いつものように愛人の家に入り浸っていた夫が、突然帰ってきて、得意げな顔で言った。「なあ、そろそろお前も自由になってもいいんだぞ」。その瞬間、私は「ついに来たか」と思った。結婚二十年、夫はずっと浮気を続け、私を家政婦のように扱ってきた。義母の十年介護も、一人娘の子育ても、全部私一人でやってきたのに。「お前がずっと尽くしてきたのは知ってる。今まで大変だっただろう」と夫は労わるふりをして、離婚した…

いつものように愛人の家に入り浸っていた夫が、突然帰ってきて、得意げな顔で言った。「なあ、そろそろお前も自由になってもいいんだぞ」。その瞬間、私は「ついに来たか」と思った。結婚二十年、夫はずっと浮気を続け、私を家政婦のように扱ってきた。義母の十年介護も、一人娘の子育ても、全部私一人でやってきたのに。「お前がずっと尽くしてきたのは知ってる。今まで大変だっただろう」と夫は労わるふりをして、離婚した...

いつものように愛人の家に入り浸っている夫が、珍しく家に帰ってきた。何か用事でもあるのかと思っていると、夫は得意げな顔で切り出した。

「なあ、地図。そろそろお前も自由になってもいいんだぞ」

急に何を言い出すのかしら。私は分からないふりをしたが、内心では「ついに来たか」と思っていた。夫は私と離婚したいのだ。

私の名前は地図。表向きは有名企業の社長夫人だが、内情はまったく違う。夫にとって私は便利な家政婦でしかない。結婚して二十年になるが、夫には常に浮気相手がいた。

「お前がずっとうちに尽くしてきてくれたのは、俺が一番よく知っている。今まで大変だっただろう」

夫は私を労わるふりをしているが、その本心は見え透いている。一人娘のカナが今年大学を卒業する。現在介護中の義父はもう長くない。夫は自分が面倒だと思うことは全て私に押し付けてきたが、もうこれ以上私に用はないと判断したのだろう。つまり、夫は私が邪魔になったのだ。

「お母さんとお父さんは、私によくしてくださいましたよ」

私は大学を卒業してすぐに就職せず、夫と結婚した。あの悲劇の事件以来、義母の十年に及ぶ介護をしてきたのも私だ。

「今日も親父の見舞いに行ってきたようだが、親父もすっかりボケてしまったんじゃないか。どうせ話も分からないんだ。そんな頻繁に行く必要はない」

「あなたの実のお父さんなのに。せめて一目見るだけでも、お見舞いに行かれてはどうですか」

「冗談だろ。言葉が通じないのに時間の無駄じゃないか」

夫は吐き捨てるように言った。

「とにかく、お前をもう自由にしてやりたいんだ。荷物をまとめておけよ」

「分かりました。でも、あなたも一度ぐらいお父さんのお見舞いに行ってくださいね」

「おい。ボケたじいさんに会ったってしょうがないだろ。お前は本当に常識がないな。俺はもう帰る」

常識がないのはあなたでしょう。そう言ってやりたかったが、今は我慢だ。私は離婚するつもりはない。

夫は怒りながらも、自分の主張が通ったと満足し、そそくさと家を出ていった。これから愛人のところへ行くのだろう。今の愛人の名前は緑。なんと娘と四歳違いだ。そんな相手をよく恋愛の対象として見られるものだと思う。

ちなみに、夫と私は恋愛で結ばれたわけではない。私たちは政略結婚だった。私の父と義父は幼馴染みで大親友。お互いの子供が男と女なら結婚させようなんて馬鹿げた約束をした。普通は大人になればそんな口約束は無効になるが、事情があった。

父と義父は高校を卒業後、二人で会社を起こし、時代の流れに乗って大当たりした。親族として結ばれ、会社の土台を強化したいという思惑があったのだ。とはいえ、夫に対してまったく愛情がなかったわけではない。父親同士が仲が良く、元々家族ぐるみの付き合いだったからだ。夫は学生時代から女癖が悪かったが、結婚したら落ち着くだろうと楽観的に考えていたのに。

ある日、悲劇が起きた。結婚して三年目の冬、両家が揃ってスキー旅行に行った帰りのことだ。夫は予定があるからと一人タクシーで先に帰ったが、夫以外の家族はバスに乗った。突然の事故に巻き込まれ、私は両親を失い、義母は重症を負った。義父も足の骨を折る大怪我をしたが、奇跡的に娘は無傷だった。ちょうど娘と一緒に座っていた両親が、命がけで守ってくれたからだ。私も隣にいた義母に庇ってもらったから、軽傷で済んだ。

この事故が経済紙のトップに載り、会社の株価が乱高下するほど会社は大きくなっていた。義父は旅行を計画した自分を責めて会社を立て直すのに奔走し、義母は寝たきりになり、その後十年間、私が介護をすることになった。

夫はといえば、私の父の穴を埋めるため、若くして何の苦労もなく取締役になったのだ。「これぞ棚ぼたってやつか。俺はついてるぞ」と大喜びした。私が夫を見限ったのはこの時だ。

自由にしてやる宣言から一週間ほど経った頃、夫がまた家へとやってきた。

「おい、なんで離婚届を書かないんだ?」

「なんでって…もらっていないからですけど。渡されていないものを書くのは無理なんですけど」

「お前が役所に行って取りに行けばいいだろうが」

普通、離婚したい人が離婚届を入手してくるのではないだろうか。今まで面倒な手続きは全部夫の代わりにやってきたが、ここまでバカだとは本当に情けない男だ。しかし繰り返すが、私は離婚するつもりはない。

「あなたから荷物をまとめておけと言われましたが、離婚届をもらって来いとは言われませんでしたので」

私は夫に、積み上がったダンボールを見せた。

「ふっ、荷造りはしているんだな。お前は本当にダメだ。いちいち俺が言わないと分からないなんてな」

夫は私をバカにして、少し機嫌を直した。ちょろい男だ。誰の荷物をまとめたか、聞こうともしない。

「それよりも、あなた。お父さんのお見舞いに行かれたんですか?」

「しつこいぞ。俺が行くわけないだろ」

夫はまた嫌な顔をして怒り出し、「離婚届を用意しておけよ」と捨て台詞を吐いて帰っていった。

それからまた一週間ほど経ったある日、夫が家にやってきた。

「お前、離婚届をなんで送ってこないんだ?」

「いや、お前のことだ。送れと言われていないからだろうな。今すぐ俺に渡せ」

夫はだいぶ頭に来ている。

「あなた。私も考えたんですが、離婚したくないんですよね」

「はあ? 何を言っているんだ? お前は結婚して今まで子育てと介護をしてきて、自由になりたくないのか? まだ四十代じゃないか」

夫は私が喜んで離婚すると思っていたのか、慌て出した。

「離婚したら自由って、おかしくないですか? 離婚しなくても自由になれると思いますけど」

「だ、ダメだ。俺たちは愛し合ってないだろ。離婚した方がお前だって幸せになれるはずだ」

今回、夫がどうしても離婚したい理由はもう分かっている。

「それで、あなたは愛する緑さんと一緒になりたいんですか?」

「な、なんでそれを…」

「なんでって? 『赤ちゃんができたので旦那さんと別れてください』って、直接電話をいただきましたもの」

「緑のやつ…。それほどまでに俺のことを…。そういうわけだから、別れてくれ」

「嫌です」

「なんでだよ。お前は俺を愛しているわけじゃないんだろ」

「愛とか、そういう問題ではないんですけど。認知するだけではダメなんですか?」

「お腹の子は男の子だ。会社の後継ぎになる」

「後継ぎって、カナがいるじゃないですか」

「カナは女だ。社長は男でないと」

私が夫を許せない理由は、これもある。一人娘なのに後継ぎは男だと主張し、娘の面倒を一切見なかった。

「そうですか。分かりました」

「分かってくれたか? じゃあ離婚届を早く渡せ」

「いいえ。嫌です。あなたの事情が分かりましたという意味ですよ。ところで、あなた。お父さんのお見舞いに行きましたか?」

「お前、いい加減にしろよ。親父の見舞いのことは口を出すな。離婚届は送っておけ。記入済みのやつをな」

夫は最後に「してやったり」とにやりと笑って、家を出て行った。

それからまた三日ほど経った。

「おい! なんで離婚届が送られてこないんだ!」

夫がまた怒鳴り込んできた。

「なんでって…どこへ送るか言わなかったじゃないですか。それに、離婚は嫌ですと言ったはずですけど」

「お前はそうやって屁理屈ばかりだな。俺を困らせたいんだろ。金か。金を渡せばいいのか?」

「そうですね。当然、正当な慰謝料はもらいたいですね」

「じゃあ二百万でどうだ?」

「私の二十年が、たったの二百万ですか?」

「じゃあ三百万」

「まあ、うちの会社の新卒の年収より安いだなんて」

「欲張りなやつだな。今住んでいる家もつけてやる。元々俺はほとんど住んでないしな」

「引き換えがあっても、先立つものがなければね」

のらりくらりとかわしていると、夫がイライラしてきたのが分かった。そろそろいいタイミングかもしれない。

「こんなこと言いたくないけど、お母さんの遺産、結構あったはずですよね。あなたは一人息子とはいえ、私には何もくれませんでしたけど。もしかしてお父さんの時も、そのつもりなのかしら」

もちろん義母の遺産は、息子である夫のもの。私だって義母が持っていたジュエリーが高価だったから欲しかったわけではない。せめて何か一つ、義母が生前大事にしていたものを形見として持っていたかっただけだ。それを夫は全て質屋に売り払って金に変えてしまった。なぜ夫がそんなせこいのかと言うと、義父から給料以上の金を使わせないように厳しく見張られていたからだ。その給料も私には一切渡さず、義父が生活費を出してくれなければ、私と娘は生きていけなかった。

「お父さんの遺産は、これくらいあるんじゃないかしら。お母さんとは桁が違うはずよ」

ここまで言うと、夫はもうすぐ義父の遺産が手に入ることを思い出したようだ。本当に鈍い男。

「じゃあ、今の俺の貯金を全部くれてやるから離婚しろ。その代わり、ぐちぐち言うんじゃないぞ。親父の遺産はビタ一文も渡さないからな」

夫はいつも持ち歩いているセカンドバッグから通帳を投げつけてきた。夫は義父の遺産があると信じ、私を残った金で騙せたと信じている。私はこれを待っていた。夫に復讐し、人生の自由を取り戻すため、次のステップに進める。

「ええ、分かったわ。離婚します。ところで、あなた。会社の経営って大変ですか?」

「な、なんだ一体?」

「まあそうだな。仕事は大変なものだ」

「そうですか。ありがとうございます。大変なんですね」

こうして夫との離婚が成立し、しばらくして義父が天国へと旅立った。そろそろかなと思っていると、夫が怒鳴り込んできた。

「俺をはめたな! 親父の遺産が五十万ってどういうことだ? 五億じゃないのか!」

「だから『片手』って言ったじゃないですか。お母さんとは桁が違うかもって。嘘は言っていない」

夫はぐぬっと悔しそうに押し黙った。

「あの遺言も、お前知ってたな」

義父は顧問弁護士と相談し、長い時間をかけて私と娘のカナに資産を生前贈与してくれた。そして二年前には必要な生活費以外の全てを財団に寄付。さらに全財産は私と娘に渡すと遺言状を書くという念の入れようだった。正当な手続きを踏み、弁護士から正式な書類を作ってもらってある。夫には遺留分を請求する権利があるが、ほとんど夫には遺産が渡らない。夫は莫大な金が入ると思っていたが、完全に当てが外れた状態だ。

「それから、俺の解任ってどういうことだ?」

昨日、会社の取締役会が行われたのだが、夫以外の全員の同意で、夫が代表取締役から解任されたのだ。私が代わりに社長になる。テレビで速報が流れるくらいのニュースにもなった。

「あなた、今まで面倒なことは全て私に押し付けてきたじゃないですか。お仕事、大変なんでしょ? 代わりにやって差し上げます。あなたのその席、私がいただきますね」

義父の全面的な協力があってこそできたことだが、義父は自分の息子を「男だから」と後継ぎにしたことをものすごく後悔していた。義父は私に我が子の不始末を何度も詫びたが、それでも夫に最後のチャンスを与えたくて、私を通して見舞いに来るように伝えていたのだ。

「あなたが名ばかりの社長をしていた間、誰が影で会社を支えたと思うんです? カナと私ですよ。私はお父さんの介護だけではなく、在宅で会社の仕事をしていましたし。カナだってお父さんから英才教育を受けてきましたからね」

「親父はボケていたはずじゃないか」

「あなたは勝手にそう思い込んでいたようですけど、体に麻痺があるだけで、頭は正常ですよ」

夫は愕然として座り込んだ。しかし、私は夫から全てを奪うと決めていた。

「そうそう。緑さんのお腹の子。本当にあなたの子供かしら」

「何を言い出すんだ? 俺の子に決まっているだろう」

「二人目がなかなか生まれないのはお前のせいだって攻められた時、あなたも一緒に病院で検査したの、覚えてるかしら? 私には何の問題もなかったのよ。『男性側の問題です』って。ねえ、本当にあなたの子なのかしらね。ああ、カナは間違いなくあなたの子だけど。検査していただいた先生からは『奇跡だね』って言われたわよ」

「まさか…」

私はそれ以上言わなかったが、実は緑という女は有名な結婚詐欺師らしい。夫に子供ができないのを知っていたため、質の悪い女に引っかかったと分かり、探偵に調べさせたのだ。緑が使用していた携帯電話は夫が購入し、支払いもしていたことも発覚した。集めた証拠、現在の住所や携帯の番号などは、全てまとめて警察に提出済みだ。緑はそのうち逮捕されるだろうし、おそらく夫も警察に事情聴取されるだろう。夫は知らなかったとはいえ、結婚詐欺に加担していたのだ。

私はずっとこの日を待っていた。あえて離婚に応じなかったのは、夫をじわじわと追い詰め、夫と愛人との関係を断つ絶好の機会を伺っていたから。私は夫と緑に対し、弁護士を立てて不貞行為と浮気の慰謝料請求も行った。夫と緑が住んでいた家は義父の法人名義だ。社長を解任され、離婚したため、住み続ける権利はない。夫と緑に対して立ち退き請求も追加した。自宅に残されていた夫の荷物は全てまとめてあり、いつでも処分できる。

夫は仕事も、家も、お金も、愛人も、何もかも失った。夫が今まで「棚ぼたでラッキーだった」と言うなら、これからは自業自得で不幸などん底生活が待っているだろう。

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