「あんたが用意したおせち料理は、重箱ごと捨ててやったわ」…

「あんたが用意したおせち料理は、重箱ごと捨ててやったわ」...

「あんたが用意したおせち料理は、重箱ごと捨ててやったわ。ちょっと料理ができるからって、いい気になるんじゃないわよ。この甲斐性なしが。」

義母の言葉を聞いた瞬間、全身の血の気が引いていくのがわかった。私は管理栄養士として働きながら、義母の言いなりになる日々に耐えてきた。夫の悟は優しいが、義母の前では何も言えない弱さがあった。

結婚して三年間、週末になると予告なしに訪れ、朝から晩まで私のやることなすことに難癖をつけた。毎日の電話では「実家の用事をやりなさい」と命令される。断れば学校にまで押しかけ、同僚に迷惑をかける。私は結局、すべての要求を飲み込んできた。

義母は家事が大嫌いで、実家の家事はすべて義父か家政婦に任せていた。それどころか、家事をする人を自分より下だと見下すような考えを持つようになっていた。私は彼女にとって、息子の妻ではなく、ただの無料の家政婦だった。

義父が倒れて引退したとき、病院から自宅療養を勧められた義父の面倒を見るため、私たちは同居を始めた。義父は長年の過労で倒れたのだ。義母は「無料の家政婦が来るなんてラッキーだわ」と、玄関先で言い放った。

私は義母の親戚付き合いや近所付き合いまで押し付けられ、苦労した。そんな中で出会ったのが、一族を取り仕切る九十歳の燈さんと、その後の継ぎ手である米猫さんだった。米猫さんは私と同い年で、都内の有名な洋菓子店に勤めるパティシエだ。食に関する仕事をしているという共通点から、すぐに親しくなり、レシピの交換をする仲になった。

しかし義母は、米猫さんと仲良くしていることすら気に入らず、「本家の人に媚びを売っている嫌な嫁だ」と文句を言ってきた。燈さんが苦手な義母は、定期的に開かれるお茶会にほとんど出席せず、私に任せっきりにしていた。そのお茶会で、義母が私が作った手作りのお菓子を捨てたり、ゴミにすり替えたりするようになったのは、その頃からだ。

そして、迎えたお正月。各家から料理を持ち寄ることになり、私は腕によりをかけておせち料理を作った。燈さんが私の作った煮物を絶賛してくれたからだ。私が作るおせちを楽しみにしてくれている人たちがいる。その想いだけで、私は一人で準備を進めた。

当日、私は黒塗りの重箱を持って家族と本家へ向かった。台所には米猫さんや他の親族が集まり、楽しく準備をしていた。私もその輪に加わり、おしゃべりしながら手伝った。

食事の準備が整い、私たちは順番に自分たちが持ち寄った料理を台所から運んだ。私がようやく自分の作ったおせちを運ぼうとした時、今まで一度も台所に来なかった義母が現れた。そして、二人きりになった瞬間、あの言葉を放ったのだ。

「捨てた? 私のおせちを? 」

私は混乱しながら、義母に確認した。

「まさか、お母さんが捨てた箱って、黒塗りでウサギの絵が描いてあった箱ですか? 」

「そうよ。黒い箱で蓋に金の絵で波とウサギの絵が描いてあったわ」

「それ、米猫さんが作ったおせちの箱です。私のは三段で桜の柄なんですけど」

義母の顔色が一瞬で真っ青になった。米猫さんが作ったおせちを捨ててしまったのだ。食べ物を粗末にすることを何よりも嫌う燈さんがいる席で、理由もなく料理を捨てた。しかも、それは燈さんの後継ぎである米猫さんへの冒涜でもある。義母が震え出すのも無理はなかった。

「正直に言うしかないでしょう。捨ててしまったことは事実なんですから」

私が促すと、義母はとんでもないことを言い出した。

「そうだ。あんたが捨てたことにしなさいよ。それがいいわ。あんたが米猫さんの料理の腕に嫉妬しておせちを捨てた。そうすれば何もかも丸く収まるわ」

私は一瞬言葉を失った。自分の悪業を人に押し付けようとする卑怯な考えに、私の中で何かが音を立てて切れた。

「いい加減にしなさいよ、この卑怯者!

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どれだけ米猫さんと私を馬鹿にしたら気が済むの? 」

義母は困惑した顔をしていたが、私は構わず続けた。

「米猫さんはパティシエです。クリスマスという一年で一番忙しいシーズンが終わって疲れ切っているのに、今日のために、皆さんのために手間をかけて作ったんですよ。それを私が気に入らないからっていうくだらない理由で捨てるなんて、人として許されませんよ」

私は一気にまくし立てた。米猫さんは和食が苦手で、私にレシピを教えて欲しいと相談してきた。何度も試作を重ね、みんなが美味しく食べられる和食を作る努力をしていた。義母が捨てたおせちは、材料から吟味し、彼女が学んだことをすべて注ぎ込んだ努力の結晶だったのだ。

それでも義母は「自分は悪くない。紛らわしいものを作ったあんたが悪い」と、あくまでも罪を認めなかった。

騒ぎを聞きつけた米猫さんが台所に現れた。私が事情を説明すると、彼女は当然激怒した。

「皆さんが楽しみにしていたおせちを捨てるなんてありえない。メインがなくなってしまったし、どうしてくれるんだ」

しかし、なんと義母は逆上したのだ。

「後継ぎだからって調子に乗ってるじゃないわよ。たかがおせちを捨てられたぐらいで怒るなんて、器が小さいわね。手作りなんてしなくても、お金を出せばもっと美味しいおせちが買えるのに、バカじゃないの」

私たちは怒りのあまり、言葉も出なかった。その時だった。

「じゃあ、お前は食べなくていい」

今まで台所に来なかった燈さんが、入り口に立っていた。

「たかがおせち料理なんてな。食べたくないんだろう。じゃあ、お前は食べなくていい」

そう言うと、燈さんは私たちに広間へ戻るよう促した。廊下に出ると、夫と義父が心配そうに待っていた。事情を説明すると、二人は真っ青になり、燈さんと米猫さんに頭を下げた。夫は義母に「帰ったら大切な話がある」と恐い顔で言った。

広間に戻ると、義母の分の食器だけが、豪華な塗りの器に変えられていた。私はただならぬ予感に震えたが、何が起きるのか見守ることにした。

食事が始まると、私はすぐにその意味を理解した。義母が手にしている箸は、先端までツルツルに磨かれていて、滑り止めもなかった。何かを掴もうとするたびに、箸は滑ってしまう。口に運ぶ前に、すべて落ちてしまっていた。

ご飯茶碗は、内側に金属のようなものが貼られており、ご飯はすぐに冷めて硬くなり、内側にびっしり張り付いていた。義母は必死で剥がそうとしたが、結局諦めてしまった。

お吸い物のお椀は、蓋の部分に凝った装飾が施されていて、開けるには力とコツが必要な構造だった。義母は蓋を回したり、つまんで引っ張ったりしていたが、蓋はびくともしなかった。

「な、何なのよ、これ。これじゃ私だけ食べられないじゃない」

義母は涙目になっていた。それを見た年配の親戚たちが、息を呑むような表情をしていた。米猫さんにこっそり聞くと、それは食べ物を粗末にした人に対するお仕置きの食器セットだという。 かつて、食べ物を粗末にした者に対して使われていたが、あまりにも厳しい罰だったため、数十年は誰も使うことはなかったらしい。燈さんがそれを出すとは、よほどのことをしたのだろうと、親戚たちがヒソヒソと噂し始めた。

夫が真実を告白すると、親戚たちは一斉に義母を非難した。

「米猫さんが心を込めて作ったおせちを捨てるなんてありえない」
「食べ物を粗末にするなんて、何を考えているんだ」

食べ物が目の前にあるにもかかわらず、口にすることができない義母に、みんなで詰め寄った。ついに義母は耐えきれず、大号泣し始めた。

「ごめんなさい」

米猫さんに土下座して謝ったが、燈さんの返事は冷たかった。

「口先だけで謝ることは、誰にでもできる。お前のその腐った根性を、芯から叩き直さなければならない」

さらに、燈さんは宣言した。

「お前は、私が心を入れ替えてしつけ直す」

その言葉を聞いた義母は、真っ青を通り越して真っ白になった。元々、厳しい燈さんが苦手で、極力顔を合わせようとしなかった義母にとって、燈さんのそばに置かれることは、耐え難い環境に違いない。

「絶対に嫌よ。あなた、助けて」

義母は隣にいた義父に助けを求めたが、義父は

「ご迷惑をおかけしますが」

とだけ言って頭を下げた。義母の処遇が、その場で決まった。

「さあ、今日からビシバシしっかり学びなさい」

「もう嫌よ。誰か助けて」

義母の悲鳴が広間に響いたが、親戚たちは無視した。もちろん、私も無視をした。

結局、その日から義母は、燈さんのもとで、見習い女中として本家に預かりになった。

その後、義母は本当に女中として働いている。毎日、言動や立ち居振る舞いを厳しくしつけ直され、自分より若い使用人たちに叱られながら泣いて働いているらしい。家事をさせれば失敗だらけで、雑用ひとつまともにこなせない。皆に呆れられ、冷たい視線を浴びて、肩身の狭い思いをしているそうだ。

何度も義父と夫に迎えに来てほしいと懇願してきたが、義父は「反省の色が見えるまで戻ることはない」と断固とし、夫も拒否した。最近では、連絡も来なくなった。

米猫さんから聞いた話では、食べ物を作る大変さを学ぶため、時折、近所の農業や酪農、漁業を営む親戚のところへ手伝いに行かされているそうだ。行った日には、朝早くから夜遅くまでこき使われて、ヘトヘトになっているらしい。

だが、未だに心から反省した様子が見えないので、義母が家に帰ってくる日は遠いだろう。最近では義父が離婚の準備を進めているという。ひょっとしたら、義母はもう二度と帰ってこないかもしれない。

まあ、帰ってこなくてもいいのだが。

私は相変わらず、学校で生徒たちの給食を考えている。給食室から遠くに聞こえる子どもたちの元気な声を聞くと、いつか大人になった彼らが、私が考えた給食を「美味しかった」と思い出してくれる日が来るのだろうかと考える。

夫も毎日、保健室で彼のもとを訪れる生徒を温かく迎えている。私はこれからも、この穏やかな日常を大切に過ごしていきたいと思っている。