私に何か口応えしたら、若頭に頼んであんたの家を襲撃するわ。そして全員に本物の銃を打ち込んでやるから。
勝ち誇った笑みを浮かべる千鶴さんの手には、銃のようなものが握られていた。発砲音に怯える娘を抱きかかえながら、私は千鶴さんを見つめる。なんとしても娘を守らなければ。それができるのは、今は私だけだ。
その時の私はまだ知らなかった。千鶴さんがなぜ私を狙ったのかも、これから千鶴さんに恐ろしい運命が待ち受けているということも。
私の名前は七恵。母は東山組の早乙女を務めており、私は組の幹部を務めている。だが、普段はどこにでもいる主婦として、小学三年生になる娘を育てている。結婚したばかりの頃は、長年ヤクザの世界でドンパチをやってきた癖が抜けきらずに苦労したが、今はごく普通の主婦として振る舞えているだろう。
その甲斐もあってか、娘のクラスのママ友グループとも親しくしている。そんな私の悩みは、地域のボスママ、千鶴さんの存在だった。
千鶴さんは周囲にいい顔をするため、地域の仕事を率先して引き受けるのだが、引き受けた仕事は全て他のママに丸投げするような女だった。しかも断ろうとすると、うちの夫はヤクザの若頭と知り合いなの。怒らせたら怖いわよ、と相手のママ友を脅し、無理やり仕事を押し付けるのだという。
そんな千鶴さんは、なぜか私を目の敵にしていた。何かにつけて私を見下し、嫌味を言い、下働きをさせることなど日常茶飯事だった。正直なところ、千鶴さんの相手をするのも面倒だったので、普段から無言と愛想笑いでやり過ごしていた。
千鶴さんにとって、そんな私の態度も気に入らなかったのだろう。私が何の反応も見せなければ、私の姿が見えなくなるまで、鬼のような形相で睨みつけることが何度もあった。それでも今まで私にあまり関わってくることはなかったので、放っておくことにした。面倒な相手とは、あまり関わらない方がいいに限ると、そう思っていたからだ。
そんなある日、娘の授業参観がやってくる。学校に向かうためスーツに着替えていたところ、娘から電話がかかってきた。
「もしもし。お母さん、お願いがあるんだけど」
「どうしたの? これから授業参観があるのに、何かあったのかしら?」
「実は、その授業参観の時に読む作文を家に置いてきちゃったの。お母さん、これから学校に来るんでしょ? 少し早めに来て、持ってきてくれないかな?」
娘は私に似て、少しそそっかしいところがある。大事なイベントほど、うっかり忘れ物をするようで、遠足の時にお弁当を忘れたり、プールなのに水着を忘れたりすることもあった。その度に私は学校まで忘れ物を届けに行っていたのだ。
「もう仕方ないわね。今日は少し早めに出るから、お友達に見つからないよう、こっそり受け取りに来るのよ」
「うん。お母さん、ありがとう。いつものところ、学校の裏手で待っているからね」
私は電話を終えると、すぐに娘の部屋へ向かう。幸い、作文は机の上に置かれていて、すぐに見つけることができた。それを鞄に入れてから、少し早めに家を出る。
そして学校に着くと、すぐに裏口へ回った。娘が忘れ物をした時、他の生徒たちに見つからないよう、裏口で手渡すというのがお決まりになっていたからだ。
「お母さん」
娘は私を見つけると、手を振って駆け寄る。私はそんな娘の前に、忘れ物の作文を差し出した。
「はい、これ、忘れ物。今日はおばあちゃんも見に来るんだから、頑張るのよ」
「分かってるよ。大丈夫。作文はちゃんとかけてるから」
娘は笑いながら忘れ物を受け取る。私はそそっかしい娘に呆れながらも、いつも通りの日常を噛みしめていた。
異変があったのは、その時だった。
周囲に、パンッと風船が割れるような音が鳴り響く。その直後、私の体に激痛が走り、私は思わずその場にうずくまってしまった。
まさか、今のは銃の発砲音だろうか。私がヤクザだと知ったどこかの組員が、襲撃をしてきたのかもしれない。そうだとすると、どこかの組の襲撃だろう。この地域で東山組の幹部に手を出すような相手は、あらかた潰しておいたはずだが。
いや、考えるのは後だ。今は娘を守らなくては。
私はすぐに娘を座らせると、かがむようにして周囲を伺う。しかし、辺りに怪しい人物は見られなかった。どこかに隠れているんだろうか。だとすると、どこにいるんだろう。
「お母さん、大丈夫?」
娘は私が撃たれたと思ったのだろう。心配そうにこちらを覗き込む。その顔は、今にも泣き出しそうだった。
痛みはじわじわ広がっているが、血が流れている様子はなさそうだ。だとすると、あの音は本物の銃ではなく、エアガンか何かだったのだろう。私は服をまくり上げ、痛む脇腹の様子を確認する。やはり銃で撃たれたような跡はないが、腹部にはかなり広範囲に渡って、点々と小さな赤い傷が広がっていた。傷の大きさからすると、やはりエアガンだったのだろう。
ひとまずヤクザの襲撃ではないことにするが、油断はできない。私は音のした方向から、どこから撃たれたのか頭を働かせる。撃たれた場所と音の方向からすると、きっと小学校の校舎側だ。私は教室の窓へ目を向けると、ちょうど教室の窓から千鶴さんの姿が見える。
千鶴さんは不気味な笑みを浮かべながら、手にした銃を私へと見せつける。そして、ゆっくりと私に言い聞かせるように語りかけた。
「私に何か口応えしたら、若頭に頼んであんたの家を襲撃するわ。そして全員に本物の銃を打ち込んでやるから」
そして、すっと教室の奥へと消えていく。
「お母さん。お母さん、大丈夫?」
娘は私に泣きそうな目を向けている。こんな怖い思いをしたのに、私が撃たれたことを心配してくれるなんて、なんて優しい子なのだろう。
「大丈夫。お母さんなら大丈夫だから。あなたは教室に戻りなさい。教室なら先生もいて、安全だからね」
私はすぐに娘を教室まで送り届けてから、病院へと向かう。幸い、大した傷ではなく、簡単な治療を受ける程度で済んだ。
だが、問題はこれからだ。今までも千鶴さんはヤクザの若頭という言葉を使い、周囲を脅していたが、大きな実害はなかったから、関わらないようにしてきた。しかし、千鶴さんが私に危害を加えた上、若頭の名前を使ってまで脅してきたのは、さすがに見過ごせない。
明らかに、さっきは私のそばに娘がいたのだ。下手をすれば、娘に当たっていたかもしれない。
私は治療を終えると、すぐに弟の国雄へ連絡した。
「どうした、姉貴? 珍しいな、姉貴から連絡が来るなんて」
弟は驚いたように声をあげる。
「ごめんね。あなたの耳に入れておきたい話があるの」
私はそう切り出した。
今、弟は山下組の若頭を務めている。山下組は東山組の傘下でも、特に大きい組の一つだ。この町をはじめとした周辺地域を縄張りにして活動をしている。
「国雄、あなたに千鶴さんのことを話すわ。娘の通っている学校でボスママを気取っている、ヤクザの若頭が知り合いにいることを自慢にしている女よ」
「ああ、知ってる。確か俺の知り合いだって言いふらしている女だったよな」
千鶴さんは以前から、周囲に「うちの夫はヤクザの若頭と知り合いで、随分と可愛がられている」と吹聴していた。実は、千鶴さんの言う夫と親しい若頭というのが、山下組の若頭であり、私の弟なのだ。
「俺、本当にその女のことも、その女の夫のことも知らないんだよな。そいつがどうかしたのか」
「実はね、私は娘に忘れ物を届けに行った時、千鶴さんに銃のようなものを向けられ、撃たれたこと。千鶴さんは私だけではなく、娘がいる時に銃を向けたということ。そのせいで私は脇腹に傷を負ったこと。千鶴さんから組の若頭と一緒に本物の銃を打ち込むと脅されたことなどを伝えた」
すると、弟は困ったように声を上げる。
「まいったな。今まで特に実害がないから放っておいたけど、俺の名前を出してそんなことをしたのか」
「ええ、さすがにまずいわよね」
「まずいに決まってるだろう。山下組は東山組の傘下だぜ。それだってのに、門の若頭が本家の幹部に銃を向けたなんて噂が立ったら、組全体が揺らぎかねない大事件だ。そればかりは避けなくちゃいけない」
「そうよね。私もそれを心配しているの」
「とにかく、その女、もう放ってはおけないな。今日はその女も学校にいるんだろう。俺も今から行くから」
弟と電話を終えた後、私はすぐに学校へと向かった。
今日の授業参観には、東山組の早乙女を務めている私の母が来ていたのだ。全く、娘のために来てくれた母に、こんな話を聞かせないといけないなんて、今から気が重い。だが、千鶴さんの身勝手な行動が組を揺るがす大事件になる前に、伝えておかなければ。
私が学校に到着した時、母はちょうど娘の教室に向かうところだった。
「母さん、ちょっといいかしら?」
「あら、どうしたの? 随分と慌てちゃって」
私は母を廊下で呼び止める。
「実は母さんに話したいことがあるの。このクラスでボスママを気取っている、千鶴さんのことなんだけど」
「なんだい、ママ友同士のトラブルなら、私は相談に乗れないよ。何せ、私はずっと物事はドンパチで解決してきたような女だからね」
「千鶴さんの場合、ただのママ友じゃないの。彼女はいつも周囲のママを、私の夫はヤクザの若頭と親しいから、なんて言葉で脅して従わせているのよ」
「ほう。それは随分と物騒な女だね。この若頭ってのは、一体どこの組のものだい?」
「それが、山下の若頭だっていうのよ」
「あら、やだ。国雄のことじゃないか。国雄はそれを知っているのかい?」
「ええ、千鶴さんの嘘は把握しているわ。その千鶴さんが、今日、私と娘に銃のようなものを向けてきたの」
「銃のようなもの」
その一言で、母の顔色は目に見えて変わった。
「それはちょっといたずらにしては度がすぎるわね。私の孫に銃を向けたってことかい?」
「そうね。エアガンだと思うけど、私は脇腹を撃たれて、ちょっと怪我をしたわ。幸い、娘には当たらなかったけど、随分怖い思いをさせてしまって。千鶴さんは私を撃った後、念押しするようにこう言ったの。何か口応えしたら、若頭と一緒にあんたの家を襲撃して、全員本物の銃を打ち込んでやるって」
「の若頭ってのは、国雄のことだろう。その女と関係があるのかい?」
「ええ、千鶴さんは嘘をついているのよ。夫が若頭と知り合いだってのも、全部嘘だと思うわ」
「つまり、その女は国雄の名前を勝手に使って、悪さをしているってわけね。しかも、あんたに怪我までさせているのか。それは少しばかりまずいわね」
母は俯くと、ぐっと唇を噛む。
「元々千鶴さんは、夫が若頭の知り合いだって嘘をついて、自分の仕事を他のママに押し付けたりするような女なの。今までは大きな実害がなかったから放っておいたんだけど」
「もっと早くに伝えてくれても良かったんだよ。でも、このままじゃいけないね。けじめをつけさせてやらないとね。処分は私が考えておくから、少しばかり待っていておくれ」
「そうね。お願いするわ」
私が母を見送ったのと同時に、スマホが鳴る。それは、弟が学校に着いたという連絡だった。
「よく来てくれたわね、国雄」
「組の信用に関わることだからな。それより、その千鶴ってやつはどこにいる?」
「今日は授業参観だから、教室にいると思うわ。探しましょう」
私たちはまず、娘のいる教室へと向かう。だが、まだ授業が始まってないからか、千鶴さんの姿は見当たらない。教室にいないということは、私を撃った場所にまだ潜んでいるんだろうか。私は記憶を頼りに、撃たれた場所から教室を割り出し、校舎の教室へ向かう。
すると、そこに千鶴さんが立っていた。
「あら、七恵さんじゃない。何か言いたそうな顔をしているわね。でも、忠告したでしょ。私に口応えしたら、夫が婚姻にしている若頭と一緒に、家族全員に鉛玉をぶち込んでやるって」
千鶴さんは勝ち誇ったような笑みを浮かべるが、一緒に来ている弟に気づいていないのだろうか。ひょっとしたら、弟が若頭だというのを知らないのかもしれない。
弟は呆れた顔で、私の前に出た。
「よ、いくらヤクザでも、普通の家に銃向けたりしねえって。大体、俺はお前のこと知らねえからな」
「誰よ、その男」
やはり、千鶴さんは弟が若頭だというのを知らないようだ。若頭に可愛がられているなど嘘だというのは知っていたが、そもそも若頭がどんな顔かも知らずに嘘をついていたとは、呆れたものだ。
「俺は、お前みたいにヤクザの名前を使って偉そうにする奴が嫌いなんだよ。あんまり気安くヤクザの名を使って、大事な看板汚すんじゃねえ」
「何よ、この男。若いくせに偉そうに。撃つわよ」
千鶴さんは凍りついたような笑顔を見せると、ゆっくりと銃のようなものを構える。私を撃った銃だろう。
だが、それより先に、弟が懐から銃を取り出すと、千鶴さんへ銃口を向けた。
「おっと、そっちが撃つなら、こっちもやらせてもらうぜ。ただし、こいつは本物の銃だ。お前のはどうだ? どうせ安物のエアガンなんじゃないのか」
銃口を向けられた千鶴さんは、驚きで目を丸くする。まさか、弟が本物の銃を持っているとは思わなかったのだろう。
「本物の銃? あなた、一体何者なの? 七恵さん、一体どういうこと?」
慌てる千鶴さんを前に、国雄は銃を構えたまま、じりじりと距離を詰める。撃てば確実に当たるという距離に達した時、千鶴さんは恐怖に耐えかね、銃をその場に取り落とした。
弟はすぐさま銃を蹴飛ばす。銃は床を滑り、私のすぐ足元へと転がってきた。手に持ってみれば、見た目は本物の銃にそっくりだが、重たさは全然違う。やはり、ただのエアガンだったようだ。
「なんで、なんで七恵さんは私に従わないのよ。ヤクザと言っても全然怯えないし。素敵な夫と一緒にいつでも楽しそうにしている娘さんだって、素直でいい子じゃない。私のないもの全部持っている上に、私の言うことも聞かないなんて、許せない」
千鶴さんは呆然としながら、ぶつぶつとそんな言葉を繰り返す。
それを聞いた弟は、千鶴さんの襟首を掴むと、自分の方へと引き寄せ、思いっきり頬を叩いた。
「おい、そんな理由でエアガンまで持ち出したのか」
「だって、悔しいじゃない。美人で幸せそうで、他のママ友からも頼られて、いつも楽しそうにしてるんだもの」
「ただの逆恨みじゃねえか。逆恨みで人様に迷惑かけてるんじゃねえよ」
国雄はそう言いながら、何度も頬を打つ。散々叩かれた千鶴さんは、その場で力なく座り込んでいた。
「何よ。あんた、いい加減にしなさいよ。私はこの地域でもちょっと有名人なのよ。あんたたちなんて、若頭に頼めばすぐに消されるんだからね」
千鶴さんは座り込みながら、大声で喚き立てる。その様子を見て、弟は呆れたようにため息をついた。
「あのさ、その山下組の若頭って、俺のことなんだけど。あんた、全然気づかなかったわけ?」
「え、嘘でしょ? あなたが山下組の若頭?」
「そうだよ。こっちは俺の姉貴。今は普通の主婦やってるけど、東山組の早乙女の娘でさ、今も幹部勤めている現役のヤクザだぜ」
千鶴さんは唖然としながら、私の顔を見る。
「嘘でしょ? 東山組って、山下組よりずっと大きな組織じゃない? それに、若頭が七恵さんの弟?」
「姉貴は、あんたが俺と知り合いだなんて嘘ついてるのを知っていて、相手にしなかったんだよ。俺はあんたが嘘ついてるの知ってたけど、今までは実害がなかったから放っておいたんだ。ただ、今回は俺の名前を使って姉貴に怪我をさせたからな。さすがに黙っていられなくなったんだよ」
「嘘よ。そんなの嘘。七恵さんが私より上の人間なの? 私より」
千鶴さんはしばらく一人で呟いていたが、少しずつ自分のしたことの重大さに気づいたのだろう。急に顔を上げると、すがるような目で私を見た。
「七恵さん、出来心だったの。あなたの家庭が素晴らしいから、ちょっと嫉妬しちゃって。若頭とか、全部嘘だったの。だからごめんなさい。もう二度とやらないから、許してちょうだい」
必死に声を上げる千鶴さんを前に、私は静かに首を振る。
「申し訳ないけど、千鶴さん。今までのあなたの行動、もう母に早乙女に相談したの。あなたは超えちゃいけないラインを超えてしまったのよ」
千鶴さんはわなわなと体を震わせ、私の足元にすがりつこうとする。
その時、私の母が校舎の教室へと入ってきた。
「一体どこにいるのかと思ったら、こんなところにいたのかい」
「母さん、どうしてここに?」
「俺が場所を伝えておいた。こっちの教室で騒ぎを起こすわけにもいかないだろう」
母は千鶴さんへ近づくと、冷たい視線を向ける。
「全く、あんたのように頭の悪い女のせいで、ゆっくり孫の晴れ姿を楽しむことすらできなかったじゃないか。さて、あんたかい。山下組の名を使って、うちの娘に襲撃を仕掛けた奴は」
「違います。悪気があったわけじゃないんです」
「悪気があろうとなかろうと、やったことのけじめはつけないといけないよ。あんたももう大人なんだからね」
「すみませんでした。何でもしますから。どうか、どうか許してください」
必死にすがる千鶴さんを前に、母は張り付いたような笑顔を見せる。
「そうかい。何でもするのかい。そりゃよかった。ちょうど、港にカ漁船が来てるのさ。女には大変な仕事かもしれないが、ちょっとばかり稼いできてもらおうかね」
「え、今からですか? ちょっと待ってください」
そんな驚く千鶴さんの元へ、黒服の男たちが現れる。男たちは千鶴さんに逃げる暇も与えず、脇をしっかり抱えると、そのままどこかへ連れ去っていった。
「さて、どんな邪魔が入った。孫の晴れ姿を見てくるかね」
「行くよ。俺もせっかくだから、姪っ子が頑張っているところを見てくるか」
先に歩く母を、私たちは追いかける。娘の発表はわずかしか見られなかったが、私は千鶴さんとの出来事に一つ区切りをつけることができたことで、わずかだが安堵をしていた。
その後、千鶴さんはすぐに漁船に乗せられたらしい。千鶴さんがヤクザの名を勝手に使い、周囲を脅していたことを知った千鶴さんの夫は、それに激怒し、離婚を突きつけたそうだ。さらに、千鶴さんがヤクザを襲撃したという噂が地域に広まったことに危機感を抱いた千鶴さんの元夫は、家を売却すると、娘どもを連れてどこか遠い町へ引っ越してしまった。このまま町にいては、本物のヤクザに付け狙われ、命が危ないと思ったのだろう。千鶴さんが戻ってきても、もう元夫も実の娘も探し出すことはできないはずだ。
それから一ヶ月が過ぎた。千鶴さんはなんとか無事に生還するものの、以前の面影はすっかり消え果て、覇気のない様子で、ボロボロなアパートに住んでいると言う。住む家をなくし、離婚され、娘とも離れ離れになったのだから、当然だろう。漁船で稼いだ金を元に生活をしているようだが、どこかに就職する様子もなく、家に引きこもったままらしい。今まで散々と他のママ友たちにヤクザの名をちらつかせて威張り散らしていたことから、周囲の人々に相当恨まれており、外に出るのが怖いというのもあるだろう。せっかく借りたアパートもゴミ屋敷となり、漁船で稼いだ金もそろそろ尽きるはずだ。このままだと家賃も滞納し、大家に追い出されて路頭に迷う日も、そう遠くはないだろう。
私はと言うと、無事に怪我も治り、相変わらず普通の主婦として生活している。千鶴さんというボスママがいなくなったからか、以前より周囲の様子は穏やかになり、ママ友たちとの交流も随分深まった気がする。やはり、自分の身の程を知り、周囲を大事にしながら生活するのが一番だ。私はそう思いながら、今日も夫と娘を送り出すのだった。
