私は吉野という。珍しい女性の寿司職人だ。調理の専門学校を卒業してすぐ、とある寿司屋に修行に入った。寿司は古くからある日本の伝統料理で、職人の修行は「飯炊き三年、握り八年」と言われる厳しい世界だ。最初の職場では女だからという理由で皿洗いや下準備しかやらせてもらえず、後から入ってきた男性の新人にどんどん仕事を抜かれていった。夢を諦めかけた時、思い切って職場を変えたことが私の転機となった。新しい職場は徹底的な実力主義で、私はきちんと修行させてもらえるようになった。頑張れば頑張るほど成果が出るのが嬉しくて、一生懸命修行した。そしてついに一年前、念願だった高級寿司屋をオープンできたのだ。
修行時代とは違い、私の寿司は順調に軌道に乗って売上を伸ばしていく。商売は大変だけど面白くて、今こそ頑張り時といった感じだ。実は私にはものすごく頭の痛い問題ができてしまった。夫と義実家のことだ。
夫と出会ったのはちょうど五年前。女性への当たりがきつい前の職場に行って一番腐っていた頃だ。それまで一人前の寿司職人になるまでは絶対に結婚しないつもりだったけど、仕事が辛くて心のどこかでは結婚して主婦になるのもいいかななんて弱気になっていた。そんな時に合コンで知り合ったのが夫だ。夫と付き合い出してから修行先を変えて、私の寿司職人への夢が再び燃え始めた。だから夫からプロポーズされた時、いつかは自分の店を持ちたいこと、店を持ったら普通のお嫁さんのようにはできないことを素直に話して一度は断った。夫はそれでもいいと言ってくれて結婚したけど、やっぱり現実はなかなか厳しい。飲食店をしていれば土日や祝日、平日の夜まで、普通の人が休みの時が稼ぎ時だ。私がメインの寿司職人で店長だから休めない。帰宅は深夜になるし、会社員の夫とはすれ違いが増えた。自然と夫との間に距離ができてしまう。店が繁盛し出し、私の店の売上が夫の給料よりはるかに高いと知ると、もう関係は崩れていく一方だった。でも店の売上はあくまで売上で、純粋な利益じゃない。従業員の給料や水道光熱費、仕入れのお金、店舗の家賃やローンと経費を払えば、私の手元に残るのは修行時代の給料とあまり変わらないのに。
夫との関係の他に、もう一つ私にとっての大問題が義家族だった。義母や義父が「義理の娘の店だから」と定期的に食べに来ては会計をしないで帰るのだ。月に一回か二回程度でしょっちゅうじゃないけど、私は困っていた。最初に来たのは義母だった。オープン初日にお友達と二人で来てくれたところまでは良かったが、「ご馳走様、美味しかったわ」とそのままお金を払わずに出て行こうとしたのだ。私は慌てて追いかけ、「ご来店ありがとうございました。お会計は一万円になりますね」と言うと、「あら、なんで払う必要があるの? 」義母は狐につままれたような顔で私を見た。
「え、だってお客様として来てくださったんですよね」私も呆然としてしまう。「もちろんよ。でも私はお客様だけど、あなたはうちの嫁でしょ? あなたは家族のお昼にお金を取るの? 」「え?

でもここお店ですけど」お互い日本語を話しているのに言葉が通じない。オープン初日で元いたお店からもスタッフが来ていたし、私の店のスタッフもいる。他のお客様も何事かと野次馬してきて、視線が義母と私に集中した。義母は周りから注目されて恥ずかしくなったのか、「だってあなたは義理とはいえうちの娘でしょ。なんで親である私がお金を出す必要があるのよ。どうせあなたたちが将来私たちの面倒を見るのよ。だったら今日の食費も払ってよね」と早口で言い訳した。
義母が「身内だからお金を出す必要がない」と言いたいのは分かったけど、そんなの納得いかない。説明したら理解してくれるんじゃないかと考えながら、「今はお店にお客様として食べに来てくれたんですよね。私も職人として寿司を握りました。一旦家族という立場を置いて、きちんとお母さんもお客様としてお金を払ってくれませんか」と私がやんわり言うと、義母は怒り出した。「ケチ臭いわね。じゃあつけておいて。それか家で息子に払ってもらってちょうだい」と怒鳴り、勢いに任せてお金を払うことなく帰っていった。もちろん「つけておく」と言ったけど、払うつもりはないだろう。私はため息が出た。
調子のいい時は身内扱いだ。実は義両親は私のことを嫁と認めていない。理由は簡単。平日は遅くまで仕事、土日も仕事でほとんど家にいない。つまり夫の世話や義実家に使えるという嫁の役目を果たしていないからだ。お盆や正月は稼ぎ時だから義実家に顔出しなんてできない。だから私の悪口を散々親戚にも言っていたと、夫が酔っ払った時に話してくれた。その夫も別に義両親を止めなかったらしいから同罪だ。義両親は私が寿司職人であることも「女のくせに」と馬鹿にしていたのに、店を持ったら食べに来るなんてちゃっかりしている。義両親は「今まで育ててやったんだからこれからはお返ししてもらう」というタイプで、とにかくお金にがめつい。夫も悪いのだ。幼い頃からの刷り込みで「長男なんだから払うのが当たり前」だという。うちの親とは大違いで、こんな考えの人たちもいるんだと私はカルチャーショックを覚えた。
最初の頃、義両親に何回か踏み倒された時、私は夫に「あなたに払って欲しいそうだけど」と請求書を見せた。すると夫は「お前の方が稼いでいるくせに」と大騒ぎして「絶対に俺は払わないぞ。お前だって長男の嫁なんだからお前が払え」と支払いを断固拒否したのだ。一応はツケとして記録しているけど、店の売上に穴を開けるわけにはいかないから、私の給料から義両親の飲食代を立て替えてきた。高いネタばっかり食べる上、お酒も飲むからかなりの金額になっている。しかも「私の義両親だから」とお店の従業員にかなり偉そうに振る舞う。入荷が少なくてお一人様一点限りとしたネタも、何度も注文して出さないと大声で騒ぐ。義両親は飛んだ迷惑な客になっていた。いつかハッキリ言いたいと思いつつ、それでも義理があるし波は立てたくないと目をつぶって約一年。私も従業員も我慢の限界だった。
そんな時ついに事件が起こった。いつものように義母と義父が食べに来て、帰りがけに「今週の土曜日に予約をしたい」と言ってきたのだ。「二十人ですか? 」今日は水曜日とはいえ、二十人はちょっと急で驚く。義母が私に向かって指を突きつけて「そうなの。親戚みんなで来るからよろしくね。私に恥をかかせないよう、ネタは最高級なものをね」と命令する。去年のお盆、私はやはり仕事が忙しくて抜けられなかったため、夫に寿司の手土産を持たせた。そのお寿司が美味しかったから「機会があったら是非食べに行きたい」と親戚の間で話が出たそうだ。二十人分をいつものように踏み倒されては困る。「分かりました。でもちゃんと料金を支払ってくださいね」と私は釘を刺す。義母は「あんたの取り柄なんて寿司くらいしかないでしょうが」と目を釣り上げた。やっぱり払う気はなさそうだ。でも二十人分の飲食はさすがに困りますから。私は言い返したが、義両親は私の言葉を無視する。「食べに来てやるだけでも感謝しろよ。とにかく高級寿司を用意しとけ」と義父からも念を押され、私は頭が痛くなった。
義両親が店を出た途端、横で聞いていた従業員が「どうするんですか? また踏み倒す気ですよ」と呆れ顔で言ってくる。私も「今回ばかりは絶対に料金を回収するわ」と返事をしたものの、どうしたら払ってくれるかいいアイデアが思いつかない。これは夫と相談するしかない。帰ったら寝ているかもしれないけど、事は急げだから起こそう。私はそう決めて閉店までしっかりと働いた。
悪い時には悪いことが重なるのか、その日が人生の分岐点だったのか分からないけど、さらに大事件が起きた。私が深夜になって帰宅すると、なんと夫が「話がある」と寝ないで待っていたのだ。それが新たな事件の幕開けでもあり、私の大問題を解決するきっかけになった。
そして土曜日当日。義両親は親戚たちを連れて私の店にやってきた。親戚たちは私の店がとても高級そうなことに驚いて「高いんじゃないの? 」「まさかこんなおしゃれな店だと思わなかった」とざわざわと騒いでいた。私が前に出ていき、店長だと挨拶をすると、義両親から私の悪口を聞いているせいか、あまり反応は思わしくない。「小さくあの人が何もしない嫁なのね」なんて声が聞こえた。それでもコース料理の寿司を出していくと、「美味しい美味しい」と大喜びして、会話も雰囲気も和やかになっていく。料理の力ってすごい。私も自分の作った寿司が認められて嬉しかった。
その時、親戚の誰かが「でも会計ってどうするのかしら」と呟いた。すると義母は「私たちは嫁の家族だから全部ただよ。あなたたちもうちの親戚だって言えば、これから先ずっと全部ただにさせますからね」と上機嫌で叫んだ。赤い顔をしているから、お酒によって気が大きくなったのだろう。勘弁してほしい。義父まで「後継ぎも埋めないし、嫁の役目は何も果たせてないんだからな。こういうところで尽くしてもらわないと、嫁をもらった意味がない」と高笑いしたのだ。親戚たちの反応は様々だった。義父の趣味の悪い冗談に一緒になって笑う人もいれば、さすがに言いすぎだと思って眉をひそめる人もいた。
私はカチンと来て「ちょっと待ってください。そんなわけないでしょう。お会計はきちんと支払ってもらいますからね」とハッキリと言ってやる。義母は「あなたはうちの娘でしょ。親に奢るのは当然よ」と睨んできた。私はくすっと笑った。「いいえ、私もう独身ですよ。あなたたちとは赤の他人です。今日のお会計は三十万です。きっちり支払ってもらいますからね」私は今まで揉めたツケの請求書も出し、「それから今までのツケの分七十万。他人なので払ってもらいます」と義父の前に置いた。
実は私、昨日離婚したのだ。あの夜、夫は私を見るやいなや「別れてほしい」と土下座してきた。私はものすごく驚いた。とにかく夫をソファーに座らせて話を聞くと、浮気相手の女性が妊娠したというのだ。「本当に申し訳ない。でも別れてほしい」夫はその一点張りだ。確かに私たち、すれ違いの生活だったもんね。全然気づかなかったわ。浮気相手は職場の部下らしい。一緒に仕事をしているうちに一線を超えてしまったとか。夫から説明されても現実感がなかった。私は夫のことを信じていたし、夫婦として愛していたのに。でも驚いたものの、そこまで自分が傷ついていないのは、だいぶ前から愛情が薄れてしまっていたのかもしれない。最初の驚きが落ち着けば冷静になれて、私は夫と明け方まで色々な話をした。過去の思い出話に始まり、これから先のこと、財産分与はきっちりすること、夫と相手から慰謝料をもらうことなどしっかり話し合う。寿司の開業手続きを手伝ってもらった弁護士さんに細かい計算や書類の作成を依頼することにして、とりあえず翌日離婚届を出すことになった。皮肉なことだけど、こんなに長い時間夫と話したのは数年ぶり。それだけ私たちは心が離れてしまったのだろう。
「聞いてないわよ。なんで離婚なんて大事なことを事後報告なのよ」と義母は激怒。「今聞きましたよね。まあ急でしたし、夫が落ち着いたら自分から伝えると言ってましたから」私はあっさりと答えた。夫の浮気で、夫から離婚して欲しいと土下座されて別れたのだ。あまり親しくもない義両親になぜわざわざ私が報告の電話をしなければならないのか。離婚して縁が切れたのだし、それは夫の役目だろう。今日の義両親の態度を見て「まだ話していないことは検討がついた」けど、義母は「離婚なんて認めないわ。まだ今日はうちの娘よ」と叫んだ。なぜ今日まで、と一瞬疑問が浮かんだけど、私はピンと来た。義母の頭の中にはきっと「身内ならただ、他人ならお金を払わなきゃ」というシンプルな図式があって、今日までは身内でないとただで食べられないから困る、という意味なのかもしれない。私の離婚を食べ放題のクーポンの期限みたいに言われても困る。私は聞かなかったことにして「そういうわけなので、本日の二十名様分、それからツケの分を合わせまして百万円払ってくださいね」と繰り返す。
義母は私が引かないから、先方を変えてきた。「高すぎるわ。ぼったくりよ」今度は値段が高いと難癖をつけてきたのだ。私は負けない。「いいえ、適正価格です。今日のメニューは一人一万五千円のコースですから」と料金を見せる。すると今度は義父が急に「よえさんや、あんた鬼だろう。年寄りにひどいじゃないか。家族の情けを忘れてお金をむしり取ろうというのか」と哀れっぽい声を出してきた。情に訴えてうやむやにしようという魂胆なんだろうけど、その前に私の名前は吉野です。「家族だ、うちの娘だ」という割に、私の名前もまともに覚えていないじゃないですか。私は自分の名前を訂正して苦笑した。義父は未だに私の名前を呼び間違えるのだ。結局「金づるの嫁の名前なんてどうでも良い」という考えが透けて見える。義父は慣れない演技がバレバレで、痛いところを突かれたからか押し黙った。
どうしてもお金を払いたくない義母は怒りに任せ「私に恥をかかせないでって言ったじゃない。目よ、損よ。訴えてやるから」と叫んで逆切れ。私は冷静に「その前に無銭飲食で通報しますけど」と返した。私が泰然とした態度に出たことで、従業員たちも厳しい目で義両親を睨んでいる。「どういうこと?
ずっと食べてお金を払ってないの? 」「まさかそんな非常識なことできないでしょう」私と義両親のやり取りを見て、親戚たちがこそこそと話すのが聞こえた。私が家のことを何もしない鬼嫁でなく、義両親の非常識な言動で苦労するかわいそうな嫁に見えてきたのだろう。私は笑顔で「今日こそお会計支払ってくださいね」と繰り返した。義両親は苦々しく私を睨みつけるけど何も言えない。
そこへ親戚たちが助け舟を出してくれた。義両親に向かって次々と厳しい言葉を浴びせてきたのだ。「俺たちもそれぞれ自分の分は払うから、ちゃんと支払え」「もういい加減にしろ」「今までお嫁さんを散々いびってお金をむしり取ってきたなんて、そんな恥知らずはうちは縁を切りますからね」途端に義父は真っ青な顔になって「分かった。ちゃんと払う。すまなかった」と財布からお金を出した。義母も自分たちの旗色が悪いと分かって黙り込む。もちろん義両親は合計百万円なんて大金は持っていないから、義母と義父のクレジットカードからも支払ってもらう。私が無事にお金を回収した時、従業員から拍手が起こった。その態度を見て、私も従業員に迷惑をかけていたんだなとしみじみ感じる。
「お父さん、お母さん、もう家族ではなくなりましたし、今後一切ツケはお断りです。普通のお客様として来ていただければ、私も寿司職人として店長として対応いたします」私が義両親と決別するつもりでにっこりと笑顔で言うと、義両親はがっくりと項垂れる。もうこの人たちと会うことはないと思うと、私は心底嬉しい。私は他のお客様へ、市場で騒がせたお詫びとしてそれぞれ好きなネタを一品ずつサービスする。受け取った客たちがそれぞれ温かい言葉をかけてくれたのも嬉しくてほっとした。
その後、私の店は相変わらず繁盛している。従業員が育ち、私も時々休みを取れるようになったし、親戚の人たちが時々食べに来てくれるようになった。義両親は私にしてきた非常識な行動が親戚にバレたため、かなり白い目で見られているらしい。夫も浮気して妻を捨てた最低男として、会社でも肩身が狭いようだ。私は寿司職人として今日も寿司を握っている。美味しいと喜んでくれるお客様の笑顔が私の力になるのだ。さあ、今日も仕事を頑張ろう。
義姉が離婚して義実家へ帰ってきた。義姉によると価値観の不一致や旦那さんのひどいモラハラが原因だそうだ。義実家には私たち夫婦がすでに同居していたため、義姉は私と夫に申し訳なさそうに頭を下げていた。すぐに新しい仕事と住まいを見つけて義姉は引っ越すと聞いていたので、「ご実家なんですから気にしないで心を休めてください」と声をかけた。この義姉の出戻りが私を悩ませるようになるとも知らずに。
私の名前はアメ。パートに通う三十一歳の主婦だ。夫は仕事が忙しく、現在は他県に長期の出張中。元々は夫婦で賃貸暮らしをしていたのだが、義母の強い要望で義実家での同居を始めた。「息子は出張が多くて、アメさんが心配よ。同居したらその分家賃が浮いて貯蓄もできるし、私たち夫婦もそろそろ年だから、アメさんたちがいてくれたら安心だわ」夫から義母の提案を聞いた時は少し驚いたが、私は了承した。当時は義実家と良好な関係だったし、何より私がお気楽だったのだ。同居して二年。今では正直後悔している。最初は義両親と仲良く暮らせていたのだが、昨年に義姉のレイコさんが離婚で出戻ってきて、私の生活は一変した。
「ああ、アメさん。今日は夕ご飯にとんかつが食べたいわ」パート帰りに寄ったスーパーの袋をどさっと置き、私は義姉の言葉を突っぱねた。「いや、急に言われても、今日はサバを焼く予定なので無理です」影から様子を見ていた義母が口を挟んでくる。「レイコちゃんの大好物がとんかつだって知ってるわよね。嫁たるもの、家族の好物にも気を配ってもらわないと」「すみません。次は気をつけますね」適当に返事をし、義母の嫌味を流す。私は買ってきたものを冷蔵庫に入れるためにキッチンへと向かった。離婚して出戻ってきた時の弱々しい様子の義姉はどこにもいない。今思うと、私と夫に頭を下げたのは演技で、最初から義実家に居座るつもりだったのだと思う。義母も最初はとても優しかったのに、すっかり義姉の言いなりだ。今では義姉と一緒に私に嫌がらせをして、下女のように扱う毎日。家事は全て私がやっており、パートもあるため私はいつもヘロヘロだ。義姉は家事をしないのはもちろん、生活費も入れない。義母と揃って豚のように寝転んでグータラしているか、ケバケバと着飾って外出するかのどちらかだ。さっさと同居解消すればいいと思うものの、夫は出張が多く話し合いもままならない。もう一つ理由がある。
「ああ、アメさんお帰り。日曜日だっていうのにパートお疲れ様。冷蔵庫に買ったものを入れるのはやっておくから、少し休んでおいで。夕飯も一人じゃ大変だから、俺も手伝おう」気がかりなのは義父だ。夫の不在が多い中、私が心折れずに住んでいるのは優しい義父の存在が大きい。「お父さん、いつもありがとうございます」義父も義母同様に義姉を溺愛して可愛がって育ててきたそうだが、私をいびる義母と義姉を見かねてしっかり叱ってくれていた。可愛い娘だが、間違いは正さないと、という気持ちのようだ。しかしその度に「自分の娘の味方をせずに嫁の方を持つなんて、あなたそれでも父親なの。本当にダメ夫なんだから」と逆に義母に怒られてしまっている。私と夫がこの家を出たら、今度は義父が私の代わりに下女のようにこき使われ馬鹿にされるようになるのではと心配なのだ。
私は夫婦の寝室として使っている部屋に着き、大きくため息をついた。パートから財布を取り出して、今現在入っているお札の枚数を数えてノートに記入。記入をするのにはもちろん理由がある。一年前、義姉が出戻ってしばらく経った頃、時々財布の中身が減っていると気がつくようになった。初めは数百円の小銭の違和感から始まり、金額がだんだんと増えていった。お金に細かい性格の私は自分の違和感を信じて、途中から記録を取るように対策。数万円なくなった時には、思わず笑ってしまうほど確信できた。やはり誰かが私の財布の中からお金を抜いていたのだと。しかも金額と回数で、どれだけ私を甘く見ているかが分かる。財布を常に持ち歩くなど対策もしたが、「家事の最中に財布なんて持ってたら邪魔でしょ」と義姉に怒られた。身内を疑いたくないが、怪しいのは義姉だ。決めつけるようで悪いが、義姉は離婚後から働いていないのに外出する頻度が高い。お金をどうしているかが謎だ。以前夫に相談もしたが、何せ証拠がなかった。次は絶対証拠を掴んでやる。犯人は私の行動をよく見ているのか、なかなか隙を見せない。私は記録したノートを閉じるとエプロンを着て部屋を出た。
そんなある日、私はいつものように義母に押し付けられた家事をこなしていた。少し休憩しようと思い、部屋へ向かうと、義姉が扉を開けて私と夫の部屋の中へ入っていくのを目撃。とっさに財布のお金が頭をよぎる。ここは現場を押さえるチャンスだ。音を殺して踏み込むと、薄暗い室内で義姉が私の財布を握った状態で固まっていた。しかも財布の中に指を突っ込んでいる状態。これは決定的だ。「何をしてるんですか? 」私の落ち着いた声で、義姉は慌てて財布の口を閉じる。「え、な、何って? お財布が廊下に落ちていたから、鞄に入れておいてあげようと思っただけよ」「財布の中に指まで入れて、何を言ってるんですか?
鞄に入れるだけならそこまでする必要ないですよね」私に疑われていると察したのか、義姉は引きつった表情で笑う。「私を疑ってるの? 私はお金なんて取ってないわよ。いつも五万程度しか財布に入れてないくせに、自意識過剰じゃない? 」義姉は大声をあげて、持っていた財布を私の鞄の中に乱暴に戻し入れた。「以前から財布の中身が減ってる時があったんです。正直に答えてください。レイコさんが抜いていたんじゃありませんか? 」義姉が犯人だと確信した私は、ハッキリと義姉に問いかける。確かに私はいつも、急に何かあっても大丈夫なように五万くらいは財布に入れておくようにしていた。だがその習慣を知っているのは私だけだ。
「なあ、どうしたの?
」義姉の大声を聞きつけた義母が顔を覗かせる。義姉はチャンスと言わんばかりに義母にすがりついた。「お母さん聞いて。私が、アメさんの財布からお金を盗んだって疑うの。しかも今まで何回もやったっていうのよ」義姉の訴えで、義母はギッと私を睨んだ。「アメさん、あなたレイコちゃんに何てことを言うの? 」「レイコさんが帰って来てから何度もお財布からお金を抜かれていたんです。今もこうしてレイコさんがこの部屋に無断で入って財布を触っていたのを私は見ました」問答無用で義姉の肩を持つ義母に、私の必死の訴えは効果がない。一瞬頭の中で、スマホで証拠を取ればよかったと後悔が浮かぶ。現場を押さえることばかりに頭が行ってしまっていたのだ。「なんて恐ろしい嫁かしら。レイコちゃんを泥棒扱いするだなんて信じられない。やっぱり他人は他人ね。大体、アメさんは自意識過剰なのよ。もしかして被害者ぶって周りの気を引き出したかったんじゃない? 」義母の「他人」という言葉がガツンと私の頭に衝撃を与えた。まだ同居して二年と短いが、私は夫の嫁として、そして家族として努力をしてきたつもりだったのに。ああ、もう我慢の限界だ。私は何も言わずに部屋を出て、サンダルを突っかけて外へ出た。「ちょっと、ご飯も作らずにどこに行くのよ」と義姉の声が聞こえてきたが、知ったことじゃない。早足だった歩みがだんだんと減速していく。辺りはすっかり暗く、風が冷たい。外に出たはいいが、このままどこへ行くというのか。しかも室内着にエプロン、足にサンダルという格好だ。スマホと財布も持っていない。途方に暮れて公園のベンチに座っていると、「アメさん、こんなところでどうしたんだい? 」スーツ姿の義父が不思議そうに私を見下ろしていた。「そのエプロン見慣れてるから、遠目でもすぐに分かったよ」そう言われて私は少し恥ずかしくなる。このエプロンは、同居を受け入れてくれたお礼だと義母にもらったものだ。義父が差し出した缶コーヒーを受け取り、私は感謝を述べる。その瞬間、抑えていた感情が一気に溢れて、私は泣いてしまった。義姉が出戻ってから時々財布の中身が減っていたこと。今日ついに現場を押さえたが、義母に信じてもらえず、義姉と義母に揃って暴言を浴びせられたこと。私の話を全て黙って聞いていた義父は、私に深く頭を下げた。「妻やレイコの普段の様子も目に余るというのに、本当にすまない。二人の悪態を止められなかった俺に責任がある」前から考えていた、と前置きして義父が言葉を続ける。「この際、同居を解消したらどうだろう?
アメさんがこんな苦労をするなんて。俺もそうだが、息子も望んでいないはずだ」義父の提案に私は驚いた。ありがたい申し出だが、私がいなくなった後の義父のことを思うと、やはり胸が痛む。「とにかく帰ろうか。少し高めのお弁当でも買って。二人は文句を言うのも忘れてしまうさ」言葉に迷っていた私に、義父は微笑んだ。私が義父と一緒に義実家へ戻ると、案の定、義母と義姉が文句を言いながら詰め寄ってくる。夕ご飯として買ってきたお弁当を手渡すと、ゴロッと上機嫌になり、私には見向きもしなくなった。私は義父の気遣いでそのまま部屋に戻り、夫に電話をかける。同居解消の相談と今日の出来事を話すために。
一週間後の晩、義母と義父そして私の三人で夕食を取っていると、玄関の扉の音が私たちの耳に届いた。今日の昼間に外出した義姉が帰ってきたようだが、凄まじい音だ。ドスドスと廊下を踏み鳴らし、鬼の形相の義姉が姿を表す。「レイコ、もっと静かに帰ってきなさい」義父の注意も聞かずに、義姉は私を睨みつけ、自分の財布から鼻息荒くお札を数枚取り出し、テーブルに叩きつけた。普段見慣れた日本円の一万円札ではなく、おもちゃのお札だ。本来、福沢諭吉が描かれている場所には謎のキャラクターが描かれている。「今日婚活で知り合った人とデートだったのに、大恥をかいたわ」「レイコさん、婚活されてたんですか? 」私が大げさに驚いて見せると、義姉は顔を赤くした。「女のどうでもいいわよ。一体どういうつもりなの? 」義姉の大声に私は顔をしかめる。「大声を出さなくても聞こえます。レイコさんは私の財布からお金を抜いていないって言うし、お母さんは私を信じてくれないので、試しに財布におもちゃのお札を入れてみたんですよ。やっぱりレイコさんが犯人だったんですね。それにしても、おもちゃのお札だと気づかずに外で使うとは」私の財布からお金を抜くのが習慣化していたせいで、中身を確認もしなかったのだろう。部屋のカーテンを閉めておいたので薄暗かったのも原因かもしれない。どんな人とデートしていたのか知らないが、一番驚いたのはお相手の男性だろう。私の指摘で自白してしまったと気づいた義姉は固まっていた。義姉の視線の先で、義母は「信じられない」と驚いている。「レイコちゃん、私からのお小遣いじゃ足りなかったの? 私のへそくりから毎月三万も渡していたのに、まさかアメさんの言っていたのが本当だったなんて」義父は元々私の話を信じてくれていたので、義姉を呆れた表情で見つめていた。「お前、俺に黙ってそんなにレイコに渡していたのか?
」義母が義姉に毎月多額のお小遣いを渡していたと発覚し、義父はさらに呆れてため息をつく。義姉は言い訳がましく口を開いた。「だ、だって再婚したらまた専業主婦して楽に暮らせるし。仕事見つけて一人暮らしとか、めんどくさいことだらけでしょ」そんな理屈ある? 色々突っ込みたいが、義姉の婚活のために私のお金を使われたと思うと、怒りを通り越して笑ってしまいそうだ。義姉は義母に視線を送るが、義母は目をそらしている。もう味方はいないと悟った義姉は「たかが数万で大げさなのよ。二度も恥をかかせて許せない」とバッと手を振り上げた。私はとっさに目をつぶったが、義姉の手が私に当たる気配はない。目を開けると、夫が義姉の腕を掴んで止めている。ヒーローのように登場した夫に、私も義家族も驚いていた。「どうして? まだ帰るのは先のはずじゃ」「仕事が予定より早く片付いたんだ」私の疑問に夫が優しく答えた。そして夫は義母と義姉に向き直る。「事情はアメと父さんから全部聞いてるよ」私が義実家を飛び出した日、私は電話で夫と話をした。今までの義母と義姉の嫌がらせ、そしてもう我慢の限界だとしっかりと伝えたのだ。夫は私に深く謝罪してくれた。途中からは義父も合流し、スピーカーモードを使って三人で今後の話し合いをすることに。お金をおもちゃのお札とすり替えておいて、義両親の前で義姉の自白を誘うというのは夫の提案だ。義母の目の前で私の訴えが正しいと証明し、義父と一緒に義姉たちをこらしめるという三段構えだった。「アメさんの訴えが正しいと分かった。今、母さんとレイコはきちんと謝るべきじゃないのか」義父の発言と、怒りをにじませた夫の表情に、義母と義姉は口をもごもごさせている。「そもそも、新しい仕事と住まいを決めてすぐに引っ越していくって、姉さんが約束したんじゃないか」夫の言葉に義母が噛みついた。「でも、この家はレイコちゃんの実家でもあるのよ。いくらでもいていいじゃない」「もちろん、アメが辛い思いをしないなら問題なかったよ」夫が話しながら私に寄り添い、肩に手を置いた。それだけで勇気が湧いてくる。「お父さんや夫とも話をしたんですが、私はレイコさんもお母さんも許せません。なので私たち夫婦は同居解消させていただきます」義母はショックを受けた顔をしたが、「私を他人だっておっしゃったのはお母さんですよ」私の言葉に義母はがっくりと肩を落とす。
「そうそう。姉さんの元旦那さんと久しぶりに電話で話したんだけど、本当は姉さんの使い込みとモラハラがひどかったのが離婚理由だそうじゃないか。あの人、慰謝料を取らなかったのにってひどく怒ってたよ」これは私も義両親も初耳で、一斉に「え?
」と声をあげた。「え、ちょ、ちょっと、なんで勝手に連絡してるのよ」「俺たちに嘘をついていた姉さんが悪いんだろ。元旦那さん、やっぱり姉さんには慰謝料をしっかり請求させてもらうって言ってたぜ」義姉は怒りで真っ赤にしていた顔を、今は恐怖で真っ青にして震えている。なんでも夫は以前から義姉の離婚理由に疑問を感じていたらしい。私は義父の言葉を聞いて、思い切って電話してみたんだそうだ。いよいよ義姉は半べそ状態。「どうでもいいですけど、レイコさんが私の財布から抜いた金額はきちんと記録取ってますから、しっかり返してくださいね」私の言葉がとどめとなり、義姉はその場にへなと座り込んだ。
そして半年が経った。私と夫が義実家を出ていった後、義両親は義姉を追い出したそうだ。義父によると、義母はすっかり目が覚めたようだ。今では別人のように家事もしているらしい。絶縁にはならなかったが、今後必要がない限り義母と距離を置こうと決めている。義姉が私の財布から抜いたお金は分割ではあったが、義姉が働いたお金で無事に返ってきた。しかし義姉は元旦那さんの怒りを買い、結婚当時のモラハラなどの慰謝料を請求されてしまったのだとか。元旦那さんのせいで離婚したと周囲に話していたのだから自業自得だ。先日、私宛に義母から謝罪の手紙が届いた。一瞬、同居開始直後の優しい義母との思い出が蘇える。しかししてしまった事実というのは決して取り消せないのだ。今は夫の仕事も落ち着き、夫婦二人で幸せな生活を送っている。私は誰かの愛情に甘えすぎず、自分の手で大切な人を傷つけないよう心がけていこう。