「明日から絶縁するから。でも仕送りの20万だけは今まで通りよろしくね」翌朝、スマホに届いたそのメッセージを読んで、私は自分の目を疑った。送信者は息子の嫁だった。孫が生まれて3年、一度も会わせてもらえないまま、ついにこんな宣告を受けるなんて。看護師として39年働き、女手一つで息子を育てた。夫が他界してからも、毎月10万円の仕送りを欠かしたことはない。孫に会いたいと願うことが、そんなに罪なのだろ…

「明日から絶縁するから。でも仕送りの20万だけは今まで通りよろしくね」翌朝、スマホに届いたそのメッセージを読んで、私は自分の目を疑った。送信者は息子の嫁だった。孫が生まれて3年、一度も会わせてもらえないまま、ついにこんな宣告を受けるなんて。看護師として39年働き、女手一つで息子を育てた。夫が他界してからも、毎月10万円の仕送りを欠かしたことはない。孫に会いたいと願うことが、そんなに罪なのだろ...

翌朝、スマートフォンに届いた一通のメッセージを読んで、私は自分の目を疑った。

「明日から絶縁するから。でも仕送りの20万だけは今まで通りよろしくね」

送信者は息子の嫁、裕子だった。結婚して8年、孫が生まれてから3年。一度も合わせてもらえないまま、ついにこんな宣告を受けるなんて。絶縁しておきながら、金はよこせと言う。その矛盾に、私の心の中で何かが静かに、しかし確実に変わっていくのを感じた。

私は石井ふみ子。看護師として39年間働き続け、息子の健一を女手一つで育ててきた。夫が10年前に他界してからも、息子夫婦のために毎月10万円の仕送りを欠かしたことはない。

「お母さん、私たちも限界なの。価値観が合わないから」

裕子からの追加メッセージが届く。価値観が合わない。私は何か悪いことでもしたのだろうか。孫に会いたいと願うことが、そんなに罪なのだろうか。住所も教えてもらえず、孫の顔も知らないまま、ただお金だけを送り続ける。まるで私はATMのような存在だ。

この39年間、看護師として必死に働いてきた日々が走馬灯のように蘇る。健一が大学に進学した時、私は夜勤を増やして学費を工面した。大学4年間と大学院2年間で総額1000万円。一度も返してなんて言ったことはない。

「母さん、俺、結婚したいんだ」

あの時の健一の嬉しそうな顔を今でも覚えている。結婚資金として300万円、新築マンションの頭金に500万円。すべて健一の幸せのためだと思えば、何の苦労も感じなかった。そして3年前、初孫の卵(らん)が誕生。出産祝いとして100万円を包み、「これでいいものを買ってあげて」と裕子に渡した。

「ありがとうございます、お母さん」

あの時の裕子の笑顔は、今思えば演技だったのだろうか。それ以来、孫には一度も会えていない。写真すら送ってもらえず、名前も誕生日も、どんな顔をしているのかさえ知らない。それでも私は毎月20万円を送り続けてきた。息子家族の生活を支えることが私の生きがいだと信じて。

でも今、そのすべてが否定されようとしている。献身的な愛情は、ただの金づるとしか見られていなかったのだろうか。

思い返せば、結婚当初から少しずつ私への扱いは冷たくなっていった。最初の異変は、健一たちが結婚して半年後、突然引っ越しをした時だった。

「母さんには新しい住所、後で連絡するから」

そう言われて待ち続けたが、結局教えてもらえなかった。息子の新居も知らないまま、ただ銀行振り込みで仕送りを続けるしかなかった。何度も健一に聞いても、「裕子が落ち着いたら教えるから」の一点張り。その「落ち着いたら」は永遠に来なかった。その後も引っ越しを2回したようだが、一度も住所を教えてもらえなかった。

同僚の看護師たちが孫の家に遊びに行く話を聞くたび、私は笑顔で相槌を打ちながら、心の中で涙を流していた。

「ふみこさんのお孫さんはどう? 可愛いでしょう?」

そう聞かれるのが一番辛い。会ったこともない孫の話などできるはずがない。ある時、どうしても孫に会いたくて探偵事務所に相談したこともあった。調査費用は30万円。でも踏み込めなかった。そこまでして会いに行けば、きっと関係は完全に壊れてしまうと思ったからだ。でも今思えば、とっくに壊れていたのかもしれない。

半年前、裕子から突然の電話があった。3年ぶりに聞く嫁の声だった。要件は、仕送りを15万円から20万円に増額してほしいという要求だった。

「英語教室にピアノに水泳教室。今の時代、早期教育が大切なんです」

裕子の説明を聞きながら、私は複雑な気持ちだった。孫の教育に熱心なのは良いことだ。でも、その孫に一度も合わせてもらえない祖母の気持ちはどうでもいいのだろうか。

「裕子さん、せめて孫の写真だけでも見せてもらえませんか? どんな顔をしているのか知りたいんです」

私の願いはあっさりと却下された。

「写真は個人情報の問題があるので、今の時代ネットに流出したら大変ですから」

私が自分の孫の写真を悪用するとでも思っているのか。そういうわけじゃないですけど、ルールは守らないと。でも教育費は待ったなしなんです。お母さんも教育の大切さは分かりますよね。

個人情報。実の祖母に対して何を言っているのだろう。でも私は孫のためならと思い、増額に応じた。月収45万円から20万円を送れば、私の生活はギリギリだ。食費を切り詰め、服も買わず、美容院にも行かなくなった。それでも孫が幸せならと自分に言い聞かせていた。

しかしその幻想は、もろくも崩れ去った。同僚の娘がSNSで裕子のアカウントを偶然見つけ、私に教えてくれたのだ。震える手で裕子のページを開いた時、私は自分の目を疑った。そこには孫の写真がたくさん投稿されていた。可愛い笑顔、初めて立った瞬間、幼稚園の入園式、お誕生日会。すべて私の知らない孫の成長記録だった。

個人情報を理由に祖母には見せない写真を、不特定多数が見られるSNSには平気で載せている。この矛盾に、怒りで手が震えた。さらにショックだったのはコメント欄だった。裕子の実家の両親が頻繁に登場し、孫との幸せそうな日常を綴っていた。

「うちの可愛い孫ちゃん、今日もじいじとばあばの家に遊びに来てくれました。一緒にクッキー作って楽しかったね。毎週会えて本当に幸せです。来週は動物園に行く約束をしました」

向こうの祖父母は週に3回も孫に会っている。一緒に料理をしたり、お出かけをしたり、当たり前の祖父母と孫の関係を築いている。なのに私は3年間、一度も会えていない。この差は一体何なのか。

「健一、どうして私だけ孫に会えないの?」

もう我慢できず、息子に電話をした。

「裕子が嫌がるから仕方ないだろう」

「どうして裕子さんは私を嫌うの? 何か悪いことをした?」

「別に嫌ってるわけじゃないよ。ただ裕子の両親は近所だし、子育てを手伝ってくれるから自然に会う機会が多いだけで」

「私だって手伝いたい。せめて月に一度でも合わせて」

「無理だよ。裕子の機嫌を損ねたくないから。それに母さんは遠いし」

遠い? 住所も教えてくれないのに、遠いも近いもないでしょう。

「とにかく裕子には逆らえないんだ。機嫌を損ねたら俺が家にいづらくなる」

息子の情けない言葉に、私は呆然とした。私はただの金づるで、裕子の実家は大切な家族。この扱いの差に、怒りと悲しみが込み上げてきた。それでも私は耐えた。いつか分かってもらえる日が来ると信じて。でも今朝の絶縁宣言で、その希望も完全に絶たれた。

絶縁するのにお金だけは送れという。こんな都合のいい話があるだろうか。昼過ぎになると、裕子から追加のメッセージが次々と届き始めた。

「お母さん、誤解しないでください。絶縁というのは直接合わないという意味です。金銭的な援助は家族としての義務ですから、これまで通りお願いします」

家族としての義務? 絶縁しておいて、何を都合のいいことを言っているのだろう。私の怒りは頂点に達しようとしていた。

「それから来月から仕送りは25万円に増額してください。物価も上がっていますし、孫の塾代も必要なんです」

25万円。今でさえ月に10万残るかどうかのギリギリの生活をしているのに、さらに5万円の増額。私の生活はどうなってもいいということだろうか。

病院の休憩室で、同僚の佐藤さんが心配そうに声をかけてきた。

「ふみこさん、顔色が悪いけど大丈夫?」

私は思わず、今朝からの出来事を話してしまった。

「え、絶縁なのにお金だけ送れって? それっておかしくない?」

「私もそう思うんです。でも息子夫婦は当然のように要求してくるんです」

「ふみこさん、それって完全に都合よく利用されてるだけよ。私の娘の同級生にも似たような人がいるらしいけど、義理の実家とは絶縁でも自分の実家とはべったりって」

その言葉に、私ははっとした。そういえば、裕子の実家との関係はどうなっているのだろうか。

夕方、たまたま見た裕子のSNSに衝撃的な投稿があった。

「今日も実家でママ友ランチ。孫も一緒で3世代女子会を楽しみました。やっぱり親子っていいですね。血の繋がりって大切」

投稿された写真には、裕子と彼女の母親、そして私の知らない孫の姿が映っていた。レストランの個室で楽しそうに食事をしている3人。孫は裕子の母親に甘えているようで、本当に仲の良い祖孫の関係が見て取れた。

血の繋がりって大切。私と健一も血が繋がっているのに、それは大切ではないのだろうか。いえ、私と孫だって血が繋がっているはずだ。

さらに過去の投稿を遡ると、信じられない事実が次々と明らかになった。

「パパの実家(裕子の実家)に今月もお泊まり。じいじとばあばが全部面倒を見てくれるから、久しぶりに夫婦でデートできました」

「実家から車を買ってもらいました。7人乗りの新車です。これで家族旅行も楽々」

「毎月の生活費、パパとママ(裕子の両親)には本当に感謝。おかげで健一の給料は全部貯金できます」

私は目を見開いた。裕子の実家からも生活費をもらい、車まで買ってもらい、その上で私からも20万円を受け取っている。しかも健一の給料は全額貯金。それなのに、さらに増額を要求してくるなんて。

震える手で健一に電話をした。

「健一、裕子さんの実家からも援助を受けているの?」

「え、まあ、少しは」

「少し? 車を買ってもらって、毎月生活費ももらっているんでしょう」

「それは裕子の親が勝手にくれるんだから、断る理由ないだろ」

「じゃあ、なぜ私からの仕送りが必要なの? しかも25万円に増額なんて」

「それとこれとは別だよ。母さんは母さんで、息子を助ける義務があるでしょう」

義務? 私には義務があって、権利は何もないということだろうか。

「健一、私は孫に一度も会えていないのよ。なのに裕子さんのご両親は週に何度も会っている。この差は何?」

「だから言ったでしょ? 裕子が嫌がるんだって」

「なぜ私だけを嫌うの?」

「母さんがうるさいからじゃない。孫に会いたい会いたいってプレッシャーかけるからうるさい」

3年間で数回お願いしただけで、うるさいと言われるのだろうか。

「健一、あなたは本当にそれでいいの? 実の母親を排除して、裕子の両親とだけ付き合うなんて」

「裕子の実家は金持ちだから、付き合っておいて損はないんだよ。母さんと違って向こうは事業やってるから、将来の遺産も期待できるし」

息子の言葉に、私は絶句した。すべては計算だったのだ。裕子の実家は金持ちだから大切にし、私は看護師の給料だけだから金づるとして利用する。

「でも母さん、誤解しないでよ。絶縁っていうのは面倒な付き合いをしないってだけで、親子の縁が切れるわけじゃないから。だから金銭的な援助は続けてもらわないと」

「それって都合が良すぎない?」

「何が都合いいんだよ。親が子供を助けるのは当然でしょう。裕子の親だってそう言ってる」

裕子の親は孫に会える。一緒に食事をし、泊まりに来て、成長を見守れる。なのに私は会えないまま、お金だけ出す。この理不尽な差別に、もう我慢の限界だった。

「健一、最後に聞くけど、本当にそれでいいの? 私を絶縁扱いしてお金だけもらい続けるって」

「母さん、大げさだよ。絶縁は裕子が決めたことで、俺は関係ない。でも仕送りは続けてよ。孫のためだと思って」

「孫のため? 一度も合わせてくれない孫のため?」

「そんなの知らないよ。とにかく25万円。来月からよろしく」

電話は一方的に切られた。私は静かにスマートフォンを置き、深く息を吸った。もう十分だ。もう我慢する必要はない。息子夫婦が選んだ「絶縁」という言葉の重さを、思い知らせる時が来たのだ。

その瞬間、私の中で何かが完全に切れた。感情に流されることはない。冷静に、論理的に、この矛盾した要求に対処しようと決意した。

まず向かったのは、病院の近くにある法律事務所だった。以前、相続の相談で一度お世話になった田中弁護士なら、的確なアドバイスをくれるはずだ。私は朝からの一連の出来事を、証拠となるLINEのメッセージを見せながら説明した。

田中弁護士はじっくりとメッセージを読み、時折メモを取りながら聞いてくれた。

「石井さん、これは興味深いケースですね。絶縁を宣言しながら金銭的援助を要求する。法的にはどう解釈されるか」

「先生、私はどうすればいいのでしょうか?」

「まず、絶縁というのは法的な効力はありません。しかし相手が一方的に関係を断つと宣言した以上、あなたにも扶養義務はないと考えられます」

田中弁護士の説明は明解だった。

「息子さんは成人しており、働いている。お嫁さんの実家からも援助を受けている。その上あなたからも金銭を要求するのは、法的にも倫理的にも問題があります」

「でも、先生。孫の教育費と言われると……」

「お孫さんに合わせてもらえない状況で、教育費を負担する義務はありません。それに、これを見る限り」

田中弁護士は裕子のSNS投稿のプリントアウトを指差した。

「十分に裕福な生活をしているようです。あなたの援助がなくても、生活に困ることはないでしょう」

「では、私が援助をやめても問題ないということですか?」

「全く問題ありません。むしろ、絶縁を宣言した相手に金銭を要求するのは、脅迫に近い行為です。このLINEのメッセージは全て保存しておいてください。証拠になりますから」

私は田中弁護士のアドバイスに従い、全てのメッセージをスクリーンショットで保存し、プリントアウトも取った。

「石井さん、返信される際は、感情的にならず事実のみを淡々と伝えることが大切です」

「はい、わかりました」

事務所を出て、私は近くの喫茶店に入った。静かな店内で、これから送る返信メッセージを慎重に考える。まず銀行に連絡して、毎月の自動送金を停止する手続きを取った。電話一本で手続きは完了。来月からはもう、自動的に20万円が引き落とされることはない。

これで月に10万円が自由に使えるのね。不思議な解放感があった。今まで当たり前だと思っていた仕送りが、実はどれだけ私の生活を圧迫していたのか、改めて実感した。

次に、裕子への返信メッセージを作成した。田中弁護士のアドバイス通り、感情を排除し、事実のみを記載する。

「裕子さん。絶縁の申し出を確認しました。了承いたします。つきましては、本日を持って一切の金銭的援助を停止させていただきます。絶縁したもの同士に経済的な援助の義務はありません。これは弁護士にも確認済みです。今後、私に対する金銭の要求は、脅迫罪に該当する可能性があることも申し添えておきます」

メッセージを送信する前にもう一度読み返した。冷静で、論理的で、法的根拠もある。これなら向こうも反論できないだろう。送信ボタンを押す瞬間、少しだけ躊躇した。これで本当に息子との縁が切れてしまうかもしれない。でも、もうすでに向こうから絶縁を宣言されているのだ。私はただそれを受け入れるだけ。

送信。続けて健一にもメッセージを送った。

「健一へ。裕子さんからの絶縁宣言を受け入れました。本日付けで全ての援助を停止します。あなたも成人しているようですので、問題ないと思います。自動送金も解約しました。これからは裕子さんのご実家に頼ってください」

最後に私は通帳記入をした。今月分の20万円はすでに振り込み済みだったが、来月からはその分が残ることになる。年間に240万円か。改めて計算すると、驚くべき金額だった。これだけあれば、私自身の老後の蓄えも十分にできる。趣味の旅行にも行けるし、美味しいものも食べられる。友人との食事も、遠慮なく楽しめる。

夕方、病院の同僚たちと話していると、佐藤さんが心配そうに声をかけてきた。

「ふみこさん、息子さんとの件、どうするの?」

「絶縁を受け入れて、援助をやめました」

「え、本当に大丈夫なの?」

「ええ、すっきりしました。向こうが望んだことですから」

他の同僚たちも、私の決断を支持してくれた。

「ふみこさん、よく決断したわね。そんな理不尽な要求、受け入れる必要ないもの」

「そうよ。絶縁なんて言葉を簡単に使う人にお金を渡す必要なんてない」

みんなの温かい言葉に、私は正しい決断をしたのだと確信した。

夜、自宅に戻るとスマートフォンが鳴り続けていた。着信履歴を見ると、健一から15件、裕子からも着信があった。でも私は一切応答しなかった。絶縁したのですから、連絡を取る必要もないでしょう。

翌朝、私が病院に出勤すると、休憩室で同僚たちが心配そうな顔をしていた。

「ふみこさん、大丈夫? 昨夜から電話すごかったんじゃない?」

「ええ、でも全て無視しました。絶縁した相手と話す必要はありませんから」

そう答えた時、私のスマートフォンが鳴った。健一からだ。今度は出ることにした。最後の決着をつけるために。

「母さん、なんで振り込まないんだよ」

開口一番の怒声だった。

「おはよう、健一。絶縁したんでしょう。なぜ絶縁した相手に電話してくるの?」

「何言ってんだよ。金は別だって言ったじゃないか」

「絶縁というのは、一切の関係を断つということです。当然、金銭的な関係も含まれます」

「そんな理屈言うなよ。親が子供を助けるのは当然だろ」

「絶縁した他人を助ける義務はありません」

「他人じゃない。俺は息子だ」

「あら、裕子さんが絶縁すると言ったのよ。あなたも承知したんでしょう」

健一は一瞬、言葉に詰まった。

「それは裕子が勝手に言っただけで」

「勝手に? 昨日あなたは『裕子が決めたことで俺は関係ない』と言いました。でも仕送りは要求した。都合が良すぎませんか?」

「とにかく金を振り込め。孫が困るんだぞ」

「孫? 誰のことですか? 私は孫に会ったことがありません。顔も知らない。名前も教えてもらえない。存在するかどうかも分からない子供のためになぜお金を払う必要があるのですか?」

「存在するに決まってるだろう」

「では合わせてください。今すぐに」

「それは……裕子が、裕子さんが嫌がる」

「絶縁した相手の意見を、なぜ私が考慮する必要があるのでしょうか?」

私の冷静な論理に、健一は反論できないようだった。そこに裕子の声が聞こえてきた。

「貸して、私が話す」

電話が裕子に代わった。

「お母さん、そういうつもりですか?」

「裕子さん、絶縁したんでしょう。なぜ電話してくるのですか?」

「だから、それとお金は別だって」

「別ではありません。絶縁とは全ての関係を断つこと。法的にも、絶縁を宣言した相手に金銭を要求する権利はありません。弁護士に確認済みです」

「弁護士? 大げさな」

「大げさではありません。あなたが送ってきたLINEメッセージは全て保存してあります。絶縁すると明確に書いてありますね。その上で金銭を要求している。これは脅迫罪に該当する可能性があります」

裕子が息を飲む音が聞こえた。

「脅迫だなんて……」

「絶縁した相手に関係性を断つと言いながら金銭を要求する。これが脅迫でなくて何でしょうか?」

「でも、お母さん。孫が……」

「あなたは私に孫を合わせたことがありますか? 3年間、一度も合わせず、写真も見せずに拒否し続けた。でもSNSには堂々と写真を載せている。この矛盾を説明してください」

「SNSは友達限定公開で……友達は良くて、祖母はダメ。おかしいですね。それに、あなたのご両親は週に3回も孫に会っているそうです」

「それは近所だから……」

「住所を教えてくれれば、私も近所になれたかもしれません。でもあなたたちは2回も引っ越しして、一度も教えてくれなかった」

裕子は反論できなかった。

「裕子さん、あなたのご実家からも援助を受けているんですよね。車も買ってもらい、生活費ももらい、健一の給料は全額貯金。それなのになぜ私からも20万円、いえ、25万円も必要なんですか?」

「それは……将来のために」

「誰の将来ですか? 絶縁した私の将来は考えないのですか?」

「お母さんは看護師で収入があるじゃないですか」

「月収45万円から20万円を引いたら残りは25万円。そこから家賃、光熱費、食費を払えばほとんど残りません。私の老後の蓄えはどうなるのですか?」

「それは自己責任で……」

「自己責任? ではあなたたちの生活費も自己責任で賄ってください」

私の正論に、裕子は完全に言葉を失った。

「お母さん、お願いです。今月だけでも……」

「断ります。絶縁を撤回するなら話は別ですが。撤回して、きちんと親子関係を築き、孫にも定期的に合わせる。住所も教える。普通の親子関係に戻るなら、援助も考えます」

「それは……ちょっと……」

「できない。つまり私との関係は断ちたいが、お金だけは欲しい。そんな都合の良い話は通りません」

そこで健一が電話を奪い返したようだった。

「母さん、本気なのか?」

「本気です。あなたたちが選んだ道です」

「でも来月から本当に困るんだ」

「困る? 裕子さんのご実家に頼めばいいでしょう。あちらは事業をされていて裕福なんでしょう」

「向こうにも、これ以上は頼めない」

「なぜですか?」

「裕子の親も、最近は渋くなってきて……」

「あら、そうでも私には関係ありません。絶縁したんですから」

「母さん、血も涙もないのか?」

「血も涙もない? 3年間、孫に会わせもせず、住所も教えず、金だけ要求してきた人が言う言葉ですか?」

健一は黙り込んだ。

「健一、あなたは私に何をしてくれましたか? 母の日も誕生日も何もない。電話一本ない。なのに金銭の要求だけはしっかりしてくる。私はね、お金が欲しいわけじゃない。あなたたちの態度が許せないの。親を都合よく利用するなんて」

「利用なんてしてない」

「ではなぜ、絶縁なのに金銭要求するの?」

健一はまた黙った。

「最後に言います。絶縁を撤回し、普通の親子関係に戻るなら話し合いに応じます。でも今のまま都合よく利用されるのは、もうごめんです。これ以上、絶縁した相手から連絡が来るなら、本当に警察に相談します。ストーカー規制法というものもありますから」

「ストーカーって……俺は息子だぞ」

「いいえ、あなたたちが決めた通り、もう他人です。さようなら」

私は電話を切った。その後も何度か着信があったが、全て無視した。LINEにも長文のメッセージが来たが、読まずに削除。裕子からは「鬼」「悪魔」「老いぼれ」といった誹謗中傷が送られてきたが、それらも全て証拠として保存した上でブロックした。

夕方、田中弁護士に経過報告をすると、対応は完璧だったと褒められた。

「石井さん、見事な論破でしたね。相手は反論できなかったでしょう」

「はい。矛盾だらけでしたから」

「今後も嫌がらせが続くようなら、すぐに連絡してください。法的措置を取りますから」

「ありがとうございます」

こうして私は、完全に息子夫婦を論破し、理不尽な要求を断ち切ることに成功した。

絶縁を受け入れ、援助を停止してから3ヶ月が経った。私の生活は、驚くほど豊かになっていた。月に10万円、年間240万円。この金額が自由に使えるようになって初めて、私は自分がどれだけ我慢していたのか気づいた。

「ふみこさん、最近本当に綺麗になったわね」

同僚の佐藤さんが笑顔で声をかけてくれた。

「そうかしら?」

「だって肌艶もいいし、服装も素敵になったし、何より表情が明るくなった」

確かに、この3ヶ月で私は変わった。美容院に月に一度通えるようになり、新しい服も買えるようになった。食事も栄養バランスを考えた良いものを食べられる。

「来月、友達とハワイ旅行に行くんです」

「え、素敵!」

「ずっと行きたかったんですけど、お金がなくて。今なら余裕で行けます」

看護師仲間との旅行も計画している。温泉旅行、美術館巡り、観劇。今まで諦めていたことが、全て実現できるようになった。

そして何より嬉しかったのは、患者さんたちとの交流だった。

「石井さん、いつもありがとう。あなたは私たちの天使よ」

長期入院の田村さんがそう言ってくれた。

「田村さん、そんな大げさな」

「息子も娘も忙しくてなかなか来てくれないけど、石井さんがいるから寂しくない」

私は田村さんの手を握った。温かい手だった。私の方こそ、田村さんたちに支えられている。本当の感謝の気持ちがここにはあった。血の繋がりはなくても、心の繋がりがある。それが私にとっての新しい家族だった。

ある日、病院のロビーで偶然、裕子の母親と出会った。向こうも私に気づいて、気まずそうな顔をしている。

「あら、石井さん。お久しぶりです」

裕子の母親は罰が悪そうに言った。

「うちの裕子が、ご迷惑をおかけして……」

「いいえ、お互い様ですから」

「実は……最近、うちにもお金の無心が増えて、月に30万円も要求されるんです」

私は驚いた。私からの20万円がなくなった分を、実家に押し付けているのだろう。

「大変ですね」

「ええ、主人もいい加減にしろって怒ってます。でも裕子は子供のためだの一点張りで……」

裕子の母親の疲れた表情を見て、少しだけ同情した。でもこれも因果応報だ。娘を甘やかした結果だろう。

「石井さん、もしよかったらまた……」

「申し訳ありませんが、それはできません。絶縁されましたから」

「でも、孫のことを思えば……」

「3年間、会ったこともない子供は、私にとって孫ではありません。それに、あなた方は会えるんでしょう。それなら、あなたが支えてあげてください」

裕子の母親は、何も言い返せなかった。

帰宅すると、郵便受けに一通の手紙が入っていた。差出人は健一。開封すると、そこには謝罪の言葉が並んでいた。

「母さん、今まで本当にごめんなさい。裕子と離婚することにしました。お金のことで毎日喧嘩になり、裕子の本性が見えました。今更ですが、母さんの大切さが分かりました。もう一度やり直させてください」

私は手紙を読み終えて、静かにため息をついた。今さら何を言っているのだろう。都合が悪くなったらまた頼ってくる。その繰り返しだろう。手紙はそのままシュレッダーにかけた。返事を書くつもりはない。絶縁は向こうが選んだこと。私はそれを受け入れただけだ。

最近、新しい趣味も始めた。絵画教室に通い始めたのだ。月謝は2万円。今までなら考えられない贅沢だった。

「石井さん、センスありますね」

先生に褒められて、嬉しくなった。69歳にして、新しい才能が開花したようだ。来月には教室の仲間と展覧会も開く。私の作品も展示される予定だ。タイトルは「自由」。縛られていた鎖から解放された一羽の鳥を描いた。

今、私は本当に自由だ。誰にも縛られず、誰にも利用されず、自分のために生きている。息子夫婦が自ら選んだ絶縁。それは私にとって、新しい人生の扉を開くきっかけとなった。人を都合よく利用しようとした報いは、必ず帰ってくるものだ。矛盾した要求には毅然とした態度で臨む。理不尽には屈しない。それが私がこの経験から学んだことだ。

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