母さんと娘に拉致られた日、優しく微笑む妊娠した女と対面し、夫の土下座で離婚を突きつけられた私はなぜ、こんなにも堂々と義母と浮気相手が自分を囲んでいるのか。夫からの修羅場で浮気が発覚した後のどんでん返し。若くて可愛い女の子が私に向かって笑うのです。私の復讐は、まさかそこから始まるなんて、この時はまだ知らなかった。思わず笑みがこぼれてしまうほどの。何せ私は昨年、夫の母、同居していた義母の遺影の中の誰かではなくて。つまり、本当のことを言うと、私は義母にバラしてやったのです。すべてを。私が何を言っているのか、さっぱりでしょうが、ある日突然、長年連れ添った夫から離婚だと言われて、しかも夫と同居する義母にまで、ね。あなたも女なら、この気持ち、分かってくれるでしょう? あの日の私は、感情は無力だと思い知らされました。泣きもせず、喚きもせず、ひたすら夫と義母に冷たい目を向けたものです。そんな私に、義母の姉の夫の甥、つまり夫のいとこに当たる縁者が話しかけてくるまでは。何でも、私の顔色が悪いのを心配して声をかけたらいい、と。いえ、実際に声をかけたのは、その人の妻の方でした。まるで私の気持ちに気づかないふりで。いいえ、気づいていてそう言っているのでしょうね、きっと。女ですもの、分かります。妻の存在を無視して私に関わってくるのです。夫が、いえ、この際、元夫でいいわ。元夫の実家へ顔を出すたびに、この男、いえ、義理の家族は私をいじめ抜くのです。掃除がなってないだの、夕食の支度をしないだの。近所づきあいもろくにできないだの。私が折れるまで、しつこく文句を言う。夫は大体、妻の味方だと言い張って、私が義母の我慢ならない態度に何か言おうものなら、必ず母の悪口を言うなと怒鳴るのです。食卓のど真ん中で、笑顔で犬のフンだの何だのと。そういう家族なのよ。その家族と、この期に及んでも一緒にいなければならないのかしら。私から血を抜く男、義父に、息子をたぶらかす女と書いて、その愛人は妊娠までしていると言うじゃない。夫は嬉しそうに私に言ったのです。お前にもやっと縁談の話が来たぞって。自分は若い愛人に子どもができたから、今度こそ私と離婚すると言うのです。
いいえ、状況がのみ込めなかった。私は目の前で夫の母親が、何やら書類を出しているのを見つめた。私は嫁として、ちゃんと働いていた。そう、経理のパートと家事を一人で全部こなして、それでも夫は私を認めてはくれなかった。義母は知っているはずなのに。私が夫の身の回りのものをどれほど大切にしていたか、仕送りがどれほど大変か、経理の仕事で数字が頭から離れない夜もあったのに。それを、浮気相手だか何だか知らないけど、若い女に産ませた子供とやらがかわいい余り、笑いながら私の目の前で。何が悲しくて、夫と義母、それに後妻の女の前で、私が握りしめた離婚届を見せつけられなくてはならないの。渡されたのは、夫が三回も離婚届を突き返してきた男の。あなた、バカね。私が残した夫の子を勝手に下ろすはずがないでしょう。私は何もかも知っているのですよ。あなたがパソコンで残した妊娠の記録も、携帯の待ち受け画面も。あなたは言ったはずよ、私を裏切ったらどうなっても知らないぞって。ねえ、健一。あなた、自分のしたことを、私、いえ、私たちに、一生謝りなさいよ。
さあ、今すぐ、お義母さんにも分かるように。どうやら私が思っていたより、この家の旦那さんですね、いえ、私の夫は、家のローンを滞納していて、差し押さえも近いらしいわよ。それなのに、夫の妹は、私が遊んで暮らしていると言いふらしてまわって、職場にまで電話をかけてきたらしいの。ああ、もう、そんな顔で嫁の私を見ないでちょうだい。この程度でメソメソしていたら、やっていられないわ。義実家の家族は、みんなして私の噂をする。一体、この家で女が働いてもいないくせに。今度こそ、ブチまけてやる。息子さんは、四年前から、会社の同僚と不倫関係で、しかも、その女、あなたも知っているでしょうと、言ってやったのよ。私はいきなり血の気が引くのを感じた。義母の肌の色が変わる。あの日、私はこの日のために、ずっと復讐の機会をうかがっていたのだから、しっかりと義母を見つめた。そうよ、私は全部言うと決めたのよ。さっきの言葉を聞いて、あんた、私がどれほど悔しかったか想像してみなさいよ。今までの仕返しに、今日まで夫の母の前でキスされても、自分の名前も言わないで、頭を下げてきたの。
私、ママの気持ちを全然考えてあげられなくて、ごめんね。家を出たがらない私を、夫は抱き締めもせず、ただ怒るばかり。テーブルの上にはお茶も出さないで、夕方から酒のつまみを用意して、夫はひとりで飲み始めた。お前の機嫌を取るために帰ってきたんじゃない。お母さんにこの指をやったらどうなんだ。こう言ったのは、他でもない、私の夫、ねえ、光代。ふと横を見ると、義母が神妙な面持ちで私の顔を見つめていた。まあ、その、さっきの話だけど、まだお前は若いし、子どもを授かることもあるかもしれないよ。うん、俺もそう思うわ。夫がうなずいた。私はもう何も聞きたくなくて、その場に立ち上がると、じゃあ、そういうことだから、とだけ言って、自室にこもった。何年ぶりかで夫に手を挙げた。
信じていたのに。あなただけは違うと思っていた。裏切るなんて。涙が止まらない。お前のせいで、僕は仕事を失った。怒鳴る夫。会社には、お前の素行が原因だって、はっきり言われた。よくもやってくれたな。夫は線路に突き飛ばした、いえ、違う。私が手を出したんじゃない。目の前が真っ暗になった。気づけば、私は夫に掴みかかっていた。激しい音がして、隣で義母が悲鳴をあげる。お願い、やめて。そう叫ぶのが聞こえた。ああ、私は何てことをしてしまったんだろう。走り出した脚。一秒でも早く、ここから遠くへ。息が苦しい。涙だけが、あとからあとから溢れてくる。気づけば、私は闇の中にいた。短い茫然自失、正気に返った。周りが暗い。アパートの一室に並ぶ、見知らぬ人々。奥には、男性が数人、こっちを見て笑っている。私は、いつの間にか、夫の差し出した血の通った、生きている腕を掴んでいた。その手のひらから伝わる、温かい感触に、私は恐怖で悲鳴をあげそうになる。これは現実を見せられているのだ。義母さんの言うことは、ある意味正しいのかもしれない。私が耐え忍ばなかったから、この結果。ですが、それを私に直接言えばいいものを、あなたまでも、その人の味方をするのね。返す言葉もありません。そう言って、私は崩れ落ちるように、その場にうずくまった。
お義母さん。自分で言っておいて、何ですけど、冷静さを失っていた。大声で泣きわめく嫁を、義母は、ただ呆れたように見下ろしている。やっと分かったか。お前は昔からそうだ。我慢を知らない。きっと、お前の親のしつけのせいだな。そんな言葉が、頭の上から降ってくる。ああ、私はなんて馬鹿なことをしたんだ。しかし、何度言われても、その言葉が、自分に刺さるよりも、お義母さん、と私は幼い頃のように呼びかけ、あまりの頭の痛さに、顔を上げることができないでいた。やがて、ずびずびという鼻をすする音が、泣き声は、次第にすすり泣きに変わった。不意に、頭の上で、お義母さんが、はあっと何かを諦めたように、ため息をつく気配がした。自分が泣き出すことによって、もう分かっただろうが。年中行事の竹取って、しつこいの。ざっと涙を手のひらで拭って、強情な人ね。まだ、他人の物を盗むのは、よくないって諭される、そう信じていた。日曜の朝に。仏壇に手を合わせて。普段はあれだけ威張っているのに、所詮は女だ。でも、それも今日まで。ほどなくして、私の役目も終わる。後片付けをしながら、そうっと涙をぬぐう。父の目は、まるで、私の存在を見透かすように、こちらを見ている。お前、また余計なことをしたな。姉の声が、部屋に響く。何のことを言ってるのかしら、あたし、何もしてないわよ。天井を眺めたまま、私はしらを切る。
