「ごめんね。こんなところに来てもらって」
電話をもらって慌てて駆けつけると、天井から漏れる水を拭き取っている三人がいた。子どもたちが泣きそうな顔で、母親らしい女性が弱った様子で立っている。俺はとにかく運び出せる荷物を玄関の外に出した。
「ずっと言おうと思ってたんですけど、みんなでうちに住みませんか?」
え、と彼女は手を止めた。まさかこんな状況で同性を提案されるとは思っていなかったのだろう。
「僕の家族になってもらえませんか?」
「私も、そうなったらいいなって思っていました。奥さんになってもいいですか?」
俺の名前は原信人。電気工事師として働くアラフォーの独身者だ。
昔から勉強は嫌いだったが、部品をいじるのが大好きな少年だった。手先だけは器用で、これまでに自動車整備士や調理師、美容師、建築模型士の資格も取得している。なのに、いまいち仕事に就くことができず、転職を繰り返していた。
三年前、今の電気工事の会社に就職して、やっと落ち着いた。一つのことを長く続けられず、食い扶持を求めて点々としてきたせいで、結婚どころか恋愛さえ何年もしていない。そんな俺の仕事は、ビルの配線工事や大きな施設の電気メンテナンスから、一般住宅のケーブル修理やエアコン取り付けまで、何でも屋だ。要は困っている人を助けに行くわけだから、仕事を終えると直接感謝されることばかりで、そんな毎日を続けているうちに、この仕事が好きになった。
転職を繰り返してきた俺が、この仕事について三年が過ぎた。両親はやっと安心したと言っていた。こんな年になっても親に心配をかけていたなんて。俺はどうしようもない息子だと自分でも自覚している。もっと頑張って、親孝行したい。今は必死に仕事へ向かう毎日だ。
俺の仕事で大変なことと言えば、電気を扱うゆえに危険が伴うこと。そして外での仕事も多いので、暑さ寒さの厳しい時期には堪える。その日も、俺は一件の電気工事を終えて家に直行するところだった。
「ママ、開けて。はるかだよ。寒いよ。死んじゃうよ」
小さな子供が二人、向かいのアパートの玄関先で叫んでいた。最初は何をしているのか分からなかったが、子供たちの表情を見て、これは放置してはいけない状況だと判断した。
「どうしたの? お母さんは?」
俺が二人に話しかけると、女の子が涙目で答えた。
「ママ、中にいるの? 鍵が開かなくて入れないの」
玄関の鍵はオートロックになっていたから、鍵を持たずに出た子供たちは閉め出されてしまったのだろう。
「ママ、気づかないのかな?」
「うん。ママ、病気で寝てるの」
「え、そうなの?」
警察に通報した方がいいかとも思ったが、この子たちの言葉を信じて、とりあえず鍵を開けてあげることにした。
「おじさん、家の修理屋さんしてるんだけど、鍵を開けて中に入ってもいいかな?」
「うん」
女の子の方が頷いた。二人は七歳の双子で、お母さんが病気になったため、何か食べ物を買いに行こうと二人で外に出たらしい。しかし、二人が握りしめていたのは、たったの二百円だった。
「お弁当を買いたかったけど、一個しか買えなかったの」
二人は十分な現金を持っていなくて、一つのお弁当をみんなで食べるつもりだったらしい。きっと、自分たちのお小遣いを握りしめて出かけたのだろう。女の子の方がはるか、男の子の方がカイトという双子だ。
仕事道具の工具でなんとか鍵を開けた俺は、子供たちを家の中に入れた。
「ママ、大丈夫?」
俺は中で人が倒れているんじゃないかと心配したが、母親らしき女性は、体調は悪そうなものの、意識はありそうだった。熱が出てしんどくて、起き上がれなかったらしい。
「ごめんなさい。出れなくて」
咳込みながら、真っ赤な顔で彼女は言った。
「大丈夫ですか? 病院に連れて行きましょうか?」
「そんなご迷惑はかけられません」
彼女は体を起こそうとしたが、力が入らず、倒れかけた。
「ほら、すごく体調悪そうですよ。このまま帰るのも心配なので、病院までお送りします」
俺は彼女をおぶって車に乗せた。近くの救急病院では、状態の悪そうな様子を見て、すぐに診察してくれた。彼女の名前は玉さんと言った。双子を育てるシングルマザーだそうだ。
「お恥ずかしいことに、今お金がなくて。病院に行くのを渋っていたら、こんなことになってしまいました」
彼女は一週間前から風邪を引き、熱も下がらないまま何も食べられずにいたらしい。極度の脱水症状になっていた。点滴をすれば良くなるそうだ。
「ありがとうございました」
俺は彼女の点滴が終わるまで、病院の待合室で子供たちと過ごすことにした。もうすっかり遅くなってしまったし、彼女の点滴が終わったら三人を家に送って帰ろうと思った。
子供たちは心配そうな顔でママを待っていた。
「ママ、死んだりしないよね」
「大丈夫だよ。少し風邪をこじらせちゃったみたいだ。点滴して、ちゃんと食べられるようになれば元気になるよ」
とはいえ、お金がないと言っていたのが気になった。さっき買ったお弁当を、とりあえず今食べよう。二人ともお腹を空かせているだろう。
「お腹空いた」
二人はガツガツとお弁当を食べた。俺はそんな二人の食べっぷりを見ながら、今後の三人の生活が心配になった。病院のそばにコンビニがあるのを思い出し、子供たちが好きそうなおにぎりやパン、ゼリーなんかも買い込んできて、俺も一緒に食べることにした。
点滴が終わったのは、もう九時を回った頃だった。子供たちももう眠そうにしている。
「気分はどうですか? 家まで送りますよ」
「本当に何から何まで、すみません。子供たちのことも、このお礼はいつかさせてください」
「とにかく、車に乗ってください。困った時はお互い様ですよ」
「ありがとうございます」
玉さんは点滴をしてから少し元気になったのか、しっかりと話せるようになり、顔色も良くなっていた。もちろんすっぴんでも、整った顔をした綺麗な人だ。
俺は一度三人を家に下ろし、スーパーへ買い出しに行った。しばらくの間困らないくらいの食料を両手いっぱいに買って、もう一度玉さんの家にお邪魔することにした。
「わあ、美味しそうなものがいっぱい。おじちゃん、ありがとう。僕、お菓子大好き。こんなにたくさん」
「今月の給料が入ったら、お返しします」
「いいんですよ。これはプレゼントします。もしよかったら、キッチンをお借りできるなら、おかゆを作らせてもらっていいですか?」
「え、そんな、そこまでしてもらって……でも、お願いしてもいいですか?」
俺はキッチンに立つと、親子が食べられるように、おかゆを作り始めた。玉さんも、子供たちも、本当に嬉しそうだった。
「原さん、昨日はありがとうございました」
「いえ、体の方はどうですか?」
「ええ、おかげさまで。もう大丈夫です」
子供たちは朝から元気いっぱいだ。昨日のことが嘘のように、笑い声が部屋に響いている。
「私たちも、本当の家族に見えるかな?」
玉さんがぽつりと呟いた。俺はその言葉に、返す言葉が見つからなかった。
「見えますよ。俺の家族に見えます」
そう言った後、俺は言い忘れていたことを思い出した。電気工事の日から、ずっと言おうと思っていたこと。
「玉さん。俺と、家族になってくれませんか?」
玉さんは目を見開いて、それからほっと息を吐いた。
「こっちこそ、お願いします」
そう言って、玉さんは泣き笑いのような顔をした。双子の子供たちも、二人の話を聞いて、ぽかんとしていたが、すぐに笑顔に変わった。
「やった! お父ちゃんになるの?」
「うん。そうなるよ」
俺は子供たちの頭を撫でながら、これからの生活を想像した。慌ただしくて、騒がしい日々になるだろう。でも、それはきっと、幸せな毎日のはじまりだ。
今日も俺は、仕事道具を抱えて家を出る。玄関で見送る家族の顔が、俺の背中を押してくれる。やっと、帰る場所ができたんだと思った。
