「貧乏人の小銭預金なんていらないわよ。店長呼んで頂戴。うちの社員八千人分の口座、全部解約するから」
窓口の向こうで、マリナが固まった。ついに、この日が来たのだ。かつて私をいじめ抜いたマリナに、私はようやく反撃できる。私の名前は山田七子、四十歳。実は大手企業を経営する社長である。
三十歳で起業して、早十年。会社は年々規模を拡大してきた。ここまで来られたのは、間違いなく協力してくれる社員たちのおかげだ。私は従業員との距離を縮めるため、今でも現場で一緒に働いている。何でも話しやすい環境を作り、居心地のいい会社にしたかった。もちろん社長としての仕事は他にもたくさんあるけれど、従業員を置き去りにするような社長にはなりたくなかったのだ。
うちの会社は、本当に優しい人が多い。面接の時点で優しそうな人だけを採用しているので当然といえば当然だが、恵まれた環境だと心から思う。毎日が充実していた。
しかし、起業してここまで成長するまで、道のりは険しかった。まず、学生時代を振り返ると、私には友達がいなかった。高校生の頃は地味だったので、いじめの標的にされていた。中でも私を強くいじめていたのが、同級生の小中マリナ。元々気が強く高圧的だった彼女は、高校に入学した途端に私を標的に選んだようで、いつも私をいじめていたのだ。
朝教室に入ると、私に聞こえるように大きな声で悪口を言われる。クラスの女子は私だけ仲間外れにされた。「七子は仲間に入れなくていいからね。みんなで行きましょう」。当時の私は気が弱くて大人しかったので、言い返すこともできず、必死に耐えていた。マリナは私の何が気に入らなかったのか分からないけれど、よく「ブス」「グズ」と言われた。
「七子って本当に呪いみたいな子よね。赤ちゃんからやり直した方がいいんじゃないかしら」「そうだね。高校生にもなって、やってることが小学生みたい」
実は私、中学時代もいじめられていて、同級生と被らないように高校を選んだのに、それでも高校生活は地獄のままだった。マリナは悪口を言うだけでなく、私を飯使いのように扱った。自分のご飯を買ってこさせたり、教科書を忘れたから代わりに私が忘れたことにしろと言ってきたり、体操服を取られたこともあった。代わりに教科書を忘れたことにした時は、クラス全員の前で先生にこっぴどく怒られた。マリナがその時、くすくす笑っていたのを今でも覚えている。悪いのはマリナなのに、私のせいにされたのだ。どうして私がこんな理不尽な目に遭わなければいけないのか、当時は毎日のように泣いていた。私をいじって何が楽しいのだろう。
それでも、せっかく選んだ高校だし、卒業だけはしようと頑張った。その後、私は地元を出て大学へ進学。大学進学を機に、自分自身で変わろうと決意した。弱い自分から強い自分になろうと。過去を封印して、周りに積極的に話しかけるようにした。一人ぼっちだった学生時代によく周りを観察していたので、明るくて積極的な人の雰囲気を真似てみた。すると、驚くことに、明るくて優しい子が私の周りに集まってきたのだ。昔の私には考えられないことだった。
だけど、最初のうちは苦しんだ。大学にまたマリナみたいな子がいたらどうしようかと。マリナは高校卒業後、地元に就職したので大学にいるはずはないのに、似た人を見かけるとビクっと反応してしまう自分がいた。それくらい、マリナのことはトラウマになっていて、私の心の傷になっていたのだ。でも、それも時が経つにつれて薄れていった。大学で素晴らしい友達に恵まれて、かけがえのない日々を送ることができた。
しかし、就職すると今度はマリナのような意地悪な上司に出会ってしまい、再び悪夢が蘇った。どこにだって意地悪な人はいるものだ。だからこそ、私は全員が心地よく過ごせる場所を作りたいという夢を持った。みんながいつも楽しく笑っていられる場所。三十歳になるまで必死に働いて貯金し、ついに起業した。
会社は、色々な嫌な思い出が残っている地元に創設することにした。いつか成功してメディアに取り上げられたら、同級生たちに「ぎゃふん」と言わせてやりたかったのだ。もちろんマリナもその中に含まれている。何しろマリナは、私の高校生活を台無しにした張本人なのだから。
四十歳になった私が言うのもあれだが、今でも友達と楽しそうに歩いている高校生を見ると、とても羨ましくなる。時間を戻すことはできないが、高校生活をやり直したい気持ちはあった。でも、時を戻せないからこそ、これからは同級生たちをぎゃふんと言わせられるように頑張ろう。そう思ううちに、いつの間にか私は気の強い人間になっていた。やっぱり、人って変われるんだ。
そんな思いに浸っている中、私は一人で銀行に行くことになった。会社のお金を預金しに行くのだが、作業をした後だったので作業着のままである。地元の中小企業向けの銀行で、私が作業着でいても誰も気にしないし、銀行の人も顔なじみが多く、私が社長だということも知られていた。いつも通り、私は銀行に行った。
受付をしてしばらくすると、私の名前が呼ばれた。窓口で会社のお金の預金をしたいと伝えると、窓口の人が言った。
「貧乏人の小銭預金なんていらないわよ」
マリナ。銀行の窓口をしていたのは、なんとあのマリナだった。名札を見ると、「小中マリナ」と書かれている。顔はあの時からだいぶふけていたが、意地悪なマリナのままだ。
「この銀行に勤めてたの?」
「最近転職してきたのよ。あんたは相変わらず汚いし、貧乏臭いわね」
マリナの話によると、この銀行には最近転職してきたらしい。私はマリナと話していると、ふと過去のことを思い出してしまった。私をいじって喜んでいたマリナ。忘れかけていた過去が蘇り、苦しくなった。マリナの表情はあの時と少しも変わっていない。人を見下したような意地悪な目つき。私は銀行のお客様のはずなのに、よくそんな対応ができるものだ。それにマリナの苗字は変わっていない。もしかして、まだ独身なのか。
正直なところ、マリナとはこれ以上関わりたくない。同じ地元だからどこかで遭遇する可能性はあるだろうが、まさかここで再会するとは思ってもみなかった。最初は普通に話せていたのに、だんだん体が震えてくる。
「この銀行はね、あんたみたいな貧乏人が来るところじゃないの。大手企業やご立派な役員様が来るところなんだから」
「そうだよね。ごめんなさい」
気づいたら、学生時代の私に戻っていた。マリナに従っているだけの、気の弱い私だ。このままだといけないと思いながらも、どうしてもマリナのペースに引き込まれてしまう。
「その汚い作業着も、どうにかした方がいいんじゃない? まあ、この銀行には二度と来ないことね。さよなら」
「分かったわ」
マリナに言われるがまま、私は銀行から逃げるように去ってしまった。いい年して、私は何をやってるんだろう。悔しくて仕方なかった。私は今、大手企業の社長で、社員たちの生活を背負っている。その社長が、昔いじめられた同級生ごときにビビってどうするのだ。そう自分にカツを入れた。
次の日、私は初めて会社を休んだ。社長として本当に情けないことだ。あの場でなぜマリナに言い返せなかったのか。会社の大切な預金を放棄して逃げてしまったことが恥ずかしくて仕方なかった。会社の従業員たちの給与口座は、あの銀行にあるのだ。また行かなくてはいけないのは確定している。
私はその日、起業してから今までの日々を思い出した。誰もが楽しく働けて、笑顔溢れる会社。私の会社は本当にたくさんの人に恵まれて、今がある。分かってはいるが、大事なのは過去ではなく現在だ。だから会社の将来のことを考えなくてはならない。未来のことを考え続けていると、私はとてもワクワクしてきた。マリナには貧乏人と言われたが、社長をしている私はマリナなんかよりずっと給料も高い。人を見下して喜んでいるマリナよりも、幸せなはずだ。そのことを再認識すると、自然とマリナが怖くなくなってきた。私には味方がたくさんいる。マリナに立ち向かう勇気も湧いてくる。
立ち直った私は、次の日会社に向かった。会社では従業員たちが私の体調を気遣って声をかけてくれた。中にはお菓子を用意してくれた人もいて、みんなの優しさが嬉しかった。そして、いよいよマリナの銀行に行く決心がついた。私はあの時の私とは違う。マリナに負けないくらい、心は強くなった。
「行ってきます」
そう言って、私は会社を出た。銀行に着くと、変わらずマリナが窓口にいる。
「あんた、また来たのね。貧乏人はここの銀行には来れないって言ってるでしょ」
「支店長を呼んで頂戴。うちの社員八千人分の口座を解約するから」
私は支店長を呼ぶようにマリナに言った。マリナは意味が分からず、混乱している。
「は?」
「私はこの会社の代表取締役なの。だから、社長から支店長にお話がありますって伝えて欲しいんだけど」
マリナは震え始めた。いつから会社をやっていたのか、どうして従業員がそんなにいるのか、私を責めるように問い詰める。私は三十歳の時から起業していることを伝えた。最近転職してきたと言っていたので、マリナは知らなかったのだろう。それを聞いたマリナは急に怒鳴り始めた。
「私みたいなブスがどうして社長なんかしているのよ! 世の中不公平だわ!」
当然、銀行には他のお客さんや従業員もいる。皆、私たちに注目している。騒ぎを聞いて駆けつけた支店長がマリナを止めた。
「こちさん、何やってるんだ? この方はうちの長年のお客様だぞ」
「斎藤さん、お疲れ様です」
支店長の斎藤さんは、私が起業した時からずっとお世話になっている方だ。とても優しい性格で、いろんなことを教えてくれた人。会社ぐるみで仲が良いので、うちの飲み会にもよく顔を出してくれる。
「最近入ったうちの新人が、失礼な態度を取ってしまってすまない」
「斎藤さんは全然悪くないですよ」
悪いのは、お客様に対して失礼な態度を取るマリナだ。
「だってこの人、高校生の時いじめられてたのよ! なんで会社なんかやってるのか、わけが分からない!」
「それは昔の話じゃないか」
斎藤さんは再びマリナを怒った。私も、斎藤さんの前で過去を話されたことに腹が立っていた。それでもマリナは構わず話を続ける。私が高校生の時に地味で目立たなかったこと、クラスでターゲットにされていたこと、友達がいなかったこと。私が今まで隠していたことを、全て斎藤さんにばらしたのだ。斎藤さんがこの話を聞いてどう思うか、私は少し怖かった。全てを話し終えると、マリナは満足げに笑った。
「支店長はどう思います? この人のこと」
「俺は、会社を起業した頃からの山田さんしか知らない。でも、そうやって人の過去を掘り返していじるこちさんは、最低だと思うな」
マリナはビクっとした。斎藤さんは続けた。
「人はそれぞれいろんな人生があるし、世の中には大変な思いをしている人がたくさんいる。でも、今を頑張っていたら過去のことなんてどうだっていいじゃないか。過去があるから今があるんだし。昔のことをいつまでも引きずっている人は、なかなか成長できない」
私も斎藤さんと同じ意見だ。あの時、マリナからのいじめがなかったら、もしかしたら私は人に親切にしたり、優しい人間になれなかったかもしれない。マリナと仮に仲が良かったとしたら、心の狭い人間になっていただろう。だから私にとって、あの過去は無駄な時間ではなかった。起業という未来に向かっていくための、通過点だったのだ。それに、学生時代なんて人生のほんの一瞬に過ぎない。いつまでもそれを引きずっているマリナこそ、本当に恥ずかしい人だと思う。
「私が間違ってるっていうの? 今まで仕事頑張ってきたのに!」
「こちさん、落ち着きなさい」
マリナの怒りは止まらない。今度はマリナの過去の話になった。高校卒業後に就職したマリナだったが、どこの会社にも溶け込むことができなかったそうだ。学生時代は女王様のように振る舞って周りを従えていたマリナだが、社会人になるとそうはいかない。社会に出ると周りは年上の人も多くなり、協調性が求められる。マリナには協調性が全くなかったため、どこに行っても仲良くしてくれる人がいなかったらしい。この銀行に至るまでに、もう十社くらいは転職しているという。私はマリナの卒業後の人生を知らなかったので、とても驚いた。もちろん結婚はしておらず、独身だそうだ。
「ほとんどの会社は、私の言うことを聞けないから良くないのよ。彼氏だってそうだわ」
「それはマリナが悪いんじゃない?」
私の言葉に、マリナは怒った。彼氏ができても、すぐに振られてしまうらしい。でも、その彼氏の気持ちはとてもよく分かる気がする。だって、マリナみたいな人を奥さんにはしたくないから。今いるこの銀行でも、誰も自分に従ってくれないと怒っている。新人だから本来は教えてもらう姿勢が大事だと思うが、マリナは自分が偉くないと気が済まないようだ。
すると、斎藤さんが言った。
「こちさんは、もうここにはいられないかな」
「いや、こちさんの高圧的な態度から、お客様や従業員からたくさん苦情が来ているんだ。本人が改善する気もないし、近々解雇されることになるだろう」
「私、悪くないわよ! 全部七子のせいよ!」
「残念だったわね。人をいじることしかできないあんたは、本当にかわいそうな人だわ」
私はマリナを上から見下ろしながら話した。マリナに自分の通帳も見せた。今まで必死に働いて貯めたお金だ。マリナはその金額を見て、倒れそうになった。
「貧乏人なのは、あんたの方じゃないの? これから仕事もなくなって大変ね。でも、うちでは絶対雇わないけど」
「私の方が、七子なんかよりもずっと優秀で素晴らしい人間のはずよ! どうしてこんなに理不尽な目に遭うの?」
マリナみたいな人を雇うはずがない。それに、ずっと理不尽な目に遭ってきたのは私の方だ。私の中で、マリナは最初からブラックリストに入っている。
「あんたのせいで、今までたくさん苦しんだわ。次はマリナが苦しむ番ね。さよなら」
「待ってよ! 七子!」
私は斎藤さんに預金の件を伝え、銀行を出た。マリナが叫んでいる声が聞こえたが、あれは全て過去のこと。私はもう、未来に向かって歩いているのだ。
その後、斎藤さんからマリナが首になったと聞かされた。銀行の人事部からも、相当評判が悪かったそうだ。もちろん本人の自業自得なのだが、その後マリナがどうなったかは分からないとのこと。でも、今の私にとって、そんなことはどうでも良くなっていた。私の会社と斎藤さんで飲み会をした時、斎藤さんからこう話しかけられた。
「これからも何かあったら、いつでも声をかけてください。山田さんは素晴らしい社長です」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします。これからも従業員一同、お世話になりますので」
もちろん、全従業員の口座を解約するというのはマリナを脅すためのものだったので、解約するはずなんてない。これから私は、会社の発展のためにもっと頑張っていこうと思う。私の未来は、明るく輝いているのだから。
