高級寿司屋での食事会で、取引先の社長が突然現れた。酒に酔った彼は、店中に響く声で「お前の工場なんて潰すのは簡単なんだよ」と笑いながら言い放ち、自分の飲食代30万円の支払いを俺に要求してきた。断ると、今度は「お前との取引は打ち切りだ」と怒鳴り散らす。20年間耐えに耐えてきた俺は、もう限界だと思った。そして俺は、あの男が絶対に知らないであろう、ある切り札を握っていた。彼がこの日、自分で自分の首を…
「お前、いつまで正談に時間かければ気が済むんだ?」 相原さんは、いつものように雑な口調で俺にそう投げつけた。俺の工場の大口取引先であり、一番の納品先でもある自動車部品メーカーの担当者。俺よりいくつか年下だが、立場ははるかに上だ。 俺、野田竜二、45歳。地元で自動車部品製造工場の二代目社長を務めている。親父が一代で築き上げたこの工場を、俺が守っていかなければならない。 「下受けのくせに贅沢言うもんだね」 相原さんの口癖は「下受けのくせに」だった。初対面の時からずっと、乱雑でフランクすぎる物言いで、俺に仕事の重要な話を投げつけてくる。この日も真規な部品製造に関する案件でとんでもない金額を提示してきていた。さらに現在製造中の部品の納期を2ヶ月短縮しろと無理を言う。最後には、よそが泣き事を垂れた無理な案件を俺にやらせようとしてきた。 「あんたはただ俺の言うこと聞けばいいのに」 そう言われても、俺は最大限の歩み寄りを見せるしかなかった。大口取引先を失うわけにはいかない。この町のピラミッドのような序列の中で、下受け工場の社長である俺が波風を立てれば、女列が崩れかねない。俺はとにかく耐えるしかなかった。 「坊っちゃん、苦労するね」 父と同世代のベテラン職人が、相原のご機嫌取りで消耗した俺を労ってくれた。 「相原さんもお坊っちゃんなのに、どうしてあんな人なんだか」 「親の坂かもしれないですね」 「そんなもんだか。人はまず親の姿を見て育つんだからね」 ほがらかに笑う職人さんを見ながら、俺はこの人たちを守らなければと強く思った。 今から約20年前、常に現場の戦闘に立ち続けた親父が過労で倒れた。脳梗速で、話すことも体を動かすこともできなくなった親父。泣きっぱなしの母。その姿を見た俺は、大学進学という自分の将来設計を変えることにした。 「俺、もう予備校には行かないよ。大学には行かないことにした」 「そんな気遣い?」 「気遣いじゃない。これから先に行くよりも、家のためになることがしたいんだ」 俺は放課後から工場に出て働き始めた。職人さんたちに揉まれ、親父が退院してからはより厳しく指導された。ビジネスマナーは事務職員さんが徹底的に仕込んでくれて、高校卒業前に電話対応をマスターして褒められた思い出がある。周囲が俺を二代目として一生懸命に育ててくれたのだ。 親父が倒れてからおよそ20年後、俺は正式に二代目社長として工場を引き継いだ。父を支え育ててくれた優秀な職人さんたちが残ってくれたのが何よりありがたかった。俺がずば抜けて仕事ができるわけではない。工場を成長させてくれたのは、いつだって彼ら職人さんたちだ。 「皆さんには本当に苦労ばかりさせています。僕は社長として今一つとしか言いようがない」 そう頭を下げると、職人さんたちはそれぞれ周りをコブし出した。 「まあ、うちならどうにかできるさ」 「仕事ってのは人筋縄じゃいかないからな」 困難を前にしても職人魂を燃やすその姿勢に感謝しながら、俺はまた相原さんの顔を思い浮かべてため息をついた。 ある日、母から業界のニュースを聞かされた。 「相原さん、ついに社長におなりになるんだって」 「そうか。それはそれは」 「社長になったら少しは人が変わるかしら」 「より王平になるかもね」 俺は母と笑えない冗談を飛ばし合った。しかし、その予感は的中した。正式に社長となった相原さんは、それはもう絶好調で、うちに来るとぐちぐちと文句ばかり言うようになった。 「あの程度の納期短縮もできないとはね。お前、本気で仕事してる? 世の中舐めてるでしょう」 同業他者の知り合いからも、相原さんはどこへ行っても二言目には文句が口をつく男だという噂を聞いていた。自分がいかに偉いか、どれほどすごい仕事をしてそれを分け与えているかを、感謝されるのが当然だと思っているらしい。うちはまだマシな方なのだろう。俺が真正面から真面目な言葉を返すと、相原さんは不服そうに鼻を鳴らして帰っていく。そんな会話を繰り返しながら、毎日が過ぎていった。 そんなある日、週末の夜に俺は解食に出かけた。詩人と大事な仕事関係者を交えての、軽い食事会。場所は町で一番の高級店と言われる寿司屋だった。美味しい寿司をつまみながら、前向きに今後に向けて話はまとまり、いい一日を締めくくるつもりだった。 しかし、そこで俺の視界に相原さんの姿が入った。あちらも俺に気づいたらしく、真っ赤な顔でこちらに向かってきた。酔っているようだ。 「あんた、こんなところで何してるの?」 抑性の効かない大声で絡んでくる。どうやら相原さんは相当な酒癖の持ち主らしい。 「ここ、どんな店か知ってる? 知らないよな。あんたが来れるようなところじゃないもんな」 「いえ、素晴らしいお店ですよね」 「そのぐらいは分かるのか。ま、それも分からないと救いようもないもんな」 「私もこの町の者ですから」 「ああ、そういうことね」 俺は早く離れたかったが、相原さんはしつこく絡んできて、工場と仕事への文句や取り止めのない自慢を延々と続けた。そして、ボルテージが上がりきったのか、店中に響きそうな大声で暴言を吐いた。 「だが、貧乏工場の社長がいい気になりやがって。あんたごときがこの店に来れるのは、俺が仕事をさせてやってるからだよな。なあ、おい、感謝しろよ」 噂に聞いていた下受け工場への感謝の強要が、最悪の形でやってきてしまった。俺が困っていると、相原さんはくどくどと続ける。 「俺はあんたの工場にとっては大事な社長様だろう。俺はな、自分の会社の全てを握ってるんだよ。あんたの工場との契約なんて、吐いて捨ててやるのも簡単なんだ」 「それは何卒ご容赦を」 「ああ、それは分かってるのか。じゃあ、これ払ってくれる? 勉強代」 そう言って相原さんは自分の飲食代の迷彩を差し出してきた。学面は30万円ほど。さすがにそれはないと断ると、相原さんは瞬時に目を吊り上げて怒り狂った。 「てめえ、断るの?」 「それはさすがに」 「正談も金にこだわる。だから貧乏人なんだよ。人から金取ることばっかり考えやがって」 「いえ、そういうことではないでしょう」 … Read more