その日、私たちはとあるレストランの個室で両家の顔合わせをしていた。穏やかなムードで会が終わろうとしたその時だった。突然、個室の扉が激しい音を立てて開かれた。店内の係員なら苦情を言いたくなるような開け方だった。しかし、扉を押し開けて入ってきたのは店員ではなかった。見知らぬ女性。その後ろには初老の男女が二人立っている。その女性は私たちに向かって叫んだ。
「この泥棒猫が!私の旦那を返せ!既婚者と両家顔合わせなんてしやがって、この不倫女が!」
意味が分からなかった。つい数分前まで、今日は人生で一番幸せな日かもしれないと思っていたのに。私の彼は、私の両親の目をしっかり見据えて言っていた。「娘さんを幸せにしてみせます」と。結婚式や出産、彼と二人で歳を重ねながら、人生で一番の日は更新されていくのだろう。結婚を墓場だなんて言わせない。彼の隣で、私はそんな覚悟を固めていた。しかし残念ながら、私たちは墓場にすら入れそうになかった。
私は半田直。二十代前半の独身で、印刷会社に勤めるしがない会社員だ。ここ数年、私の悩みはとにかく男運がないこと。少し前にも別れたばかりだった。一番ひどかったのは、彼氏だと思っていた相手に「お前はただのセフレだ」と言われたことだ。私はその男性との結婚を考え、両親に会ってほしいと頼んだ。返ってきたのは、「お前、勘違いしてたのか。やたらデートみたいなこと従がるから、もしかしたらそうなんじゃないかと思ってたんだよ。彼女扱いしないでくれ。お前はただのセフレだから」という言葉だった。その絶望感は、今でも鮮明に思い出せる。
それから幾度となく、繰り返したり、浮気されたり、浮気相手にされたりしていた。しかし、そんな私の前に、とうとう素敵な男性が現れた。あの日は週末で、親友のよ子と飲む約束をしていた。あのクソ男の愚痴を吐き出そうと思っていたのだ。だが、よ子は店に来なかった。代わりに、「ごめん。急な仕事で残業になった」とメッセージが届いた。仕事なら仕方ない。よ子は私の一つ下だが、親友であり姉妹のような存在だ。ドタキャンで怒ることはない。ただ、吐き出そうと喉元まで上がっていた言葉を飲み込むことになり、不完全燃焼だった。
だから私は、せっかく店にいるのだからちょっと飲んで帰ろうと注文を始めた。最初は少しだけのつもりだった。しかし、しばらくすると、同じ店にいた男性が話しかけてきた。
「あの、よかったら一緒に飲みませんか?友達が来れなくなってしまって」
普段なら適当に断っていただろう。しかし、この日はとにかく誰かに話を聞いてほしかった。だから私は「いいですよ」と言ってしまった。これが全ての始まりだった。
ストレスと相手が聞き上手だったこともあり、私はハイスピードで酒を飲んだ。いつの間にか呂律も回らず、立って歩くのも精一杯だった。そして気がつけば、ベッドの上にいた。窓から差し込む日差しで目が覚め、頭に激しい痛みを感じる。そしてすぐに思った。やってしまった、と。ズキンズキンと痛む頭で、自己嫌悪に陥った。酔っ払って簡単に持ち帰られるようだから、ロクな男が寄ってこないのだと。
しかし、辺りを見回して気づく。私が眠っていたのは、私の家のベッド。服も昨日着ていたもののまま。どこも乱れていないし、何かをされた様子もない。じゃあ、私は飲み屋で知り合った男性と特に何もなく、一人で家に帰ってきたのか?そう思ってほっとしかけたのだが、ベッド横のサイドテーブルに見知らぬメモが置かれていた。そのメモを見て、私は途端に恥ずかしくなった。
「掃除道具やゴミ袋を探すために物置きと洗面所を触りました。配置が変わっていたらすみません」
なぜそんなことをする必要があったのか。答えは簡単というか、最悪だ。どうも私は自分の家の廊下で吐いてしまったらしい。しかもただ吐いただけではない。少しずつ記憶が戻ってきて、ひどく落ち込む。私はその日初めて会った男性に家まで送ってもらった挙げ句、廊下に撒き散らした吐しゃ物を掃除させたというのだ。メモには続きがあった。「同時に利用したゴミは袋を三重にしてゴミ箱に入れておいたので、破れないように気をつけてください」と。初対面の男性にこんなことをさせるくらいなら、抱かれていた方がまだましだったかもしれない。
私はその男性に謝罪と感謝を伝えたいと思った。しかし、昨日の私はあまりにも無能だったらしく、連絡先どころか名前すら聞いていない。メモにも個人情報になりそうなものは何ひとつ残っていなかった。うっすら記憶に残る男性の顔だけでは探しようがない。ああ、これは一生物の黒歴史だ。酒をやめようかと思ったが、翌日にはストレスからビールを飲んでいた。
数日後、取引先である出版社との打ち合わせがあった。私は打ち合わせ室で準備をしながら先方の到着を待っていた。約束の時間の数分前、現れた取引先の一人を見て、腰を抜かしそうになった。私を家まで送ってくれた男性がいたからだ。打ち合わせはスムーズに終わった。私の動揺は正直尋常じゃなかったが、仕事の話になると平静を取り戻せた。男性の名前は大輔さんといい、最近出版社に中途採用されたらしい。この日は大輔さんの紹介も兼ねていたようだ。
そして、先方が帰る直前、私は思い切って大輔さんに話しかけた。
「あの、この間私のことを送ってくださった方ですよね」
私が恐る恐る聞くと、男性は微笑みながら「覚えてくれていたんですね」と言った。「かなり酔っていらっしゃったようでしたから、てっきり記憶もなくなっていたのかと。ああ、別に嫌みとかそういうわけじゃないですよ。ただ楽しい夜だったので、忘れられていると寂しいなと思っただけです」
私の失態を見たというのに、この男性は「楽しい夜」と言ってくれるのか。とてもよくできた男だ。もしくは皮肉。どちらにせよ、私は謝罪と感謝を述べなければならない。
「本当にこの度はご迷惑をおかけしまして。それと、面倒まで見てくださってありがとうございます。このままでは私も心苦しいので、何かお礼をさせていただけないでしょうか?」
大輔さんは「そんなお気になさらず」と言ってくれたが、私が引き下がらないのを見て、じゃあ、とある提案をしてくれた。
「僕は最近この町に引っ越してきたばかりで、まだ美味しいご飯屋さんを知らないんですよ。だから、おすすめのお店でご馳走してくれませんか?」
ちょうどいい提案だった。お互いに引け目を感じない程度のお礼の仕方。やはりよくできた男性なのかもしれない。こうして私は大輔さんと食事に行くことになった。
結論から言えば、私と大輔さんは付き合うことになった。いくら何でも展開が早すぎると思うかもしれないが、お礼の食事に行ってすぐ付き合ったというわけではない。まあ、次に会った時には告白していたような気もするが。食事の時にした会話で、私は大輔さんととても波長が合うと感じた。それは向こうも同じだったようだ。お互い忙しい身で頻繁に会えるわけではなかったが、連絡はこまめに取っていた。二度目の食事で交際に至った。
これを聞いて、友人であり妹のような存在のよ子は苦言を呈した。「色々潔すぎなんじゃないの?今まで男で嫌な目に遭ってきてるんだからさ。もうちょっと相手を知る時間があってもいいと思うのよ。そりゃ大輔くんの送迎の話は立派なもんだけどさ。とにかく直子に辛い目に遭ってほしくないの」と言われた。よ子の心配は嬉しかった。私とよ子の立場が逆なら、私だって同じことを言うかもしれない。しかし、大輔とはすでに付き合ってしまっている。急ぎすぎたから別れましょうなんて、とても言えなかった。
それから半年後、私たちの関係は続いていた。付き合い始めて二ヶ月ほど経った頃から、大輔とは半同棲状態のような形になった。一緒にいられる時間は増え、お互いの生活の部分も知ることができ、距離が縮まったと思う。私は徐々に結婚などもぼんやりと意識し始めていた。だが、少し前から気になることがあった。大輔と一緒にいられる頻度が減ったのだ。理由は単純で、大輔が私の家に来る頻度が減ったからだ。
よ子の言葉が蘇る。「急ぎすぎなんじゃないの?」私は結婚を意識していることを言葉にしたことはなかった。半年程度の付き合いで全てを知ったつもりにはなっていなかった。だが、思い切って大輔に「最近家に来ない理由」を尋ねた。すると、思いがけない返答が電話で返ってきた。
「実は母さんに病気が見つかって、今入院しているんだ。それで手術費用が必要なんだけど、その工面をしていてごめん。何も言わずに会うのが少なくなったから、不安にさせちゃったよね」
私が不安になったことなんてどうでもよかった。大輔のお母さんが病気で、手術費用がいるなんて。どうしてもっと早く相談してくれないのだ。私は貯金もそれなりにある。大輔に入院費用を払うと言った。もちろん大輔は「それはダメだ」と断った。しかし、大輔が押しに弱いことは知っている。実際、何度か押し問答をした後、大輔は「分かった。本当にありがとう」と言って、私の提案を受け入れてくれた。数週間後、大輔から「母さんの手術は無事成功した」という連絡を受け、私は安心した。
その一件以来、私たちはより仲が深まった。そして私はとうとう大輔に言うことにした。
「ねえ、私の両親に会ってほしいの」
この言葉を言うのに、世間一般的な女性がどれだけの勇気を必要とするのか分からない。少なくとも私にとっては、かなり勇気が必要なことだった。今までこの言葉を言うたびに、「重い」「本命じゃない」「セフレだから」と言われてきたからだ。それでも私は大輔との未来を考えたかった。第一段階として、大輔を両親に紹介したいのだ。
大輔は少し何かを考えるそぶりを見せた。この時間が何よりも私を不安にさせる。そして大輔は私を見て、何かを決心したように頷き、口を開いた。
「じゃあ、せっかくだから俺の母さんとも会ってよ」
一ヶ月後、私と両親はとある高級レストランの個室で、大輔と彼のお母さんの到着を待っていた。あの日、大輔から「俺の母さんとも会ってよ」と言われた時、私は夢を見ているのかと思った。しかし、何度聞き返しても大輔は「会ってほしいんだ」と返してくる。これで私もやっと男運の悪さから解放されるのだ。そう思っていた。
しばらくして、店員に案内され、大輔とその母親らしき人物が姿を見せた。私は緊張した面持ちで彼らを迎えた。大輔のお母さんは私に笑顔を見せてくれる。第一印象は悪くないようだ。私たちはコース料理を食べながら色々と話をした。その際、大輔のお母さんは「本当にありがとうね」と言ってきた。一瞬何のことか分からなかったが、すぐに手術費用のことで理解し、「大丈夫ですよ。お元気で何よりです」と返した。すると大輔のお母さんは大輔と何やらアイコンタクトをして頷いた。私の品定めだろうか。今のところボロは出していないはず。そんなことを考えていた時だった。
バンッ。突然、個室の扉が激しい音を立てて開かれた。扉を開けて入ってきたのは店員ではなく、見知らぬ女性。その後ろに初老の男女が二人立っている。女性は私たちに向かって叫んだ。
「この泥棒猫が!私の旦那を返せ!既婚者と両家顔合わせなんてしやがって、この不倫女が!」
結婚。既婚者。男性。一体どういうことなのか。大輔と彼の母親は、嫁を名乗る女性をきつく睨みつけている。そして、大輔の母親はそれまでの柔和な態度が嘘のように、鬼の形相で叫んだ。
「大事な日に邪魔しやがって。お前みたいな使えない嫁と大輔は離婚したはずだろ。他人が口を挟むんじゃないわよ」
すごい迫力だった。しかし、嫁を名乗る女性は恐れるどころか、堂々と反論した。
「はあ。離婚なんてしてませんけど。そもそも私が一体いつ離婚したって言いました?あなたが邪魔しなければ、私と大輔は幸せに暮らせていたのに。大輔も大輔よ。遊びならまだしも、浮気相手と両家の顔合わせって一体どういうつもりなのよ」
大輔の母は大輔の方を見て「まだ離婚してなかったのかい」とつぶやく。大輔は「もう実質離婚したようなもんだろ」と返す。
「大体、お前と母さんが毎日のように言い合っているのが嫌になったんだ。大人しく母さんの言うことに従っていればいいだけなのに。お前は母さんに逆らってばかりだし。こんなの離婚しかないだろう」
「いいや。お母さんが改めればいいだけでしょう。全時代的なクソババアが嫁のあり方なんて語ってるんじゃないわよ」
三人は激しい言い合いを始めた。私の男運は一体どこまで地に落ちればいいのだろう。緊張しながらも輝かしい未来を夢見て楽しみにしていた今日が、こんなことになるなんて。私の中で悲しみが徐々に怒りへと変わっていく。
「とにかく俺はお前と離婚して直子と人生をやり直すんだ。お前たちはいい加減にしろ」
私は声を荒げた。
「私を蚊帳の外にして話を進めないで。一体何が何だか分からないの。とにかく全部説明してよ」
大輔は「分かったよ」と言って、全てを話し始めた。話は難しくない。大輔は既婚者で、妻との問題を疎ましく思っていた。そして同時に、年を重ねた妻を女として見れなくなっていることにも悩んでいた。ある日、家に帰りたくないという気持ちからふらっと入った飲み屋で、私と出会った。妻に比べると若い女性が酒を飲んで無防備な状態になっていたため、最初は勢いで抱いてしまおうかと思ったらしい。しかし、浮気や酔った女性が相手というのはまずいという意識もあり、送り届けるだけで終わるはずだった。なのに、後日仕事で再会した挙げ句、私がお礼をしたいと言ったものだから、運命を感じたのだとか。そして関係を続けた結果、大輔の母はその浮気を認知した上で、妻が嫌いなあまり推奨していたらしい。だから今日、私と両親の前に姿を現すことができたのだ。そんな中、浮気の尻尾を掴んでいた大輔の妻が、彼女の両親を連れて乗り込んできて、今に至るというわけである。
「もう最悪だ。確かに既婚者を隠していたことは申し訳なく思う。でも直子を愛しているのは本当なんだ。だから関係をこのまま続けよう。妻とはすぐに離婚するから」
何勝手なことを言っているのか。私はまた二人の言い合いを聞きながら、大輔が何も分かっていないことに怒りが湧いた。大輔が私を愛しているかどうかなど、どうでもよかった。私は今までの男運のなさを大輔に散々話しているのに、嘘をつかれていたことが許せなかったのだ。これでまた私の男性不信が悪化した。もちろん私の両親も大輔を許すはずもなく、「帰らせてもらう」と私の手を引いて実家へと戻った。
その後、私は何度か大輔の奥さんと会い、けじめのつけ方を話し合った。理由はどうあれ、私は浮気相手に違いないのだから。大輔と奥さんは離婚し、大輔に多額の慰謝料が請求されたようだ。私の方は奥さんからかなり激しく非難されたものの、大輔が既婚者だと知らなかったことを理解してくれたため、慰謝料などは請求されずに済んだ。ただ、大輔の母親の手術代として渡したお金が返ってくることはなかった。借用書などを作っていなかったため、返還を求める法的な効力を持つものが何ひとつなかったのだ。あれは善意で渡した金だ。詐欺にすらならない。
それからというもの、私は男性と関係を持つことはなかった。時々言い寄られることもあったが、本気にすることはなかった。ただひたすら仕事に没頭し、時々そんな私を心配してよ子が飲みに誘ってくれる。そんな日々を送り続けた。そして五年の月日が流れた。
ある日、私はいつものようによ子から飲みの誘いを受けた。馴染みの店でよ子と合流すると、違和感を覚えた。よ子の様子がどことなく違う。何か緊張をしているような感じだ。話し始めてみると、内容はいつもと同じで仕事の愚痴や最近はまっているドラマの話だったが、どこかぎこちない。飲み会も終盤に差し掛かった時、よ子は決心したように口を開いた。
「実は、結婚を考えている人がいるの」
なるほど。ずっとこれを言いたかったのか。よ子が結婚か。よ子は私と違って、クズの男と付き合っていたという話は聞かない。よ子の家はそれなりの家柄で、いわゆる上流階級との交流が多く、きちんとした人間と出会う機会が多かったのかもしれない。それに、少なくとも私より男を見る目があるのだろう。私は「写真とかないの」と尋ねた。よ子は「あるよ」と言ってスマホを操作し、見せてくる。
「私の隣にいるのが彼。名前は“大輔”って言うんだ」
私は悪寒がした。この男を知っている。五年前に私を騙した男なのだから。よ子と別れた後、私は帰宅した。大輔の正体が私の元彼だということは、よ子には言えなかった。写真を見た瞬間、叫び声を上げそうになった。私を浮気相手にした男はそいつだと。しかし、もし大輔が改心していたら?大輔は確かに私を騙したが、一緒に過ごしていた間はとても優しい人だった。今はよ子と真剣に付き合っているのかもしれない。元嫁とは別れているし、それ以降に誰かと結婚したわけではないなら、ただの独身男性。私が口を挟むようなことではない気もした。
そう悩んでいると、突然私のスマホに着信が入る。画面には知らない番号。一度目は出ずに無視したが、何度もかかってくるので仕方なく出ることにした。すると、聞き覚えのある男の声が聞こえてきた。
「やっと出てくれたなあ。俺のこと覚えてる?ちょっと助けてほしいんだけど」
私の頭に嫌な記憶とある言葉が蘇る。「お前はただのセフレだから」。そう、この男は私のことを都合よくやり捨てた男、ヒカルだった。
「いやあ、本当に直子に繋がってよかった。誰とも連絡が取れなかったら俺、死んでたかもしれないんだよ、マジで。相変わらず白々しい口調。今思えば、一体私はこんな奴のどこを好きになったのだろう。
「それでさ、頼みがあるんだよ。言いにくいんだけどさ、金貸してくれない?三百万ほど」
それからヒカルは私の反応を確認することもなく、ひたすら現状を説明し始めた。私と関係を絶って五年以上になるが、相変わらずヒカルは女癖が悪かったようだ。直近に手を出した女性が、いわゆる裏社会の人間の彼女だったらしい。けじめをつけろと金を要求されたが、すぐに払えるわけもなく、スマホに入っている連絡先全てに金の無心をさせられているらしい。払えなければ痛い目を見るとか。
「本当にやばいんだよ、この人たち。嘘じゃなくてさ、俺の家族とか仕事とか、何もかも調べ上げてるんだよ」
そう言うと、電話の向こうから「余計なこと抜かしてんじゃねえ」という怒声が聞こえてくる。知らないわよ。そんなの自業自得じゃないか。そう思った時、私は一つ引っかかった。「何もかも調べ上げる」。そうだ。私もそうすればいいのだ。そう思い立った私は、ヒカルにお礼を言うことにした。
「あなたの電話、とてもヒントになったわ。ありがとう。でもお金は自分で何とかしてね。女のこと穴のある道具だと思ってるから、こんな目に遭うのよ。それじゃあね」
電話口からは「待ってくれ。謝るから」という声が聞こえていたが、私は電話を切り、ヒカルの電話番号を着信拒否にした。そして、大輔のことを調べることにした。
一ヶ月後、私はとある暗闇にいた。外から人が入ってくる気配がする。私はそのまま聞き耳を立てる。すると、ある男性の声が聞こえてきた。
「僕は今イラストレーターをしています。娘さんとは知り合いを通じて出会ったんですよ」
ああ、イラストレーターか。まあ、絵を描いていればそう名乗れるわな。大して稼いでいなくても。その後も、よ子の父からその男性は色々と質問を投げかけられていた。「僕がよ子さんを養ってみせます」なんて言葉も出てくる。もう聞いていられない。私は目の前の扉を横にずらし、暗闇から外に出ることにした。
実は、私はよ子一家と大輔の顔合わせを押入れに隠れて盗み聞きしていたのだ。よ子と大輔は驚いた顔をしていた。私が押入れに隠れていたことを知っていたのは、おばだけだ。私が「彼氏の反応を見たいから押入れに隠れたい」と言うと、すぐにオッケーしてくれたのである。昔からいたずら好きなおばなのだ。よ子の父は、娘の大事な日に何をしてくれているんだと言ったような表情をしていた。
私はすっとよ子の隣に座り、封筒を机の上に置く。そして大輔を見て言った。
「さあ、話の続きをどうぞ。裏切者さん」
大輔はうろたえるだけで、何か具体的な話をしようとはしない。よ子が口を開いた。
「直子、一体どういうつもり?あなたのことだから面白半分でやっているわけじゃないんでしょう。その封筒の中身が重要なのよね。私たちに見せてくれる?」
「分かったわ」
私は封筒を開き、中身を机に並べた。探偵事務所から渡された大輔の調査報告書だ。大輔は元嫁と別れて以降、婚姻した形跡はなかった。特に女遊びらしいこともしていない。異性関係の面では、以前に比べかなりクリーンではあった。しかし、問題は金銭面である。なんと多額の借金を抱えていた。
実は大輔は、元嫁からの慰謝料を一か八か、体験をかけた競馬で勝って返済していた。そのためいち早く金の問題から抜け出したはずだったのだが、今度は自分から問題を抱えに行った。下手に競馬に勝ってしまい、体験を手に入れたため、それ以降もギャンブルにのめり込むようになったのだ。競輪、パチンコ、パチスロ。暇があればギャンブルに溺れるように。たまによ子とデートをするかと思うと、そういう時だけ自称イラストレーターらしく絵を描くそぶりを見せているようだ。それ以外は飲みに行くか、残った金で牛丼を食べるか。そして借金が膨らみ、挙句の果てには闇金にまで手を出していた。期限がかなり迫っており、返せない場合はどうなるか分からない。
つまり大輔がよ子と結婚するのは金目当て。結婚してしまえば何とかなるという目論見なのだろう。だが、それもここまでだ。私は報告書を使ってこれらのことを全てよ子の両親とよ子に説明した。大輔はもう全てを諦めたのか、何も喋らない。こうして大輔とよ子の結婚は破談になった。
数日後、大輔は借金の返済の目途が立たなくなり、姿を消したようだ。よ子が荷物を取りに大輔の家へ行ったらしいが、家の中は誰かが暴れたような状況になっており、大輔の母の遺骨が散らばっていたとか。私が大輔の母の手術費を払わなければ、こんな扱いは受けなかったかもしれない。そう思うと少し残念だった。
一方、私とよ子は今回の件でより仲が深くなった。お互いに男を見る目がないという共通点は残念な発見だが、この世の中、誰かと交際して結婚するのが全てではない。少なくとも大輔やヒカルのようなクズにならないことの方が大事だ。私はそうならないと強く思った。酒もほどほどにし、何事にも誠実で懸命に向き合うことを胸に刻んで、これからも生きていこうと。
