「ああ、なんだその目は。なんか文句でもあるのか? どうせお前みたいな高卒がいたところで何も役に立たない。いるだけで会社の邪魔なんだよ。だからとっとと消えろ」
課長の言葉に、一藤が爆笑する。俺は信じられない気持ちで課長を見返した。ホテルのフロントで、自分の部屋が用意されていないと知らされた瞬間だった。
俺は小さくため息をつき、そのままホテルを後にした。最終の新幹線に間に合う時間を確認し、駅へ向かった。
山田健二、34歳。妻と2人の子供との4人家族。製造改善部で、製造業向けの生産性向上コンサルタントとして働いている。前職は工場勤務で、そこで生産ラインの最適化や効率化についての知識を深め、今の仕事に生かしてきた。
高卒の俺が大企業に務めているなんて、今でも信じられない。俺が高卒である理由には、少し特別な事情がある。高校生の頃、家族は決して裕福ではなかった。父親が事故で働けなくなり、母親も病気がちで、家計は常に厳しかった。妹の進学費用や家族の生活費をどうにかしなければならなかった。大学に行くことも考えたが、家族を支えることが最優先だと思った。だから俺は高校を卒業したらすぐに働こうと決心した。
工場で働き始めてから、俺は必死に技術や知識を身につけていった。生産ラインの最適化や効率化に取り組む中で多くのことを学び、成長していった。その結果、転職して大手企業で重要な役割を担うようになったのだ。
しかし、新しい職場には一つ問題があった。直属の上司である青木課長の存在だ。課長は高卒であることを理由に、常に俺のことを見下すような目で見てきた。誰もが知る有名大学の出身で、根っからの学歴主義。彼のお気に入りの部下たちも、軒並み有名大学出身者ばかりだった。高卒の俺が部下であることが、課長はとにかく気に入らないようだった。
「あれが高卒の提案なんて必要とするかよ」
「高卒ごときが提案書なんて出してくんな。時間の無駄だろうが」
課長は俺が提出した提案書を読みもせずにゴミ箱に投げ入れる。それを見て、周りの同僚たちもクスクス笑っている。普段俺に回ってくる仕事は、同僚の雑用ばかりだった。コピーを取ったり、資料をまとめたり、そういった雑用は全部俺に回すようにと課長が言っているらしく、毎日残業の日々を送っていた。それでも俺はめげずに自分の役割を全うし続けた。
そんなある日、俺たちは大きなプロジェクトに取り組むことになった。取引先の製造ラインを最適化することで生産性を向上させ、コストを削減するというものだ。意外にも俺もプロジェクトのメンバーに選ばれた。俺の知識と経験を評価してくれたらしく、部長が推薦してくれたようだ。メンバーに選ばれたことも嬉しかったが、何より自分のことを部長が評価してくれたということが何より嬉しかった。
しかし、喜んだのも束の間。地獄の日々が待っていた。なんせ俺以外のプロジェクトチームのメンバーは、課長のお気に入りの部下ばかり。きっと課長がごり押ししたのだろう。俺がこのメンバーに選ばれたことに、課長は心底納得できない様子だった。しかも部長の推薦というのがよほど気に食わなかったのだろう。
「どんな手を使ったんだろうな。高卒だと自分の能力だけでは社会でやっていけないから、ごますりだけは超一流なのか。いつの間にか部長に取り入りやがって」
「本当ですよね。学歴が低いやつの考えることは浅ましいというか卑怯というか。俺たちみたいな高学歴にはそんな下品なやり方できませんよね」
課長の言葉に、同僚たちが俺をののしる言葉を口にする。課長は俺の顔を見るたびに「なんでお前みたいな高卒がプロジェクトメンバーにいるのか本当に理解に苦しむよ」「レベルの合わない奴が近くにいるとやる気が起きないんだよ」などと嫌味を言ってきて、さらに周りの同僚たちがそれに同調するというやり取りが毎日のように繰り返された。うんざりする日々が続いた。
しかし俺はこのプロジェクトに参加できることを誇りに思い、周囲の嫌がらせに耐えながら商談の準備を全力で進めた。取引先は全国的に有名な企業で、この商談が成功すれば会社にとっても大きな利益となる。何が何でもこの商談を成功させたい。俺はそう強く思っていた。
そして迎えた出張当日。宿泊するホテルに到着し、フロントでチェックインの手続きをすると、人数に対して部屋が1日足りないことが分かった。驚いて確認すると、課長がニヤニヤしながらこう言った。
「お前の部屋なんか用意してるわけないだろうが。高卒の無能なんて、ここにいない方がいいんだから」
課長の言葉を聞き、一藤が爆笑する。俺は信じられない気持ちで課長を見返した。俺の視線に気づいた課長は、あからさまに不機嫌そうな表情を浮かべる。
「ああ、なんだその目は。何か文句でもあるのか? どうせお前みたいな高卒がいたところで何も役に立たない。いるだけで会社の邪魔なんだよ。だからとっとと消えろ」
課長は吐き捨てるように言う。
「ですが、私は部長に言われてここに来ているわけですし、勝手に帰るわけには」
「うわあ、思い上がっちゃってるな。まさか自分が特別だから部長に声をかけられたとでも思ってるのか? そんなわけないだろうが。ただの哀れみだよ、哀れみ。大した仕事もできないから、たまには大きな仕事にちょっと関わらせてやろうっていう部長の優しさだ。それなのに勘違いして張り切って、挙げ句に商談にまでついてきやがって。察してどっかのタイミングで辞退しろよ。これだから高卒は」
課長はさらに笑い声をあげる。これ以上の言い合いは無意味だと思った俺は、仕方なくその場を離れ、最終の新幹線に間に合う時間を確認した。そしてホテルを出て駅へ向かい、そのまま帰ることに決めた。
新幹線に乗っている間、俺はただ商談の成功を祈っていた。
翌日、俺は通常通り会社に出社した。
「山田君、なんで君が会社にいるんだ?

商談はどうした? 」
オフィスにいる俺を見て、柴崎部長が驚きの声をあげた。俺はどう説明したらいいか迷ったが、今までのことをありのまま部長に話した。部長は大学を出ているものの、いわゆる有名大学というわけではなく、コネも何もなく、学歴主義が根強く残るこの会社で実力だけで今の地位に這い上がった人だった。高卒だという色眼鏡で俺を見ない数少ない人でもあった。そんな部長なら俺の話を信じてくれるだろうと思った。
俺の話を聞く部長の表情は、みるみる険しくなっていく。やっぱり俺の作り話だと思われたのだろうか。あんな課長でも、社歴も長く部長からの信頼は俺よりもあるかもしれない。そんなことを思いながら俺は話し続けた。
ほぼ事情を話し終えたところで、部長は「まずいなあ」と呟いた。そのつぶやきの意味が分からず首をかしげていると、今回の商談の担当者である佐々木さんから部長宛てに電話がかかってきた。
「お電話変わりました。柴崎です」
部長は緊張した声で電話に出る。電話はスピーカーに切り替えてあったため、俺も電話の内容を聞くことができた。
「柴崎部長。本日の商談には山田さんが同行されると伺っていたのですが、なぜ彼の姿がないんでしょうか? 」
「ここにいる彼らは、山田さんが勝手に帰ったと言っているのですが、私は彼がそんなことをするとはどうしても思えないんですよ」
「それはですね……」
「理由はどうあれ、彼がいないのなら契約の話はなかったことにさせていただきます」
商談相手に部署内でいじめのようなことがあったと話すわけにもいかず、部長が答えあぐねていると、佐々木さんがきっぱりと言い放つ。電話のスピーカーからは、佐々木さんをなんとか説得しようとする課長や同僚たちの必死な声が聞こえてきた。しかし、わざわざ部長に電話をかけてきたということは、どんなに課長たちが必死になろうが、相手の気持ちは変わらないということだろう。
電話を切りそうな勢いの相手を、部長はなんとか説得。改めて商談の席を設けてもらえることになり、部長は大きく息を吐くと電話を切った。
山田って、俺のことだよな。俺がいないと契約中止って、一体なぜ? 俺は何がなんだか分からず、疑問の視線を部長に向けた。それを受けて部長は口を開いた。
部長の話によると、俺を今回のプロジェクトメンバーに入れるようにと社長から命じられたそうだ。ただ、社長の命だと知らせると変に気を遣わせてしまうだろうから、部長からの推薦ということにしておくようにとも言われたそうだ。驚いている俺に、部長はそう説明してくれた。でもなぜ社長がわざわざ俺なんかを。部長もそれについて詳しいことは聞いていないらしく、疑問は残ったままだった。
数時間後、少しかしょんぼりした様子の課長とプロジェクトチームの面々が会社に戻ってきた。部長に報告しに行った課長は、さらに消沈した様子で戻ってきた。俺を勝手に帰らせたことを怒られたのは明白だった。
課長はギロリと俺を睨んで怒鳴った。
「おい、山田。お前、部長に余計なことペラペラ喋りやがって」
「事実をお話ししたまでです」
俺がそう答えると、青木課長は大きな舌打ちをする。
「大体、お前がいないと契約しないなんて、そんなことあり得るわけねえだろう。きっと人違いだな。山田健二なんてありふれた名前。そこら辺にゴロゴロいるからな」
「そうだよ。先方もお前を見た瞬間、きっとがっかりするぞ。目当ての人間じゃなくてさ」
「いやあ、商談が楽しみだな」
課長はニヤニヤと笑いながら言う。その言葉を受けて、同僚たちは口々に人違いだと言い笑った。そんな風に言われて悔しい気持ちもあったものの、正直俺もそうじゃないかという思いを拭えなかった。
「お前みたいな高卒を大事な取引先と合わせて、うちの会社の格が疑われたりでもしたら大変だからな。とにかくお前は裏方に徹していればいいんだよ」
そう言われ、俺は今まで先方と顔を合わせる機会がなかったのだ。あんな大企業との繋がり。何かあれば覚えていそうなものだが、俺には思い当たるところが何もなかった。本当に人違いかもしれない。課長の言う通り、商談当日先方が俺の姿を見てがっかりしたらどうしよう。そんなことを考えると胃に穴が開きそうだった。
しかし俺は、万が一にも人違いだったとしても、先方が満足する提案をすればきっと大丈夫だと自分に言い聞かせ、商談当日まで全力で準備を進めた。
そして迎えた当日。緊張している俺を横目に、課長や同僚たちはニヤニヤと嫌な笑いを浮かべている。先方が期待している山田健二と俺が別人であると信じて疑っていないようだった。俺は深呼吸をして、先方の待つ会議室に足を踏み入れた。
「山田さん、お待ちしておりました」
部屋に入った途端、俺を歓迎する佐々木さんの声が響いた。
「そうでしょ。やっぱり人違いでしょ。ね?
」
課長は驚きの声をあげ、目を見開く。
「えっと、こちらの山田で間違いないですか? 」
課長は信じられないといった感じで俺を指さし、佐々木さんに恐る恐る改めて確認する。佐々木さんは「ええ」と頷き、俺に視線を向けてくる。
「あなたの参加がなければ、この契約は成立しません」
そう言って佐々木さんは俺に握手を求めてくる。
「ど、どうも。あの、でもどうして私のことを? 」
俺は戸惑いながら佐々木さんの手を握り返し、ずっと抱いていた疑問を口にした。
「ああ、まずはそこから説明しなくてはいけませんね。私から直接話したくて、黙っていてもらったので」
佐々木さんは少しいたずらっぽく微笑んでそう言うと、話を続けた。佐々木さんの話は、俺がまだ工場で働いていた頃まで遡った。
俺が前職の工場で働いていた頃、忘れられないトラブルがあった。ある日、工場で大規模な生産ラインのトラブルが発生し、製品の納期が大幅に遅れる危機に直面したのだ。その時、俺は指揮を執って問題解決に取り組んだ。まず問題の原因を徹底的に調査し、生産ラインの各ステップを詳細に分析した。そしてトラブルの原因を特定することに成功し、迅速に改善策を講じることができたのだ。その結果、予定よりも早く生産ラインを復旧させ、製品の納期を守ることができた。この時の俺の働きぶりは工場内外で大きな話題となり、評価されて業界内で注目されたのだ。
そんなある日、俺の元に1本の電話がかかってきた。それは今勤めている会社の人事部からだった。彼らは俺の実績に感銘を受け、是非自社で働いて欲しいとヘッドハンティングのオファーをしてきたのだ。俺は驚きながらも、彼らの熱意に心を動かされ、新たなチャレンジを決心し、転職を決めた。こうして今の仕事に就くことになったのだった。
「この時、予定通り製品を納品してもらったおかげで、うちの会社はその後の予定も狂わずに事業を進めることができました。しばらくして、あの製品の製造時に工場で大変なことになっていたことを知ったんです」
そしてその時の俺の対応を知り、俺のことを調べたらしい。自分が調べられていたと知り、驚きの表情を浮かべた俺に、佐々木さんは少し申し訳なさそうに「すみません」と謝罪の言葉を口にする。
「調べれば調べるほど、あなたの対応は素晴らしかった。それでどうしてもあなたと直接仕事をしてみたいと思い、御社にプロジェクトを持ちかけたというわけです。ですがいつまで経ってもあなたは打ち合わせの場には出てこず、しまいには社長にまでお願いしたのに、商談にも現れなかった。先日の商談はひどいものでしたね。青木課長」
佐々木さんは課長をじっと見つめている。佐々木さんの視線から逃れるように、課長は視線を泳がせる。課長からは、先方は俺がいないことが分かるとすぐに部長に電話をかけたと聞いている。確か部長もそう報告を受けたと言っていたはずだ。俺は疑問の視線を課長に向ける。
「な、何のことでしょう?
」
とぼける課長の代わりに、佐々木さんがその時の状況を説明してくれた。俺がいないことを不審に思ったものの、佐々木さんは予定通り商談を始めたそうだ。しかし課長たちは、佐々木さんたちの疑問や質問に満足の行く回答を全くできなかったらしい。
「課長、この前はそんなこと一言も言ってなかったですよね」
俺の言葉に、課長は焦りと怒りが混じった表情で俺を睨みつけたが、何も言えなかった。
「では、商談を始めましょうか」
佐々木さんは俺を見て笑顔で言った。
「はい、よろしくお願いします」
俺も笑顔で答え、席についた。課長や同僚たちも、居心地悪そうにしながらも黙って席につく。
商談の間中、課長はずっと怒りのこもった目で俺のことを睨みつけていた。しかしさすがの課長も妨害するようなことはせず、商談はスムーズに進み、取引先は俺の提案に大いに満足していた。もちろん、以前課長たちが答えられなかった先方の疑問にも、俺は丁寧に回答した。その時の課長の悔しそうな顔は、一生忘れられないだろう。
「山田さん、あなたの知識と経験は素晴らしいです。これからもよろしくお願いします」
商談が終わった後、佐々木さんは笑顔で俺に言った。その言葉に俺は心から感謝し、佐々木さんと固く握手を交わした。
商談が終わり会社に戻ると、課長が俺に詰め寄ってきた。
「山田。ちょっとうまくいったからって調子に乗るなよ」
吐き捨てるように言ったが、その声には以前ほどの威圧感はなかった。
その後、課長は俺への嫌がらせをやめざるを得なくなった。取引先の評価が社内でも話題となり、俺の実績が正式に認められたからだ。自分の保身のために商談でのやり取りの内容をちゃんと部長に報告しなかったことも、課長の首を締める形となった。虚偽の報告をしたとして、課長は厳重注意を受け、上からの評価はかなり下がったようだった。
課長の取り巻きだった同僚たちも、俺に対する態度が変わったようで、徐々に俺に対して敬意を示すようになった。俺がこのプロジェクトで成功を収めたことが、みんなの評価を変えたのだろう。そして課長は次第に孤立し、社内での立場も揺らぎ始めた。
最終的には、課長は別のプロジェクトで重大なミスを犯し、責任を取る形で更迭となった。その後彼がどうなったかは知らないが、俺の前から姿を消すことになった。少しして、地方の工場に左遷されたという噂を耳にした。
一方で俺は、さらに多くのプロジェクトに携わり、会社内での信頼を築いていった。次の人事で課長に昇格することも決まった。俺のことを見出してくれたこの会社に報いたい。今でもそう思っている。


