同窓会の会場で、久しぶりに見る顔が怖かった。あの男がいる。小学生の頃、毎日のように俺を馬鹿にし続けたグループの中心にいた男、柊がそこにいた。
その瞬間、俺の体は固まった。グラスを持つ手が震え始める。俺は遠回りをして、彼らに見つからないように元いた場所へ戻ろうとしたが、足が動かなかった。
「よう、久しぶりだなあ」
気づけば、柊は俺の前に立っていた。あの頃と変わらない、ニヤニヤとした笑みを浮かべて。
「お前は確か…えっと、その…へなちょこの一式だよな」
彼は俺の名前を思い出すのに少し時間がかかった。小学校の卒業以来、一度も会っていなかった相手だというのに、俺は彼の顔を見た瞬間に全部思い出したというのに。
「相変わらずお前、ひ弱そうだな。風が吹いたら倒れるんじゃないか? 」
柊は大きな声で笑う。周りにいた同級生たちは、その大声に圧倒されて黙り込んでしまった。
俺は何も言えなかった。小学生の頃と何も変わっていない。あの時もこうだった。体は小さく、声も小さく、ただ黙って耐えているしかなかった。
「お前、小学校の頃とちっとも変わらないな。その悲しそうな顔、貧乏まるだしだぞ。もしかしてまだ貧乏で生活に困ってるのか? 」
俺のトラウマは、あの頃の記憶そのものだった。
小学生の頃、俺は転校してきたばかりで体も小さく、痩せているせいで女の子のように見えていた。加えて、父が事業に失敗して家を売り、古い木造アパートに引っ越してからは、それが格好の餌食になった。
「お前、算数のテスト30点じゃないか。信じられない、バカだな」
「おいみんな見ろよ。一式は貧乏で勉強もできないんだぞ。かわいそうだな」
あの頃、俺のテスト用紙は奪われ、クラス中の生徒に見せびらかされた。俺は「返せよ」と小さな声で言うのが精一杯で、泣きながら取り返そうとしても、相手は大人数で体も大きく、何もできなかった。
両親には相談できなかった。母は俺の前ではいつも笑っていたが、夜中にこっそり泣いているのを知っていたからだ。俺はただ黙って耐えるしかなかった。
幸い、中学は別になり、俺はようやく平穏な日々を手に入れた。友人もできて、放課後はいつも彼の家でパソコンで遊んでいた。当時、パソコンは今より高価で、貧乏だった俺の家にはなかったから、友人宅に入り浸る日々だった。
高校ではパソコン部に入り、そこで自信をつけた。何も得意なことがなかった俺が、初めて人よりできることが見つかった。それがきっかけで友人も増え、有意義な時間を過ごすことができた。
自分のパソコンを買うために始めた花屋のバイトは、思ったより体力が必要で、慣れるまでは苦労した。だが、色とりどりの花に囲まれて働くことは、心を落ち着かせてくれた。
高校3年のある日、店長が俺に言った。
「俺も年だから、そろそろリタイアしようと思っている。この店はお前に譲る。卒業しても続けてみないか? 」
店長は、花のことを何も知らずに働き始めた俺に、色々なことを教えてくれた。店まで継がせてくれた。俺は今でも、その恩は忘れていない。
花屋を継いでからは、得意なパソコンスキルを活かしてネット販売やサブスクなど新しい事業を始めた。店の売上も伸びてきて、順調だった。
そんな矢先に届いたのが、小学校の創立100周年を記念した同窓会の案内状だった。
案内状を見た瞬間、手が震えた。嫌な記憶がフラッシュバックして、しばらく動けなかった。引き出しにしまい込んで、放置しようと思った。だが、数日後、小学校時代の数少ない友人が電話をかけてきた。
「京兵、久しぶり。元気か?

同窓会の案内来ただろ? お前のことだから迷ってるだろうと思って。今回100周年なんだ。先生たちも来るみたいだぞ」
友人は、転校してきて知り合いもいなかった俺に、最初に話しかけてくれたクラスメイトだった。俺が嫌がらせを受けていることも知っている。
「行くに決まってるだろ。久しぶりだし」
俺はそう言った。実はまだ迷っていたけれど、彼の悲しそうな声を聞いたら強がってしまった。でも、それで良かったのかもしれない。
同窓会は、小学校からほど近いホテルの宴会場で行われた。俺は久しぶりに一着だけ持っているスーツを引っ張り出して、家を出た。
会場は賑やかだった。久しぶりに会う友人や恩師の顔を見て、話しているうちに、あの頃の嫌な記憶も少しずつ薄れていくようだった。俺は安心していた。この会を楽しめるかもしれないと。
しかし、それは長く続かなかった。
飲み物を取りに行った時、少し離れた場所で大声で笑っているグループが目に入った。その中心にいたのが、柊だった。
彼は小学校の頃から、社長の息子だと自慢していた。俺のことを「貧乏」だと見下し、毎日のように嫌がらせをしていた。中学は私立に行ったので、俺は平穏な生活を取り戻せた。だが、あの傷は心に残り続けている。
俺はその場で立ち尽くし、頭が真っ白になった。深呼吸をしようとしたが、グラスを持つ手が震えて止まらない。
やがて、先に恩師が帰ると、そのタイミングを見計らったように、柊が俺に近づいてきた。
「おい、一式、なんとか言えよ。何を黙ってるんだ? 」
柊は酔っ払っていた。足はふらつき、呂律も回っていないのに、大きな声で話し続ける。
「お前のこの安っぽいスーツ、一体どこで買ったんだ? 同窓会にこんな薄っぺらいスーツで来るなんて、貧乏人は惨めだな」
柊は俺のスーツの襟をつまみ、頭のてっぺんから足の先までじろじろと見て鼻で笑った。
「いいか、この俺のスーツを見ろ。イタリア製で銀座で仕立てたんだ。どうだ?
すごいだろう? 」
「ああ、それは良かったな」
俺は持っていたビールを一気に飲み干して、やっとの思いでそう言った。
「お前、今何の仕事してるんだ? 」
「花屋だよ」
「花屋? へえ、それは器量が悪い。どうせお前の花屋はしょぼくて、儲かってないんだろうなあ」
「さあな、そこそこだと思うけど」
「お前は昔からバカで、本当にかわいそうだ。しかも貧乏だなんて、見ていられないよ。俺は社長の息子で、地位も名誉もある金持ち。神様は不公平だよな」
柊は愉快そうに高笑いした。
俺は怒りよりも先に、ある感情が湧き上がってくるのを感じた。
それは、哀れみだった。
何十年経っても、この男は何も変わっていない。小学生の頃と同じことを、30代後半の立派な大人になってまでやっている。俺のことを「かわいそう」と言うが、本当にかわいそうなのは、成長というものが一切ない彼の方ではないか。
酒の力もあったのだろう。俺の口は自然と動いた。
「そうだな。でもまあ、価値観は色々あるし、公平だの不公平だの嘆く必要もないんじゃないかと思うよ」
「おいおい、随分と達観してんな。いや、単に諦めてるだけか。自分より上の人生ってものを知らないんだろうな。底辺じゃ、天井知らずの生活なんて知る機会もないか」
柊はそう言って笑うと、俺の肩を叩いた。
「いいだろう。特別に教えてやる。俺が今どんな仕事をしてるか」
俺は特に聞く気はなかったが、柊は自慢話をしたくて仕方がない様子だった。
「俺はさ、フラワーショップ柊の次期社長なんだ。全国展開している有名な花屋だが、知ってるか?
」
「お前がフラワーショップ柊の次期社長とはな。それは驚いた」
俺の返答に、柊は得意げに腕時計を見せびらかすように腕を突き出した。
「俺の会社は一流の花屋だ。俺は社長の息子だから、何もしなくても次期社長だ。一生金には困らない。ほら、この時計もスイス製で日本では手に入らないんだぞ」
だが、そのマウントを取ろうとする姿は、俺の目にはあまりにも滑稽に映った。
なぜなら、彼の言った「フラワーショップ柊」という名前には、聞き覚えがあったからだ。
「柊、お前は何もしなくても次期社長だと言っていたよな。だが、働きもしない無能な奴は、組織には必要ない。次期社長とはいえ、そんな奴は首だな」
「はあ? 次期社長の俺が首だと? お前、急に強気になって何を言い出すんだ? 」
柊は一瞬戸惑った顔をしたが、すぐに笑い飛ばした。俺は小さく首を横に振った。
「柊、お前、もしかして何も知らないのか?
」
「なんだよ、その含み笑いは。なんか偉そうだぞ。貧乏でひ弱なくせに、生意気なんだよ」
柊は顔を真っ赤にして怒り出し、俺の胸ぐらを掴んできた。
「おい、何だよ。今日は同窓会だぞ。物騒な真似はやめてくれ」
「柊、何してるんだ。手を離せよ」
友人たちが慌てて柊を取り押さえてくれた。小学生の頃、俺が嫌がらせを受けているのを知っていながら、どうしていいか分からず見守るしかなかった連中が、今日はすぐに俺と柊の間に入ってくれた。
俺たちはみんな、大人になっていた。
「おい、俺を放せ。いい気になるなよ。俺は金持ちで次期社長なんだ。お前たちとは住む世界が違うんだ」
「柊、もういい加減にしろ」
俺は静かに話し始めた。
「お前は次期社長だというのに知らないようだが、フラワーショップ柊は現在、かなり業績が落ち込んでいるんだよ」
柊は驚いた表情を浮かべたが、友人たちに抑えつけられて、俺の話を聞くしかなかった。
数ヶ月前のことだ。
俺の花屋は小さな店舗に過ぎないが、ネット販売とサブスク事業の成功で、業界では有名になっていた。そんな俺の元に連絡をくれたのが、柊の父親であり、フラワーショップ柊の社長だった。
内容は、業績悪化が続く会社に手を貸して欲しいというもの。業務提携を結び、俺がフラワーショップ柊のCEOに就任して欲しいとの要請だった。
俺は当初、CEO就任は断っていた。高圧的な人物と渡り合うのが苦手だったからだ。だが、柊の父は俺のネット販売事業をとても気に入っていて、「どうしても」と強く頼まれた。業務提携と同時に、CEO就任も引き受けることにした。
ちなみに、その時は「柊」という苗字に聞き覚えはあったが、それが小学校時代の同級生の父親の会社だとは知らなかった。どうしても会いたくない相手だったから、たまたま同じ名字なだけだと、自分に言い聞かせていたのかもしれない。
だが、今、彼がその会社の次期社長として会社にいることを知った以上、俺は立ち向かわなければならない。
「柊、何もしなかったら、金は入ってこないぞ。それどころか、フラワーショップ柊は潰れてしまう。それでもいいのか? 」
「ふざけるな。俺は何も聞いていないぞ。フラワーショップ柊は一流企業だ。お前のそんな馬鹿げた話は信じられない」
柊は顔色を変え、大声で叫び、俺に詰め寄ってきた。頭に血が昇っているのが分かる。
「柊、落ち着いてくれ。これは真実だ。事実を認めて、先に進むしかない」
「嘘だ。一式、お前は俺に恥をかかせようとしているだけだ」
「違う。事実を認めて、これから一緒にやっていこう」
俺はできるだけ冷静な態度で話したが、柊は耳を貸さなかった。さっき「働きもしない奴は首だ」と言ったが、柊が本当に仕事をしないのなら、CEOとして首にすることもできる。だが、まともに働くのなら、一緒にやっていきたいと思っていた。
「ふざけたことを言いやがって。俺はお前の言うことなど信じない。親父に確認する」
柊はそう言って、会場を飛び出してしまった。
結局、柊はそのまま戻ってくることはなかった。
数日後、俺はフラワーショップ柊と正式に業務提携を結び、CEOに就任した。
CEOとして最初の挨拶をした時、柊と一度だけ顔を合わせた。柊は副社長として、父親である社長の隣に座っていたが、俺の目を見ることもなく、下を向いてずっと無言だった。
俺との関係が逆転したことが、悔しくてたまらないのだろう。
その帰り際、柊が俺に近づいてきた。
「いい気になるなよ。お前の下で働くなんてありえない」
柊は俺を睨みつけ、耳元でそう囁くと、すぐに立ち去ってしまった。
そして、柊が退職したという報告があったのは、その数日後のことだった。
俺は思った。彼が俺の下で働けないというのなら仕方ない。ならば、同級生として彼の今後の成功を祈ろうと。
だが、柊はプライドが高い上に、これまでまともに会社の仕事をしたこともなかった。どこへ転職しても長続きせず、転職と退職を繰り返しているようだ。彼の父親も「これまで甘やかしてきたことを反省している。手を差し伸べるつもりもない」と言っていた。
俺はと言えば、いつの間にかあの頃のトラウマに苦しむこともなくなっていた。小学生の頃の嫌がらせのせいで心に傷を負っていたが、皮肉なことに、柊の会社と新しい仕事を始めて上に立ったことで、それを乗り越えることができたのだ。
花屋の仕事は、嬉しい時はさらに幸せにし、悲しい時は心を癒してくれる素晴らしい仕事だ。
俺はCEOとしてフラワーショップ柊を立て直し、多くの人が笑顔になる花屋にしていこうと心に誓って、今日も仕事に向かっている。