十二月の冷たい朝風が吹く頃、私はキッチンでコーヒーを淹れていた。インターホンが突然鳴り響き、玄関を開けると、そこには目を真っ赤に腫らした義理の妹が立っていた。「おはようございます。すみません、朝から。あの、頭金の500万円なんですけど、いつもらえるんですか?」え?500万円?何の話?そんな約束、した覚えもない。夫を呼んでも「俺も初めて聞いた」と言うだけ。義母に電話すると「お兄ちゃん夫婦が出し…

十二月の冷たい朝風が吹く頃、私はキッチンでコーヒーを淹れていた。インターホンが突然鳴り響き、玄関を開けると、そこには目を真っ赤に腫らした義理の妹が立っていた。「おはようございます。すみません、朝から。あの、頭金の500万円なんですけど、いつもらえるんですか?」え?500万円?何の話?そんな約束、した覚えもない。夫を呼んでも「俺も初めて聞いた」と言うだけ。義母に電話すると「お兄ちゃん夫婦が出し...

十二月の初め、冷たい朝風が吹く頃だった。私はキッチンで朝の支度をしながら、今日の予定を頭の中で組み立てていた。共働きの夫婦にとって、朝の数十分は貴重な自分の時間だ。コーヒーを淹れていると、突然インターホンが鳴り響いた。こんな早い時間に誰だろうと玄関を開けると、そこには義理の妹、つまり夫の弟の妻が立っていた。目を真っ赤に腫らし、今にも泣き出しそうな顔をしている。

「おはようございます。すみません、朝から。あの、頭金の500万円なんですけど、いつもらえるんですか? お母さんから聞いてますよね? 」

いきなり何を言われているのか全く分からず、私はただ呆然とするしかなかった。

「え? 500万円?

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何の話? 」

「もう、来週に迫ってるんですよ! 新築マンションの契約が! お母さんから、お兄さん夫婦がお金を出してくれるって聞いてたのに、全然連絡がないからいても立ってもいられなくて、わざわざ来たんです!

彼女は半泣きでまくし立てる。しかし、私はそんな約束をした覚えは全くない。心当たりがなさすぎて、逆にホラー映画でも見せられているような気分だった。私は慌てて夫を呼んだ。

「ねえ、ちょっと来て! 弟嫁ちゃんが、500万円出す約束をしたって言ってるんだけど! 」

リビングから出てきた夫も、妻の剣幕に目を丸くする。

「何の話? そんな約束、した覚えもないし、俺だって今初めて聞いたぞ。」

夫がそう言うと、義理の妹はさらにパニックに陥った。

「お兄さんが500万円出してくれるって言うから、私たち購入を決めたんですよ!

契約が迫った段階で知らないなんて、そんなことありえません! お母さんだって、お兄さん夫婦が出してくれるって言ってましたし、約束は守ってもらわないと困るんです! 」

夫婦揃って顔を見合わせる。本当に心当たりがないのだ。これは何かの勘違いか、誰かが勝手な話を広めているに違いない。夫が義母に電話をかけると、あっさりと繋がった。

「あら、こんな朝早くにどうしたの? 」

「母さん、ちょっといいか。今、弟嫁が家に来てるんだけど、マンション購入の頭金に500万円をいつもらえるのかって言ってるんだ。俺はそんな約束をした記憶がないんだけど、母さん、何か知ってる?

電話の向こうで、義母が困ったような沈黙の後に言った。

「あら、そうなの? だって、弟君がちゃんと聞いてるって言うから。お兄ちゃんと話はしてあるから大丈夫って。私、てっきり兄弟同士で話し合って決まってることだと思ってたわよ。」

「いや、そんな話は一切ないよ。弟がマイホームを買いたいみたいな話を聞いたことはあるけど、俺がお金を出すなんて言ったことなんて一度もない。」

「え、そうなの? でも、あの子ったら『困った時には助けてやるってお兄ちゃんが言ってた』って、もう決まったような言い方だったのよ。それに、車を買う時だって助けてあげたじゃない。だから、今回も同じように協力してくれるのかと思ったの。」

夫が深くため息をついた。

「母さん、それは車のローンの保証人の話だよ。あの時だって、勝手に話を進められてかなり困ったんだ。それを今回も同じようにするってのは、話が違うだろ。それに、500万円の現金と車のローンの保証人は全然重みが違うんだよ。」

「そうよね、そうよね。私もあの時は『うちは年金暮らしだから、あなたたちに現金は出せないわよ』って最初に断ったのよ。そしたら『兄貴夫婦が協力してくれるから大丈夫』って言うから、そうなんだって、てっきり。あなたもマイホームを持てて良かったわね、ってお祝いの言葉をかけたい気持ちだったの。」

「母さんのせいじゃない。でも、今後は弟の話を鵜呑みにしないで、ちゃんと確認を取ってから話してほしい。こういうのに巻き込まれるのは本当に御免だから。」

夫は電話を切ると、どっと疲れたようにソファに崩れ落ちた。話が見えてきた。義理の弟は、自分たちの話を大げさに母に吹き込んでいたのだ。それに乗せられた義母も、孫の顔が見たい一心で、息子の言葉を疑おうとしなかった。

「ねえ、あの時、車の保証人になった時も、何か変なことがあったんでしょ? ちゃんと説明して。」

夫はうなだれたまま、話し始めた。

義理の弟は、いわゆる「社会に縛られたくない」と言って、フリーター生活を続けている男だった。せっかく新卒で就職した会社も、研修期間の途中で辞めてしまい、それからはいろんな職を転々としながら、その日暮らしの生活を送っていた。私たちの住む地域は車がなければ生活できない場所で、1人1台は当たり前。車は生活の足、いや命綱と言ってもよかった。その弟が乗っていたのは、夫が買い替える時にタダ同然で譲った古い車で、それが度々故障するようになってきた。

修理代もバカにならない。それが嫌になったらしく、弟は新しく車を買おうと思い立った。当然、正社員としての勤務経験もろくにない弟には、ローンを組むことなどできなかった。そこで彼が考えたのは、兄に保証人になってもらうことだった。夫は渋々、連帯保証人になった。そして、その時に義母に言ったのだ。「お兄ちゃんは何とかしてくれる人だ」と。以来、義母の中では「長男夫婦は困った時に助けてくれる人」という図式ができあがっていたらしい。

「あの時、車の件で『ヒヤッとした』って話したよな。あれはこういうことなんだ。今回も同じパターンだろうけど、きちんと事実確認をしないと、どんどん舞い込んでくるぞ。」

夫の言葉に、私は深くうなずいた。しかし、それは私も含めて本当のことだった。話を総合すると、弟夫婦は「お兄ちゃん夫婦が500万円を出してくれる」という前提で、新しいマンションの購入を進めていたようだ。頭金が足りないから、契約ができない。誰かが、事実も確認せずに話を鵜呑みにして、とんでもない話が独り歩きを始めていたのだ。

翌日、夕方のこと。今度は義両親と義妹夫婦が、私たちの家に押しかけてきた。義母は気まずそうに、義父は呆れた顔で、義妹は怖いもの見たさか、キョロキョロと周囲を見渡している。リビングに通すと、義妹夫が口を開いた。

「兄さん、悪いな。話が食い違ってるみたいだから、ちゃんと話をつけたいんだ。」

夫が「ああ」と短く返す。

「で、500万円ってどういうこと?

俺は一度もそんな話をした覚えがないけど。」

「いや、それがさ。俺も母さんと話してて、兄貴夫婦が協力してくれるって聞いてたもんだから、つい信じちゃって。」

「誰がそんなこと言ったんだ? うちの夫が? とても言うとは思えんが。」

私が口を挟むと、義妹が小さな声で言った。

「お母さんが、お兄さん夫婦が助けてくれるって言ってたから。」

義母がビクッと肩を震わせた。

「だ、だって、あんたが『お兄ちゃんに頼れば大丈夫』って言うから… 。」

「母さん、俺は一度もそんなこと言った覚えがない。言ったのは、車のローンを何とかするって時だろ?

あれだって、無理矢理保証人にされたんだよ。俺はいつも、弟の話を鵜呑みにしないでって言ってただろうが。」

義父が重い口を開いた。

「まあ、話が大きくなってしまったことは、確かだな。弟、お前はどう思うんだ。これは本当に貰える話だと思って動いてたのか? 」

珍しく義父が息子を叱る口調になった。義弟はソワソワしながら答える。

「だって、お袋が『貰えるって言ってた』って言うから。俺もマンション買ったら、孫の顔を見せられると思って… 。」

「そんな話は聞いていない。」

夫が冷たく言い放った。

「俺はお前のローンを保証しただけだ。500万円なんて、こっちだって簡単に出せる金額じゃない。共働きで必死に働いて、やっとの思いで生活しているんだ。汗水流して働いた金を、何だと思ってるんだ。」

リビングには重い沈黙が流れた。義妹は今にも泣き出しそうな顔をしている。義母は何度も「ごめんね」と謝っているが、それで解決する話ではない。

「いいか、よく聞け。俺もお前の嫁も、お前たちに500万円を渡す約束なんて、一度もしたことがない。マンションを買う自由はあるが、それはあくまで自分の力でやることだ。親の脛を齧るつもりなら、せめて事実確認をしてからにしてくれ。」

夫の怒りは収まらない。話し合いはそのまま平行線を辿った。義父母は何とか丸く収めようとしているが、肝心の義弟夫婦が「では、どうするのか」という態度で、まったく議論が噛み合わない。

「それじゃあ、やっぱり貰えないってことですか? 」

とうとう義妹がポツリと言った。

「俺たち、今からどうしたらいいんですか?

契約は迫ってるし、頭金を用意できないと解約金が発生するんですよ。」

「それは、こっちの知ったことじゃない。勝手に話を進めたのはお前たちだろう。自分たちで何とかするしかないだろ。」

夫がそう言い切ると、義父母も黙ってしまった。事実を突きつけられて、何も言い返せない様子だ。

「もう二度と、こんなふうに嘘や思い込みで話を作らないでくれ。家族だからって、何で許されると思うなよ。今回のことで、お前たちの本当の姿を見た気がする。」

私が静かに付け足すと、義弟夫婦は顔色を真っ青にして下を向いた。帰り際、義妹が読めない目で私たちを見て言った。

「分かりました。もう二度と、お金の話はしません。」

そう言い残して、彼らは去っていった。義母は何度も振り返り、何か言いたそうだったが、結局何も言わずに家を出て行った。

その後のことは、結果的に彼らの自己責任として処理された。マンションは契約を流す代わりに、違約金を支払って何とか納めたらしい。義弟の車も、あれからすぐに壊れてしまい、今は兄である夫が「社用車があるから」と、軽トラを一台乗るように貸していた。しかし、それも完全な好意ではなく、月々の支払いをきっちりと立て替える形で、新しい関係を築き直しているように見えた。

家族だからと言って、何でも許されるわけではない。事実を確認せず、聞きたいように聞いて、人を都合の良いように利用することの代償は、お互いの信頼関係を確実に削っていく。あの時の「500万円」という言葉は、私たち家族の人間関係に、深くて冷たい亀裂を残した。そして、その亀裂を埋めるために必要なことは、お金ではなく、誠実な対話なのだということを、みんな心のどこかで理解しているけれど、なかなか日常は忙しくて、つい後回しにしてしまいがちだ。玄関の鍵を閉めた後、私たちは何も言わずに、ただリビングでコーヒーを飲み直した。