もう何も食べられない。ご飯が炊ける匂いを嗅ぐだけで気分が悪くなって、吐き気が込み上げてくる。孫のさやは顔色も悪く、夕食を拒否するようになった。何を口にしても戻してしまうというのに、体だけはみるみる太っていく。その不自然さに、私は怖くなっていた。
それだけではない。夫の工事が、最近夜中になると寝室を抜け出すようになったのだ。何をしているのかと問いただせば、年のせいで眠りが浅くなり、書斎で読書をしていると答えるだけ。しかし、そんな言い訳を信じられるはずがない。実際、彼は朝まで戻ってこない日が続き、私は不安に駆られていた。
決定的な出来事があったのは、そんなある夜のことだ。私がトイレに起きた時、さやの部屋から小さな悲鳴が聞こえてきた。何事かと慌ててドアを開けると、さやのベッドから工事が出てきたのだ。
「一体何をしてるの?」
「なんでもない。さやが眠れないって言うから、子守唄を歌ってやってたんだ」
信じられるはずがない。反抗期を迎えて工事を避けるようになったさやが、夜中に彼を呼ぶなんてありえない。私は彼を疑いの目で見つめた。すると、さやは引きつった笑顔を見せて言った。
「ほ、本当だよ。私が頼んだの」
さやは嘘をついている。それはすぐに分かった。しかし、これ以上追求することもできず、私はその場は収めた。翌日からも工事は連日さやの部屋を訪れ、その度に「童話を読んでほしいと頼まれた」「赤ちゃん返りしているんだ」と言い訳を重ねた。納得できるはずもないが、私は誰にも相談できず、ひとりで悩み続けるしかなかった。
どうしてこんなことになってしまったのか。私は思い出していた。工事と結婚したのは、もう35年以上前のことだ。当時同じ職場で働いていた彼は、男らしくて頼りになる上司だった。仕事ができて面倒見がよく、社内の評判も上々。そんな彼に惚れられた私は、同僚たちから羨ましがられたものだ。結婚してからは専業主婦として彼を支え、翌年には娘を授かり、私は幸せの絶頂にいた。家では寡黙な工事だったが、家族のために必死に働く姿を誇りに思っていた。娘が思春期を迎え、彼を避けるようになった時期もあったが、成長して父親の仕事を理解してからは、二人は仲のいい親子に戻っていた。
10年前、娘が結婚することになった時、工事は「もらってくれる男がいてよかった」と強がりを言いながらも、娘のいないところで大粒の涙を流していた。相手の男性に「娘を泣かせたら承知しないぞ」と詰め寄りながら、彼女の幸せを願っていたのだ。
娘は結婚してすぐに女の子を出産し、さやが生まれた。工事は初孫の誕生を心から喜び、会社役員への昇進も決まり、彼にとって絶頂期だった。しかし、娘の幸せは長くは続かなかった。結婚して2年ほど経った頃、娘はさやを連れて実家に帰ってきたのだ。価値観の合わない夫との離婚を考えていると告げた。工事は最初こそ「結婚したんだから少しは我慢しろ」と言ったものの、離婚後に娘とさやが2人で暮らすと言い出した時には、実家で暮らすことを必死に勧めた。仕事から帰ると必ずさやの寝顔を確認し、孫が喜ぶおもちゃを買ってくる。娘の離婚は残念だったが、工事は娘と孫が一緒にいる生活に満足していた。
その1年後、娘は事故に遭った。仕事帰りに暴走した車に撥ねられたらしい。病院から電話を受けて駆けつけた時には、娘はすでに息を引き取っていた。最愛の娘を失った衝撃は計り知れず、私は数日間何をする気にもなれなかった。それでも、まだ何も理解していないさやが無邪気に笑っている。この笑顔を守っていくんだと、私は決意した。
しかし、工事はひどく落ち込んだ。それからというもの、気性が荒くなり、些細なことで苛立ちを見せるようになった。時には大声で私を怒鳴りつけることもあった。それでも、さやの前だけは優しい顔を見せてくれた。さやの存在が、彼の心を癒やしていたのかもしれない。
さやを育てていくことになった私は、パートに出ることにした。さやが成長して大学に行くことを考えると、少しでも貯金しておく必要があった。工事に相談すると、彼は「好きにしろ」とだけ言って反対はしなかった。それから私は近所の介護施設で清掃員のパートを始めた。
休日になると、工事はさやを色々な場所に連れて行った。両親がいない寂しさを感じないようにと、彼なりに孫のことを考えていたのだろう。さやもそんな工事によく懐いていた。幼稚園に通うようになり、周囲との違いに気づいたさやは、ある日工事にこう尋ねた。
「どうして私にはパパとママがいないの?」
「じいじとばあばがいるじゃないか」
「うん。全然嫌じゃないよ」
「さやのパパとママはお空にいるのよ。お空からずっと見守ってくれてるからね」
さやはその日以来、両親のことを聞いてくることはなかった。友達に聞かれても「お空にいるの」と答えて笑っている。小学1年生の時に書いた作文には「おじいちゃんとおばあちゃんが大好き」と書かれており、工事も満足そうに笑っていた。
さやが小学2年生になった頃、工事は定年退職を迎えた。最後の出勤日、私はさやと一緒にささやかなパーティーを開いた。さやが出迎え、手作りの料理を説明して、折り紙で作った肩たたきをプレゼントした。工事は嬉しそうに笑い、二人は本当に仲のいい祖孫だった。
しかし、さやが小学3年生になり思春期を迎えると、突然工事を避けるようになった。それまで一緒にお風呂に入っていたのに、彼が自分の部屋に入るのも嫌がるようになった。工事が一緒に出かけようと誘っても、「行かない」と即答で断り、部屋にこもってしまう。工事はさやの好きなお菓子を買ってきたり、欲しがっていたゲームを買い与えたりと手を尽くしたが、さやは一向に心を開こうとしなかった。
「なんで俺を避けるんだ」
工事は苛立ちを私にぶつけてきた。
「そういう時期よ。女の子だから避けて通れない道なの。成長の証よ」
娘の時もそうだったと説明し、理解を求めた。しかし、定年を迎えて一日中家にいる工事は、さやのことばかり考えるようになった。散歩に出かけるよう促しても、「さやが一緒じゃないなら行かない」と拒否し、孫の気を引くことばかり考えている。娘の時よりもひどい執着に、私は若干の不安を感じながらも、時が解決してくれると見守ることにした。
やがて工事は、夜中に部屋を抜け出すようになり、さやの部屋に通うようになった。そして数週間後、さやに異変が現れた。1日に何度もトイレに駆け込み、食べたものを吐き出すようになったのだ。
「大丈夫?」
「うん。ちょっと風邪引いたみたい」
病院に行こうと言っても、さやは首を横に振るばかり。顔色は日を追うごとに悪化していった。
「一度お医者さんにちゃんと見てもらおう」
「本当に何でもないの。大丈夫だから心配しないで」
さやは無理に笑顔を見せて私を安心させようとしたが、心配は募るばかりだった。工事に相談しても「思春期の女の子が好きな男の子を気にして食事を我慢することはよくあることだ」と取り合わない。しかし、さやの様子はそれとは少し違う気がしてならなかった。
ある日、そっと食事を避けるようになったさやに私は言った。
「最近ご飯が炊ける匂いで気持ち悪くなるの」
「食欲がないの? ダイエットか。さやも女の子らしくなったなあ」
工事は呑気に笑っている。その時、インターホンが鳴った。玄関を開けると、スーツ姿の男性と女性が立っていた。
「児童相談所の田中と申します。ご事情を聞かせてもらえますか? こちらの中島浩二さんが、さやさんを虐待しているという通報がありまして」
工事は小刻みに震え始め、顔を青ざめさせた。
「変な言いがかりはやめろ。俺がどうして孫を虐待しなきゃいけないんだ」
「虐待があったかどうかの確認のためにも、お話をお聞かせください」
「必要はない。さっさと帰ってくれ」
工事は必死に職員を追い返そうとしている。私は不安そうにしているさやに声をかけた。
「自分を守れるのは自分だけよ。さやが本当のことを言わなきゃ、何も変わらない。勇気を出して。ばあばはさやの味方だから」
さやは俯いたまま、しばらく沈黙していた。田中さんの励ましもあって、ようやく彼女は口を開いた。
「……じいじが一緒に寝ないと、ひどい目に遭わせるって」
さやは泣きながら、工事に毎晩同じ布団で寝ることを強要されていた事実を打ち明けた。拒否すると「誰が育ててやったと思ってるんだ」と怒鳴りつけられ、「嫌なら施設に送る」と脅されたらしい。それでも拒否し続けると、手を上げられたこともあったという。
「何を食べても気分が悪くなって吐き出してしまうの。それなのに体は太っていくし。それが怖くて」
私は泣きじゃくるさやを抱きしめ、工事を睨みつけた。
「さやさんは、おそらく摂食障害に陥っているのでしょう」
田中さんの説明によると、さやは工事との生活に恐怖を感じ、そのストレスから過食と嘔吐を繰り返しているのではないかという。
「摂食障害って、痩せていくイメージがあるけど違うの?」
「痩せるケースもあります。でも、逆に太ってしまうこともあるんです。太るケースでは、摂食障害に気づかずに深刻な状態を招いてしまうこともありますからね」
そうだったのか。私は思わず息を呑んだ。さやがこれ以上悪くならなくてよかった。
実は、この日のために私は動いていた。さやの担任の小林先生とも連絡を取り合っていたのだ。数日前、工事が電話に怒鳴り散らしていることがあった。何かの営業電話だと思っていたが、着信履歴を確認すると、さやが通う学校からのものだった。不信に思った私はかけ直した。電話に出たのは担任の小林先生だった。
「さやさんが最近、給食を吐き出したり、好きな体育を休んだりしていて、何らかのストレスを抱えているのではないかと心配しておりました。おじい様にご相談したのですが、一方的に電話を切られてしまいまして」
私は小林先生に、工事のこと、夜中の行動、さやの異変を打ち明けた。先生も日頃のさやの様子から、工事と一緒に寝ているとは考えにくいと同意してくれた。そして、最悪の場合、さやが性的虐待に遭っている可能性もあるという話になり、児童相談所への相談を決めたのだった。
「くそっ、しまったな」
真実を告白したさやの手首を掴み、工事は彼女を寝室へ連れ込もうとした。
「やめなさい」
とっさに田中さんが工事を阻止した。私はさやを抱きしめ、彼から引き離した。工事は呆然としたように目を丸くしていた。
「あなたがやったことは、虐待以外の何者でもないわ」
「違うんだ! 定年退職して以来、誰にも相手にされずに寂しかったんだ」
工事は話した。退職後、元部下を飲みに誘っても家族サービスを優先され、誰も相手にしてくれない。会社にいた頃は大勢の部下が言うことを聞いてくれたのに、辞めた途端に他人のように距離を置かれる。その苛立ちを抱えていたのだと。
「だからって、それがどうしてさやの嫌がることをすることになるのよ」
「さやも俺を避けるようになった。だから怖かったんだ」
幼い頃のさやは、自分の言うことを何でも素直に聞いてくれた。その姿に癒やされていた。しかし、最近になって避けられるようになり、焦りと不安を抱えていたという。
「さやは思春期で、今は仕方ないって話したでしょう」
「俺も年だ。いつかなんて待てなかったんだ」
工事の不安な気持ちは理解できなくもない。しかし、さやを傷つけたことは到底許せることではない。
「さやさんは児童相談所の方で保護します。今後のことは後日改めて話し合いましょう」
「だめだ! 大体、孫と同じ布団で寝て何が悪いんだ」
工事はあくまで愛情表現の一つだったと主張し、虐待の事実はないと言い張った。
「これは俺たち家族の問題だ。部外者は帰ってくれ」
工事が職員を追い返そうとしたその時、小林先生が駆けつけてくれた。
「ここに、さやさんの告白が録音されています」
小林先生はその場でICレコーダーを再生した。さやが毎晩受けた行為を告白した音声に加え、工事の暴言や暴力の音も録音されていた。
「これはさやさん自身が録音したものです。小林先生に勧められて、恐怖に怯えながらも勇気を振り絞って証拠を集めたのです」
さやは、自分を守るために必死だったのだ。
「これは虐待の証拠に十分なり得ます」
「待て! これは仕返しだ! さやが言うことを聞かないから、仕方なく……」
工事は後にも及ばず言い訳を続けている。その姿に、私は怒りを通り越して呆れてしまった。
「もういい加減にしなさい。何をどう言い訳したって、言い逃れなんてできないわ」
「お前まで俺を裏切るのか」
「私はさやの味方よ」
私は田中さんたちにさやを託すことにした。不安そうなさやが私を見つめている。
「大丈夫よ。あなたを捨てようって言うんじゃない。さやが安全に暮らせるようになったら、必ず迎えに行くから」
「本当?」
「ええ、本当よ。ばあばはいつだってさやの味方なの。あなたを捨てたりなんかするもんですか」
私の言葉に、さやは安心したように笑顔を見せてくれた。さやはそのまま児童相談所の一時保護所で保護され、田中さんたちと共に車に乗り込んだ。
皆が帰った後、工事は「やりすぎた」と反省の言葉を口にした。しかし、時折唇を噛みしめ、怒り任せにテーブルを叩きつけている。
「どうして、どうして俺ばかりこんな目に……」
「あなたは自分の行動を反省してるんじゃないの?」
「俺はさやと仲良くなりたかっただけだ。それなのに俺を裏切りやがった」
工事は手当たり次第に物を投げつけた。この姿を見ていると、このままさやを連れ戻すことは危険だと確信した。
「離婚しましょう」
「なんだって? お前まで俺を捨てるのか?」
「今のあなたとじゃ、とてもさやを育てていけないわ。ここにさやが戻ってきても、あなたはまた暴力を振るうでしょう。もしかしたら、これまで以上にひどくなるかもしれない」
さやの安全を考えれば、工事と離婚するしかなかった。しかし、工事は「絶対に認めん」と拒否した。
「これはさやを守るためよ。あなたがいくら拒否しても、私はもう決めたの」
私は弁護士を通じて離婚協議を進めると告げ、家を飛び出した。工事はしばらく追いかけてきたようだが、運動不足のせいか途中で足を止め、そのまま私のことを見送っていた。
数日後、私はさやに会いに行き、田中さんたちに工事と別居することを伝えた。さや自身は落ち着きを取り戻し、専門のカウンセリングを受けながら、少しずつ食事が取れるようになっているという。
「安心しました。工事と正式に離婚ができたら、必ず迎えに来ます。それまでさやのことをよろしくお願いします」
「私たちに協力できることがあれば、遠慮なくおっしゃってくださいね。さやさんの安全と幸せのために、一緒に頑張りましょう」
田中さんたちの後押しを受け、私の決意は固まった。
翌月、工事との離婚協議が始まった。そこでも彼はさやへの虐待行為はなかったと主張したが、児童相談所が虐待を認め緊急保護している事実は曲げられなかった。最終的に、私たちの離婚は成立した。離婚に伴い、工事にはさやに対する慰謝料と今後の養育費の支払いが言い渡され、私には財産分与として工事の資産の半分を渡すように命じられた。裁判所の決定に工事は肩を落としていたが、自業自得である。
その後、裁判所の命令通り工事は全ての金銭の支払いに応じた。その資金をもとに、私は新しいマンションを借り、さやを迎えに行った。児童相談所との協議の末、さやが安全に暮らせる準備ができたとして、私が引き取ることが認められた。
しかし、諦めきれない工事は執拗に私の職場に現れた。
「慰謝料は支払った。財産分与もやったんだ。だからさやに合わせてくれ」
工事は養育者としての責任は果たしたと、さやの面会権を主張した。しかし、弁護士に相談すると「応じるのは危険だ」という。私はさやの安全のために警察の巡回を増やしてもらうよう手配した。さやの学校や私の職場、自宅周辺を見回ってもらうことになった。
数日後、さやの学校周辺をうろついていた工事は警察に逮捕され、私とさやに対する接近禁止命令が出された。
その後、工事は妻と孫を同時に失ったショックから、自宅に引きこもるようになった。近所の人の話では、心配して様子を見に行った自治会長でさえも怒鳴りつけ、人を寄せつけないらしい。やがて退職金が底を尽き、生活費や家の固定資産税が払えなくなって、工事は自宅を引き払うことになった。その後はホームレス生活をしているらしい。何人かの元部下を頼ったそうだが、会社勤めの頃から傲慢な態度を取っていた彼に手を差し伸べる人間は、誰一人いなかった。
しかし、住む家を失った工事が今後どんな手段に出るか分からない。さやの安全を考えた私は、地方にある公営住宅を借りることにした。さやは転校することになるが、工事から遠く離れた場所であれば、彼女も安心して暮らせるはずだ。
引っ越し後、さやは徐々に明るさを取り戻していった。新しい学校ではすぐに友達ができ、毎日楽しそうに通っている。最近はスケートボードに夢中で、「将来オリンピックに出るんだ」と世界一を目指して練習に明け暮れている。さやはみるみる上達し、前回行われた大会では準優勝に輝いた。私は新しい仕事をしながらも、大会がある日は同僚と一緒に手作りのおにぎりを持って応援に駆けつけている。これからもさやの夢を支えながら、彼女の笑顔を守っていけるように、私も健康に気をつけて毎日を楽しんでいる。
