夜七時を過ぎた営業部に、課長の笑い声だけがやけに響いた。「木下、お前のパソコン、間違えて初期化しちゃったわ」。その瞬間、私は怒りよりも先に、背筋が凍る感覚を覚えた。このパソコンは、社長から直接預かったものだった。翌朝、課長は私を嘘つき呼ばわりし、自分が作った嘘を全部署に触れ回っていた。でも、私には一つだけ、誰も知らない秘密があった。社長のパソコンを初期化した時刻と、私が本当に帰社した時刻。そ…

夜七時を過ぎた営業部に、課長の笑い声だけがやけに響いた。「木下、お前のパソコン、間違えて初期化しちゃったわ」。その瞬間、私は怒りよりも先に、背筋が凍る感覚を覚えた。このパソコンは、社長から直接預かったものだった。翌朝、課長は私を嘘つき呼ばわりし、自分が作った嘘を全部署に触れ回っていた。でも、私には一つだけ、誰も知らない秘密があった。社長のパソコンを初期化した時刻と、私が本当に帰社した時刻。そ...

俺が会社に戻ったのは夜の七時を過ぎてからだった。外回りのあと、疲れた体を引きずって営業部の扉を開けると、そこにいたのは大西課長だけだった。

「ただいま戻りました」

一言だけ挨拶をして、俺は自分のデスクに向かった。最近はもう、大西課長に話しかけるのをやめていた。何を言っても嫌味で返されるだけだと分かっていたからだ。

ところが、俺がノートパソコンを開こうとしたその時、大西課長が声をかけてきた。

「木下。お前のパソコン、間違えて初期化しちゃったわ」

大西課長は愉快そうに笑っていた。俺は怒りよりも先に困惑が来て、慌ててパソコンを確認した。画面は真っ白で、中に入っていたデータはすべて消えていた。

「どういうことですか。このパソコンには大切なデータも入っているんですよ」

「お前のせいだぞ。お前が新しいパソコンを買うと言ってやたら自慢するから、最新のパソコンはどんなものかと気になって触ってしまったんだ」

俺は思わず声を荒げた。

「人のパソコンを勝手に触っておいて、しかも初期化するなんて、ただじゃ済まされませんよ」

「ふん。どうせお前のパソコンなんて、くだらないデータしか入っていないだろう。大騒ぎするなよ」

あくまで俺を馬鹿にし続ける大西課長に、俺は眉を寄せて告げた。

「くだらないデータかどうかは、このパソコンの持ち主に聞いてみないと分かりませんね」

「なんだ?どういう意味だ?これはお前のパソコンじゃないのか?」

「違いますよ」

俺がこのパソコンの持ち主を教えると、大西課長は真っ青になり、俺の前にひれ伏した。

俺の名前は木下弘樹。大学を卒業して、現在はとある医療機器メーカーの営業部で働いている。

大西課長は俺の直属の上司だが、いつも人の見ていないところで嫌がらせをしてくるたちが悪い奴だった。ある朝、エレベーターで一緒になり、挨拶をしただけでいきなり悪態をつかれたこともある。

「なんだお前か。へらへらと愛想を振りまきやがって、気持ち悪いんだよ」

「西課長、おはようございます」

エレベーターには俺と大西課長しかいない。だから大西課長はここぞとばかりに俺に暴言を吐き続けた。

「そうやってお前は愛想よく人に媚びを売るのが得意だよな。それでろくに仕事もせずに社長にも気に入られるなんて、大したもんだよ」

「いえ、別にそんなことは」

「無能でバカだから、そうやって誰にでもいい顔をしてごまかしているんだろう。営業先でもうまく取り入っているらしいじゃないか。全くどこまで図々しいんだ」

「あの、本当にそんなつもりは」

「では私は総務に用事があるので、失礼します」

これ以上相手をするのは無理だと思い、俺はエレベーターを降りて足早に退散した。大西課長とのこのギスギスした関係をなんとかしたいと、俺はにこやかに挨拶をしたり話しかけたりと色々と試してきたが、どうもうまくいかない。

自分で言うのもおかしいが、俺は明るい性格で人と話すのが好きなタイプだ。すぐに人と打ち解ける。だが大西課長にはそれが全く通用しない。

しかし、そんな俺の性格は営業の仕事には合っているようで、俺はこの仕事が気に入っていた。大西課長には俺がへらへらしているように見えるらしいが、俺は親切で丁寧な仕事を心がけているし、下調べや準備も念入りにしている。だからこそ営業先の病院やクリニックでも可愛がってもらい、評判もいいのだと思う。俺が努力しているとは知らない大西課長は、それが面白くないらしい。

入社して早五年。俺はずっとこの大西課長の下で働いているが、皮肉めいたことを言われたり、嫌がらせを受けたりして、常に困らされていた。

それから一ヶ月後のこと。今期の営業成績が発表され、俺はトップになって社長賞をもらった。

「木下君、君の話は営業部長からたっぷり聞いている。君は将来有望だ。これからも期待しているよ」

社長から直接言葉をかけてもらい、俺は感激した。営業成績はいつも上位の俺だが、それでも入社してわずか五年で社長賞をもらえるとは思っていなかった。

俺が表彰された時、皆が拍手して喜んでくれた。だが大西課長だけは拍手もせず、遠くから俺を睨みつけていた。

「木下さん、おめでとうございます」

「すごいな。若手なのに社長賞なんて」

皆が祝いの言葉をかけてくれる中、大西課長がすっと部屋を出ていく姿が目に入った。社長賞をもらい浮き足立っていた俺はそんなことは忘れていたが、思えばこれ以降、大西課長の俺に対する嫌がらせに拍車がかかっていった。

ある日の午後、俺が営業部の部屋に入ると、大西課長が突然ぶつかってきた。

「おっと、気をつけろ。ぼんやりするなよ」

「うわ、ちょっと」

俺は思わず声をあげたが、俺のスーツに大西課長の持っていたコーヒーがかかってしまい、床にまで茶色い液体がポタポタと落ちた。

「なんだよ。危ないな。お前のせいでコーヒーがこぼれたぞ」

俺のスーツに大きなシミができてしまったというのに、大西課長はニヤニヤと笑っていて、謝りもせずにさっさと部屋を出て行ってしまった。さっきの大西課長の突然飛び出してきた姿はどうにもわざとらしく、偶然ぶつかったとは思えない。薄いグレーのスーツの胸元についたシミは、拭いても全く取れなかった。

俺は途方に暮れてしまった。俺が一人で床に落ちたコーヒーを拭いていると、営業部の皆が戻ってきた。

「あれ、木下さん、どうしたんですか?」

「うっかりコーヒーをこぼしてしまってたんだ」

まさか大西課長にコーヒーをかけられたと今更言うわけにもいかない。俺は自分でコーヒーをこぼしたことにした。大西課長は俺以外の社員に対してはいい上司を演じており、おそらく彼にかけられたと言っても信じてもらうのは難しいだろう。大西課長は社内での評判も良く、俺以外の人間には嫌われている様子もない。俺は自分のことだけで社内を乱したくなかった。

その日の俺は、行く先々で同じ言い訳をして回ることになった。日頃から楽観的な俺でも、言い訳をするたびにさすがに暗い気持ちになった。

さらに一週間後のことだ。

「あの、明日の会議の資料はまだですか?営業部の分も確認しておきたいのですが」

俺のところに品質部の社員が来た。少し困った表情をしている。

「会議は来週ではないのですか?資料は大西課長が作成する予定ですが、ご覧になりますか?」

「いえ、会議は明日のはずです。資料はまだできていないのですか?品質部では明日の予定で動いています」

品質部の社員が携帯を出し、連絡メールを見せてくれた。確かに明日の日付になっている。

「すみません。確認して、後で連絡します」

俺は品質部の社員に一旦帰ってもらい、急いでパソコンを開いた。俺の予定表には会議は来週の日付になっている。この会議には俺と大西課長が出席するのだが、以前俺は直接口頭で日付を聞いていた。俺は全ての予定をパソコンに入れていて、その時もすぐに入力したので、日付は間違いないはずだ。どういうことだろうか。

「大西課長、品質部の方が会議は明日だとおっしゃっていますが、私は来週だと聞いています。あと、会議の資料も見せて欲しいそうです」

「ああ、そうだったか」

俺が問いただすと、大西課長はパソコンを開いて確認している。しかし、一瞬大西課長の表情が曇ったことを、俺は見逃さなかった。

「品質部の会議は明日だ。木下、お前何を勘違いしているんだ?俺は最初から明日だと言ったはずだぞ。それに、資料を作成するとお前言っていたじゃないか」

「大西課長、私はそんなふうには聞いて」

「聞き間違いをするなんて本当にバカだな。会議は明日で、資料作成もお前の担当だ。大体、お前は日頃から仕事がいい加減だからこんなことになるんだ」

大西課長は日付を間違えたのは自分だというのに、俺にミスをなすりつけ、その上会議の資料作成まで押し付けてきた。

「私は明日、取引先と打ち合わせがあるんです」

「俺には関係ない。日付を間違えるお前が悪いんだ」

大西課長は俺に取引先との約束をキャンセルしろというのだろうか。またか。俺はそっと呟いた。

大西課長は嫌味を言うだけでなく、こうしてすぐに自分のミスをなすりつけたり、面倒な仕事を押し付けてくる。今回も品質部との会議だからということで、資料を作成すると自分から言い出したというのに、間に合わないと分かった途端、俺に押し付けてきた。自分をよく見せたり楽をするために俺を利用しているのだろうが、利用される俺はたまらない。

俺は品質部に謝罪し、その後取引先にも連絡を入れて、なんとか打ち合わせを変更してもらった。

「これからは気をつけてくれよ、木下君」

大西課長は自分のミスだというのに、俺の方を見てわざとらしく騒いでいる。彼はいつも誰にも分からないように俺に嫌がらせを仕掛けてくる。今日もみんなは、俺がうっかりしていたぐらいに思っているだろう。

結局俺はその日、会社に泊まり込んで徹夜で会議の資料を作ることになった。翌日、会議を一時間ほど遅らせてもらい、ようやく資料を間に合わせることができた。資料はかなり膨大なものだったが、俺は割れながらも何とか仕上げた。

「木下。お前のせいで会議が遅れてしまった。品質部には私からお詫びの連絡を入れておくから安心しろ」

大西課長はまるで他人事のように言っていたが、資料が出来上がった時、その表情は驚きに満ちていた。何しろ間に合うはずもなかった資料が、たったの一時間遅れで出来上がったのだ。こんなことはもうごめんだが、その表情を見た時はちょっとだけ胸がすっとした。

それからしばらくの間は、日々のちょっとした嫌がらせは受けながらも、大きな問題はなく過ぎていった。

そしてボーナスの時期になった。皆がボーナスを楽しみにしているようで、何に使うかという話題で持ち切りだ。

「ボーナスで何を買うか決めたか?俺は旅行に行きたいんだ。木下はどうするんだ?」

「俺はノートパソコンを買いたいんだ。今使っているのがもう調子が悪くてさ」

俺は昼休み、同僚たちとボーナスの使い道について話していた。俺と大西課長との関係は相変わらずだったが、仕事は順調だし、もちろんボーナスは俺も楽しみにしている。

同僚たちが営業先に出かけてしまい、がらんとした営業部に、突然大西課長の声が響いた。

「いいよな。木下は営業成績がいいから、きっとボーナスもたくさんもらえるだろうから、いいパソコンが買えるな」

大西課長はそう言ってニヤニヤしている。大西課長はさっきの俺たちの会話を盗み聞きしていたのだろう。さらに、同僚たちが出かけてしまうのを見計らって、俺に嫌味を言ってきたに違いない。わざわざそんなことをしてまで、大西課長は俺に皮肉を言いたいのかと思うと背筋が冷たくなり、大西課長の執念深さを思い知る気がした。

「羨ましいなあ。口がうまくて要領のいい奴は」

大西課長はずっと何やら言い続けているが、俺は恐ろしくなり、何も言わずに放っておくことにした。

それから二週間ほど経ったある日のこと。外回りで遅くなり、会社に戻った時には夜の七時を過ぎていた。大西課長だけが社内に残っていた。

「木下、お前のパソコン、間違えて初期化しちゃったわ」

大西課長は笑っているが、俺は一瞬固まってしまった。気を取り直してパソコンを確認してみると、本当にパソコンは初期化されている。

「どういうことですか?このパソコンには大切なデータも入っているんですよ」

「お前のせいだぞ。お前が新しいパソコンを買うと言ってやたらに自慢するから、最新のパソコンはどんなものかと気になって触ってしまったんだ」

俺は思わず声を荒げてしまったが、大西課長は悪びれる様子もなく、まだニヤニヤと笑っている。

「人のパソコンを勝手に触っておいて、しかも初期化するなんて、ただじゃ済まされませんよ」

「ふん。どうせお前のパソコンなんて、くだらないデータしか入っていないだろう。大騒ぎするなよ」

大西課長は人のパソコンを勝手に触り、しかも初期化するという行為をしておきながら、今度は俺に嫌味まで言ってきた。

「くだらないデータかどうかは、社長に聞いてみないと分かりませんが、自分のパソコンが初期化されて、社長もさぞお困りになるでしょうね」

「社長?なんだ?どういう意味だ?」

困惑した様子を見せる大西課長に、俺はこのパソコンの持ち主について教えてやった。

「ですから、このパソコンが初期化されて、持ち主である社長がお困りになるということです」

「待て。そのパソコンは社長のものなのか?」

大西課長はやっと俺の言っていることを理解してくれたようで、急に慌て出し、俺のデスクまで来て社長のパソコンをなめ回すように見ている。

「ええ、そうですよ。これは社長のパソコンです。ですから、確認してみないと分かりませんが、このパソコンに会社の重要なデータが入っていた可能性もありますね」

「これはお前がボーナスで買ったパソコンじゃないのか?」

大西課長はこれが社長のパソコンだとは信じたくないのだろうが、すでに顔面蒼白で、その額には汗がにじみ出ていた。

「私はまだパソコンを買っていません。これは私が社長から預かっている大切なパソコンなんです。一体どうしてこんなことをなさるんですか?」

「いい加減なことを言うな。お前はいつも調子のいいことを言っているが、その調子で俺を騙しているだけだ。社長のパソコンがお前のデスクにあるなんて、おかしいだろう」

俺が大西課長を見つめると、大西課長は急に逆切れして大声を出してきた。大西課長にとって、このパソコンが社長のものだと認めたくないのだろうが、俺のデスクにあるパソコンは本当に社長のもので、俺が時々預かっていたものだ。

「とにかく今日はもう遅いし、社長にはこのことを明日にでも報告させてもらいますよ。いいですか?」

「そんな。これが社長に知れたら大変だ。このことは内密にしてくれないか。頼むよ」

大西課長は偉そうに俺を怒鳴りつけたくせに、パソコンが社長のものだと分かると急にしおらしくなり、俺に懇願してきた。

「内密にすると言っても、初期化してしまったこのパソコンを、一体どうするつもりなんですか?」

「ああ、それはその」

痛いところを突かれて、大西課長はしどろもどろだ。どうせ俺に嫌がらせをするためにやったことで、初期化した後のことなど何も考えていないのだろう。

「はあ、分かりました。それではこうしましょう。俺にもう嫌がらせをしないと約束してください。それを約束してくださるなら、このことは誰にも言いませんよ。それでどうですか?」

大西課長は条件を飲んだようで、素直に頷いた。

「では、この社長のパソコンは私がなんとかしておきます。今日はもう社長もお帰りになったようですし、報告は明日にします。大西課長のことは言いませんから、安心してください」

「そうか。じゃあ頼んだぞ。くれぐれも俺のことは内密にしてくれよ」

話がまとまると、大西課長はそそくさと部屋を出て行った。俺は残った仕事を片付けてから帰宅した。

翌朝、俺が出社して部屋に入ると、皆が俺の顔を見るなり急に黙り込み、なんとも言えない表情をしている。俺は不審に思い、隣の席の同僚に小声で聞いてみた。

「おい、どうしたんだよ。急に黙り込んで。何か話していただろう」

「いや、別に何でもないよ」

「何なんだよ。いいから教えてくれよ」

「ああ、分かった。教えるよ。昨日、お前が社長のパソコンを初期化して、データが全て消えてしまったらしいじゃないか。本当なのか?」

同僚は最初は言いにくそうだったが、俺が頼むと眉をひそめて教えてくれた。

「大西課長がさっきから何度も同じ話をしているんだ。もう営業部だけでなく、他の部署にもこの話は広がっているぞ」

大西課長はいつも出社ぎりぎりに来るというのに、今朝はどういうわけか早めに出勤して、その話をしつこく繰り返していたそうだ。同僚の話に俺は寒気を感じた。

「お前たち、何を話している?」

俺たちがひそひそと小声で話し続けていると、背後にいつの間にか大西課長が立っていた。

「なあ、木下、すまないな。昨日、お前が社長のパソコンを初期化してしまったことは黙っていて欲しいと頼まれていたが、それではやはり社長に申し訳なくてなあ」

「そんな…」

大西課長はわざとらしく悲しそうな表情を浮かべている。パソコンを初期化したのは俺だと大西課長が堂々と嘘をつくので、俺は驚きのあまり言葉を詰まらせてしまった。

「木下、お前まずいことをしたよな。これから社長に謝りに行くんだろう。俺も一緒に行ってやろうか」

「そんな…よくもそんなことが言えますね。パソコンを初期化してしまったのは、大西課長、あなたじゃないですか?俺に罪をなすりつけようだなんて、あんまりですよ」

気づいた時には、俺は立ち上がって声を荒げて抗議していた。これまでは社内の和を気にして耐えていたが、もう我慢ならなかった。

「待ってください。では、社長のパソコンを初期化してしまったのは、大西課長なんですか?」

「大西課長と木下さんが言っていることが違いますが、一体どちらが本当なんでしょう」

大西課長と俺の言っていることが食い違うので、社員たちは戸惑っている。大西課長は今朝、わざわざ早めに出勤して都合のいいように話を作り替え、皆に触れ回って俺に罪をなすりつけようとした。いかにも大西課長らしい姑息な手口だが、大西課長は上司や気に入った部下などには人当たりも良く、それなりに人望もある。だから大西課長の言う通りに俺の仕業だと思い込んでしまった社員も多いだろう。

「どうした?何かあったのか?」

そこへ社長が現れ、俺たちが騒いでいる様子を見て声をかけてきた。

「木下君に預けたパソコンを取りに来たんだが、みんな困ったような顔をしてどうしたんだ?」

「社長、大変なんです。昨日のことですが、この木下が社長のパソコンを初期化してしまって」

大西課長は急に社長に駆け寄ってきて、得意げに昨日俺が帰社してからのやり取りを話し出した。大西課長は、俺が営業先から戻ってきた後に社長のパソコンを触り初期化してしまい、ちょうど自分もそこに居合わせたと説明している。

「そうなのか。木下君が私のパソコンを。それで木下君、大西君が言っていることは事実なのか?」

「社長、違います。私が会社に戻った時には、すでに大西課長がパソコンを初期化してしまった後でした。私も会社に戻ったところでそれが分かり、本当に驚きました」

「そうか。うん。それで君たち二人は、お互いに自分がやったのではないと言いたいんだな」

「社長、騙されないでください。木下は嘘をついています」

考えを巡らせている社長に、大西課長はまた畳みかけるように話し出した。

「木下は普段から重要な会議の日付を間違えたり、仕事は遅いし、本当に困っています。木下が営業成績がいいのは、私が何かとフォローしているからです」

驚いたことに、大西課長は俺に罪をなすりつけるだけでなく、俺が営業成績がいいのは自分のおかげだとまで言い出した。

「この間も私は止めたのですが、コーヒーのシミがついたスーツで営業先に行ってしまい、常識のなさに驚きました。取引先にも顔が立ちません」

大西課長は次々と俺の無能さをアピールしようと張り切るが、その話の全ては大西課長の嫌がらせが原因のもので、俺の不運としか言いようのないものばかりだ。

「そうか。木下君は嘘つきで、仕事が遅くて使えなくて、その上常識がないんだな」

「そうなんです。社長はさすがお目が高い」

「では、とりあえずパソコンの復旧をしようか。木下君、パソコンのデータは消えてしまったが、君ならすぐに復旧できると思うが、どうかな」

大西課長は社長のご機嫌を取ろうと必死だが、社長は俺のデスクに置いてある自分のパソコンを見て、俺に目で合図をする。俺は大きく頷いた。大西課長は何が起こったのかと驚き呆然としているが、俺はそんな大西課長を知らん顔でデスクに座ると、皆が見守る中、社長のパソコンを開き、十分ほどでデータを復活させた。

「社長、終わりました」

「わあ、すごい。もう終わったんですか?」

「やっぱり木下さんは仕事が早いし、すごいよな」

俺がパソコンを操作するのを見ていた社員たちは、口々に驚きの声をあげた。実は学生時代、俺はSEを目指していたこともあり、社内ではあまり知る人もいないが、パソコン操作について専門的な知識を持っている。

今回社長が俺に預けてくれたパソコンは、社長のプライベートなものだ。俺は以前、社長と帰りが偶然一緒になり、社長のパソコンの調子が悪いという話を聞いた。それがきっかけで個人的に不具合を見て欲しいと頼まれるようになり、時々パソコンを預かるようになったのだ。

「木下君、さすがだな。ありがとう」

社長はパソコンのデータが復活して安心したようだ。

「今、パソコンの使用履歴を確認しましたが」

俺は社長のパソコンの画面を見ながら説明を始めた。パソコンの使用履歴を見ると、初期化された時間は十八時十分になっていて、その時間、俺はまだ会社に戻っていないことを指摘した。

「なんだ木下、いい加減なことを言うな。そんなことを言うなら、お前の帰社時間を証明してみせろ」

「証拠ならありますよ。このレシートです」

俺は車両者にガソリンを入れた時のレシートを提示した。レシートに記載されている時間は十八時四十分で、パソコンが初期化された時間には、俺はまだ社内にはいないことを示している。

「車には一緒に品質部の社員も乗っていました。確認していただければ分かります」

「どうやらパソコンを初期化したのは、大西君のようだな。私のプライベートなパソコンだが、勝手に人のパソコンを操作したことは大問題だ」

社長は静かな口調で話していたが、その目は怒りに満ちているように見えた。当然大西課長にもそれは伝わったのだろう。自分のしたことが社長にバレてしまい、がっくりと肩を落としている。

そんな大西課長を横目に、俺は社長とまっすぐに向き合った。

「社長、私は今まで大西課長に数えきれないほどの嫌がらせを受けてきました」

初期化したことを黙っているからもう俺に嫌がらせをしないという約束を、あっさりと破られた。俺に対する言動を改めるつもりはないと悟った俺は、全てをぶちまけることにした。

「間違った会議の日付を俺に伝え、膨大な資料作りを押し付けられたこと。得意先に行く直前に、偶然を装ってコーヒーをかけられたこと。その他、数々の嫌がらせや暴言など」

俺は徹底的に報告した。

「それじゃあ、木下さんがいつか日付を間違えたと言って徹夜で会議の資料を作っていたのは、大西課長の連絡ミスということですか?」

「木下さんがスーツにコーヒーの大きなシミを作って、そのまま営業先に行くことになったのも」

社員たちは今度は俺の話したことをすぐに信じてくれ、皆が呆れたような表情で大西課長を見つめている。

「部下に嫌がらせをして仕事の邪魔をするなんて、上司としてあってはならない行為だ。そんなことはやめておく方が身のためだぞ。意味は分かるな、大西君」

社長は大西課長の今までの言動を聞いてよほど呆れたのだろう。大西課長を睨みつけ、吐き捨てるように言った。

「ああ、私のパソコンのせいで時間を取らせてしまい、すまなかった。皆、もう仕事に戻ってくれ」

申し訳なさそうに目を伏せると、社長はパソコンを抱えて立ち去っていった。

その後、良好だった大西課長の評判が落ちたのは言うまでもない。大西課長は俺への問題行動の責任を取ることになり、課長職の解任と減給の処分を受けた。それにより、俺にミスをなすりつけたり仕事を押し付けたりすることもできなくなって、大西課長が仕事のできない人間だったことが明らかになった。

さらに俺に対する嫌がらせが暴露され、皆に白い目で見られるようになり、会社にいづらくなったようで、しばらくして退職してしまった。

悩みの種だった大西課長がいなくなり、職場は快適な環境となった。おかげで俺はのびのびと働けており、今まで以上に仕事に励んでいる。

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