同窓会の会場である居酒屋に、同級生の暴言が響き渡った。俺とお前じゃ人間の核が違うんだよ。核が。負けねえ。
周囲の同級生たちが困惑の表情を浮かべる中、目の前の男、井上は自分が注目されているとでも意識したのか、さらに尊大な口調で俺をののしってきた。
今日だって、ただ飯と酒にありつけると思って、のこのこ顔を出したんだろう。ああ、お前みたいな寂しい人間にだけはなりたくねえわ。
彼がわざとらしく声を張り上げるせいで、賑やかだった店内は次第に静まり返っていく。そんな中、彼だけは一人、勝ち誇った様子で言い放った。
底辺の負け犬がよく来れたもんだな。俺みたいなエリートになってから来いよ。ほら、負け犬君のお帰りだぞ。
上機嫌でそう言って、俺の腕を無理やり引っ張り、帰らせようとする。その幼稚な言動に、俺は心の底からため息をついてしまった。いっそ帰っても良かったのだが、さすがにここまでのことを言われてしまえば、気の長い俺でも頭に来る。なので、俺は2つか3つ、お土産を残してやることにした。
俺の名前は佐々木勝。幼い頃から父と二人で暮らしてきた俺は、父の負担になるのを嫌って高校進学を諦め、中卒で就職した。当時は中卒で働くことを周囲から色々と言われたり、馬鹿にされたりしたが、下向きな努力の甲斐もあって、今はまともに生活できている。
そんなある日、中学の友人から電話がかかってきた。今度同窓会があるから、俺も来ないかと。
「へえ、そうなんだ。にしても突然だな。誰が幹事やってるんだ?」
何気なく聞いた俺に、電話口の友人は少し言いにくそうに答えた。
「ああ。うん。ほら、井上、たけしっていただろう。あいつが幹事なんだと。俺もあいつとつるんでたから誘われて、連れてこられる相手がいるんだったら連れてこいよって言われて。」
友人の口から飛び出したその名前に、俺は思わず砂を噛みしめたような心地になった。井上たけし。それは、俺が中卒で就職することをことのほか笑いものにしてきた元クラスメイトの名前だ。
「お前、中卒で就職するってマジか。うわあ、そういうのフィクションだけの話だと思ってたわ。家が貧乏な上、本人も大して頭が良くないと苦労するんだな。」
そう言って勝ち誇ったように俺を見下してきた、あの日の彼の笑顔が脳裏をよぎる。電話口の友人も、俺が井上にどういう扱いを受けていたか知っているだけに、言葉を戸惑っていたのだろう。
「うーん。あいつがいるんだったら、俺は行きたくないな。」
独り言のようにそう呟いた俺に、友人はすがるような声をあげた。
「え、そんなこと言わずにさ。実はさ、その同窓会に、お前と同じクラスだったゆきちゃんも参加するって聞いて。俺、ゆきちゃんのこと好きだったの。お前も知ってるだろう。」
ああ、そういやそうだったな。俺と同じく未だ独身の友人は、どうやら同窓会での再会を機に、彼女がフリーだった場合はお近づきになりたいらしい。
「それに、あれから20年以上も経ってるだろう。井上だっていい加減大人になったさ。なあ、頼む。なるべく人を連れてきてくれって言われてるんだよ。ここは俺を助けると思って。」
へえ。我慢ばかりの人生を送ってきた俺は、そう言われてやがて渋々ながら同窓会への参加を了承した。友人は喜びの声をあげる。
「ありがとう。やっぱ、持つべきものは心優しい友達だな。じゃ、詳しい時間と場所は後でメールするから。」
こうして、その電話から半月後、俺は久しぶりの同窓会に参加するべく地元へと帰ったのだった。友人と連れ立ってやってきたのは、地元駅前の老けた居酒屋。今日はここを貸し切っての同窓会らしい。
「そういえば、今日の会費っていくらだっけ?」
入り口で財布を取り出した俺に、友人が首を振った。今日の分は、なんと幹事の井上が全て持つらしい。
「え、そうなのか。そりゃまた豪気だな。」
内心、しまいながら、そういえば井上は昔から見え坊の傾向があったなと記憶を思い出す。そして入店して早々、友人は廊下の向こうにゆきちゃんを発見したらしく、速攻で声をかけに行ってしまった。その後ろ姿を見送り、俺は適当なテーブルに腰を下ろし、届いたビールをちびちび飲み始める。店内はそこそこに混んでいて、あちこちで賑やかな笑い声が上がっている。ここにいる同級生たちよりは早く社会人となった身だが、華やかな雰囲気はどこか過ぎ去りし青春時代を彷彿とさせ、俺はその雰囲気を楽しんでいた。
だが、その時。何の断りもなく、俺の横にどっかりと腰を下ろしてくる人物が現れた。
「よお、相変わらずしけた面してんな。」
こんな無礼な言葉を挨拶代わりに投げかけてきたのは、案の定、俺の中学時代のクラスメートにして、この同窓会の主催者である井上だった。あれから20年以上経ち、互いに歳相応の外見になったとはいえ、彼の目の奥に見え隠れする視線はあの頃のままで、それを見て取った俺は早くもうんざりしてしまう。だが、そんなこちらの心中など知るかとばかりに、井上はその名の通り、獲物を見つけた猛獣のごとく俺に狙いを定めたようだった。
「お前、全然変わってないのな。ああ、もちろん悪い意味でだぞ。その、棒にも棒にも引っかからなさそうな薄い顔。ある意味、羨ましいわ。ほら、俺なんてどこにいても目立っちゃってさ。」
そう言って、わざとらしく肩をすくめる井上。確かに彼は中学時代、イケメンで通っていた。頭も良く、背も高く、また家も裕福だったため、女性にもよくもてていたように思う。彼はそのまま高校へと進み、有名大学を卒業後、この地元では名の通った企業に就職したと、ここに来る前に友人が話していた。だが、俺の目の前で偉く自分の容姿の良さを鼻にかけた発言をする彼は、正直なところ言うほどかっこよくは見えない。背の高さこそ健在ではあるが、その若作りな外見から滲み出す何とも言えない安っぽさが、せっかくの素材を完全に台無しにしてしまっているからだ。
内面が外見に現れるって、本当だな。と、まさに間抜けなことで感心している俺をよそに、井上はなおも自分の身の上話という名の明らかな自慢を、一方的にペラペラと喋っている。
「俺さ、職場で昇進が決まったんだよ。ああ、今は俺、課長なんだけど、手掛けた案件が高評価だったらしくて。で、その手柄で、なんと部長に抜擢されてな。いや、上がどうしてもって言うからさ。」
酒臭い息を吐きながら、ニヤニヤとそう口にする彼は、言葉とは裏腹に、内心、自分の昇進が嬉しくて仕方がないらしい。全く隠せていない優越感で顔をピカピカと光らせながら、井上はさらに続ける。
「同期の中じゃ、俺が一番の出世頭なのは事実なんだけどな。で、同窓会も最初は開くつもりなんてなかったのに、あいつらが昇進ついでに、仲良かった奴らも呼ぼうぜって盛り上がっちゃってさ。結局、俺が幹事やらされてまったよ。」
まあ、と上辺だけの困ったふりで、井上が視線をやったのは、中学時代に彼とよくつるんでいた数人のグループ、いわゆる彼の取り巻きたちだった。そうは言うが、真実は自身の出世をただただ自慢したい井上が、取り巻きたちに声をかけ、費用は自分が払うからと言って、人を呼ばせたのだろうと俺は推察する。そうじゃないと、井上とは直接関わりのない別のクラスだった、俺の友人にまで話が来るのはおかしいし、やけに人数を集めることにこだわっていたことへの説明もつかない。俺は、棚にゆきちゃんへとアタックし続けている友人の背中をちらっと見やった。あれから20年以上経っても、どうやら相手は大人になりきれていないらしいぞ。
けれど、内心ため息をつきながらも、無難な相槌のみを繰り返す俺に、やがて彼は面白くなさそうな表情を浮かべ、話の方向性を変えたようだった。井上は自身の自慢を引っ込める代わりに、俺への直接攻撃を始めたのである。
「お前さ、今はこっちにいないみたいだけど、何の仕事してるわけ?中卒の低能なガキを拾ってくれるところなんて、どうせしょぼい零細企業だろうけど。」
そして彼は、盃を握っていた俺の左手にふと目をやり、それから小馬鹿にしたようにして鼻を鳴らした。
「お前さ、もしかして独身?」
「え、まあ、うん、そうだけど。」
結婚していないことは事実なので、そう答えた俺に、井上は嘲笑に満ちた嫌な笑みを浮かべる。
「マジで?その年で?まあ、お前みたいな顔も平凡な中卒の底辺じゃ、女にも相手にされないか。」
さも愉快な話を聞いたかのようにして、井上が大きな笑い声をあげた。
「お前さ、そうやってのほほんとしてるけど、もっと危機感持った方がいいぜ。いや、でも、お前程度じゃそれも無理か。うんうん。変に焦って結婚詐欺に捕まるよりは、いいと思うぞ。」
言いながら、慰めているつもりなのか、馴れ馴れしく俺の肩を叩いてくる井上。そして、高そうな結婚指輪が光るその左手を見せつけんばかりにするものだから、俺は仕方なく口を開いた。
「あ、井上は結婚してるんだね。」
すると、待ってましたとばかりに、彼は顎を跳ね上げて得意げに頷く。
「ああ、5年ほど前にね。相手は名門のお嬢で、現役CAなんだけど、もうあっちが俺に惚れちゃって、グイグイ来てさ。まあ、子供は可愛いけどな。」
頼んでもないのに見せられたスマートフォンの待ち受けには、確かに上品そうな美人と、彼女によく似た娘の親子の姿が映っていた。
「奥さん、可愛い娘さんだね。」
そうして俺が事実を述べると、まるで自分が褒められたかのように、さらに調子に乗った顔をした井上は、いかにもこちらを見下した目をして言ってくる。
「まあ、お前もそのうちいいことあるだろう。さすがに中卒の凡人君じゃ、俺レベルまで到達するのは逆立ちしたって無理だろうけどな。そもそも、俺とお前じゃ、人間の核が違うんだよ。核が。」
言いながら、彼が再び大声で笑う。お世辞にも上品とは言えないその音に、店内の同級生たちが何事かと振り返り始めた。だが、それすらも自分が注目されていると意識したのか、井上はさらに居丈高な口調で俺を蔑んでくる。
「言うなれば、お前は負け犬なんだよ。そうだ、ただ飯と酒にありつけると思って、のこのこ顔を出したんだろう。ああ、お前みたいな惨めな人間にだけはなりたくねえわ。」
そうやって彼がわざとらしく声を張り上げるせいで、賑やかだった同級生たちの輪がだんだんと静まり返っていく。そんな中、井上だけは一人、不遜な様子で俺にこう言い放った。
「底辺の負け犬が、酒だけ飲めたんだから、もう十分だろ。はい。それ以上、人の金で飲み食いしたかったら、俺より偉くなってから出直してきてください。ほら、負け犬君のお帰りだぞ。」
顔を見合わせて戸惑う同級生たちに、井上は上機嫌でそう言って、俺の腕を無理やり引っ張り帰らせようとする。そんな幼稚な言動に、俺は心の底からため息をついてしまう。いっそ、そのまま帰っても良かったのだが、さすがにここまでのことを言われてしまえば、いくら気の長い俺でも頭に来る。なので、俺は2つか3つ、お土産を残してやることにした。そのままの体勢で、目の前の元クラスメートを見やると、俺は淡々と口を開く。
「そういえば、井上はこの店の近くにある会社に勤めてるんだっけ?」
「は?そうだけど。」
俺の突然の問いかけに、井上は不機嫌そうな視線を向けてきた。だが、そんな向こうの反応に、俺は意地の悪い満面の笑みを浮かべてこう言った。
「そこ、俺が勤めてる企業の関連会社だからさ。」
「はあ?」
瞬間、井上が酒で上気したその顔を、ポカンと固まらせた。しかし、そんな彼を尻目に、俺は内ポケットから自身の名刺を取り出すと、はい、と渡してやる。
「今度、部長になられる出世頭の井上なら、自身の勤める会社の親会社ぐらい、さすがに知ってるだろ。俺、今はそこの事業戦略部門の長をしてるんだよ。」
井上の指に名刺を握らせ、俺は先ほどのお返しとばかり、彼の肩をポンポンと叩く。そう、実は俺が中卒で就職した職場は、井上が勤める会社とはまた別の子会社だったのだ。そこで俺は、周囲との学歴の差を埋めるため、懸命に働いた。すると、その頑張りと実績が本社の人間に伝わり、10年ほど前に子会社から本社へと転勤を命じられたのである。また、俺はそこでも着実にキャリアアップに励み、今では本社の中枢を担う部署の部長を任せられるまでになった。ちなみに役職こそ井上の方が上であるが、各子会社の実績を統括管理する部署にもいたことのある俺は知っている。実は、井上の働く会社の業績は、他の子会社と比べても万年低水準であり、その基準で考えるならば、部長というのも、それこそ彼が得意げに言うほどには見栄えの良い肩書きでもない。
俺の名刺を穴が開くほど凝視して、次第に顔を青くさせる井上の様子に、周囲の同級生たちもどうやら俺の言っていることは真実だと分かり始めたようである。
「新任の部長さん、万年赤字の関連会社ですが、今年こそは業績アップ期待してますからね。」
そして、わざとらしく俺がそう声をあげれば、同級生たちの間では、ひそひそと何事かを囁き合う声が広がっていく。そこで俺は、ダメ押しとばかりに、そんな周囲を見回すと、一つ小さなため息をついた。言葉を切った俺を、井上がぼんやりと見てくる。相手が聞き取りやすいように、俺はゆっくりと続けた。
「でも、感心はしないね。こうやって、お金で釣るようにして昔馴染みだけを集めて、さも自分が王様であるかのように振る舞うのは。こういうの、なんて言うか知ってる?井の中の蛙大海を知らず、って言うんだよ。」
だが、その瞬間。しばらく虚ろになっていた井上の両眼がカッと見開かれる。そして彼は、先ほどの酒ではなく怒りで顔を真っ赤にさせると、突然、俺の胸倉を掴みかかってきた。
「この野郎。言わせておけばいい気になりやがって。」
彼の勢いに押されて、周囲の椅子が耳障りな音を立てて倒れる。
「黙れよ。俺はお前なんかより、よっぽどできる男なんだぞ。」
俺はそのまま力任せに、近くのテーブルの上へと引き倒された。グラスや皿が割れる音、そこに女性たちの悲鳴が重なる。
「おい、落ち着け。」
そこでようやく、同級生たちが井上を止めに入った。離れた場所にいた友人が、慌てた様子でこちらへ近寄り、その隙に俺を助け起こしてくれる。
「大丈夫か?」
「うん。大丈夫。ありがとう。」
「くそ。お前なんか、お前なんか負け犬のくせに。」
だが、同級生たちによって一旦は引き離された井上が、立ち上がった俺を睨みつけて、再び暴れ出そうとするものだから、友人が俺の手を引いて、とりあえず店を出るよう促してきた。その場の何人かも、顔で早く行けと訴えるものだから、俺もその判断に従って、大人しく店を出た。その後しばらくして、井上も俺の姿が見えなくなったことで、ひとまずは落ち着いたと友人から連絡が入った。服こそ汚れたものの、双方とも怪我はなく、また壊したグラスなどは井上とその取り巻きたちで弁償したという。友人からも、無理やり参加させた上にあんなことになって悪かったと謝られたが、そもそもは一方的に絡んできた井上が悪いのだ。俺はこの件を警察に通報するべきか悩んだが、結局それは思いとどまった。だが、その代わり、俺は地方の子会社の人間に暴力を振われたと本社へ報告したのである。
そして後日、井上に対し事実確認の聞き取り調査が行われた。しかし、そこで井上はそのような事実はないと白を切ったらしい。それも、言うにこと欠いて、俺が井上のことを一方的に僻み、あることないことを言いふらしているのではないかとまで付け加えたとのこと。その報告を聞き、俺は今度こそ呆れ果ててしまった。自身が他人に対して暴力を振ったことを言い逃れようとするばかりか、反対に俺のことを加害者に仕立て上げるなど、開いた口が塞がらないとはこのことだ。そして、俺は即、同窓会の会場であった居酒屋に問い合わせをした。店の防犯カメラの映像に、同窓会での一部始終が映っていないか確認するためである。基本的にはプライバシーの侵害になり得るため、外部の人間はおいそれと映像を見られないのだが、井上は今回の件で、当日、店側にも態度が悪かったそうで、そのことで店側も思うことがあったらしい。自分たちにできることがあるなら、是非協力するという心強い返答があり、俺は早速その件を本社へとあげた。そして、俺や井上といった当事者には直接映像を見せないことを条件に、第三者である聞き取り調査チームがカメラをチェックしたところ、俺の胸倉を掴んで引き倒す井上の姿がしっかり映っていたということだった。結果、井上は後日、俺へ謝罪する運びとなった。ところが、第三者を招き、本社の会議室で行われた彼からの謝罪は、明らかに本心からのものではないと分かるほどにいい加減なもので、また、謝るだけ謝った後も、井上は不機嫌な態度を隠そうともしていなかった。それでも会社側は、騒ぎをこれ以上大きくはしたくないとして、謝罪と合わせて彼の昇進の取り消しを決め、今回の件は手打ちということになったのである。なんともモヤモヤが残る結果とはなってしまったが、それでも俺とて一人の会社員だ。会社側の決定には従う他ない。それに、あの一件で井上は中学の同級生たちから白い目を食らっていると、俺は友人から聞いていた。あれだけ誇られていた人間からしたら、自身の取り巻きだと思っていた相手から無視されるのは、身に応えるものもあるだろう。せめて、今回の一件で己の振る舞いを反省してくれればいいと、そう思いながら俺は日々の仕事に打ち込んでいた。
だが、それから数ヶ月して、井上が務める子会社から、一件の匿名での告発が本社へ届いたのだった。
「君の同級生だが、何やら問題を起こしているようだな。」
「え、一体何をしたんですか?」
上司に見せられた告発の内容は、職場における井上の勤務態度についてだった。どうやら、あの一件以降、職場でも同僚や部下に対して理不尽な行いを繰り返しているらしい。俺への愚痴も言っているようなので、その原因は、十中八九、見下していた俺に謝罪することになり、昇格も取り消されたことだろう。井上の高すぎるプライドが傷つけられたのだろう。その後、本社は改めて本格的な社内調査を取り行うこととなったのだが、当の本人がどうにも非協力的な上、蓋を開けてみれば、告発の件以外にも、彼の様々な問題行動が明らかになったのだという。結果、井上はあっさり解雇処分となってしまった。だが、驚くべきことに、その処分が不服として、井上は社内で暴れ、ついには警察を呼ぶ事態にまで発展したらしく、井上は器物破損、暴行未遂、その諸々で現行犯逮捕となった。ちなみに、井上の勤める子会社は、その後、経営見直しという名目のもと、隣の子会社の一部門として吸収されることが決まり、事実上、閉鎖という形で幕が引かれた。
それから1ヶ月後、同窓会の話を持ちかけてきた友人から着信があり、俺はその後の井上のことを聞いた。
「井上は、起訴は免がれなかったらしいけど、結局、執行猶予がついて、実刑にはならなかったって。でも、散々自慢してきた美人で金持ちの奥さんとは離婚になって、娘も奥さんに引き取られたんだと。」
「そうか。」
「あいつさ、昇進の話がなくなって以降、家でも奥さんと娘に当たり散らしてたらしくって。それもあって、離婚時の慰謝料が相当高くなってるらしい。まあ、自業自得ではあるんだけどな。」
そう言いながらも、友人も、それから俺も、すっきり解決したといった心持ちには到底なれなかった。奢り高ぶった人間の末路と言ってしまえばそうなのだが、多分、一歩間違えれば、誰だって井上と同じようなことになってしまう危険は孕んでいると、俺は思う。だからこそ、俺たちは日々、慎んで己を律して過ごしていかなければならないのだ。それでも、今回の一件で一つ、いいこともあった。なんと、友人の努力が実り、この度、めでたく彼は片思いのゆきちゃんと交際することとなったのである。
「どうよ?交際は順調か?」
俺の軽く問いかけると、友人が電話口で照れたように笑った。
「まあ、おかげ様でね。今度さ、ゆきちゃんと俺、それからお互いの友達数人で遊びに行くことになってんだけど、お前も来いよ。いい出会いがあるかもよ。」
「そうだな。楽しそうだし、俺もお邪魔しようかな。」
そういえば、ここ数年は仕事にかまけて、プライベートの充実まで気が回らなかった。友人の幸せそうな様子を聞くに、俺もそろそろ本格的に、将来を見据えた付き合いのできる相手と出会いたいという思いも湧いてくる。それに、多分この誘いは、未だ同窓会での件を気にしている友人の、俺に対する気遣いも含んでいるのだと察した。もう、そんなこと気にしなくていいのに。何とも義理堅い男である。
「お、じゃあ決まりな。また詳しいこと決まったら電話する。」
「うん。気にかけてくれて、ありがとな。」
良い友人を持ったなと、俺は改めてそう思いながら、これからの日々も、真面目に誠実に過ごしていこうと、今一度、心に誓ったのだった。



