「あの女、確実に始末しないと。」亡くなる直前の父が残した言葉と、3年前に死んだはずの妻がベビーカステラの屋台で双子を育てている姿。私が信じなかったから、全てが崩れ去った。人違いだと言い張る妻、襲いかかる暴力団、盗聴器、そして家族を崩壊させた継母の陰謀。私はもう逃げない。記憶を取り戻した妻と共に、すべての証拠を握りしめ、会議室の扉を開けた。あの日、私が信じなかったせいで彼女が失った3年間の重み…

「あの女、確実に始末しないと。」亡くなる直前の父が残した言葉と、3年前に死んだはずの妻がベビーカステラの屋台で双子を育てている姿。私が信じなかったから、全てが崩れ去った。人違いだと言い張る妻、襲いかかる暴力団、盗聴器、そして家族を崩壊させた継母の陰謀。私はもう逃げない。記憶を取り戻した妻と共に、すべての証拠を握りしめ、会議室の扉を開けた。あの日、私が信じなかったせいで彼女が失った3年間の重み...

雪が降りしきる商店街で、順は足を止めた。聞き覚えのある声が、焼きたてのベビーカステラの香りとともに鼻先をくすぐった。3年前に死んだはずの妻、桜井はずきが、そこにいた。古びたダウンジャケットにエプロン姿で、背中に一人の子供を負い、前にはもう一人を抱っこ紐で抱いている。双子のようだった。

順の心臓が止まるかと思った。間違いない。あの顔、あの声。だが、女性は順を見ても、まるで他人を見るかのような無表情な目を向けた。

「はい、お客様。ベビーカステラはいかがですか?」

順は震える声で呼びかけた。「はずき…俺だよ。順だ。」

女性は一歩後ずさり、警戒した表情になった。「お客様、人違いだと思います。私は鈴木み子です。」

順は呆然と立ち尽くした。死んだはずの妻が生きている。なのに、なぜ自分を覚えていないのか。ふと、女性が背負う子供たちの顔を見ると、目元が自分にそっくりで、鼻の先には小さなほくろがあった。順にも、全く同じ位置にあるほくろ。藤堂家に代々伝わる遺伝だった。

順は必死に気を取り直し、ベビーカステラを500円分買った。お釣りを断ると、女性はきょとんとした。順は袋を握りしめ、その場を離れた。甘い香りが、新婚時代に二人でよく食べたあの日の記憶を鮮やかに蘇らせた。車に戻った順は、ポケットから一枚の名刺を取り出した。私立探偵の名刺だった。

真実を知らなければ。あの日、一体何が起こったのか。

翌日、順は探偵に依頼した。そして一週間後、調査報告書が届いた。写真には、双子を抱いて笑うみ子。間違いなく、はずきだった。報告書には「鈴木み子、32歳。3年前にこの町へ転入。ベビーカステラの屋台を経営。父・桜井正一と同居。夫や子供の父親に関する情報は確認できず」とあった。

順は毎日、遠くからみ子の生活を見守った。早朝から生地をこねる姿。車椅子の父を押して病院へ向かう姿。子供の薬を買いに薬局へ行く姿。ある日、み子が家の裏で重いガスボンベを運ぼうとして足を滑らせて転んだ。順は反射的に車を飛び出そうとしたが、足が止まった。み子は何も言わず、立ち上がって再びボンベを持ち上げた。その姿を見て、順の目から涙があふれた。俺が、俺が信じなかったから。

その夜、順は車の中からみ子の家の明かりを見つめていた。すると、優しい歌声が聞こえてきた。「ねんねこりょ、おろりょ…」それは、新婚の頃、はずきが「いつか私たちの赤ちゃんが生まれたら毎日歌ってあげるわ」と笑いながら約束した子守唄だった。順はもう耐えられず、車を走らせた。真実を知らなければ。

順はみ子の父、正一を直接訪ねた。車椅子に座った老人は、順を見るなり顔をこわばらせた。「なぜお前がここに。帰ってくれ。娘はやっと笑えるようになったんだ。」

順は頭を下げた。「お願いします。3年前のあの夜、何があったのか教えてください。」

正一は叫んだ。しかし突然、胸を押さえ激しく咳き込み、血を吐いた。末期の肺がんだった。順は正一を抱き上げ、車で救急病院へ運んだ。医師は「あと数日です」と言った。そこへ、双子を連れたみ子が駆け込んできた。

「お父さん!しっかりして!」

正一は苦しそうに目を開け、順を手招きで呼んだ。そしてみ子に向かって言った。「み子…いや、はずき。お前の本当の名前だ。お前は桜井はずきだ。」

み子は呆然とした。「お父さん、何を言ってるの?」

正一は、3年前のあの夜の出来事を話し始めた。はずきが電話をかけてきて「危ないから家に帰る」と言ったこと。迎えに行くと、男二人に追われて階段から転がり落ちたこと。頭を強く打ち、妊娠が判明したこと。目を覚ました時、全ての記憶を失っていたこと。苦しみを忘れた方が幸せだと思い、新しい名前を与えたこと。

「そして、あの男が…」正一は順を指さした。「お前の夫だ。双子の父親だ。」

み子の顔が真っ白になった。信じられないという表情で順を見つめる。順は何も言えず、ただ俯いた。正一は順の手を握った。「わしが死んだら、はずきと双子たちを守ってやってくれ。頼む。」

順は固く握り返した。「約束します。必ず守ります。」

正一は静かに息を引き取った。葬儀の後、順は探偵に追加調査を依頼した。あの夜、はずきを追った男たちの正体を。二週間後、探偵が分厚い報告書を持ってきた。男たちは暴力団関係者で、木村達夫名義の法人カードで報酬を受け取っていた。さらに、当時の介護士だった花よが義母の死去直前に過剰な薬物を投与していた記録、そして父・安像のここ3年間の血液検査から微量の毒物が継続的に検出されていた事実も明らかになった。

花よと木村は、妻を追い出し、母を殺し、父を病にさせ、罪をすべてはずきに着せていたのだ。順は怒りに震えた。しかし、順は知らなかった。オフィスの壁時計の裏に盗聴器が仕掛けられていることを。花よはすべてを聞いていた。

「このままじゃ終わりよ。あの女と子供たちを捕まえるの。人質にして。」

その夜、み子の家に黒い服の男たちが押し入った。ドアを蹴破り、子供たちの部屋へ向かう。「だめ!私の子供たちに触らないで!」み子は立ちはだかったが、突き飛ばされ床に倒れた。その瞬間、み子の頭の中で何かが弾けた。暗い階段。誰かに突き落とされたあの瞬間。監視カメラ。義母の冷たい目。役員会室での屈辱。

「あなたたち…綾部花よの指示でしょ!」

その時、玄関から順が飛び込んできた。不安に駆られ、駆けつけたのだ。順は男たちともみ合いになり、鉄パイプで肩を打たれた。しかし、サイレンの音が聞こえ、男たちは警察に逮捕された。男たちは白状した。「綾部花よに金で雇われました。」

血を流す順をみ子が支えた。み子の目から涙がこぼれ落ちる。「記憶が…戻りました。」

順は「すまない」とだけ言った。み子は首を振り、「あなたも騙されたんでしょう」と答えた。そして、み子は急いで家に入り、埃をかぶった熊のぬいぐるみを取り出した。縫い目をほどくと、中から小さなメモリーカードが出てきた。「ここに全部あるの。あの人たちの不正の証拠。3年前の最後の夜、全部ここに入れました。」

その時、順の携帯電話が鳴った。緊急役員会が招集され、議題は「社長の解任」だった。花よが仕掛けたのだ。順とはずきは車に乗り込み、会社へ向かった。み子は隣人に子供たちを預けた。

会議室では、役員たちが全員揃い、花よが正面に座っていた。「では役員会を始めましょう。」その瞬間、ドアが開き、安像会長が自らの足で歩いて入ってきた。「今回の役員会は私も参加する。」

さらに、順とはずきが並んで立った。花よの顔が真っ白になる。「あ、あなた…記憶が…」

「取り戻しました。小義母様が送ってくださった方々のおかげで。」

順はメモリーカードをパソコンに差し込んだ。大型スクリーンに、3年前の録音が流れた。「今月の流出額は10億円です。」「よくやったわ。でも嫁が邪魔ね。あの子、確実に対処しないと。」花よと木村の声が会議室に響き渡る。役員たちの顔色が変わった。次々に、裏金口座の明細、偽造された書類、筆跡鑑定の結果が映し出された。安像会長は立ち上がり、花よに問い詰めた。「お前がやったことなのか?最初の妻も…」

その時、警察官たちが入ってきた。「綾部花よさん、木村達夫さん、殺人・殺人未遂・業務上横領の容疑で緊急逮捕します。」

花よは暴れながら叫んだ。「許さない!藤堂順!桜井はずき!ただじゃおかないわよ!」手錠をかけられ、連行されていった。

裁判では、はずきがすべてを証言した。花よには無期懲役、木村には懲役15年の判決が下された。

数日後、はずきは入院中の安像会長を訪ねた。安像は涙を流して謝った。「許してくれ、この老人を。」はずきは首を振った。「お義父様も被害者じゃないですか。」

はずきは家庭裁判所に「鈴木み子」から「桜井はずき」への氏名変更を申請し、承認された。双子の戸籍も整理され、父親の欄には「藤堂順」の名前が記された。

その後、はずきは父の名前を冠した財団を設立した。「お父さんは生涯苦労してきたから、そういう人たちを助けたいの。」順が理事として支えた。

春が来て、二人は前速持ちの息子のために、自然素材の家を建てた。夏には双子が幼稚園に入園した。初めて父親と手を繋いで通園する日、順は子供たちの手を強く握り、「楽しいこと、たくさん見つけてこいよ」と笑った。

窓の外から初雪が舞い始めた。リビングの本棚には、すべての真実を抱えたあの古びた熊のぬいぐるみが、静かに置かれていた。3年前、雪の降る商店街から始まった物語は、新しい始まりを祝福するかのように、再び雪が降り積もる日を迎えていた。

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