私の名前はゆみ。都内で一人暮らしをしている。昔は結婚していたが、夫は数年前に病気で亡くなった。四十歳という若さで、病状はあっという間に悪化した。
当時の夫婦仲は最悪だった。夫はどこかの女と浮気をして、ほとんど家に帰ってこなかった。たまに帰ってきても、私に暴言を吐いて喧嘩になるばかり。たぶん、浮気相手と喧嘩して、その八つ当たりを私にしているのだろうと思っていた。
会えば喧嘩ばかりなので、離婚したくても話し合いすらできない。私たちの間に愛情はもう残っていなかったけれど、離婚もできないまま、何年もずるずると過ぎていった。
それでも夫は仕事だけは真面目にやっていた。大企業に勤めていて、稼ぎは良かった。結婚する前は、私にもたくさんプレゼントをしてくれた。ブランド物の時計やバッグ、指輪やネックレス。どれもこれも高級品ばかりだった。
そんな夫と付き合えるようになった私は、完全に浮かれていた。人の性格をよく見極めもせずに結婚してしまった。今でもなぜあの時もっとよく考えなかったのか、後悔している。
夫は確かに大企業勤務の高収入だったけれど、女にはだらしないし、酒癖も悪かった。もし良い夫ランキングがあるなら、間違いなく最低ランクの人間だと思う。
しかし、そんな夫のことを自慢に思っていたのが義母だった。義母はとにかく息子が大好きだった。いや、息子本人というより、息子の肩書きが好きだったのだろう。
いつも「息子ちゃんくらいの稼ぎがあるなら、もっといいお嫁さんを捕まえられたのにね」と、私に嫌味を言ってくる。夫は「母さんの言う通りだな」と私を一切かばわない。
私はこの面倒な義母のことが大嫌いだったし、義母に味方する夫はもっと嫌いだった。結婚した当初から義母は私のことが気に入らないようで、嫁いびりがひどかった。私に大好きな息子を取られたと思っているようだった。
義家族で食事をする時は、私が準備と片付けをして、一緒に食卓に着くことは許されなかった。みんなが食べ終わった後に、やっと残り物を食べることができた。嫁を飯炊き女か何かだと思っているのだろうか。
嫌な雑用も面倒なことも全て私任せ。そのくせ文句だけはしっかりと言ってくる。結婚してすぐ、夫が浮気していることが分かってショックを受け、義母に相談したことがあった。しかし義母は笑いながら「あんたみたいな嫁は不倫されて当然なのよ。あんたが悪い。反省しなさい」と私を責めたのだ。
あの時の仕打ちを、私は一生忘れない。
それなのに、夫の葬儀では、愛する息子を前に義母は号泣した。「あんたが息子ちゃんの健康管理をしっかりしなかったから、息子ちゃんが死んだんだ。あんたが責任を取りなさい」と、私を攻め立てて発狂した。そんな義母に周りの参列者はドン引きしていたのを覚えている。
夫の入院中、義母はろくにお世話もしなかったくせに、好き勝手なことを言う。怒りが湧いてきたが、もう義母と関わる機会も減ると思うと、ほっとしたのも事実だった。
夫が亡くなって一週間が過ぎた頃、手続きやら何やらで忙しくしていた私の元に、義母が訪ねてきた。私は義母に嫌われているし、夫がいなくなった今、滅多に義母と関わることもないだろうと思っていたので、わざわざ家に来た義母に驚いた。
義母はいつものように遠慮なく家に上がり込むと、どかっとソファに腰を下ろした。
「いきなりどうしたんですか、お母さん」
私が尋ねると、義母は「息子ちゃんとあんたの夫婦仲は冷えきっていたわよね。あんたが離婚しようとしていたのを、私は知っているんだから」と言い出した。
話の意図が見えず「はあ、そうですね」と答えると、義母は勝ち誇ったように言った。
「やっぱり。つまりあんたたちは離婚同然ってことでしょ。それなら息子ちゃんのアパートの相続を放棄しなさい。息子ちゃんの片として、私が相続するから」
夫は三年前に都内の一等地にあるアパートを購入し、仕事の傍ら経営していた。以前から夫は「家賃収入でローンを返して、すぐに黒字になる。不労収入だ」と義母に自慢していたのだ。
もちろん私には何の相談もなく購入していたので、夫が亡くなった今、私は大変困っていた。今後の経営をどうしようか考えているところだった。
そういうわけで、私はにっこりして言った。
「どうぞどうぞ。喜んで放棄します。お母さんが相続してくださいね」
義母は私の返答に少し驚きながらも「あら、それならここに一筆書いてちょうだい。今の発言、録音もしてあるんだからね」と用意が良かった。
こうして都内の一等地のアパートは、義母に相続されることになった。
その他の遺産は私が相続した。さすが大企業に勤めていただけあって、夫の銀行口座には預金がたくさんあった。あ、そうそう。結婚前に夫からもらったプレゼントの数々は、全部売った。そこそこいい値段がついた。これは夫に感謝だね。
その後、私は都心から少し離れた田舎に引っ越した。もちろん義母には居場所を教えていない。ばれたら面倒だから。新しい仕事も見つけて、平和に暮らしていた。そしてあっという間に夫の一周忌。
いくら夫に情がなかったとはいえ、法要はきちんとしたい。もちろん義母を含む親戚を集めて取り行った。
久しぶりに会う義母は、なんだかやつれたように見えた。お坊さんの読経やお墓参りも終わり、斎場に行ってみんなでご飯を食べていた時のことだ。
義母が私に向かって、おずおずと言ってきた。
「ねえ、ゆみさん。お願いがあるんだけど」
義母が私の名前を呼ぶなんて、初めてのことだった。いつも「あんた」呼ばわりだったのに。
「何ですか」
私が聞くと、義母は言った。
「息子ちゃんから相続したアパートなんだけどね。あなたに返すわ」
「いや、困ります。私、いらないので」
私が拒否すると、義母は急に大声を上げて泣き始めた。
「あなたが引き取ってくれなかったら、私が困るのよ!」
親戚たちも何事かと驚いている。
一通りの泣いた後、義母は今度は怒り始めた。
「なんであんなアパートだって言ってくれなかったのよ。ほんと、最低な嫁ね」
あのアパートには幽霊が出るという噂が広まっていて、誰も入居してくれないらしい。まだローンも終わっていなくて、大赤字。誰かに売ろうとしても、噂のせいですごく安い値段でしか買い取ってもらえないという。
夫がアパートを購入してすぐ、アパートの目の前の道路で大きな交通事故が起きたのだ。その時、実際には誰も死んでいなかったのだけれど、噂に尾ひれがついて、「あのアパートで人が死んだ」「入居したら事故に遭う」などと広まってしまったらしい。
しかも、それが有名な心霊スポットのウェブサイトやまとめサイトにも載ってしまった。それが噂の決定打になったようだ。
それに、夫の趣味なのか、確かにアパート自体も少し暗い雰囲気なので、「幽霊が出る」と言われても納得してしまう外観だった。
実は、私はこのことを知っていた。だからこのアパートを相続したくなかったのだ。義母が自ら相続を申し出てくれて、助かった。
「お母さんが言ったんですよね。あのアパートを息子さんの形見に相続するって。お互いに同意して決めたのだから、今さらやっぱりやめた、なんてできませんよ。お母さんが責任を持って経営していってください」
私が言うと、義母は「私にどうしろって言うのよ。助けてください。お願いします」と、また泣き始めた。
その光景を見ながら、私は今まで散々義母に受けてきた嫁いびりへの恨みが晴れた気がした。
その後、私はそのアパートを引き取ることにした。お人好しだと思う? いやいや。なんと言ってもアパートのある場所は都内の一等地。少し面倒だし手間はかかるけれど、うまくやればきちんとした収入源になるはずだ。
まず、心霊スポットのウェブサイトに掲載の削除依頼を出して、削除してもらった。そして訂正文を掲載してもらったのだ。その次に、夫の遺産を使ってアパートの外観を明るくした。白を基調としたおしゃれな雰囲気だ。
さらにペット可にして、少しだけ家賃を下げた。すると入居の申し込みが殺到した。立地もいいし、おしゃれだし、ペットと一緒に住めるアパートはやはり人気だ。もちろん幽霊も出ないが、念のためお払いだけはしてもらった。
そうして常に満室のまま数年が経ち、ローンを完済した今では黒字経営になっている。
あれから義母とは、法要の時に会うのみ。さすがの義母も、赤字経営から救ってくれた私にはもう頭が上がらないようだった。前のように嫌味を言ったり嫌がらせをすることもなく、おとなしくしている。
私はアパート経営をしながら、大好きな犬や猫に囲まれて、一人で静かに暮らしている。夫と結婚し、浮気され、辛い時もあったけれど、今は本当に幸せだ。残りの人生も、精一杯楽しみたいと思う。
