「お前が子供を産めないからだろうが。」
その言葉を吐き捨てた元夫・誠は、まるで離婚がすべてを解決したかのような顔をしていた。甘いな。これで終わると思ったのか。ここからが本当のドラマの始まりだ。
私はと子。四十三歳。数か月前に離婚したばかりだ。元夫の誠は四十五歳。私たちの間には子供がいなかった。悲しいことに、その原因は私にあった。だが、その根本的な原因は誠にもあったのだ。
私たちが結婚したのは私が三十三歳の時。高齢出産が目前に迫った年齢だったから、私は一日でも早く妊活を始めたかった。婦人科で検査を受け、自分の体に異常がないことを確認した。ところが、タイミングの悪いことに、誠が会社で大きなプロジェクトを任されてしまったのだ。の立ち上げから軌道に乗るまで、彼は地方のホテルに寝泊まりする生活を強いられることになった。
「週末はできるだけこっちに帰るようにするけど、子供ができたらほとんどお前のワンオペ状態になるぞ。それでも大丈夫か? 」
そう聞かれて、体力に自信がない私は答えに詰まった。お互いの実家は遠方にあり、助けを求めることもできない。「多分一年もすれば戻ってこれると思う」という誠の言葉を信じて、私は妊活を諦めることにした。
ところが、その出張は結局三年も続いた。ようやく夫がこちらに戻ってきて、すぐに妊活に励んだが、全く妊娠の兆候はなかった。病院で再検査を受けると、私の卵巣の機能が低下しており、年齢が原因と思われること、ホルモン治療などの方法はあるが妊娠する確率は低いことを告げられたのだった。
ショックのあまり寝込んでしまった私だが、夫が悪いわけではない。何度も謝る夫に、私は「自然な妊活は続けつつ、二人きりでもいいよね」と気持ちを切り替えることを提案した。誠も賛成してくれた。しかし、徐々に誠の態度が変化していった。
週末に二人で出かけた先で、家族連れを見かけると「いいなあ。いかにもファミリーって感じで」と羨ましそうに呟くようになった。それと同時に、言葉もきつくなっていった。
「俺の会社に、働きながらシングルマザーやってる女性が何人もいるんだよな。自治体から色々サポートしてもらえるんだろ。ワンオペでも良かったんじゃないか。」
まるで、私がワンオペを嫌がったことを責めているかのようだった。確かにそういう女性は増えているし、とても尊敬する。でも、私にはその自信がなかったのだ。
ギクシャクした日々が続いて約五年。誠が突然、「幼子縁組ってどう思う? 」と聞いてきた。
「え? 何を突然?

」
「いや、知り合いでさ、結構前なのに妊娠しちゃった女の子がいるんだよ。。その子の子供を引き取るのはどうかなって思ってさ。」
あまりに唐突な申し出に驚いて黙っていると、誠は理由を説明し始めた。
「俺、どうしても子供が欲しいんだよ。だから、その子が妊娠したって聞いてすぐに思い浮かんだんだ。」
幼子縁組か。そういう手もあるんだなと考えているうちに、夫の一言が引っかかってきた。
「女の子」に「知り合い」。親戚なら分かるが、若い女の子と知り合いってどういうことだろう? 「そっか。その人、まだ若いの? 」
「ああ、まだ二十四歳の綺麗な子なんだよ。だからお腹の中の赤ん坊、きっとすごく元気で、美人かイケメンだぜ。」
余計なことまでぺらぺらと喋る夫を、私はじっと見つめた。会社の部下かしら。でも、四十五歳を過ぎた男性上司に、二十代前半の女性がそんな相談をするだろうか。まさか… 浮気相手?
その時、初めて夫が浮気をしているのではないかという疑問を抱いたのだ。
それから夫を観察してみると、怪しいと思われる行動はいくつもあった。スマホを肌身離さず持っていること、帰宅が遅くなったこと、私が買ったことのない下着をつけて帰ってきたこと、かすかに甘い香水の香りを漂わせていたこと。
決定的だと感じたのは、結婚記念日をすっぽかされたことだった。
私たちは仕事の都合で結婚式はしなかったが、入籍は十二月二十四日、クリスマスイブにしていた。その日はクリスマスと結婚記念を同時に祝うことにしていたのだ。それなのに今年に限って、「会社の同僚と飲み会がある」と言ってそちらを優先したのだった。
「クリスマスイブに、結婚してる男同士が… 。」
そう思いながらも、「できるだけ早く帰るから」という夫の言葉を信じ、クリスマスツリーを飾り、ケーキとチキン、夫へのプレゼントを用意した私。それを目の前に一人で待ち続けて、どれだけ悲しかっただろうか。何度電話しても応答なし。ようやく連絡が来たのは、翌日の朝だった。
「ああ、悪い悪い。つい友達の家で寝過ごしちゃってさ。」
言葉とは裏腹に、とても嬉しそうな声だった。
「そう。分かったお前。ケーキもチキンもプレゼントも、全部捨てたから。もういいわ。」
「あれ? なんだよ。もったいないなあ。記念日に俺が帰らなかったからって、そんなに拗ねることないだろ。今度ちゃんと埋め合わせするからさ。」
「うん。もういいわよ岡なんなら、この家に戻ってこなくてもいいわよ岡夕べ一緒にいた人のところに住めば良いんじゃない? 」
私がそう言っても、まだ酒が残っているのか、それとも夕べの余韻に酔っているのか、誠はへらへらと笑いながら言った。
「いや、そんなこと言うなって。大体、彼女のアパート狭いしさ。」
「…
今、なんて言った? 」
彼はようやく自分が口を滑らせたことに気づいたようだったが、もう遅い。「今晩は早く帰るからさ。もこちゃん許して」といい年したおっさんがブリッジまでして謝罪してきて、私は吐き気がした。
その晩、何事もなかったかのような顔で帰宅した夫は、また用姿組の話を切り出した。
「早く手続きしようよ。彼女も一日も早く決めたいって言ってるし。」
「ねえ、なんで赤の他人の子をそんなに簡単に引き取ろうとしてるの? その子の相手の男性とか、ご両親とかいるでしょ? 一度その子やご両親と話させてもらえる?
」
そう尋ねると、急に焦り出した。
「そ、その、だから… ああ、そうそう。男は逃げたんだよ冈それに、親もいないらしいんだ。」
どもどもと曖昧に答える夫を見て、私は賭けに出た。
「悪いけど、節操のない女とアホ男の間にできた子を、押し付けられてもね。」
「なんだと? これでも俺のことバカにしたな。」
「はい、見事に引っかかったわね。」
私が無言のまま誠を見つめると、ようやく浮気がバレていることに気づいたようだっだ。
「離婚してくれならまだ分かるけど、そのめ衣ちゃんとやらの自分の間の子を、私に育てさせようだなんてね。そういうのを『図々しい』っていうのよ。」
どうやら、その「め衣ちゃん」とやらは育児ができないくせに「生みたい」と騒ぎ、誠が引き取ることを思い立ったらしいのだった。
「大体、お前が子供を産めないのが悪いんだろ岡俺の子を育てさせてやるんだから、ありがたいと思え。」
そこまで言うか。完全に切れた私は、はっきりと言ってやった。
「じゃあ、裁判しましょうよ岡どっちが正しいか、判断してもらいましょう。」
すると誠も切れた。
「もういい冈お前の顔なんか見たくない冈離婚だ冈出ていけ。」
私はその言葉を聞くと、昼間にもらってきた離婚届を夫の前に置いた。一瞬焦った誠だったが、もう引っ込みがつかなくなっていた彼は、その場で署名したのだ岡私はこんな奴のそばには一秒もいたくないと思い、すぐに最低限のものだけをまとめ、離婚届を提出すると実家に帰ったのだった。
それから一週間後、誠から電話が来た。
「まだお前の荷物が残ってるぞ冈荷物まとめて、さっさと出ていけ冈一つ残らず持ってけよ。」
そこで私は、週末に弁護士を連れて行くことを告げた。弁護士という言葉に驚いた誠だったが、慰謝料や財産分与についてきっちり決めない限り、誠の会社に乗り込むと脅すと、しぶしぶ承諾したのだった。結局、慰謝料プラス財産分与で計千五百万円を一括で支払う、ということで話がついた。
だがその翌日、パートの帰りに若い女性から声をかけられたん。霊のめ衣ちゃんだったろうか誠実の背が低くて髪が長い、可愛らしい子だが、化粧が濃くて下品に見える。
「一括なんて払えないよ冈開光一番の金切り声で怒鳴ってきたわ。」
「あなたには関係ないでしょ旺誠が弁護士の前で払うって言ったんだから。」
実際には結構しぶっていたのだが、私といつまでも関わりたくなかったのだろう。最後に折れたのだった。
「なんで私をその場に呼ばないのさ。」
「そんなの、誠に聞いてちょうだい。」
呆れながら私が返すと、彼女はもごもごと口ごもりながら言った。
「慰謝料なんか、適当にばっくりちゃえばいいと思ってたのに。」
なるほど。分割にして、途中で引っ越すとか転職するとかで逃げればいいと思ったのね。
「ご就相様でも、あの家で暮らせるんだから、それでいいじゃない。」
「あれって、誠のだよね岡ローンは誠の名義でしょ。」
「名義は誠よ冈ローンも誠が支払ってるわ。」
「ふーん。なら、まあいいか。」
含みのある言い方で、彼女は引き下がった。何か企んでいそうだ。まあ、もう私には関係ないけど。
それから二年後、誠から連絡が入ったのだった。
「頼む冈金貸してくれ。」
「はあ? 」
「あいつら、すごい老皮なんだよ冈」
なんと、め衣の母親がちゃっかり状況上乗してきて、あの家にずっと住み着いているらしい。め衣曰く、誠が「子供が欲しい」って言うから産んであげたけど、育てるとは言ってない、とのこと。私に育てられないと分かったら、「子供を育てるのは大変だから、ママを呼ぶね」と田舎から母親を呼んでしまったらしいのだった。
誠も、まともに育児をしないめ衣に不安を感じ、最初は諸手を挙げて歓迎したそうだが、実際には母親もろくに育児をせず、め衣と遊び歩いているというのだ。
「あの子の親なら、やりかねないわね。」
私が呆れると、誠はまだめ衣が好きらしく、「め衣を侮辱するな」と突然怒鳴ってきた。
「おっさんの俺と付き合って、結婚してくれて、子供まで産んでくれたんだぞ冈大体、お前が子供を産めないのが原因だったんだろうが。」
昔のことを蒸し返してきた誠に、私は何も言えなかった岡確かに、私は子供を産めなかったのだから。
「…
でも、言っていい? 」
「なんだよ。」
「私、三年前に不妊かどうかチェックしたじゃない? その時、あなたも一緒に受けたの覚えてる? 」
「ああ、そういえば…
結果を聞きに行ったのは、私一人だったでしょ? 」
「実はね、あの時、あなたにも問題があるって言われたのよ冈産婦人科の医師によると、誠は年齢の割に種の質がかなり悪かったらしくて、たとえ私に問題がなくても、妊娠は難しいかもって言われたの。」
ただ、その時は私の結果の方を先に聞かされたので、私に主な原因があるのだろうと思ったし、誠を傷つけたくなくて、彼の結果は告げなかったのだ。
「そ、そんなのありえないだろ冈め衣ちゃんが妊娠したんだから。」
誠は必死に反論してきたが、私の「あなたの子かどうか、分からないけどね」という言葉に押し黙った。この反応は、多分誠も何かしら疑問を感じていたということだろう。
そこで私は、彼の傷口にさらに塩を塗ってあげることにした。
「まあ、もしDNA鑑定で誠の子じゃないと分かっても、どうにもならないかもしれないけどね。」
「ど、どういうことだよ。」
「その子、生まれてから一年以上経ってるよね。」
「だから、何なんだ? 」
「今の法律では、自分の子じゃないっていう親子否認の訴えは、生まれてから一年以内じゃないと認められないのよ冈もし一年以上経ってから知った場合は、別の裁判を起こす必要があるが、かなり揉めることが多いらしいし、しかもDNA鑑定で実の親子ではないと分かっても、裁判に負けることがあるんだって。」
「なんでだよ冈鑑定で実の親子じゃないって、はっきりしてるんだろ。」
「さあね冈最高裁で出た判決らしいわよ冈その時は、離婚しても養育費を払わなきゃいけなかったみたい。」
そこまで丁寧に解説してあげると、誠は「嘘だ… 嘘だ…
」と震える声で呟いていたのだった。
ご就傷様、といったところね。
その後、近所の人によると、あの二人、いや三人は毎日のようにバトルしているらしい。生まれた子が誠の子かどうかまでは分からないが、元夫の家は離婚する前以上に騒がしくなっていた。
「出ていけ! 」
「絶対に出ていかないからね! 」
「お前が出て行けんだ!
」
それはそれは激しい喧嘩で、何度も警察が呼ばれ、彼女たちが留置所に入ったこともあるとかいうことだった。
私は今、両親と同居している。今後どうなるかは分からないけれど、お一人様の人生を謳歌すべく、仕事や習い事などで毎日楽しく過ごしているのだ。
あの二人のことは、もう私には関係ない。今はただ、この穏やかな日々が続けばいいと、そう願っている。