私は咲子、三十二歳の専業主婦。夫の徹と私の母と三人で実家に暮らしている。二年前に父が事故で急に亡くなり、塞ぎ込んだ母を一人にできなかった。その頃、徹は会社をリストラされたばかりで、二人暮らしの生活も苦しかった。同居の話を持ち出すと、徹は不満そうな顔をしたが、生活がかかっているので何も言えず、渋々承諾した。
私は資格を持ち、責任ある立場で毎日仕事に追われている。平日は母が家事を担い、週末は私が手伝う。徹は就職活動中という言い訳で一切家事をしなかった。半年後、ようやく就職したが、今度は新しい仕事のストレスや残業を理由に、相変わらず家事をしようとしない。
「ねえ、私の方があなたより勤務時間も長いし、休日出勤だってあるのよ。なんであなたは家のことを手伝おうとしないの?」
私がそう言うと、徹は不快そうに顔をしかめた。
「男は家事とか苦手なんだよ」
「私だって最初は苦手だったわ。努力してできるようになったのよ。あなたには最初から努力する気がないんでしょ」
「お前が覚えた頃と今じゃ状況が違う。俺は今忙しいんだ」
徹は話し合いを続けることもせず、逃げるように寝てしまった。最近、母は膝に痛みを抱えている。なるべく家事は分担したいのに、最初からやる気がないのではどうしようもなかった。
さらに最近、別の悩みが増えた。週末になると、徹が頻繁に義姉を家に招くようになったのだ。義姉は私より五歳年上だが、常識のある大人とは思えない。靴を揃えずに上がり込み、私や母の靴を踏む。母に挨拶もせず、「おばあちゃん、コーラある?」と平気で言う。
「コーラなんて置いていないわ」
母が困ったように答えると、義姉は自分の親にでも言うかのように振る舞う。
「え、じゃあ買ってきてよ。客が来てるのに、おもてなしもできないなんて。この家、レベル低いね」
「じゃあ、ご自分で買ってきてください。予定していない来客に備えることはできませんから」
私が言い返すと、ようやく黙る。しかし、その後も勝手に人の部屋を覗いたり、冷蔵庫を開けてデザートを食べたりする。義姉に何度注意しても態度を改めないので、徹に抗議してもまるで無意味だ。
「ねえ、お姉さんが来ると、私もお母さんも休めないの。たまにならまだしも、毎週はどうかしてるわよ」
「俺の姉さんを邪魔者扱いするのかよ。俺は仕方なくお前の母親と同居してやってるんだぞ。それを感謝もせずに文句を言うとはな」
「それとこれとは別の話じゃない」
「別の話じゃない。俺がお前の母親との同居を許してるんだから、お前も姉さんが来るのを受け入れるべきだ」
母と義姉を同列に考えないでほしい。徹は母に対して無礼な態度を取っているのに、義姉は母にも私にも失礼極まりない。しかし、そう言っても徹には通じず、喧嘩になるだけだった。
結婚してしばらくは口数の少ない大人しい人だった徹は、リストラされてから人が変わってしまったようだ。本当は攻めたくないが、最低限のマナーは守ってもらわなければこちらが不快になる。
しかし、毎週義姉が遊びに来るくらいでは済まなかった。ある日、義姉が大荷物を抱えてやって来たのだ。
「これからよろしく」
義姉がそう言い出すと、徹が当然のように続けた。
「お姉さん、よく来たね。ようこそ。今日からここがお姉さんの家だよ」
「ちょっと、どういうこと?」
私が問い詰めると、徹は面倒そうな顔をした。
「どういうことって? 今日から姉さんもここに住むんだよ」
「なんでそんな話になってるのよ。私も母さんも聞いてないわ」
「うるせえな。姉さんと同居するって俺が決めたんだ。文句があるなら、お前のばあさんは施設送りだ。嫌なら離婚しろ」
その後ろで、義姉がニヤニヤと笑っている。私は驚きのあまり体が硬直し、言葉も出なかった。人の母親を「ばあさん」呼ばわりされた怒りが込み上げてくる。
徹がまた勝手なことを言い出した。
「母さん、姉さんはあなたの部屋を使うから、あなたは仏間を使ってください」
母が驚いていると、徹と義姉は勝手に母の部屋へ上がり込み、家具を外へ運び出そうとし始めた。もう我慢の限界だった。
「分かったわよ。あんたと離婚するわ。早く出ていってちょうだい」
「はあ? マジで言ってんの?」
徹が私を見下すように笑いながら聞いてくる。
「マジよ。今までずっと我慢してきたけど、もうあんたにもお姉さんにもうんざりしてたの。お姉さんと同居なんてありえない。嫌なら離婚って言うなら上等よ。私は母を大事にするわ」
「追い先短いばあさんのために自分の人生を捨てるのかよ」
「分かってないのね。あなたとこの先一緒に人生を歩む方が、人生を捨てているようなものなのよ。あなたが離婚を言い出したんだから、ちゃんとその通りにしなさい」
「分かったよ。じゃあ、新居が見つかるまでは姉さんは俺の部屋に泊まらせる。お前は大好きなママの部屋に移動すればいいだろ」
「言われなくてもそうしてやるわよ」
「私と離婚して後悔しないでよね。ずっとばあさん優先にされてきて、ストレス溜めてたんだ」
「後悔なんかするかよ」
徹も義姉も私を見下して笑っている。きっと、財産分与でも当てにしているのだろう。私はすぐに自分の荷物をまとめて母の部屋に移動した。今まで徹と同じ部屋で嫌な思いばかりしてきたので、ようやく落ち着いて眠れる。
母は「離婚なんていいの? この先、一人になっちゃうのよ」と心配していたが、嫌な人と一緒にいるくらいなら一人の方がましだ。
「いいわよ、別に。お母さんは気にしないで。私はあんな男よりもお母さんの方が大事なの。離婚を止めようとしないで」
私が真剣に言うと、母は落ち込んだ様子で頷いた。きっと自分のせいだと思っているのだろうが、母は何も悪くない。離婚が成立したら、母と二人で旅行にでも行って、安心して幸せに生きていけるようにしたい。
離婚はあっさりと済み、財産分与もして、徹と義姉は一週間以内に出ていった。最悪な一週間だった。義姉は勝手にキッチンの食材を使いまくり、下手くそな料理で失敗作をゴミ箱に捨てていた。夜中に大音量で音楽を流したり、私が母と食べようと買ってきた有名店のケーキを食べられたりもした。二人は立ちのいいマンションに住むことになったらしい。徹は今までと同じ仕事をし、義姉はフリーターとして働くと言っていた。
二人が出ていって、これで関係は終わったかと思いきや、まだ終わらない。私は今まで溜まった怒りを発散させるため、義実家へ向かった。義母は義姉よりはましだが、私に嫌味を言ってくる嫌な人だ。義実家で一番まともなのは義父だろう。結婚当初は徹も義父もまともだったので、義母や義姉が少し変わっていても気にしなかった。だが、それは勘違いだったようだ。
アポなしで義実家を訪れ、インターホン越しに義母へ伝えた。「離婚したので、挨拶に来ました」と。義母がしぶしぶ家へ上げてくれたので、私は玄関で靴を脱ぎ散らかし、義母の靴を踏みながら廊下に上がった。
「ちょっと、あなた何をするのよ」
「お姉さんがそうしていたので、この家ではこれが作法なのかと思っていました」
義母は怒っていたが、無視してリビングに入り、ソファーにドカッと座って義姉がやっていたように要求した。
「コーラをください」
「はあ? コーラなんてないわよ」
「じゃあ、買ってきてもらえます? 私、家にいますので、ちょっとそこまで走ってもらえればいいですよ」
「何なの? 離婚したから謝罪に来たんでしょ。あんたが浮気したからって聞いたわよ。それなのにその態度は何?」
「私が浮気? そんなことはしていません。証拠を見せてから言ってください。それに、この態度はお姉さんがうちで母にしてきたことです。あなたがそう躾けたんでしょう。私の行動が失礼だと思ったんですか?」
義母は顔を真っ赤にして黙り込んだ。
「む、娘の行動は私の知るところじゃないわ。あの子は昔から私の言うことを聞かなくて、いくら怒っても聞かないのよ」
「それで教育を放置したんですね。だからあんな自分勝手でわがままな娘と息子が育ったんじゃないですか」
「トールは違うわ。あの子は昔から大人しくて、人に迷惑をかけるような子じゃないわよ」
「じゃあ、そんな礼儀正しい人が、勝手に自分の姉を連れてきて、母を部屋から追い出そうとするんですか。離婚したのは、トールが『お姉さんと同居させたくないなら離婚だ』と言い出したのが理由です。浮気なんてどこから出てきた話なんだか」
義母は考えがまとまらないようで、俯いて震えているばかりだった。これ以上話しても無駄だと思い、私は立ち上がった。
「お子さんたちに、次からこういうことはするなとお伝えください。今日は失礼な態度を取ってすみませんでした」
一言謝ると、帰りは義母の靴を踏まずに帰ってきた。
その後、義両親が正式に謝罪に来てくれた。義父は礼儀正しく頭を下げ、迷惑料まで支払ってくれたので、母は恐縮していた。義母はトールと義姉を義実家に呼んで叱りつけたらしい。義姉がやったことの再現を見て、このままではまずいと思ったのだろう。義両親揃って二人に説教をしたという噂も聞いてきた。
だが、徹と義姉の災難はそれだけでは済まなかった。私と母が引っ越してしばらく経った頃、徹から電話がかかってきた。
「おい、咲子、今どこにいるんだよ」
「なんであなたに教えなきゃいけないの?」
「お前んちに行ったら売りに出てたんだよ」
徹は怒ったように声を荒げるが、私は同じ質問を繰り返す。
「だから、なんで私の居場所をあなたに教える必要があるの?」
「そ、それは……」
ようやく意味が分かったのか、徹は口ごもり、数秒黙った後に答えた。
「お前のことが好きだからだよ」
「はあ?」
「離れて初めて、お前の魅力に気づいたというか。あんな態度を取って悪かったと思ってるよ。姉さんの前だと、つい意地を張ってたけど。本当は大事にしたかったんだ。お前もお母さんも。けど、俺って昔から姉さんに逆らえなくてさ、あんなことをしたのは本心じゃなかったんだ」
どんなに反省を装っても、どんなに謝罪されても、どんなに愛を語られても、私の心は動かない。あの時、勝手に義姉を連れてきて同居させなければ離婚だと言われ、母を「ばあさん」呼ばわりされたことを、そんな言葉で許せるはずがない。
「あっそ。あなたの感情に興味はないわ。私たちは離婚したのよ。どれだけ謝罪しようが、いくらお金を積まれようが、私はあなたとだけは再婚しないわ」
「そんなこと言わないでくれよ。お前とお母さんがいなくなって、どれだけ大切な存在だったか気づいたんだ。もう同じことにならないようにする。お願いだから、一度だけチャンスをくれないか」
「どうせ、あなたもお姉さんも家事ができなくて困ってるだけでしょ」
図星だったのか、徹は「うっ」とうめき声をあげた。少し思いつきで言っただけなのに、それが事実だったらしい。しかもそれで復縁を申し込んでくるなんて、本当に信じられない。
「最低ね。あなた、離婚するって話した時、『後悔しない』って笑ってたわよね。お姉さんと二人で私と母を見下してさ。それが今や、あなたたちの方が追い詰められているわけだ」
私がそう言うと、徹は態度を変えた。
「てめえ、こっちが下手に出たら、いい気になりやがって」
「あら? 反省してるんじゃなかったのかしら? お父さんとお母さんに、しっかり教育されなかったの? 『他人に迷惑をかけちゃいけません』って。『悪いことをしたらちゃんと謝りましょう』って」
「悪いことをしたのはお前の方だろ。母さんに無礼なことをしたんだってな。それを姉さんがやったとか嘘をついて、俺も姉さんも父さんから叱られたんだぞ」
子供のような物言いに、私は笑ってしまった。
「『父さんに叱られたこともないのに』って言いたいのかしら。あんた、今何歳なのよ。早い人ならとっくに子育てして、世の中の道理を教わってるわよ。それなのに三十代にもなって、十代の子供が言うようなことを言うんじゃない。今の状況は自分で選んだことでしょ。人のせいにしてないで、自分で責任を取りなさいよ」
「お前、俺を馬鹿にしやがって」
「私が言ってることが理解できないなら、もうあなたと話す価値はないわ。二度と連絡してこないでね」
私はすぐに電話を切り、そのまま徹の番号を着信拒否にした。その後、着信履歴の通知だけが届いていたが、私はそれに答えることはなかった。
徹と義姉はマンションに引っ越したものの、二人とも家事をしないのですぐにゴミ屋敷状態になってしまったらしい。義姉の非常識な行動が原因で、マンションのオーナーから退去を求められている状態だという。慌てて清掃業者に頼んだが、すぐに元通り汚くなったとか。そして、義姉の金遣いの荒さに今までの彼氏は去っていき、年齢的にも次が見つからず、徹の収入を当てにしているので、二人で金銭的に困っているそうだ。
私は引っ越しが落ち着いた頃、母と温泉旅行に行った。母は私が離婚したことを自分のせいだと思っていたようで、ずっと落ち込んでいた。しかし、温泉で久しぶりに晴れやかな笑顔を見せてくれた。
私は今後のことは何も考えていない。もしかしたら再婚するかもしれないし、しないかもしれない。もしまた結婚するようなことがあれば、最低限のマナーが守れて、家族を大事にしてくれる人。その条件を満たせなければ、結婚はしなくていいと思っている。これからも仕事を頑張りながら、母を大切にしていきたい。
