会議室のドアが開き、佐藤を先頭に男が入ってきた。その男は俺の姿を認めるなり、まるで虫でも見るかのように目を細めた。
「おい、佐藤。なんでこんなレベルの高い会議に、こんなじじいを連れてきたんだ。」
俺はその言葉に一瞬、耳を疑った。アメリカ本社の会長である俺が、たかが日本の死者の社員に「じじい」呼ばわりされている。しかもその口調は、明らかに見下すようなものだった。
「こ、こちらはアメリカ本社の兵道会長でいらっしゃいます」
佐藤が慌てて説明するが、男は鼻で笑うだけだ。
「はっ、そんなの嘘に決まってるだろう。アメリカ本社の会長が、こんな小さなじじいなわけがない。お前、何か勘違いしてないか?」
俺は内心で舌打ちをした。どうやらこの男、俺が外国人だと思い込んでいるらしい。アメリカの会社だから、会長も白人だと思い込んでいるのだろう。とんだ思い違いもいいところだが、彼にしてみれば、それが普通の考え方なのかもしれない。
「早く本物の会長を連れてこい。会議の時間が迫ってるんだ」
そう言い放つ男に、佐藤はうろたえるだけだ。
「いや、ですから、この方が本当に…」
「黙れ!会議は社員だけで十分だ。無能なじじいに出れるほど、この会議は甘くないんだよ!」
その一言で、俺の中の何かが音を立てて弾けた。俺はゆっくりと一歩前に出る。
「どこの部署だ。社長を呼べ」
低く、押し殺したような声。俺の指示に従っていなければ、この程度のことで動じることはなかったのかもしれない。しかし、これでは俺が会長として侮辱されたも同然だ。このまま引き下がるわけにはいかない。
俺の一喝に、佐藤と男は硬直した。佐藤は青ざめ、男は目を見開いている。俺がこれほど怒りを見せるのは、正直言って久しぶりだった。
すると、そこへ慌てた様子の日本支社の社長、山口が駆け込んできた。
「兵道会長!おいででしたか!どうしてこちらにおられるのですか!」
山口は俺を見るなり、深々と頭を下げる。彼は俺の高校時代の後輩で、その頃から気にかけていた男だった。彼は本社の会長になった俺のことを今でも敬意を持って接してくれる、数少ない人物の一人だ。
「やあ、山口。久しぶりだな。元気にしていたか?」
「はい!おかげさまで!…って、それどころじゃないでしょう!あなた、一体何をしたんですか!」
山口は男を睨みつけると、声を震わせた。俺は事の成り行きを短く説明した。すると山口の顔色が、怒りを通り越して、赤から白へと変わっていく。
「山本課長…。お前、何てことをしてくれたんだ」
山口は歯を食いしばるようにして、男を責めた。
「社、社長。ですが、この方は、そもそも私が案内したわけでは…」
山本と呼ばれた男は、ようやく自分がまずいことをしたと悟ったのか、顔色を真っ青にして言い訳を始める。
「黙れ!!お前は、この方がどなたか分かってるのか!先ほどから私が何と言った!アメリカ本社の会長だと言っただろう!それが、何て言い方をするんだ!」
山口の怒号に、山本は縮こまる。それでも、どこか矜持があるのか、なかなか謝罪の言葉を口にしようとしない。
「だが、こんなじじいに、いきなり会長だと言われて信じられると思いますか…?」
「山本、お前…。ここで、そんなことを言うつもりか。アメリカ本社の会長であるこの方に対して、失礼だろう。今すぐ謝りなさい」
山口は必死に訴えるが、山本は唇を噛むばかりだ。どうやら、彼のプライドが謝罪を邪魔しているらしい。
「いいか、山本。お前の言い分も分からんでもないが、ここは一度素直に謝りなさい。いい大学を出たお前のプライドが邪魔をしているのかもしれないが、謝れないプライドより、謝った後の始末のつけ方の方が、これからのお前には大事だぞ」
山口の言葉が、山本の何かに突き刺さったのか、彼は拳を握りしめる。しばらくの沈黙の後、山本はわずかに震える声で、ようやく言葉を絞り出した。
「…申し訳、ございませんでした…」
歯を食いしばるようにしての、ぎこちない謝罪。誠意が感じられるかと言われれば、まったく別のものだった。しかし、俺はこれ以上ここで騒ぐつもりはなかった。会議の時間が迫っていたからだ。
「…分かった。今回は、これで許してやろう。だが、次の機会があれば、その時は考えものだぞ」
俺はそう言って、山本から目を外した。山本は何か言いたげだったが、山口が鋭く睨みつけたことで、口を閉ざした。
俺は予定通り、会議に参加した。議題は、国内店舗の活性化策が中心だった。目新しさはないものの、地道な改善が求められる内容だ。
「売上が伸び悩んでいる原因の一つに、店員のやる気のなさがあります。彼らが仕事に誇りを持てるような環境づくりが必要ではないでしょうか」
俺は、これまでの経験から得た持論を展開する。
「例えば、店員一人ひとりに『接客のプロ』という自覚を持たせることで、店全体の雰囲気も変わってくるはずです。お客様が入りやすい店、また来たいと思える店、そういう店作りをするためには、まず接客の質を高めることが先決でありますが、いかがでしょう。」
会議の参加者たちは、真剣な表情でメモを取っている。
「また、店員には、お客様に持っている商品を提案するだけでなく、関連するアイテムを提案するよう教育すれば、自然と客単価も上がります。高価なものを売ろうとするのではなく、お客様のニーズに合った何かを提案できる人材を育成することが、長期的に見て会社の利益につながると、私は考えます」
私の言葉に、参加者たちは深くうなずいた。無能な社員の跋扈によって、会社の士気が下がることを私は懸念しているのだ。
会議が終わり、やれやれと一息ついたところへ、山口が近づいてきた。
「会長、さっきは、大変失礼を致しました。あの山本という者、私がきっちりと叱っておきます。…それにしても、あいつも珍しく失敗したな。元々切れ者で、納得のいかないことには、すぐああいう反抗的な態度を取ってしまうところがあるものですので」
「俺のことは、気にするな。…あの男は、俺がアメリカ本社から来た、いわばコネで入った会長だと思っていたのだろう。俺を無能なじじい呼ばわりした男の言い分も、あながち理解できないでもない。若い者に、機会を与えてやるのも、上の役目だ」
私が冗談めかしてそう言うと、山口は恐縮したように笑った。
「会長は、昔からそういう人ですからね。私、給料は出世するほど下がっていくんじゃないかとドキドキしながら、今の地位を務めておりますよ」
そう言って笑う山口を見て、私は妙に安心した。この男は、私が会長になった今でも、何も変わっていなかった。
それから、数日間。私は、日本支社の改革案を練るのに没頭した。あの山本をどう扱うかも、頭の痛い問題だったが、彼の能力を買っている部分もある。どうせなら、彼が自分の力で這い上がってくるのを待つのも一つの手か。
そんなある日、私を訪ねてきた者があると執務室に通された。客をそこに待たせて、部屋に入ってきたのは、驚くべきことに山本だった。
「…山本課長、か」
「…申し訳ございませんでした」
山本は、深々と頭を下げた。前回会った時とは、まったくの別人だ。
「…会長が、アメリカ本社でこれまで挙げてこられた実績を、後輩の社員から詳しく聞きました。アメリカに拠点を移した時は、現地採用の日本人社員から、『物覚えの悪い奴らは首にしてしまえ』という意見もあったそうですが、会長は皆が働きやすい環境を整えることを優先された…と。私、本当に無知で、何も知らずに、会長のことを…」
山本の声は、震えていた。
「…まあ、偉い人が俺を『無能のじじい』と呼んだそうだからな。ある意味、見抜く目は確かだったんだろうよ。どの辺が無能なのか、聞かせてくれてもいいんだぞ?」
「いえ…!そ、その…!」
山本は慌てて言葉を探す。漸く、この男も俺の正体を理解したようだ。私は椅子の背にもたれかかると、山本を眺めた。
「…まあ、いい。俺のことは、もう気にするな。しかし、あの時の会議の場に、お前がいたとしたら。企画部の佐藤の報告は、正確だった。もし誰かが「無能なじじい」の言動を見破れていたとしても、それを周りが止めなければ、最終的には私が会長の仕事を続けるだけの話だ。ぶっちゃけ、居づらいから仕事を変える、というのはありだと思っている。しかし、先輩社員としてお前に言えるのは、仕事が楽しいと思える場所に出会えるまで、決して諦めることなく、あがき続けることだけだ。俺は、経営に携わる中で分かったことがある。どんなに素晴らしい人材でも、雰囲気で叩かれたり、理解のある上司に恵まれなければ、その能力を発揮できないまま終わってしまうことがある。俺は、このアメリカ本社にいる間に、何人の優れた人材が、そうやって無駄になっていくかを見てきた。これは、全世界共通の、悲しい現実だ。そして、これはどの国でも起こることだが、時に組織というものは、正しいことを言った者を攻撃し、排除しようとする。お前は、今それをやらかした。だが、自分が正しいと信じることを通すには、タイミングと、伝える言い方を間違えてはいけない。」
私は一息ついて、言葉を続けた。
「ここだけの話だがな、俺は若い頃、上司の意向に反対したことで、左遷寸前まで行ったことがある。間違っていると、心の底から分かっていたとしても、権力を持つ者に逆らうのが、どれほど怖いことか。お前が俺を『無能なじじい』と見下した気持ちも、分からんでもない。しかし、だ。もしお前が、あの場で上司の言うことを鵜呑みにすることなく、正しいと思うことを主張し続けていたら、俺もまた、違う見方をしたかもしれない。大切なのは、相手を敬う気持ちを持ちながら、自分の考えを伝えることだ。頭ごなしに否定されると、反発したくなるのは、人の常だろう。しかし、それを押さえて、冷静にコミュニケーションを取るのも、社会人の務めだ」
俺は、窓の外に目をやった。ビルの向こうに、くぐもった空が見える。
「…今回の件、お前は謝った。そして、分かってくれたなら、それでいい。俺が望むのは、お前のような頭のいい人間が、間違った上司のせいで、チャンスを逃すことのないよう、組織を守ってやることだ。どうだ、俺の下で働く気はないか?お前には、パターンナーとしてだけではなく、より大きな視点で会社を見てほしい。…いや、今日のところは、このまま帰れ。いろいろ考えて、結論を出せ。」
山本は、何度かまばたきをすると、深々と頭を下げた。
「…ありがとうございます。…ええ、少し時間をください。…あの、会長」
「なんだ」
「…どうやら僕は、『無能のじじい』を見抜く目は、なかったようです」
そう言って、ほんの少しだけ、山本は笑った。俺は、口元をゆるませると、パソコンを立ち上げて、また新たな改革案の作成を始めるのだった。
