家に帰ってきて、ももこからハートのラッピングがされた箱を渡された瞬間、頭が真っ白になった。バレンタインのチョコだとすぐに分かったけど、まさか私に渡されるとは思っていなかった。だって、ももこは最近ずっとキッチンで何かを作っていて、みなちゃんが「お姉ちゃんは好きな人にチョコをあげるんだ」と言っていたから、私はてっきり誰か他の人に渡すのだと思っていた。なのに、箱には私の名前も書かれていない。ももこ…

手元のチョコの箱を見ながら、俺は頭が真っ白になっていた。たった今、ももこに手渡されたそれは、ハートのラッピングが施された、いかにもバレンタインのチョコレートといった箱だ。 え、じゃあ、このチョコは。 そうだよ。たっちゃんにあげようと思って、ずっと練習してたの。 だって、みなちゃんが、ももこは好きな人にチョコをあげるんだって言うから。 もう、鈍いなあ。 ももこは完全にすねて、横を向いてしまった。つまり、ももこの好きな人というのは、この俺ということか。俺は内心パニックになって、何と言っていいのか分からなかった。 あなた以外に、あげたい人なんていないよ。 俺の名前は篠原達典。大学を卒業する頃に両親を事故で失い、今は一人暮らしだ。家族が住んでいた実家にそのまま住むのは寂しくて、犬を飼うことにした。それが柴犬のきな子だ。 きな子がうちに来てから、もう七年になる。子犬の頃はやんちゃで世話が大変だったが、今はすっかり落ち着いた、賢い家族へと成長した。俺の生活の癒しは、きな子だけだ。 大学を卒業して就職してからも、俺はこの実家に住み続けている。この家を売って小さな部屋に移ることもできたが、父さんや母さんとの思い出が詰まったこの家を手放す気にはなれなかった。 夕方になると、きな子は散歩の時間だと分かっているのか、リードを俺のところまで持ってくる。 よし、散歩に行くか。俺の遊び相手はお前だけだな。 俺たちは毎日、川沿いを一時間ほど散歩していた。きな子はもう七歳。人間の年齢で言うと、もう五十近いらしい。確かに、子犬の頃よりは歩くスピードも落ちてきた気がする。 きな子、長生きしてくれよ。お前までいなくなったら、寂しいからな。 そんな独り言を、きな子が聞いているのかいないのか。家に戻って夕飯の準備でもしようかと冷蔵庫を漁っていると、スマホの着信音が鳴り響いた。 誰だろう。見ると、知らない番号からの電話だった。 もしもし。どちら様ですか。 おお、達典。元気か。 向こうは名乗らなかったが、聞いたことのある声だった。 あ、おじさん。久しぶりです。 亡くなった父には、年の離れた兄がいた。両親が亡くなった時、いろいろな手続きで世話になった人だ。 お前、ちゃんと暮らしてるのか。 はい。まあ、なんとか。おじさんも元気ですか。 すっかり年を取っちまって、ヒーヒー言いながらなんとか暮らしてるよ。 おじさんは笑いながら言った。ところが、急に声のトーンが下がった。 ところでなあ、急なんだが、お前に頼みがあるんだ。 何ですか。 おじさんが俺に頼み事をするなんて、初めてのことだった。 お前、親戚のももこちゃんたちを覚えてるか。 ももこ。確かに、名前は聞いたことがある。うちの両親は兄弟も多く、親戚は名前が覚えられないほどいる。だが、集まりも頻繁ではなかったから、深い付き合いのある人はいなかった。 うん。なんとなく。 下に、ちっちゃい妹もいなかったか。 そうだ。みな、まだ小学生だよ。その二人の親が、最近亡くなったそうなんだよ。二人とも、施設に入るそうなんだがな。 施設。そうなんだ。 俺は自分と同じ境遇の二人に、一瞬で同情心が湧いた。 お前、暮らしに余裕はないか。 え。 叔父の質問は唐突で、意味が掴めなかった。 つまり、二人を引き取れないかという話だ。上の子はもう高校生だし、手がかからないだろう。下の子もしっかりしているよ。両親の保険金もあるようだから、学費とかはそれで賄ってもらえれば。 ちょ、ちょっと待ってよ。おじさん、俺がその二人を育てるってことですか。 無理ならいいんだよ。ただ、あの子たちがかわいそうでね。同じような経験をしたお前なら、気持ちを分かってあげられるんじゃないかと思ってな。俺もできれば引き取りたいが、何せもう年を取ったし、今は年金暮らしで生活に余裕がない。他の親戚にも聞いてみたんだが、まだ幼い子がいたり、俺のように年を取った者ばかりで、みんなダメだったんだよ。 おじさんは電話口でため息をついた。 でも、俺、あの子たちとほとんど話したこともないしな。高校生と小学生の女の子なんて、どうやって接したらいいか。 お前は知らないかもしれないが、お前の両親はあの二人をかわいがっていたんだ。あの二人にとって、お前はその両親の息子だと言えば、きっとお前のところに行きたいと言うと思うぞ。 そうなんだ。知らなかったよ。 俺は、自分が両親を亡くした時のことを思い出していた。もう大学生だったけれど、突然家族を失った時の悲しみは、例えようのないものだった。俺にはこの家が残っていたが、そういう問題ではなかった。もうすぐ一人暮らしをするというタイミングではあったが、急に一人になった俺は、立ち直るのにずいぶん時間がかかった。 しかし、そうは言っても、これはとんでもなく責任の重い話だ。自分でもどうしたらいいか分からないが、このまま断っては、その二人を見捨てるようで心が痛んだ。 分かりましたよ、おじさん。 俺はそばに寄ってきたきな子を撫でながら答えた。きな子も、背中を押してくれているのだろう。 そうか。ありがとう。 おじさんだって、こんなことを頼むのは勇気が要っただろう。俺は電話を終えて、子供たちを迎える準備を始めた。 よし、きな子。買い物に行くぞ。 女の子に必要なものなんて、俺にはよく分からなかった。インテリアショップに行って店員さんに勧めてもらったものを買い、二人が喜んでくれるような部屋にしようと、必死に模様替えをした。家具の組み立ては得意ではないし、初めてのことだからかなり時間がかかった。それでも、両親を失って悲しんでいる二人に、少しでも安心して暮らしてほしいという思いで頑張った。 そして、週末の午前中、二人がうちにやってきた。 こんにちは。木下ももこです。こっちは妹のみなです。 … Read more

14 September 2026

Celeb WIVES who Exposed Their Husbands For Being Gay

A podcast interview in November 2023 sent shockwaves through Hollywood when a man who described himself as Will Smith’s close friend and former assistant of nearly 40 years accused the actor of having a sexual encounter with another man. The claim, made by Brother Bilal on the *Unwine with Tasha K* podcast, alleged that he … Read more

14 September 2026

Your Life as the Eunuch Who Owned Cleopatra’s Secrets

When the Roman orator and future emperor Octavian rose in the Senate in 32 BC to justify a war that would end the Roman Republic, he did not simply attack his great rival Mark Antony. He named four servants of the Egyptian court as the true enemies of Rome: Cleopatra’s hairdresser Iras, her lady-in-waiting Charmion, … Read more

14 September 2026

How did Ancient Humans Treat Disable Children?

For roughly a decade, a young man immobilized by a fused spine and paralyzed limbs was fed, repositioned, and kept clean by other members of his Neolithic community in northern Vietnam. He died between the ages of 20 and 30, around 4,000 years ago, after living with a condition that made independent survival biologically impossible. … Read more

14 September 2026

How Did Humans Create Astronomy?

Astronomy began not with a sudden discovery, but with a simple act of comparison: someone noticed that the sky did not stay the same, and then remembered what it had looked like before. The sun disappeared in one place and returned from another. The moon changed shape, vanished, and came back. Stars that filled the … Read more

14 September 2026

父の葬儀の最中、携帯が鳴った。画面には上司の山田さんの名前。嫌な予感しかなかったけど、出ないと後で何を言われるかわからない。通話ボタンを押した瞬間、耳を疑う言葉が飛び込んできた。「じじいの葬儀ごときで仕事を休むな。首にするぞ」。親父が亡くなったのは、たった昨日のことだった。入社して半年、ベンチャー出身の俺を山田さんはずっと見下してきた。それでも耐えてきた。でも、この一言で、俺の中で何かが完全…

「父の葬儀ごときで会社を休むな。首にするぞ」 その言葉が耳に入った瞬間、俺はスマートフォンを握る手に力を込めていた。ベンチャー企業からこの大手に転職してきた俺は、エリート意識の強い上司の山田に、入社してからずっと馬鹿にされ続けていた。実力もないくせに権力だけは振りかざす、そんな男の暴言に耐えてきた。だが、父の葬儀の最中にまで電話をかけてきて、この仕打ちだ。 「わかりました。それでは、そのように社長にお伝えしますね」 その一言を残して、俺は電話を切った。 俺の名前は小野幸介。この春からこの大手企業でシステムエンジニアとして働き始めた。物づくりが好きだった俺はプログラミングの専門学校に進み、卒業後は地元のベンチャー企業に入社した。そこは人数が少なく、コードを書くだけでなく、ディレクターのアシスタントや採用業務まで、ありとあらゆる仕事を経験させてもらえた。ひたむきに働くうちに、その経験が買われて、今の会社への転職が決まった。 「小野さんのように幅広く業務に携わってきた方が来てくださると、本当に助かります。ぜひ腕を振るってくださいね」 面接の時、社長はそう言って笑ってくれた。俺も期待に応えようと、心から思っていた。 転職先は大規模な事業をいくつも持っているが、これまでシステム業務は外注していた。それを本格的に社内で扱うことになり、中途採用で多くのエンジニアが集められていた。 入社初日、自分のパソコンをセットアップしていると、隣の席の男性が話しかけてきた。 「小野さん、よろしくお願いしますね。僕は松原と言います。何か分からないことがあったら、ひとまず僕に聞いてください」 松原さんはまんまるとした顔をほがらかにほころばせて言った。彼は数年前からこの会社のシステム部門で働いていて、社内のことはほとんど何でも知っているらしい。 「ベンチャー出身ってすごいですよね。ポートフォリオも拝見したんですが、いろんな案件を担当されていたんですね」 「いえいえ、まだまだですよ」 「うちは最近本格的に始まったばかりだから、これから小野さんの意見もぜひ聞かせてもらいたいなあ」 そんなふうに和やかに話していると、背後から硬い靴音が聞こえてきた。 「松原さん、さっきから何をこそこそ話しているんですか?」 振り返ると、開発チームのチーフである山田さんが立っていた。細い目で俺たちを睨みつけている。 「疑問があるならチャットツールで話せばいいでしょう。そんな時間があるなら開発を進めてください」 「ああ、すみません。わかりました」 「小野さんも、担当の案件をメールで送りましたから、セットアップが済んだらメンバーに内容を聞いて進めてください」 「はい、かしこまりました」 山田さんは「君たちもこの会社の生産性を上げていかないとなりませんよ」と付け加えると、くるりと向きを変えて奥の自分のデスクに戻っていった。その周りにいた社員たちは、誰も何も言わなかった。 チャットツールの設定が完了すると、すぐに松原さんからダイレクトメッセージが届いた。 「さっきのことは気にしなくていいですよ。山田さんはいつもああで、すぐに人に当たりますから。周りも知らんぷりしてるんです」 山田さんは大企業の開発職を点々とし、数年前にこの会社の開発部門として採用された。しかし、事業部の事情から別部署に配属されてしまい、長らく開発業務ができなかったのだという。そして最近ようやく開発部に配属されたかと思うと、これまでの苦労を盾に幅を利かせ始めた。自分に従わない人間を敵視したり、若いエンジニアを捕まえては自分の苦労話を延々と聞かせたりする。周りはもううんざりしているらしい。 その午後、トイレの場所を探して廊下を歩いていると、井戸端会議をしている山田さんの姿が見えた。思わず耳をそば立てると、山田さんは松原さんの言った通り、ブツブツと文句を言っていた。 「あの小野ってやつ、本当に大丈夫なのか?ベンチャーなんて、ただ年の近い仲良し小僧の集まりだろ。実力がなかったから、そこしか入れなかったに決まってる」 腹が立った。だが、今ここで飛び出していけば余計な角を立ててしまう。それに、どこにでもこういう人間はいるものだ。下に見られているのは、必要以上に高く見積もられるよりは気が楽だとも思った。 よし、絶対に成功して、あの男を見返してやる。 それから俺は前より一層気を引き締めて、毎日勢力的に働き始めた。 入社してから早くも半年が過ぎた。俺は最近、取引先に常駐してシステム開発を進めている。本社に戻ってきたのは、実に数週間ぶりのことだった。 「山田さん、お疲れ様です。常駐中の交通費の申請は、どのように進めれば良いでしょうか?」 山田さんは嫌な顔をして、棒読みで答えた。 「私がエンジニアになった頃は、交通費なんてなくても仕事ができただけでありがたかったですがね」 「そうでしたか。でも、面接の際に、会社にて負担すると社長からお聞きしました」 「はあ、そうですか。じゃあ、社長に確認しないといけませんね。内線繋ぐので、デスクに戻ってください」 え、社長に内線?こんなことで? 俺が驚いているうちに、山田さんはすぐに内線をかけ、あっさりとつないでしまった。俺は慌てて受話器を取る。 「社長、お忙しいところすみません」 「なんだ、これから大事な用があるというのに。緊急の業務だと聞いたが、手短に頼むぞ」 「いえ、緊急の内容ではございません。交通費の申請を」 「交通費?そんなの山田が聞いてくれればいいだろう。彼が緊急の報告があると言うから、取り次いだのに。人の時間を何だと思ってるんだ?」 「いえ、申し訳ございません」 電話の傍らでちらりと向こうを見ると、山田さんはもういなかった。山田さんが事を大きくしすぎたせいで、思わぬ大目玉を食らってしまった。 「山田さん、小野さんが叱られるように、わざと取り次いだんだなあ」 松原さんに愚痴を聞いてもらって、なんとか気持ちを収めた。しかし、これをきっかけに、山田さんはやたらと俺につっかかってくるようになった。 社長には翌日直接謝罪して事なきを得たが、大事にならなかったことが山田さんには面白くなかったのだろう。挨拶をしても返事はない。仕事中も、休憩に行くふりをしながら、何かと俺の画面を監視されている気がした。ある時は閉まっていた書類がデスクの上に散乱していたり、文房具がなくなったりもした。 「うわ、汚いデスクだなあ。仕事ができないのが丸分かりだ。部屋もさぞ汚いんだろうなあ」 山田さんが毎回、鬼の首を取ったかのように騒ぐので、職場の雰囲気も次第に悪くなっていく。今日も俺の書いたコードのレビューをしながら、彼は捲し立て始めた。 「こんな読めないコードを書いたのは誰だよ。ベンチャーでバリバリやってたんじゃなかったのか?」 「ですが、これはこういう仕様で……」 「証人でも立てるのか?そんなこと聞いてないんだよ。ごちゃごちゃわけのわからないことを言って、自分の行動が説明できないくらいなら、書類の片付けでもやってろよ」 そういった具合で、案件は一向に進まなかった。 そんな時、山田さんの案件でトラブルが発生した。オフィスは朝から騒がしく、現場は状況の確認に追われている。 山田さんが汗を流しながら、チームのメンバーに告げた。 … Read more

14 September 2026

「給料を上げないと全員やめます」——新入社員の佐々木が、十二人分の退職届を俺の前に叩きつけた。俺は宮本、三十歳。高卒で入社して十二年、総務部の主任だ。久しぶりに研修担当を任されたが、初日から彼らの態度は酷かった。スーツの上着を脱ぎ、スマホをいじり、俺を「おっさん」と呼ぶ。「一流大卒の俺たちに掃除させるのか」と悪びれもしない。三日目の夜、田中部長から衝撃の事実を聞かされる。「彼らは全員、俺の大…

新入社員のボス的な存在・佐々木が、全員分の退職届を握りしめて俺の前に立った。一流大学を卒業したばかりの若者たちが、そろいもそろって同じ要求を掲げている。「給料を上げないと全員やめます」。 俺は宮本、三十歳。大手広告会社の総務部で主任を任されている。高卒で入社して十二年目のベテランだ。久しぶりに新入社員の研修担当を任されたのは良いが、たった三日で俺は精神的に擦り切れていた。全員が優秀な大学を出ているというのに、研修中の態度が酷すぎる。そんな中での四日目の朝に、佐々木からあの言葉を投げられたのだ。 俺は一呼吸置いて、全員に一言だけ放った。その瞬間、新入社員たちの表情が一変する。その後、彼らはとんでもない結末を迎えることになる。 俺は幼い頃から絵を描くことが好きだった。小さな広告会社の外回りの仕事をしていた父と、パートで働く母との間に生まれた一人息子。人見知りな性格で、幼稚園の頃から集団生活に馴染めず、いつもクレヨンを持って隅っこで絵を描いていた。小学校に入ってもそれは変わらず、同じく絵が好きなケントというクラスメイトと仲良くなった。家も近く、幼い頃から一緒に遊んでいた。 母がプランターで季節の花を育てていたので、俺はその花の成長を絵に描いて記録した。やがて校庭の花や教室の窓から見える風景を、休み時間になるとノートに書き留めるようになる。他のクラスメートはゲームに夢中だったが、俺はいつも一人で絵を描いていた。父が家で英語を話す仕事をしていた影響で英語に興味を持ち、英会話教室にも通わせてもらっていた。 中学生になってもケントとは変わらず仲が良く、一緒に宿題をしたりした。高校は別々になったが、携帯のメールで絵を交換しながら連絡を取り合っていた。高校生になる頃にはビジネス英語も話せるようになり、父とよく英語で会話をして楽しむほどだった。父は俺の成長を心から喜んでくれていた。 だが高校二年のある日、父が突然交通事故で亡くなった。母からの電話で病院へ駆けつけたが、もう話すことのできない父に母は何度も名前を呼んで号泣していた。俺は現実を受け入れられず、ただ呆然とその場に立っていることしかできなかった。葬儀の後、小さくなってしまった父が祖父の墓に入る時、俺は涙が止まらず、ただ黙って手を合わせた。 母はしばらく落ち込んでいたが、パート先で正社員として働き始めた。母の姿を見て、俺は大学へ行くことを諦めた。ケントも家庭の事情で大学には行かないと言っていた。高校三年の進路選択の時期、ケントと将来のことを話し合い、一緒に求人情報を見た。そこで目に留まったのが今の会社だった。広告会社なら、得意な絵の才能を伸ばせるかもしれない。当時はまだ小さな会社だったが、ケントに話すと彼も面接を受けてみたいと言い、二人で内定をもらった。 入社後、俺とケントは同じ総務部に配属された。上司も良い人ばかりで、パソコンが得意な俺たちは資料整理をコツコツとこなしていた。やがて会社は成長し、五年目にはビルへ移転して大手広告会社へと発展していった。海外との取引も始まり、英語が話せる俺は海外担当となり、三十歳で総務部の主任を社長から任された。俺の絵の才能は特に発揮する機会はなかったが、会社は順調に大きくなっていった。 しばらく新入社員は入っていなかったが、今期から十二名の新卒が入ると人事部から連絡があった。田中部長から声をかけられたのは、その少し後のことだった。 「宮本君、今回の新入社員は一流大卒だ。研修期間は一週間だが、担当を任せたいのだが」 「かしこまりました」 こうして俺は新入社員の研修担当を任されることになった。これがすべての始まりだった。 研修初日。会議室で会社の概要を説明しようとしたその時、佐々木がいきなり声を上げた。 「あー、スーツなんて堅苦しくて着てらんねえ。みんな上着脱げよ」 女子社員たちも「暑い暑い。さっさと脱ごう」と言いながら上着を脱ぎ始める。俺はたまらず注意した。 「君たち、一応会社ではスーツを着ておくのが常識だよ。きちんと着てください」 「はあ。おっさん、学校じゃあるまいし」 おっさん呼ばわりされた。俺はため息を飲み込みながら言い返す。 「君たちから見ればおっさんかもしれないが、せめて苗字で呼んでくれ。俺には宮本という名前がある」 「いいじゃん。おっさんはおっさんなんだから。それに大学時代は学生服さえ着てなかったのに、スーツなんて」 「いや、それが社会人だよ。マナーとしてきちんと上着を着るように。営業に配属されればお客様とも会うことになるかもしれない。夏であってもマナーとして上着を脱ぐわけにはいかない」 「今は研修期間だからいいんじゃねえの?」 「そのための研修期間でもあるんだ」 「はあ。細かいこと言うね」 別の新入社員が鼻で笑う。 「宮本さんとか言ったっけ? 俺たちさ、一流卒だぜ。そんな底辺のバイトなんかしたことないし。バイトは家庭教師、それもネット越しだよ。スーツとか作業服とか着るわけないじゃん」 「……バイトの話をしているんじゃない。社会人としての常識の話だ」 しかし誰も聞く気配がない。結局、全員が上着を脱いだままの状態で研修を続けることになった。会社の概要や歴史を説明しても、全員が雑談を始める。 「この内容は会社の大切な話だ。雑談はやめて真面目に聞くように」 俺がそう言うと、しばらくは静かになったが、ホワイトボードで説明を始めると、ほとんどの新入社員がスマホを取り出し始めた。 「スマホは一旦置いてください。大切なことはノートにメモしていってください」 「え、ノート? どんな時代だよ。スマホに宮本さんの声を録音するだけでいいじゃん」 「そうだよ。なんでノートなんだよ」 「私、そもそもノートなんて持ってきてないし」 「後で全員に復習資料をまとめて提出してもらうから、ノートに書いてください。持ち物の中にメモかノートと書いてあったはずだが」 「うっかり忘れちゃったわ」 そう言う女子社員に、俺は仕方なくコピー用紙を渡した。初日はなんとか終わった。 二日目、俺は新入社員たちに総務部の清掃をしてもらうことにした。 「はあ? なんで俺たちが掃除すんだよ」 「緊急にコーヒーをこぼしたりした時のためだよ。掃除道具がどこにあるか案内するので、全員ついてきてほしい」 俺は掃除道具の部屋へ案内し、モップや雑巾などを配った。 「もうやってらんねえ。俺たちみたいなエリートが掃除だって」 「そうだぜ。俺たちは一流大学なんだぜ」 「どのようなエリートであっても、自分でコーヒーをこぼすこともある。社員食堂で食べ物をこぼしたら自分で片付けるのが常識だ。職場を清潔に保つのは当たり前のことだよ」 「はいはい。やればいいんだろ。やれば」 女子社員は「まさか私が掃除をさせられるなんて」とブツブツ言いながら、適当にモップをかけ始めた。掃除が終わると全員が道具を投げ捨てるように置いた。 「使った掃除道具や雑巾は、きちんと綺麗にしてから片付けること」 「そんなの掃除のおばちゃんがやってくれるでしょ」 「使ったものは自分で綺麗に片付けてください」 「全くめんどくせえな」 常識が通じない新入社員たちに、俺は呆れ果てた。三日目は社員用のパソコンを並べて資料整理をさせた。パソコンは得意なようで、キーボードを叩く音が会議室に響く。だが、また雑談をしながらだ。 … Read more

14 September 2026

Why Do Humans Forget Their Dreams?

You wake with an entire world still inside your head. A person was chasing you through a building that was also your childhood home. Someone you have not seen in 10 years was explaining something important beside an ocean located inside a supermarket. For three seconds, you remember everything. Then you reach for your phone. … Read more

14 September 2026

姑が亡くなり、四十九日の法要もまだなのに、夫が突然「お前、浮気してるだろ」と言い出した。十年間、寝たきりの姑を自宅で介護してきた私に、そんな暇があるはずもない。それなのに夫は「昨日、駅前で若い男と歩いてただろ」と勝ち誇った顔で言い放ち、「浮気する女とは離婚だ。おふくろの世話が終わった途端、堂々とデートか。お前はひどい女だな」と続けた。私はあまりの滑稽さに「あはは」と乾いた笑いしか出なかった。…

つい先日、義母が亡くなった。四十九日はまだ先だが、葬式の後片付けもようやく済んだところだ。新婚早々から始まった義母の介護の日々。義母は本当にいい人だったけれど、大変だったのも確かだ。長年背負ってきた荷物が下りてほっとしたのに、張り詰めていた日々が終わると、今さらのように寂しさや切なさが込み上げてくる。そんなある日のことだった。 夫が突然、お前浮気してるだろう、と言い出した。 は? 浮気なんてしてないよ。 私は義母を十年間、在宅で介護してきた。出張や残業と何かと理由をつけて家に帰らなかった夫とは違う。そんな暇があるはずがない。義母とは実の母以上に仲が良かったから苦ではなかったけれど、夫は私の言葉を一切信じようとしなかった。 嘘つけ。俺は見たぞ。昨日駅前で若い男と二人で歩いてただろう。随分ひょろひょろしたやつだったな。 ああ、あの人か。私はすぐに思い当たった。しかし夫は私が答えるのを待たずに、ほら、言った通りじゃないかと勝ち誇った。 浮気するような女とは離婚だ。おふくろの世話が終わった途端、堂々と浮気相手とデートか。お前はひどい女だな。 浮気をしているのはあなたでしょうとか、そんな暇なかったわよとか、言いたいことは山ほどあった。けれど私の口から出てきたのは、あはは、という乾いた笑いだった。 なんだ、笑うなんて頭おかしいんじゃないか。夫が険しい目で見てくる。まさか離婚したくないとか言い出さないよな。もうお互い愛情なんてないだろ。大体お前はさ、夫をつなぎ止める努力を全くしてこなかったんだ。化粧もしないし、おしゃれもしない。 夫が私の悪口を流れるように並べ立てる。私はそれを聞きながら、彼が自分のことを棚に上げているのが滑稽で仕方なかった。腹は立つが、聞く気にもならない。 分かったわ。離婚しましょう。 夫は目をぱちくりさせた。 だから、了解って言ってるの。離婚でいいわ。 確かに私は化粧もしてこなかったし、おしゃれもできなかった。でも、それは夫のせいだ。夫は給料を自分で管理し、生活費をほとんど入れようとしなかった。義母の介護があったから、私は働きに出ることもできなかった。夫に何度も給料を家に入れてほしいと訴え、もっと家に帰ってきてほしいと頼んだ。せっかく結婚したのだから、私は家庭を維持する努力をしてきたつもりだった。それでも十年という歳月は、私に夫を見限る理由として十分すぎるほどだった。 それでも離婚しなかったのには、二つの理由がある。 一つ目は義母だった。義母が本当にいい人で、かわいそうだったから。それだけと言えばそれだけかもしれない。でも、ここで私が義母を見捨てたら、義母は満足な介護もされずにどこかの施設に追いやられ、寂しく一生を終えることになっただろう。それはどうしてもできなかった。 ねえ、私に浮気かどうか聞く前に、あなたが浮気してるわよね。それともう一つの理由、分かってる? あ、なんだ。知ってたのか? それなら話が早いな。 夫は悪びれる様子もなく言った。 お前も浮気してるならお互い様だろ。どうせ十年もレスなんだし。俺には愛人と子供がいるからな。子供にお金がかかるし、慰謝料はなしでいいな。この家に愛人を呼び寄せるから、お前は今週中に荷物をまとめて出ていけよ。 話が決まったとばかりに夫は上機嫌だ。 ちょっと待って。勝手に話を決めないで。きちんと弁護士を入れて話したいの。 ああ、そんなの大げさだし面倒じゃないか。別に、お互い離婚届に判を押すだけでいいだろう。 へえ。そもそも私は浮気なんてしてないし。あなたが勝手に誤解してるだけよ。 は? だって俺が見たんだぞ。動かぬ証拠だろうが。 あの人は弁護士さんよ。お母さんが遺言を残してたの。 夫は初めてぎょっとした顔をした。その表情を見て、私は少し胸がすいた。でも、これはほんの序章にすぎない。夫には、しっかり地獄を見てもらう。 遺言ってどういうことだ? お袋の遺産は俺のものだろう。俺が一人息子なんだ。 夫は義母の遺産を当てにしている。まあ、本来なら夫が当然相続できるお金だ。義母から聞いた話では、十数年前に亡くなった義父は交通事故だった。義父に過失がなかったため、かなりの保険金が出たらしい。保険金の受け取り人は義母だったが、義母は遺産を含めて半額を夫に渡した。ところが夫は、人が亡くなると結構金がもらえるんだな、と笑ったらしい。義母は、自分の子ながらぞっとしたと教えてくれた。 義母が危なくなってから、夫はそれとなく私に、お袋はどのくらい金を持ってるんだ、と探りを入れてきた。全く世話をしないくせに、遺産だけはもらうつもりなのだ。 さあ、普段使う通帳以外は見たことないし。 私は分からないふりをしておいた。 親父の遺産もまだあるはずだよな。お袋は大して使ってないだろうし。 実際は、脳卒中になった時の手術代、長期入院の費用、その後の生活費などで結構使ってしまったのだが、夫は都合よく忘れている。 とにかく、土曜日に弁護士さんが来ることになってるから。離婚の話もしたいし、ちゃんと家にいてね。 私はそう言って、言い返そうとする夫を無視した。 夫に私は騙されていた。夫とは婚活パーティーで知り合ったものの、きちんと恋愛して結婚したつもりだった。だが夫は、母親の介護と自分の世話をしてくれる無償の家政婦を探していただけだった。 私たちが知り合う半年前、義母は脳卒中になり、命こそ助かったものの左半身に麻痺が残り、寝たきりに近い状態だった。長期入院とリハビリを経て、担当医からは自宅療養でもいいと言われたが、介護は必要だった。義父はすでに亡くなっていたし、夫は一人っ子で他に頼れる身内もいない。介護施設は順番待ちだった。 最初は専門のヘルパーを雇っていた。しかしヘルパーは義母の食事は準備しても、夫の食事の準備まではしてくれない。夫はそこで初めて結婚しようと思ったようだ。つまり、私のことを愛しているわけではなく、自分の世話と母親の介護をしてくれる便利な人間が欲しかっただけ。私はそれを見抜けなかった。 私は美人ではないし、もてるタイプでもない。婚活パーティーで自分が選ばれたことが嬉しくて、舞い上がってしまったのだ。 夫から義母の介護を頼まれた時、そんな事情があったのかとがっかりした。しかし幸いにして、義母は本当にいい人だった。年こそ親子ほど離れているけれど、私たちは親友のような関係になった。お世話自体は、大変ではなかった。仕事を辞めて介護に専念したことも、後悔していない。許せないのは、夫のことだけだ。 夫は私が義母の世話を安心して任せられると分かると、家庭を一切顧みなくなった。義母が元気な時と同じように遊び歩き、愛人を作った。夫は出張の多い仕事だからなかなか家に帰れなくてごめんなと言っていたが、それは真っ赤な嘘。実際は愛人のところに入り浸るようになり、私と義母は二人だけで生活するようになった。 義母は自分の息子に呆れ果て、家族で幸せに暮らすことをずっと望んでいた。だが、それはもう無理だと、十年という年月を経て私も義母も諦めた。 そして迎えた土曜日。弁護士の福田と申します。以後、お見知りおきを。 夫が私の浮気相手と誤解した年下の弁護士が、うちにやってきた。 とはいえ、お前はあくまで嫁なんだからな。嫁は相続できないんだよ。 夫が得意げに言い出す。そんなことは分かっている。 私は逆に、特別清量って知ってる? と夫に聞いた。 え? 特別って何だって? … Read more

14 September 2026