないですか。”そんな話を聞こうが、私は何とも思いませんので、さようなら。それだけ伝え、電話を切った

それから夫からも義父からも、何度も連絡があったが、無視した。無視を続けると、実家まで乗り込んできたが、私の父が撃退してくれた

それからあの家族は、親戚にお金を貸して欲しいと頼み込んでいたようだが、あの性格なので親戚も距離を置いていたようで、お金を貸してくれる人はおらず、銀行にお金を借りたそうだ。借りたお金で支払いをすればいいのに、贅沢のために使えると勘違いした家族は、借りたお金でどんどん欲しいものを買い漁り、またお金がなくなったそうだ

最終的には、闇金にお金を借り、今では夜逃げして、どこにいるかわからないそうだ

私は引き続き、経営コンサルタントを続けている。結婚は失敗してしまったけど、経営は失敗させないよう、これからも支えていこうと思う

私は南。食品会社に務めながら、小学生の男の子を育てるシングルマザーです。元夫の拓也とは、中学校の同窓会で再開して結婚した。交際期間は短かったのだが、中学生の頃はそれなりに親しく、見知らぬ仲ではなかったため、再会した後すぐに籍を入れることにした

今思うと、その人が良い人でも、周りもそうとは限らない。“周りのことをよく知る時間を取る必要があったな”と思います。私も拓也も、収入は高い方ではなく、金銭的な面で結婚しても共働きにしようと、籍を入れる前から決めていた。二人とも一人暮らしの経験があったこともあり、お互いに助け合う気持ちでやろうと、新しい生活は何の問題もなく始まった

しかしある日のこと、拓也が留守で、洗濯や掃除が終わって一息ついていると、電話が鳴った。“拓也の実家からです。”はい。“もしもし。”“もしもし、南ちゃん。“お母さん、帰っていらしたんですね。”どうしたんですか?“お母さんはアクティブな人で、最近も旅行に行った後、従兄弟だとか、とにかく遠い親戚の法事の手伝いで出かけていました。”私こないだ、親戚の法事に行ったでしょう。“そこでね、言われちゃってね”はあ。“そこで気づけばよかったのだが、比較的良好な関係を築いていたこともあり、私は不穏な空気を感じ取れず、なんだか間の抜けた返事をした

“南ちゃん、もうかなり年でしょ?“子供とかどうするのって?“ちゃんと考えてる?ちゃんと毎晩愛し合ってるの?”私は絶句した。確かに夫婦の問題に口を挟んでくる人がいることは知っていたが、まさか自分の義母がそういう人だとは思ってもみなかったのだ。私が黙っていると、“ちょっと話聞いてる?”と義母がせっついてきた。私は我に返って、“あ、あの、それはちゃんと考えていますよ。“二人とも子供は欲しいと思っているので。”と答えた

“そうなのね。“よかった。“ちゃんと色気がないから、今時流行りの偽装結婚なのかと思ってよかったわ。“拓也はちゃんと南ちゃんに反応するのね。”あまりのストレートさに、私は何と言ったら良いのか分からず、黙り込んでしまった。そのことをお母さんは気にした様子がなく、同じような笑いを一通りした後、旅行の話をして電話を切った

私はあまりにショックで、何もやる気が起きず、その日はぼーっと過ごした。帰ってきた拓也に心配され、今日の出来事を話すと、“分かった。“母さんには、ちゃんと言っとく。“本当に悪い。“ごめんな、俺の親が。”“うん。“大丈夫。“ありがとう。”拓也は話をしてくれたのか、それ以降そういった話題が出ることはなかった

あの日の出来事は本当にショックだったが、フォローの仕方も含めて、拓也は本当にいい人で、私は拓也と結婚して良かったと思った

それから数年もしないうちに、私たちは男の子を授かった”“悠也”と名付けたその子は、手のかからない子だった。“できるようになっても同じところを行ったり来たりしたり、同じおもちゃでずっと遊んでいたり、一人遊びの上手な子。”悠也。“そう呼びかけると、顔をこちらに向けて、“ばーばー”とぱっとした笑顔で返事をしてくれる。”悠也は笑顔が上手な子だな。“声をかけたらすぐに振り向いてくれるし、私たちのこともすぐに分かるみたい。”と私と悠也

幸せな家族三人の暮らし。とても楽しく輝いている毎日です。しかし私たち夫婦には、少しだけ暗い影があった。それはやはり、お母さんだった

私たち夫婦に子供ができると、お母さんもお父さんも喜んでくれた。拓也は一人っ子なので、二人にとっては初孫です。私の実家はと言うと、姉がいたことや比較的お下がりが軽い家計らしいことから、“年齢も年齢だから気をつけてね”ぐらいの感覚だったので、自分のことのように喜んでくれることに、少し嬉しく感じていた

特にお母さんの熱の入れようがすごく、妊娠を伝えた直後から“見てベビー服、可愛かったから買ってきちゃった”。“これとってもしっかりしてるベビーカーなんですって。買っておいたわ。“最強に良いらしいから、CDと本を買っておいたの、使ってね。”という感じで、毎週家にやってくるようになった。さすがに拓也も疲れたらしく、“まだ性別も決まったわけじゃないんだから、服とか早いよ。“それにベビーカーとかも、こっちで揃える楽しみとかもあるからさ。”と言うと、“やっとできた初孫なのよ。“これまで黙っててあげたんだから、これぐらいいいじゃない。”と言い返されてしまった

私も少し過剰だとは思っていたが、我が子の誕生をこれほど喜んでくれる人がいるというのも嬉しい話で、なかなか強く出ることはできなかった

しかし悠也が生まれてしばらくした頃、お母さんが妙なことを言い出した。“悠也なんだけどね。“ちょっとぼんやりしすぎてると思うの。“病院で見てもらったらどう?”断るごとに、そんなことを言い始めたのだ。確かに悠也は小さな子にしては落ち着いているが、健康診断も正常で、特にリスクを抱えているということはない。“ぼんやりとしていることについて、医者からも“気になる点は調べましたが、特に問題はなかったので、正確ですかね”と言われている。”そのことを説明しても、“絶対におかしいわ”と一歩も譲らないのだ

悠也のことを可愛がってくれていないわけではないので、拓也も私も意見を言いづらく、モヤモヤとした日々が続いていた。そしてその日がやってきた

その日は、悠也の二歳の誕生日で、お父さんとお母さんを招待してみんなでご飯を食べることになった。悠也がまだ小さいこともあり、外食ではなく自宅での誕生パーティーだ。“誕生日が何か”も理解していない悠也も、両親や祖父母がいることを楽しく思っているようで、ずっとニコニコしている

ご飯になって、行儀の悪い様子を見て、いつもつけている前かけをつけてあげた。“やだ。“まだそんなものつけているの?”まだって、悠也まだ二歳ですよ。”お母さんは何かにつけて悠也の成長が遅れていると指摘してくるので、この日も目くじらを立てて口を出してきた。“ちゃんとしつけをしていれば、できるでしょ。“あなたが甘いから。”“私が甘いから。”そう言われると、私は何も言い返すことができない。すると拓也が“いや、甘いっていうか、まだ二歳なんだから、そこまでする必要ないだろって話だよ。“食事のマナーなんて、成長していけば覚えてくるだろ。”とフォローしてくれた

そのことも気に食わないのか、お母さんはどんどんヒートアップしていって、“そんなこと言って、親がちゃんとしないと、子供はきちんと育たないのよ。“二歳からでもしつけを始めないとダメなのよ。“もうなんか出遅れちゃってる感じなのに、これ以上遅れちゃったら、どうするのよ。”一瞬で部屋の空気が冷たくなった

お母さんは、言ってはいけないことを言った。悠也を何かの道具のように、何かと競わせているかのように言うのだ。私は悲しくなった。声を出すのも辛かったが、母親として声をあげなくてはいけなかった。“悠也は、出遅れてなんかいません。“みんなより優しくて、周りのことをちゃんと見れてる子です。”声は震えていた。拓也も声をあげようとするが、お母さんに遮られる。“それが甘いのよ。“周りのことちゃんと比べられてるの?“歩くのだって遅かったし、まだ言葉もちゃんと喋れてないじゃない。”はあ。さん、私もね、厳しいと思ってるのよ。“でもね、あなたみたいになったら嫌でしょ。“私はあなたみたいな子になって欲しくなくて、言っているの。”

頭が真っ白になった。言っている意味が分からなかった。私は呆然と、その言葉の意味を考えるよりも、お母さんから褒めるような言葉をかけられた記憶がないことを思い出していた。“そしてこの人は、私のことを、孫を生む道具ぐらいにしか思ってないんだな。”家族を道具に思う人とはやっていけない。“悠也を道具にさせたくない。”私は離婚を決意した

拓也はすんなりと離婚に同意してくれた。“どうやっても、あの人は俺の親だからさ。“結婚している限り、こういうのが続いちゃうだろ。“だからこうやって縁を切るのが一番良い解決策だと、俺も思う。“悠也のことも、南のことも、大好きなのは変わらないし。“別れる際、親権や養育費でお母さんが口を挟んできたようだが、拓也はその話題をきっちりと遮断してくれた。“離婚したことで、私たち親子三人は穏やかな毎日を手に入れることができた

夫婦ではなくなったが、拓也が悠也の父親であることは変わらず、休みが合えば一緒にご飯を食べ、一緒に出かけた

それから数年、悠也も小学校の高学年になった。仕事や生活に余裕が出てきたこともあり、その日は二人で旅行に来ていた。行き先は、“遊園地よりも穏やかな場所を好む”悠也の希望で、年配の方が行かれることの多い名所を選んだ

少し先に見知った連中がいた。実家の近所の人たちだ》そこには、あれ以来会っていない、お母さんもいた

“あ、私は気まずい。“嫌な気持ちがして、悠也の手をぎゅっと握った。”あら、南ちゃん、地区の旅行か何かだったのか、集団の中には顔見知りも多く、一人が気づいたようで、笑顔でこちらに近づいてきた

“どうしたの?“旅行。”ええ、まあ。“近所のおばさんたちから話しかけられるものの、妙に緊張していた私は、うまく言葉が出ずにいた。”それを感じ取ったのか、悠也が答えた“はい。“僕、運動会のリレーで一番を取ったから、お母さんがお祝いに連れてきてくれたんです。“早い子たちばっかりだったんですけど、最初にゴールできて、お父さんも喜んでくれました。”しっかりとした受け応えに、私がびっくりしたほどだ

“そうなの。“すごいわね。“こんなにしっかりした受け応えもできるなんて、教育がしっかりできているのね。”悠也の受け応えにおばさんたちは感心しているようで、悠也を中心に穏やかな話ができている。”そんな輪から外れて、お母さんだけがきっとした目で私を睨みつけていた

すると、くるりと悠也がお母さんの方に体を向けた。“ねえ、僕、お母さんのしつけでちゃんと成長したよ。“おばあちゃんが言ってた、“あなたみたいな子”って、学校の先生は、そういうこと言う方が悪いって言ってたけど、おばあちゃんはどう思う?”お母さんも私も、周りの人たちも、突然のことにびっくりした。しかし周りの人たちは、お母さんが私か悠也のことを“あなたみたいな子”と言っていたことは分かったようで、少しだけ白い目をお母さんに向けていた

お母さんは、孫の悠也に言われたからなのか、何も言い返せず、くるりと背を向けて、スタスタと歩いていってしまった

“僕、お父さんと三人で暮らしてないことに不満はないけど、何も言えない時に、好き勝手に悪く言われて、こうなったことが嫌だったから、あの人にあったら絶対に行ってやろうって思ってたんだ。”そう言って、悠也は昔と同じでも、少しだけ大人になった表情で笑った

旅行から帰って、私たちはまた日常に戻った。でも少しだけ、気持ちが軽くなったように感じた。“あの時の言葉を、ずっと風のように思っていたのかもしれません。”お母さんが悠也の祖母であることは間違いない。でも悠也自身が祖母と決別できたことで、悠也の中では一区切りがついたようだった。私も、今までのことよりも、これからできることを考えようと、自分を肯定するようになった

“私は間違ってなかったんだ。“それを悠也がちゃんと証明してくれた。“それが自信につながったんだと思います。”拓也と私はもう夫婦ではないけれど、悠也の父と母として、三人の関係は変わりながらも、ずっと親子でいられたらいい。そう思います

私は勝。三十四歳の専業主婦です。夫の深夜と、現在小学一年生と二年生の娘の、四人家族で、義両親も合わせた六人で敷地内同居している。結婚前の私の仕事は夜勤があったのだが、深夜が“それだとすれ違いが多くなるから、できればやめてほしい”というので、私は仕事をやめることにした。それからは、子育てが忙しい時期は子育てに集中し、少し楽な時期にはパートするというような生活をしていた

元々私は義両親との同居には消極的だった。まだ義両親がどのような人かは分からない段階だったが、義両親がどんなにできた人間だったとしても、やはり嫁と義両親が一緒に住むとストレスになると思ったのだ。そのため結婚前に、深夜が“同居はする予定はないよ”と言ってくれた時は、ほっとした。しかし入籍してすぐに、深夜が“やっぱり親のことが心配だから、同居しようと思う。“完全な同居じゃなくて、敷地内同居だったらいいだろ”と言い出したのだ

私は驚き反対したが、深夜から“俺の親のこと、そんなに嫌いなの?“敷地内同居にして、生活は別々だって言ってるじゃん。“どっちかが急に倒れたとか、何かあった時のためにそばにいたいってだけなんだけど。“もし俺が逆の立場だったら、絶対同居するけど”と言われ、反論することができなかった。私の両親はまだまだ元気だった上に、私の兄夫婦と同居していた。だから私たち夫婦が私の実家で同居することはない。“だからこそ、深夜も逆の立場だったら同居するなんて言えたのだと思います。

私がそれでも迷っており承諾しないままうやむやにしていると、しばらくして“もううちの親が敷地内に家、立て始めてるから、断れないよ”と言われ、強制的に同居することになったのだ

私は不満に思いながらも、“お互いに干渉しないこと”というせめてもの約束を取り付けた。そして敷地内同居がスタートしたのだ

義両親は“お互いに干渉しない”という約束をきちんと守ってくれていた。それぞれの家で生活をし、私は週に一、二度一緒に食事をするという程度の付き合いだった。義両親が立ててくれた敷地内の家はとても綺麗だったし、先々、本家の方を自分たちがもらえるのであればラッキーかもしれないとすら思うようになった

しかしそれは大きな間違いだった。義母が少しずつ、最初の約束を破るようになっていったのだ

最初は一週間に一、二度、私たちの家を訪れて“ちょっと腰が痛いから、荷物を運んで”とか“今日は体調が優れないから、晩御飯を作って”といった、こちらもそれは仕方ないと思えるような用事を言いつけてきた。しかしそのうち、“朝ご飯はまだ”とか“うちの方の掃除がされてないんだけど”と、まるで私が義両親の家のことをするのが当たり前というような言い方をするようになったのだ

それにより、いつの間にか三食全て私が作るようになったし、掃除も二軒分、私がするようになった。深夜も、これに対して何も言わない。義父だけがいつも“悪いね”と声をかけてくれ、時々“こんなものしかなくて悪いけど、これを食べていって”とお菓子を出して、優しくしてくれた

義母は家事をさせるだけではなく、私たちの子供の教育にまで口を出してきた。“習い事はこれをさせろ”とか、“女の子二人なのに、家事を手伝わないのはおかしい。”“あなたは何のために女の子二人も産んだのよ”などと言われるようになった

しかし義母が私にきつく当たるたびに、義父が私を庇ってくれたのだ。“そもそも、お互いの家のことはそれぞれする約束だっただろう”と義父が義母を叱ると、“そうだったわね。”私も体力がなくなってきたし、体調も優れないから、ついつい頼っちゃってね。“ごめんなさいね。”と言って、表面上は謝罪をしてくれる。しかし数時間後には、また義父の見ていないところで、嫁いびりをしてくるのだ

見て見ぬふりをする深夜に、“最初と約束が違うじゃないの”と主張しても、“いくら最初に約束したとしても、家族なんだから、少しくらい臨機応変に動くことあるだろ。“お前がうまく立ち回れないのが悪いんだよ”と言われるのだ

不満を抱える日々を過ごしていると、義母が家で急に倒れたのだ。慌てて救急車を呼んだが、義母は急な発作で、そのまま帰らぬ人となった〕“こんなことは義父や深夜には口が避けても言えませんが、これで嫁いびりから解放されるとほっとした自分がいました。”

お互い干渉しないと約束はしていたが、今まで優しくしてくれた義父だけとなると、話は別だ。私はできるだけ、義父の身の周りの世話をした。“義父からは“最初に干渉しないって約束したのに、ごめんな。“俺一人じゃ、家事もろくにできなくてな。“本当にありがとう”と、気を使ってよく声をかけてくれていた。”娘たちも優しい義父にはとても懐いていたので、とても平和な日々だった

しかし無常にも、この平和な日々も長くは続かなかった。義母が亡くなった数ヶ月後、今度は急に義父が倒れたのだ。義父はなんとか一命を取り留めたが、ほぼ寝たきりで、介護が必要な状態になってしまった

義父の介護について話し合った際に、義父は“迷惑をかけたくないから、施設に入るよ”と言ってくれたのだが、深夜が“そんなこと言うなよ、父さん。“家族の介護は、家族がやるべきだろ。“その家族がどうしてもできない時のための施設なんだからさ。”“かずさも介護するって言ってるし”と勝手なことを言い出したのだ

確かに義父のことは好きだったので、できる限りのことをしたいとは思っていた。施設に入ったとしても、頻繁に会いに行くつもりでいたのは事実だ。しかし完全に介護をするとなると、話は別だ。深夜が手伝わないのは、目に見えていた。いくら専業主婦だと言っても、小学生の子供の世話をしながら、義父の介護をするのはかなり大変だ。ただ、義母ならまだしも、義父の前で介護をしりぞけることはできず、私は介護を了承するしか選択肢がなかった

想像した通り、介護はとても大変だった。“食事、トイレ、お風呂などに関して、全て介助が必要だった。”義父は老人とは言っても男性だったし、体格もいい方だった。それに異性ということで、お互いに気を使う部分もある。朝から小学生二人の登校準備の手伝いと朝ご飯準備、昼間、子供たちが帰ってきてからの世話と晩御飯準備。元々バタバタだったその時間全てに、義父の介護が加わるのだ

毎日毎日、夜寝る前に“やっと今日一日を乗り切った”と思いながら、泥のように眠っていた。深夜は義父の介護を全く手伝わないどころか、“仕事が忙しい”と言い、帰ってこない日も増えた。泊まりがけの仕事があるといい、家に帰ってくるのは週に二、三回程度だった。さらにいつ帰ってくるのか分からないので、夕飯の準備が間に合わなかったり、体がきついので簡単なもので済ませたりすると、“一家のあるじが外で一生懸命働いてきてるのに、どういうことだ”と怒鳴りつけるのだ

“それならば、少し家のことや介護を手伝って欲しい”と言うと、“お前は専業主婦なんだから、お前の仕事だろ”と言ってきた。私は本当に毎日辛い気持ちだった。そしてこのような辛い日々が、三年間続いた

小学生の娘二人が成長するにつれて、家事も介護も手伝ってくれるようになったので、どうにか乗り越えられたようなものだ。長女は毎日、料理の手伝いや洗濯物を畳んで手伝ってくれた。“次女は“じいじ、気持ち”と言いながら、毎日義父の背中を拭いてあげていた。”優しい娘たちを持って、本当に良かったと思った

そんなある日、深夜がスマホを家に置いて仕事に行ったことがあった。私は見てはいけないと思いつつ、深夜のスマホの中身を覗いてしまった。“パスワードは深夜の誕生日だったので、すぐにロックを解除することができた。”するとその中には、衝撃的な事実ばかりが並んでいた

なんと深夜は、私が義父の介護を始めた頃から愛人がいて、なんと子供までいることが判明したのだ。“内容を読むと、深夜は愛人の生活費も出してあげているようだった。”深夜は私に生活費を渡し、残りは“子供たち二人の将来のために貯金をしておく”と言っていたのに、全く貯金もしていなかった

さらには、“俺の子はもう小学生だから、全然可愛いと思えないんだよな”とか、“介護とか超めんどくさいけど、暇な嫁がいて助かった。”“施設に出したら金がもったいないけど、奴にさせたらただだからな。“無償の労働力を活用すべきだよな。”など、私や子供たちを馬鹿にする言葉が並んでいたのだ

本来であれば、冷静になり、決定的な証拠が集まるまで深夜には黙っているべきだったと思っている。しかしこの時の私は、あまりにも頭に来て、冷静でいることができなかった。“お風呂から上がった深夜にすぐに、“ちょっと、これどういうことなの”とスマホを突き出して聞いた。”深夜は最初こそ少し慌てたような様子だったが、すぐに開き直った

“だってお前さ、子供産んでから、女らしさとか全然なくなったじゃん。“化粧することもなくなったし、服装だって動きやすいものばっかりで。“元々、二人目が生まれた後に、授乳しながら口開けて寝てるお前見てから、俺も無理なんだよ。“それに親父の介護が始まってから、輪をかけて女らしさがなくなったよな。“もうおばさんですらないよな。“おっさんって感じ。”と、私の気持ちをずたずたに傷つける言葉を吐き散らした

さらに“そのスマホの彼女は、いつも綺麗に化粧してるし、身だしなみにも気を使っている。“それは子供運からも一緒なんだよ。“俺は別に世間体のために、お前とは離婚しないけど、愛情はその彼女と子供の方にある。“どっちが先になるかは分からないけど、親父がいなくなって、お前との子供らが成人したら、お前を追い出して、この家にはその彼女と住むつもりだから。”と断言したのだ

そして子供たちのことは、かずさが考えてくれているようだが、私のことはゴミ同然のように考えている発言が続いた。私は涙が止まらなくなった

“私だって、綺麗な服を着たいし、お化粧だってちゃんとしたいわよ。“でもあなたは、育児も家事も、全然手伝ってくれなかったじゃない。“慣れない育児をしながら、家事も完璧になんて、髪を振り乱しながらでも必死にやらないと無理だったのよ。“綺麗でいて欲しいって言うなら、あなたが家事や育児、介護だって手伝ってくれたら良かったじゃない。“それに、そんな見返りなんてなくても、そういうことを一緒にやってくれるのが、旦那として父親として当たり前なんじゃないの”と、涙ながらに訴えた

そんな言葉も、深夜には響かない。“そんなことないだろ。“他のところの嫁さんは、子育てしながらでも綺麗でいるじゃんか。“何度も言うけど、お前の容量が悪いだけだろ。“生活費をきちんと入れてる俺に、専業主婦のお前が意見できることなんて、一つもないんだよ”と冷たく言い捨てる

そして“文句があるなら、離婚してもいいんだぞ。“三十代も半ばのお前が就職できるところなんて、高が知れてるぞ。“俺からちょこっと慰謝料や養育費をもらったからって、二人を無事に育てていけるのか”と鼻で笑うのだ

私は一番痛いところを突かれ、何も言い返すことができなくなってしまった。確かに子供たちのことを考えたら、離婚することはできないと思った

その様子を見て深夜は“できないだろ。“子供たちのことを思うならな、お前は最後まで親父の介護をして、その後は俺の家政婦として働くんだよ。“まあ、安心しろよ。“子供たちが成人したら、お前を助けてくれるさ。“そのために一生懸命可愛がっとけよ”と満足そうに言い、寝室に入っていった

私はその場に、しばらく呆然と立ち尽くしてしまった。そしてその後、どうにか正気を保ち、義父の介護に向かった。“私はいつも通りに接したつもりだったが、やはり様子がおかしかったのだろう。”義父が“どうかしたのかい”と聞いてくれた。“何でもありません”と言おうとしたが、涙が溢れて止まらなくなり、義父に全てを話してしまった

義父はしばらく話を聞いた後、“かずささん、渡したいものがあるから、数時間後にまた来てくれないか”と私に言った。そして私が言われた通り、数時間後に義父のところへ行くと、ある人の連絡先を書いた紙を渡され、“ここに連絡しなさい”と言われた。“そして事情は全て向こうも分かってるから、“本当は私が動くべきなんだけど、この体だからね”と、にっこり笑ったのだ

そしてその数日後、深夜が“前から伝えてたけど、明日から一週間の出張に行ってくるわ。“まあ分かると思うけど、出張ってことにしといた方が、お前も幸せだろ。”“出張で温泉楽しんでくるわ”と言ってきたので、私はこのチャンスに行動を起こすことにした

そして一週間後、“おい、お前どうなってるんだ?“家に戻ったら、家も何もかもなくなってるじゃないか”と、怒り狂い、中ばパニックの深夜から電話がかかってきた。“あら、一週間の浮気旅行ご苦労様です。”“楽しかった?”と聞いた。深夜は“おい、ふざけるな。“これはどういうことだ”って聞いてるんだよ”と怒鳴り続ける

私は深夜に説明してあげることにした。義父が私にくれた連絡先は、義父の昔からの友人であり、その地域では有名な地主の、渡辺さんという方のものだった。渡辺さんは昔から義実家の土地を欲しいと思っており、交渉を続けていたが、義父が“息子に残す予定だから”と売るのを断っていたそうだ。しかしこれまでの息子である深夜の行動を見て、さらに私の話を聞いて、“もう息子はダメだ”と思ったそうだ

今回深夜が一週間の浮気旅行に行くことは、前々から分かっていた。“深夜が開き直り、全く隠す様子もなかったからだ”その一週間より前に、私は渡辺さんと話をし、家と土地を売る手続きをした。渡辺さんはかなり昔から欲しかった土地だそうで、相場よりだいぶ高い値段で購入してくれた

そしてその一週間の間に、家の取り壊しが行われたのだ“義父が渡辺さんに“わがまま言ってしまうが、こういう事情だから、どうせ取り壊す予定なら、この期間にやってほしい”とお願いしたそうだ。“だから深夜が帰ってきた時には、更地になっていたのだ“そして私たちには、義父が家と土地を売ったお金で、新しい家を建ててくれるそうだ

そこまで聞いて、深夜は“でもお前、仕事がないだろ。”“いくら親父が家を建ててくれたとしても、これから一生養ってもらうってわけにはいかないのに、どうするんだよ。“俺の稼ぎがないと苦しいだろ。”と、まだ私に戻ってくるよう説得してきた

私は“ああ、それなら安心して。”“確かにその部分が心配ではあったけど、お父さんと渡辺さんが色々動いてくれてね。“知り合いの社長さんの会社がちょうど社員を募集しているからって、そこで働かせてもらうことになったの”と伝え、“深夜は、そんなことより、自分の心配した方がいいんじゃない?”と尋ねた

深夜がいぶかしげに“どういう意味だ”と聞いてきたので、“今深夜が務めている会社、お父さんと社長さんが友達だったから、コネで入れてもらった。”“そうね。”“でもお父さんが“もう深夜とは縁を切るから”って言って、社長さんに連絡したそうよ。“不倫しているし、仕事ぶりが悪いなら、遠慮せず首にしてくれってね。”“相手の社長さんは言いにくかったが、自分は首にならないからと思っているようで、好き勝手やって困ってたんだ。”“って言ってた。”“そうよ。”“明日以降どうなるか、楽しみね”と、事実を教えてあげた

電話の向こうで、深夜は“え”と言った切り、黙ってしまった。そして“いや、まあ、なんていうかさ、ほら、俺も前は、不機嫌になって将来はお前を捨てるみたいなこと言っちゃったけど、そんなわけないだろ。“本気にするなよ。“家族なんだから。“これからも仲良くやっていこうぜ。”“親父との中も、お前が取り持ってくれたら、どうにかなるだろ”と言い訳をし、図々しい口を頼んできた

だから私は“私の今の家族は、娘たちとお父さんだから、さようなら”と言って、電話を切った。“それ以降も深夜から何度も着信があったが、無視していた”

その後、私と深夜の離婚は成立した。私は深夜と愛人に慰謝料を請求した。“深夜が浮気を全く隠さなかったので、証拠はあっという間に集まっていた。”そしてこれは義父の友人である、深夜の会社の社長さんからなど人伝てに聞いた話だ

不倫をしているという事実だけでは、会社を首にすることはできなかったようだが、なんと深夜は、二重生活を維持するために、会社の金を横領していたのだ“深夜は会社を首になり、損害賠償も請求されているのだとか、深夜は家も仕事も失い、愛人のところに転がり込もうとしたそうだが、“金がないなら用はない”と捨てられてしまったそうだ”。その上で、子供の養育費は請求されたとのことだ。深夜は今、就職活動をしながら、一人で慰謝料と養育費を支払うために、アルバイトを掛け持ちして働く日々だそうだ

私はと言うと、義父の建ててくれている家に住むまで、マンスリーマンションで娘たちと暮らす予定だ“義父からは、家を建ててくれる際に“私は施設に入るから、かずささんたちで幸せに暮らしてくれ”と言われたのだが、“何言っているんですか、お父さん。“家族なんですから。“それに、そんなこと言ったら、娘たちも悲しみますよ。”“暮らしましょう”と提案した

その提案を聞いた娘たちも、“じいじと一緒に暮らしたい”と、義父の手を握って言った。義父は泣きながら、“ありがとう”と言ってくれた

娘たちの手伝いがあるとはいえ、仕事をしながらの介護はやはり大変なので、現在はヘルパーさんやデイサービスにも頼りながら、四人で楽しく暮らしている。“新しい家に四人で引っ越す日が、とても楽しみです

私の名前はとみ。実家で父と母と三人で暮らしていた。この度、交際していたかずやと結婚することが決まり、これまで暮らしていた実家を出ていくことになった”“かずやは、知人の紹介で出会った人で、地元では有名な大手企業に務める、いわゆるエリートです。”とても真面目で優しい彼と結婚することになり、両親はとても喜んでくれた

私が結婚したことで、母は長年の育児が終わったと安堵しているようだ。そしてそれをきっかけに、母はまた自分の人生を歩み始めようとしていた。“母は、私が小学校に上がった時からずっと、施設の調理員の仕事をしている。”料理は母の得意分野で、務めている施設では、母の創作料理を振る舞うこともあった。“そう。”“施設の利用者さんが、母の作る料理を毎日楽しみにしてくれている”という話を聞いたことがある。“それぐらい、母の料理は美味しかったのだ”

褒められたからと言って、母は傲慢になることなく、料理教室に通うなど、地道に腕を磨いていた。“母は、“いつか自分の夢を叶えたい”とこつこつ努力を重ねていたのだ。”その夢とは、いつか自分の店を持つことだ。“自分が作る料理を食べた人が、笑顔になってくれると、本当に嬉しい”と、母は口癖のように言っていた

“年を取ったら、小さなお店で料理を振る舞ってみたいわ。”“叶わない夢だけど”と付け加えた母の表情は、どこか寂しそうだった

そんな母に、天気が訪れた。私が結婚して実家を出た頃、思いもよらない嬉しい話が舞い込んできたのだ。“母は、友人の両親が営んでいた居酒屋に、父を連れて時々食事をしに行っていた。”小さな店で、会話が多く、丁寧に作られた料理と厳選されたお酒は、どれも美味しいと母が話していた。“しかし友人の両親は、高齢で体力がなくなったからと、居酒屋を閉店することになったのだ。”その店は、立地が良く、使わないのはもったいない場所だった。“誰かに譲って活用して欲しい”と考えた時、候補に母の名前が上がったのだ。“料理上手で人柄の良い母なら、店を大切にしてくれるだろう”と夫婦は考えた。“話し合いの末、母に店を譲りたい”と決断したようだ

その話を聞いた時、あまりにも突然な話に、母は驚いたそうだ。“しかしこんなチャンスは二度と来ないかもしれません。“これを逃したら、きっと次はない”と悟ったようだ。”母は友人の両親から店を譲り受けることを決め、居酒屋を開業することにした。“これには父も大張り切りで、二人で協力して理想の店作りをしたようだ。“やっと夢が叶う”と母は喜び、後悔しないように、念入りに店作りを行った”“この時の母の幸せそうな顔を見て、きっと良い店になるだろうと感じた

それから数ヶ月後、ついに店を開く準備が整った。“母の居酒屋は、夕方から始まる小さな店。”“決まったメニューはなく、その時仕入れた良いものを、母が創作料理として出すスタイルだ。”母の夢が詰まった、良いアイデアだと感じた

開店当初は、本当に客が来るのかと私は心配していたが、そんな心配は無用だった。“母の明るく社交的な性格は客に好かれ、見る見るうちに常連客ができたのだ。”“何より、母の手料理が評判を呼び、人の口コミで店の存在が知られてきた。”客の大半は近所の人だったが、たまたま通りかかった人が来ても、一緒に団欒していた。“そのアットホームな雰囲気が良く、店は毎日繁盛している

私もかずやと一緒に、店を訪れることがあった。“かずやも母の料理を気に入り、そこである提案をしてきた”

“料理、本当に美味しいです。“よければなんですが、うちの野菜、使ってくれませんか?”かずやの実家は、農家を営んでいた。“地元で長く続けている農家なので、顔も広く、新鮮な野菜を取り揃えている。”かずやは母が良ければ、実家の農家と契約をしないかと持ちかけてきた

“まるまる農家さんでしょ?“それは嬉しい話ね。“是非お願いしたいわ。”契約をすれば、いい材料が定期的に手に入ることになる。“今以上に良い料理を作れるようになる”と、母はとても喜んでいた。”

早速、母と農家が電話でやり取りをし、正式に契約をすることが決まった。“契約が決まるとすぐに、義実家から契約分の野菜が送られてきた。”“どれも色が良く、瑞々しく、見た目から良いものであることは明確だ。”

“スーパーより根はあるけど、こんなにいいものを、お客さんに出したら、きっと喜んでくれるわ。”母は利益のことよりも、客の笑顔を見ることを優先していた。“気に入っていただけて良かったです。”野菜に満足している母を見て、かずやも照れ臭そうに笑っていた

そんなある日、姑が母の店にやってきた。“ふん。”“へえ。”挨拶もなしに、値踏みするかのように見渡している。”“結婚の挨拶以来会っていないので、正直人柄などはよく分からなかった。”店内を睨むように見て回る姑に対し、少し嫌な気分になりながらも、母はにこやかに話しかける。“あら、かずやさんのお母様ですよね。“いらっしゃいませ。“お野菜、大切に使わせていただいています。”“ええ、どうも。”姑は目も合わせずにそれだけを言い、前を向いている

なぜ険しい顔をしているのか分からなかったが、とりあえずお茶を出す。“お茶どうぞ。“今、食事を出しますからね。”どうぞ。“こちらにお座りになって。”すると姑はそれを遮るように手のひらを向けてくる。“お構いなく、今日は下見をしに来ただけなのよ。“こんな小さな店で、うちの野菜がちゃんと使われているかどうか。“もう心配で心配で。”上から目線の発言に、母は驚き、言葉を失う

“なんだか、評判もいいよね。“良かったじゃない。”姑は不敵な笑みを浮かべて言っている。母は黙って聞いていた。“まあ、野菜はちゃんと使ってくれてるってことよね。“そうであってくれなきゃ、困るのよね。”あ、せっかくだから、五十人分予約をしようかしら。“えっと、見ての通り小さな店ですので、五十人は入りきらないかと……”散々嫌味を言ったあげく、現実的ではない予約を入れようとしてきたのだ

カウンターとテーブル席がいくつかあるこの店では、五十人も入ることはできない。“こんなに狭いんじゃ、無理よね。”“じゃあ、その自慢の料理を、弁当にしてちょうだいよ。”

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