吉岡部長の先行プレゼンが終わった瞬間、会議室の空気が変わった。いや、俺の頭の中の空気が、だ。
「これまでの企画は全て白紙とさせていただきます。意識の高い本学部先行の私に、典型が確信に至りました。一億円のプレゼンは私がもらった。我がチームが選ばれ、その功績により私の出世は確定です」
吉岡部長がそう言い放った時、俺は目の前が真っ暗になる思いだった。部長の企画書に書かれていた内容。それは俺が考え抜いて、パソコンの中に保存してあったアイデアそのものだった。
なんだそれ。どうして部長が俺の企画を知っているんだ。
俺のパソコンにはパスワードがかかっている。俺が好きな馬の誕生日を組み合わせた数字だ。俺以外に知るわけがない。それなのに、部長は俺の企画書の中身を、まるで自分のもののように語っている。
これはおかしい。絶対に何かある。
「なんでうちの企画を盗用してる相手を怒らないんですか?」
俺は思わず口に出していた。しかし、周りの反応は冷たかった。
「そのうち分かりますよ」
そう言って笑ったのは、俺を信じてくれる数少ない上司、辺さんだった。辺さんはいつも飄々としているけど、鋭いところがある。
「下手な小細工を打ちましたね、吉岡さん。まだ手品の種は見えていませんが、パソコンの中を隅々まで調べれば、あなたが俺のパソコンに干渉した証拠が必ず出てきます」
俺はそう宣言したが、吉岡部長は余裕の表情を崩さなかった。
「なぜ怒るんですか?」
「そのうち分かりますよ。この代償は高くつきますよ。絶対に許しませんから」
しかし、事態は思ったより複雑になっていた。部長は俺の企画をそのまま使っただけではなく、さらにブラッシュアップしていたのだ。俺の企画を百点とするなら、部長のプレゼンは百二十点。より良いものを選ぶのが企業として当然だと言われれば、反論の言葉を失う。
くそ。悔しい。
「悟る会長もそれでよろしいでしょうか?」
俺は藁にもすがる思いで、最終決定権を持つ悟る会長に目を向けた。会長はしばらく黙っていたが、予想外の言葉を口にした。
「じゃあ、決定は明日に延ばしましょう」
「え? それは会長、どういった意図ですか?」
「なんとなくです。今日の決定を明日に延ばした方が、当社にとってより良い結果になるような気がしたんです」
それはあまりにも曖昧な理由だった。普通なら却下されるべき提案のはずだ。しかし、悟る会長は大きな会社の会長らしく、独特の勘を持っている人だった。
「決定は規定のルールで決まっていますよ」
他の役員が反論したが、会長は首を振った。
「ルールは変わるものです。残り時間も少ないので詳細は省きますが、ここはテストに出ますからよく覚えておいてください。私は頭も良ければ運もいいと言われてきました。その私があと一日待った方がいいと予感しているんです。そこは応じてくださいな」
吉岡部長は満面の笑みを浮かべた。自分に有利に働くと踏んだのだろう。実際、部長の企画は俺のものを超えている。俺のチームに巻き返す可能性は低いと、誰もが思っていた。
「その間に吉岡さんは企画のブラッシュアップをすればよし。鉄さんは精度の高い企画書を作るもよし、吉岡さんの不正を暴くもよし。不正がなければ吉岡さんの企画で決定とします。不正があれば本件はドロー、どちらも採用しません」
会長の言葉に、会議室がざわついた。
「なぜですか?」
「二人とも基準はクリアしています。しかし、最終決定権を持つ私の決定です。不正があった場合、企画の基準を満たせても人物の基準は満たせない。人のものを盗むという行為は、いわば自分の利益のためなら何でもやる人間だということです。そんな人物とは仕事ができません。当然のことです。そして仮に鉄君が不正の証拠を掴んだとしても、現状の吉岡チーム以上の案でなければ採用には至りません。案が例えオリジナルでも、品質が落ちるからです。急ぎましょう」
俺は拳を握りしめた。
「絶対に証拠を掴んでやる。認められるか」
「鉄さん、やりましょう。証拠を見つけて、さらにこちらが相手を上回る案を出してやりましょう」
辺さんがそう言って、俺の背中を押してくれた。
しかし、証拠は見つからなかった。パソコンの使用履歴を調べても、データが抜き出された形跡は一切ない。USBメモリの接続履歴も、外部からのアクセス記録も、何も出てこない。どうやって部長が俺の企画を手に入れたのか、さっぱり分からない。
「くそ、吉岡部長は万全の準備をしてきたってことか。でも、諦めるわけにはいかない」
俺は作戦を切り替えた。不正の証拠を掴むのが無理なら、部長の企画を上回るものを作ればいい。一発逆転を狙って、ルール無用で、金ではなく心を掴む企画を考える。
「焼肉弁当……そうだ。これだ」
俺が考え出したのは、「互感で味わう本格焼肉弁当」だった。高級焼肉店の味を再現した、贅沢な弁当。コストはかかるが、その分の価値を消費者に感じてもらえる企画だ。普通の焼肉弁当よりも百円か二百円高くても、手に取ってもらえるような、特別感のある商品。
「こんなの採算が取れないでしょう」
吉岡部長はすぐに反論してきた。
「鉄君の企画は、フルマックスカンパニーが指定した開発予算をはるかにオーバーしています。どうしてルールを守った私が負けで、ルールを破った彼が勝ちなんですか? 勝負は公平であるべきです。異議を申し立てます」
しかし、悟る会長は冷静に答えた。
「言ったはずです。ルールは変わるものだと。これは競技ではなくスポーツでもありません。ビジネスです。ビジネスの場では、ルールチェンジは頻繁に起こりうるものという想定がないと、融通が利きません。私が鉄君の企画を気に入った。これ以上の勝った理由がなくないですか?」
「それでも納得できません。上に諭されて判定を覆すことが、大企業の会長のやることですか?」
吉岡部長の言葉に、会長は軽く笑った。
「鉄君の企画した弁当が赤字にならない算段は、すでに立てています」
「そんなことが可能なら……」
俺は驚いた。確かにこの弁当は一つ作るのにコストがかかる。だが、場所によっては普通の弁当よりもよく売れると見込んでいた。目当ては、金銭的に余裕があっても時間がない層。焼肉屋には行けないけど、せめてその気分だけでも味わいたいという、忙しいビジネスパーソンだ。
「もし鉄さんの焼肉弁当の売上が思うように伸びなかったとしても、フルマックスカンパニーの規模であれば損失は吸収できます。それに、限定の焼肉弁当を出すことで、ユーザーがスタンダードな焼肉弁当を頼んでくれる可能性もあります。つまり、この企画はどちらに転んでも負けません」
「まるで、限定ハンバーガーを出すことで通常メニューの売上を伸ばす戦法みたいなものだな」
誰かが呟いた。
「まさか鉄のやつ、そこまで考えて……」
いや、そこまで考えていなかったんだが。でも、今はそれを認めるべきだ。
「そして何より、鉄君の企画には吉岡部長の企画にないものがあります。それが採用の決め手となったんです」
「その決め手って、なんなんだよ」
吉岡部長が食いかかった。
「名前ですね。ネーミングです。フルマックスカンパニーは、利益以上にお客様のことを考えている。この焼肉弁当が、その宣伝になってくれるんです。それは何者にも代えがたい、企業が一番求めているものです。企業は一定以上お金が積み上がると、次は名誉が必要になる。名誉がないと人はついてこない。あなたは目先の数字だけを追いかけた。しかし鉄君は、数字には現れない数字も考慮した。この差はとても大きい。だから私はルールを覆してまで鉄君の企画を採用したんです」
吉岡部長は返す言葉を見つけられなかった。しかし、それでも引き下がらなかった。
「それなら両方採用するというのはどうですか? こちらの企画も、一度は採用されたことは事実です」
会長は冷たい目を向けた。
「君の企画は、勝利した理由がテクニックに過ぎない。どちらかに決めなければいけないなら、まあいいやという感情の着地点であり、ルールや規模の尺度に囚われた、一ミリたりとも心が動かされない、勝つことだけを目的とした実に退屈な出来です。そんなものを僕が、僕の会社が作る必要がない。君の唯一の功績は、鉄君を追い詰めて覚醒させたことのみ。それ以外にはありません」
その時だった。吉岡部長が突然、感情を爆発させた。
「あんたが褒めてる俺の企画は、元々鉄の企画なんだよ! なんでそこまで言われなくちゃいけないんだ!」
一瞬、会議室が静まり返った。そして、辺さんがニヤリと笑った。
「やっぱり。まあ、そんなことだろうと思いました」
吉岡部長は自分の失言に気づき、顔色を変えた。
「しまった……」
「はい、そこまで。あとは岡林さん、谷岡さん、任せました」
「お任せください」
「ちょっと待ってください吉岡さん、今の言葉は本当ですか? あなた、相手チームの企画を盗んだんですか?」
「いえ、さっきの辺さんの冗談で……」
「冗談の空気ではなかったですよ。心のこもった言葉でした」
その後、辺さんの指示で会社に報告し、本格的な調査が始まった。すると、すぐに真相が明らかになった。吉岡部長はリモートデスクトップ機能を使って、俺のパソコンに遠隔操作でアクセスしていたのだ。俺が企画を開いている時に、スクリーンショットを撮って、そっくりそのまま同じ内容のものを作り上げていた。
「なるほど。だからパソコン周りを調べても、証拠が一切出てこなかったのか」
「ただ企画をそのまま発表するのは露骨すぎる。だから鉄さんの企画を少しだけ上回るようにブラッシュアップして、自分の企画書として公表した。そういうことじゃな」
「ずるすぎるやろ」
「大嫌いや」
さらに調査を進めると、吉岡部長の不正は今回だけではなかった。過去にも似たような事態が、少なくとも五年間は横行していたことが分かった。明らかに自分の実力で企画を立てていた頃の役職までは遡れるが、その後は他人の手柄を横取りする方法で評価を得ていたのだ。
「過去に遡って調査が必要ですね」
「そんな、そこまでするんですか?」
「するに決まってるでしょう。これだけの高等犯罪が許されるわけがない」
吉岡部長は降格処分となった。まさかの二段階降格だ。そして結局、自分の力で企画を考える力を失っていた吉岡部長は、何も浮かばなくなってしまい、周囲の視線にも耐えられなくなって、自ら会社を退職した。
一方、俺はというと、企画した焼肉弁当が見事に当たって、部長に昇進した。今日は第二、第三の商品を開発すべく、企画立案中だ。
「とんでもない方でしたね」
辺さんがコーヒーを片手に話しかけてくる。
「考えることをやめると、人は瞬時に劣化するものだな」
「そうですね。でも、考えなくても成果が出る楽な方法を知ってしまったら、その誘惑に負けるのは吉岡部長だけじゃない。誰にでも誘惑に屈する可能性があるから、そうならないよう、自分の力こそが最大の武器と思える、誇れる人生を歩まなくちゃいけませんよね」
辺さんはそう言って、いつものように飄々と笑った。
俺はパソコンの画面に向き直り、新しい企画のアイデアを打ち込んだ。今度はどんな弁当を作ろうか。考えることは、楽しい。自分で考えて、自分で形にする。それが一番難しいけれど、一番価値があることなんだと思った。
焼肉弁当の成功で得た教訓は、他人のものを盗むような真似をしなくても、自分の力で勝負すれば必ず道は開けるということだった。吉岡部長のように楽な道を選ぶこともできたかもしれない。でも、そうしなかったからこそ、今の自分がある。
俺は今日も、新しい弁当の企画を考える。そして、いつかまた誰かが俺の企画を盗もうとしても、その度に自分が上をいく企画を作ってやればいい。それが俺の、トラブルバスターズとしての生き方だ。
