「お前には一円も渡さない。」
病室に響いた夫の冷たい声。胸の奥で何かが音を立てて崩れていくのを感じた。朝の光が差し込む部屋で、私は十二年続けてきた介護の日課を行っていた。夫の渋い口元を丁寧に拭き、枕の位置を整え、水分補給の時間を確認する。脳梗塞で倒れてから、私の人生は介護一色に染まっていた。
住みえ、大事な話がある。渋春が急に真剣な表情を浮かべた。私は手を止め、ベッドサイドの椅子に腰を下ろした。
財産は全て新太郎夫婦に渡す」。お前には何も残さない」
耳を疑った。まさか聞き間違いかと思い、震える声で聞き返した。「あなた、今なんて」。「はっきり言っただろう。遺言書も正式に作成した。「お前への相続はゼロだ」
十二年、毎朝四時に起きてオムツを変え、入浴介助をし、リハビリに付き添い、自分の退職金まで介護費用に当てた私への報酬がこれなのか。しかしその瞬間、私の中で別の何かが静かに目を覚ましたのだ。
40年の経理のプロとして培ってきた、ある知識が溝春の言葉を遮った。
十二年前のあの日を、私は今でも鮮明に覚えている「住みえ、か、助けてくれ」。救急車で運ばれた渋春は、脳梗塞で左半身が麻痺していた「先生から告げられた言葉は重く、長期のリハビリと介護が必要だということだった」。私は迷わず決断した。二十年間務めた経理事務の仕事を辞め、退職金二千万円を手にして、夫の介護に専念することにしたのだI. 毎朝四時のオムツ交換から始まり、体を拭き、着替えさせる。朝食は柔らかく煮込んだお粥を、一口ずつゆっくりと食べさせたI「さあ、渋春さん、しっかり頑張りましょうね」I明るく声をかけ、車椅子に移動させ、病院へと向かった「リハビリは週に三回、往復に二時間かけて通った」。入浴介助は特に大変だった「七十六歳の私が、八十歳の夫を支えながら、滑らないよう最新の注意を払った」I星は悲鳴をあげていたが、夫のためならと歯を食いしばったI
介護費用は想像以上だった「オムツ代、医療費、リハビリ費用、特殊寝台のレンタル料、 月々三十万円近くが飛んでいった」。退職金はみるみる減っていったが、夫の回復を信じて、私は全てを捧げたI「ありがとう、住みえ」。当時の渋春はまだ、そう言ってくれていた「その言葉を支えに、私は十二年、一日も休まず介護を続けてきたのだ」。
介護生活が始まって三年目の頃から、息子夫婦の態度に違和感を覚えるようになった「母さん、今月も忙しくて、来月は必ず顔を出すから」。新太郎からの電話は、いつも同じ言い訳で終わった「最初は週に一度来ていた見舞いが、月に一度になり、やがて二ヶ月に一度まで減っていった「ようやく顔を見せた時も、病室に滞在するのはわずか十五分程度」。”父さん、元気そうでよかった”。じゃあ、仕事があるから”と新太郎は父親の手を握ることもなく、機械的な挨拶だけして帰って行った「その背中を見送りながら、私は言いようのない寂しさを感じていた「嫁の理沙に至っては、もっと露骨だった」”お母さん、介護って大変ですよね”。でも、妻の勤めですものね”とある日、珍しく理沙が見舞いに来た時のことだった「私が介護の大変さを少し漏らすと、彼女は冷たい笑みを浮かべてそう言った」”私も仕事があるんです”。専業主婦のお母さんとは違って”と胸に突き刺さる言葉だった「四十年働いて、今は介護のために全てを犠牲にしている私に対して、何という言い草だろうか」。さらに追い打ちをかけるように、理沙は続けた「それに、お父さんの年金もあるでしょう」。まさか、お金目当てで介護してるわけじゃないですよね”と。
怒りで手が震えた「年金だけで介護費用は到底賄えず、私の退職金を切り崩している現実を、この人は知らないのだ」I。
いや、知ろうともしないのだろう「理沙さん、私は」。あら、ずいぶん怒ってますか”と理沙は意地悪な笑みを浮かべ、私の言葉を遮った「その後も理沙の嫌みは続いた」。病室を訪れるたびに私の介護方法にケチをつけ、まるで私が夫を虐待しているかのような言い方をするのだ”。お父さん、痩せましたね”。ちゃんと食事させてますか”と「この部屋、匂いますね」。もっと清潔にできないんですか”と「私は毎日誰よりも早く起きて夫の世話をし、部屋も常に清潔に保っていた」。それなのに、月に一度しか来ない人間に、そんなことを言われる筋合いはないI
ある時、新太郎から衝撃的な提案があった。「母さん、父さんの通帳と。委環にしたから」「え、どういうこと」。”母さんも年だしI”。お金の管理は大変でしょ”と俺たちが代わりにやってあげる”と「私は強く反対した」。渋春の年金は介護費用に当てているし、私がきちんと管理していると説明した「しかし新太郎は聞く耳を持たなかった」”認知症になってからじゃ遅いんだよ”。今のうちに、ちゃんとした人間が管理すべきだ”と「ちゃんとした人間」”。
。つまり、私はちゃんとしていないということだろうか「四十年、一度の間違いもなく経理の仕事をしてきた私が」I理沙も口を挟んできた「そうですよ」。お母さんが勝手に使い込んだりしたら困りますし”と「使い込む」。自分の退職金を介護費用に当てている私が、使い込むですって「私は四十年、経理の仕事を」。昔の話でしょ”。今は違うんですから”と新太郎は私の経歴を笑い飛ばしたI結局、渋春本人が新太郎に任せると言い出し、通帳の管理は息子夫婦に移ってしまった「それ以来、介護費用の申請も複雑になり、いちいち新太郎に連絡を取らなければならなくなった」Iまた、お金の無駄遣いではないかと疑われた「オムツ代の請求をするたびに、新太郎からは疑いの言葉が返ってきた」Iまるで私が介護費用を着服しているかのような口ぶりだった「レシートは、領収書は全部揃ってる」I。
まるで犯罪者扱いだ「私は悔しさを噛みしめながら、一枚一枚の領収書を提出し、費目を説明しなければならなかった”。
月日が経つにつれ、息子夫婦の態度はますます冷たくなっていった「父の日や誕生日でさえ、顔を見せることはなくなった」”忙しい”。用事がある”。来月にする”と言い訳のレパートリーだけが増えていった「私は孤独な介護生活の中で、ただひたすら夫の世話を続けた」I朝から晩まで休む間もなく、自分の体の不調も無視して、ただ夫のために尽くした「でもその献身は誰にも認められず、当然のこととして扱われていた」I私の人生は、まるで介護のためだけに存在しているかのように扱われていたI
あの日の家族会議は、私の人生で最も屈辱的な日となった「兄弟揃ったな」。今日は重要な話がある”と渋春がベッドの上で、威厳を取り戻したかのような口調で切り出した「新太郎と理沙は、まるで示し合わせたかのように奇妙な顔で頷いた」”俺も八十歳だ”。いつ何があってもおかしくない”。だから、正式に遺言書を作成した”と「私は嫌な予感がした」。昨日の「お前には一円も渡さない」という言葉が脳裏をよぎる「遺産は全て新太郎夫婦に相続させる」。土地も家も預貯金も、全てだ”と「やはり、そうだった」。でもまだ信じたくない気持ちで、私は声を絞り出して訪ねた「あなた、私は」。私はどうなるの”と渋春は冷たい目で私を見下ろした「お前には何もやらん」。一円もな”と「どうして」。十二年、毎日あなたの世話を”と「十二年がどうした」。渋春の声は氷のように冷たく響いた「介護は嫁の義務だろう」。当たり前のことをしただけで、何を偉そうに”と「義務」。十二年間の献身的な介護が、たった二文字で片付けられたI新太郎も口を開いた「母さん、父さんの言う通りだよ」。介護は家族として当然のことでしょう”と「でも、私の退職金も全部」。それも当たり前だろ”と夫婦なんだから”と理沙が追い打ちをかけてきた「お母さん、まさか介護をしたから遺産をもらえると思ってたんですか」”なんて浅ましい”。浅ましい”と自分の人生を犠牲にして介護してきた私が、浅ましいと言われたI「そもそもお母さんには実家の財産があるでしょう」。実家は兄が継いで、私には”と「じゃあ、自分で稼げばいいじゃないですか」。まだ働けるでしょう”と七十六歳で、十二年介護に専念してきた私に、今更働けというのだI渋春が続けた「それにお前は、俺の年金で生活してきただろう」。それで十分だ”と「年金は全部介護費用に」。嘘をつくな”と俺の年金を勝手に使い込んでいたんだろう「信じられなかった」。毎月の介護費用の明細を見せても、渋春は聞く耳を持たない”と「証拠なんて、いくらでも偽造できる」。お前は経理のプロだったんだろう”と「四十年間の誠実な仕事が、今度は私を貶める材料にされた」I新太郎が父親に同調した「そうだよ」。母さんは計算が得意だから、きっとうまくごまかしてたんだ”と「私は一円もごまかしてなんか」。じゃあ、なんで退職金がなくなったんだよ”と「介護費用に使ったからよ」。オムツ代、医療費、リハビリ費用”と理沙が嘲るように笑った「二千万円も」。嘘でしょう”と「きっと自分の贅沢に使ったんじゃないですか」”贅沢”。この十二年、私は美容院にも行かず、新しい服も買わず、全てを夫の介護に捧げてきた「それが贅沢だというのですか」I「お母さん、証拠があるなら見せてくださいよ」。理沙の挑発的な口調に、私は怒りを覚えた「でも、今はまだその時ではない」I”これで話は終わりだ”と渋春が議論を打ち切った「遺言書は、すでに公証役場にしてある」。お前が何を言っても無駄だ”と「でも、私の老後は」。知ったことか”と「お前の老後なんて、俺には関係ない」I新太郎も冷たく言い放った「母さん、甘えるのもいい加減にしてよ」。自分の老後は自分でなんとかするのが当たり前でしょ”と「でも、あなたたちのために私は全てを」。誰も頼んでないよ”と勝手にやったことでしょ”と理沙が最後の一撃を加えた「これで安心ね」。邪魔者もいなくなるし”と「邪魔者」。十二年、誰よりもしげ春のそばにいて世話をしてきた私が、邪魔者だというのかI「お母さんには、もう用はありませんから」。介護が終わったら、出て行ってもらいますからね”と「出ていく」。この家から”と「ここは私の家でもあるのよ」I”いいえ”と名義は全てお父さんです”。続いたら、私たちの家です”と「私は言葉を失った」。怒りと悲しみと絶望が入り混じり、体中が震えていた「でも不思議なことに、涙は出なかった」Iきっと、もう怒る気力さえ残っていなかったのだろうIいや、違うI私の中で何かが、静かにでも確実に動き始めていた「四十年間の経理経験が、私に別の道を示し始めていた」I彼らは知らないのだ”と私が何を準備してきたかを”と経理のプロとして、私は全てを記録し、証拠を残してきた「その時は、もうすぐそこまで来ていた」。
家族会議から帰宅した私は、不思議なほど冷静だったI”そうですか”。わかりました”と渋春の病室を出る時、私は確かにそう言っただけだった「新太郎たちは、私があっさり引き下がったことに少し驚いたようだったが、すぐに安心した表情を浮かべた」Iきっと、私が大人しく諦めたと思ったのだろうI家に着くと、私はまっすぐ書斎に向かった「四十年間の経理生活で使い続けてきた古い金庫が、部屋の隅でひっそりと私を待っていた」Iダイヤルを回す手は、全く震えていなかった「カチリという音と共に重い扉が開き、中から整理整頓された書類の束が姿を現した」I”四十年、経理のプロとして準備してきたことがある”と私は独り言のようにつぶやいたI一番上にあったのは、分厚いファイルだった「表紙には『介護日誌』と、丁寧な文字で書かれている」Iページをめくると、十二年前の最初の日付から始まる詳細な記録があったI「◯月◯日、午前四時、オムツ交換、排便あり、清拭交換、入浴介助、朝食準備、お粥と副菜確認、リハビリ、病院への送迎」。毎日欠かさず記録してきた介護の内容、起床時間、食事内容、排泄回数、入浴回数、通院記録、リハビリ内容、体調変化、全てが細かく記載されていたI次のファイルを開いたI”介護費用明細”というラベルが貼られているI領収書、レシート、振り込み明細書、十二年分の介護に関する全ての支出が、月ごと、項目ごとに整理されていたIオムツ代、月平均三万円”と医療費、月平均八万円”とリハビリ費用、月平均五万円”と特殊寝台レンタル、月二万円”と介護食費、月平均四万円”と「総額は、三千五百万円を超えていた」。私の退職金二千万円では足りず、独身時代からコツコツ貯めていた貯金も、親から相続したわずかな財産も、全て介護費用に消えていった「でも私が本当に準備していたのは、これだけではなかった」I三つ目のファイルには、『法的根拠資料』と書かれていたI中には、私が図書館で調べ、弁護士に相談して集めた資料が入っていたI民法六百九十七条の条文コピー、判例集、弁護士からの意見書I”事務管理における費用償還請求権”。難しい法律用語だが、簡単に言えば、他人のために必要な費用を立て替えた場合、その全額を請求できる権利のことだI夫婦間でも、この権利は認められているI特に、一方が病気で判断能力が低下している場合、もう一方が立て替えた介護費用は、正当な請求権として認められるのだI私は十二年前から、いつの日が来ることを予感していたIだからこそ、経理のプロとして、全ての証拠を残してきたのだI四つ目のファイルを取り出したI”財産調査記録”ですI渋春の財産は、本人が思っているよりずっと少ないことを、私は知っていたI土地と家の評価額は二千万円程度、預貯金は一千万円ほど、合計しても三千万円だI対して、私が立て替えた介護費用は三千五百万円I差額の五百万円は、どうやって回収するのだろうかI私は冷静に計算したI新太郎の年収、理沙の収入、二人の貯金額、全て把握していたIなぜなら、通帳を預かっていた時期があったからだI最後のファイルには、『弁護士連絡先』と書かれていたI五年前、たまたま介護の合間に参加した無料法律相談で出会った、女性弁護士I彼女も親の介護を経験していて、私の状況をよく理解してくれたI”住みえさん、いざという時は必ず連絡してください”。正当な権利は、必ず守らなければなりません”と名刺を見つめながら、私は明日の作戦を練ったI弁護士に連絡を取り、正式に依頼する”と次に、家族会議を開き、事実を突きつけるI私は書類を一つ一つ確認しながら、戦略を組み立てていったI四十年間の経理経験が、今、最大の武器となって私を支えていたI”お前には一円も渡さない”。渋春の言葉が脳裏をよぎるI”いいでしょう”。遺産はいりません”とでも、私が立て替えた正当な費用は、必ず回収させていただきますI窓の外はすっかり暗くなっていた「でも私の心には、一筋の光が差し込んでいた」I明日、全てが変わるI
翌朝、私は弁護士の先生と最終確認を済ませ、午後二時に病室へ向かったI「皆さん、お集まりください」。大切なお話があります”と私の穏やかな声に、渋春は居心地悪そうな顔をした「新太郎と理沙も、昨日と同じように余裕の表情で椅子に座った」”なんだ”. まだ何か言いたいことがあるのか”と渋春の不機嫌そうな声に、私は静かに微笑んだI”実は、お見せしたい書類があります”と私は、自立した大きな鞄から一冊目のファイルを取り出したI”これは、十二年間の介護日誌です”と分厚いファイルをテーブルに置くと、ドスンという重い音が響いたI”毎日欠かさず記録してきました”。◯月◯日、午前四時、オムツ交換、排便あり、清拭交換”と理沙が嘲るように笑ったI”日記なんて見せられても”。これは、単なる日記ではありません”と法的に有効な介護記録ですI二冊目のファイルを取り出したI”そして、これが介護費用の明細です”。十二年分の領収書、レシート、振り込み明細、全て揃っています”と新太郎が眉を潜めたI”それがどうしたんだよ”と「総額を計算しました」。三千五百万円です”と「さあ、三千五百万円」I渋春の顔色が変わったI”嘘だ”。そんなにかかるはずがない”と「では、内訳をお見せしましょう」I私は冷静に書類をめくったIオムツ代、月平均三万円”と十二年で四百三十二万円”と医療費、月平均八万円”と十二年で千百五十二万円”とリハビリ費用、月平均五万円”と十二年で七百二十万円”と一つ一つ読み上げるたびに、家族の顔が青ざめていったI”これらは全て、私の退職金と貯金から支払いました”と「だ、だからなんだ」。夫婦なんだから、当たり前だろう”と渋春が声を荒げたが、私は動じなかったI”そこで、三つ目の書類です”と法的根拠資料のファイルを開いたI”民法六百九十七条、事務管理についてご存知ですか”と「事務管理」。他人のために必要な費用を立て替えた場合、その全額を請求できる権利です”と夫婦間でも適用されますI”そして、最も重要な書類を取り出しました”とこちらが弁護士の先生からの意見書ですIその瞬間、病室のドアが開き、私の依頼した女性弁護士が入ってきたI”初めまして”。住みえさんの代理人を務めさせていただく、弁護士の田中です”と新太郎が立ち上がったI”弁、弁護士”と田中弁護士は、落ち着いた口調で説明を始めたI”住みえさんは十二年間に渡り、御主人の介護費用として三千五百万円を立て替えています”。これは民法六百九十七条に基づき、全額請求可能です”と「そ、そんな」。そんな法律が”と「判例もあります」。最高裁でも、介護費用の償還請求は認められています”と理沙が泣きそうな顔で口を開いたI”で、でも、お母さんは好きでやってたんでしょう”と「好きでやったかどうかは関係ありません」。必要な費用を立て替えた事実があれば、請求権は発生します”と私は静かに言ったI”渋春さんの財産は、土地と家で二千万円、預貯金一千万円、合計三千万円ですね”と「な、なんで知ってるんだ」I”通帳を預かっていた時期がありましたから”と「では、三千五百万円から三千万円を引くと、五百万円足りない」I新太郎の声が震えていたI”はい”。不足は、相続人である新太郎さんに請求させていただきます”と「そ、そんな」。俺には関係ない”と「相続放棄されますか」。でしたら、家も土地も相続できませんが”と田中弁護士が淡々と続けたI”なお、これは正当な債権ですので、支払いを拒否された場合は、法的措置を取らせていただきます”。財産の差し押さえも可能です”と理沙が新太郎の腕を掴んだI”ど、どうするの”と「五百万円なんて、うちには」。家を売却されるか、ローンを組まれるか、いずれにせよお支払いいただくことになります”と渋春が真っ青な顔で私を見たI”す、住みえ、話し合おう”。そんなことしないでくれ”と「あら、昨日は『お前には一円も渡さない』とおっしゃいましたよね」I”そ、それは”と「介護は嫁の義務」。十二年”とそれがどうした”と新太郎が土下座しそうな勢いで頭を下げたI”母さん、ごめん”。俺が悪かった”と「甘えるのもいい加減にしろ、でしたね」I理沙も泣き崩れたI”お母さん、お願いします”。謝りますから”と「邪魔者もいなくなると言ったのは、誰でしたか」I私は十二年分の書類を見渡したI”これが、経理のプロの仕事です”と田中弁護士が書類を取り出したI”では、正式な請求書をお渡しします”。支払い期限は三ヶ月です”と震える手で請求書を受け取る新太郎I金額を見て、完全に顔面蒼白になったI”あの、分割払いは”と「ご相談には応じますが、利息がつきます」I私は立ち上がったI”十二年、一度も介護をしなかった人たちに、遺産を渡す必要はありませんよね”と「お、お母さん”。もう家族ではないとおっしゃいましたから”と静かに病室を出ようとする私を、渋春が必死に呼び止めたI”住みえ、待ってくれ”。話し合おう”と振り返ることなく、私は病室を後にしたI廊下に出ると、田中弁護士が優しく声をかけてくれたI”住みえさん、よく頑張られましたね”と「先生のおかげです」I”いいえ”。住みえさんが十二年、きちんと記録を残してきたからこそです”と私は深く息を吸ったI十二年分の重りが、ようやく降りた気がしたI病室からは、まだ新太郎たちの泣き声が聞こえていたI
あれから三ヶ月が経ったI私は今、海の見える小さな介護付き高齢者住宅で、新しい生活を始めているI窓から差し込む朝日を浴びながら、ゆったりとコーヒーを飲むI十二年ぶりの、自分だけの時間だI”おはようございます、住みえさん”。今日も陶芸教室の日ですね”と施設のスタッフさんが優しく声をかけてくれたIここでは私は、一人の入居者として大切に扱われているI介護する側ではなく、必要な時にはケアを受けられる側としてI陶芸教室は、この施設に来てから始めた新しい趣味だI土をこねていると、不思議と心が落ち着くI十二年、休むことなく動かし続けた手が、今度は自分の楽しみのために動いているのだI”住みえさんの作品、本当に素敵ですね”。センスが光ってますよ”と隣の席の女性が話しかけてきたI彼女も、長年の介護を終えてここに来た方だったI”ありがとうございます”。でも、まだまだ初心者で”と「いいえ」。この色合いの選び方、本当に品がありますよ”と褒められることが、こんなに嬉しいなんてI十二年、誰からも感謝されず、認められることもなかった私にとって、この小さな喜びがどれほど大きいかI午後は、図書館で過ごしたI若い頃から読書が好きだったが、介護中はその時間もなかったI今は、好きなだけ本を読むことができるI夕方、部屋に戻ると、郵便受けに手紙が入っていたI差出人は新太郎だったI震える手で開封すると、そこには謝罪の言葉が並んでいたI”母さん、本当にごめんなさい”。今更ですが、母さんがどれだけ大変だったか、ようやくわかりました”と「父さんの介護を引き継いで、その大変さに打ちのめされています」。十二年、一人でこれを続けてきた母さんは、本当にすごい人だったんだ”と手紙は続いていたI請求された費用は、家を担保にローンを組んで支払います”とそれが当然の報いだと思っていますI理沙も深く反省していますIもし許していただけるなら、いつか会いに行かせてください”と私は手紙を静かに折りたたみ、引き出しにしまったI許す、許さないという問題ではないI私はただ、正当な権利を主張しただけだIその夜、田中弁護士から電話があったI”住みえさん、全額の入金を確認しました”。これで全て解決です”と「ありがとうございました」。先生のおかげです”と「いいえ」。住みえさんの十二年分の記録があったからこそです”と本当に素晴らしい準備でしたI電話を切った後、私は通帳を見つめたI三千五百万円Iこれは贅沢のためのお金ではないI私の老後を、安心して過ごすための正当な対価だI翌日、陶芸教室の仲間たちとお茶をしていた時、一人の女性が私に訪ねたI”住みえさん、失礼ですが、どうやってこんな素敵な施設に入れたんですか”と私は少し考えてから、正直に答えたI”十二年分の介護記録を、全て残してたんです”。そして、法律を味方につけました”とその場にいた女性たちの目が輝いたI”詳しく教えていただけませんか”と私は自分の経験を話し始めたI民法六百九十七条のこと、介護記録の重要性、領収書の保管方法、弁護士への相談の仕方I介護は、愛情だけでするものではありませんI正当な権利として、対価を求めていいんですI皆、メモを取っていたI”私たちの世代は、我慢することが美徳だと教えられてきました”。でも、それは違います”と自分の人生を犠牲にして、無償で奉仕することが当たり前ではないんですI一人の女性が涙を流しながら言ったI”私も、今、夫の介護をしています”。息子たちは知らん顔で”と「住みえさんの話を聞いて、勇気が出ました」I”記録を始めてください”。今からでも遅くありません”とそして必要なら、専門家に相談してください”とあなたの献身は、必ず報われるべきですIその後、私の話は施設内に広まり、介護で苦労している方々から相談を受けるようになったI私は自分の経験をもとに、アドバイスをしているIある日、田中弁護士から連絡があったI”住みえさん、実は”。住みえさんのケースが、専門誌に掲載されることになりました”ともちろん匿名ですが、それは多くの介護者の方々の希望になると思いますI住みえさんの勇気ある行動が、社会を変えるきっかけになるかもしれません”と私は窓の外を見つめたI穏やかな海が広がっているI十二年分の介護は、確かに大変だったIでも、その間に私が学んだこと、経験したことは、決して無駄ではなかったIそして経理のプロとして培った知識と習慣が、最後に私を救ってくれたのだI今、私は心から言えるI私は自由で、幸せだとI正当な対価を得て、尊厳を持って生きるIそれは決して図々しいことではないI当たり前の権利なのだI最近、渋春の容態が悪化したという知らせを受けたIでも、もう私には関係ないI新太郎と理沙が、今度こそ真剣に向き合うだろうIそれが彼らの学びの時間になることを願っているI私はこれからも、この施設で新しい友人たちと共に、自分の人生を楽しむI陶芸を続け、本を読み、時には介護で苦しむ方々の相談に乗りながらI準備と知識、そして正当な権利の主張Iこれが、私が十二年分の介護生活から学んだ、最も大切な教訓だIもし今これを読んでいるあなたが、介護で苦しんでいるなら、覚えていてほしいIあなたの献身は、尊いものだIそして、それに対する正当な対価を求めることは、決して恥ずかしいことではないI記録を残し、証拠を集め、必要なら専門家の力を借りてほしいIあなたの人生は、あなたのものだI誰かのために全てを犠牲にする必要はないI愛情と権利は、両立するのだからI私の物語が、少しでもあなたの勇気になれば幸いだI夕日が海に沈んでいくI明日もまた、私だけの新しい一日が始まるI十二年分の重りを下ろし、三千五百万円という正当な対価を得て、私は今、本当の意味で生きているIこれが、経理のプロとして四十年、介護者として十二年を生きた、私の小さな勝利の物語だI
