新作メニューを決める会議の席で、俺が試作品を発表しようと挙手した瞬間、京子さんが遮るように一歩前に出た。
「オーナー、私から発表させてください」
「お、京子、今回は思いついたのか?」
「はい。今回は誰にも負けない自信があります」
珍しいこともあるものだ。いつもはメニュー案すら出せずに一鉄さんに怒られているのに、今回はよほど自信があるらしい。
俺は素直に順番を譲り、彼女が作る料理を眺めていた。ところが、彼女が作り始めた料理を見て、思わず声が出そうになった。彼女が作っているスープの材料も、手順も、すべて俺がこの日のために考え抜いたものと完全に一致していたのだ。
「完成しました。どうぞお召し上がりください」
京子さんが差し出したスープを、一鉄さんや取引先の面々が口にし、皆が絶賛する。しかし俺は固まったまま、そのスープを見つめることしかできなかった。
いつ、どこで、レシピを盗まれたのか。頭の中をその疑問がぐるぐると回る。
「さあ、正斗、次はお前の番だ」
「オーナー、すみません。今回はいいメニュー案が思いつきませんでした」
頭が真っ白になり、そう口にすることしかできなかった。俺が考えていたレシピの料理が、京子さんによって完璧な形で先に発表されてしまったのだから。
「珍しいな。お前がメニュー作りに苦戦するなんて」
「本当にすみません」
「まあいい。じゃあ今回は京子が作ったスープを新作メニューとする」
こうして京子さんのスープが新作として採用された。会議が終わり、皆が会議室を出ていくのを待ってから、俺は京子さんに詰め寄った。
「京子さん、少しよろしいですか?」
「あら、何かしら。今日は何もできなかった正斗君」
「単刀直入に言います。あの新作メニューのスープのレシピは、俺が考えていたものです。どこであのレシピを?」
「何をわけのわからないことを言っているの? 私があなたのレシピを盗んだと? 嘘を言うのも大概にしなさい」
「いや、嘘じゃない。あれは間違いなく俺が考えたものです」
「自分が思いつかなかったからって、何言いがかりをつけないでちょうだい。全くアイデアを出さない上に、料理長の私に対してそんな態度をとるなんて」
京子さんは不機嫌そうに吐き捨てるように言うと、勝ち誇った笑みを浮かべた。
「あのね、私は将来このお店を継ぐことになるの。そうなったら、あんたみたいな底辺のゴミ料理人は、すぐに追い出してやるから」
「店を継ぐのならば、尚更間違いは認めて謝罪すべきです。何度でも言います。あのスープは俺が考えたものです」
全く同じものなんてありえない。俺は確信を持って告げた。しかし、京子さんは突然大声を上げて泣き出した。
「え、ひどいわ。あのレシピは私が必死に考えたものなのに」
すると、その声を聞きつけて一鉄さんが駆け寄ってきた。
「正斗、何をしているんだ。京子を泣かせているのか?」
「いえ、オーナー。俺は別に京子さんを泣かせてなんていません」
「ねえ、お父さん聞いて。私が披露したスープを、正斗君が私のレシピを盗んだくせにって言ってくるのよ」
「正斗、お前、俺の娘の考えたレシピに文句でもあるのか?」
「いえ、そんな。ただ、あれは元々俺が考えていたレシピと同じだったので、京子さんがどうやって考えたのかを知りたかっただけです」
「俺が考えたレシピだと? お前は会議で思いつかなかったと言っていただろう」
「それは……」
「それに、盗まれた証拠はあるのか?」
一鉄さんの問いに、俺は何も答えられなかった。証拠など持っているはずがない。京子さんはそれを知っていて、この土壇場で俺のレシピを堂々と発表したのだ。
「私に負けたから、仕返しをしたいだけなんでしょう。誰もそんなことしようとは思っていませんよ」
「正斗、お前はいつからそんな人間になったんだ?」
「いえ、俺は本当に……」
「何の証拠もなくレシピに言いがかりをつけるとは、何事だ」
一鉄さんの怒声が響く。他の料理人たちも何事かと集まってきて、俺は素直に謝罪するしかなかった。
「すみません……」
だが、その時、京子さんが小さく笑っているのが目に入った。俺ははめられたのだと確信した。これまで見えないところでの嫌がらせは数多く受けてきたが、ここまで感情的にやってくるとは予想していなかった。
さらに悪いことに、このトラブルを京子さんに利用され、他のスタッフにもあることないこと噂を流されてしまった。そのせいで、今まで仲の良かった料理人やスタッフたちからも無視されるようになった。
料理長である京子さんに逆らえないのだろう。自分の中でそう納得するしかなかった。
そして結局、俺は自分から退職届を書き、レストランを去ることにした。
「今までお世話になりました」
「やめてしまうのか……」
「ふん。邪魔者が消えて清々するわ」
一鉄さんは複雑な表情を浮かべたが、京子さんは最後まで俺を恨んでいた。俺は黙って頭を下げ、一鉄さんが何かを言う前に、レストランを飛び出した。
あれから俺は家に引きこもっていた。そんなある日、心配した妻が言った。
「あなた、今日はいい天気よ。少し外に散歩してきたらどうかしら?」
「ああ、そうだな。そうしてくるよ」
外に出ると、久しぶりの空気が美味しく感じられた。気分も少し良くなり、いつもより遠くまで歩いてみることにした。すると、いい出汁の香りが漂ってくる。俺はその香りに誘われて、古びた佇まいのうどん屋に立ち寄った。
その店はガラガラだったが、味は抜群だった。すぐにその味に惚れ込んでしまった。
「どうしてこんなにしっかりとした味なのに、この店はこんなに空いているんだろうか」
思わずそんな疑問が浮かぶほど、そのうどんは絶品だった。俺は帰り際、店主に声をかけた。
「とても美味しかったです」
「それは良かったよ。この店はもう閉める予定だから、あんたが最後のお客かもしれないな」
「え? こんなに美味しいのに、お店を閉めるんですか?」
「ああ、わしも見ての通りだいぶ年を取ったからな。この店を維持するのが難しくなってね」
それを聞いて、俺はこの店が潰れるのはもったいないと強く思った。
「ご主人、もしよろしければ、この店を譲っていただけないでしょうか?」
気がついたら、そう言っていた。
「初めて会ったお前さんに、店を譲れというのか?」
「はい。これでも俺は調理師免許を持っている料理人なんです」
突然の申し出に困惑する店主に、俺はこれまでの自分の経緯を説明した。
「なるほど。事情は分かった。……黒崎さんとやら、明日からうちへ来い。そこでわしの今までやってきたことを教え込んでやる」
「あ、ありがとうございます!」
「だが、しっかりやらんと店は譲らんからな」
「はい、頑張ります」
俺は急いで家に帰り、妻に事情を説明した。妻は最後まで話を聞いてくれてから、安心したように笑った。
「本当に良かったね。散歩に行って正解だったでしょう」
「ああ、そうだな。お前のおかげだよ」
翌日から俺はうどん屋で修行を積むことになった。これまでのフレンチレストランとはまた違うやり方や作り方の連続で、自分がまだまだ勉強不足だったことを痛感させられた。それから数年後、俺は約束通りしっかりと修行を積み、うどん屋の店主から店を譲り受けることができた。
店を譲り受けた俺は、妻にも協力してもらい、店内をリノベーションして、うどんと出汁を合わせた創作料理のレストランをオープンさせた。もちろん、料理の腕前はうどん屋の店主と妻のお墨付きだ。
俺の店はオープン初日からお客さんで溢れた。特に若い人たちや主婦層がSNSに写真を投稿してくれたおかげで、予想以上の人気が出る。SNSを見たというお客さんがさらに足を運んでくれて、店は日々繁盛していった。
そんなある日、妻がスマホを見せてきた。
「ねえ、あなた。これを見て」
「なんだこれは?」
SNSには、俺の作ったスープがパクリだという誹謗中傷のツイートが出回っていた。しかも、その他にも俺についてあることないことが書き込まれている。謎のアカウントからの発信だったが、その内容は俺のことを細かく知っているものだった。
「ねえ、正斗。これってもしかしたら、京子さんの仕業かもしれない」
「ああ、多分な。俺のことをこんなに細かく知っているのは、あいつくらいしか思い当たらない」
「正斗、大丈夫?」
「ああ、大丈夫だ。俺は負けないから」
俺は以前、一鉄さんのレストランを辞めた経緯を妻に話してあった。だから妻もすぐに、その謎のアカウントが京子さんではないかと気づいたのだろう。だが、俺は動じなかった。
むしろ、これをチャンスに変えてやろうと思った。俺はスープで攻撃されていることを逆手に取り、スープをメインにしたランチメニューをSNSで発表したのだ。それは従来のスープにさらにアレンジを加えた、独自性のあるものだった。すぐにSNSで話題になり、俺の店にはさらに多くの客が訪れるようになった。
すると、そこから思わぬ事態に発展する。俺を誹謗中傷していた謎のアカウントが、俺の店の料理を実際に食べた人たちから、根拠のない中傷だとして叩かれるようになったのだ。そして、誰かが調べ上げたのか、そのアカウント主が特定されてしまった。
アカウント主は、俺と妻の予想通り、京子さんだった。
特定され、多くの人に晒された京子さんのアカウントは、当然のように閉鎖された。それから数ヶ月。俺はあれから何事もなく、自分の店を切り盛りしながら穏やかな日々を過ごしていた。店は繁盛し、俺の作った料理を美味しいと言ってもらえる毎日が、楽しくもあった。
そんなある日、入口の鈴がお客さんの来店を告げた。
「いらっしゃいませ」
「……おう」
「え? オーナー?」
「俺はもう、お前のオーナーじゃないぞ」
一鉄さんが、一人で俺の店にやってきたのだ。
「す、すみません。つい」
「……いい店だな」一鉄さんは店内を見回しながら、ぽつりとそう言った。
「あ、ありがとうございます。よかったらお席へどうぞ」
「いや、今日は正斗に謝るために来たんだ」
「謝る? どうしてですか?」
俺がそう問いかけると、一鉄さんは数年前の新作メニューのことと、今回のSNSの件について謝罪してきた。
「あの時は本当に申し訳なかった。そして、今回のことも」
「いえ、もう終わったことですから。それより、どうして分かったんですか?」
「俺が経営に専念するために、料理長の座を京子に譲ったのは覚えているな」
「はい。元々一鉄さんの娘さんですし、一鉄さんよりは劣りますが、それなりに料理もできていたので、文句はありませんでしたよ」
「その京子が、正斗が辞めた後から好き勝手にやり始めてな」
そう言って、一鉄さんは俺が辞めた後の京子さんの行動を話してくれた。京子さんは料理長としての振る舞いを一切改めず、他のスタッフや取引先とトラブルを繰り返していたらしい。それに気づいた一鉄さんは京子さんをどうにかしようとしたが、自分の娘ということもあって、なかなか追い出すことができなかったようだ。
だが先日、SNSの騒動のことを他のスタッフから聞いたことが決定打となり、一鉄さんはついに京子さんを解雇し、店から追い出したのだという。
「そうだったんですね」
「正斗には、本当に申し訳ないことをしたと思っている。それで……今の京子は?」
「解雇したからな。その後は確か、スーパーでパートをしながらどうにか暮らしていると聞いた」
「そうですか」
「ああ。近々、改めてあの時の詫びの品を持ってくる」
「いえ、それは大丈夫ですよ」
「いいや、持ってこさせてくれ。そうしないと、俺の気が済まない」
「わかりました。では今日は、俺のおすすめのメニューを食べていってください。腕によりをかけて作りますから」
「お前というやつは……。では、それをいただこう」
「はい。待っててください」
俺にはもう、一鉄さんを責める気はなかった。彼自身がきちんと反省し、娘を解雇するという責任を取ったことを知ったからだ。
俺は自分で考え抜いたメニューを一鉄さんのために作り、出した。一鉄さんは一口食べると、目を細めて言った。
「……本当に、一人前になったなあ」
その言葉が、たまらなく嬉しかった。俺はこれからも料理に向き合っていこうと思う。もっとたくさんの人が、俺の作った料理を食べて、美味しそうに笑ってくれる顔を見るために。
